彼はまだ、20代半ばだったと思います。
彼の心が少々不安定であることは、以前から聞いていました。
彼の死を聞いた時、最初に思ったことは「信じられない」でした。
しかしそれは嘘ではありませんでした。
嘘ではないと分かった時、心に浮かんだことは「うらやましい」でした。
死にたいと思っても自殺さえ満足にできない意気地なしの私には、
最後の一線を越えられる彼の勇気が「うらやましい」と思ったのです。
彼は自殺する前の最後の日記を「しっぱいさんどめ」と書き、そこで
「こわいよ」
と何度も繰り返していました。
思えばあれが最後の言葉だったのかも知れません。
彼が死んだと本当に理解した時、
「私も一緒に連れて行ってくれ」
そう思いました。
自殺してはいけない、自ら死を選んではいけないという言葉を良く聞きます。
私の父母は良く言います。
「その体は両親が与えたのだから勝手に傷つけてはいけない」と。
本当にそうでしょうか。
彼らが子供をほしがったから、私はこの世に生み出されました。
少なくとも生まれてきたことは自分の意志ではありません。
私は時々思うのです。
「何故この世に生まれてこなければならなかったのか」と。
生まれてきた意味を探すことが人生の意義だとも聞かされていますが、生まれて来たくなかったと思う自我を持つ者にとって、生きることは苦痛でしかないのです。
じゃあ死ねよと。さっさと死んでしまえと。
自分でもそう思います。
でも怖くてできないんです。
けれど「怖い」って思うことが「生きたい」って思うこととイコールではないと思います。
今の自分は、生かされているのでしょう。
他人に生きる意義を預け、自分では何も考えない。
それが今の私です。
死を選び実行できた彼がとてもうらやましいです。
私は時々思うのです。 「何故この世に生まれてこなければならなかったのか」と。 時々そう思うならその答え出してから死ね。みんなその理由を探しながら生きている。
元増田ではないが そんなもの、探す必要があるのか? そりゃ、生きていくには理由が無いと辛い時もあるだろう 「なんで生きてるんだろう」に理由があれば、辛さが軽減されるだろう...
そんな哲学的な意味なんかなく生物学的に精子と卵子がこにゃにゃちわしただけなんだけどさ、生まれてきたわけなんて。 でも生物って不思議なもんで、セックスとか、妊娠とか、出産...