はてなキーワード: じゃあ死ねよとは
これ私の彼女全部あてはまってて草
今はバツイチだけど
見た目だけなら知的美人そうに見えて国立大に推薦で入ってきたが、勉強についていけないのと朝起きられなくて中退
小論文さえまともに書けるはずがないので、面接点だけで通ったか奇跡が起こった
ニートのまま同い年の学生の私の家に住み着いて私のバイト代や奨学金を食いつぶして
叱るたびに家出して「今ダムにいるんだけどここから飛び込んじゃおうかな・・・」と言ってくるメンヘラカス
夜の11時ぐらいに電話かけてきて「じゃあ死ねよ」と言って放置して寝て始発でダム行ったら7時間ぐらいずっと飛び込まずに待ちぼうけしてて爆笑した
これを数ヶ月に一回ぐらいやってきた
当てつけ結婚に失敗したのと私が就職して使える金が増えたのと「あなたが多忙な分家事やらなきゃ」という大義名分ができてから落ち着いて
人生で感じる大きなストレスの第1位が配偶者との死別、そして第2位が離婚です。
なぜ離婚はつらいのか、離婚経験がない人向けに語っていきます。楽しんでもらえれば幸いです。
「生涯一緒にいようと約束したのに、その約束を守れなかった人」と思われます。
他人から思われるというよりも、むしろ本人がいちばんそう思って苦しみます。
結婚は、振り返ってみると、なんだかんだ命を懸けた判断でした。なんとなくであれ、気がついたらであれ、できちゃったからであれ、自分の長い人生を共にあゆむと決意した相手なので、離婚となるとその決意が底から抜けます。
離婚で味わった感覚としては以下の通りです。長いので読みやすいように分割してます。
このあたりを抱えたまま社会に生息することになります。なので結構キツいです。
離婚経験がない人は、そっと見守りその話題を一切出すことなく楽しい話題を提供しつづけるのがベストです。へたに聞くとそこは地雷原です。もう何が地雷なのかわからないぐらいやばいです。
相手が話し始めたら聞いてあげるのがいいです。「わからなくてもいいからつらさを少しでもわかってほしい」というのがあります。
離婚経験がない人から言われる助言ほどムカつくものはありません。聞かれるまで助言を言うべきではないです。というか聞かれても相手を否定することを言わないほうがいいです。否定はめちゃくちゃ自分でしていて、「肯定される」「肯定する」ということを渇望しています。全肯定botになるのがよいです。
そんなことよりも「コーヒー飲む?」とか「音楽何すきでしたっけ」とか「ピザ頼むんですけど何食べますか?」とか「見て!ネコ!かわいい!」がいちばん心にしみます。
これは離婚経験があっても同じことです。離婚経験があるからといって助言が参考になるわけではないです。一緒にすんな!みたいな感じになることもあります。基本的には相手に寄り添うことが必要です。
離婚者は弱っているので、誰かの一言や行動で簡単に懐くし、簡単に絶望します。とにかく愛らしきものを感じると飛びつくのです。
なので悪意がある人に敏感です。悪意がある人は最初悪意があるわけではないと思います。しかし、その人の無理解や無神経さや誤解によって、離婚者から次第に悪魔扱いされはじめます。言葉にしなくても行動から「どうも自分は悪魔扱いされてる」と感じるはずです。
そして、「そんなに悪魔として振舞ってほしいのなら、本当に悪魔みたいに振舞ってやろうか」と考えて、「ざまぁみろ」と鬱憤を晴らし、復讐する感じだと思います。これがセカンドレイプのようなものです。離婚者は、ありとあらゆる場所でこれをされています。なので、世の中に敵しかいないように感じ、悪魔しかいないように感じます。
条件付きの愛でなければ愛されない、メリットを渡さなければ愛されないと考えてしまい、他人の奴隷のような動きをしたりもします。
このあたりが非常につらいです。
信用できる人を徹底的に探しはじめます。もしくは人間について絶望しやがて1人で立つことを選び1人で生きていくのかもしれません。
それができなければ死を選ぶか、リビングデッドのように目的なく世の中を彷徨うかすると思います。とんでもなく人を疑う割に、やはり信用できる人を探しているのはおもしろいです。
離婚前の彼彼女の状態が良ければ、離婚直後に彼彼女らにポジティブな手を差し伸べることは長期的に見て有益です(利用してはいけません。投資と見るとよいと思います)
人生で最も苦しいときに手を差し伸べてくれた相手には、非常に好感を覚えます。
逆に自分が逆境に陥ったときに助けてくれるかもしれません(必ず助けるとは言ってない)
また、手を差し伸べても、離婚者は手を振り払ったりします。いわゆる試し行動ですが、これに腹を立てて「なんだ!助けてやったのに!」と怒ると、敵対判定されます。離婚者はとてもめんどくさいメンヘラなのです。
N=1なので、べつにこれがすべてだと言うつもりはありません。
頭の片隅にでも置いておいてもらえると嬉しいです。
いま現在離婚した人を助けるためというよりかは、自分がいざ離婚してしまったときに、「そういえば…」と思い出して、現実に帰ってくるときにこの記事が役立つと思います。
離婚前に読んだ方がいいです。離婚防止になるだろうし、離婚後に「このことか」となると思います。
離婚後に読んでも「そんなん知っとるわ」となるはずです。
主語はかなりデカかったと思います。振り返ってみると全体ではなく個人的な感想ですね。不快な思いをさせてしまった方々に深く謝罪します。すみません。
離婚経験者の中でも「自分はせいせいした」という意見もあって参考になりました。
自分はリアルでは離婚の深い話はあまりしないようにしています。
そもそも離婚したこと・結婚経験があることをあまり話しません。何か恋愛などについて聞かれたときは濁しています。もともとの自分が味方を作りにくく敵対されやすいので、潜在的な敵に弱点を晒さないというのもあります。
たとえば離婚話をして離婚つらかったんですよ〜!と明るく言うと、未婚の人から結婚できたことのマウントだと思われて敵対されることもありました。
「信用できない人に自分の魂部分に関わる深い話をしてはいけない・弱さを見せると凛々として叩く人間がいるので自衛しなければならない」ということは大きな学びでした。
当時は「そんなんだから離婚されるんだよ」とか「メンヘラすぎて無理(笑)」とかの、まさに敵対的なブコメのような言葉が刃のように刺さっていました。ひどいものだと「死にたい」と言ったときに「振られたぐらいで死にたいの?じゃあ死ねよ」などと声をかけられたこともあります。自分にとってはそうした発言がセカンドレイプだと感じていました。弱っているときは、弱い者を叩きたい人が本当に多く集まってくるのだなと理解しました。
言われたときは認知的不協和の解消をされているとか、公正世界仮説によって自分が悪いことにされている、とリフレーミングしています。「離婚でつらかった」という話を聞いて気分が良くなる人は少ないと思うので、「不快な思いをさせてきたこの話者が悪い!」と帰結するのは当然のことかもしれません。
現在はそういう人とリアルで遭遇すると、心の中で敵と判定して切断し、以後は社交辞令的・常識的な付き合いのみするようにしています。
もしかすると人間性の底を常に観察しているような目をしているかもしれません。
また、自分は失恋はこの離婚が初失恋です。元配偶者に依存していたのもありますが「他の人に絶対に行かずこの人と人生をともにしようと苦しいときも耐えていたのになんでこんな目に…」という気持ちが大きかったです。
離婚直後はとてつもなくモテず、ほとんど誰からも相手にされませんでした。恋愛が久しぶりすぎて何もわからなかったし激病みという状態です。徐々に月日とともにモテるようになっていきました。
ただし、モテることは元配偶者への復讐がメインなこともあり、モテてもほとんど嬉しくありませんでした。
また回復の過程で多くの人を恋愛的に傷つけたり逆に傷つけられたりしました。
元配偶者への後悔の念が愛情となって相手に行くけれど、それは元配偶者への贖罪や悔恨や愛情だから、相手のことはちっとも好きではない。相手からは強烈に好かれるけど、好かれれば好かれるほど試し行為をして振ったり振られたりを繰り返していました。これはかなり長期間続きました。
自分とは何か
結局は誰しもが親が生成した個体というより他なく、その個体としての能力(遺伝子や育成環境その他もろもろ含む)が劣っているのであれば結局親が悪いという結論になる
メンサに入れて両親に金があったら俺もイェール大で教授やってたわていうね
親のおかげというのと親のせいというのは全く同じ発想でベクトルが真逆なだけ
じゃあ過程とか意味ないよね?過程で愛があったかなかったかとか意味ないよね?愛のない家庭のガキが東大に行ってることからも立証ずみ
愛と教育の結果は分けて考えろよ
じゃあ死ねよとか言うアホは親を憎んだ方がいいよ、オマエがアホなのは両親の遺伝のせいだから
恐怖とか痛みとか勘案する頭もないの?
四苦八苦とか知らなそう
ついさっき調べて知ったんだけど武士道の本だった。
有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり。じゃあ死ねよ(山岡)」の出典なのね。
で、じゃあなんで忍者と勘違いしてたんだってのが気になって調べてみたんだけど、
バーチャファイターに影丸っていうザ・ニンジャみたいなキャラがいるんだけど
そいつの出身地が「葉隠れの里」で葉隠流の忍者で葉隠流柔術の使い手って設定なんよね。
NARUTOの主人公のナルトが所属する里が「木の葉隠れの里」。
明らかにこのあたりの影響で「葉隠」=「忍者」と思い込んでたけど、実際には武士のバイブルでした。
うーん、誰かに話す前で助かった。
コレ以外の答えなんて究極的には存在しない。
少し前に話題になった「要求を言え!」「逃走用のクルマと5000兆円欲しい! 」「それは要件だ!要求を言え!」と同じだ。
彼らの目的は「自分たちが老後まで転職したり、頑張って別の分野の勉強をしたり、顧客満足度を挙げる努力をしたり、することなく今の生活レベルを維持したい」に集約されている。
他はすべて手段であり、今回の「1000円の薬をそのまま売られると自分たちが手術台で稼げなくなるから、10万円で売れと主張する」のもそうである。
生涯の学費と勉強時間で日東駒専レベルの大卒2人分ぐらいでも足りないかも知れない。
故に彼らの多くは医者になったらもう辞めることができなくなる。
辞めればそれまでの人生を否定することになるが、それに耐えられるほど強い人間は少ない。
生まれつき人より勉強ができたとして、40を超えてしまえば吸収力は日東駒専の20歳にだってもう叶わない。
今更別の業種に転職するなんて簡単じゃないし、今までは少なくとも患者からは先生先生と呼ばれていた立場から打って変わって底辺からスタートなんてもう無理なのだ。
なにより、メンタリティが違いすぎる。
新しいことに挑戦しようとして失敗した人間と、人生をずっとレールの上で過ごしてきて突然脱線事故が起きた人間では、状況が変わりすぎる。
「新しい薬のせいで儲からなくなったから畳んだんすよ。ゆーてボク医大卒だから超頭いいですよ」なんて舐めた口聞いてくるような奴はなかなか次の雇先を見つけられないだろう。
つまり、もしここで敗北すれば死が待っている産婦人科医もいるのだ。
みっともなくてもいいから戦って、戦って、そして今から貯金して、本当にあとがなくなったらその時は貯蓄で暮らすのだ。
そういった気持ちと自分の都合を秤にかけたとき、若干自分の都合が勝つ普通の小市民だらけだ。
だから彼らは傾向中絶薬のおかげで助かったかも知れない誰かの人生を踏み散らしてでも自分たちの生活を守るのだ。
ぐらいに彼らは考えている。
じゃあ黙って言い分を受け入れろとは言ってない。
彼らの主張はガバガバで、権威によって無理やり自分たちの都合を押し通そうとしているだけだ。
だが気をつけたいのは彼らの方はとっくにその気持であるということだ。
「経口中絶薬が安く売られるようになったぐらいで潰れるようなら、そんな産婦人科医は辞めたほうがいいよ」
という我々の心の声はとっくに彼らの心の奥深くまで突き刺さりその自尊心をボロボロに引きちぎっている。
今や彼らの心の半分は尊厳の破壊されきった苛められっ子のような状態だ。
心のなかでは常に憎しみの刃が研がれ続けいることだろう。
そして今、戦いのときがきて、彼らは一斉にそれを剥き出しにして世の中に襲いかかってきたのだ。
いやいや戦っていては絶対に押し切られるだろう。
この押し合い、ちょっと押し返せば勝手に引っ込むなんて気持ちで挑んじゃ駄目だぞ。
徹底的に潰す気でやらねば。
医者としての人生しか受け入れられない精神構造の歪みきった産婦人科医の何十人かは首をくくるだろうが、勝手に死んでくれ。
その覚悟はあるか?
俺はないので人に任せる。
頑張れよお前ら。