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はてなキーワード: 哲学とは

2024-05-31

なぜ「ビッグカメラ」ではなく「ビックカメラ」なのか?その謎を解明するため、我々取材班アマゾンの奥地へと向かった。

情報によれば、「ビックカメラ」の創業者がかつてアマゾンに赴き、現地のシャーマンから特別な啓示を受けたという。そんな突拍子もない話を信じるわけではなかったが、取材のためにはどんな小さな糸口も逃さない。我々は、真実を追い求めるジャーナリストの誇りを胸に、熱帯雨林の深奥部へと足を踏み入れた。

現地に到着して数日後、我々は一人の老人と出会った。彼の名はカウリ・モハン。村の長老であり、かつて日本から来た若者出会たことがあるという。その若者こそ、「ビックカメラ」の創業者増田大介だった。カウリは古い記憶をたどりながら、増田が訪れた日のことを話してくれた。

その日、増田は村に現れ、カウリに「成功繁栄秘訣」を尋ねた。カウリは答えた。「成功とは、己の意志を貫くことだ。しかし、繁栄他者との調和によってのみ成り立つ。」増田はその言葉に感銘を受け、何かを得たような顔をして帰っていった。

カウリの話を聞きながら、我々は次第に増田の考えに思いを馳せるようになった。彼は「ビッグカメラ」という一般的名前よりも、「ビックカメラ」という独自名前を選んだ。そこには、おそらく彼なりの意志他者との調和象徴する意味が込められていたのだろう。

我々が取材を終え、アマゾンを離れる日が近づいていた。その夜、我々は星空の下でカウリと最後対話を交わした。彼は静かに言った。「名前に込められた意味は、時に言葉では説明できない。だが、それが持つ力は確かに存在する。」

日本帰国し、我々取材班取材結果をまとめた。結論として、「ビックカメラ」の名前の謎は、増田大介の個人的哲学と深く結びついているということが分かった。だが、具体的な理由を完全に解明することはできなかった。

何事にも納得ができる答えがあると思うのは、我々人間のおごりに過ぎないということだ。

  ブスかブサイクから整形に走った犯罪者であることが完璧かつ甚勝に露見しているし、平成一般社会迷惑をかけているだけのクズで魅力を持ちようがないから無理。形式論理的にも

   実質論理的にも実現不可能。ここでいう不可能というのは、出来ても、望ましくないさま。 可能ではないことが哲学上明らかになっているさま。  「不可能グラフ」  「到達不能基数」

   可能  : 完璧ものを用意し甚勝な技術によって組み立てていけばそのうち到達するさま。  信ずるものに従ってやっていけば存在するとされている技術によって到達可能なさま。

   不可能 :  上記の手順に従っても、お前に興味をもつ手段はないさま。

    まずお前が馬鹿であることを証明するために様々な専門知識を集めて、その次に理由構成しなければならないと思う。民事訴訟法規定は他の法律もそうであるが、一般

  精神文言があるというが、判例によっては、精神ではなく、目的であると書いている場合もある。立法技術にあたるので、しかし、民訴法82条1項がどのような技術によって出来ているか

   といっても、そういうことを解説している本は、コメンタールとか霞が関書籍いかないとインターネット検索したくらいでは書いてないので調べようがない。個別の条文の技術裏付け

  ないような状況で、誰がそれを使うのか。数学では、証明の途中に出て来る補題、有名な教科書定理には簡単証明がついている。

      哲学では、知能、精神力を使うことで円滑に計算する、もしくは、小さい問題から次第に解決して、理想とする大きな問題解決しなければならない。しかし、3階のぶちんぶちんが

 合鍵をもっているか消防士器具を使って部屋に入ってくる、寝ている間に人工知能無線強制的に夢をみさせられるという偽計に対しては、一般人は、有形力でこれを排除できないし、

   現に排除できていないのであるから暴力威迫にわたらない警察官公務に対する威力業務妨害は成立しない、という、昭和62年最高裁決定は、もりわきのままが、マンションの6階から

  行う、人工知能無線を用いた偽計業務妨害場合には、その趣旨が及ばないというべきである。よって、もりわきのままが、マンションの6階から無線インターネットへの書き込みを用いて

  行う偽計に対しては、平成12年最高裁決定等がいうところの、警察官公務に対しては業務妨害罪の適用はない、という解釈は及ばないというべきである。よって、本件のもりわきらがしている

   人工知能を背景とした、インターネットへの書き込みによる偽計に対しては、刑法233条の偽計業務妨害罪が成立する。

2024-05-30

anond:20240530114931

恣意的という言葉意味説明するにあたり、まず、この言葉語源に着目せねばなりません。「恣意」という言葉は、「恣」と「意」という二つの漢字から成り立っています。「恣」は、「ほしいまま」「みだりに」という意味を持ち、「意」は「思う」「考える」という意味を持つ、いわば、cognitive functionを表す言葉であります

ゆえに、「恣意的」という言葉は、「自分意思欲望に基づいて行動する」という意味合いを持つのです。しかしながら、この言葉が持つニュアンスは、単に自分意思に基づいて行動するということだけではありません。むしろ、「恣意的」という言葉が使われる文脈においては、その行動が、社会的規範倫理、あるいは、客観的事実論理に反しているという含意が込められているのです。

例えば、政治家自分利益のために公共資金を使った場合、それは「恣意的な行動」であると言えます。また、科学者自分の仮説を証明するために、都合の良いデータだけを選んで発表した場合も、「恣意的データ選択であると言えるでしょう。

このように、「恣意的」という言葉は、主観的欲求意思に基づいた行動が、客観的基準からは逸脱しているという状況を表す言葉なのです。それは、言わば、個人ego が、社会の norm を超越してしまった状態を指す言葉だと言えます

この言葉が持つ意味合いを深く理解するためには、哲学倫理学、さらには心理学社会学といった、様々な学問分野の知見を総動員する必要があるでしょう。そして、その理解を通じて、我々は、個人社会関係性という、人間存在の根源的な問いに対する洞察を深めることができるのです。

2024-05-28

上野にある成人映画館に行ってきた話をするよ!(2024.5.30追記

追記したよ!

今回もたくさん見てくれてありがとう追記したよ!

anond:20240530134235

ここから本編

やぁ、紳士淑女のみなさま!成人映画館増田だよ!

好奇心のまま休日夜の上野成人映画館に行ってみたので、今回も女性目線の成人映画館体験記を書いていくよ。

今回も性別以外は特に明言しないので、18歳になりたての美少女大学生でも、夫とご無沙汰で性欲を持て余した美熟女でも、お好みの姿で読み進めてくれ。

前回のおさらい!成人映画館とは?

成人映画館とは、読んで字のごとく成人向け映画を上映している映画館だ。普段目にするAVとはまた違う、ロマンス的要素があるR18作品を鑑賞することができる施設となっている。

上野には2つの成人映画館があるのだが、すべてが同一ビル内に収容されており、1階に上野オークラ劇場(1階)、2階に上野オークラ劇場(2階)と上野特選劇場が併設されている。この劇場は成人映画製作会社直営となっており、タイミングによっては最新の成人映画を真っ先に鑑賞できる、「日本一ポルノ映画館」と呼ばれる施設でもあるそうだ。また各階に特色があり、1階は普通の成人映画館で男女ともに入場可能なのだが、2階は基本的ゲイの発展場としての側面が非常に強く、上野オークラ劇場の2階にいたっては女性入場禁止となっている。

というわけで、今回は上野オークラ劇場1階での体験記をお届けするよ!

映画館へ入場

上野オークラ劇場不忍池付近にあり、上野からは徒歩10分かからない程度の距離にある。基本的に直進で済むのと、ここもビルにでっかい看板がついているので迷子になることなく辿り着けた。成人映画館初見の来場者に対してめちゃめちゃ親切だな……。堂々と看板を出して通り近くでやっているので、普通映画見に行くだけですが?面で入ることができるぞ。

ちょっと動きの鈍い自動ドアを通り抜けるとすぐに券売機、受付があり、待合ロビー結構こじんまりした感じ。何故かロビーマッサージチェアが設置されておりお客さんがめちゃめちゃくつろいでいた。受付スタッフはおばちゃんで、私が券売機操作している間に手慣れた様子でチケット出口に手を突っ込んで待機しており、発券された瞬間さっと取り出し高速のチケットもぎりを見せてくれた。特に施設説明などはなく、「シアター入り口はあっちだよ~いってらっしゃい」と笑顔で送り出してもらう。久しぶりに人からいってらっしゃいと言ってもらえてちょっと感動。

シアター入り口はシアター内の最後方に位置しており、入って一目で席状況を確認できる。やはり休日夜ということもあってか20人か30人くらいの人が座っていて、パッと見た限りではいい感じに人がいない席が見つからない。しかし上映中なのとドア付近で立ち見の人も結構いたので、あんまりうろちょろするのも気が引けて目についた比較的空いている中間列の端に座ることにした。

ちなみにオークラ劇場特に臭いはしなかった。無臭万歳

ポルノ映画めっちゃおもしろ

今回は守護神カバン存在はないので、座ってからちょっと経つと横、後ろ、前あたりの席に人が集まってくるけど上映中の映画が気になったのでいったん気にしないことにする。

途中で入ったから当然話の筋は掴めないが、流れていた作品映像出演者雰囲気を見るにかなり現代的。スクリーンの中でめちゃめちゃ真剣男優二人が音楽について語り合っていて、どうやら音楽を志すも手を怪我し道半ばで折れてしまった男性と、その人の音楽に惚れ込んでおりどうしても続けてほしい男性、みたいな関係。これを一体どういう道筋で濡れ場に持っていくのか……もしや場所を間違えてただマイナー映画を上映している普通映画館に来てしまったのか?と思うくらいシリアスなシーンで引き込まれしまう。しばらく見ていると女性音楽家の男性の知り合いっぽい)が登場し、なんやかんやあって濡れ場がスタート。「俺の新しい楽器は……女の体だァ!」ということだった。いやなんだその理論。どういうことなんだ。おもしろすぎるだろ。あんあん喘ぐ女性の上で真剣な顔で音楽の道とは、生き様とは、と己の哲学を語る男性と、それを感激の表情で聞く男性。「兄貴、また音楽を……!!」さすがにセックス音楽ではなくない?もう私はスクリーン世界に夢中である

……と、なんかよくわからんテンションの濡れ場に乗じてなのか、このあたりで隣に座っていた男性が私の太ももを撫でてきた。特に喋りかけたり、こっちを伺う素振りもなく手だけでさりげなくすすーっと触ってくるので、映画ちゃんと見たいこともあって逆側に足をよけて軽く意思表示……をしてみるのだが、この手がめちゃめちゃ追尾してくる。なんだったら手が届かなくなると尻の方に手が移動してくる。

まぁこれくらいなら無視できるな、とか思って足をよけたり組み替えたりしつつ無言でいると、鼠径部の際どいところを触ってきたり服をめくって素肌を触ろうとしてくる。裾を太ももの下に入れ込んでみたり鼠径部は太ももブロックしてみるも全く手が引いていかない。しっかり体ごと逆側に避けてもどこかしら触ってくる。コイツ、NOを無視するタイプである

この手の人間相手の反応を無視して自分がしたいことだけを強引に進めてくる可能性が高い危険人物である。……という持論を私は持っているので、コイツは引かねーなと見切りをつけて濡れ場が落ち着いたタイミングで席を移動した。そもそもいくらここがそういう場所とはいえ初対面の人間に無言で触るのはいただけない。コミュニケーション大事にしてこうぜ!!

まぁ、私自身の一応の自衛策として、こういうことする相手はアウトというラインはあらかじめ決めてあり、今回はそのラインを越えたというだけの話だ。

もちろん直接触るな、と言ってもいいんだけど、なんというか、他人拒否に関する感知域が狭い人には積極的に関わりたくないので今回は逃げる一択である。余計なトラブルになったら断然、私の方が不利なので。

移動先の席では周囲に男性こそいるものの、私の見える範囲にいたのは全員おじさんというよりもはやおじいさんだった。二つ隣からはフゥ…フゥン…とやや苦し気な呼吸音が聞こえてくるので、他人ながらちょっと心配になってくる。こんな空気のこもった映画館よりもっと行くべきところがあるのでは?と思いつつも、先ほどよりは心穏やかに映画に集中することができた。

人はみんな、他人に対して見栄を張ったり自分に嘘をついたり、後ろめたいことを抱えているけれど。いつだって過去自分と向き合って、受け止めて、改めて前を向いて生きることができる存在じゃないか。そんな勇気をもらえるような作品だった。

セックス応援上映、始まる

1本目上映後、館内が明るくなり10分ほどの休憩タイムが挟まってから2本目が始まった。今回はちょっと古そうな作品で、平成初期くらいの雰囲気だ。

季節は夏、フリーター男性が幼馴染の女性合コンを打診するところからまり、何故か山奥のキャンプ場みたいなところにポツンと机を置いて合コンが始まる。夏場にそんなところで酒飲んでたら死んでしまうんじゃないか……?

合コンなのに女優3人の合唱シーンが挟まって、この作品もやはりなかなかのカオスしかも一人だけやたらと上手い。惚れ惚れするほどのソプラノボイス。私はあまり合コン経験がないのだが、合コンってこんな感じなのか……?と思っていたらスクリーン男優も同じセリフ。たぶん違うと思う。知らんけど。

そんなこんなでシーンは進み、「見た目はそこまで悪くないのに、若作りに必死すぎるせいでイタいおばさん」役の女優ヤバイ!とウケる!を連呼するのをぼーっと眺めていると、後ろから軽く肩をたたかれた。振り向くと真後ろの席と斜め後ろの席に座っていた二人連れの男性が「ちょっとお話いい?」 「さっき横にいた人はいいの?」と話しかけてくる。どうやら先ほどのライン越えおじさんと私の入場がほぼ同時だったらしく、カップルで来店したと思われてるみたいだったので、正直に知らない人っすねと言っておいた。

ここは初めて?一人で来たの?とかなんとかボソボソ喋っているうちに胸元へと手を伸ばしながら「触ってもいいかな?」と聞いてくるが、言い終わる前にすでに触り始めているのでとりあえず頷いておく。こっちの席来なよ!とおじさんらの間の席を指されるが、挟まれると身動きのとれなさが桁違いになるので通路脇を死守するべくそこは断った。そうだよね間は怖いよね~とあっさり引き下がってくれ、じゃあそっちに移動するね、と一人がこちらにやってくる。すでに私の隣二席はおじいさんが座っていたのだが、その場にいた男性たちは全員顔見知りだったらしく、手慣れた感じで「ほらアンタ何もしないならそこずれて!」と無情にも退かされてしまっていた。ばかやろう、おじいさんこっちを見るには見るけど全くノーリアクションだったから安置だったのに……。「まったくいっつも女の子の隣座っても何もしないんだから」とかなんとか言われていた。いや一番安全な人じゃねーかよ何でそんな悪いことしてるみたいに言うんだ。

隣に座ったおじさんが私の胸元をくつろげて触り始めると、ハプニングの気配を察知した人々が徐々に集まってきた。あちらこちから手が伸びてくるものの、声をかけてきたおじさん二人が「そんな一気にいかないで!」 「ゆっくりだよ!怖がらせないで!」と制するので出しては引っ込めの状態だった。こういう界隈にもリーダーというか、仕切り屋の人っているんだなぁとか思っていると今度は下半身に手が伸びてくる。中に指が入ってくるのと同時に、外側も複数人が触る。

別に触られるのは構わないのだが、今回はタイミング問題か客の数自体が多くそれに比例して周囲に集まってきた男性の数も多い。何かというといろんな人が足を開かせようとしたり無遠慮に手を突っ込むせいで下着がめちゃめちゃ伸びてた。女性もの下着は繊細なのに……安くないんだぞこういうの……。挙句の果てにぐいぐい引っ張って脱がそうとしてくるやつもいるのでそれを阻止するためにこっちも引っ掴んでさらに伸びる。おい人のパンツ持ってこうとすな!

全然まらないので「ちょ、パンツ脱がさないで!」というと周囲のおじさんが次々と「いやがってるよ!」 「パンツ脱がしちゃダメだって!」と言って止めてくれる。最悪のやまびこである

このあたりになるともうあちらこちから手が伸びてきてもみくちゃにされており、さながら鳩の群れに突かれるパン屑ような気分だった。後ろの席からも頭上を通過して顔や胸を撫でまわされて頭がぐわんぐわん揺れるので、そっちに気を取られて全然集中できない。あと顔を触るな!!そんなに擦ったら肌荒れしちゃうだろうが!!

ということで再度やまびこを使って頭部の治安を守り、やっと感覚に集中できるようになった。何度か力加減を調節してもらい、一番いいところで続けてもらう。

快感が高まっていくごとに声も出てしまい、ひときわ大きな嬌声をあげて絶頂するもおじさんの指は止まらず、続けて何度かイかされたところでやっと指が抜かれた。さすがに何度もイくのは体力を使うのでややぐったりした私を見て、おじさんは「ちょっと休憩、休憩だよ!」と言って壁を散らしてくれる。そのまま私の服を軽く整えようとしてくれるのだが、自分の体液がべっとりついた指で服を触られるのはちょっと遠慮したかったので除菌シートを渡して手を拭いてもらい、その隙に自分で整えた。

一息ついてスクリーンを見ると合コンしてた人たちがめちゃくそ修羅場っており、何故か毒を盛ったみたいな話で言い争っているので急に映画が気になり始めてしまうが、数分すると休憩は終わりとばかりに人が集まってきてしまった。常連おじさんの間で謎の順番の選定がされており、「一気にやると女の子いからね!順番だよ順番!」と言われ人が変わりながらもう2回ほど同じようにもみくちゃになりながら絶頂した。途中、私の喘ぎ声がうるさすぎたのか通路に人が集まりすぎたのか、スタッフさんがやってきて「皆さん、椅子に座って鑑賞してくださいね~」と注意されてしまった。迷惑かけて誠に申し訳ない。

さてこのあたりで体力を使い果たしたのと、合コン映画顛末がわからないまま映画が切り替わってしまい次の映画あんまり興味が引かれなかったので帰ることにした。あの映画配信サービスかなにかで見られないかな……。

賢者タイムもとい帰路にて

帰る前に一休みしている間も、一番最初に話しかけてきた二人組のおじさんは気さくに声をかけ続けてくれたが、明日用事があるのでそろそろ……と帰ろうとすると「最後にもう一回おっぱい触らして!」と言われ、まぁ乳ならええかと頷く。そのままもうしばらく喋っていたのだけど、やはり今回は休日なので人が多く集まっていたらしく、今度は平日の夜においでよ!とのことだったが機会があれば……と適当に濁しておいた。できない約束はしないタイプなので。

ではでは行きますねと周囲のおじさんに会釈し席を離れ、上映最中にすまんの、と気持ち頭を低くしながらシアターを出る。さて帰るかとビルを出てマップを立ち上げていると、視界の端に見覚えのあるような人影があった。

おや?と思い一旦通りには出ずに不忍池公園の方に適当に歩くと、やっぱりいる。さっき安置だと思ってた隣の席のおじいさんが。館内は暗くて見えにくいとはいえ真横にいればさすがに覚える。

お前、館内では何もしないのに外出たら追っかけるタイプかよ!!一番ダメなヤツじゃん!!!

幸いにも非常にアメ横が込み合ってくる時間帯だったので、若者の健脚を見せつけるべくめちゃめちゃ早歩きでしばらくアメ横の中をぐるぐる歩き回っていたら姿が見えなくなっていた。しかし念のため、映画館の最寄りの入り口ではなくちょっと離れたところから駅に入ってから帰宅した。

まぁ女性一人客となると珍しいので、つきまといとか追っかけは発生しやすいんだろう。何しろ目立つしな。

最後感想

こうして私は東京にある成人映画館2カ所に突撃してきたわけだが、一番の収穫はなんといってもポルノ映画おもしろい!

風刺ドラマ風、昼ドラ風、あるいは青春要素のある展開だったり突拍子もない展開だったりと、エロ以外にも魅力あふれる作品ばかりだった。ツッコミどころもいろいろあり、下ネタ抵抗ない友人数名集めて上映会やったら絶対楽しい

施設としても非日常体験ができるおもしろ場所ではあるが、私個人は「未知」に対する好奇心を満たしたあとで改めてめっちゃハマる場所、というわけではないかなぁといったところ。前回の記事でも心配してくれていた方も多かったように、なんせ安全性が低い。

あと私はエロのものもそうだし、エロに至るまでのシチュエーションというのも大好きなのだが、いかんせんそのバリエーションがない。まぁ基本的には映画館なのでそんなアグレッシブに動き回る場でもなく、きっと一人で行くといつでも痴漢!手マン絶頂!のループになってしまうし、他人のアレソレを見たいけど女性客やカップル客は少ないし……。

たまにポルノ映画を見に行くついでに、もしムラっときたらハプニングも……みたいなスタンスで行くのがよいかもしれない。

まぁこれはあくまで私の感想なので、私に続く無謀な勇者がいたらぜひその感想も聞かせて欲しい!人によってはかなりハマる場所かもしれないぞ!

そして複数人とか比較オープン場所エロいことをする、というのに興味はあるけど成人映画館は怖いかも……衛生面も気になるし……という貴方にはハプニングバーをおすすめしておくぞ!こちらも今度記事を書くので参考になったら嬉しい。(もちろんネットにたくさん情報があるので、それを見て突撃してみても楽しいよ!)

ここまで読んでくれてありがとう

いつかどこかのすけべスポットで僕と握手

2024-05-27

anond:20240527081333

違うんだよ、もっと根本的な哲学・信念的な部分でベイズを組み込んでくる輩が一定数いるんだよね

パラメータ探索でベイズ手法が使えるって、それはプラグマティックでよろしいとなるけど、現実狂信者がいる

スポーツはやることに対して自覚的にならないと1年かけても何も身につかない

これはやはり確かだと感じる

でも1年やり続けるだけでもある種の心得的な物は得られる

こうしたらより無駄なく動けるんじゃ?というような自分なりの哲学は得られる

こういうのは環境大事

割とそれだけでも少しは成長できるので厄介といえば厄介

ただちゃんと結果を望むなら指導者選びが一番大事

2024-05-25

  哲学は概して、計算または物、関係から成り立っているが、 お前に興味があるというもの自体存在していない。何で興味がないものに対して興味を持たないといけないんだ、バカか?

   

2024-05-24

若きシェルドン哲学教授の入れ知恵で哲学かぶれのアホになりそうになったときはどうなることかと思ったが、シャボン玉を見て物理神秘を思い出してくれてよかった

2024-05-22

anond:20240522105831

ときど「一理ある」

 

ウメハラとか今ではすっかりだらしなくてキモいおっさんゲーマー典型だけど

大昔、初のプロゲーマーになったときは「俺がキモいプロゲーマーって職業が舐められる」つって

筋トレ通って食事制限もやってスリム体系を保って、クール哲学キャラも作って頑張ってたんだよな

2024-05-18

anond:20240518152759

かくして女性性は自己責任論と結びつき、反動的男性性は平等や公正へ回帰する

女は政治的闘争可能でも哲学宗教は作れない

2024-05-16

10キャバクラ セクキャバに通った俺が思う「この話題はやめよう」

スピン

「さっきニュース見てきたけとまた大谷だよ、

あれ実は自民党不正を隠すスピンなんだよ」

と言ったとこで

嬢の脳みそサッカーボールぐらいしか

無いので「???」みたいな顔される

やめよう

プログラマー煽り

プログラマーを嬢の前でバカにしたとしても

嬢は内心「頭おかしいよこの人」と思う

だけですし

周りにプログラマーがいたら、喧嘩になります

やめよう

他店の方が安かったよ

家電量販店じゃあるまいし、値引きしてくれませんよ。

やめよう

ホイ卒マウント

保育園マウントいわゆるホイ卒マウント

周りから見たら頭のどうかしてる人にしか

思えませんし、例えマウントとったとして

あなたしか楽しくないでしょう

ネットでそゆのはやろね

デモに誘う

夜職の人間そもそも昼間のおっさん、おばさん

だらけのデモに連れ出すのは無謀です

数合わせも大概にしましょう

学歴マウント

早慶MARCH出身じゃない嬢の方が世の中

大半です

やめよう

追記<こんな話題もやめよう>

哲学

自分ってどこから来たと思う?」

他人とすれ違う原因ってなんだと思う?」

実存主義ってどう思う?」

「てかイデア論知ってる?笑」

などと嬢に言ったところでキャバ嬢キリストでも仏様でもありません。そんな話は大学でやりましょう。

日本語以外の言語で話す

マジで迷惑なのでやめよう

キャバクラに来るなら日本語覚えてから行こう

歯医者さんやだやだアピール

いくら嬢が客には演技でも優しく対応してくれる

からって「明日歯医者さんいやだよぉ」

「お注射こわいよぉ」などと髭が生えたおっさんがするのは気持ち悪い以外何者でもありません

やめよう

ブコメアピール

あなた匿名はてなを好きなのと大量のブコメ

獲得したのは分かります、だけどキャバクラ嬢全員が匿名はてなを知ってるとは限りませんし

周りの客からしたら「あ、頭がおかしいやつだ」

しか思われません

やめよう

結局自分努力とか頑張りとか懸命さを空疎ものに感じられるのは、お前それパレスチナでも同じこと言えるの?って思っちゃうからなんだよね

それってただの環境じゃん

自分日本に生まれたのは努力のおかげでもなんでもないし

結局そこまで頭が回らない人たちの自己陶酔エンタメだよなあ。

から努力とか懸命さとか関係ない、楽しみのためにエンタメやってますって人たちの方が好きなのかな。もちろん努力はしてるだろうけどそう言うことを打ち出さない人たち。哲学を持ってる人たち

2024-05-14

ポスト構造主義マルクス主義は、構造主義マルクス主義の要素を組み合わせつつ、両者を批判的に再解釈し、社会経済分析を行う理論的枠組みです。このアプローチ代表する重要思想家の一人がジャック・デリダであり、彼の弟子とされる学者には以下のような人物がいます

### ジャック・デリダ弟子

1. **スラヴォイ・ジジェク**

- ジジェクは、ラカン精神分析ヘーゲル哲学、そしてマルクス主義を融合させ、現代イデオロギー政治批判的に分析しています。彼の思想ポスト構造主義マルクス主義の影響を強く受けています

2. **ジャックランシエール**

- ランシエールは、デリダの影響を受けつつも独自政治哲学を展開し、平等民主主義について深く探求しています。彼の著作は、ポスト構造主義マルクス主義の融合を感じさせるものです。

3. **エルネストラクラウ**

- ラクラウは、チャンタル・ムフと共に「ポストマルクス主義」の理論を発展させました。彼らはヘゲモニーポピュリズム概念を再構築し、デリダの影響を受けつつ、マルクス主義批判的に再解釈しました。

4. **ガヤトリ・チャクラヴォルティスピヴァク**

- スピヴァクは、ポストコロニアル理論の主要な学者であり、デリダの解構学を用いて、サブオルタナート(被抑圧者)の声を取り上げています彼女研究ポスト構造主義マルクス主義に関連しています

これらの学者たちは、それぞれが異なるアプローチを取っていますが、共通してポスト構造主義マルクス主義対話を通じて現代社会の諸問題分析しています

   一見関係のない定理を特段の議論をしてから適用する場合もあり、この場合哲学上、 Apllyと呼ばれる。 しか実関数で、 関数を2倍して対称に入れ替えた関数で変換してさばくのは

   ものではないので、抽象的な内容を有するテクニックなので、

     フェルマー素因数分解して1個以外の素数を中にしま作業操作が、ものとは思えない。 4の場合に最終的に無限降下法が出てるのも、出ていているのか、

  適当代数が、Mのなんかの定数倍で押さえられるというIMO問題で、 あれは計算技術から、 ものではないだろう。

    抽象的な概念から演繹される数式のさばき方があって、それが分かると、あれの、代数式が、Mという定数倍で押さえられる、Mの最大値を求めることが出来る

   アメリカの出場者は、ラグランジュの未定乗数法でやろうとして失敗した  模範解答は、 数式のさばき方で、出た奴も誰もコメントできてなかった

   最近東京の5ちゃんねるでは、驚愕ばやりだが、数学定理は、真実に対する深い愛情研究とにおいて、驚愕的な体験によって、定理自体は、 出版されたとき驚愕されるので

   その後は陳腐化すると書いていた。 だから定理と言うものはそんなに大したものではないのだと思った。何で人間定理発見するのかは分からない。私が工場にいたときはただ

   常識から突然紙に書いたということで、当たり前のように発見した気がする。それに来して、技術上の驚愕的というのは、要するに、昔みつかっていた論法ものが、そこに突然出て来るという

   内容のもので、だいぶんに難しいと思った。散々に問題を適切に追い詰めていって、出て来るべきところに激甚な方法によって出すというようなことではないかと思う。哲学ではそれを美しい技術

    であるともてはやす

愛するお前へ

夜も遅くて連絡するのがはばかられるのでこの肥溜めに君への想いを書き留めるよ。

君にとって、僕は太陽だ。近すぎず遠すぎず、いつもじんわりと全体を順繰りに生暖かくして、強い男性に恐怖していて潔癖じみた個人主義の君の体表に救うアトモスフィアは、絶妙死滅しない。

僕にとって、君は衛星だ。常に僕を見ていてくれるが、君は決して僕を束縛しない。なんか遠くでクルクルしてるだけ。

君が今週末、後輩と遊ぶと聞いて、とても興奮している。まぐわったら感想を聞かせてほしいし、まぐわらずとも僕と比較して良い点があったら教えてほしい。

僕は君と結ばれて愛の結晶がお前の膣から噴出(出産比喩だよ。気にしないで)されるのを待ち遠しく想うと同時に、彗星のごとく飛来した第三者によって関係破滅するのを待ち構えている。

僕にとって、君は太陽だ。僕より長生きして、100億年後に世界すべてを破滅させてくれ。

全然関係ないけど子供向けに世界の終わりを科学的に示すのやめたほうがいいと思う。哲学科に進んでしまうぞ。ガキにはポルノハブでも見せとけ。

https://holdings.panasonic/jp/corporate/sustainability/citizenship/pks/library/009earth/earth012.html

2024-05-13

頂き女子りりちゃん仕事できると言ってるおっさん仕事できなさそう

でも自分のこと仕事できると思ってるから俺の仕事哲学を年下に語ってうざがられてそう

2024-05-12

内言、意識が本当に自分なのか?と疑問に感じたときの恐怖

普段、生きているとほとんどの時間で私の頭の中では、私が言葉を喋っている。

それを内言というらしい。

その内言という自己との対話を通して私は思考というものをしているようだ。

この内言、意識が=自分、ということになるかどうかは議論余地があるらしい。

かいうことは哲学心理学領域ちょっと難しすぎる話で素人には理解が及ばない。

それはともかく絶えずといってもいいほど、頭の中で喋っている自分を、本当にこれは自分なのだろうか?

と疑ったことはありますか?

この「本当」にというところがポイントなんですけど。

こうね、意識が喋ってるじゃないですか?

それをね普段は当然のこととして「自分」と思ってるんですけど、

瞑想とかあるじゃないですか?

あれって自分の中の内言を黙らせることとかが第一歩になるみたいなんですけど、

そういう作業、内言を客観的視点で眺める視座みたいなのを手に入れた瞬間に

あれ?このずっと喋ってる奴、

こいつって本当に俺なのかな?

ってことを「言葉になってない、言語化していない感覚として感じたとき」に

意識・内言が

「ちぇ、バレたか

って言葉を発するんですよ。

これが本当にゾッとする瞬間です。

なんかね「私」という存在が実は「意識という私のふりをしている誰か」に乗っ取られている、という発見みたいなのがあって

ギョッとなるんですよね。

そしてね、一旦分離した「私」と「私のふりをした意識」というのは、

その次の瞬間には再び「私」と結合して私のふりをして私をコントロールしようとしてくるから

その「私のふりをした意識」を分離しようとするんですけど、

その分離しようとしている「私」はすでに「私のふりをしている意識」に乗っ取られた私であり、

その私こそを、私は私のふりをした意識から分離しなければならないのだが、

みたいな調子で合せ鏡のように延々と私の中の私みたいなものが一気に溢れ出してしまます

なんか全然、うまく説明できていませんが

とにかく「意識」というものが本当に自分なのか?

という疑問をいだいたときに抱く恐怖というのはこういうことです。

禅とかだと、こういう体験にも名前がついていそうですね。

あんまり勉強は得意ではないので禅を学ぶ気なんてありませんが簡単説明できるのなら聞いてみたいですね。

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

anond:20240425193845

形而下の布と形而上の布は別物っすよ

なにを言うとるのかねチミは

哲学を学びなさい

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