はてなキーワード: 単純明快とは
大阪府知事が、自分の権限で要請している「自粛の解除」について、解除基準を国に示せと言った件がある。
大臣が「自分の権限でやっているのことなのだから国に解除基準を聞くのは間違いである」と、返答するのは至極当然である。
知事が、自粛要請の件をきちんと把握してないのかという疑問がわくのだが、マスコミは擁護一辺倒である。
「間違いを認めた知事は大人だ。人間ができてる。大臣のせいで勘違いしたのだ」とまで言い出す始末。
これでは何をやっているのかわからない。
そもそも、安倍自民となればなにがなんでも批判し、正直、正しいことをやったとしても因縁といちゃもんをつけるのがマスコミである。
それは権力という政治に対して、批判的視座を忘れないようにするため、対決姿勢を常に政治に対しては取らないといけないという考え方であるならば、まあ理解はできる。
いまだに、保健所を切ったりしたことを追求するそぶりすら見せない。
なぜか?
というのも、日本社会を大きくダメにした小泉内閣のネオリベ路線。あれもマスコミと小泉内閣は共生路線にあった。
マスコミは劇場型政治をやってくれる政治家に対してはとことん甘くなるという性質がどうやらあるようだ。
ワイドショーに、単純明快な短いキャッチフレーズを打ち出し、わかりやすい悪役を作り出し、それを徹底的にメディア露出でたたくという簡単な政治手法である。
実はこれが、ここ20年で、最も国民の弱者の生活を破壊し、分厚い中間層をズタボロにした黒幕であるのだが、メディアは「劇場型政治の共犯である」という反省を一切しなかった。
なにが最悪かというと、劇場型政治は「国民の味方の顔をして、国民生活を破壊する」ということだが、そこはまあ置いておく。
メディアに批判されないためには、劇場型政治で、「わかりやすい悪役を用意し、マスコミという権力の番犬に餌を与えておく」ことが重要である。
そうしておくとメディアは、いつも餌をくれる権力を「いつも餌をくれる人だ」と判断するようになる。
実際には甘やかされているのは維新の会ではなくマスコミである。
劇場型政治にメディアはクッソ弱いという問題をどう克服すべきなのか、正直さっぱりわからない。
誰か教えてほしい。
これは色々考えてみても結局アニメアイコンが目立つからに他ならないと思った。
https://togetter.com/li/1503816
これみてくれ。
#ネットで無料で読めるのに何でお金を出してまで書籍を買うんですかの回答例
は経済的な話を無理やりたとえ持ち出して納得させたり、単純明快な別角度からの理由を言うタグだと思うんですけど大真面目に経済原論説明した気になったなんのひねりもない奴はイタイといっても過言ではない
でもそういう事言ってるやつ「こいつアニメアイコンじゃん」って思う率高いのよ
証明終了
としたいんだけどそもそも顔出ししてまでイタイ事言いたい奴もいないなっておもった。
普通の日本人っていっちゃうアカウントが日の丸なのも多分過激な発言すぎたときに垢消ししても個人を特定されにくいようにする逃げ道なんだとおもう。
リアル顔出してまで人刺激したくないでしょう。
ということを最近とみに感じるようになった。
少なくとも、本当に最初に成人向けコンテンツに触れたあたりでは
まだそこまでこじれた性的指向はなかったと思う。
当時から触手やオークに女の子が襲われるシチュエーションは好きだったけど、
でも基本的にモンスターであまり意思がないので、単純にぬるぬるしてて
割と女の子も(手段はどうあれ)気持ちよさそうになるやつが好きだった。
けど歳を重ねるにつれて、どうやら自分は社会の底辺なんだということに
薄々気が付きはじめた。何をしてもどんくさくて笑われるし疎外される。
みんな愛想笑いしてるが、本心ではこんなゴミと一緒に居たくないと思ってるのだろうなと
そういうことがようやくわかるようになったあたりで、
攻め役が人権を剥奪して罵倒し暴行まがいの行為をする話に興奮するようになった。
あれこれ作中で顔なし主人公が褒めそやされてもまったく感情移入できない。
たんなるフィクションだとはっきりわかる。
ラブラブなイケメンと美女がエッチしてるのはそれはそれでいいなと感じられるし、
ある程度は興奮もする。まあ普通に絵がよければヌける。
でも罵倒されて豚以下の扱いになる話の方が十倍くらい興奮する。
肯定された気分になるのだ。人間捨てて獣みたいに這いつくばって
喋んな動物らしく鳴いてろみたいな話も、
もう一生懸命考えて口に出した言葉でみんなが変な空気になることもないと思えば
嘲笑はされるけど、それは頑張った結果嘲笑されてるわけじゃない。
そのままバカをやってバカだと笑われるだけだ。裏切りはそこにない。
頑張れやればできるなんてまったく思ってもいない言葉を吐かれて
結果できないやつだと笑われるよりよほど単純明快、わかりやすくていい。
周りは何も求めてない。クズがみじめに踊ってれば笑える。それで十分だ。
もちろん、実際にそういう行為をやりたいわけではないし、
当たり前だが痴漢も拉致監禁強姦も違法薬物も全部犯罪だしやる奴が100%悪い。
うんこしか食えなくてもケツからアルコール注がれても死なないしね。
頑張れ前向きに生きろ努力して偉くなれなんて誰も言わない。
福島をあえて「フクシマ」とカタカナ書きにして「これは原爆の惨禍を忘れないためにヒロシマを使うのと同じだ!」と言い続けてる人がいて、そういう人間はもう説得できないことが明らかになっているから何も言わない。
俺の話は福島ではなく「ヒロシマ」の方で、原爆のイメージに結びついた広島市の書き表し方としては、カタカナのそれよりも圧倒的に旧字体で書かれた「廣島」の方なんだよな。
理由は単純明快で、修学旅行で行った原爆資料館に展示された写真や絵画、ジオラマにある表記は、いまでは使われない旧字体のそれで、旧字体の広島の文字が明瞭な象徴として原爆の惨禍を想起する時のフックになっているのだと思っている。
まあ、カタカナの広島が「象徴」として頭に浮かぶのは大江健三郎の本とかが理由なんだろうが、俺は彼の人の本を読まないし読むこともなかろうと思うので、全然ピンとこないのであるよ。
この町で日の出を見たいなら、港近くの展望台が手軽かつ最適な場所だ。
いや、“だった”というべきか。
なにせ、みんな考えることは同じだ。
そして生憎、展望台に“みんな”が納まるほどのスペースはない。
物理学だとか統計学だとかを専攻していなくても分かる、単純明快な話だ。
しかし、この世から若気の至りだとか、中年の無分別だとかが無くならないのも一つの真理である。
散乱するゴミ、酔っ払い、酔っ払ってないのに変なテンションの輩。
必ずといっていいほど何らかのトラブルが発生するため、近年では予約チケット制となっていた。
それでも何日も前から展望台に陣取る傍迷惑な連中は健在で、それがニュース番組などで取り沙汰されるのが新年の風物詩だ。
つまり懸命な住民ならば、あそこで日の出を見る選択はしないってこと。
誰のものでもない太陽を眺めるためだけに金を払って、挙句にニュース番組の見世物になるなんて御免こうむる。
じゃあ、どこがイチオシ……いや、ニオシなのか。
意見が別れるところではあるが、俺たちが向かったのは最寄の公園だ。
その公園内にある築山は隠れスポットで、日の出の方角に遮蔽物がほとんどない。
アクセスは良好で、近くに神社があるから、ついでに御参りもできる。
「……人いないね」
ひとつ誤算があるとするならば、あまりにも隠れスポットすぎたという点だった。
日の出まで約3時間といったところだが、その時点で築山にいたのは俺たちだけ。
「まあ、いいや。とりあえず場所を確保しよう」
結果として早く来すぎたのは否めないが、いい場所をとられるよりはマシだ。
気を取り直して、俺たちは準備に取り掛かった。
「日の出が出るのってこっちだっけ」
「そっちは西だ。新元号の天才バカボンでも目指しているのか?」
よさげな場所にシートを広げ、そこに使えそうなレジャーグッズを一通り置いていく。
「ゴミ袋は持ってきた?」
「レジ袋で十分だろ」
「……」
しかし、やはり手持ち無沙汰というか、娯楽に溢れた世の中では退屈な空間だ。
別にうんこを漏らさない方法とか、僕が今現在うんこを漏らしていて、それをどうやって処理すればいいか?とかそういった話ではない。きっとこのエントリーからはうんこの匂いは全くしないはずだ。それどころか、最近はデオコをつかっているからこのエントリーからは女子高生の匂いがするはずだ。そう。このエントリーを書いているのはうんこを漏らしていない女子高生だと思ってもらって構わない。その点を踏まえて読んでくれればと幸いだ。そうすればきっと温かいコメントで埋め尽くされることだろう。
ここに書いているのは僕の純粋な悩みだ。単純明快。「自分が作ったWebサービスに人が来ない」というものだ。
もともとサービスを作った理由は自分が使いたいからだ。僕は本を読むのが好きで、Twitterやはてぶで流れてきた面白そうな本をメモしたり、本屋巡りをして目についた本のあらすじで買ってみたり、帯で面白そうだからと買ったりしているのだが、気に入る本に当たる確率が非常に低い。これは読んで良かったと思える本に出会える確率は1割にも満たない。本を読んでいる途中で投げ出したくなる本と出会うことも多々あるわけだけど、「最後に驚愕のどんでん返しが!」という帯があると帯を書いた人間の策略通り最後まで読まざるえなくなるわけだ。そして僕には「驚愕」と感じられないオチを見て、「なるほどね」と落胆をしてまた次の本を探し出すことになる。これを繰り返していると、新しく本を探しに行くのがどんどん億劫になっていくのだよ。
そこで、僕はひらめいたんだ。「欲しい物を書いておけば勝手に誰かがおすすめしてくれるサービスがあればすべて解決するんじゃないか?」と。
僕なんて本当に本を読む人から比べたら鼻くそぐらいの量の本しか読んだことがないのだし、めっちゃ読んでる人が気まぐれにでも「これ面白いよ」って軽い気持ちでも教えてくれるサービスが存在すれば、僕は日々本屋を回りながら面白そうな本を探すということをせずとも勝手に面白い本がガンガン集まってくるんじゃないかと思ったわけだ。Twitterバイラル的なサービスも流行っているのでこれに乗っかって、自分が欲しい物をTwitter上で公開すれば自分のことをなんとなく知っているTwitterのフォロワーから好きな本を教えてくれるサービスがあれば便利だなと思ったわけ。いろんなサービスが機械的におすすめメールを送ってきてくれたりするけどそんな冷たいものではなく、もっとぬくもりを感じられるゆるくつながって教えたり教えられたりするサービスができたらきっと素晴らしいだろうと思うんだよ。
そんなゆるーくつながるサービスをイメージして「積んでけ」ってサービス名も考えたわけ。「積ん読」をモジッてだれかが適当な置き場を作ったら、そこを通りがかった人が知ってるやつを気軽にポーンと積んでいってってほしいなという願いを込めてつけたわけ。ひらめいたときは我ながらダサかっこいいところを攻めたいい名前をひらめいたと思ったもんだよ。いいと思わないか?気軽に目に止まった置き場に自分が知っているやつを積んでって、それを見た人がありがとうって言ってくれる世界って。それが面白かったんだったら、こっちも面白いと思うぞってなってほしいし、じゃあ私からもなんか教えよっかなって思ったりするじゃんか。アフィリエイトもできるようにしてるから、ブログで紹介するなら1冊に付き1回までしかかけないかもしれないけど、面白かった1つの本を沢山の人間におすすめすることができるんだぞ!これも画期的だと思ったわけだよ。
で、頑張って作ったわけだけどまーーーーったく人が来ないわけだ。
それとも誰の目にもとまっていないから使われていないだけなのか?
それともデザインがしょぼすぎて使う気にならないのか?
まーったく判断がつかない。このサービスの特性上、人が集まらなければ面白くないサービスなので、最初は面白くないサービスに人を呼び込んでくる必要があるわけだ。そんなアクロバティックなことをどうやればいいのかと考えても全く案が浮かんでこない。Amazonギフト券を配って書いてもらおうかとも考えたが、そもそも「サービスを使ってくれたらAmazonギフト券がもらえる」ということをみんなに知らせる手段が存在しない。人がいないところに人を呼び込む最初は一体みんなどうやっているんだ・・・?試しに1万円ほどTwitter広告を出向してみたが全く無風だ。こうなることがわかっていたなら、1万円分の本を買えばその中にあたりの1冊ぐらい混じっていたのではないかという自分の本末転倒ぶりに呆れたりもしたもんだ。全くどうすればいいのかわからん。
だれか、僕にサービスの広め方を教えてくれ!
どうしてこんなことになったのだろう。
小学生でも分かる単純明快な政策と、確かに国民を苦しめ続けるNHKの視聴料取り立てへの不満から、
新政党ながらもN国——NHKから国民を守る党——は1議席を得ることとなった。
そこまでは(有権者にとっては意外だったかもしれないが)何の変哲もない結果でしかなかった。
しかし政界に落ちたこの小さな雫の一滴は、静かに政局の水面を揺らし、やがて大きな波紋をなす。
ある小政党の合流。
次から次へとN国に関するニュースが舞い込み、ある人は面白がり、ある人は失望を表明した。
NHKをぶっ壊す。それだけを主要な政策に掲げ、他の政策は自由。
政党にしては極めて束縛の少ない集団に、その束縛に疲弊した議員が大勢集まった。
N国の代表は分け隔てなく彼らを迎え入れた。
それから幾年が過ぎた。
今やN国が第一党となり、衆議院・参議院共に2/3の議席をゆうに越える勢力となった。
今でも政策はただひとつであり、他の政策は自由。見方によっては一党独裁だ。
しかしそれは、政党の頂点に立つ者たちが他の議員の意見を事実上封殺して、
数の暴力を以って行っていたかつての政治よりも、はるかにマシな政治をしていた。
政党政治というシステムを、党として政策をほとんど持たない党が破壊したのだ。
人々も政治に興味を持つようになり、地域の議員に意見を送る市民も増え、
政党ではなく政策で議員を選び、投票率も増え、政治を堂々と話せる風潮が広がりだし、世の中も良くなった。
多くの政策を実行していたN国だったが、一つだけ実現できないものがあった。
この政策を実現してしまえば、この政党を続ける大義名分がなくなってしまう。
誰も口には出さなかった。誰もがこの政治の体制を続けて欲しかった。
でもNHKだけはぶっ壊せない。
どうしてこんなことになったのだろう。
以下お気持ち表明文につき。暇な人はどうぞ
※総選挙で積極的な活動してる方、総選挙が好きな方はご退場推奨
という話なのだが、まず最初に言っておきたいのは夢見りあむ嫌いじゃないよ、むしろ好きな方だよ
ということです
なんならCGになってもいい、でも今年は待って欲しい
今年は本田未央1位がいい。何故なら私は本田アンチ()だからである
本田さん自身は嫌いじゃない。本田さんに対する私の評価は好きでも嫌いでもなく普通くらい
でも本田さんって色々あって現状一番優遇されてるキャラじゃね、と思っている自分が居る。勿論偏見ではあるが
ここら辺詳らかに語っても偏見の塊を露わにするだけなので省くが、要するに本田さんを取り巻く状況が嫌いな訳です
なので、本田さんがさっさと1位取って来年から圏外にでもご退場願いたいのでありまする(まあ圏外じゃなくて圏内もしくは属性別15位以内には残ることもあるんじゃないかなとは思うけど)
本田さんが1位とって翌年また上位に居座ってたりしたら非常に悔しいですね。「それなら去年りあむ一位でも変わんないじゃん、りあむ一位が良かったよ」と手の平を返すことになる。きつい
そういう結果が"本田アンチ()である私"を一番ボコボコに出来るので本田P各位は頑張ればいいんじゃないかな!かな!
ともかく、この記事のまとめとしては「邪魔な本田を一位にするのにりあむが邪魔」というだけの話。単純明快
だから何
と思った方にはいや別になんでもないですって返すくらいにはどうでもいい話ですね
こんな記事読むより担当や推しのいいところ探した方が有意義なんじゃないかなと思いますよ
じゃあなんでこの記事を書いたかって事なんですが、前々から総選挙について思ってた事を吐き出したかったって部分が大きいです
ここからは蛇足ですが、つらつらと総選挙について思ってる事を書こうかなと思います
何がつまらないってのは後述しますが、簡単に言うと運営のやり方が面白くないって所ですかね
毎年ひねりがない。出来レース()。何かしらギミック追加しろ。こんだけキャラいて選ぶのは1キャラだけかい。中間発表だけかよ云々
楽曲選挙やった年は良いんじゃないかなと思ったけど、結局こいかぜ一位とかいうつまらない結果に落ち着いたのでトントンです
楓さんがパンデミックアローンとかみんなのきもちとか歌った方が面白いだろ!!!!派なので。それはさて置き
りあむさんに対して物語あるとかないとかどうでもよくないですかねあれ笑。いやそういう意見があっても別にいいとは思いますが笑。人間ですもんね、色々思いますよそりゃ。良い悪いは置いといてね
各々の担当または推しキャラにとっての一番の壁ってりあむさんよりも本田さんの方だと思います。P各位には本田さんもしくは自分の担当or推しの一個上の順位のキャラを憎むくらいの勢いでやって欲しいですけれども
まぁ、「わかりやすいヒットマーク」がある所に向かってる人達って大したことないというか、単細胞かよお前らと思わなくもない(ブーメラン)
新キャラが何かしら出てくる度に荒れてるようじゃね(不必要なマウント)
運営に対して不満がある時にツイッターで運営アカウントにクソリプする方々とか、自らの頭の悪さをわざわざ不特定多数の見えるところで露呈させてて面白いですよね(航空力学を利用して作られた真っ直ぐ飛んで真っ直ぐ返ってくるブーメラン)
いや、バンダイのメールフォームとか見えない所で文句垂れろよそのほうが賢いぞってね(賢いか?)
声無しPは声をつけたい、担当に総選挙曲を歌わせたい等のユーザーの物欲を煽りつつ、キャラ達をアイドルとして自分達の手で輝かせられる場を設けてユーザーを満足させる
これによってどれくらい稼げたかとかは詳しく調べてないのでわかりませんが、盛り上がりから見るになんとなく企画としては上手く行ってるんじゃないすかね。知らんけど
毎年こういうお祭りがありますよ~ってテコ入れとして導入してる部分もあるのかな~なんて想像してみたり
好きなキャラを布教したい人は、乗るしかないこのビッグウェーブ(企画)にと言わんばかりにワイワイキャッキャしていますね。楽しそうで何よりです
他にもこの企画を形容するにあたって様々な言葉があるとは思いますが、自分にとってわかりやすい大きな部分としてはこのあたりで
そもそもの話、私は人気投票というコンテンツそのものが嫌いなんですよね
総選挙自体は"選挙"なので、人気投票そのものではなく、もっと様々な要素が絡んで来るとは思いますけど。それにしたって色々絡み過ぎだろうとは感じます。声付かせよう選挙みたいな部分とかね。それでも最後は結局空気感で決まる所とか、嫌な所を言い出したらキリないですけど
誰が一位なり上位なりだろうと自分の好きなキャラは変わりませんし、誰々の頑張りに対して感心することもありません
楽しいのは圏内に来てるキャラを好きな方々だけでしょ、なんて身も蓋もない感想を抱いたりもします
ワイワイガヤガヤ荒れたり荒れなかったり、総選挙に対して思い入れがあるだけマシですよ。それ自体がくだらないと思ってる私にとってはどれも些末な事ですからね
そんな中でも"面白い"と思わせてくれるユーザーさんについては凄いなと思わざるを得ません。すごい、拍手。でもそれはその人が面白いってだけで選挙自体の面白さが変わることはありません。運営頑張れよぅほんとに、俺をもっと楽しませてくれ
面白いユーザーさんがいてもそこで「じゃあ俺も皆を楽しませよう」とか、「俺も好きな子の良いところを面白可笑しく広めたい」とかちょっとは思わなくもないですが、やりたいとは思いません。自分に自信が無いですし
他の人とコミュニケーション取りたいって柄でもありませんから、このビッグウェーブに乗ることもできない
となるわけです
運営がつまらない、私がつまらない。この二点です。わかりやすいですね
あとは運営アンチ寄りの声無しPあたりがうるさいかなーくらいですが、そこの部分は割と小さいのでここではほっときます
じゃあ総選挙に成り代わる面白いコンテンツが欲しいなって思うわけですが、これがなかなか思いつかない
デレステって音ゲーだし音ゲー大会でもやるかぁ?でも自分音ゲー上手いわけでもないしなぁ
楽曲選挙が惜しい線まで行ったし、もっと色々なパターンの選挙でもやるかぁ? でもやっぱりよくわからなかったりつまらん結果になって運営とユーザー両方にダメージが残ったら嫌だしなぁ
最後に、「プロデューサー、及び担当を名乗る事の烏滸がましさ」について少し触れたいかなと
結局自分は消費者側なんだから、デレマス公式に関わっているクリエイター陣には及ぶべくもないんです。及びたい訳でもありませんが
でも"プロデューサー"ってなんこう、いかにも私コンテンツ作る側ですよ~みたいな雰囲気があって嫌なんですよ。担当って言葉もなんとなくこのアイドルのために色々してやってますよ感が出ちゃってると思ってしまうんですよね
運営側がゲーム内外で"プロデューサー" 及び "担当"って言葉を推してる以上、気にしすぎだとは思いますが
そんなわけで皆さんが総選挙でワイワイやってる中私は隅っこでふんふんほーん鼻ほじしつつウジウジジメジメやってたいと思います
ジメジメキノコ~(輝子並感
そういえば、ゲーム内で勝手に手に入る総選挙の票を持て余してたんですけど、ある方に直接頼まれたのでその人の担当であるキャラに票を入れときました
来年も誰かに頼まれたらそこに入れようかな~なんて思いつつ、言いたい事は粗方書き記したのでこの記事を締めたいと思います
ここまで長々とお読みくださってありがとうございました
記事内に何回隠れたブーメラン飛ばしたかとか数えて楽しんでいただけたら幸いです。暇潰しになれたのなら更に嬉しい
この記事に不備等がありましたらご指摘いただけるとありがたいです
終わり
https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821
http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439
要はコンプラ的にどうなのよという事なのかもなーとも思うけども。以下ネタバレですが最初に自分の結論から言うとこれはアリだと思ってます。
妹と姉の関係(イチャイチャ)を描きたかっただけであり、それ自体がやや気持ち悪い偏執的なものだとしてそれはまた別の話、ともかく必要だったのは姉の動機づけで。
姉の事が異常に大好きな妹と、その妹に絵の才能であっさり抜かれた事で傷ついた姉のプライド。2人の間の溝は妹が異常なほど無垢で鈍感なので姉が自分で解決するしかない。
姉が動くしかないのだけど姉には妹の絵に対抗するための強い動機付けが必要だった。それは公に妹に対してムキになってる自分を認める素直さは持ってないから。単純なライバル視ではない別の理由が必要だった。
でここで設定としてヌードと校内への張り出しというのが出てくる。自分のヌードが玄関にドーンと飾られる、それは恥ずかしいから自分の絵でそれを塗り替えてやるとう動機づけ。さらに言えばこの展開により、妹よお前の脳内で美化された私ではなく、本当の私をちゃんと見なさいという意味も含まれることになり、この辺は妹への愛情表現と姉自身の成長も一発でかましていてすごい効いてる。正直これを思いついた時点で作者はよっしゃと思ったんではないだろうか。
じゃあヌードなかったら話にならないからやっぱ重要じゃん、というのはそうだけどヌードでなくても成立はするのだ。例えばこれがヌードじゃなくて普通の着衣座り絵とかだとしても、その才能に嫉妬し自分の絵を描くという展開はできる。むしろそれならよりストレートに感動的になったと思う。ただその厚みをつけるには読み切りではややページが足らず少なくともドラマ構成に前後編くらいにはしないと難しいと思う。
この作品に全体的にややコミカルな軽いノリが残されてるのも、カウンターパンチ的に最後のオチにテンポよく持って行きたかったからだと想像する。
手放しで絶賛していいかと言われると自分もちょっとどうかなと感じた。
その違和感はブコメにある「アフタヌーン感」や「四季賞っぽさ」というのがすごくよく表してると思う。
単純明快な良い話の端々になにか作者自身の精神みたいなのが見え隠れする感がある。少年誌なら作者の顔なんてまったく見えないくらい徹底して娯楽的なものにする場合が多い。実のところ少年マンガというのは青年誌にあるマンガとかよりずっと「大人な」マンガなんだよなと改めて感じた。
なのでこの作品が少年マンガのように万人受けするタイプとはならないとは思うんだけど、どちらかというと手放しせずに大事にされる系のマンガだと自分は感じた。
きれいな姉の絵を描く妹、その絵が高く評価される、そして姉は(妹の絵ではなく)自画像を描く~という展開が素晴らしすぎる。
これがヌードでなかったらもっと良かったのになともったいない気持ちもある。ヌードのほうがインパクトがあるけどやっぱ安易になってしまうからだ。まあそれを差し引いても自分は色んな人が読めばいいと思った。
絵のタッチ含めてなんとなく香る沙村広明臭。ではこの方が同じ話で描いたらどうなっていただろうかと想像した。
たぶん、ヌードの絵は容赦なくエロい絵になる。なんなら姉が妹のヌードを描くシーンは妹の頬を赤らめさせ吐息すら漏れさすだろうと思う。絶対にやると思う。
しかしながら、全方位的に言い訳しながら描いてると思う。なんなら小さいコマで姉に「お前なんでそんなエロいんだよふざけんなよ」とか言わせてると思う。
そういうノリツッコミ的な細かい描写を必ず入れることで「許してね」と言う確かな技術が沙村広明にはあるのだと思う。これはいわゆる第四の壁の破壊というやつでこれは扱いがとても難しい。へたに入れると一気に白けて作品世界に入り込めなくなる。極端な例としては「いや読者が引くだろさすがに」みたいなのを登場人物に言わせちゃうやつ。「妹の姉」はやや軽いテンポはありつつも基本はシリアスなのでこの手はあまり使いたくはないだろうと思う。ただなんとなく登場人物がご都合主義な設定に対して軽いつっこみを入れておく、くらいはできたんじゃないだろうか、沙村広明ならそれは入れてきそうだなと感じた。
といっても沙村広明版の「妹の姉」ならあーおもろかった、で終わっちゃいそうな気もした。それくらい軽く、しかしテーマ性は感じさせることができれば一流なのかもとも思うけど。
※私見です。
私は所謂”女さん”ですが、『男性向けハーレム物』が好きです。
何故なら女向けの女主人公作品(※乙女ゲー原作作品&BL作品を除く)は、
所謂、
『メインカレシ』
1,物語開始当初から作者の確固たる意志とともに設定されており、
3,最終的に女主人公結ばれることが確定している
どんなにたくさんの男サブキャラが出てこようとも所詮は”当て馬”なので、
正直読んでいても、
「どーせ最終的にはメインカレシを選ぶんやろ?」
と、紆余曲折のすべてがオール茶番に見えてきて面白くないのである。
女主人公作品が読みたくて選んだのに、実際作品を読んでみると、
『メインカレシ』には女主人公以上の主人公補正がかかっている場合が割とある。
「この作者は女主人公の活躍を書きたかったんじゃなく、『メインカレシ』に愛される女主人公を書きたかったんだな……」
まあこれに関しては別に「良い悪い」の話ではなく、
単に作品が自分に合うか合わないか? の判定基準のハードルがぐっと上がるということです(個人の感想です!)
もちろん男性向けでも上記のようなパターンになる作品は多いのですが、その他にも、
・女性向けのように完璧な当て馬扱いではなく、わりと平等に複数いるヒロインたちを愛でる
・メインヒロイン的な立ち位置の女の子キャラは居るが、ハーレム状態のまま完結
みたいな決着のつけ方にバリエーションがある(気がする)
最終的なヒロインが最後まで確定していない場合もある(個人の感想です)
ちなにみ女性向け女主人公作品は 概ね唯一無二の伴侶を一人だけ選ぶ方式で、
ハーレムエンドで終了する作品というのは、おそらくあまり無い(個人の感想です)
有るには有るのだろうと思うが、ぱっと思い浮かぶ頻度では存在しないと思う。
(個人の感想です)
ちなみに私が一番好きなのは、メインヒロインを誰も選ばないハーレムエンドである。
何故かと言えば、
お気に入りのコは一人には絞れない!
そんな私のウサギのように繊細でガラス細工のように壊れやすい心に、
うるせーー!! そんなもんどーだっていいのだ!
平和で優しい夢を見せて欲しい。
……あ。
ちなみに、女の子がきゃっきゃ☆うふふ♪ している日常系も大好物です。
だから、モテるのは性的魅力に富んだ女性。若くて綺麗で、好み次第で貧乳だったりぽっちゃりだったり。
(好きな)女性に尽くすことが好きで
そりゃ尽すことでエッチさせてもらえるなら、いくらでも尽くしますよ。
エッチに謙虚でなかなかさせてもらえない女性を好きになるわけがない。
と思うのは勘違いも甚だしい。
もし男性の脳が本当に女性に尽くすようになっていたら、「釣った魚にエサをやらない」みたいなことは起きないでしょ。
男性にとって理想の女性は昼はメイドのように尽してくれて、夜は娼婦のように尽してくれる女性。
身も蓋もない言い方をすると、わがままな感じな子というのは、
その我が儘さえ叶えてあげれば、エッチできる。
京アニ的にはFreeみたいに腐女子をたくさん釣る予定だったのだろう
決してつまらないアニメではないのだがとにかくキャラ同士の関係性が重かった
同期に単純明快な商業BLアニメがいたのも人気が出なかった原因かもしれない
裸の15歳金髪美少女と一緒に寝ても動じないゴブスレさん大丈夫か?
チアという題材にもかかわらずあまり動かず誤魔化しまくってたのは残念
原作がある作品に言うのもなんだが百合要素は邪魔に感じる場面が多かった
別に告白相手が同性である必要性はないし宇希→こはねもただ過保護という設定で問題ない
侑、燈子、沙弥香の3人の関係性は最高だったが槙くんと堂島くんはどう見ればいいのかよく分からなかった
取って付けたような設定でわざわざこの設定にしてこのシーンを作る意味が理解できなかった
なんでアニマエールよりこっちが動くんだという感じだがある意味正解なのかもしれない
崇高なる愛でくらいまっくす!!!
以前原作をプレイしていたが原作の雰囲気を完全に再現していて最高だった
アニオリ部分も完璧
強いて言えば個人的な好みでしかないが雪の国1stを入れてほしかった
BL臭さもないので男2人というだけで切ってる人は暇なら見て大丈夫
万策尽きたわけでもないのに総集編挟むのはやめてほしい
MXは9月放送開始だったから話数増やしたいのかと思ったら総集編って何なんだ
まさお回はゾンサガだからこそ許される要素だらけだったがここまで完璧な構成は初めて見たと思う
裕太と六花が1話でなぜ会っていたのかはしっかり明かすべきだったのでは
登場キャラ全体の男女比が男に結構偏ってるが六花とアカネのおかげでほとんど気にならなかったのは上手いと思った
LOVESTAGEは楽しく見れたがだかいちは2話で脱落
生物の目標を【種】の繁栄、個体数を増やすゲームだと仮定した場合、
●○ → ●○●
●○● → ●
ここまでは簡単な算数の問題で攻略できるが、困ったことが発生する。
【個】が意思を持ち始めたのだ。
【種】で考えるなら、全体の反映のために【個】の意思など必要ない。
●や○1人で生きることや、●●/○○では子を為せないため、
1人で生きることや●●/○○で対を為すことは
これが、【個】が意思を持つ近年まで、続いてきた。
が、ついに【個】が意思を持ち始めた。
【個】にとっては【種】のことなんて正直どうでもいい。
するとどうだ。
どれも当然一理ある。
当然、正しい言葉なので支持される。感化される。共有される。
こうしてAを唱えることは、悪と評されることになった。
続いて別の所から声が上がった。
その弾圧を無くすよう訴えた。
これは当然だ。弾圧なんて無くするべきだ。
【種】でなく【個】を重視するなら、それは純然たる自由だ。
●●/○○であることを認められた。
が、これを利用する【個】が現れた。
「●●/○○はこれまで弾圧されてきた」
「でもそれは間違えていた」
いつの間にか●●/○○は、
単なるポジショントークの餌にされていた。
●●/○○に対して少しでも否定的なことを言うと、
Aだし●●/○○は不都合だ。
だが、それを口にすると弾圧される。
大多数が●●/○○になったら【種】は途絶えてしまう。
繰り返すが●●/○○の存在は認められるべきだし、
どうしても優先度は下がるのだ。
その【種】が圧倒的に数を減らしたとき。
より数の多い【種】に、数の少ない【種】は、飲み込まれる。
いまの【個】が幸福を追求できるのは、
強大な【種】のシステムの上に成立しているのだ。
その自覚が無いと【個】はあっという間に消え失せるだろう。
それを口にすると弾圧される。
ゲームオーバーの時は近い。
【個】よ。どうか幸せに。