はてなキーワード: 一事が万事とは
世の中には、他人や物事を批判するときに限って、現実とフィクションの区別がつかなくなる人、二次元と三次元を区別しなくなる人、文化と実用を同じ俎上にあげてしまう人がいる。
結局の所、怖いのだ。そうした無自覚な混同に至るのは、自分の理解の乏しい分野が伸長してくることが恐ろしく、脅威に感じられるという、無知ゆえの恐怖に他ならない。
ほとんどの場合、その恐怖は杞憂である。人類の総体は、一人ひとりが認識しているよりもはるかにまともであり、良くオーガナイズされた動きをする。創発のようなものだ。
だいたいのアクティビティは、門外漢が取り沙汰し介入せねばならぬほど悪辣なものにはなり得ない。
バランサーはどこにでも存在する。外野からはそれが存在しないように見えていても。
その領域内の独自のルールが自然発生し、なんらかの形の自主規制に基づいて、守るべきラインが形成されていく。それは動的であり、だからこそ発展していくものだ。
海外の(観光客からみると)おっかないエリアであっても、そこに住み日常を営んでいる人たちがいるのと同じように。過度に干渉したりケチつけたりすべきではないのだ。
世の中のあらゆる人々や物事は、多くの側面を内包している。その側面一つ一つごとに発展の度合いも方向性も異なる。
そのうち一側面の要素を一つの尺度で「ひどく拙く粗野だ」と詰って発展段階を批判したとしても、その主体の価値がそれだけで毀損されることはない。
けれどもそれが可能であるかのように誤解させ、一事が万事のように誘導し、その主体そのものを潰そうと息巻く人々が、事あるごとに出てくる。
それは、前述のように恐怖からくるのだが、同時に、疲れているのだろう。疲れている人がたくさん居るから、そのような一つの現象を生むのだ。
世の中が多様になりすぎて、受け入れるだけのキャパシティを超えてしまった人たちの、許容疲れなのではないか。
疲れている人とそうでない人とでは、その視野も認知能力も噛み合いようがない。それが理論の屈折と、議論の非建設性を増長することになる。
この「許容疲れ」の解消こそが、21世紀の課題だと私は思っている。モダンでありながら生きやすい社会のために。
今までは、そのキャパシティは物質的(経済的)にも精神的にも余裕のある成熟した人でないと拡張できなかった。
単にインターネットを通じていろんな立場の人の声が聞ける・読めるようになった程度では、人々の意識の器は拡張されなかった。
むしろ、一気に大量のタスクを渡されたせいで混乱しカリカリと殺気立っている人、のような状況に陥っている。
インターネットがより意識の低い一般大衆に浸透すればするほどその傾向が強まってきたように感じられる。半端に意識を高められ、排外排斥および他責思考が強まっている格好だ。
これは過渡期的な、一時的な現象だろうか。いや、そうではないだろう。
おそらく、インターネット、ハイパーテキストの先にはソリューションは存在しない。
情報通信の分野の中にはあるだろうが、まったく異なるプロトコルによる情報摂取体系の普及が必要になるだろう。
多面的でファジーな意識を、負荷なく脳に取り込む――可能ならば他人の脳そのものとリンクして、認識を統合する――
仮にそれをHCTP、ハイパー・コンシャス・トランスファー・プロトコル、と呼ぼう。
それが実現したとしたら、どのような形で運用されるだろうか。
私は持病もあってタバコの煙が苦手だ。
思うのだが、
たまに席を立ってしばらくして戻ってくるとタバコのにおいがしてることがあるのだが、
恐るべきことに、
「あ、タバコ吸ってきたのか。なんかカッコいいな」
とか思ってる自分がいる。
でも苦味のある香り(「香り」!)が似合うなこの人はとか思ってしまうのだ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いを地で行ってる。いやアバタもえくぼと言うのか普通は?
誰か何とかしてくれないか。婚活か?結婚物語に50万くらいブチ込めばいいのか?
(この「好きになった人」は既婚の子持ちで気持ちを伝えるつもりはない。我が片思いには墓場まで一緒に来てもらう。許してね恋心よ)
のかもしれん。
自分で食事の準備、・・・調達するにせよ調理するにせよ、あ、アレ、あの味たべたい、と唐突に思いついて求める、そういう経過をとおって、そんでイザ!調味ィ!ってことになるんだけども。
たとえば今回。まず多量の栗きんとん、がまずあった。配偶者が職場の賞味期限超過の備品を棄てるに忍びなくて貰い受けたものだったが、とりあえずは朝食のパンに塗るしか考えが浮かばず、それも数日で厭きたのでコレどーしよーかと。
てとこでさて食事の最中でもない時間を過ごしていたときに、いきなりイカズチか雷鳴かの如く、
ホイップクリームと栗餡が口中で合わさった味!が脳内に浮かんだ。
で、それを再現いや実現するのに、なんでかワシは
クリームチーズを買って
いまさっき両者を食パンに塗ったくって食べていたわけだが・・・
コレチガウナ
(だってたくさん食べたいけどいちいち自分で泡立てるのはまっぴらごめんだしデコレーション用のホイップ済みクリームは少量のしかないしなんたってホイップクリームは時間が経つとユルくなるしそんなら要するに濃厚な脂肪分が欲しいゆうことなら同じようなベチャベッタリしたチーズでもいいんじゃねクリームチーズって白いし多分おんなじような味になるやろ)
今回の表現の不自由展をめぐる一連の騒動について、多くの芸術家や芸術愛好家から呆れ声が聞こえる。
だが彼らは本質を見逃している。
なぜ人々は表現の自由という尊厳をわざわざ捨て去って(いるように見える)まで芸術家の側に立たないのか。
この貧しい国では多くの人々が明日の見えない生活に怯えている。そのような時代にあっては裕福な階級に生まれ育ち長じては芸術に打ち込むような人間に更に金を与えるのは野蛮に映る。この国では貧乏人はこの類の芸術をしない。つまり政府の芸術支援により、富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなる。それを感じ取る人々は、(たとえ表現の自由が自分たちにも利するものであるとしても)いけすかない芸術家たちを支持することはない。
佐野研二郎のパクリ騒動があれほどまでに炎上したのは何故だったか。あれがパクリだったからではなく、彼や彼に近しい人々が「上級国民」と見做されたからだ。
人はその行為そのものに同調したり憤るのではなく、その人の属性によって味方についたり敵にまわったりする。一事が万事O・J・シンプソン裁判だ。
学生時代運動部にイジメられていたはてなー達がオリンピックに税金を投じることに反対するように、田舎者に疎まれて逃げてきたはてなー達が地方に税金を投じることに反対するように、貧しい人たちはより富める者たち(芸術家)に税金が投じられることには反対する。それは「芸術がわかっていない」とか、そういう話じゃあないんだよ。
一人で遊んでいても、そこには「難易度」という形で他者が介入してくる。
難しいステージに躓いて何度もクソゲーと叫ぶとき、それぐらいのステージを丁度いい歯応えと認識して楽しく遊ぶ人間の姿が浮かぶ。
解けっこないと決めつけた謎解きを解くために攻略サイトを見るとき、その攻略サイトに最初に書き込んだ人間はその謎を自力で解いたのだと突きつけられる。
ゲームとは、与えられた課題をこなす能力を自動的に計測してくれる装置だ。大部分のゲームはある種パンチングマシーンのような性質を持ちあわせている。
ただボタンをポチポチ押すだけのノベルゲームの中にさえ、ゲーム中に使われた比喩や引用を理解する教養、物語を読み解く理解力、キャラクターや世界観を覚える記憶力、心を動かされるための感受性、あらゆる能力が求められてしまう。
ランキングもPvPも存在せずとも、ゲームは否応なしにその人間の力を映し出す。
そうして暴かれる能力の中でも、最も残酷なものが、学習能力である。
同じ局面で同じようなミスを何度も繰り返す自分の姿を前にすれば、誰だって自分の限界に気付かされる。
目の前に与えられた課題の本質を知る努力を投げ出し、総当りの運任せを繰り返しては、同じような所でいつも失敗する。
試しにとポーズボタンを押してよくよく画面を見つめてみれば、成功するための道筋が論理的に炙り出せたことに気づいては、自分が闇雲にただボタンを押していただけだと突きつけられる。
タイプライターモンキーズ、無限の猿が存在すればシェイクスピアを書き上げることが可能だという言葉の裏にあるのは、猿とシェイクスピアを分けるのはその打鍵一つ一つが確かな方向性を持って行われているかどうかであるという事実だ。
レバガチャによって難局を乗り切ろうとするものは、シェイクスピアと猿のどちらに近いのか、答えは明白だ。
ろくにPDCAも組まない純粋な総当りによって答えを探すのは人間がやることではない。
そうしてゲームというものは容赦なく突きつけてくる、お前には人間と名乗るに値するだけの知性がなく、お前はその無知性の繰り返しの中でほとんど成長することも出来ず同じように失敗し続けるのだ、と。
その間に、きちんと答えを模索し、意味を持ってボタンを教えている誰かはずっと早く遠くにたどり着く、人生のすべての局面において、きっと一事が万事そうなのだ。
『ソレ』を突きつけられることがとても辛い。人生のすべてを否定され続けているような気分になる。
いつからかは分からないが私にとって「ゲームを遊ぶ」という行為は「『ソレ』を突きつけられにいく」行為になっていた。
その気付きは日に日に強くなり、もはや『ソレ』を意識することはやめらず、目の前の課題や光景に没頭することは不可能になっていた。
私は、ゲームの魅力とは没頭できることにあると思っている。
そして、それが失われた。
とても苦しい。
いつからだろう。
父は褒めない人だった。
非常に印象的なのが、全校生徒から1人だけ選ばれて発表することになり、熱心な先生が「出来がいいからどうしても見にきてあげて」と父を誘ってくれて見に来たときのこと。終わって合流した時、第一声は「早口過ぎたね」だった。その道に進むべきだと先生が父を説得してくれたが否定するばかりだった。
一事が万事この調子で、褒められたことがない。欠点しか言わない。
特に文句が言いたいわけではない。学校では成績や受験の結果として自分の能力がはっきり評価される。父がどんなに貶しても自分の評価はわかるし、結局その道に進んでそれなりに成果も出している。それに、父はとても誠実で信頼できる人だというのもわかっている。
褒めよう。思ったことを口にだそう。
父もきっと良く思っていなかったわけではなかったのだなあ。
ちゃんときた手順は踏んでないので、会社側からしたら突然の休みます+診断書。
社会人として筋の通らないことをしてるのはわかっている。
が、やっぱりカラスは白じゃなくて黒だ。
到底納得はいかないけど、じゃあ白ですって出したら、考えが変わったから青だ!なんで青にしてないんだ!って。一事が万事、そんな感じ。
それでも神輿を担ぎ続ける同僚。白だ青だでぶん回された挙句、どうだ、すごいだろう、全部俺の手柄だ、と踏ん反り返る王様に「さすがです!」って言いながら、裏では「やってられない」。でも辞めない。
これをこなすのが社会人なのかな?やっていけば、慣れるのかな?
でも会社で(あとでさんざなじられるための)仕事してたら自分がどんどん透明になっていく気がして、あー、ダメだ、って、時間休とってその足で病院行った。
本人と話さないことにはどうにもならない、社会人として筋は通さないと、と。
ごもっともです。
ごもっともですが、
カラスは白いんでしょうか?
回覧板(アナログでテンション上がる!)に自治会長から清掃活動のお知らせが入っていた。
8時前に活動場所の小さな公園に行ったら、十数人ほどの人が既に作業していた。
私より後(それでも開始時間前)に来た人が「遅れて済みません」とペコペコ謝っていた。
まじか。
自治会長が自宅で倒れて意識がまだ戻っていないらしい、という話が聞こえてきた。
自治会長とは、引っ越してきて直ぐの時に挨拶をして少し世間話をした。
彼も地区外から来た人らしく、線の細い身なりの良い人だった記憶がある。
自治会長は、周りの人に「会長を辞めたい」と常々漏らしていたらしい。
今回倒れたのも、そのストレスが積もり積もってではないか、とのこと。
まじか。
掃除も終盤になりそろそろ解散という雰囲気の中、参加者の男性が大きな声で
「だいたい、こんな公園は市に掃除を委託しとけばいいんだ。前はそうしてたじゃないか。」
と話していた。
取り巻きの人たちは
「やっぱり〇〇さんはよく知ってるね」
「今度自治会長に教えてあげなさいよ、知らないだけなんだよ。」
と言っていた。
ええ…引継ぎの時に言うべきことじゃないのそれ。
自治会怖い。
あえてこの言い方をするのは、正直自分でもこの病名がいまいちしっくり来ていないからであり、広い意味での社会適応能力不能者としての蔑称の方がしっくりくるからである。
世の中には大人の適応障害なんて言葉があるが、それが本当に大人になってから突然起きたパターンは少ないのだと私の担当医は言っていた(N=3)。
実際私もそうだ。子供の頃から社会には適応できていなかったが、求められる適応度が低いからなんとかなっていた。
前ならえや回れ右が少しズレたからって殴りに来る教師は今どきいないし、同級生からしても40人もいる友達候補の中で付き合いにくい奴がいてもそいつとは付き合わなければいいとなるだけだった。
それが、社会に出ていくと、書類の印鑑不備とか会議室の予約忘れとかは、許しがたい罪となり、殺意を持って裁かれることになった。ただそれだけのことだ。
私は子供の頃から当たり前のことをよく間違える人間だった。他人が1000回やって998回成功することを、1000回やって888回しか成功しないような、そういう人間だ。ケアレス、やる気、自己流、一事が万事、呼ばれ方は色々あったが、結局は注意欠如を起こしやすい出来損ないの脳みそとして産まれてきただけの話だ。
そんな人間なので、自分で自分が信じられない。何をやろうとして、まずは自分が思い違いや手違いをしていないかを確認するフェーズを挟んでいくことになる。
当然動作は遅くなるし、回転率が低いということはクオリティが低いということにつながり、習熟も遅い。遅い、下手、ミスが多い。いいことは何もない。
私と似たようなタイプの人間が私の上司になったことはあるが、そのとき彼は「どうすればいいんだ!助けてくれ!もう無理!お前無理!」とある日おどけながら叫びだした(おとげた口調だから許してやったがパワハラになる手前やぞクソが空気読めなくていいから規則は読めや)。その日、ゴミ出しのためにフロアを離れると、別の先輩に喫煙室の前で呼び止められ「お前が言うな。だよなーww」とフォローしてもらったが、「(その言葉は、こっちにも刺さります)」と考えてしまい曖昧に笑うことしか出来なかった。
駄目だ。
それから私は私の成長すら信じられなくなった。時間による解決を待っていれば、やがてあの上司が未来の私になり、未来の私にパワハラをするのだ。もう嫌だ。信じられない。何もない。
むかしから一事が万事とはよくいったものでして、木を一本見ればそれが生えている森のことは大体分かるなんて偉い学者さんもおっしゃるものです。
さてさて、ここには学生さんも沢山おりますね。そこの貴方なんてちょうどそろそろ就職活動シューカツの時期なんじゃありませんか?
せっかくだから今日は一つだけ覚えて帰ってほしいことがあるんですよ。それはね、面接でする質問なんですよ。
といっても面接官にコイツぁ出来るぞって思わせるようなことじゃなくて、貴方がその会社に入るべきかを決めるための試金石とするようなことです。面接ってのは何も企業側だけが人を選ぶことじゃなくて、採用される側も企業を選んでるなんてみんな口を酸っぱくしていいますがね、その実態なんてちゃんとは教えてくれんでしょう。じゃあどういう所を就活生は見るべきなのかっていう一例を今日は覚えて帰ってほしいなと。
きっとね、会社に面接に行くと面接官さんが最後にこう聞いてこられると思うんですね。「最後に何か質問はありますか?」と。それにこう答えて欲しい
「御社でお使いになっておられるPCのメモリは何GB御座いますか?」、と。
すると面接官さんは、ちょっと考えてから「う~~ん、1TBぐらいだったと思います」なんて言うでしょう。\ハハハハハ/
そしたら「すごいですね」と答えて上げてください。まあそういうときは大体4GBのメモリしか積んでないでしょう。\ハハ…/
もしここで「8GB」とか「16GB」と返ってきたら、その会社の志望度をちょっと上げてもいいと思います。
本当にね、4GBのメモリで仕事をするのはしんどくてしょうがない。何をしてもいい返事が帰ってこない。うちのカーチャンにお小遣いあげてくれーって頼むのと同じようなもんだ。\ハハハハハ/
社員に4GBのPCを与える会社なんてのはね、社員のことも考えてないし、社員によくすれば会社に返ってくるってことも分かっちゃいない。そんな会社で働くだけ損ですんでね。まあオススメはしません。
えっ?あっしは採用面接でどんな質問をしたかですって?そりゃもう簡単ですよ。「御社でお使いになっておられるソロバンは何桁まで玉がついてますか?」に決まってるでしょう。\ハハハハハ/
男の子は上下に幅広く分散しており、女の子は中央値に自分をあわせることができる気がする。
先生のいうちょっとむずかしい工作の意図をさっと飲み込んで、この程度達成すればいいか、ってわかるスピードが女の子にはある。
男の子はなかなか始まらない子(時間内に完成しないのでアドバイスが必要)、やったことあるってとびつくように始めて追加オプションの材料もらいに来る子 バラバラ
女性は生理がはじまったらホルモンなどのせいで月に数日体調不良になったりするんで、
女性は生理のない時期に受験できるよう受験用低用量ピルを高校で女子全員に配布するくらい丁寧にやりとげてから
ようやく千鶴子先生に「男性優位社会じゃないですよ」って堂々といえるんじゃないかな
一事が万事そう。もんかしょうのおじさんが考えたゆーしゅーなじょしこーせーは現実からズレまくってる。
ここからは参考文献程度で、urlばかりたくさんでコメント少なめなんだが大丈夫だろうか??
https://item.rakuten.co.jp/book/14796325/ ツイッターで健常の人にもおすすめされていた。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15433910/ 借金玉は有名ブロガー。 この二冊とも細かい生活ノウハウ、大人版。自立できた場合には役に立つがうちの場合はまだうつ病が治っていないので全部は必要がない。ただ、カレンダーの使い方などは家族で工夫するようになった。
https://item.rakuten.co.jp/book/11476781/ 医者がわりと根幹をなす解釈を教えてくれてたと思う。まとまったキーワードがでてきていい本。・・
https://books.rakuten.co.jp/rb/11721907/ アスペルガー漫画家さん。よんだことなかった・・勘違いしてた
https://www.amazon.co.jp/dp/4054045847/ こっちだ。こちらはコンピューター業についたりしててわりと身近な感じで読めた
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N9SHVRJ/ うつぬけ、有名 この本でおすすめされていたのが↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B01HTJ5WDE/ 自分のうつ病をなおした精神科医
うつの治療の指針にはなったが、全部ではなく、雰囲気を掴む感じ。生活全般をゆるやかに立て直すつもりでないと結局は治らないんだなと。
以上です
再追記
結局5年くらい「病人の親」をやっているので以前必死に買い集めて読んだ本は中身をかなり忘れていてすみません。
お役所の人や学校の先生がたと会ったり話したり、特に精神科医の先生になんども同じことを尋ねて答えてもらったです。
別の病気と解釈できるので別の医者にもいくつもつれていってます。
それと、本人とも「結論や方針だけを話させる」「どうしたいのかだけを聞く」のではなく
元気のあるときをつかまえて、世界への感じ方を中心にゆっくり話をして、
いつでも相談に乗れるくらいに相手を理解しておかないとですね。
その状態からだと本人が最終的に絶対ぶつかる壁だが今はまだ気がついていない障害を
いち早くフラグ立てしてなんとか避けるように言い聞かせられます。
そういうので、本当になんとかここまできたとおもいます。
(知らないのならしょうがないですが、一度痛い目にあったことを
二度目は用心して避ける要領の良さがASの子たちには全くないように思います、
思い切りがよいとか度胸があるとか正義感があるとか誤解されがちですが、
そうではなくびっくりするくらい全く予想ができない。
例えばミニスカートを履いて混雑する列車にのったら痴漢にあってわあわあ泣くくらいイヤだった。
ならどうすればいいと思う?と本人にたずねると本人なりに考えても
絶対にそれは優先度が違うんだと言い聞かせるのに親として苦慮します。
絶対に旅行を成功させたいならまずその時間帯のその電車にのるプランもやめとけば、
指定席とればと。
子供の側ではまずその必要なお金を考えついて親にねだるということを
全く想定もできないわけです。(お金には敏感すぎ、社会状況には鈍感すぎ)
でかけそうになるのは最近は繰り返し失敗したのでようやく改善されてきました。
一事が万事そういう感じ。
一病息災といいますが、
(未成年のため薬がのめず、うつ病の重いまま放置するしかない時期には
本当に一日16時間くらいいびきをかいて寝る、ただのマネキン人形のようでした。
うけいれつつ仲良くなれた気がします。
以上
ここんところ、皆が皆、被害者意識が強すぎんかね。
ネトウヨ、パヨク、ツイフェミ、KKO、非モテ、妊婦、非正規、オタク、発達障害、嫌煙・・・
「俺or私こそが真の弱者であり、割りを食っているんだ!」
「(敵対勢力)は社会の癌だ!今すぐにでも駆逐せよ!」ってな勢いですよ。
SJWとかIDW、オルト右翼やらインセルも出てきてるし、世界的な潮流なんだろうけどね。
大半はプロレスだけどスマホでネットが人口に膾炙したぶん、真に受ける頭の弱い奴がやっぱ出てくる。
無差別殺傷したり、堂々と素面晒してヘイトスピーチしながら練り歩くのはこの層だな。
日本は銃が無いから安心、とか言ってられんくて、加藤や植松みたいな振り切れた奴も相当数いるのよ。
バレンタイン粉砕デモなんてファニーで可愛らしいものでなくて、
デートスポットや遊園地にダンプごと突っ込むKKO・非モテとか出てきても全然おかしく無い。
生まれたての男児を絞め殺すツイフェミ、民間療法を盲信して悶え死ぬカルトママ、
朝鮮学校に侵入して韓国人の頭をカチ割るネトウヨなどこの先は色々出てくるだろう。
今は過渡期でまだ表面化してないだけ、あと五年も経てば相当状況は変わってくるぞ。
みんな知らなくていい情報に触れて、勝手に四六時中憤怒してる。
ホントこの状況は世も末だと思うよ。これが情報化社会の末路とはね。
最近は青空文庫Kindleで古典読んだり、Spotifyで名盤聴いたり、
Amazon Primeで名画見たりと、同じネットを使うにしても
それより何より、ブコメの論調の厳しさにうんざりとしている。服装に関して、別にジャージだの平生の着の身着のままでお見合いに行こうって誰も考えてないと思うんだよ。
就活だったらさパンツスーツもありじゃない? 近年、ことさらにスカートで行くことを求める方が頭おかしいんじゃない? って感じじゃないすか。
でも元記事のブロガーさんは「パンツルックはやめろ、スカートを履け」「紺だカーキだのオシャレな色使いは求めてない。ダサピンク上等」くらいのことは別記事で言ってるんだよね(多少意訳はあるが)。
決して「小綺麗であればそれでいい」とは言っていない。
であるとしたら
友人と会う時だって、家でごろごろしている素の自分よりは格好も態度も整えて行くけど、友人をだまし討ちしているとは思わないだろう。
場に合った服装や振る舞いをしましょうというプロトコルの問題で、中身を偽れとは誰も言ってないんだよ。そんな認識だから結婚したいとも思えないんだろうけど。
なんていうブコメはまるで見当違いもいいところだと思う。「そんな認識だから」ってなんだ。
いや、ほんとに、消耗する人は消耗するんだよ。スカートを履いて、可愛らしく、“女の子”らしく……そういう服装をすることがさ。(わたしはコスプレ感覚で結構楽しめてしまうんだけど)
それは瑣末な問題で、けれど象徴的な問題でもあるんじゃないか。すり減らすものをすり減らさなければたどり着けないもの、それが「結婚」なら、と絶望してしまう人をこき下ろしていいとは決して思えない。
寝る前に確認してみたら、なんかはてブトップで扱われててブルってる(しかもなぜか「仕事・就職特集」)。
10bkmそこそこで胃に来てしまう、隠キャ系アカウントがこちらでございます。
・元記事のブロガーさんを間違っているとは思わない。相手はプロなんだし見てきてる数が違うから、それが真理なのだろうなあ、とは思ってる。大元の女子会増田に対しては「綺麗事言ってて腹が膨れるのか」とも思う。その門をくぐろうと言うならばそれなりの覚悟が必要だろう、というマッチョイズムはわたしの中にもある(映像の世界で10年も生きてるとそうなる)。
ただ、この記事の元増田の人がブクマであまりにも叩かれてて不憫に思った(穏当な文調だしそこまで叩かれるような内容ではないだろうと思った)のと、そういう風に思ったことを忘れないようにしておこうと書いた、だけのつもり、が…。
元増田についたブクマの目立つものが服装に関することだったので、「(元増田は)別にジャージだの小汚い格好も“ありのままとして受け止めて”って書いてるわけじゃねえのになあ,、なんでそこに固執するんだろう」と思い、そこばっかりを軸として(主に批判的なことを)書いているけれど、自分(増田)自身について言えば服装は本当に瑣末な問題だと思ってる。ただ、それを瑣末な問題だと笑って流せない人間もいるぜ、ということにも触れてはおこうと思った。そして一事が万事、というのか「結婚」というコアから最も遠いところにあるこの(元増田が問題にした)「服装」だったり(女子会増田が問題にした)「女子会を断つ」という、人からすれば「どーでもいい与太話」が「婚活」というアクティビティ全体のありようを象徴しているような気がした(ここに、非当事者のわたしの偏見が大いに混ざっていることは否定しない)。
【再追記(3/7 02:50)】
『それが「結婚」なら、と絶望してしまう人をこき下ろしていいとは決して思えない。』の「こき下ろす」主体が曖昧だからああだこうだ言われるのかなと思い付け加えると、
この主体は「某仲人さん」のことではありませんよ。(事実、女子会増田のことをこき下ろすでもなく、こんな記事を書いている。http://urx2.nu/pGVS)
だから、あのブログは結婚相談所の仲人さんが仕事で書いてるんだってば。あの人は結婚という目標を持ってくる人の目標を達成させるプロなの。人生一般の話とか結婚願望ない人の幸せの話とかしてないの。わかる?
元増田に付いたブコメ。こんなん、控えめに言っても「こき下ろす」としか表現できないのでは?
「婚活」って、それを商材として働いている人、そのサービスを利用する人、だけが当事者ではないと思うんだよ。「結婚」っていう目的それ自体は、どんな道をたどるかは人それぞれにして、誰にも関わる可能性がある(増田自身は結婚願望云々の以前に諸事情あり難しいので「非当事者」だと思っているが)。人生一般と「結婚」って、どこからどこまでがどう、ってそこまで明確にゾーニングはできないよ。だから、元増田のように「疑問なんだけど〜」くらいのノリで「婚活」「結婚」を話題にするのも全然、アリだと思うんだ。むしろもっとやれ。
それを一方的に萎縮させかねないようなブコメを問題にしている。
【再追記(3/7 07:00)】
kuzudokuzu んー追記を重ねる人は、やっぱり個人的にちょっと自尊心が大きいようだなと感じてしまう。
確かに尊大なポンコツだとは自分でも思う。ご指摘は当たっていると思います。
けれど、それ以上に「不明瞭な思考・感情を言葉にしたい」という欲望が強すぎて、あとから湧いてくる言葉を継ぎ足し継ぎ足し何度も調整を繰り返してしまうのだと思う。
そんなご指摘もあり、これ以上は書くまい、と思っていたけれど、
最後に個人的にお礼を申し述べたいブコメがあったので、それだけは書いておきたく公共のリソースをさらに浪費する。
(あとで個人のブログに書くとしてそこは超どマイナーブログだから、やはりこの場で書いておきたいのだと)
naqtn 言葉数多く「~ではない。でしょ?」と否定と同意の求めは言うが、自分の主張「~である」とその論理の提示「~ならば~なので」がクリアーにされていないがゆえに不本意な応答を受け、結果無益に対話が崩壊してる
おっしゃる通りです。自分自身、今朝方読み返して「0点だな」と思った。自分の主張が文頭に来てないから、何が争点なのか全く理解できない破綻を起こしているのだと思う。
◯「この記事の元増田」(http://urx2.nu/0aYS)に対しての賛同を述べたかったということ(ブクマでやっても良かったけど、100字にまとまりそうになかった)と
□それに対するブコメ(主に人気の方に表示されるものだけど)に対して「いやいや、それは当たってないし、そもなんで(元増田が)そんな攻撃されなければならないのか」というブーイングを送りたかった
ということにある。
なので元記事のブロガーさんに敵意があるわけではないし、その主張に関しては概ね賛同する。これは、自分自身のプロ観とほぼ一致するからだ。顧客のニーズに対し全力でそれを叶えようとする姿は控えめに言っても誠実さがある。
そう思っている片方で、割り切れない思いもある。これは社会生活一般における極私的な自分の心情。
それで、この文章で試みたことは「そう。正しい--とはいえ…ね」という自分の心情の中にある「…ね」という非常にもやもやしたところを「言葉」という舞台に引きずり出すことだったのだけど、それは完全に悪手だったと反省している。
まずそれは、自分の個人的好奇心、探究心をベースにしたことで、主張「◯」とも「□」とも関連しない。その道筋も荒くて丁寧ではない。だから論として非常に不明瞭なものになり、全体の破綻を招いた。盛り込むべきではなかった。
果たして、当初の目的を叶えることはできたのだろうか。それだけが気がかり。
私は結婚願望はない(これは自分がマイノリティ寄りの人間であることや、自分の両親を見て感じたことに起因するので)けれど、だからこそ結婚したい人というか一般の考えとか感覚を知りたかったというか疑問に思っただけです。読みなおしたら口悪すぎるな。気を悪くさせてしまったらごめんなさい。そもそも結婚願望わからない人間が首を突っ込むもんじゃなかったね。思いかえせば就活のときも適合するのに苦労しまくったから社会生活に向いてない。
などと気を揉む必要はない。好きなこと言って、好きなように生きようぜ。と伝えたいだけだった。