2019-05-25

自分を信じられない

はいわゆるアスペだ。

あえてこの言い方をするのは、正直自分でもこの病名がいまいちしっくり来ていないからであり、広い意味での社会適応能力不能者としての蔑称の方がしっくりくるからである


世の中には大人適応障害なんて言葉があるが、それが本当に大人になってから突然起きたパターンは少ないのだと私の担当医は言っていた(N=3)。

実際私もそうだ。子供の頃から社会には適応できていなかったが、求められる適応度が低いからなんとかなっていた。

前ならえや回れ右が少しズレたからって殴りに来る教師は今どきいないし、同級生からしても40人もいる友達候補の中で付き合いにくい奴がいてもそいつとは付き合わなければいいとなるだけだった。

それが、社会に出ていくと、書類印鑑不備とか会議室の予約忘れとかは、許しがたい罪となり、殺意を持って裁かれることになった。ただそれだけのことだ。


私は子供の頃から当たり前のことをよく間違える人間だった。他人が1000回やって998回成功することを、1000回やって888回しか成功しないような、そういう人間だ。ケアレス、やる気、自己流、一事が万事、呼ばれ方は色々あったが、結局は注意欠如を起こしやすい出来損ないの脳みそとして産まれてきただけの話だ。

そんな人間なので、自分自分が信じられない。何をやろうとして、まずは自分が思い違いや手違いをしていないか確認するフェーズを挟んでいくことになる。

当然動作は遅くなるし、回転率が低いということはクオリティが低いということにつながり、習熟も遅い。遅い、下手、ミスが多い。いいことは何もない。

そんな人間がなんとか社会で生きていくのはとても辛い。

周りの人間からしても面倒だろう。

私と似たようなタイプ人間が私の上司になったことはあるが、そのとき彼は「どうすればいいんだ!助けてくれ!もう無理!お前無理!」とある日おどけながら叫びだした(おとげた口調だから許してやったがパワハラになる手前やぞクソが空気読めなくていいか規則は読めや)。その日、ゴミ出しのためにフロアを離れると、別の先輩に喫煙室の前で呼び止められ「お前が言うな。だよなーww」とフォローしてもらったが、「(その言葉は、こっちにも刺さります)」と考えてしま曖昧に笑うことしか出来なかった。

駄目だ。

それから私は私の成長すら信じられなくなった。時間による解決を待っていれば、やがてあの上司未来の私になり、未来の私にパワハラをするのだ。もう嫌だ。信じられない。何もない。


こんな話がしたかったわけではないのだが、軌道修正が面倒なのでこの話はこれで終わる

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