はてなキーワード: レコメンデーションとは
この問題最終的には、裁判で違法か否かを争うしか決着がつかないと思うけど、企業が客を選ぶのは良しにしないか。
男側にも、メンズカット、メンズデー(ラーメン屋でよくある)、男性専用サウナ、男性専用ゴルフクラブとか利益がないわけじゃないし、
マーケティングの手法として考えると、新規顧客獲得のための、デモグラフィック情報利用したキャンペーンとか別に普通なんだよね。
でも吉牛、生娘を牛丼中毒にしようとしたおまえは倫理観がアウト。
究極突き詰めると、ネット広告や性別や顧客情報利用してのレコメンデーションとかも差別になるし、経済活動が停滞するような事は将来的なデメリットが大きいと思うけど…
あのさぁ、君ANNを実装したライブラリとか使ったことないでしょ、faissとかElasticsearchとか
君は「KNN」と勘違いしてるみたいだけど、sklearn起動してmodel.fit(X, y)みたいなことをするんじゃないんだよ、ANNは
index.add(vectors)とかやってインデクシングした上で、index.search(vq, k)みたいにベクトルで検索するのがANNね
レコメンデーションエンジンなら、コンテンツをベクトルに変換して、インデクシングして、クエリベクトルでサーチするって話
Googleマップが酷すぎて段々使い物にならなくなりつつある。Googleマップはもはや2019年版地図
ここ最近、Googleの検索の精度、Amazonの劣化ぶり、Xのインプレゾンビによる壊滅ぶり、Youtubeの検索やレコメンデーションの精度などの悪化ぶりが話題になっている。大手IT、悪貨に駆逐されて惨憺たる有様やね。この話は最近どころかもうここ5年10年定期的に繰り返されてる話題だが最近特に酷い。 それらの話の中であまり話題になってないけど、Googleマップの品質の低下がやばい。タイトルにも書いてるけどGoogleマップ、更新されなさすぎてもはや2019年版地図やね。2019年から現在まで何も変わってないような土地でだけ正確で、再開発等で大きく変わった場所は使い物にならない。このままだと5年後10年後はさらに現実との乖離が酷くなりそう。 2019年というのは、当時も大きな話題になったがGoogleマップがゼンリンとの契約を解除した年だ。Googleマップのそれまでの高精度ぶりを支えてた
Amazon Primeでレコメンデーションに俺の好みがどうしても反映されない。
だからこの匿名ダイアリーというクソの穴場で俺の好みを明確にしておくぜ。
まず「おっぱいガール系」というものがある。これは俺の好みではない。
つまり性的な何かを売りにしているタイプのものだ。サムネも性的な感じが少しでもあればブロック。
おっぱいガールがキャピキャピしているサムネのアニメはダメだし、同じ理屈でそういう洋画もダメ。
あとおっぱいガールのハーレムを楽しむ異世界転生とかそういう類もNG。
もちろんおっぱいガールとの恋愛も、コメディ的センスがない限りは基本NGである。ビックバンセオリーはコメディセンスがあるので例外的にOKだ。
おっぱいガール系で減点だが、コンセプトとしては良かったものがノーゲームノーライフだった。
ま、本当におっぱいガールを見たければxvideosで十分だろう。
次に「差別系」がある。どういうものかというと、人種や性別を平等に参加させようとしてかえって差別的になっているものだ。
Mr&Mrsスミスは、サムネで黒人とアジア人が手を繋いでいるからまずブロック対象。
MIBも古い作品は良かったが、最新のものはダメだ。フェミニストが「女だってやるときはやるのよ、負け犬男!」と言っている臭いがキツイ。
あとやたらグロテスクなサイコ系の作品もNG。俺はサイコパスではないので、グロは楽しめない。エイリアンは見ていて不快感しか感じない。ハンニバルもクソ。
他には「自己啓発系」というものは苦手だ。「弱キャラなんとか君」という作品があったが、東京人が気取っているだけの作品はやめてくれ。
では俺が得意な作品はなんなのか。
まずアメコミから生まれたSciFi作品は大歓迎だ。アイアンマン、X-men、スパイダーマン、いいじゃないか最高だ。
SciFiで言えばスタートレックはかなり良い線を言っている。少なくとも初期の作品においては。
こういうタイプの作品は最新ものになると急に内容が劣化してきて、映像クオリティしかウリがなくなるみたいなんだよな。
ハリーポッターやロードオブザリングは誰もが楽しめるタイプの作品と言って良いだろう。これらは王道だ。
見てみたいアニメとしては、Steins Gateが挙げられる。これは、たまたま「物理学者が見るべきアニメ」という海外記事で見かけて、面白そうだと思ったからだ。
現実主義のドキュメンタリーは基本的にはどれも面白く、モーガンフリーマン「時空を超えて」は最高のシリーズだ。ただ、私の環境では視聴制限がされている。
あとはミニマリストが何を考えているのか紹介するといったドキュメンタリーも見ていて面白い。
現実主義という点で言えば、シリコンバレー、Numb3rs、Mr.Robotも面白かった。テクノロジーや数学を紹介する作品は、背後に登場する概念が本物かどうかを見極めたくなるが、これらの作品では基本コンセプトとしてはまともなことを言っている。
なお、当たりかハズレかわからない誰も知らないような作品というものがたまにレコメンドされるが、こういうものも俺の興味の一つである。
地味で誰も評価しない、世間からクソと言われている(しかし俺は言っていない)作品の中の会話を観察すると、笑えるポイントや興味深いところがあったりする。そういうのを探すのも映画鑑賞の楽しみとしてありだろう。
だが、性的なアニメやサイコ系映画の表示があまりにも精神を蝕んでいたので、Amazon連中が見てくれればと思って書いた。
俺をみくびっているからそんなクソなレコメンデーションをしているのか、それともアルゴリズムが本当に低レベルなのかはわからない。
ノゲノラを見て「おお、スカッとするアニメやな」と思って、似たようなアニメがないかと「この作品を見た人はこれも見ています」を参考にたどった
見つけたのが「ようこそ実力至上主義の教室へ」というやつで、見てみたらネチネチしててなんにもスカッとしなかった
その後、弱キャラ友崎ってのをみたが、これもくだらないネチネチした人間劇でつまらない
なんというか「気取った東京人がクソ自己啓発本を読んでいる延長線です!」みたいなのは見たくないんだよな
かといって、洋画も洋画でサイコパスっぽいグロテスクなものばかりがレコメンドされる
GPT-4が公開された。AGI実現にまた一つ近づいた印象で、こういったニュースに触れると、ついつい将来を妄想したくなる。
ということで、将来起こりそうなこと、(あるいは起こってほしい)と思うことを書いておきたいと思う。
(このマーケットはブロックチェーン技術によって実現されると考えられるが、今回はこれ以上立ち入らないことにする)
以上。数年後、あるいは数十年後、答え合わせをしてみたい。
ネットワーク効果(or ネットワーク外部性)というのは、価値が利用者数に依存する性質のことだ。この効果が正しければ、利用者自身がどんどんと「利用者の多いサービス」を目指して加入していき、理論上は特定のプラットフォームが一人勝ちの状況になるとされる
これはFacebookが流行っていた時期によく宣伝されていたが、実際のところ「過剰評価」であるといえる
例えばsnapchatをアメリカの若者が使いたがるとか、中高年がQuoraを使うとか、アート的な才能がある人がpinterestを使うとか、何かしら棲み分けをしているのが現状である
「インターネットがつまらなくなった」と言う人がちらほらいるように、ネット人口がある一定の水準を超えるとカオスが増し、精神的な不安定さを感じる
そのカオスを楽しめる人はとても少数派なので、大体は「エコー・チェンバーのうさぎの穴に自らが入り込んでいく」スタイルになっている
Twitterの日本人利用者がいくら多いと言っても、リベラル派のバイデン政権やTwitterJPが操作をしていたことが判明している
そしてイーロン・マスクに買収されたことによって「洗脳装置があいつらの手に渡った」と左翼側が感じている状況ともいえる
ユーザーが価値を感じるのは、自分にとって何か良いことがあるか、または中毒になっているかどちらかである
左翼にとっては良かったのかもしれないが、それ以外にとっては地獄だっただろう
洗脳装置に「ネットワーク効果」なんてものがあるのだろうか、それは視点によるだろう
プロバイダーとは、Twitter Blueに支払いを行うことでアイデア・商品・アートなどを宣伝する人々のことであり、
ユーザーとは基本的に自由に使いつつ、プロバイダーの提供物を評価し、消費する人々のことだ
誤解を恐れずに言うなら、Twitter Blueとはユーザーがプロバイダーになれる仕組みである
ここで重要になるのは、システムがユーザーとプロバイダーをうまくマッチングさせ、3者が互いに利益を共有し、さらにその利益が社会の利益に結びつく状態である
この生態系がうまく機能していれば「ネットワーク効果」といったものも正当化できるのではないだろうか
言い換えれば、ネットワーク効果が機能していないなら、生態系が不全を起こしている証拠である
コストにしかならない「不採算ユーザー(しかも工作員でもボットでもない一般人)」といったものを特定して退会へ誘導しようとする連中に聞き覚えは?
あるいは政敵を排除するためにシャドウバンとレコメンデーションをイジるという行為についてはどうだ?
社会にすら不利益を与えるようなことをするから、不要なものを生産する人件費だけが高い奴らを大量解雇するという事態になるのだろう
「インターネットがつまらん」と言うと、思考停止馬鹿が「つまらなくなったのはお前」といい始めるが、想像力がないからそれ以外の仮説を見つけられないのだろう。
他の仮説の例は経済学的な理由である。つまり「飽和」である。インターネットが飽和状態にない場合、需要が増え続けるので、インターネットを使ったビジネスはうなぎ登りである。
ところが、飽和し始めるとどうなるか。利益を増加させることに限界が来るので、コストを削減する圧がかかるのだ。
コストを削減するということは、主幹サービスに人員や資本を集中させ、それ以外を切り捨てるということだ。Twitterにとって、もはやAI倫理はどうでもいいのである。
要するに、需要飽和による収穫逓減によって「インターネットのつまらなさ」を説明できるのではないかと思うわけである。
「AIが発展しているではないか」とあなたは言うかもしれない。しかし、AIによって「インターネット」が楽しくなったという感じはあまりしない。
AIの発展によって楽しくなったのはAIそのものであり、インターネットではない。
インターネットの本質は情報とコミュニケーションだが、近年の情報検索アルゴリズムやレコメンデーションエンジンは、むしろ「つまらなさ」を加速させているかもしれない。
基本情報・応用情報試験みたいなのとか、CPUの仕組み、コンパイラの実装、分散システムやデータベースとかそういうエンジニアリングガチ勢みたいなのをイメージして大学でCSを学ぶとけっこうショックを受けるぞ。
俺の知ってるCSは、チューリングマシンの表現能力とか停止性問題とかYコンビネーターとかチャーチ数とかの世界で、コンパイラといってもε-CLOSUREみたいな話をじっくりやる感じ。
具体的な話が全然出てこない数学の一ジャンルってイメージかもな。
競技プログラミングみたいなアルゴリズムもそれほど時間をかけない。ベイズ推定をギリやるかどうか。
そういう知ればすぐ身につくものよりも、めちゃくちゃ考えて濃厚なパラダイムを時間をかけて吸収するような学問だった。
で、そんなCSを学んで直接役に立つのは多くの人の場合計算量のオーダーとかくらいかも。
モナドみたいな概念に抵抗なくなるとか、ラムダ式の意味を深く理解できるというのもあるけど、それSIとかWebやスマホアプリの開発業務で必要かというとね。
賢い人は、ちゃんとSNSのユーザー同士の関係性とかレコメンデーションみたいのにもCSの知識を応用できると思うけど、一般人は賢い人が作ったライブラリを使う側だよね。
レコメンデーションというらしいが、楽天やAmazonでは「乳液買った後に乳液を勧めてくるな!」など思っていたこの機能に、まんまとやられている。
おかげで自分が嵐を好きなことに気がついた。
料理の番組内で、卵焼きを料理人が教える動画だ。生放送のテレビ番組を切り取ったものらしい。
理由は定かではないが、作られた卵焼きは、焦げていた。私なら食べられるレベルだが、子どもにはあげるのを躊躇するかもしれない、程度の焦げ方だ。
そこについたコメントに、色々と考えさせられた。
先生は、その分野では完璧でなくてはならない。そうでないと、笑われてしまう。それでお金をもらっているから。
たしかにそうなんだけれども、なんだか腑に落ちないのはなぜだろう。
ネットに動画を上げて笑いものとして晒されてるのが、自分の中でわだかまりになっているのか。
長年の経験と努力が技術となり、その技術が仕事となる。しかし、機械ではないので間違いもある。
笑っている人たちも間違いをするはずなのに。
はてブでニコニコ動画が話題になった。まあ色々言われていて、ちょいちょい使っているユーザとしてはいっちょフォロー入れてやろうかと思ったが、
よくよく考えたら私はニコニコ動画のことなんざ何にも知らないし、別に思い入れもないのだった。
以前はニコ生で一挙放送見るくらいしかしていなかったのだが、コロナ禍で今まで見なかったタイプの動画を見るようになった。
等が要因か。
具体的にいうと、見るようになったのは解説動画、車載動画、旅行動画、作ってみた系等。なんとなくニコニコ動画全体も、
以前のボカロMAD等のクリエイター系から、趣味の共有的なブログっぽいものが中心になっている気がしている。
以下それぞれ紹介する。当方理系で歴史好きの自転車乗りなので、そのような内容になっている。
昔はやる夫でやってたのがボイスロイドになった感じのやつ。今も昔もそれなりの勢力がありますね。
缶詰とか砂糖とか酒場とか、雑学に近い分野での歴史を紹介するシリーズ。
文化の醸成も、歴史的に見れば技術革新が支えている面があるんだなあということがわかる。
歴史に影響を与えた、或いは与えなかった、現代(あるいは当時)から見ると「奇妙な書」を紹介するシリーズ。
価値観は変化するものであり、今正しいとされていることも、将来において正しいとは限らないことを根底のテーマとしているためか、
抑制的な表現とウイットを交えて紹介してくれているので、視聴後に何か頭がよくなったような気分になれる(頭の悪い感想)
このシリーズの真骨頂は番外編で、コペルニクス「天球の回転について」など、歴史上のエポックメイキングな書が、歴史に与えた影響を丁寧に解説してくれる。
時間を超えて歴史上の偉人から偉人へとバトンが受け渡されていく様は胸が熱くなる。
おすすめは、番外編3「月世界旅行」、第13回「シオン賢者の議定書」
薬剤師であるいわしさんが、薬の解説をしながらplague.incのゲーム実況をするというか、
去年の第一波の頃に作られたシリーズで、抗ウイルス薬の仕組みとかがわかる。
更に広い範囲でのお薬解説は「薬剤師マキの挑む製薬工場開発」の方が詳しいかも。
うむり。有名ですね。チトーやべーなってなる。
面白いのだけれど、複雑すぎ&横文字だらけで頭になかなか入ってこない。
最近見つけたシリーズ。地球史を46億年前から順に、いらすとやのイラストを使って3分解説するシリーズ。
自動車車載とか自転車車載とか。今年のGWの頃に、とにかく旅行に行きたくてしかたなかったときに
北海道に何度も行って、ロードバイクで走り回っている人の動画。自転車で走る映像と、風光明媚な写真、紲星あかりさんのシュールなジョークを中心とした茶番を交えた旅行動画。
妙に癒されるので、疲れた時に垂れ流してみることが多い。
お勧めは「オロロン天売島 自転車の旅」 ウトウの解説など、自転車に興味ない人も普通に楽しめると思う。北海道行きたい。
行き当たりばったりな雑旅と、小春六花さんのたたみかけるトークが楽しいシリーズ。
東北もいいよね。
18切符を使って北海道の在来線を制覇するあたまおかしいシリーズ。やたら毒舌で下品である。
ローカル線の歴史というか、衰退も日本の産業構造の変化に伴う部分があり、一筋縄ではいかない事がわかる。
ちょっと前に芸備線の記事がはてブのホットエントリになっていましたが、芸備線の解説動画もあります。
プログラマである性分、何かにつけて「これは自動化できないだろうか」とよく考える。
よく思うのは飲食の自動化で、決まり切ったやり方で調理するのだから、ロボットで代替できるんじゃないかと思う。技術的な話で言えばクオリティの低いものであればすでに存在するし、じきにクオリティも人に近づくことは間違いないと思う。
それが実際の飲食店に導入されるだろうか。コストの観点で言うと、一般的にロボットや機械の導入には大きい初期費用がかかる。そこにランニングコストがかかるため、生涯コストは「初期費用+ランニングコスト×耐用年数」となる。
一方で今まで通りアルバイトが調理するならば、コストは「アルバイトの時給」というランニングコストに人数と時間を掛けた額だけとなる。
この両者のコストが逆転しなければ、コストメリットがない。しかし、アルバイトの時給は一般的に1000円台であることと、ロボットの導入に伴う初期費用を考えるとコストメリットはほとんどなさそうだ。
じゃあ店舗を大規模化させて、本来ならば大量のアルバイトを雇わないと維持できない飲食店を機械化で実現させればよいか。可能性はあるが、そもそもコストメリットの観点で言えばセントラルキッチンを上回ることは難しい。店舗というエッジを機械化させることによるコストメリットはそもそも筋が悪い。
となるとコストメリット以外の価値を生むしかない。自動化の価値は効率化によるランニングコストの低減だけではない。レコメンデーションシステムのような、個人ごとに提供を変えるオペレーションを実施できる。例えば、お客さんごとに異なる味付けを提供できる。それによってお客さんは店に来るたびに自分好みの味に変化する料理を楽しむことができるようになるかもしれない。または、お客さん自身がレシピを提供してその通りに作ることもできる。自分の考えた最強レシピを共有できたり、売買することも可能になるだろう。これらは機械化・自動化による運用の柔軟性の向上によって実現できる。初期コストが安ければ自宅に導入されるかもしれない。
要約すると、料理の自動化が技術的に実現しても、今までの小規模飲食店が機械化することはコスト観点で考えにくく、あるとすればファミレスのような大規模チェーン店の味が良くなるとか少し料理が安くなる程度である。しかし料理の自動化によって個人ごとに提供される料理が違うとか、レシピを共有して自動で作ってもらうような、新しい価値提供をするレストランが生まれる可能性がある。
自動化やAIの時代でインパクトが大きいのは、既存のビジネスの改善ではなく全く新しいビジネスの台頭である。
先程までは時給の安い店舗アルバイトの自動化を考えたが、時給の高い職種、例えば弁護士などの専門職は自動化できるのだろうか。
コストメリットという観点では飲食店のアルバイトよりも実現しやすい。しかし、作業の抽象性と結果に対する責任を考えると、結局のところ人がやる部分は消えない。できることはせいぜい付加価値の低い作業の自動化で、弁護士の長時間労働の問題を解決するだけだ。弁護士のフィーは変わらない(作業を一部自動化できたからと言って弁護士費用を安くするわけがない)のだから、弁護士を利用する一般人には大した恩恵がなく、社会的にはインパクトが小さい。弁護士側はより多くの案件を取得できるため、正しく機械化と自動化ができた事務所は業界内でプレゼンスを高めることはできるだろうが、提供価値を劇的に高めたり、ディスラプターになることはできない。つまり、弁護士の作業の自動化など、社会的にインパクトも小さく、自動化によるTAMも小さい。
となれば、やはりまた機械化による別の提供価値を考える必要がある。Google翻訳のように、精度に責任は負えないが、個人・法人が手軽にいつでも無料で利用できるシステムなどどうだろうか。裁判をしなくても、例えばそのシステムの中で論争をするだけで、ある程度の精度で「もし裁判をしていたらどんな結果がでるか」を予測してくれるとしたら、この世の争いごとは一旦そのシステムの中で全て行われ、大概がその中で解決してしまうかもしれない。仲裁機関が裁判所からシステムにより代替されれば大きな価値転換が起きるだろうし、Google翻訳によって翻訳家がほぼ死滅したように弁護士や裁判官の需要が減るかもしれない。
プログラマである性分、何かにつけて「これは自動化できないだろうか」とよく考える。
よく思うのは飲食の自動化で、決まり切ったやり方で調理するのだから、ロボットで代替できるんじゃないかと思う。技術的な話で言えばクオリティの低いものであればすでに存在するし、じきにクオリティも人に近づくことは間違いないと思う。
それが実際の飲食店に導入されるだろうか。コストの観点で言うと、一般的にロボットや機械の導入には大きい初期費用がかかる。そこにランニングコストがかかるため、生涯コストは「初期費用+ランニングコスト×耐用年数」となる。
一方で今まで通りアルバイトが調理するならば、コストは「アルバイトの時給」というランニングコストに人数と時間を掛けた額だけとなる。
この両者のコストが逆転しなければ、コストメリットがない。しかし、アルバイトの時給は一般的に1000円台であることと、ロボットの導入に伴う初期費用を考えるとコストメリットはほとんどなさそうだ。
じゃあ店舗を大規模化させて、本来ならば大量のアルバイトを雇わないと維持できない飲食店を機械化で実現させればよいか。可能性はあるが、そもそもコストメリットの観点で言えばセントラルキッチンを上回ることは難しい。店舗というエッジを機械化させることによるコストメリットはそもそも筋が悪い。
となるとコストメリット以外の価値を生むしかない。自動化の価値は効率化によるランニングコストの低減だけではない。レコメンデーションシステムのような、個人ごとに提供を変えるオペレーションを実施できる。例えば、お客さんごとに異なる味付けを提供できる。それによってお客さんは店に来るたびに自分好みの味に変化する料理を楽しむことができるようになるかもしれない。または、お客さん自身がレシピを提供してその通りに作ることもできる。自分の考えた最強レシピを共有できたり、売買することも可能になるだろう。これらは機械化・自動化による運用の柔軟性の向上によって実現できる。初期コストが安ければ自宅に導入されるかもしれない。
要約すると、料理の自動化が技術的に実現しても、今までの小規模飲食店が機械化することはコスト観点で考えにくく、あるとすればファミレスのような大規模チェーン店の味が良くなるとか少し料理が安くなる程度である。しかし料理の自動化によって個人ごとに提供される料理が違うとか、レシピを共有して自動で作ってもらうような、新しい価値提供をするレストランが生まれる可能性がある。
自動化やAIの時代でインパクトが大きいのは、既存のビジネスの改善ではなく全く新しいビジネスの台頭である。
先程までは時給の安い店舗アルバイトの自動化を考えたが、時給の高い職種、例えば弁護士などの専門職は自動化できるのだろうか。
コストメリットという観点では飲食店のアルバイトよりも実現しやすい。しかし、作業の抽象性と結果に対する責任を考えると、結局のところ人がやる部分は消えない。できることはせいぜい付加価値の低い作業の自動化で、弁護士の長時間労働の問題を解決するだけだ。弁護士のフィーは変わらない(作業を一部自動化できたからと言って弁護士費用を安くするわけがない)のだから、弁護士を利用する一般人には大した恩恵がなく、社会的にはインパクトが小さい。弁護士側はより多くの案件を取得できるため、正しく機械化と自動化ができた事務所は業界内でプレゼンスを高めることはできるだろうが、提供価値を劇的に高めたり、ディスラプターになることはできない。つまり、弁護士の作業の自動化など、社会的にインパクトも小さく、自動化によるTAMも小さい。
となれば、やはりまた機械化による別の提供価値を考える必要がある。Google翻訳のように、精度に責任は負えないが、個人・法人が手軽にいつでも無料で利用できるシステムなどどうだろうか。裁判をしなくても、例えばそのシステムの中で論争をするだけで、ある程度の精度で「もし裁判をしていたらどんな結果がでるか」を予測してくれるとしたら、この世の争いごとは一旦そのシステムの中で全て行われ、大概がその中で解決してしまうかもしれない。仲裁機関が裁判所からシステムにより代替されれば大きな価値転換が起きるだろうし、Google翻訳によって翻訳家がほぼ死滅したように弁護士や裁判官の需要が減るかもしれない。