はてなキーワード: リタイアとは
・VRゴーグルでバーチャルリアリティゲームをやる
VRゴーグルでバーチャル世界に行くので元が何者でも関係がない。
たとえばこれがアイドルモノでやるのならキャラクターの意外な一面という感じになるのかもしれないが、競走馬をモチーフとした擬人化キャラでやっても元のキャラの個性が減るので結果として没個性的な話になる上にキャラの性質が減るので総合力でマイナスになる。
ゲームをプレイしてたら~~ではなくいきなりゲームがぶっ壊れる。
そしてそれを雑に救いに行く。
話の雑さも酷いし伏線もなにもない。
今までのイベントであればキャラクターの掘り下げという部分があったが、今回はエルとグラスという今までも散々掘り下げたキャラのいつものムーブしかないので掘り下げられる要素がない。
SSRカードの柄がネタバレになっているので語ってしまうがゴールドシップが魔王(ウマ王)として君臨しているのだが、それもキャラクターイメージそのまますぎてなんの驚きもない。
学芸会レベルの茶番を延々と見せられることになるという地獄のようなイベントストーリーである。
終わったイベントなので起承転結をネタバレしてしまうので注意。
・アスレチックコースの途中でリタイアしかけるヒシアケボノをマヤノトップガンが助ける
・皆で仲良くゴールしてウェディングドレスを着る
酷い。
何が酷いってレース中に他のウマを助けるというシーンの競馬に対する侮辱たるや。
おててつないで仲良くゴールという文化は、そこに平等な世界を目指す文脈があるから成立する。
だがウマ娘の世界観は平等ではなく競い合って最強を決めることに意味を見出す文脈の上にある。
プロボクサーがリングでいきなり「殴り合いなんて良くない!KOするまで殴るなんて俺は出来ない!」と相手選手にかけよって傷の介抱を始めたらそれがどれほどの人に対してのどれほどの侮辱になるだろうか?
競走馬をキャラクター化させるという道を選んだ以上、絶対に守らなくてはならない文脈はあるはずだ。
それを平然と破り捨ててきたのだ。
ならせめて最初からレースもどきなんてせずに、お裁縫だのお料理だのナンパ大会だの大食い大会なりをしていれば……いやそういった催しであったとしてもそれが「競う」「試す」「目指す」といった要素を含むのならば、個人の戦いに他者が介入することは間違いだ。
競走馬達が併せのトレーニングをするのは、それがトレーニングだから成立するのだ。
同じ馬主の馬が他の馬を妨害するという展開、同じ馬をターゲットにした同士による協力的な潰し合いだってレースには確かに存在する。
しかし、自分が1位を狙える展開で、チームオーダーが存在するわけでもないのに他の馬のために勝利を譲るような馬がいるだろうか?
いない。
そもそも強い競走馬は闘志や競争心を美徳として兼ね備えるものだ。
擬人化美少女ゲームに出てくるレベルの超有名馬であれば、そのどれもが他のものを蹴落として自分が最強になることを目指す生まれついての勝利絶対主義馬のはずだ。
それが自身の勝利を目前にして他人のためにゴールから遠ざかる?
そんなストーリーがあっていいのか?
その世界だからこそ数々の夢が、それが散る姿が輝いていくのだ。
負け続けてもレースに出続けたハルウララがなぜあんなにも人気があったのか?
それは勝利が絶対の世界でそれでも負け続け、それでも走り続けたからだ。
絶対の価値に永遠にたどり着くこと無く、それでもそこになにかがあると思わせ続けたからだ。
勝利するということに勝る価値がないはずの世界に、負け続けながら居続けたことが人々の心に強く映った。
そして、何度も負けながら勝ちを目指し続けていた。
それに比べてウェディングイベントのマヤノトップガンはなんだ?
というかこんな描かれ方をして本物のマヤノトップガンのファンは許せるのか?
次のイベントのクオリティによっては、ウマ娘という作品に対して語られてきた「原作へのリスペクト」を疑わなきゃいけないんだろうな
自分はよくVTuberを見るけど、ここで書かれているような学力の人が想像以上に多くて驚いたので、増田が書いていることはリアルなんだろうなと思うよ。
Vtuverもアイドル崩れとか声優の卵とかが結構いるけど、マジで
・日本の都道府県の位置関係をほとんど把握していない。それどころか北海道本州四国九州の位置関係が曖昧な人もいた
みたいな子がゴロゴロいる。これ全部別のVTuberだからね。
上に書いたような子たちは「勉強が苦手」とではなく、そもそも何らかの理由で初等教育からドロップアウトしたとしか思えないいんだよな。
VTtuberっていう職はかなりハードみたいで早々にリタイアする人も多いし、そもそもブームがどれくらい続くかも解らないし、いわゆる「中の人」のキャリアにもならない。
26歳で貯金600万は世間の平均からするとかなり多い部類に入るらしい。額面の話だけならば、同世代からは結構羨ましいと言われる。
しかし実際には残業や長期の出張手当の割合がかなりを占める。さらに、俺はこれと言って金のかかるような趣味がなく、基本的に他人と関わるより一人でいる方が落ち着く人間なので、交際費もかからない。同世代が夢中になっている遊びなんかほとんど知らないということだ。
プライベートで親しい人間はごく僅かだし、仕事はそれなりにキツくメンタルをゴリゴリ削りながら生きている。何か人生において大切な物を、色々と犠牲にしながら貯めた金だ。
しかし、どう使えばこの空虚な気分から抜け出せるんだろうな。ドラゴンボールみたいに一瞬でパワーアップ出来る(=メンタルが強くなる、仕事が出来るようになる)方法があれば、いくら金出してでもやって欲しいんだが。現実的な金の使い方で自分の人生をより良いものにする方法が全然思い浮かばない。
正直、貯金のお陰で自分の身に何かあっても当分は食いつなげる、という安心感はあるけれども。金を使わないということも一種の使い方なのかもしれない。このままアーリーリタイアを目指すとか、今の仕事を抜け出して新たなビジネスを始めるための資金源にするとか、そういうのでもいいのかな。
年功序列の日本企業で70歳定年が定着していこうとしているなか、現役世代は自ら会社を見限り、辞めていく流れが増えているように思う。
これは会社にとって、社内生え抜きの人材育成が難しくなることになる。同時に、離職者が増えることで労働市場が逼迫することで転職や就職でいい待遇が得やすくなる。
一般的に待遇が良くなって経済的に余裕が出てくると消費活動が活発するのだが、新たな労働者がより早期リタイア志向を持つようになれば、消費を控えるマインドセットも備えていき、思った以上にインフレが起きづらくなってしまうのではないか。
そして、当然、人気のない業界やブラック企業はより一層敬遠されるだろう。
とはいえ、一部の国からの外国人からすれば日本はまだ出稼ぎに来る価値のある豊かな国であるから、そういった人を雇いながら生きながらえる会社もあるはずである。
この状況を見ると、これからは外国人労働者を管理する立場が新興勢力となる可能性がありだろうし、引き続き既得権益を持つ側に利益が集中する構造が維持されるだろうから、この環境へ適応できない人達は職にあぶれるし経営者がそうした人たちならば大手企業であっても競争力を失い、ブラック企業に成り果ててしまうかもしれない。
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
Hell or ease!
ビルメン151回辞めたキミもまだまだのキミも
ビルメン言えるかなに挑戦だ
アルチュウ ジコリュー ヤドナシ ビジョン
サギシダネ!
クサイヤツ!
ラ・ラ・ラ言えるかな?
き・み・は言えるかな?
ラ・ラ・ラ言えるかな?
プクリン ゼニゲバ ニョモレ クソキンギョ
ドブスハゲ!
ラ・ラ・ラ言えるかな?
き・み・は言えるかな?
ラ・ラ・ラ言えるかな?
メ・タ・ボ・リ・ク!
ベ・ト・ベ・ト・ン!
イ・シ・キ・タ・カ!
ネトラレ(メス)!ネトラレ(オス)!
ナ・ゾ・ノ・ガ・キ!
めっちゃ終わってんがな!
ラ・ラ・ラ言えるかな?
き・み・は言えるかな?
ラ・ラ・ラ言えるかな?
つぎは泣きながら歌ってみるってのはどう?
ビビリジャマ!
ふしぎなふしぎな生き物
まともな社会にはすんでない
ここまで読んでるなんてたいしたもんだ
よーし一気にラストスパートだ
オ・コ・リ・ザ・ル!
ラ・ラ・ラ言えたかな?
き・み・は言えたかな?
ラ・ラ・ラ言えたかな?
ラ・ラ・ラ言えたかな?
き・み・は言えたかな?
ラ・ラ・ラ言えたかな?
あれ?ちょっと待って!
ボクシングで親友に勝てない主人公がやさぐれて戦場に出向いて人殺し回ったあとで雷神(エミタイ)と呼ばれて帰国。親友と対決するが、親友は山の中で仙人みたいな修行ばっかして余裕ぶっこいてる雲上人。これにパンチが当たらず、「もう殺す」とか親友に殺意を向けるが、どういうわけかクリーンファイトに目覚めて打ち合うという話。
結局ボクシングで人生を棒に振ったようしかみえない。傭兵になるまで思いつめなくてももっと他に人生はあったよ、という優しい一声が欲しかった大作。
つねに「ぐは!」と言いながら投げたり投げなかったりする漫画。ラブコメ要素があるけどまあ普通の漫画だと思う。最終話掲載のビッグコミックスピリッツがうちの倉庫に眠ってます。表紙はゆうきなえじゃなかったっけ(違うかも。調べろ。嫌だめんどくさい)。松田さんが日刊エブリーという雑誌の記者だったことを何故か覚えてることと、アニメ版の1話はパンチラ強調しすぎ。永井真理子は良い。以上。
北斗のイメージと言えばパチスロ。パチスロといえば北斗というくらい某所得層に残った漫画だが、笑えるエピソードが多すぎて元祖シリアスギャグ漫画家な、と思っている。シリアスギャグ漫画の二大巨頭は『カイタン』と『彼岸島』なんだけど、思えば北斗もわりとね。ただあまりにも出来に開きがありすぎるので原先生に失礼だと思う。
き、気持ちいいぜ~ぴやばっ
某所の某電力の原発漫画の第一人者だが、古舘伊知郎と絡んで以降当人も特にマンガで食ってゆく意思がなく、リタイア。ぶっちゃけプロの目があったと思う(まあめちゃコミとかRenta!とかそういう系列だが)。
また、youtubeのネトウヨ動画に洗脳された老人がネトウヨ詐欺の被害にあった。
それまで政治活動をしてこなかってようなリタイア老人が、新しいテレビを買ったことをきっかけにyoutubeを視聴するようになり、ネトウヨ思想に染まってしまったのだ。その結果、リコール署名の水増し不正という、民主主義の根幹を揺るがす犯罪の片棒を担いでしまうこととなった。とても悲しい事件だ。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP6275B2P62DIFI00M.html
しかし、この責任はネトウヨ言説や動画だけのせいだと言えるのだろうか?
いや、そうではないだろう。そもそもネトウヨ動画に人気がなく、おすすめ動画に挙がるような環境でなければ、このような悲劇は起きなかったのだから。
朝7-8時、起きたら白湯を飲む。インスタントコーヒーでもいい。安い奴だ。
図書館で読書か勉強、ネットフリックスやアマプラで映画、スマホのカラオケアプリで熱唱。金のかからない娯楽を適当に。
趣味に割いても良い。自己満足動画を撮って、全力で編集して、伸びてないチャンネルに投下する。
12時になったら食事の用意をする。下ごしらえに時間がかかるものや、煮込み料理だ。スグには食べない。
娯楽やら買い物やら家事やらをして好きに過ごす。水回りの掃除は結構時間が掛かって達成感も強くオススメだ。
17時、ここでやっと食事を摂る。オートファジーだ。今から24時まで好きに飲み食いをしても良い。
腹が満ちたらASMR動画を見ながら昼寝。起きたい時に起きれば良い。
21時前後、おもむろに起きて夕飯を拵える。野菜多めを心がけるが、出来る範囲で構わない。犬の飯も用意する。
23時前後、酒を呑みながらニュースを見て、酔いどれたら寝落ち。
https://comic-days.com/episode/3269632237330766632
ホッテントリに上がってるのに気づかずにさっき読んだが、ブコメで指摘のあったように、この「22歳時点で特別なコネのない平均的な能力の男女が強制的に奉仕型サイボーグに改造される」という政策が実現しかけた時点で国民の大半が国外逃亡し出生率が急落して国が滅びると思うので、発想は面白いが現実性には乏しいなと思った。
とはいえ「自分だったら『やすお』『はなこ』をこんな風に運用するのに」と考えたら面白くなってきたので書いてみる。
ざっと思いついたのはこのくらい。
「『やすお』『はなこ』になるのは絶対イヤ」と思う人間が10割であろう元漫画を踏まえ、どのような運用であれば「これならば『やすお』『はなこ』になってもいい」と思う人が出てくるかを考えながら書いた。
「やすお」「はなこ」の人間時の家族や友人の処遇、リタイアした「やすお」「はなこ」の処遇などを考えるとまだまだ書ききれない部分が沢山あるがとりあえずこのくらい。
総合職採用で全国の小売店を回るような営業してたとき、同期の男が事務してるの腹立ったな。
私がホームセンターのバックヤードにいるとき、あいつはオフィスの中でのんびり仕事してる。
私が群馬から営業車で直帰するために夜車飛ばしてたとき、あいつは彼女とヨロシクしてる。
こっちは彼氏と別れて胃潰瘍でリタイアしたとき、あいつは彼女とゴールイン。