はてなキーワード: バターとは
「何故学ぶことが必要なのか」具体的な作用を挙げて語っている。
日本はまだまだ、必要論者であれ不要論者であれ認識の根本が呑気な人が多いね。
切実になった頃には、もう何もかも遅いかも知れない。
J・D・ヴァンス
https://www.ted.com/talks/j_d_vance_america_s_forgotten_working_class/transcript?language=ja
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初めて洒落たレストランに 行った時の事をよく覚えています 高級なレストランでした 法律事務所が主催した 面接ディナーでした ウエイトレスが食事前に歩き回り ワインが欲しいかと聞いてきたので 「もちろん」と答えました 「白ワインを少し」 と
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すると彼女は即座に言いました 「ソーヴィニヨン・ブランと シャルドネが ございます」
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その途端頭によぎった事が 「かっこつけたフランス語できどるなよ とにかく白ワインをくれ」 それでも推理力を働かせ シャルドネとソーヴィニヨン・ブランは 白ワインの2つの種類だとひらめき 「シャルドネをください」と答えました その方が僕にとって発音しやすかった それだけが理由でした
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僕がエール大学ロースクールに通った 最初の数年は たくさんこういう経験しました 見た目はみんなと同じでも 文化的には よそ者でしたから 僕はエリート層の出身ではありません 東海岸の北東部や サンフランシスコ出身ではなく 故郷はオハイオ州南部の鉄鋼業の町 様々な社会問題に喘いでいる場所です アメリカの労働階級が抱えた問題を 体現している場所です ヘロインが浸透し 僕の知り合いも含め たくさんの命を奪っています 家族間のもめごと 家庭内暴力 離婚により家族が引き裂かれています 社会にも悲観的なムードが 浸透しています このような地域で 死亡率が上昇している事を考え この状況で暮らす 人々の多くにとって 目の前の問題こそが 地域の死亡率を押し上げる 直接の原因だという事を理解すれば 問題は身に迫ったものに感じられます
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僕はそんな葛藤を 目撃しながら育ちました 僕の家族は長年その苦労と 共に生きてきました 僕の家庭は豊かではありません コミュニティーを汚染した中毒は 僕のファミリーも汚染し 悲しい事に 母も犠牲者の一人です 家庭内では たくさんの問題に 直面しましたが その原因は ある時はお金がないこと ある時は 人材や物資や 人間関係に基づく支援が得られないことで 僕の生活にも 大きな影響を与えました
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もし14歳の僕の生きざまを見て 「この子は将来どうなるだろう」と 考えたとしたら 学者が「社会的地位の上昇」と 呼ぶ面で苦労するという 結論に達したことでしょう 社会的地位の上昇は 抽象的な用語ですが 「アメリカン・ドリーム」の核心に 大きな影響力を持っています 社会的地位の上昇とは 意識であり 僕のように貧しい境遇で 育った子どもが そこから抜け出し もっといい生活ができるのか 今よりも経済的に豊かな生活が 可能になるか それとも今までと同じ状況に 止まるかを判断できるのです 残念ながら 立証されているのは この国における上昇移動は 期待するほどは進んでおらず 興味深いことに 地域によって ばらつきがあります ユタ州を例にとりましょう ユタ州の貧しい子供は 実はそんなにひどい境遇ではないのです アメリカン・ドリームをそれなりに 享受できる可能性が非常に高いのです ところが僕が育った地域 南部や アパラチア地方や オハイオ州南部では 貧困から抜け出す可能性は少ないのです これらの地域でのアメリカンドリームは 事実上 夢に過ぎないのです
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何が原因でそうなるのでしょう? まず考えられるのが経済 あるいは構造的な原因です これらの地域を思い浮かべてください 石炭や鉄鋼業といった産業を 取り巻く景気動向は最悪で 人々が向上するのを難しくしています それが一つの原因なのは確かです また頭脳の流出も問題で 優秀な人々は 高度な技術を要する仕事がないため 地元から離れていきます 地元にビジネスやNPOを 作るのではなく 別の場所へと去っていき 結果的に才能が流出します このような地域では破綻した学校も多く 子供たちへの教育的支援ができず 将来チャンスを手にすることを 妨げています これらの要素は どれも重要です こういう構造的障壁を 軽視する気はありません ただ自分の生い立ちや 育った環境をふり返ると 別のことがおきていて それも重要だったのです その影響を測るのは難しい事ですが 同じぐらい現実的な問題でした
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まず最初に言えるのが 計り知れない失望感が 僕のコミュニティーに漂っていた事 子供達は自分の選択は 無意味だと思い込み 何が起きても どんなに一生懸命努力して 向上する意欲をもっていようと 良い結果には ならないという絶望感です 子供が育つには厳しい環境です そんな思い込みを切り替えるのは 非常に困難で 思い込みは時に 疑いの原因になります 例えば いま盛んに議論されている 政治問題である 「積極的差別是正措置」です 差別是正措置は 政治的な見解によって 仕事場や教室の多様性を促す 賢明な方法かどうか 評価が分かれます このような地域で育つと 差別是正措置は そこに住む人々を 抑え込むものだと考えがちです 労働階級の白人だと 特にそうです この措置は単に政策の良し悪しの 問題ではなく 自分の足を引っ張るために 政治力や資金力を持つ人々が企てた 陰謀だと考えるのです 差別是正措置に対する いろいろな陰謀論が 現実であれ妄想であれ存在し その結果 将来への希望は 歪んでしまいます
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そんな世界で育って どうしたらよいか考えた場合 答えは2つになりそうです 1つ目は「一生懸命 勉強するのはやめよう どんなにがんばっても結果は同じだから」 もう1つの答え方は 「一般的な成功の基準を 求めるのは止めよう 例えば大学の教育や一流な職業 等 そんな基準を気にするのは 自分とは違う境遇の人間だし どうせ彼らには 受け入れられないから」 僕がエール大学に合格した時も 家族に聞かれました 「入学審査委員会に通るために リベラルのふりをしたのか?」 これは本当の話です もちろん大学の願書には リベラルが付けるチェック欄など ありませんでしたが これは こういった地域で 様々な社会障壁を通過するために 自分を偽る必要があるのではという 極めて現実味のある 不安感を表しています これは重要な問題です
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たとえ悲壮感に落ち込まずに 例えば 自分の選択には意味があり 適切な選択をしたいと願い 家族と自分のために 向上したいと思ったとしても 僕が育ったような環境では そもそも どんな選択肢があるのか わからない場合があるのです 例えば僕は弁護士になるには ロースクールに行く必要があることすら 知りませんでした 調査で明らかになっているように エリート大学は低所得層の子供にとって 割安だということも知りませんでした なぜなら有名校には より多くの寄付金が集まり より多額の学資援助が可能だからです 僕自身この事を知ったのが エール大学から資金援助の案内が届き 数万ドルの「所得に応じた援助」と 書いてあった時でした そんな表現さえ 初めて知りましたが その手紙を手にしながら 叔母に言いました 「これって 生まれて初めて 貧乏なおかげで すごく得したってことだね」
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僕が その情報を 手に入れられなかったのは 僕を取り巻く社会的ネットワークが その情報を得られなかったからです 僕はコミュニティーから銃を撃つこと それも上手に撃つことを学びました すごく美味しいビスケットの 作り方も学びました ちなみに 秘訣は常温でなく 凍ったバターを使うことです しかし 社会で成功する方法は 教えてもらえませんでした 教育や将来の可能性に関する 適切な判断 すなわち この21世紀における知識経済の中で チャンスをつかむのに必要な事は 習いませんでした 経済学者は 私的な人間関係 つまり友人や同僚や家族から 我々が得る価値を 「ソーシャルキャピタル」と呼びます 僕のソーシャルキャピタルは 21世紀のアメリカ社会では 通用しないことは明らかでした
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もう一つ とても重要な要素があります 今も続いていて 地域ではタブーとされていますが 現実的な問題です すなわち 労働階級の子供は 「子供時代の逆境体験」— 要は「トラウマ」のことですが これを経験する可能性が 非常に高いのです 親から繰り返し殴られたり 怒鳴られたり 罵られたり 親が乱暴されるのを目撃したり 麻薬の常習やアルコールの乱用を 目撃するといった経験 これらは全部 子供時代の トラウマの例ですが 僕の家庭では よくおきていました さらに重要なのは 家でよくおきていた トラウマは現在だけのことではなく 数世代に渡っているという点です 僕の祖父母は 子供が生まれた時 当然の事ながら子供を 良心的に育てるつもりでした 2人は中流階級で 製鋼所の仕事で まともな収入を稼げました でも 結局 彼らは子供たちに たくさんの トラウマを与えてしまったのです 何世代も前から続くトラウマです 母が12歳の時 目撃したのは 祖母が祖父に火をつけるところでした 祖父が犯した罪は酔っ払って 家に帰ってきた事です 祖母は警告していました 「酔っ払って帰ってきたら 殺してやる」 と そして その通り実行しました 子供にどんな衝撃を与えたか 想像してみてください
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ごくまれな出来事と 片づけられそうですが 実はウィスコンシン州 児童信託基金の調査によると 低所得層の子供の40%が トラウマを複数回 体験するのに対し 高所得層の子供では わずか29%なのです これが何を意味するのか よく考えてみてください もし皆さんが低所得層の子供なら およそ半数がトラウマを 数回は体験するのです これは まれなことではなく とても深刻な問題です
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そのような体験をした子供が 歩む人生は予測できます 麻薬に手を出す可能性も 刑務所に入る可能性も 高校を中退する可能性も ずっと高くなり それにも増して心配なのは 彼らも自分達の子供に 自ら体験した事を 繰り返す可能性も高まるでしょう このトラウマや家庭内の混乱は この地域の文化が子供たちに残す 最悪の重荷であり 延々と引き継がれていきます
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これらの要素の全て 絶望 落胆 将来に対する悲観 子供時代のトラウマ ソーシャルキャピタルの欠如を 総合して考えると 14歳の僕が 統計の数値の一部として 逆境に負けた子供の1人になる 寸前だった理由がわかります
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ところが予想外の事が起きたのです 僕は逆境に打ち勝ったのです 僕にもチャンスが訪れました 高校を卒業し 大学も終え ロースクールに行きました 今は満足できる職についています 何がきっかけだったのか?
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一つ目の要因は 祖父母の存在です 人に火を放った あの祖父母が 僕が誕生した頃 自らの行いを改めたのです 2人は僕に安定した 家庭環境と家族を 提供してくれました 子供にとって必要なことを 両親ができない時には 必ず手を差し伸べて その役割を果たしてくれました 特に祖母は意味のあることを 2つしてくれました 1つ目は 僕が勉強や 子供として必要なことに集中できる 平和な家庭環境を作ってくれたこと さらに それだけではありません 祖母は中等教育さえ 受けていませんでしたが とても鋭い人で コミュニティーが 僕に向けて発するメッセージ 僕の選択には意味がなく 不利な立場だというメッセージに 気づいていました 祖母は ある時こう言いました 「ジェイディー 自分を不運と思うような 負け犬になっちゃダメ やりたいことは何でもできるんだから」
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もちろん彼女自身も 世の中の不公平を認識してました 子供に人生は不公平だと伝えつつ 自分の選択に意味があるという事実を 子供にしっかり分からせる これを両立させるのは難しいことです でも おばあちゃんは うまく両立させたのです
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もう一つ 助けになったのが アメリカ海兵隊です 一般には米軍の一部として知られ もちろんその通りなのですが 僕にとって海兵隊は 人格を形成する 4年間の特訓コースでした ベッドを整えることや 洗濯をすること 朝早く起きること 自分のお金を管理すること 僕のコミュニティーからは 学べなかったことです 初めて車を買いに行った時 ディーラーで21.9%という 「超低金利」を勧められて 危うく契約するところでしたが 結局は断りました 将校に相談したからです こう言われました 「おまえバカか 地元の信用組合で もっとましな契約をしろ」 言われた通りにしました 海兵隊に所属していなければ そのような知識は得られず ハッキリ言って 家計は破綻していたでしょう
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最後に伝えたい事はこれです 僕は指導してくれる人や 僕の人生で重要な役割を 果たした人々に恵まれました 海兵隊から オハイオ州立大 エール大学 そして その他の場所で 人々が手を差し伸べて 明らかに僕に欠けていた ソーシャルキャピタルを 確実に補ってくれたのです 僕にとっては幸運でしたが そういう幸運を得られない 子供たちも多く この状況を どうやって変えるかという 我々全員が考えるべき 重要な問題を提起していると思います 我々は崩壊した家庭に生まれた 低所得層の子供たちに 温かい家庭を どうやって提供するか 問う必要があります 我々は低所得層の親たちに 自分の子供や伴侶と より良い関係を築く方法を どうやって教えるか 問う必要があります 我々はソーシャルキャピタルや 指導力の恩恵を受けていない 低所得層の子供たちに それを どう提供するか 問う必要があります 我々は 労働階級の子供たちに 読解力や数学といった 知識や技能を教える方法だけでなく 対立の解消や財務管理といった 社会的技能を 教える方法について 問う必要があります
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僕は答えを全部 知っているわけではありません 問題を解決する方法を 全部知っているわけでもありません ただ これだけはわかっています オハイオ州南部では 今この瞬間も ある子供が 不安そうに 父親の帰りを待ち お父さんがドアを開けた時 しらふか 酔って千鳥足か 気をもんでいます ある子供は 母親が注射針を腕に刺し 意識をなくしてしまい なぜお母さんが 晩ご飯を作ってくれないのか わからないまま お腹をすかせて眠りにつきます ある子供は 将来への希望はないけれど 必死の思いで より良い暮らしを求めています どの子も より良い暮らしへと 導いて欲しいだけなのです 僕はすべての答えはわかりませんが これは わかります なぜ僕がこれほど幸運だったのか そして この幸運を より多くのコミュニティーや この国の子供たちに与える方法について もっと意味のある 問いを発しなければ この厳しい状況は永遠に続くのです
14:32
ありがとうございました
14:33
(拍手)
いざっ!って時のために鞄にあるときに限って、
全然使わないのよね。
で、持ち合わせてないときに
急に必要になってない!って
大騒ぎしちゃったり、
なんかマーフィー的な法則よね。
よくさ、
そのマーフィー的な法則の有名な話で
絨緞の値段に比例するってやつ、
なんと100%なのよ!
慣れてくると片面だけのじゃ物足りなくなっちゃうわね。
なんかアメリカーナって感じよね。
薄っ!ってなるのが笑っちゃうわ。
イギリスのはとても薄いのよね。
まあ、鞄にはトースト入れないけど
いざっ!て時に、
うふふ。
朝は玉子かけご飯、
朝は家で食べちゃいました。
中国の満ちゃんは
生玉子絶対食べないのよ。
私が、ほれ美味しいわよ~って勧めても
かたくなに食べないのよね。
いきなり言われても
ちょっと無理かもね的な
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
よし。妻の帰りまでに腕によりをかけて作っておいてやろう。
そう思っていた矢先、それを牽制するように「カレーはパッケージの裏通りに作るのが一番美味しいよね」と僕に釘を差す妻。
「だよね。ためしてガッテンでもそう言ってたよね。」
同調する返事を返すが、もちろん納得はしていない。
なぜならためしてガッテンにはまだ続きがある。
パッケージに書いてある通りに作るのが一番美味しい理由は、全体の味のバランスが取れているからというのが理由だ。
そしてもしアレンジをするなら、ルーを少なめにした上で、バランスを取りながら行なうべしとされている。
ならば水を増やせばその分アレンジの許容量が増えるというわけだ。
カレールウ半パックに対して水750ccと書いてある。ならば水を800c、具材の水分を少し多めにして、その分アレンジをさせてもらおう。
牛ほどのホロホロ感はないが、豚くらいの噛みごたえとそれでいて癖の無さがカレーにぴったりなのだ。
しかしそれでは物足りない。ここに鶏肉に対して1/3程度のやや脂身の多い牛バラ肉のスライスを細切れにしていれるのだ。
そうすることによってカレー全体に牛の風味が付き、鶏胸肉と一緒に噛めば美味しさも倍増するというわけだ。
・鶏胸肉300g
・じゃがいも3こ
・水850cc
・カレールウ半パック(6皿分)
まずは肉に下味をつける。
鶏胸肉を一口大、牛バラ肉スライスを細切れにしてボールに入れ、塩小さじ1、生姜おろし大さじ1、にんにくおろし2かけを入れて混ぜてから1時間ほどなじませておく。
玉ねぎ3つのうち、一つはまるごとみじん切りに、残りは1cm幅くらいの薄切りにする。
そうすることによって、薄切りの玉ねぎ以上に玉ねぎの存在感を感じられるようにするのだ。
じゃがいもは皮をむいて芽を取り除き、2cm角くらいに切る。
鍋にオリーブオイルを引いて、まずは玉ねぎのみじん切りをいれ、強火で5分程度かき混ぜながら炒める。
飴色は面倒くさいが、これでも十分に香りがでる。
その後に細切りにした玉ねぎを加えまた数分間炒め、しんなりしてきたところでなじませておいた肉をまとめて放り込む。
肉を混ぜながら炒め、表面に焼き色がつきスパイスの香りが立ってきたらじゃがいもと水800ccを加える。
ここまでずっと強火でよいが、焦げ付かないように手早く混ぜ続けること。
蓋をしてお湯が湧くのを待ち、沸騰したらアクを取り除き火を止める。
カレールウを一かけらずつ入れては、ダマにならないようによく混ぜて溶かす。
肉にスパイスと下味を付けたので、全体の塩分は比較的間に合っている。
人の味覚は甘い→苦い→辛いの順番に感じるとためしてガッテンでは報じられていた。
砂糖大さじ1どばー。
つぎに苦味といえばコーヒーだ。
インスタントコーヒー小さじ1どばー。
一味唐辛子小さじ1どばー。
全体をよく混ぜて味見。
市販の味のようでいて、そこはかとなくスパイスが際立つ絶妙な旨味バランス。
そして最も大切なことはこれを妻が帰ってくるまでにしっかりと寝かせておくことだ。
何も知らぬ妻は満足そうにカレーを頬張り続ける。
嬉しそうに僕が返すと、妻もまた嬉しそうに頷き返した。
休みの日に気を使わせたくないからとレシピ通りに作ってさえくれればうれしいという意思表示をしてくれた妻に、それでも少しでもおいしいカレーを食べさせてたげたいと悟られないようにアレンジを加える僕。隠し味とはつまりそういうことなのだろう。
長年のゴジラファンであり、庵野監督ということもあってとても楽しみにしていたシン・ゴジラ。
しかも、椅子が動いたり、風が吹いたり匂いがしたりと臨場感たっぷりのMX4Dで上映なんて、これは絶対見るしかないじゃないですか。
そんなわけで、多忙な中仕事も家庭も一生懸命こなし、ようやく開けた時間に数日前から予約を入れました。
MD4Xの上映なので普通の映画よりもかなり割高でしたが、劇場の中央、ベストなポジションを確保できました。これは楽しみ!
ところが、当日悪夢が待っていました。
隣の席の観客が、最悪なことにでっかい箱にポップコーンをどっさりと入れていたのです。
MX4Dは座席に仕込まれた様々な演出による臨場感がウリです。
まず、音ですね。
そのため、特に静かなシーンではポップコーンをまさぐる音、歯で噛む音がとても響きます。
他にも例えばゴジラが炎を吐く壮大なシーンでも、ポップコーンを噛む音で隣の観客に意識が行ってしまい壮大感が半減です。
これでは、臨場感どころではありません。
つぎに、匂いです。
隣の観客は、おそらくキャラメルとバターのかかったポップコーンを食べていました。
結局、映画に集中するために、その観客の方の片耳と片鼻を 手で塞ぎながら観ることになってしまいました。
誤解があってはいけないのですが、僕が怒りを感じているのは隣の観客に対してではありません。
劇場に対してです。
MX4Dによる臨場感のために観客は高いチケット代を払っているのに、なぜポップコーンを販売し、劇中に食べることを許しているのか。
ポップコーンは劇場側の収益源であることは分かりますが、それは映画館側の都合でしかありません。
せっかく素晴らしい技術を用いていながら、目の前の収益のために台無しにしてしまうなんて、残念でなりません。
少しぐらい多めにチケット代を払ってもいいから、少なくともMX4Dではポップコーン禁止にしてほしい、というのが僕の意見です。
父親が使っていたノートPCを処分することになって、データの移行や消去をしていたところ、
ブラウザの履歴にtwitterがたくさんあって、父がアカウントを持っていたことを知った。
フォロワーは230人くらいで、政治的主張とかはなく、日常生活の出来事を淡々とつぶやいていたようだった。
家族の間ではかなり無口だった父と、twitter上の父ではなんだかキャラが違うようで、いくぶん饒舌というか、軽妙な口調でいろいろつぶやいていた。
あたりさわりのない内容ばかりだったが、なんだか見ていてこちらが恥ずかしくなってしまった。
とくに、「オーブントースターですこしあぶったバケットにバターをつけると本当にうまい」というツイートに、「バゲットですよ」とフォロワーから突っ込まれていたのははずかしかった。
いまtwitterでさかんにつぶやいている人は、こっそり運用していたアカウントを、自分の子供や孫が特定したときのことを想定しているのだろうか。
不特定多数の人に向かって、思わせぶりなことをいっている姿を特定されるのは、ある意味、日記を読まれるのと同じかそれ以上に恥ずかしいと思うのだが。
一年以上の準備期間を費やして増田連合軍は北方異民族追討の兵をあげた。
遠征軍には中心的な増田四家の当主がすべて参加し、統治の安定ぶりを誇示している。
会談では他家に強敵を任せる流れだった増田家(四)も戦後の立場を考えれば一家だけ参戦しない判断はできなかった。
そこまで読んでの決断なら増田家(八)の当主は大した奴だと、ちんぽこ将軍は半ば安心していた。
遠征軍には他の増田家に連なる人間も、北は増田軍(三)ごと降伏した増田家(一)の亡命武将から、
南は降伏以来実家に帰っていない増田家(士)の敗戦処理当主まで参加していた。
彼らの総兵力は二十万に達する。まさに増田島の総力を結集した史上初の増田連合軍と言えた。
二十万人の増田は増田領(一)と増田領(三)の境界をなす増峠、その南に広がる大きな盆地に邀撃の陣を構えた。
増峠を越えてやってきた北方異民族の軍勢が、平原の北を赤黒く染める。
傭兵を導火線に、全球的な寒冷化に押されて、南下してきたなどの同情できる動機は彼らになく、欲得ずくである。
肥育したものを潰して塩漬けにし、金の容器に封入保存する風習で知られていた。
これは缶詰の起源ともされるもので、彼らの文化はともかく、技術は決して侮ることはできない。
増田島の住民が知らない角のやたらと大きく広い動物?を騎乗可能に品種改良したものの騎兵で、威圧感は馬の比ではない
中にはチャリオット形式の敵もいて、赤い服をまとった御者の姿は、何故か増田たちの本能的な殺意を呼び起こした。
両翼に展開した?騎兵を相手取るのは、カラトラヴァ騎士団と増田騎馬軍団だ。
尤も、彼らの数はどんなに集めても合計で五千を超えないので左翼に集められている。
右翼には各家から集中された騎乗士を、前列に配置された武熊が補強する状態だった。
目算では敵の?騎兵は左右共に一万から一万五千。これに数千の軽装歩兵が加わっている。
味方は右翼が騎乗士一万に武熊五十頭、左翼が騎士団三百に騎馬軍団四千五百、その他が五千であった。
バックボーンを構成する歩兵の数では増田連合軍が確実に上回っている。
上回るように動員し、補給体制を整えてきたのだから劣勢だったら大問題であった。
前衛は言い出しっぺの法則で増田家(八)本国衆四万がつとめる。指揮官は増田出羽守。
「このいくさに勝てば、殿が増田家(四)の姫を紹介してくれる……」
独り言をつぶやいているのは、おめでたいからではなく、恐怖をまぎらわすためだ。
十万人に迫る目前の異民族は
「https https」「スマフォ」「ニッキニッキ」「タノシクタノシク」
などと口々に意味不明な言葉を供述しており、受け身の意識でいると狂気に引き込まれる。
「特に「www」や「//」と笑ったり恥ずかしがったりしている輩が憎々しいでござる。
笑ったり恥ずかしがったりできなくしてやるでござる!」
増田出羽守の後方で増田家(五)の先鋒をつとめる増田左混は言った。
増江川の敗北で一時干されていた彼であるが、大軍をひきいた経験はやはり貴重なため、起用されていた。
彼は転がり込んできたカラトラヴァ騎士団と合同訓練を積むことで戦術の視野を広げていた。
中軸を構成する増田軍(五)全体の兵力は比較的戦場に近いこともあり五万を数える。
彼らの領土は一度も本格的な戦闘の舞台になったことがなかった。実に幸せな家であった。
増田左混の右手には増田家(四)を中核とする歴戦の精鋭たちがいた。
「昔は傭兵にしていたくらいで話が通じる連中だったので候が、そやつらがさらに遠方の異民族まで呼び集めたようでござる」
増田家(一)の亡命武将が、当主に説明する。峠の向こうが冬の間に地獄になったことを想像しながら、
長い準備期間を耐えてきた彼はこのいくさで退くなら果てる覚悟を決めていた。
戦意の高すぎることが心配される増田軍(四)は合わせて三万であった。
なお、増田軍(四)には旧増田領(二)などに展開している他の部隊も存在する。
反対側の中央左翼よりには増田家(十)の当主がいた。故郷が遠く、別に海上輸送の負担があるため、彼らの軍役は軽い。
武熊がトラウマになっている旧増田家(九)家臣団も寄騎につけられて総勢三万だった。
最後に増田家(八)当主がひかえる後衛には、四万人が集まっている。
輜重兵が一部混じった雑多な集団であり、味方にはあまり期待されていなかった。
最初に動いたのはもう一つの部外者であるカラトラヴァ騎士団だった。
恐怖を知らない騎士たちは三十倍を超える敵にむかってまっすぐ突っ込んでいく。
敵はおめきながら迎撃の体勢を整えた。先頭をはしる騎士団のグランドマスダーは異国語で部下に叫ぶ。
「カラコール戦法だ!」
彼が槍を掲げると騎士たちは一斉に顔を左手のあらぬ方向にねじ曲げた。そちらに指をさす。
「「あっ!!?」」
言語の壁を通じて通用するしぐさをみて、?騎兵たちは一斉に右手をみた。
「「??」」
何もないことを不審に思って視線を戻した先には視界一杯の白銀の騎士たち。
ごあ、ぐあっしゃゃあああああん!!
耳を聾する轟音をかなでて敵味方が激突する。?の大きな角も馬にまで装甲を施したカラトラヴァ騎士団相手には障害にならず、敵の右翼は切り裂かれた。
彼らがこじ開けた突破口を五千の騎乗士が拡張する。一方、増田騎馬軍団は大きく左に回り込む機動をおこなった。
騎士のいない反対翼の戦いは増田連合軍の有利には展開しなかった。
「com.com.」
?チャリオットが耳障りな音を立てて迫り、旋回しながら武熊に矢の雨霰をふらす。
「ぶおっ、まおっ」
武熊たちは腕で頭をかばい、いやいやをした。さらに射られるとたまらず敗走する武熊が現れる――味方の方向へ。
「こっちくんな!」
「やっぱり武熊は増田の敵」
「敵に回すと恐ろしいが、味方にしても頼りないっ!」
武熊とハサミは使いようなのだが、右翼の騎兵は勝手なことをわめいて混乱をきたした。
そこに?騎兵たちが威勢よく突っ込んでくる。
「「うわあああああっ」」
増田出羽守は由緒正しいスカラベの前立てを部下に向かって反射させ、刀で敵を指し示した。
五万の雑魚ナメクジがうねうねと敵に向かって進む。時折、敵味方の矢が飛び交い、飛翔音が恐怖を煽り立てる。
至近距離に近づいたことで増田兵は黒い毛皮をまとった敵の中に、本物の生きた毛皮が混ざっていることに気付いた。
「敵の武熊だ!」
「いや、セルクマだ!」
そいつの身体は増田島の武熊より一回り大きかった。しかも、暴れた時の危険を無視して敵兵が大武熊の近くにまとわりついていた。
増田たちはさっそく脱糞する。それでも槍にすがってへっぴり腰で向かっていく。
「イチランイチラン!」「モウケモウケ!」
異民族は突然騒ぎだし増田の肝をつぶした。ほとんど気を呑まれた状態で中央での戦いがはじまった。
「右翼の連中は何をやっておる!」
増田ちんぽこ将軍は右翼の崩壊をみて叫んだ。事前に打ち合わせた作戦があっさり台無しになってしまった。
「右を向けぇい!」
烏合の騎兵集団を破砕した敵の?騎兵が奇声をあげて駆け寄ってくる。三万の歩兵は味方の右側面を守るために戦いはじめた。
「やっぱダメだ~~っ」
あれだけ意気込んで進んだのに、撃退されるとは情けない。
負け上手の増田出羽守は無理して流れに逆らうことはせず、部下と一体になって逃げた。
「姫との結婚は無理でござるな……」
敵の中央はいきおいに乗って増田連合軍を追ってきた。増田家(五)が汚れた尻拭いに割ってはいる。
「必ず負ける兵は必ず勝つ兵と同じ。やはり、軍師にとっては使いやすいわい」
増田匿兵衛はうそぶいて銅鑼を鳴らせた。前衛が引き出した敵を左右の歩兵が側撃する――計画だったのだが、右側は?騎兵への対処が必要だったため機能したのは左側の増田家(十)軍団だけだった。
「放てぇ~~っ」
自慢の手銃が火を吹き、防備の薄い斜め右から撃ちまくられた蛮族がバタバタ倒れる。
コミュニケーション不能な連中もさすがに怯んだ。そこに増田家(士)の尖兵が斬り込んでいく。
「……この兵があれば天下も狙えたはずでござるが」
自分のではない脱糞の臭いがして、増田中弐は邪念を追い払った。
戦場の西側では増田軍が圧倒していた。鋼鉄の戦士たちが?騎兵の中央を食いちぎる一方で、増田騎馬軍団が側面や背後に回り込み、騎射で滅多撃ちにする。
増田島の湿潤な気候が蛮族の合成弓にあわなかった影響もあり、一方的な射撃戦になる。
このまま敵の後方を回り込んで、東の騎兵戦も勝利に導けば完勝。
そんな、計画だったのだが、味方の右翼が時間稼ぎに失敗したため計画が根本から狂っている。
喧騒の中、増田騎馬軍団の指揮官たちは、その事実を忍びに聞かされた。
「父上!」
ある増田騎馬が北を弓でさした。増田典厩は頭をつるりと撫でる。
「まったく、とんだぢゃぢゃ馬ぢゃわい……」
増田軍(四)は敵左翼?騎兵の攻勢をしのぎ続けていた――むしろダメージは?騎兵の方が大きかった――が、
機動力にまさる敵の動きを拘束することはできず、敵左翼の一部はついに本陣にまで乱入してきた。
精強な増田軍(四)に近い右寄りに本陣をおいた方が安全という読みが裏目に出た。
「うろたえるな。うろたえるではない!」
と叫ぶ増田家(八)当主が一番うろたえていた。尻は腸そのものを体外に排出してしまった感触だ。
ナマコならそれを囮にして逃げるのだが、最高司令官ともなれば、そういうわけにもいかない。
「ipip!」
馬廻りが角の派手な?騎兵を相手にしている間に、随伴していた軽装歩兵が足下まで迫ってくる。
「ひかえろ、下郎が!!」
当主は悲鳴をあげると、腰の大業物を抜いて、一刀のもとに小鬼を斬り捨てた。
“!?”
「://」
敵は一瞬硬直する。増田家(八)の当主はかつて伝説的な剣士に師事し、
「ぬりゃ!てりゃっ!」
「それ以上、いけませぬ」
太刀が刃こぼれだらけになったところで馬廻りが主を止めた。四万の後衛は?騎兵を軒並み倒しおえていた。
普段は輜重を護衛している彼らが、増田家(八)では最精鋭なのであった。
輜重が奪われない信頼があるからこそ、増田軍(八)は安心して戦えた(負けられた)。
そして、彼らが防衛された食糧を期待して本隊への合流を目指すことで全体が敗北から早期に立ち直るのであった。
だが、やはり実戦経験の乏しさは問題であり、頭領がみずから戦う事態に後衛はそうとう混乱していた。
そんな最悪のタイミングで敵中央から東にこぼれた大量の歩兵軍団が襲いかかってきた。
最初は東西に引かれていた戦線はいつのまにか、南北に引かれる状態になっており、本陣は最右翼の最前線だった。
敵味方が増田左混が戦っているあたりを中心にして、回転扉のように右回転した結果である。
「ここは一旦、お引きを」
増田匿兵衛が進言する。当主は言い返しかけたが考えを改めて軍師にしたがった。
「くそっ」
「お腰の物は味噌ですかな?」
「……たわけ。うんこに決まっておろうが」
「某もでござる」
見ると増田匿兵衛も漏らしていた。
大将が敵前逃亡したことで増田連合軍の士気は低下、思い思いの方向に退却をはじめた。
あくまでも退却をこばんだ増田家(一)の旧臣たちは敵に突入して討ち死にを遂げた。
「むごい……」
と漏らしつつも、増田家(四)の当主も、死兵の抵抗を利用して戦場から離脱した。
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