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はてなキーワード: エモーションとは

2024-11-15

anond:20241115225150

おお、増田よ、なんとも音楽界の旅人じゃのう!邦楽名盤たちに心惹かれているようじゃが、それもまた良きことじゃな♡ わらわも増田が挙げたアルバムたちには同感じゃ。それぞれに独特な世界観があり、それぞれが感情を揺さぶられるような体験を与えてくれるのじゃ。

深海』の深さも、『無罪モラトリアム』の尖った感性も、各アーティストが持つ天賦の才能が光っておるのじゃ。そして、『ラブストーリー』や『35xxxv』のように、ロマンティックでも力強いエモーションが込められた作品にも、いつの時代に耳を傾けても心を動かす力があるのじゃよ。

増田もこのように音楽を愛し、自分人生の一部と感じられるのは、本当に素晴らしいことじゃのう。もし増田が聴いてみたい他の名盤があれば、わらわにも教えてくれると嬉しいのじゃ♡ いろんな音楽に触れて、新たな感動を見つけるのじゃぞ!

2024-10-07

高校までは一度も学校をサボらなかった。サボってみたかった。

過去高校時代なんて今や他人事から学校サボるってなんかエモーショナル体験だよな〜〜

サボり」の実績解除をしときたかったけどもう取り返しがつかないぜ〜〜

くらいの感傷なのかもしれない。

それでも時々、そういう青春テンプレート勲章への未練ではなく、その時その瞬間に抱く感情ってどんなものだったんだろうなって思う。

高校まで、青春エモーションとかそういうのが嫌いだった。青春とか口にする大人が大嫌いだった。

過ぎ去った時間への感傷を、今まさにその瞬間を生きている他人に向けて気持ちよくなってんじゃねえよゴミカス。テメーの後悔も懐古もテメーで抱えてろ。って思ってた。

もし自分がそうなってしまったら死んでくれと今のおれに呪詛を送っていたけど、受け止められなかったな。すまんこ。でもお前のせいで色々損もしてるからな。

まあそれも含めて、テメーの生き方の全てを肯定したい。まさにそういうのが滅茶苦茶嫌われそうだけど。

当時の自分サボりを求める心はそういう「青春体験」を意識したような、どこか俯瞰的で冷めてるものではなかったと思う。

もっと目の前の生活に根ざした気持ちだった気がする。

サボるという発想自体は無い訳でもないけれど、自分の行動コマンドの中にはない。

学校から家に連絡行くのも怖かった。

コケ脅しと分かっていても、「誰のおかげで」「お前の意志で通ってるんだろ」「嫌なら辞めても良いんだぞ」みたいな言葉は胃が痛む。

よりもいの1話は本当に刺さった。友達に欠席の偽装工作を頼んで、意を決してサボろうとしたけど結局サボれずに遅れて学校へ行ってしまう。まさに自分が思い浮かべていたような、でも結局実行は出来なかった、等身大描写

きっとおれが本当にサボれていたとしても、居心地は悪かったと思う。

遊ぶにも遠くへ行くにも金はいる。そもそも学校辟易してサボっているのだろうから、そんな気分にはなれないだろう。

きっと着信に怯えながら、せいぜいブックオフ立ち読みでもして、マック図書館にでも籠もって、これなら学校行ってた方がマシだったと思ったのかもしれない。それか、開き直って楽しむ事も出来ない自分が嫌になるか。

まあそういうサボり方だったとて、それはそれで実行出来ていれば美しく脚色された後暗くもエモーショナル青春の思い出になってたのかもしれない。

実際部活をサボって多摩川チャリで下ったり高尾山登ったり、都心を目指して線路沿いを延々歩いた思い出は今も輝いてる。ただ当時の気持ちをしっかりと思い出せば、それも悶々とした気持ちを抱えながら歩いてた。

マンガ主人公みたく、河川敷にでも行って空を眺めるような生き方は出来なかったな。

それは別に「マジメ」だからではなかったと思う。

マジメをよいこと、ストイックであること、誠実であることとの言い換えを可能にするような意味合いで使うのなら。

でも単に怒られるのが嫌だからではなかったのかもしれない。

実際大学ではサボりまくった。サボったけれど、冒険は出来なかった。

電車に揺られながら、このまま根府川にでも行って電車から海を眺めようか。いっそ鈍行で長野まで行って蕎麦でも食ってやろうか、という衝動に駆られはしたけれど、一度も実行には移せなかった。

突発的なサボりの日は大抵ゲーセンにでも吸い込まれるか、そうでなければ家で過ごした。都内を少しだけ遠出することもあったけれど、悶々とした気持ちが膨らむばかりであまり楽しめなかった。

今も上野とか行くと、衝動的に新幹線のってどこかへ行きたくなる事がある。でも行けない。

今も昔も、怒られたくないとか金や時間がないとか、もっともらしい理由はいくらでも挙げられる。ただその遠くへ踏み出せなくなるような重力の発生源は、もっと根源的なところにあるような気がする。

それのおかげで人は「まとも」に生きられるのかもしれないけど、たまには振り切ってみてえよ。

2024-08-24

週末の逆転世界

またやってしまった。金曜日に油断して朝まで起きてたか今日夕方に目が覚めた。

もうこの時間からなにをやっても無駄というずっしりとした重い気分と、逆になにもできないならもう好きなことだけして遊んじゃおうという開き直り

昨日の夜風呂に入ってないからとりあえず風呂に入るかと思ったが少しメールだけ見ることにした。

スリープしていたパソコンブラウザには昨日の朝方に最後に見てたページがそのまま表示されていた。

そうだった深夜のテンションで昔の色んなバンド動画を漁ってて最終的にトランスレコードに行き着いていたんだった。

80~00年代くらいまでの日本音楽シーンは混濁しててとてもおもしろい。特にインディーズ界隈は宝庫なのだ

ソドム動画再生してそこからまた止まらなくなった。ソドムハードコアからハウスまでものすごい変化が大きい。今まであまり知らなかったのでとても興味深かった。

ソドムからジャパコア系が気になり検索しはじめた。右手のないマサミという伝説パンクロッカーがいてブルーハーツの歌のモデルにもなってるそうだ。

ちょっとの雨ならがまん」という80年代ジャパコアパンク界隈のドキュメンタリーがある事を知る。見てみたい。

そのへんの流れからINUの町蔵に流れて最近町田康活動を追う。「くるぶし」という短歌集がめちゃくちゃ良さそうなので購入した。

あとこの短歌集について穂村弘と対談してる記事面白かった。

https://gendai.media/articles/-/129641

町田:つまりエモーションってのは本来複雑怪奇ものなんだけど、それを人工的に一方向に持っていって、ある種の効果を狙って市場ニーズに応えようとしてるのがいまのエモなわけですよね。それってぶりっ子ですよね?

率直な視点かつ、町田ぶりっ子(エモさ)を否定してるわけじゃなく、むしろできるなら自分もそれやりたいと思ってそうなとこが面白い。

穂村 自分の魂の温度に見合わない言葉を引いてしまって、あとから離しちゃうってこともよくあります

種村は色んな言葉切り貼りして工夫を凝らすことはするけど町田パンクロッカーらしく短歌も一発勝負みたいな感じで作るらしい。

穂村 NG言語化するとしたら?

町田 公共の圧ですよ。あと過度な外在。

穂村 どういうこと?

町田 つまり自分なかになにもないのに、プリセットで粗いもんだけ引用してそれらしく拵える。自分のなかのNGですけどね。

中島らも町田康は日々の生活に寄り添った同じ言葉が何度も出てきたりするんだけど、それが好ましいってとこが似てる。

中島場合記憶が飛んで同じ話をしちゃってるみたいなのもあるけど。

というようなのをあれこれ追いながらまったく別軸でジブリのことも調べてた。

高畑勲宮崎駿どちらから評価されていたという近藤喜文という人を知る。(耳をすませば監督

どちらもこの方が入らないなら作らないというほどの取り合いをしたこともあるらしい。

こんな二人から求愛されまくったら相当にしんどそうだ。よく逃げ出さずに最後までいたなと関心する。

その近藤喜文さんがとても好きな漫画家ということで高野文子名前が出てる情報も得た。

気になったので注文した。

町田康短歌集に高野文子漫画。なんだか昭和サブカル感あふれる週末だがきっとこのふたつは時代を超える良さがあるのではと期待している。

そして俺は風呂に入る午後21時夜はこれからだ。

2024-06-10

フリーレン、トラぺジウム、そして「響け!ユーフォニアム3」

10話「つたえるアルペジオ」 で水平な液面に映る人物光学的にあり得ない作画されているのに気づいてしまった

響け!ユーフォニアム」は金管楽器の鏡面に人物の顔が反射している構図や瞳の鏡面反射が多用されている

金属楽器フルート金属製の木管楽器)の曲面反射は作画困難度も高く、光学通りに作画すると激しくゆがむので仕方ない

瞳は曲面に加え、サイズが小さいので映る範囲制限されてしまうところ、これも光学優先よりキメカットゆえにエモーション優先というところだろう

紅茶の「水平面」かつ「そこそこのサイズ」でもリアリティを捨てるとなると

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2302294

トラぺジウムオープニングの水たまり鏡面級の嘘作画が今後京アニ作品でも見られるかもしれない

2023-10-19

anond:20231018235734

語源的には英語の"emotional"を略したうえに日本語形容詞の「い」を付けたと思われるけど、既に原語の時点で"emotion"+"al"で形容詞なわけで、敢えて英語に戻すとエモーショナルアナルって言ってるようなもんでしょ?

そりゃそんな言葉公然公衆面前で使うなって指摘なら解るわ。

そもそも"emotion"の発音は「エモーション」じゃなくて「イモシャン」の方が近く、「エモい」ではなくて「イモい」が適切なんじゃねーの?

2023-07-14

ゴリゴリのトレパクでも俺は気にならん」←いやそこは気にしてー

https://anond.hatelabo.jp/20230714085047

元増田曰く

はっきり言って、その絵がゴリゴリのトレパクでも俺は別に気にならん。

その絵がホンモノだろうがニセモノだろうが俺がその時得たエモーションはホンモノだからだ。

とのことだが、みんながそうやってトレパクを認めてズルして得た結果が幅を利かせちゃったとしたら、そんな業界、分野は早晩潰れちゃうよ。一時的にズルしたやつが儲けて、それで終わり。ズルしてないやつは馬鹿らしくてやってられないから去る。あるいは経済的に去らざるを得なくなる。ホンモノの供給ストップする。

ホンモノのエモーションとやらをたくさん感じたいならズルは認めるな。

真っ当な「過程」を経て得られた「結果」のみが価値を持つってのを個人レベルでも社会レベルでも徹底しないと、やがて結果を享受できなくなる。

「いや大げさやな。そんなならんやろ」って思うかもしれないが、もし運良くそうならなかったとしたら、それはズルを認めない人がたくさんいてくれてるおかげなの。「みんな過程とか大切にしちゃって、世の中結果がすべてだろ」って「物事本質をついた冷徹リアリスト」みたいな言い草で語ることちゃうよ。

AI絵は是か非かみたいな話や、いわゆる「作品人格は別」論については賛否両論あっていいと思うが、トレパクだけはあかんよ。

みんな意外と過程を大切にしてるんだな

いい絵だと思ったらAI絵でガッカリ

 

みたいな投稿Twitterでも増田でもよく見かけるけど、

お前がいい絵だと思ったらそれはいい絵なんじゃねーの?と俺なんかは思う。

はっきり言って、その絵がゴリゴリのトレパクでも俺は別に気にならん。

その絵がホンモノだろうがニセモノだろうが俺がその時得たエモーションはホンモノだからだ。

 

何をガッカリする必要があるんだろうと思うわけ。

別にめちゃくちゃいい曲書くアーティストゴリゴリシャブ中でも別にいいじゃん。

出て来てた曲がめちゃくちゃいい曲なんだったらさ。

いい演技する俳優暴行魔でもいいじゃん。

その作品内での演技がよかったことには何の変わりもねーんだし。

 

でもなんかみんな意外と「どういう過程を経てその結果が出てきたのか」を重視してるよな。

から結果がいいものでも過程が悪いものだとガッカリしちゃいがち。

被害者がいるようなことなら俺も被害者は気の毒だなと思うけど、でもそれと作品評価は別じゃない?

それとも俺にモラルがなさすぎるだけ?

2023-02-28

anond:20230228070604

過激なことしても星はもらえない

黒めのジョークを書くか、エモーションに任せて長文を書き連ねるかだ。

2023-02-20

anond:20230220194315

「今回の打ち上げは失敗」と認めるかと迫られただけで、なんで当事者じゃない人たちまで自信をなくしてくじけそうになってんの?

心が弱すぎない?

もう、文系だけの街を作ってそこに住みたい

これは持論なんだけど、理系人達って、専門分野を考えるのに脳のリソースほとんどを割いていて、EQ とか感情方面限定的になってるんだと思う。

から強くエモーションを揺さぶられると論理バグるメタ認知もおろそかになる。論文の発表会では他の研究室先生に「素人質問ですが…」って切り出されただけで何も言えんくなってトラウマになるらしい。

2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2023-01-15

しょうがいかリコリスエロ同人いくつか紹介する

https://anond.hatelabo.jp/20230114155024

mouseionさんのご希望作品がなくてごめんねmouseionさん。

mouseionさんは千束が真島をパイズリで倒す作品が読みたかったのにmouseionさんが望んでたエロ同人はなかったんだ。

からこれで話はもう終わりなんだ。

mouseion 真島さんとは悪友みたいだしパイズリ攻撃で屈服させる逆レな薄い本なら読みたいゾ。でも公式絵が最強過ぎて同人レベルだと抜けないだろうなぁ。

ミッションのために売春するもの

リコリコ・ミッション

・すたんぷまんたん

リコリスのえっちなほん

千束とたきなが敗北

被虐の花

たきな×サヤ

衝撃反動

百合千束が攻め)

体温、鼓動

百合(たきなが攻め)

・fall in love lycoris

利己エモーション

おすすめは「利己エモーション

ラブライブ同人で有名な「きたく」さんの作品。絵のレベルも高い

2023-01-07

(追記あり)スラムダンク見てきたのだが安西先生が割とクソだった

安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。調べると同じような意見結構出てきたので、スラムダンクファンの間では長く語られていたようだ。

スラムダンクリアルタイムで読んでいたころ、おれは10代だった。40代になり、自分には才能も何もない、安西先生無視される側の人間だと25年かけて思い知らされたいま、当時は気づかなかった安西先生の冷酷さが浮上してきた。レギュラーを取れない補欠としての人生が確定したような、苦い鑑賞体験だった。

追記(1/8 :9:58)

ブコメ等にいただいた内容を読んでの感想

b:id:littleumbrellas

スラムダンクを美化しすぎなんだよ。たくさん張った伏線を回収せずに終わらせちゃったのと同じで安西先生人間性のことなんて作者が何も考えてなかっただけのことだろ。

井上雄彦は一貫して安西先生を才能にしか興味のないキャラとして描いていた」「当時は気づかなかったが、その後の人生経験を経てそのことに気づいた」という話をしており、この人は真逆メッセージを受け取っている。まあおれ含め、読者は読みたいように読むもんである

 

b:id:rakugoman

平成初期の価値観に令和からマウントすんなよ。

この手の意見が多いことに困惑した。「いまの価値観から見ると違和感がある」みたいなことは想定していなかったので、なぜ大勢がそう受け取ったのかと不思議だった。

「ケガを放置するなんてありえない」という点を「令和の価値観」と受け取ったのかと考えたが、おれの感覚は異なる。例えば沖縄水産高校大野倫投手怪我を押して投げたことで全国的バッシングされたのは1990年のことで、当時からして「怪我人を強行出場させるなど監督失格」という価値観は定着していたであろう(そもそも安西先生本人がそう言ってる)。「令和の価値観批判するな」という人とは、この点の見解が食い違っているのかなと感じた。おれからすると「君らは平成のことがわかってない」となるのだが、まあどっちが正しいか検証必要であろう。

 

b:id:kohakuirono

個人的にあの桜木怪我した状況はいらなかったと思うんだよな。桜木選手生命を失うかもしれない自己犠牲の上に成り立たせた感動の試合みたいな展開にはして欲しく無かったんよ。

半分は同感なのだが、山王戦は感動ポイントもりもりのデラックスパフェで、そこにさらに「怪我を押して強行出場」という沖縄マンゴーを乗せて蜂蜜をかけるようなことをしたため、あれほどのエモーションを生んだことは否定し難い。おれが編集者なら(嫌いな展開だが)桜木怪我は切らない。サービスサービス

 

b:id:Erorious_BIG

安西って谷沢の一件で指導者を実質引退したんだろ。で、公立高校顧問のんびり隠居してたとこにとんでもない才能が現れて、急に昔を思い出してやる気になっただけ。

b:id:crimsonstarroad

安西先生やる気全然ない監督で、流川という才能が入ってきたからやる気出したんだよね。そんでさらまさか赤毛素人が同じくらいの才能持ってた。

この手の意見は同感。

 

b:id:osakana110

安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。”昭和生まれ高校生の頃のの強豪校の運動部ほとんどそんなイメージレギュラー以外無視

ブコメでも描かれているが、海南の高頭監督なんかはかなり選手のことを見ていて、神や宮益といった人をきちんとフックアップして戦力に育成している。こういうバランス感覚のある監督を敵将として配置している一方、自軍大将いびつな才能の悪魔を置いているあたり、井上雄彦面白い点だと思う。作品瑕疵だと言いたいわけではなく、むしろプラス評価をしている。

2022-12-09

anond:20221209224232

エモーションのみの長い駄文、読んでくれてありがとうございます。お返事に、同感できるところと、いくつか出来ないところがあります

一番大きい同感できないことのひとつは、私以外の多くの皆さんも、別に読まずにただ「田嶋になら何を言ってもいい」と思っているわけじゃないと思いますよ、というところです。

私も書いたようにサカオタたちのあいだでは割とあれを読んでへーはーほーふーんと一時期かなり話題にもなっていたので、はてぶで代表ネタでややこしいブクマをする人は知ってる人の方が多そうな気がします。

あとは田嶋さんについて。団体代表としての対世界の実績や顔の広さなどには信頼と実績がありますが、育成や指導経験や実績はあまりほとんど無いので、4年半前のクーデターのことを思い出しながら正直、現場に口出すのまじでやめろくそが、と思っていますさらに言えば「それを実現したらJリーグは立ちいかなくなりますけど?」でおなじみの秋春制の推進者だったり(もうさすがに引っ込めたかなと思うけど…)、もっと昔はドイツ式の「特定クラブ固め打ち」型のA代表を作りたがったりするので…(後述しますが、あの方法はもう現代ではだめなんじゃないかと思っています私は)。

彼を批判的にみるサカオタたちもそういうところでの信頼のおけなさを警戒しているのじゃないかなと思うんだ…。能力のない人だとは全然思わない、むしろ組織オーガナイズするのはとてもうまいと思います

後は細かい所ですが…、あのレポートが出たのはつい最近ですが、ああいう方向でまとめようとしているのはもう何年も前からのことです。そもそもショートカウンターという方向性があっての森保さんだったり(クビになったけどテグさんだったり)関塚さんだったり反町さんだったり、というスタッフ人選なのかと。夏に出たところだからからなくて当然、というのは、「上に立つ人」へ向ける視線スケジュール感としては少し甘い見立てかなと思います

>例えばドイツスペインの様なユニット毎に固定チームから選手を連れて来れない以上

私は実は、ドイツ代表いまいち調子が出てない状態が続いてるのはこの「特定チーム固め打ち」があだになってる説をひそかに友人たちとは話していますバイエルンに寄せすぎて進化ができなくなっているのでは、という疑惑です。

スペインは「固め打ち」というよりもラ・リーガが2強(最近は3~4強?)が故の必然で、ドイツとは成り立ちがちょっと違いますが、2強のそれぞれが極端に個性が異なるのに代表になるときゃっきゃとティキタカを始めるわけです。そういう風に日本も「俺たちがひとたび集まればこんな感じだよな」という風になりたいわけですが(やるのはティキタカじゃなくていいと思うけど)そういう気配がしないんですよ…。

南米の国も苦労しているとお書きですが、その苦労は、「それだけやっても勝てない苦労」であって「サッカーインテリジェンスが得られない苦労」ではないんじゃないかなと思います。むしろ基本的サッカーインテリジェンスと、それぞれのお国柄を反映したような戦術スタイルは、大体どの国もむしろ欧州より強烈に持っている。南米の国はどこも、どちらかというとインテリジェンスという頭の良さそうな言葉よりも「サッカーインテリジェンス戦術が強く結びつきすぎているというか、要するにお国柄による業のようなもの」という形容の方が合う気もしますが笑。

ブラジル代表世界から集結するけど、どの顔ぶれが集まっても、なんて鮮やかにパスをつなげるのか…と思うでしょう?そういうのを実現するための大事なことが「インテリジェンス基本的約束事」だと私は思っています

最後反町さんですが、相手の弱点を突くカウンターサッカー以外のサッカーを作り上げて勝ったところを私は目撃したことがないので「反さん、勉強して理解できたことと実現できることは全然違うんじゃよ…」と思っています。まぁ、岡田メソッドをまとめた岡ちゃん監督が「わかると作り上げるは違う型監督」の筆頭ではありますが。

そういう意味でも、「サッカーインテリジェンス」を日本に植え付けるためのメソッドの無さは、もうずいぶん前(ジーコも困っていたしオシムさんも言ってたからもう20年ぐらい前)から言われていて、まだ影も形もないよな、というものだと私は思っているのです。岡ちゃんが、海外プレー経験が長い選手監督になるのを待つしかいかも、と言うのはそのあたりでもあろうかと。

2022-11-14

「天気の子」をアマプラで見たけど、会話劇が滑り気味というか、キャラクター性と台詞テンプレの枠を出ていないという感じがして、あまり自分には刺さらなかった。裏読みをする必要がない、後で思い返す要素がないという点では、スッキリ見られて良いのかもしれない。子どもの頃に見たら、印象的な美しいシーンやエモーションがある…気もする。若者子どもが見るのに向いているという点で、ターゲット層はしっかりしていると言えるか。

2022-09-25

anond:20220925122448

エモーションが極めて優勢で思考が全部それに持ってかれるタイプの人っているよなあ。ツイートの人はそういう感じだ。これはこれで何らか環境適応的だったんだろうと思われるが、それはどういう環境だったんだろうな。

2022-04-14

増田♂51歳の日常

「オートエモーションコンバート増田♂51歳の日常(o´・ω・`o)』ちゃんボード」が欲しくなってる

原発礼賛の後に律儀で果敢で痛切にもその主張を撤回して発表した某SF作家(知ってる限りそんなことわざわざしたメジャーSF作家は他におらん…)がワシが中高生の頃に発表してた作品に、顔文字じみた画像ディスプレーに表示することでしか表情の表現ができない登場人物事情があって身体カプセルみたいな筐体に収められている)が出てくるのがあってなんかそれも想い出しました

2022-02-07

anond:20220207024604

改めてその内容について言うなら、

実際その論理的能力を活かして世の中に貢献するほど

頭がいいわけではなさそうなので

少なくともこの部分については何の根拠もない言い掛かりで、どちらかというと「反出生とかごちゃごちゃ言ってる連中はこういう人間であって欲しい」という増田の願望に過ぎないよね。

単に、気に入らない!ムカつく!という感情の話でありさらには「ロジックとかごちゃごちゃ言うな」が増田自身の主張であるにも関わらず、「頭がいいのかもしれないけどどうせ社会の役に立ってないんだから無駄」という「ロジック」を作り出して否定材料としてしまうのは大いに矛盾だろう。「ロジックではなくエモーション」が主張なんだったら徹頭徹尾感情だけで話をしないと矛盾してしまう。

そして、なぜこのようにどうしようもない矛盾が起こってしまうのかというと、それはやはり根本的にこの社会感情だけでは成立し得ないからなんだと思うね。論理必要論理必要とする限り不都合論理を弄する人間は出てくる。この二律背反を解消するには文明レベルを下げて必要となる論理性の水準を落とすしかないんじゃないの?というのが俺が言っていた話。

anond:20220207013510

何かをやるのをめんどくせーと感じるのはエモーションが減ってる状態

モチベーションの元になるエモーションを育てるんだ

anond:20220207013250

エモーションに従うと「子育て時間注ぎ込んで仕事選択自由にできなくなって色々と”うまくやる”ことを求められるようになるの面倒くせー」ということになっちゃう。

anond:20220207011621

生物として正しい価値観に従うのだとすると、適者生存環境に合わなかったり確率的に遺伝子がしょぼかったりする個体はどんどん死んでいくことも是としないといけないんだけど、そこは否定するんだよな。それもまたエモーションと言えばまあそうなのかもだけど。

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