はてなキーワード: 雲隠れとは
※これは読んだ後に「へーそうなん」と言ってほしいだけの話です※
簡単に言うと、文豪を元ネタとしたアニメ、漫画、小説、ゲーム、ドラマ、等々の二次創作(イラスト、漫画、小説、動画、等々)はタレント、アイドル、声優、スポーツ選手、等々の二次創作であるナマモノと同じ扱いなのか、という話。
これまで私は少年漫画やアニメオリジナル作品の二次創作の小説を書いてきた。
だからその「文豪を元ネタとした某ジャンル」にハマるのも同じノリだった。
私は元々国語が得意で近代文学もそこそこ読んでて推し作家がいた。
そう、ジャンルに沼落ちする前から推していた推し作家がいた。三次元のほう。御本尊のほう。
で、推しが出ている漫画やゲーム、私が知っているだけで四つあるんだけど、そのうちの一つにハマった。ハマった、というのは、二次創作を書いた、ということ。
推しは教科書に作品が載ってたり載ってなかったりな準メジャーくらいの文豪。一般人でも名前と作品名が出てくるかも、くらいの文豪。
そのジャンルは準メジャーくらいかな?特別有名ではないかも。ファン人口も多いとは言えないと思う。
それでも「二次元キャラ愛」と「三次元御本尊&作品リスペクト」でバランス取ってるジャンルだと思う。ジャンル公式もファンも。少人数で色濃く、といった感じ。
ジャンル公式と三次元御本尊関係施設がコラボすることもある。記念館の来場者数が前年の何倍、と小さく新聞に載る程度の影響力。
あと「ギャー!!!」案件もあったが、割愛。偉人ものとメリット・デメリットは似たようなもの。それでもしもいつかデメリットに振り切れちゃってジャンル公式が終了しても、理由には納得できるし仕方ない、と私は思える。そういう付き合い方。そういう、ジャンルとの距離感。
で、二次創作をしたわけだが。
当然三次元に興味ある一般人の目に触れないように検索避けしようと、他ジャンルと同じレベルの危機感は普通にある。腐った話はぷらいべったーやふせったーを使うとか。鍵かけた裏垢使うとか。まあTwitterやpixivは検索避けガバガバだから完全雲隠れとはいかないけどな!それでも投稿者としてできる努力はしていたつもりだ。
結構Twitterで、公式の話もするし、非公式妄想の話もするし、ジャンルとは関係ない三次元御本尊関連の話をする、って人はいる。
というか、私がそうだ。二次元キャラを愛でる同志に会いたかったし、三次元御本尊のことも布教したかった。勿論検索避けしてな。あだ名使うとか。
それで、たまにRTで回ってくるわけだよ。御本尊の遺族の方がご存命なので腐は隠れてね、って注意ツイート。
その度に横目でスルーしていた。
一つは、そもそも腐は隠れるものっていにしえの教えを疑いなくずっとずっと守っていたから。二次創作をやるものとして、守るべき暗黙のルールは守っているつもりだった。
もう一つは、文豪を元ネタとした一次創作(文壇創作と呼称するらしい)ではなく、あくまで二次元キャラの二次創作であるから。二次元作品のファンとして作品を全力で楽しむ権利は公式・他者に迷惑にならない程度のことは、同じものを好きな人だとしても邪魔されたくなかった。
まあ部外者から見たら一緒だと思われるかもしれないが、それこそぷらいべったーとかふせったーとかpixivとかTwitter鍵垢とか、一般人には見つけにくい方法をとっていたつもりだ。完全とは言えないだろうけど、努力はした。
私は他人はわりにどうでもいいので、大っぴらにTwitterでやばい妄想ツイートしている人に凸るなんて面倒くさいことはしない。ただ自分が守っていれば燃えることはない、と思っていた。
それが、急に弱気になった。
全然関係ない、ナマモノ二次創作暗黙ルールの話がTLに流れてきたときだった。
文豪ものは、二次元化を挟んだとしても、御本尊とかけ離れていようがいまいが、ナマモノ扱いで、ナマモノルールを適用したほうがいいのでは、と急に思った。
私はナマモノを通ったことがない。リアルが地雷なので2.5次元を履修したことがない。舞台もミュージカルも観に行っことがないし、声優は聞き分けができないので興味が持てないし、ドラマも観ないし、流行りの芸能人にも興味がない。
でも、なら何故文豪に興味を持ったのか。
蛇足だけど、明治150周年をしたわけで、戦前の人はもう私にとっては歴史上の人物なのだ。おだのぶながもなつめそうせきも歴史上の人物という広義の中の一人なのだ。
推し(御本尊のこと)が生まれて100年過ぎて、推しが亡くなって50年はとっくに過ぎた。戦前没だし。
遠い、遠い、教科書に載っている人たちなのだ。テレビに出ている人たちと同じとは思えない。かつて存在していたらしい、という伝説上の人物なのだ。
まあ私が生まれる前年まで生きていた文豪も、私が生まれて翌年まで生きていた文豪もいるが。物心ついたときにはもう「文豪」はご存命ではなかったのではないだろうか。
特に私にとっては、推しは没後50年も70年も過ぎていて、著作権は切れていて、死後評価かつご家族は文学に明るくなかったから、遺族が〜と言われても私には他人事に思えるのだ、正直に言うと。推しの権利まわりのことで何か用事があったらどこに話がいくのだろう。私には分からない。きっと日本のどこかにいらっしゃる遺族の方を探すところから始めるのだろうと思う。
話を戻すが、私が急に今ジャンルで二次創作を発表するのがこわくなった理由は、御本尊の関係者に二次創作を読まれてしまうことではない。
文豪ものは隠れなきゃいけないとルールを押し付けてくる某がいるかもしれない、という被害妄想で、こわいと思った。
いや黙って隠れろよ!
そのとおりなのだが。
直接言われたわけでもないし、ただ見かけた対岸の火事を自分のことのように被害妄想しただけで、ジャンルに何か転換期があったわけでも、フォロワー間トラブルがあったわけでもないのだが。
二次創作の中でも更なる特殊なルールがあるらしいナマモノ・半ナマと同じレベルで隠れるべきジャンルなのだろうか。
なのかもしれない。ならば、私は、それなりに、もっと深くまで潜るまで。なのだが、甘かった頃の自分をほじくり返されて、今まではこうだっただろう!と突きつけられたら、私はどうすることもできない。それがただただこわいのだ。
ただ、二次元キャラとなった推しも、三次元御本尊の推しも、自分で愛でて、同じファンと愛でて、たくさんの人に愛されてほしいと願っただけなのに。
追記
干物ジャンル。なるほど。さらっとぐぐった。やはりナマモノからの派生扱いなのか〜と。
マスコミも世論もすぐに関心を失ってこの話題も終わりになるやろって考えていたと思うんだよね。
春のオープン戦で対戦大学が全て中止にされた時点で、もっと踏み込んだ責任を取る必要がでてきた。
田中組長からは、「おい内田、お前がなんとかしろ」 とか言われたんでしょう。
内田監督の立場でできる最大限の責任の取り方として辞任を選んだ時は、
「責任とって辞任できる俺、かっこよくね?」と自分に酔っていたようです。
この時点では、1年くらい井上を監督にして、すぐに監督に戻ろうとか考えていたのかもしれません。
内田監督は過去にも辞任後、1年で復帰したことがありますので。
内田辞任で一件落着と思いきや、
切り札の辞任が台無しとなり、しかも、井上の名前まで出てしまったせいで、
その結果、これまでの「全ての責任は俺にある」というスタンスから、「ホントは井上が全部悪い」にかわって
俺も詳しいわけじゃないが、ググった限りだと教育基本法とか中確法とかで決まってるらしいよ。
まあ逮捕されないところを見ると即違法じゃないんだろうけど、法律の精神は守るべきだよな国会議員なんだから。
問い合わせの形を取りさえすれば何言ってもいいってなったら、この法律の意味ないでしょ。
・メールの文面が陰湿すぎて、とても「問い合わせしただけ」なんてレベルじゃない。
そのくせ本人は問い合わせただけですしーとか言い訳してて潔くない。
増田はあの文面読んで「純粋な問い合わせで、圧力なんて一片もない」って本気で思ったの?
・地方の一講演への反応としては激しすぎて、ぶっちゃけ前川が安倍批判してたから報復だろと思われている。
・そもそも森友の件で政権の圧力や官僚の忖度が疑われてる状況だから、これもその一環かと思われている。
・もう片方の議員は騒ぎになったとたん雲隠れして昨日ようやく会見。しかし質疑には応じないという情けなさ。
3.前川側の非が明確でない
・天下りはWikipedia読んでも詳細がよく分からん。結局前川が主導したわけではない?
・おっさんが風俗行こうがどうでもいいし、別に女子高生とセックスしたわけじゃないなら勝手にすればいい。
・一回講演しただけの事だし、講演の内容も無難な人生論とかだったとのこと。
ネトウヨは今度は「前川は普段から安倍批判してたから呼ぶのは政治的中立に反する」という論法使ってるみたいだけど、講演内容が偏ってないなら無理筋だよなあ。
前回の記事
1/20にこれ。
ブログ読みました。丁寧な分析とご意見、野村某よりもよっぽど誠実だと感動しています。もちろん私も反論(ばかりでもありません)すべきなのですが、今は所用で時間が取れず、勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。真面目に書いて揶揄は避けるつもりです。 https://t.co/V7KXv5B9Zh— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年1月19日
んで2/1にこれ。
ここしばらく体調を崩して貴兄へのご返答が遅れている間に、場外乱闘のような体を為しておりますが、近々、まとまった時間が取れそうなので、一連の流れも含めてご返事差し上げます。お待ちいただいているのに遅れまして申し訳ありません。 https://t.co/GfclppwTbF— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年2月1日
で、今日。3月6日。一ヶ月経っても結局なんもなかったという話です。
別に批判も反論も自由だから返事返ってこないのは良いんだけどさ、
まあ、個人的に感じるのは「その程度の覚悟だったのかな」ってことで。
当然バイアスはかかってる上での発言ですけど、演劇人大体「もう皆けんちんさんの理論が破綻してる事くらい知ってるよ~」みたいな意見しか聞かなかったんですよね。
好意的に引用・紹介してるのが、薙野信喜さん以外は自分の視点からは確認が出来なかった。
薙野さん、よかったらこれからもけんちん君と仲良くしてあげてね。
ご自分で「勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。」って言ってくれたのに
その後何の反応もなかった。残念です。
各団体とか演劇人が音沙汰ない事に対してスゲー鬼の首取ったかのように怒ってたのになぁ。
個人的な感想ですけど、結局、九州演劇腐ってるおじさんは界隈を変えたい!っていうより
ポリコレを振り回すのが楽しかっただけなのかなーっていう思いです。
ご本人が
とか
みたいな事を仰っていたので
きっと、きちんと理論立ったセクシャルハラスメントの実情とか実名込みの裏事情だとか
主語を拡大しないきちんとした批判とかをしてくれるのだろう、と楽しみにしてたんですけどね。
たまに更新される日記とtwitterからはソシャゲとアニメでウッキウキしてる様子しか伝わってこなかったですね、残念。
マギレコが楽しそうで何よりです。
結果的に、「僕の知り合いの演劇人は~」と業界人ぶってみても、
現実を見つめてみれば何者にもなれない悲しいおじさんが一人ネットの片隅で、
気が向いたときだけ「九州の演劇界は腐ってる!」って駄文を投稿するだけだった、という。
でもってこの騒動に関しては(多分)終わりです。もう書く事ないもん。
けんちん・Fさんという人物がいまして。
彼はmixiを中心に、様々な映画や作品の論評を投稿しており、
その切り口は身内同士でズブズブになっている九州・福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、
どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。
彼がどのくらい影響力があるのかはちょっと分からないのですが、このまま福岡演劇界のご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、
<はじめに>
私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います。
但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから) というスタンスです。
人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。
<目的>
1.昨今のけんちん・F氏の文章が論理的でない事を広く知っていただくこと
3.彼の文章が今後理論的になり、もとのキレのよい論評をしていただく事
達成できるかどうかは別ですが、この3つを目的に書いていきたいと思います。
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964252256
②あなたが本当に「演劇人」なら、市原幹也を救おうとはしないはずである
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964295122
③今そこにいる、一万人の市原幹也
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964416782
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964577327
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964600688
⑥不透明さを増す市原幹也と、藤原ちから、野村政之らの卑劣な印象操作
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964756079
記事数は多いですが、出来れば正確さのためにきちんと目を通していただければ、と思います。
<問題点>
さて、早速問題点ですがけんちん・F氏の文章、大まかに分類すると3つの問題点があると思います。
1.事実と推論を分けておらず、非常に読みにくく、推論を事実とすり替え、さらに理論を展開する
3.自論に対して反論する人に対し「擁護するから反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない
それぞれ見て行こうと思います。
「AということはBなのではないか、BということはCなのではないか、Cは問題だからAは非常に問題だ!」という推論に推論が重なった故の結論が、ソース不在の論理性に欠けるものが多い。
例ア
一応と言うか、市原氏は、2013年をもって、アイアンシアターの芸術監督を解任されてはいる。のこされ劇場≡の活動もそこで中断し、実質、解散状態にあるようだ。
当時はその理由が不透明だったが、こうした事件が発覚してみると、「そこでも何かやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない。劇団員に手を付けたか、
ワークショップの参加者に手を付けたか、そんなところだろう。彼の不始末のせいで、枝光演劇フェスティバルが開催不能になり、枝光から演劇の火が消えてしまったことは残念だが、
事情が事情なら仕方がない。 でももし本当に私の憶測が正しければ、枝光商店街はその時点で、彼の解任理由をきちんと発表すべきだっただろう。そうすれば、その後、
<以上引用>
要約するとこうなります。
2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態(事実)
↓
「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論)
↓
↓
彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし)
↓
憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論)
2013年の解任と解散は事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述、
有名な言葉がここにあります。「なんかそういうデータあるんですか?」
「枝光演劇フェスティバルは市原氏の不始末で開催不能になった」
推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。
例イ
自主的に引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。
つまりそれだけ日本の演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本の演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。
<以上引用>
↓
周囲も許しそうだよね(推論)
↓
それだけ日本の演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論)
はっきり言ってウケる。脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ。
例ウ
逆に言えば、なぜ市原幹也は別の道を選ばず、また彼の仲間もそれを勧めないのか、ということなのだ。市原だけでなく、彼の周囲の人間も、演劇を愛してはいない。
演劇に対する愛があったのなら、とっくの昔に、彼を制止していたはずだ。
<以上引用>
↓
↓
データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分が部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に「悪い噂は流れてはいたようだ」とか書いてんだから
同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。
あと、文章③において
<引用>
彼は、市原の舞台に出演していた当時、既に、「ウワサ」は聞いていたようである。けれども、面倒ごとに関わるのは嫌だと、市原に意見することを控えてしまった。
そのことが、次の被害者を生んでしまったと気づいて、今、深く責任を感じてしまっているのだ。いじめの現場を目撃していながら見て見ぬふりをして、その結果、被害者が自殺をしてしまった、
そのことを悔いるような心境になっているのだろう。もともと心が弱い方であるから、このショックは相当にキツかったと思われる。
<以上引用>
一個前の論理で行くとこの人完全に「別の道を勧めなかった周囲の人間」に入るわけで「演劇を愛してはいない人」になるわけですけど。
知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。
例エ
野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを
「公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、
市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!
「死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、
たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。
<以上引用>
この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば
野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実としましょう)
↓
まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想)
↓
野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!(事実のように記述)
↓
野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論)
ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど「死ぬな」って言ってないしね。「死ぬな」の意味合いも違うしね。
例オ
いつでもどこででも、これだけ派手にやらかし続けていれば、福岡の演劇人が、あるいは市原と関係があった人々が、「知らなかった」人間ばかりのはずはない。
なのに彼らの殆どが、自分はセクハラ行為とは無関係だと強調するか、全くの沈黙を守り続けるかのどちらかしかしないのがどうにも解せないのだ。
前回の日記にも書いたように、市原のセクハラを知りつつ看過したことを恥じて自らを責めたのは、私の知人一人だけである。
他の「知ってたやつら」は、今どこで、何をしてるんだよ。 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはずなのだ。
市原はその人物の名前を明かしてはいないし、本人が名乗り出て謝罪する気配もない。市原同様の行為に及んでいながら、今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、
福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。
<以上引用>
市原と関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)
↓
↓
中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)
↓
今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論)
一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。
<問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈とレッテル張りを行う>
彼の文章はよく「個人の問題」が「福岡・九州演劇の問題」に主語が大きくなっているように感じます(感想)
「福岡・九州演劇界は腐ってる!」という意識が根底に根付いているのでしょうか(推論)
例カ
自主的に引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。
つまりそれだけ日本の演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本の演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。
<以上引用>
さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。
一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界も迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、「米映画界はクソだ」くらい言ってもいいんだよ?
例キ
それどころか、事件発覚から十日余りが過ぎて、事態は早くも風化しつつあるような印象である。 いやホント、Twitterをずっと追いかけてみても、九州の演劇人の間でも、ろくに話題になっちゃいないのである。
2ちゃんねるでちょっと取り上げられて、あと何人かがブログで「市原擁護」としか取れないような文章を書いている程度。何だよ、それ。 ジャーナリストの江川紹子さんが、セクハラ告発が相次ぐ世界の情勢を俯瞰しながら、
市原についても触れた文章を綴っているのは非常に貴重だが、それくらいだ。
<以上引用>
個人個人が発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ?
身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。
自分が知ってる演劇人が発言しないからって、責任を演劇界・演劇人全員に持ってこないでくれる?
例ク
九州の演劇人たちが、沈黙するか、あるいは市原擁護に回った理由はそこにあるのだろう。 やはり「同じ穴の狢」を追及することができないでいるのだ。
指導と称して、セクハラ、パワハラが当たり前の世界に堕してしまっているのだ。もしかしたら、九州の演劇界だけでなく、全国的に。
<以上引用>
目の肥えた読者さんなら「あ、推論が置き換わってる」と感じ取れたかと思います。
どの世界にも、同様の問題はあるだろう。けれども演劇界は特に腐っている。仮に日本の演劇人が全部で二万人いるとしよう。
そのうちの半分が加害者で、半分が被害者になる。そう考えてもらった方がいいくらい、どいつもこいつも腐っているのだ。
<以上引用>
「なんかそういうデータあるんですか?」
君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベルを日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った?
主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため
個人的に「明らかにデカすぎない?」と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。
その2に続きます。
セクハラの奴さ
そもそも、調査重ねてんのにこっちのタイミングで発表できなかったって告発者ぜんぜん守れてないじゃない
今回の岸はクレバーだから、先に謝って2ヶ月雲隠れして後は無かったことにって態度ですんだけどさ・・・ってアホかー!逃げられとるやないかいー!
思わず画面に突っ込んで突き指してもうたやないかー!びっくりして身長下がるわー!猟銃ぶっぱなしてくるタイプのセクハラ野郎だったら、はあちゃうの土手っ腹に穴空いとるとこじゃー!
まあ、はあちゅうは馬鹿な女だよ。知り合いの首席の女の子思い出したよ。褒められたいが行動原理なタイプね。だから、自分に都合がいいし、都合が悪そうな話は話半分で聞く、でも褒めてほしいから聞いたふりはする。そういうやつでしょ?
でさ、そういう女の子をメインに出すんだったらしっかりスポークスマンたてたり、本人にロジックで説得しなきゃいけない。でもしてない。だから、あんなことになる。
正直さ、あのメンヘラ女に頼られて嬉しかったんだろ?それで本当はどうでもいいmetooなんか利用して、公開リンチに及んだんだろ?もうわかりやすいったら無いんだよ。だから未だにMeeTooとはあちゅう紐付けてんだろ?
はあちゅうを守らなきゃが先でMeeTooなんて流行っても流行らなくてもいいでしょ?流行ってBuzzFeedの名前が売れたら嬉しいくらいで。
でもはっきり言うが、お前らには、はあちゅうは守れなかった。守れないじゃなくて守れなかった。岸は社会的制裁を浴びたようで実は野放しで、はあちゅうはディスられ続けてる。自分らの売りの記事で守ろうとしてもできてない。なんとか童貞が悪いって陽動してるけど。それだって悪手だ。俺の友達のアセクシャルは傷ついた自分が悪いかのように言ってたよ、素直に応援できないって。お前らのやったことはそういうことなんだよ。これが映画だったらドナルド・サザーランドに「想像する中で最悪の結末だ」って言わせて拳銃自殺させるね。アカデミー賞後味悪い部門受賞してるよ。
わかんねえだろ?どうせ本当は人権なんかどーでもいいんだろ?
数ヶ月の取材も本人への質問状なんて、やっちゃいけないことの五本指に入りそうなことやって、まんまと逃げられてんじゃねーか。ボケが。
女にいいとこ見せようと思ったんだろ?
それが、この結末なんだよ。
言っておくがな、お前らのはあちゅうに対する見方は、結局、岸のと変わんねーからな。気弱な頭の弱い女をどうするかでしかない。お前らに与えるメリットが岸とは違ったから、岸とは違って見栄えのいいことをやったけど、はあちゅうに女としての価値しか見いだせなかったらあんたらもセクハラしてたぜ。
どっちみちどうしようもないのは確かだが、本当にジェンダーを大事に思うなら後者を選んで欲しい
まともなメディアなんだろ?頼むよ
熾烈な就職活動をおえてやっと入った一流企業なのに有名上司にセクハラ・パワハラされてそこから逃げるには会社辞めるしかないってケースと(しかもやめてからもネチネチ嫌がらせされてたのに)
その気になれば遮断できるネットでのつぶやきやブログでの童貞弄り(しかも君らへの私生活へ影響することは皆無)
これをほぼ同等のセクハラとみなしてはどっちもどっちだよねなんていっている輩が予想以上に多くてドン引きしてる。。。
きみらどんだけ童貞をこじらせているんだ。
あれか、生活保護世帯は誰もが認める清い貧民じゃないとバッシングしてる連中と同等か?きみら日頃はそういう連中をさげすんでなかったかい???
相手の男なんてネットでの発信をすべて削除してさっさと雲隠れに徹しているぞ。そして早くもネットでははあちゅう叩きのほうが白熱してる。
結局万人に納得してもらえる謝罪なんて皆無だから、そんなことして炎上させるより余計なこといわないで雲隠れに徹してるセクハラ電通マンのほうが賢いよね。
高校教師になって半年が経った、そして日常が灰色で意味なし興味も惹かない無味乾燥なものに思えた。
もともと、教師に憧れはなかったが、私は民間企業には向かないと思ったし自分の希望を叶えられそうだったので教師を志望してみた。自分の希望とは端的に「上からガミガミ言われないこと」「周りの視線にビクビクしないこと」「面白いものを面白いといえ、つまらないものには無関心でいられること」「知ることが好き、考えることが好きなのでそれを伸ばしたい」ってあたりだった。
それで、採用試験を受けてみたら受かった。採用試験を受けるにあたり、試験官が喜びそうな教師志願者像を演じているうちにまるで本当に教師の仕事がやりがいのあるヒトみたいになっていった。
実際に働いてみると、私が新人なのもあってか夏休み前はプレッシャーも労働時間もそれほどブラックではなかった(定時には帰れないが)。仕事をして収まるところに収まったという喜び、生徒とやり取りする喜び、給料をもらう喜び、とにかく何もかもが新しく、一つ一つのタスクをこなしていくことに喜びを感じた。そして、採用試験で作り上げた教師志望者という虚像を演じてることさえ気づかなかった。
夏休みは平和そのものだった。ただ、何度やっても追試を乗り越えることの出来ない生徒や炎天下でも盆休みも休みなく動き続ける運動部連中を見るのが不快だった。無意味な校則を破る無意味な学生に付き合わされることに吐き気を催すほどの嫌悪感を感じた。なんだか、夏休みですべてがリセットされた気がする。仕事を始めてそれなりに責務を全うしようという気持ちが失せた。
もともと、良い教師になろうという気持ちは毛頭なかったが、いまはただ仕事の時間が穏便に過ぎさえすれば良いと思うようになった。正直、生徒にも人間にも興味が持てない。授業の準備で定時を超えそうなら、切り上げて授業の質を落とすことにした。義務として求められること以上は一切しないことにした。部活の引率が一番馬鹿らしい、引率はするにしても一々試合には立ち会わず試合会場では雲隠れすることにした。
そして辛いことは、同僚が真面目すぎることだ。どうして彼らは楽をすることを考えないのだろうか。そんな連中の中にいると肩身が狭いし、もはや生徒に興味がもてないという本音も口にすることができず孤独感とイライラだけが溜まっていく。
仕事が何もかもバカらしく感じる。だが、給料はほしいので辞める勇気もない。辞めてもやりたい仕事はない。
仕事以外にはやりたいことが、ある。家に帰って一人の時間が一番よい。だけど、教師って24時間死ぬまで働けってオーラを感じる。そんな息苦しい雰囲気がいやだ。すまんが、生徒より自分優先で仕事させてもらう。これからも自分が自由で居られるのか不安なんだ。
それでも進撃の巨人のアニメシンフォニアや今回の件も主催者側が雲隠れを決め込んでいるのが余計アマチュアの可能性を減らしていると思います。まさに記載の通りドラクエオケは、ここ数年のアマチュアの心無い行為。
楽譜の無許可コピーや許諾を取らない公演、JASRACへの未登録などのせいですぎやまこういちの事務所は楽譜のレンタルをやめました。本家が楽譜のレンタルをやめるという事は、その曲は演奏できないという事。
いや、耳コピしたりとか編曲すればできるじゃんという話がありますが著作権の管理元がそこに許諾を行わないはず。管理元がノーといえばファンであろうと、親族であろうと使用許可だせないのが音楽の著作権及び隣接権。もしくは同一保持権。
マナーの悪いアマチュアと一絡げに括られてしまうわけです。願わくばマナーを守らない強行した人たちに何かしらの罰則がある事を祈るばかりです。
夜勤明けで朝に帰ると、大学院生のときはこの時間でも作業してたんだなと思い出す。
なのにも関わらず
・授業の手伝い(無給)
授業の手伝いやゼミ資料はとりあえず時間かければ終わるからまだいい。
共同研究も、出向先で企業の方には色々と言われるが研究室のボスが居ないので自分にとっては精神的に楽。
出ないので、仕方が無く実家にかける。
ようやく返事が来て、学校へ来ると。
そして怒られるのは私。
また仕方なく電話をかけると、電話は受け取らずにメールでやりとり。
最終的に「研究室がストレスになるのでなるべく家で研究します」と。
これ以上一体俺にどうしろと。
クリスマスの日は、卒論生が学校に来ないのは私の指導の仕方が悪いだの、言い方が淡白すぎて無感情だからとかいう指摘を小一時間頂いた後、修論書くんなら当然まとめたものを投稿論文にしないと、修士論文は受理してあげるけど修了は認めないからと、冗談とも本気とも取れない顔で言われた。
色々反論はしたが聞き入れられず。
理詰めで抵抗しても、最後は結局
・社会人になったらやりたくないことでもやらなきゃならないんだよ?
・社会人になったら、仕事しない後輩持つことだってあるよ?その練習だからさ
まあ、歳が倍以上違う妙齢のボスに言葉で勝てるはずも無く、結局最後まで面倒を見た。
修士2年全体で行う合同ゼミにて、隣の研究を全くしない研究室のゼミ発表に
変な噛み付き方をして、そこのマスターの学生から若干苦情が来た。
更に、研究室内での言動もやや荒くなっていたらしい。
卒業のときの飲み会で「先輩、あの時猛禽類みたいな目してたんで絶対話しかけらんなかったですよ」と言われた。
更に、先程の噛み付きから、専攻内で噂になり、俺がとんでもない人格の人間であると広められたようだ。
噂が広まった結果、当然ボスにこってり怒られた。
まあ、それに関しては私に落ち度があるので仕方ないか。
つきっきりで面倒は見てあげたが、取り組むのが遅すぎた。
卒論はこの内容を発表した。
他の厳しい人の記事とかを見ると
この面倒を見るのさえ甘いという指摘がチラホラ。
「真面目に取り組まない奴はどんどん留年させればよい」というやや過激な記事も多い。
今は社会人となり、ボスの言うこともあながち間違いではなかったとは思う。
社会人は厳しい。
当たり前だが、学生と違い、成果は当然出さなければならず、頑張ったけどできませんでしたは通らない。
進捗も結果を論文にまとめるだけという甘いものではなく、逐一毎日詳細を報告するである。
研究室の理不尽に比べると、社会の厳しさの方が全くストレスを感じない。
今思えることは、会社は自分の将来を縛るが、研究室は自分の生活を縛っていたなということ。
当然だが研究には終わりはない。
どこからどこまでというさじ加減は研究室のボスが決めるのである。
一番上のさじ加減が狂っていると、ラボのメンバーは成果を出そうが出すまいが常に拘束され続ける。
夜中に論文の日本語の添削を要求されたり、休日にいきなりラボに呼ばれて留学生の相手をさせられたりもする。
自分がした実験の結果を勝手に使われた論文に、共著者にすらして貰えないこともある。
そしてそれを咎める者が誰も居ない。
最もおかしいのが、それが常習化しており、誰も疑問に思っていないことである。
研究者というのは、これに耐えてでも研究をしたいというのだから
総括すると
私は研究室に、あるいは研究に向いている人間ではなかったということ。
社会の方には、無難に仕事が出来るぐらいには向いている人間であったということ。
そして、大多数の人は、後者だということ。
研究室の全てが私の過ごした研究室のようだったとは言いませんが
ある程度の規模の研究室だと、私のような経験をされた方が必ずいるのではないでしょうか。
それ気になる人は当該の記事を見るといい。
江角のやった陰口は許されない行為、とはいえ、その後の一茂妻のやってる事は夫とその父を嵩にした越権行為で
俺にはその昔長嶋三奈と揉めた過去とを照らし合わせたらその本質がよく分かるように思えた。
つまり悪いのは一茂妻と言う訳だ。
確かに江角って傲慢そうな雰囲気が全身漂ってくる位仕切り屋っぽいけど、一茂妻は一般人か何か知らないし
長嶋茂雄という国民栄誉賞が義父である以上、普通はその名誉を傷付けないように務めるものなのに、
聞こえてくる話は何ともきな臭い。
それこそ三奈の件だけならいざ知らず、江角の件でも彼女が台頭するのだから、今回の件どちらが悪いかは明らかだと思う。
性格の悪さが滲み出た集団イジメの構図は、某青学の某元宝塚女優の娘による集団リンチのそれと大差ない。
有名過ぎる上に芸能界での格が高い人というのは、どうも変なのが多い。
今回の一件にしても素人ながらもやってる事は国民栄誉賞であるミスターの尊厳を大いに辱めるものだし
一茂妻は公の場でせめて釈明すべきだと思う。
江角ですら釈明してるのに、一茂妻はこのまま、三奈の時と同様夫一茂に任せて雲隠れするのだとしたら、