マスコミも世論もすぐに関心を失ってこの話題も終わりになるやろって考えていたと思うんだよね。
春のオープン戦で対戦大学が全て中止にされた時点で、もっと踏み込んだ責任を取る必要がでてきた。
田中組長からは、「おい内田、お前がなんとかしろ」 とか言われたんでしょう。
内田監督の立場でできる最大限の責任の取り方として辞任を選んだ時は、
「責任とって辞任できる俺、かっこよくね?」と自分に酔っていたようです。
この時点では、1年くらい井上を監督にして、すぐに監督に戻ろうとか考えていたのかもしれません。
内田監督は過去にも辞任後、1年で復帰したことがありますので。
内田辞任で一件落着と思いきや、
切り札の辞任が台無しとなり、しかも、井上の名前まで出てしまったせいで、
その結果、これまでの「全ての責任は俺にある」というスタンスから、「ホントは井上が全部悪い」にかわって