はてなキーワード: 転勤族とは
誰もがもうなくなればいいのにと思っているPTA。やらなければいけないとしてもその活動内容がわかりにくく、どれぐらいの負担が待ってるのかもわからない。
特に小学校のPTAが一番わかりにくく負担が重いのではなかろうか。やる人と回避しようとする人にはっきり分かれ、不公平感も強くなるのが小学校のPTAではないかという体感である。
春近くになると足音を忍ばせて、PTA関係の手紙や立候補用紙が届くようになる。気が重い季節である。
外から可視化できないのはその学校ごとのPTA組織に活動内容の権限をゆだねられているから。
PTA会長以下本部役員はだいたい1年ごとに入れ替わる学校が多いと思う。引継ぎなどを含め次年度補助役として2年~のところもあると思うが、その1年でPTA活動の内容を把握し、それまでの地域や学校の慣習を鑑みながらPTA活動の内容を大きく刷新するのはあまりに荷が重い。自分が本部役員に選ばれた時のことを想像してみるとその重さが理解できると思う。
PTA活動の主なものとして言えば、例えば運動会。コロナでだいぶ簡略化されておそらく保護者も学校側もほっとしているのではなかろうか。学校活動の中だけだったら先生方だけでもどうにかなるが、保護者を呼んで大々的にやるとどうやっても手が足らなくなる。そこでPTA活動に運動会部のような形で組み込まれる。
例えば登校班。ある学校とない学校があるが、あるところだと班編成、登校指導や見守り、そういう活動がPTA活動に組み込まれる。ないと低学年の保護者によっては自分の子どもを学校まで送っていたりするが、自分に決定権限があるので個人的にはそっちのほうが気が楽である。
その他リサイクル、広報、ベルマーク、給食試食会、講演会への参加、地域活動への参加、本部役員の推薦活動などなど・・・。そういった活動が少なければ少ないほどPTAの活動も少ない。
自分は転勤族なので各地の幼稚園や学校を転々としてきたが、PTA活動の傾向としては
1.なった人に丸投げ(くじ引きやじゃんけんなどで決めるところが多い。文字通りなった人に丸投げでならなかった人はなにもしない)
2.全員積極的参加型(仕事配分を的確にしなければいけないのでみんなが大変 or 有能な人が効率的に配分し洗練された業務化している)
3.全員消極的参加型(一応全員参加の体はとっているが末端の人は年1時間ぐらいの業務しかない)
あなたの学校はどれだろうか。個人的には運動会も登校班もリサイクルもなにもいらないので本当に早くなくなればいいのにと思っている。
一人暮らし十数年のズボラ人間。家事と料理が苦手だ。自分の世話さえやればいいから適当に、というスタンスでいたがYouTubeには丁寧な暮らしだの日々のルーティーンだの動画が溢れている。なんと充実した生活なのか。観ているとさすがにやばいと思い、自分の生活を見直すことにした。以下苦手なこと一覧。
料理はする。嫌いじゃない。でも材料を買ってきても有効利用できない。賞味期限はたいてい切れる。冷凍保存しても使う事はあまりない。その日食べたい料理と翌日食べたい料理が違うせいか作り置きもあまり好きじゃない。栄養バランスはたぶんグラついている。自分では「食べられなくはない」=「美味しい」だが友人にはそれが通用しない時がある。難しい。
・皿を洗うこと
紙皿使えば捨てるだけでいいんだけどそういう事ではない。すぐ洗えばいいのはわかっている。難しい。
・部屋のレイアウトを考えること
基本置いたところが定位置。転勤族のため引越しが多い。異動と共に慌しく引越すためとりあえず置いたが最後そこがその家具の位置になる。動かせばいいのはわかっている。難しい。
・整理整頓すること
チリも積もれば山となる。この言葉通り。紙でも服でも山となる前に分別すりゃいいんだけどすぐ山になる。難しい。
・洗濯すること
基本全部一緒に回す。タオルと服類は分けている。手洗いの服は買わない。ウォッシャブル万歳。洗濯ネットの意味がよくわかってないけどとりあえず入れている。洗濯機の設定もわからない。とりあえず洗濯してくれたらいい。たぶん間違っている。難しい。
・掃除すること
気になったら掃除をする。「気になったら」が厄介。維持ができない。人様が来る時はやる。気になるから。毎年大掃除が怖い。難しい。
難しい事ばっかり。
参加条件は男は大卒or年収550万以上or公務員、女は結婚に前向きであればOK
といったよくありそうな前提であった。
男は30前後が多く、清潔感のある人もいれば男の自分から見ても「ん?」というような人も少なからずいた。
女性は24~31までの幅はあったがやはり30前後の人が多かった。
男10:女10が参加しており、男が女の席を回りながら6分間の会話×10をした後に気になる人に投票を行い(何名でも可能)、
その結果を見た後3位まで順位をつけて再投票しマッチングした男女で街に放り出されるというもの。
なんせ10回も間髪入れずに連続で似たようなことは話していては覚えていられないのである。
その中でも記憶に残っているのは2人いた。
24歳の子はとにかくノリがよく、話が弾んだと思っていた。(過去形)
28歳の子は地味目ではあるが、身なりがよく会話がしっかりできていた。(思い上がり)
他8人も会話はできたし感じは悪くなかったと記憶しており、
ネットでよく見るような初手で職業や年収を聞いてくる人はいなかった。
何人にも投票できるシステムであるから、その5人が男全員に対して投票した可能性もあるが
悪い気はしない。
先の2人からも投票されており、再投票の結果28歳の方とマッチング。
2人で街に放り出され、相手の予定が1時間ほど空いているとのことで喫茶店へ向かうことにした。
ちょうど昼時ということもあり2人の飲み物と軽食を購入し雑談をした。
やれ趣味はなんだ、婚活はどれくらいしているだ、どんな生活を送っているのか、将来的にどんな生活をしたいか等
よく言えば他愛もない、悪く言うと当たり障りのない会話をしていたと思う。
あっという間に時間が過ぎその日はラインを交換し、どうぞよろしくお願いしますといった感じでその日は終えた。
ラインのやりとりをぼちぼりしていくわけだが、1週目は夜に返事が返ってきていたが、
個人的にラインが苦手なものの、なんとかうまい事会話できていたと思っていたが
こちらの思い過しであった。
次はもっと上手くやろう。
婚活って難しい。求ム識者。
特段面白い落ちがないのだが、参加費分くらいのアウトプットはしたいと思う。
お金にはならないけどね。駄文にお付き合いありがとうございました。
【追記】
こういった類のものは1話で完結するのが様式美だと思っているが、
応援から叱責、ポイズンな意見など自分では思っていなかった事を書いてくれて非常に嬉しい。
>>>当たり障りない会話で繋げる、みたいな時点で難しいんだと思う
>>>もっと積極的に誘って、ダメならダメで次に行く覚悟で仕掛けてった方がいいんじゃなかろうか
>>>彼女は、会話では当たり障りのないことしか言えないあなたでも、ラインなら真摯に語ってくれることを期待して
>>>一週間相手をしたが、おおむね、つまらない相手だと理解できたので、関係を終了した。
確かに、何かラインしなきゃの精神でその場しのぎが続いてしまっていたと思う。
>>>だらだらと2週間も他愛も無い話して何してんだお前
>>>ちょっといいかも?程度でも運命の相手だと思って全力で落としにかかるんだよ。
>>>次はマッチしたらすぐにデートの約束してプレゼント持っていけよ、そんでデート中に次のデートの話をしろ
ガツガツしすぎてはやり目かと思われると思ったのですが、それくらいはありですかね
ちなみにですが、当方が転勤族ということもあり理解が得られそうな方に投票しました。
前提は男女で違いますが、あの場は全員互いに対等だと思ってます。
スペック的なことを何一つ書かなかったからか、増田を好意的に受け取ってくれる方が多いのだけど、
絶対直せと突っ込まれるであろうステータスがあり、身長171cmに対して体重75kgとなっております。
あと、人生3回目のモテ期と書いたがそれは幼稚園と小学生の頃の話だよ。
氷河期世代。東京近郊の県に生まれ東京の文化圏の風が吹くところで育った。都心まで電車で1時間の距離だ。
学生時代は東京近郊の県育ちにありがちな東京コンプレックスを抱いていた。
電車まで一時間の距離の壁は大きかった。音楽が好きだったのでライブによく行った。しかしライブに行ったとしてもその余韻を抱いたままは帰れない。
遅い時間帯の酒臭い電車で、疲れたサラリーマンに囲まれて現実に引き戻されながら、一時間の距離を揺られて帰らなければならなかった。
周りも似たようなものだった。皆東京に憧れ、東京をを目指していた。
大学で無事都内の大学に進み、憧れの一人暮らしと東京在住のステータスを手に入れた。
ライブに行っても下手したら歩いて帰れる距離。夜道は明るく、お店は星のように数限りなく、おしゃれな人々は目をひき、どこに行ってもまばゆいばかり。
安下宿でぎりぎりいっぱいの生活をした。お金がなくても行けるイベントのチケットにつぎ込んだ。
私は今やもう東京人だ、と思った。憧れの、東京ならではの文化に塗れた生活。
でも学生だった自分は、ポストに投げ入れられるチラシのマンションの価格や近くに建設されているタワーマンションの豪華さを見て、どういう人たちがこんな高額なマンションを買えるのか不思議で仕方なかった。
どういう職業についたらそんなにお金を稼げるんだろう。きらびやかなマンションの中でどういう生活を送っているのだろう。自分は安い賃貸物件でぎりぎりいっぱいの生活をしているのに。全く想像がつかない。
しかし時はフリーターが人権を得ていた時代でもあったので、ぼーっと世間知らずでろくな就活もしないままフリーターになり、そのままバイトや派遣社員などでつなぎながら音楽とサブカルに浸った生活を続けていた。
結婚したらもれなく転勤がついてきた。夜遊びも体力的にしんどくなってきた頃で、ちゃんとした仕事にもついてなかったのでおとなしく転勤族になった。初めての地方都市。初めての方言。初めての車社会。初めての海と山のある生活。
初めてだらけの生活の中でやがて子どもも生まれ、専業主婦になった。
転勤も数回を経た後にこれ以上異動しなくてよくなったので、その時に住んでいた見も知らぬ土地のあたりに家を構えることにした。
家を探す条件は本州の地方都市であること、治安が悪くないこと、自然災害がひどくないこと、大都市まで電車で1時間以内で行けること、車に乗れなくなってもなんとかなるぐらい電車とバスが発展していること、気候が厳しくないこと、自然が豊かであること。
そこそこの値段の建売住宅を買うことにした。土地も家も安いので頭金を多めに出して、賃貸を借りていたぐらいの家賃を毎月払うぐらいの金額に設定しローンは15年で組んだ。
そんなわけで今のところに住み始めて5年が過ぎた。
生活はほとんど車で移動するようになった。自治会は思ってたより全然負担が少なかった。人々はフレンドリーで穏やか。海も山も近く。家が安かったので車を2台持って使い分けている。
食材は豊富すぎるしおいしいし安い。教育はそこそこ。近くに大きな産業があるので工場も多く、仕事もそういう関係が多い様子。
中小企業、個人事業主も多いのでいい車がいっぱい走ってる。大都市に電車で行けるのでライブとか行こうかなと思って一度行ったけど、もう音がうるさすぎて自分には無理だった。おしゃれで洗練されたショップやレストラン、美術館や博物館、何かのイベントも電車に乗れば手は届かなくないけど、自分の中でもうそんなに熱量を注げなくなっていた。
今住んでいる都市はそこまですごくいいものは少ない。だから誰も何もわざわざ主張しない。する必要もない。高いバッグも洋服もいらない。着ていくところがないから。話題になるスィーツとかレストランもない。
でも普通のご飯がめちゃくちゃ美味しい。休みの日はだいたい車で家族でちょっと遠出する。歴史が古い地域なのでいろいろ見るところがある。何気ない散歩が楽しい。海が見れる。山に登れる。どこに行ってもそんなに混んでない。キャンプ場もたくさんあるし、アウトドアアクティビティも充実している。何より東京に住んでいた頃に比べ、ストレスが桁違いに少ない。
東京23区で3LDK (60m2)くらいのマンションは家賃が20数万円するじゃん。新築分譲マンションだと最低5000万くらいから。
札仙広福レベルの地方都市だともっと安くなる、広くなるのかと思ったらそんなことはない
3LDK (75m2)くらいの都心部マンションで家賃が15〜20万円する。東京じゃないのに!
新築分譲の都心部マンションだと最低4000万くらいする!東京じゃないのに!
札仙広福レベルだと4LDK (100m2)とか5LDK (150m2)とかが15万くらいで借りれるのかと思いきやそんなことはない
先に断っておくと、彼女とは親しくはない。中学を卒業して以来、きちんと会話をしたことはない。フォローを外されていたのを確認して私も彼女のフォローをすぐに外した。その程度の関係性だ。
彼女と私は同じ日に生まれた。私たちは同じ町内に実家があった。にもかかわらず全く違う人生を歩んでいることが面白かった。もしかすると見下している気持ちもあったのかもしれない。だからフォローを許可したし、こちらもフォローしていた。
彼女は生まれてからずっとこの土地にいた。小学校には保育園からの幼馴染がたくさんいた。父親の仕事は詳しく知らないが、母親は歯科で働いていると聞いたことがある。近所では有名なヤンキー両親だった。彼女の親は自分の親の家の敷地内に家を建てており(彼女は積○ハウスで家を建てたと自慢していた)、祖父母、おじおば、いとこたちに囲まれて生活していた。
一方の私は転勤族で小学校に上がると同時にこの土地に引っ越してきた。幼馴染などはおらず、親戚も県内にはいなかった。父はブルーカラーとホワイトカラーの間のような仕事をしていて(一応大企業の子会社で働いていた)、母は専業主婦だった。
私は小学校のあいだ、標準語であったこと、母親が働いていなかったことを理由にいじめられた。喋り方が気持ち悪いと言われた。祖父母に百貨店で買ってもらったランドセルに足跡をつけられ、水をかけられた。ピンポンダッシュをされた。遊ぶときにはいつもみんなに置いて行かれた。
同じ誕生日の彼女の方がこの土地ではスタンダードだった。彼女の周りには人がたくさんいて、私はひとりだった。近所に住んでいたため、下校のときは本当に惨めだった。みんなで楽しそうに学童に向かう中、私はひとりで家に帰っていた。
中学校に入ってから転機が訪れた。私は定期考査で学年1位を取りまくった。部活動でも表彰された。学級委員も生徒会も推薦された。先生からも生徒からも期待され、信頼されていたのを実感できた。常に私は同級生に、私の親は同級生の親に羨ましがられた。認められた、シンプルにいじめられなくなった。
一方彼女は成績が芳しくなく、態度も良くなかったため、常に先生たちから怒られていた記憶がある。部活動にも入っていなかったため、小学生のころほど大きなグループは形成できていなかった。
最終的に私は地元で最も偏差値が高かった私立の高校に成績優秀者の奨学金で進学した(公立はみんなが行くから嫌だった)。彼女は偏差値が30くらいの私立高校に専願で行った。
高校時代の話は割愛しよう。私はうつ病を拗らせたが無事に卒業して、地元の大学に進学した。彼女がこの間どうしていたのかは知らない。
大学に入って少しした頃、彼女からインスタグラムをフォローされた。
彼女は当時キャバ嬢をしていて、ヤンキーたちとつるんでいる生活が毎日投稿されていた。金髪だった。しばらくすると彼氏と付き合い始め、1ヶ月記念、2ヶ月記念、3ヶ月記念……と刻み始めた。
私もちょうど同じ頃、初めて彼氏ができたが、記念日など投稿しなかった(この彼氏とは3年目で別れた)。彼女は何ヶ月記念かに入籍して、数ヶ月後に出産した(子供の妊娠週数?も細かく刻んで投稿していた)。
ちなみに成人式のときにはボテ腹で振袖を着ていて、やはり妊婦であることを自慢げに投稿していた。私は成人式には行かなかった。
出産後も子供の月齢ごとに投稿していた(ストーリーは毎日)。この頃から飽きてきて特に注視していなかった。
フォローを外されたことに気がつく数ヶ月前、私は就活で使い終わったリクルートスーツを近所のクリーニング店に出しに行った。そこにいたのだ、彼女が。店員として働いていた。着いてきていた私の母が先に気がついた。
「あら○○ちゃん?」
私は言われるまで気がつかなかった。ふくよかになっていておばさんかと思ったのだ。
かたやパートで働く主婦、かたや結婚どころか彼氏もいない、就活のストレスでガリガリに痩せた学生ニート。
てっきり結婚して違う地域に住んでいるかと思ったが、親子三世代ここに住み続けていることにも驚いた。
私は地元ではそこそこの企業に総合職として内定をもらったので、バリバリ働くつもりではいる。結婚は……できる気がしないので、子供部屋おばさんまっしぐらである。
同じ誕生日、同じ地域に住み、同じ空気感の中生きてきた人間の人生がここまで違うのか。
私は彼女と目を合わせた。お互い話すことはなかった。私は母に物を託して先に家に帰った。
それから数ヶ月後、インスタグラムのフォローを外されていたことに気がついた。いつから外されていたのかは分からない。クリーニング屋の一件の前かもしれない。私はそのまま彼女のフォローを外した。たぶんもう互いの人生が交わることはない。
なんか夜中に思い出してしまってモヤモヤしたので今後のために文章残しておく。
記憶なんて曖昧なものだし、自分に都合のいいように変えてるかもしれないのでよければ珍獣百科を見る気分で見て欲しい。
そんな中で母親にされた最初の嫌なことは、小さかった妹が「痛い」と「かゆい」を間違えてしまい、母親に頭から血を流すほどボコボコに殴られたことだった。
確かに小さい頃の自分は喧嘩っ早かった。でも話せばわかることなんじゃないかと理不尽さを感じた。
## その後にあった嫌だったこと(父母混合)
その後、事情を説明しても嘘をつくなの一点張りでめちゃくちゃ怒られた。
こういう体験談は役に立ちそう
一応役にたたないとおもってだまってた実家の父の話もしておく 昭和40年ごろの話
→その企業の「大学留学」制度一期生で給料もらったまま国立大学へ(つまり実質返還不要の奨学金制度)
→それでも生活費のお金足りなかったので麻雀で手堅く稼いでた(即リーかダマテン、すぐ降り)自分のころはパチンコだったなぁ
→そこでうちのママと学生婚約して卒業後はわりとすぐ結婚。そのころ一~二件は大学知識で特許書いたらしい、ジェイぷらっとパット叩くとでてくる
→地元では最大手だったけど繊維不況といわれる業界不況にまきこまれ転勤族
→全く大学専攻と違う業種に配転。バブル期はどこいっても不動産が手堅かった
→そこでも資格とってもはや建築学科卒ですかっていわれる人になって不動産部門ごと他の会社にかいとられたりして最終的には別の会社で定年を迎えた
紆余曲折あったけど大学にいかせてくれたしママに出会わせてくれた最初の就職先企業にめちゃくちゃ恩を感じてた
ビールとかを系列で選んだりするサラリーマンいるけどそんな感じ
自動車とかも特定のメーカーがいいっていってた(たぶん内装に製品買ってくれたことが数度ある自動車会社)
さらに化学系はのきなみ高機能プラスチックで医療だの食品衛生だのに進出してるんだけど
医療器具も介護用品レンタルもその企業の名前のがあれば絶対そこを選んでる
嘘をつく癖があった。
一番最初に覚えてる嘘は、小学1年の時に親の財布から金を盗んで友達の家に大量のお菓子を買っていった時だ。
友達には知らないおじさんにもらった、と訳の分からない嘘をつき、不審に思った友達の母親がうちのの母親に連絡してバレ、その日の夜に親父に顔の形が変わるくらい殴られた。
その他にもゲームでありもしないバグ技を友達にべらべらと喋ったりしてた。今思えばみんなが知らないことを披露して承認欲求を得たかったのだろう。今でも思い出してじたばたするくらい鮮明に覚えている。
幸い親が転勤族で1年に一回学校が変わっていたため、致命的に嘘がバレていじめられたりなどは経験したことがなかった。
中学の頃は少しは知恵をつけ、ここぞという時にしか嘘をつかなくなった。
その頃は中二病も周りにいっぱいいて、親に成績ごまかすとか、塾での自己採点の模試の点数ごまかしてクラスで1位になったりして優越感に浸ったりしてた。
高校の時、県内で上位の進学校に入学し体育会系の部活に入り勉強との両立がもちろんできなくなり、割とサボった。
勉強もついていけないし、部活もきついしで週1とかで学校行くふりして漫喫に朝から部活終わる時間までサボったりしてた。
恋空とか流行ってて、少女漫画の僕らがいたにもドはまりして架空の彼女が死んで海まで行ったとか匂わせSNSとかしてた。
友達は割といっぱいいた方だと思うが特につっこんまれもせず「ああ・・・」みたいな空気になってた。
飲みサーみたいなところに入り、毎日酒浸りしてた。
人よりお酒が飲める方だったため、周りから評価されている気になり毎日つぶれるまで飲み、優越感に浸れてた。
架空の彼女が死んだ設定も忘れておらず、ちょいちょい痛いやつみたいになってた。
そんな日々を送っていたらもちろん4年で卒業できず、留年した。
親への言い訳は僕らがいたから引用して、パニック障害で電車に乗れない嘘でごり押しした。
借金もバレて、親に肩代わりしてもらった。
色々とボロボロだった。
家にいたくなくて週6でバイトしてた。
気づいたらバイトリーダーになってて、後輩もできて、みんなから頼られて承認欲求が満たされて気持ちよかった。
バイトしすぎて大事な実習に行けなくなったことが学校経由で親にバレ、怒られるのが嫌で逃げた。
とりあえず沖縄に行こうと思って電車に乗り続けて名古屋であきらめて漫喫泊まって次の日帰った。
めちゃくちゃ心配されてうやむやになってとりあえず卒業がんばろうみたいな感じで落ち着いた。
かなりのブラック企業で月300時間オーバーで働いてた。最初は楽しかったが、上司が変わって辛くなった。
会社に行きたくなさ過ぎて、2年目にマンションの2階から飛び降りた。
思いのほか痛くて、色々骨折して痛みで正気になりひき逃げにあった嘘をついた。
その1年後くらいに会社をバックレて友人のつての工場で働きだした。
会社バックレたときは友人に心療内科に連れていかれたりして通院してた。自律神経失調症とパニック障害と鬱の診断書が出た。
薬も1年くらい飲み続けた。
工場で働きだした当初は相変わらず嘘をついたりしてたが、本当のことを言っても誰も怒らないことがわかり嘘をつく癖がなくなっていった。
嘘をつくことも少なくなった。
栃木とは全く違う県の公立学校でいっとき事務員やってました。以下感想。
■賛助会員について
・うちの学校では自治会費と一緒に集金してもらってました。会費は地区の班長さんから専用の口座に振込んでいただいてました。
中体連の際旅費の補助や部活に使う道具など。町がすぐには買ってくれないものや却下されたものなど、公費よりは使い勝手の良いお金でした。
旅費別途という仕組み(他の団体から旅費が出る出張)として処理できる気がするんですがどうでしょう?
私はすぐに異動したしそのような事例はなかったので断言し難いです。
ちなみに出張の際は出張しましたという書類を書きます。旅費別途の場合も必ず書きます。これも出勤簿と照らし合わせて定期的に監査を受けます。
監査するのは教育委員会の人です。町だったか県だったかは忘れました。
旅費別途の場合は出どころが公ではないので、公費出張とは別ファイルに綴じて違う扱いをしている学校もあるかもしれません。
出張しましたという書類は必ず書かなければなりません。大昔はサボる先生もいたかもしれませんが、担当した学校では絶対に書いてもらうことを徹底してました。
また、月末には他校の事務担当同士で抜けがないか、費用に間違いがないかを必ず相互確認してました。このあたりも自治体によって違うかもね。
■強制か否か
田舎だと付き合い上拒否しづらいので実質義務になってることはありえます。
担当した学校では自治会長さんが「嫌がって文句を言う人も少なくない」と愚痴ってました。権力関係があるから故にではなく、近所付き合いのため払うような感じです。意志力があれば断ることもできなくなさそう。
転勤族の私が見た感じでは、部活で結果を出すことを誇りに思っている人が地区にある程度いるので成立しているように思いました、
■町の教育委員会について
教育委員会は学校より偉い、権力を持っているという印象をお持ちの方が多いようです。
実際中の人は単なる町役場の職員なので校長先生に高圧的に接することは少なくとも担当した学校ではなかったです。
そもそも教育委員会の中の人は卒業生だったり子どもの父兄だったりするので、学校とはそれなりにウェットな関係でした。
■違和感を持った点
教育委員会は行政組織です。そして今回の場合、問題提起している方は地区住民です。
行政組織はふつう公文書をトラブルになっている住民に見せたりしません。(PTA総会の資料とかなら別ですが文脈上そうではなさそう)
教育委員会と学校って本店と支店みたいな関係ではなく半分は同僚みたいなものなので、今回のような場合学校サイドに立って謝罪なりなんなりするのがフツーです。
■雑感
少なくとも私含め大抵の学校の人はトラブル起こさず平和に日々を過ごしたいです。
一部そうでない人もいますが、公立学校は定期的に転勤があるので、学校のお金を私物化できるような仕組みは持ちにくいと思います。まぁ部費とかは監査なかったりするので絶対ないとも言えませんが…