氷河期世代。東京近郊の県に生まれ東京の文化圏の風が吹くところで育った。都心まで電車で1時間の距離だ。
学生時代は東京近郊の県育ちにありがちな東京コンプレックスを抱いていた。
電車まで一時間の距離の壁は大きかった。音楽が好きだったのでライブによく行った。しかしライブに行ったとしてもその余韻を抱いたままは帰れない。
遅い時間帯の酒臭い電車で、疲れたサラリーマンに囲まれて現実に引き戻されながら、一時間の距離を揺られて帰らなければならなかった。
周りも似たようなものだった。皆東京に憧れ、東京をを目指していた。
大学で無事都内の大学に進み、憧れの一人暮らしと東京在住のステータスを手に入れた。
ライブに行っても下手したら歩いて帰れる距離。夜道は明るく、お店は星のように数限りなく、おしゃれな人々は目をひき、どこに行ってもまばゆいばかり。
安下宿でぎりぎりいっぱいの生活をした。お金がなくても行けるイベントのチケットにつぎ込んだ。
私は今やもう東京人だ、と思った。憧れの、東京ならではの文化に塗れた生活。
でも学生だった自分は、ポストに投げ入れられるチラシのマンションの価格や近くに建設されているタワーマンションの豪華さを見て、どういう人たちがこんな高額なマンションを買えるのか不思議で仕方なかった。
どういう職業についたらそんなにお金を稼げるんだろう。きらびやかなマンションの中でどういう生活を送っているのだろう。自分は安い賃貸物件でぎりぎりいっぱいの生活をしているのに。全く想像がつかない。
しかし時はフリーターが人権を得ていた時代でもあったので、ぼーっと世間知らずでろくな就活もしないままフリーターになり、そのままバイトや派遣社員などでつなぎながら音楽とサブカルに浸った生活を続けていた。
結婚したらもれなく転勤がついてきた。夜遊びも体力的にしんどくなってきた頃で、ちゃんとした仕事にもついてなかったのでおとなしく転勤族になった。初めての地方都市。初めての方言。初めての車社会。初めての海と山のある生活。
初めてだらけの生活の中でやがて子どもも生まれ、専業主婦になった。
転勤も数回を経た後にこれ以上異動しなくてよくなったので、その時に住んでいた見も知らぬ土地のあたりに家を構えることにした。
家を探す条件は本州の地方都市であること、治安が悪くないこと、自然災害がひどくないこと、大都市まで電車で1時間以内で行けること、車に乗れなくなってもなんとかなるぐらい電車とバスが発展していること、気候が厳しくないこと、自然が豊かであること。
そこそこの値段の建売住宅を買うことにした。土地も家も安いので頭金を多めに出して、賃貸を借りていたぐらいの家賃を毎月払うぐらいの金額に設定しローンは15年で組んだ。
そんなわけで今のところに住み始めて5年が過ぎた。
生活はほとんど車で移動するようになった。自治会は思ってたより全然負担が少なかった。人々はフレンドリーで穏やか。海も山も近く。家が安かったので車を2台持って使い分けている。
食材は豊富すぎるしおいしいし安い。教育はそこそこ。近くに大きな産業があるので工場も多く、仕事もそういう関係が多い様子。
中小企業、個人事業主も多いのでいい車がいっぱい走ってる。大都市に電車で行けるのでライブとか行こうかなと思って一度行ったけど、もう音がうるさすぎて自分には無理だった。おしゃれで洗練されたショップやレストラン、美術館や博物館、何かのイベントも電車に乗れば手は届かなくないけど、自分の中でもうそんなに熱量を注げなくなっていた。
今住んでいる都市はそこまですごくいいものは少ない。だから誰も何もわざわざ主張しない。する必要もない。高いバッグも洋服もいらない。着ていくところがないから。話題になるスィーツとかレストランもない。
でも普通のご飯がめちゃくちゃ美味しい。休みの日はだいたい車で家族でちょっと遠出する。歴史が古い地域なのでいろいろ見るところがある。何気ない散歩が楽しい。海が見れる。山に登れる。どこに行ってもそんなに混んでない。キャンプ場もたくさんあるし、アウトドアアクティビティも充実している。何より東京に住んでいた頃に比べ、ストレスが桁違いに少ない。