2023-02-03

そこそこの詰め合わせ

氷河期世代東京近郊の県に生まれ東京文化圏の風が吹くところで育った。都心まで電車で1時間距離だ。

学生時代東京近郊の県育ちにありがちな東京コンプレックスを抱いていた。

電車まで一時間距離の壁は大きかった。音楽が好きだったのでライブによく行った。しかライブに行ったとしてもその余韻を抱いたままは帰れない。

遅い時間帯の酒臭い電車で、疲れたサラリーマンに囲まれ現実に引き戻されながら、一時間距離を揺られて帰らなければならなかった。

周りも似たようなものだった。皆東京に憧れ、東京をを目指していた。

大学で無事都内大学に進み、憧れの一人暮らし東京在住のステータスを手に入れた。

ライブに行っても下手したら歩いて帰れる距離。夜道は明るく、お店は星のように数限りなく、おしゃれな人々は目をひき、どこに行ってもまばゆいばかり。

下宿でぎりぎりいっぱいの生活をした。お金がなくても行けるイベントチケットにつぎ込んだ。

私は今やもう東京人だ、と思った。憧れの、東京ならではの文化に塗れた生活

でも学生だった自分は、ポストに投げ入れられるチラシのマンション価格や近くに建設されているタワーマンションの豪華さを見て、どういう人たちがこんな高額なマンションを買えるのか不思議で仕方なかった。

どういう職業についたらそんなにお金を稼げるんだろう。きらびやかマンションの中でどういう生活を送っているのだろう。自分は安い賃貸物件でぎりぎりいっぱいの生活をしているのに。全く想像がつかない。

しかし時はフリーター人権を得ていた時代でもあったので、ぼーっと世間知らずでろくな就活もしないままフリーターになり、そのままバイト派遣社員などでつなぎながら音楽サブカルに浸った生活を続けていた。

30歳手前になるころに今の旦那出会った。

結婚したらもれなく転勤がついてきた。夜遊びも体力的にしんどくなってきた頃で、ちゃんとした仕事もついてなかったのでおとなしく転勤族になった。初めての地方都市。初めての方言。初めての車社会。初めての海と山のある生活

初めてだらけの生活の中でやがて子どもも生まれ専業主婦になった。

転勤も数回を経た後にこれ以上異動しなくてよくなったので、その時に住んでいた見も知らぬ土地のあたりに家を構えることにした。

家を探す条件は本州地方都市であること、治安が悪くないこと、自然災害がひどくないこと、大都市まで電車で1時間以内で行けること、車に乗れなくなってもなんとかなるぐらい電車バスが発展していること、気候が厳しくないこと、自然が豊かであること。

そこそこの値段の建売住宅を買うことにした。土地も家も安いので頭金を多めに出して、賃貸を借りていたぐらいの家賃を毎月払うぐらいの金額に設定しローンは15年で組んだ。

そんなわけで今のところに住み始めて5年が過ぎた。

生活ほとんど車で移動するようになった。自治会は思ってたより全然負担が少なかった。人々はフレンドリーで穏やか。海も山も近く。家が安かったので車を2台持って使い分けている。

食材豊富すぎるしおいしいし安い。教育はそこそこ。近くに大きな産業があるので工場も多く、仕事もそういう関係が多い様子。

中小企業個人事業主も多いのでいい車がいっぱい走ってる。大都市電車で行けるのでライブとか行こうかなと思って一度行ったけど、もう音がうるさすぎて自分には無理だった。おしゃれで洗練されたショップレストラン美術館博物館、何かのイベント電車に乗れば手は届かなくないけど、自分の中でもうそんなに熱量を注げなくなっていた。

今住んでいる都市はそこまですごくいいものは少ない。だから誰も何もわざわざ主張しない。する必要もない。高いバッグも洋服もいらない。着ていくところがないから。話題になるスィーツとかレストランもない。

でも普通ご飯がめちゃくちゃ美味しい。休みの日はだいたい車で家族ちょっと遠出する。歴史が古い地域なのでいろいろ見るところがある。何気ない散歩楽しい。海が見れる。山に登れる。どこに行ってもそんなに混んでない。キャンプ場もたくさんあるし、アウトドアアクティティも充実している。何より東京に住んでいた頃に比べ、ストレスが桁違いに少ない。

ぬるい炭酸泉に入っているみたいな生活いつまでも入っていられる。年をとった自分とそこそこの詰め合わせ。

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