はてなキーワード: 習い事とは
諸事情(性格というよりは家庭環境の問題)により今まで友達がいないのだけど、新たに友達を作る方法が分からない。
職場はかなり年齢差のある男性しかいないし、会話も業務的な話のみで私語する人がそもそもいない。
新しく友達作りをする際の定番である習い事・ボランティア・サークル活動に参加するなんていうのはコロナの影響でやりづらくなってしまったし、
ネットで友人を募集しようとすると「女性」というだけで変な人が集まってきて困る。
(以前ネットで交流をしていた人に住所を特定されたりして大変な思いをした。)
幼少期や職場の出会いなどの運で友人を得るチャンスがなかった人はずっと孤独で居るしかないのか?
大人になってから安全に友達を作る方法をご存知の方は教えて欲しい。
コロナ禍でテレワークになったがどんどん気力がなくなりサボりが極まり、このまま勤め続けても迷惑をかけ続けるだけなので会社を辞めて死んでしまうべきだ。(収入が断たれたら生きていけないので)
なのだが、ADHDなもので死ぬまでのロードマップを引いてスケジュールを立てることができない。ただでさえ難しいのに最近は気力もないので…
困った。
少なくとも以下をする必要がある。
・私物の整理、廃棄、売却
・賃貸マンションの解約
・携帯電話の解約
子供の頃から何ひとつ秀でたところがなく、自分に自信が持てなかった。容姿は平凡で、人前で話すのも苦手だし、勉強が得意なわけでもなくて、もちろん芸術的な才能もなかった。だから、将来の夢を聞かれると困った。何もできる気がしなかった。ぼんやりと浮かんでいたのはお母さんだ。自分自身の母親のように、おやつを手作りするお母さん。そういう大人になれたらいいなとなんとなく思っていた。
地元の中学から普通科の高校に進み、普通に普通の大学に入った。普通に就職して、得た職は普通の事務。電話応対、伝票管理、簡単な書類作成が主な仕事で、昇給もないが残業もない。ちなみに制服はあった。そこで3年務めた後、同期の営業マンと結婚した。妊娠を機に退職し、以降は専業主婦をしている。
30歳を過ぎ、独身を謳歌していた友人たちの結婚・妊娠ラッシュが来た。大企業勤務や公務員はまず出産退職なんて考えたこともないみたいで、産休育休後の復帰が前提。資格持ちの子はスッパリ辞めたが、次の職場は見つかるだろう。子供を産んでも正社員の座から降りない、降りないことを許されたママたち。小さな会社で激務をこなしていた子だけが唯一退職したものの、ベンチャー企業でフル在宅での仕事が決まったのだと言う。無能なママには決してないルート。今もっとも求められる『有能なママ』枠だ。
子供といるのは幸せだ。でも、旦那は決して高収入ではない。材料にこだわった無添加おやつをつくっている場合じゃなかった。教育や習い事の費用を考えると、お金はあるにこしたことはない。私は今後、パートという形でしか家計に貢献できないだろう。正社員の道はほぼ閉ざされている。
有能なママが活躍の手を差し伸べられるのは正しいと思う。だけど、【女性活躍】と声高に叫ぶ社会に手を差し伸べられたと思ったら「あ〜……あなたは活躍厳しいっすねwww大丈夫です、近所のスーパーでレジでも打ったら?」と言われてるような気分になる。その隣で有能なママには、「出産前までは編集者!?営業!?エンジニア!?デザイナー!?はい、みなさーん!このように子持ちの女性もバリバリ働けるんです!!」ってスポットライトばーんってやってるから、影から見てると虚しくなるよ。まあでもわかる。自分が経営者なら無能な子持ちは絶対雇わない。でも有能なママなら雇いたい。無能のフルタイムよりよっぽどいい。柔軟な姿勢もアピールできるしね。
あとやっぱり、仕事のできるママたちは賢い。ネットの情報を取捨選択できる。でも無能なママはまともな職につけないからリテラシーの高い人間関係をつくれない。だから、一度間違ってトンデモ科学とかに興味を持つと、正してもらえずに突き進むことになってしまう。そしてまた、バカにされる。バカにされるから意地になり、そうなるとさらにバカにされる。一時期義理の姉に自然派育児を進められ、ハマるところだった。
今の日本は(別に日本しか知らないんだけど)で正社員を降りて休む(育児、介護、病気、その他)ができるのは、有能な人たちだけだと思う。無能な人に残されたのは、我慢して休まず働き続ける道だけだったと、最近になって実感した。無能が貧乏になるのは自己責任なんだろうけど、なんだかとても、今はしんどい。
4~5歳の頃両親が別居し、私は母親に引き取られました。
別居の原因は私は正確には把握していませんが、
しかし父は数回支払ったのみで後は音沙汰無し、
母の実家に戻って生活をしていたため、極貧の生活ではなかったと思います。
普通に食事をして学校に行って友達と遊んだり習い事をする生活もできました。
自分のしたいと思っていることを仕事にすることもできています。
父親がいないことに苦労はしていません。
ただ、義務を果たしていないような人が自分の父親だということが許せないのです。
どういう心情で自分が契約して妻とした人を見放し、自分の行為で生み出した私を捨てたのか。
色々理解できません。
実は"別居"と書いてある通り、離婚はしていないため、
父がどういう生活状況なのか気になって、先月に手紙を出しました。
なんとなく自分の住所は書かずに送りましたが、
もしよければ連絡をください、と適当に作ったgmailを添えました。
何も連絡はありませんでした。
このまえの日曜に近くに寄ることがあったので、
今度は家に行ってみました。
せめて顔が見たい。
私の顔に似ている人は60歳になったらどんな感じなのか、とか
太りやすそうな体質だったはずだからどんな体形になっているか、とか
本当に色々気になっているんです。
人の家に行くのだから、、と思って手土産のワッフルも買いました。
バスに乗り継いで、アパートまで歩いて、扉の前まで行きました。
昼頃だったので、キッチンでなにかを作っている気配がしました。
ビニール袋を開ける音
ドアの向こうにはバイクを維持できる程度の生活を送っている人がいる。
とても緊張しました。
そもそも中に住んでいる人が私の父親であることも確証はありません。
5歳から23歳になった私を見て娘と判断してくれるのかな、などと不安に思いました。
しばらくドアの前にいましたが、
他の住人の方に不審者と思われるのも嫌だったのでとりあえず少し離れました。
このまま帰ろうか?
ここまで来たのに。
でも恨みを果たすために来たわけでは無いから迷惑はかけたくない。
何も収穫がないのは嫌だったので、もう一度玄関前まで戻りました。
「(苗字)さん、いらっしゃいますかー?」とノックしてみました。
これで違う人なら「人違いです、」など反応があるのかなという感じ。
ドアの前に10分くらいいました。
ずっと音は止まったままです。
(昨年かきかけてた文章をまとめました)
できないことを延々と取り組むより、できることからやってゆくといつの間にかできなかったことができるようになってる、という格言がある。これは絵師界隈の話なんだけど、より一般的に考えて他の学業や習い事でみんなどう考えてるか。個人的に初学のうちは確かにできないことを一旦保留にして他のテクニックを学習するといつの間にかできるようになってる=他の学習項目にできなかったことへのアプローチが含まれている、という実感があるんだけど、学習後期に差し掛かるとできないことを専修しないとやっぱりできないままなんだよね。ただ、躓いてるぶんそこで停滞してしまう。停滞すると他の学習がはかどらない。個人的には苦手つぶしは絶対視してんだけど、一方で高効率ではない実感もある。
小さい頃から、将来産むであろう我が子をどう育てるかを一生懸命考えながら生きてきた。両親よりも良い親になろうと。
良い親だと思う。いろんな習い事をさせてくれた。頭が悪い私のために、特技を身につけさせようとしてくれた。何もやりたがらない私の手を引っ張って、いろんな経験をさせてくれた。正直すごいお金をかけて育てた子、それが私だと思う。
しかし私はそんな両親の期待を裏切った。今の私は、勉強もできなければコミュ力もなく、要領も悪い。おまけに容姿も良くない。
将来的に1人で生きてくのは無理だろうと思い、結婚して夫に頼ろうと思っていた。子供はできれば25歳前に産みたい、遅くに産むと障害を持つ確率が高くなるから。
そんなふうに半年前まで考えていた。
しかし考えは一変した。
今日22歳になった。
私は子供は生涯産まない、と心に決めた。
第一に。私なんかのDNAを受け継いだらかわいそうだからだ。頭が悪く容姿も悪く、取り柄がひとつもない。おまけに性格も悪い。
こんなふうに生まれたくなかった。親には育ててもらったことは感謝しているが、産んだことには感謝していない。
それから経済的に子供を育てていくことが無理だということ。将来予想される私の収入では、自身の生活を支えていくことだって難しいのに、更にもう1人の分までとなると相当きつい。夫に頼ろうと考えていたが、それは傲慢だと思う。家族になるんだったら、それぞれで支え合っていかなくてはいけない。私が家事が完璧にできる人だったら話は変わるが、そうでもない。
また、子供を産んでからまともに育てていける自信がない。絶対マタニティブルーになる。今でさえ不安なのに、産んでからどうにもなるなんてありえない。精神的に弱い親に育てられたら、我が子がかわいそうだ。
でも子供は好きだ。子供は世の中にとっても大切だ。もし自分が将来経済的にも精神的にも豊かになったら、養子をもらいたい。それができなくても、何かしらの形で子供たちに貢献していきたい。
けど。だけれども。
最近知ってしまった。世帯を持たない独身女への世の中の視線を。子供を産まない女への仕打ちを。
私は、子供はペットのように軽い気持ちで産んで欲しくない。世の中に1つの命をもたらすというとても大変なことのはずなのに、それを理解していない人が多すぎる。
みんな子供を持つ事によるリスクを考えていなさすぎる。もし障害を持った子供だったらどのくらい大変か、赤ちゃんを育てることがどのくらい大変か、世間には子供に対してよく思ってない人がどれだけいるか。
お盆中だから、ということだ。お陰で今日の昼御飯は子供達をせっつきながら慌ただしく食べることはなく、のんびりできていい。
このご時世で親戚回りもできず、外に遊びにも行けず、ハイパー暇なので、最近の子ども囲碁事情をただの碁好きなだけで素人であり、我が子が子供囲碁教室(ボランティア運営)に通っているというだけの私がわかる範囲だけだけど書いていく。
県内の大会だけの話だけど、毎年参加人数記録を更新している。ただ、地方は少子化が進んでおり、県内に囲碁教室があまりなく大会も開かれないという県もあって、そういう所から子供達が越境してきて大会に参加しているという事情もある。囲碁人口の増加だけじゃなくて集約化されているようなのだ。
子ども囲碁大会は二つのセクションに別れている。棋力認定戦と全国大会予選である。どちらに参加するかは個人の自由なのだが、基本的には囲碁教室の先生に声を掛けられた子が予選に出場するって感じだ。
棋力認定戦でぶっちぎり優勝してもただ昇級・昇段できるだけである……というのを、保護者がちゃんと解っていないケースを見たことがあるんだが、そこで揉めると当の子供と教室の先生が可哀想なので、わきまえて欲しいところ。
数年前、全国大会予選会が開かれないことがあった。その時は大会主催者とかなんかお偉いさん達が協議した結果、推薦枠で一人の子が試合をせずに全国に進んだ。県内の有力選手の中に、その子に匹敵するような子がいなかったらしいと聞いた。なんだろう、プロの門下生だったのかな? ここら辺をズルいと保護者が思っちゃうとやっぱり辛いのは子供と囲碁教室の先生である。今の囲碁界の感じだとプロになれる子とただの囲碁を嗜む子供の間にはとても越えられない壁があると私は思う。
けど、親としてはやっぱり頑張ればプロになれると思っちゃうのかなあ。夫婦揃って教室や大会についてきては子供を右から左から激励して追い詰めている親がいるけど。
いきなり世界レベルの話をするけど、囲碁二大強豪国の中国と韓国では囲碁はスポーツと見なされていて、まだ幼い子供達の中で才能のある子供達を手厚く厳しく育成している。
日本の囲碁界も最近世界でめっきり通用しなくなってきたということで、子ども棋士の英才教育に乗り出しているけど、そういうのは基本的には都会だけの話で、私が住んでいる地方では、まず少子化甚だしい中で子供達に囲碁を普及することから頑張らないといけない状態。
多くの囲碁少年少女が囲碁を知るのは早くて保育園・幼稚園の年長さんで多くは小学生から、すーごいゆっくりペースで碁を覚えていくという状況で、英才教育を受けている子供達には到底敵わない状態だ。
スポーツとしての囲碁は陸上とか野球とかがそうであるように体力溢れる若いうちが強い時期なので、小学生から趣味の範囲内で頑張ってももう遅いのだ。
かつてフィギュアスケートでタラ・リピンスキーが五輪最年少優勝をしてその直後に引退したことが問題になり、五輪出場に年齢制限が設けられたが、囲碁にはそのような質の制限はまだない。ずっと制限のないままでは、これから囲碁は若さこそが強さであり若い頃しかやる価値のないスポーツになっていく。
囲碁強豪の韓国はすでにそんな状況になっているようだ。韓国内や世界でタイトルを若手棋士が取りまくることによって、プロ棋士は盛りを過ぎた途端に収入を得られなっているそうだ。これから自分の家族を持ち養っていかなければならないという時期に食えなくなるとなれば、態々囲碁棋士になろう、あるいは我が子を棋士にしようと思う人はそのうちいなくなるだろう。
日本において、子供がプロを目指して囲碁修行をするというのはそうとう特殊事例だと思うけど、いずれ日本囲碁界も世界の潮流に呑まれていくとすれば、将来棋士になって良いことはさしてないだろうと思う。
うちの子が通う囲碁教室は地域の囲碁好きなお年寄り達のサークルが面倒を見ている。ボランティアだから授業料がすごく安い。他の教室もだいたい似たような感じだと思う。ボランティアの人達がいなくなったら、囲碁教室もなくなってしまうだろう。だが、ボランティアの人達の年代は特定の年代に偏っていて、後から入ってくるひとは多くなさそうだ。
囲碁人口を絶やさないためにまずは子供達に囲碁を知ってもらうことから、ということで、ヒカルの碁ブームの頃から囲碁普及を頑張って来た人達が、ヒカ碁第二世代が小学生になるまで持つかどうかというのが問題。最近は中邑菫ちゃんの登場だったり、将棋の藤井聡太君の活躍にちょっと便乗できた(近場に子供が将棋を習える場所がないので仕方なく囲碁に流れて来たというケースがある)ので、少子化の酷さのわりに地域の子供囲碁人口は減っていないのが救いだけど。
趣味で囲碁を教えてくれる人がいなければプロ棋士やインストラクターの教室に通うしかないが、それはかなりお金がかかることだし、囲碁は少数の人の高等遊戯になるだろう。
我が子がお安く囲碁を習っていられる今の状況はもうすぐ終わるかもしれないというのに、ただの数ある習い事の選択肢のひとつとして厳しい目で保護者が選別しようとすれば、子ども囲碁教室の寿命は益々短くなると私は思っている。
修学旅行の必要性を感じない娘の話がツイッターでバズってるので、私の経験を少し。
(ちなみにこの話自体は、「何も修学旅行を楽しみにしている人たちを下に見なくても…」と思った。)
もう15年近く前になるが、私は周りの友達と群れないことをかっこいいと思っている、超絶生意気な中学生だった。
そして、元ツイ主の子供と同じように、大勢で泊まる練習をする意味を感じないと親に主張し、修学旅行を拒否しようとした。
母は、それを頭ごなしに否定することなくこんな感じのことを言った。(※私が受け取ったメッセージの意訳で、当然細部は異なります。)
「その考えも間違っていないけど、お母さんは、生い立ちや考え方が全く違う人たちと、意見をすり合わせる練習だと思う。将来どんな仕事をしても、嫌な意見をそれとなく回避したり、自分の意見をすんなり通したりする場面は出てくる。ゴリ押しだけでは周りも不快にするし、楽しく仕事ができない。私はこれがしたいです!で通用する大物アーティストだっているけどね。」
だから、親に甘えられない場所で、旅行の行き先を決めたり、見学中に迷ったり意見が割れたりするのも、意味があることだと。
私は、それでもわざわざそんなことを練習するために2泊3日無駄にするのが嫌だと返した。大人になってから仕事をするときの自分の苦労なんか知らないしどうでもいいし、ディズニーランドだけが楽しみだったから、我慢しても1泊だと思った。
そこで母に提案されたのが、旅行中メモ帳に「楽しいと思ったこと」「つまらないと思ったこと」を書くことだった。
そして、「楽しいと思ったこと」が、「つまらないと思ったこと」を我慢してまで得たいと思わなければ1泊で帰ってきていいと言った。
今思えば、そんなことは無理なのだが、母は私が修学旅行を楽しんでくるという確信があったのだろう。確かにその通りになった。
「つまらない」もたくさん書いた。Aちゃんの歯磨きが雑で歯磨き粉が飛んできたとか、Bくんが新幹線で吐いたとか、国会議事堂つまらなかったとか。
でも、「楽しい」の方がもっと多かった。楽しいと思ったら直後に書き留めていたので、夕食のマズいコロッケの押し付け合いの話まで書かれていた。
私は、つまらないこともたくさんあるけど、楽しいことのために我慢することを選んで2泊3日を終えた。
たった一度の旅行の経験だけが、社会人になった現在の意見のすり合わせの土台になっているとは思わない。旅行以外にも、部活や、習い事や、受験勉強など、色々なことを経てこその今だと思う。
上司への愚痴をTwitterに書いたり、命令してくる先輩への愚痴をTwitterに書いたりしながら、現実では自分の意見も主張しつつ相手の意見も取り入れた妥協点を仕事に反映させている。
修学旅行に行く必要はないかもしれないけれど、私はあの時自分の主張通りに修学旅行を不参加にしていたら、その後の部活での話し合いや、学校生活での色んな揉め事を、全て同じように切り捨ててしまったんじゃないかと思う。
切り捨てることが悪いとは思わないけど、切り捨てた場合の自分の不利益に納得できるような人間でもないから、切り捨てない生き方をしたことは私にとっては正解だったと思う。
大好きな仕事を大嫌いな人間たちとこなす人生だってあるわけだからね。
元ツイ主の娘がどんな人かは知らないし、あの短いツイートで人格を断定することもできないけど、修学旅行に意味を付け加えるのは自分自身であって、そういう機会を与えてもらえる機会というのは人生で意外と少ないということは伝えたい。
この半月ほどのことだ。まあ今のところ、実際に休んだのが2回と2時間くらいの遅刻が1回だけだが、明らかに今までと違う。
私は決して精神的に強いほうではない。
スクールカースト底辺出身者、発達障害グレーゾーン(未診断)。鬱か?双極性障害か?という感じの症状とともに生きている。
本当に動けなくなって引きこもりになったことはない。たぶん。ないとはっきり言いきれないな。それっぽい経験は何度かあった。
小学生のときに習い事を数か月休んだり、大学生のときにかなり引きこもりっぽい生活を送ったりした。
育児中(特にひとりめの産後とふたりめの頃に毒親と戦っていたころ)も相当引きこもりに肉薄していたと思う。
私をなんとか助けてくれたのは本だった。本と、本に出合うための窓口としてのTwitterだった。
育児はもともと興味があったし、やってみたいと思ったことはどんどんやってきた。
親といえど、本質的には対等な立場なんだよ、と言動で示してきたつもりだ(もちろん限界はあったが)。
この感じ、自分でも気に入ってるな、安定してきたな、とここ1年半くらい思っていたところだった。
朝、起きられない。些細なことでキレて八つ当たりする。何が嫌でどうしたいのか聞くと「わからない」を連呼する。
というのが主な症状。
いつも通りのことも多い。多いけど、ストレス負荷が高まると症状が出る。
素人意見だけど、なんとなく「うつの入り口にいるな・・・」という感じがする。
原因を考えた。夫婦でも話し合ったし担任の先生との連絡も頻繁にとっている。
学校の休み時間にあった友人間のトラブル、自立を促そうと自室での就寝を勧めたこと、それによって就寝時間が遅くなったこと。
ほかにもいくつか原因となりうる要因を洗い出してみて、できることから対応してきた。
学校でのことは逐一連絡をとり、就寝スタイルは元に戻し、9時には眠れるよう調整し、朝日を浴びて目覚められるようにした。
結果、休んだり遅れたりせず登校はした。したけど、解決とはほど遠いように見える。
むしろ無理やり行かせているようにも思えてくる。
長くなってきたので一旦切ります。
なんか流行ってるし、腐女子のお気持ち表明よりは有用だと思うので書いておく。
子供は二人いて、二人目妊娠中に子宮にトラブルがあって産後に今後の妊娠は危険と言われていた。
長子妊娠前に使ってた低用量ピルか、もしくはミレーナなど別の方法も併用したかったけど
慣れない英語で婦人科に行く勇気が出ずに二の足を踏んでいたところ。
コトが終わって抜いた時に何か液体が出てきた感覚、明るくして見てみたらゴムの先端が破けていた。
シャワーを浴びて、モーニングアフターピル 英語 で検索、emergency contraceptiveと呼ぶ事を知る。
今度はwhere can i get emergency contraceptiveと近所の地名で検索してみたら、Targetで買えるらしい。
TargetはWalmartに匹敵するチェーン店で、近所の店舗は中にCVSという大手の薬局が併設されている。
そこでPlan Bというのを買えばいいらしい。
翌日11時、開店と同時にCVSに行ってみたらカウンターにはでかいおっさん。
すみません、女性に相談したいんだけど…と言うと奥から更にでかいテキサスサイズのお姉さんが出てくる。
お姉さんにググった時に出てきたPlanBの画像を見せると、どこからか白地に青の同じ箱を持ってきてくれた。
大丈夫よ、これを飲めばパーフェクトだから。ちょっと小声で慰めのような言葉をかけてくれる。
もし必要ならもう一度来てね、今日と明日いるから私を呼んでと胸の名札を指差す。
お会計は50ドルくらいで、インフルエンザ予防接種のクーポンがついてきた。
朝から何だか変に緊張して何も食べていなかったので、一旦COSTCOに行ってホットドッグを食べる。
ピルの箱を開けて錠剤を飲み、旦那に緊急避妊薬を飲んだ事と吐き気がする可能性が高い事を連絡し、帰宅。
子供の学校が終わり帰ってくる時間までは問題なかったが、夕食前になって怠さと吐き気。
夕食作りは途中であきらめ、子供にはちょっと頭が痛いと言って横になる。
子供はこういう時UberEatsでタコスを頼めるので、階下で隠れて喜んでいる声が聞こえた。
船酔いのような吐き気がするが、吐く程ではない。
タコスを食べた子供達のスプラの音と歓声が聞こえるが、その声でやや頭痛がする。
旦那帰宅、自分と私の分の夕食を買ってきてくれたので数口手を付けるがレタス以外食べる気がしない。
低用量ピルは長く飲んでいたが、用量が多いからか最初に超えないといけないあの副作用よりきつい。
頭を冷やして就寝。
翌々日朝、茶色みがかった出血。昼に赤い出血、生理よりはずっと少ない。
消退出血があった事で緊急避妊薬がちゃんと働いてくれたとひと安心。
これをまとめるに当たって調べてみたが、レボノルゲストレル1.5mgでノルレボと同じらしい。
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。
子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。
子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。
まさに自慢の作品たち!って感じなのよ
仕事を辞めて心血注ぎ込んで大事に育てたものだから、子供の成長が自分のキャリアみたいなとこあるのよ
子供なんて勝手に育つものだから手柄にしちゃうのも図々しいけど
立派に育ってくれて
長男長女は生徒会長を務めるし、部活や習い事も結果を出して官僚、医者、大企業×2と親としては自慢したくなるようなところに勤めてくれて
いやーやりきりました!って感じなの
だが、なんだか何も残らなかったなーと虚しい
言っちゃ恥ずかしいが、子育てって頑張ったら子供はエジソンになるんだと思ってた
どっちも東大行って
みたいな
医者って、世の中に山ほどいるし
あっ普通じゃん、って
就活だって勉強だって並々ならぬ努力してたのも知ってるし、すごいんだなってのは自分もわかる
けど、なんだろう
子供らは普通に幸せそうにしてくれていて、母親としては嬉しい限りなんだけど
普通に優しくて、普通にいい仕事について、普通に生きてくれてるけど
元が良くて、頑張っても
普通の人(特上)になるだけだった
子供に習い事させたり学費を出したりしてると、家計は普通に庶民。毎年海外旅行に〜なんて無理だし、一生堅実にコツコツ生きてローンを返そう、みたいな。せいぜい学校が私立になるぐらい。
スーパー経営者になって毎年海外旅行に行って欲しいわけじゃない。そうなってもきっと今とおんなじ気持ちだろう。
子育てって、普通に育って御の字だということを育てきってから知った。問題ばかりの子供だったら、今の姿にすごく感激するのかもしれないが、幸い特に問題児という子はいなかった。
自分の夢に向かって努力するのは相応の夢が見れたんだけど、なんだかなあ。
わたしが期待しすぎなのだけど、ほんと、こんなもんかーって拍子抜け感が半端ない。
というか何を期待して育てたんだろう……。
何になってもきっとこんなものだったんだろうな。
子育て、楽しかったけど残るものはないな。「お盆は車で帰省します🚗」とか長男のお嫁さんからLINEきてるから、またフツーの若夫婦がフツーに孫連れてフツーにやってきて
魔法使い、革命家、とんでも発明家…とかだったら楽しそうなのに。
歳のせいなのかな。サラリーマンも退職後、人生が虚しくなるっていうし。子育てを通して自己実現、とかわたしには無理だったわ。子育てで実現するのは子供の人生であって、わたしの人生ではなかった。こんなことなら、花道の先生にでもなりゃよかった。
再就職目指せるぐらい若かったらなーと思いつつ、Pythonを勉強してるけど昔ほど楽しくない。
この先も大したことなさそう。人生見通したっちゃって飽き飽きする。若いうちに世界一周とか、もっと素敵なことしてればよかった。この歳で、アフターコロナじゃ無理だわ。
平凡を望む性質でもないのに、平凡に生きて、平凡なハイスコアで、でもやりたいゲームじゃなかったから全然満足できない。
時代的に子供産んだけど、そんなに望んでなかったのよね。旦那大好きだけど、医者じゃなかったらなあ。
人生普通なのってつまらないのね。子供がいるうちは何かとバタバタしてて気付かなかった。子供の成長だけがギャンブルだったわ。あとは犯罪でも犯さないことを祈りながら消化するだけ。
酷く精神が乱れているのとこういった文章を書くのは初めてであるため、読み辛い点が多々あると思う。
小学生の頃から、教員に「賢い」子供として扱われ、旧帝大とはいかないがそこそこ名の知れた大学へ行きそこそこ良い成績を収めた。
これらは田舎から都会の学校へ行かせてくれ、一人暮らしの諸費用も捻出してくれ、塾・習い事・資格習得・留学等、私のやりたいことを全てさせてくれた両親のお陰であった。
「良い企業に入って、両親に恩返しをしたい」と私は強く思っていたし、学歴的にもそれが可能だと思っていた。
しかし、全然ダメだったのだ。就活が。最強の新卒カードを持っていた筈なのに。コロナなんて影も形もなく売り手市場であったのに。履歴書と試験だけの一次には受かる。しかしその先が全然進まない。面白いくらいに落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる!!!!!!!!!!!!!!!!!(この時期はストレスだったのか、週一で40度ぐらいの熱がでていた。今考えてもメンタル弱ってて笑える)
友人も年齢を問わず少なくないし、コミュニケーション能力もまぁ困らない程度にはあると思っていたのだが、「俺って人間的魅力が皆無だったのか」と自分で気がついたのはこの時であった。
仲良くしていた教授達に「お前は人一倍努力もして来たのに…」なんて言っていただき、一丁前に悲しがっていたが努力がみとめられるのは学生のときまでである。
多くの友人は霞ヶ関だ超大手企業だに行って日本の未来を背負っていたが、私は所謂サービス業・販売員になった。それでも両親は喜んでくれた。頑張ってねとたくさん言ってくれた。企業側も幹部候補者!と歓迎してくれた。私もせっかく雇ってもらえたのだからと「置かれた場所で咲こう」とやる気に満ちてはいた。
客からは「どうせ中卒のくせに」と罵られ、地元の知人たちからは「落伍者だ」「せっかく頭が良かったのに無駄だったな」と両親が陰口をたたかれる。
一番キツかったのが、働いてる時に子連れのお客様から「ほら、お勉強しないとあの人みたいになっちゃうよ」なんて言われてるのが聞こえてしまった時である。
(俺は本当はこんなところにいる人間じゃないんだ)
私の言った言葉や言い回しを理解できない同僚に笑いながら易しい言葉で会話して、
(お前と俺は違う)
こんなふうに考えてしまう。
自分の学歴だって努力だけでなく恵まれたものだったから、偏差値が低い人たちのことだって見下すことはしないと自分を信じていた。
私はどうしたら良いのだろう。毎日毎日将来を考えて、毎日毎日死にたい。けど自殺するにもコストがかかるし、まだ両親に恩返しもできてないから死ぬわけにも行かない。かと言ってあんなにダメダメだった就活が、またうまくいくとは思えない。転職するにしてもこんな時間だし、どこにも雇ってもらえなかったら?などと考えて踏み出せないでいる。
散々書いたが、結局何も行動せず、抜け出す努力もせず、こんなところにしかいることしかできないんだから何処に行ってもダメなんだろうな。
追加
混乱させて申し訳ないが、一人称は地の文と分けたつもりだった。人に文章を読まれるなんて体験があまりなくて、わかりにくいものを書いたようで申し訳ない。
また「頭の良い」や「賢い」は履歴書「だけ」が立派で無能な自分への皮肉のつもりだったのでそこも、混乱させてしまって申し訳ない。
(出身大学・今ついてる職業はもしどなたかにご迷惑がかかってしまったら申し訳ないので、言えません)
結局何が言いたいかというと、「今更自分が無能なことに気がついた糞野郎なので人生オワタw」ですかね。
推敲も行わず心のままに書いた読みづらい文章を読み、コメントをくださった方々ありがとうございます。
受けた衝撃や今まで出会ったことのない悪意が、凄まじくて驚愕してしまって、このまま自分は何処にも行けない気持ちになっていました。人から「失敗者」と言われてそのまま言葉の通り受け取っていました。
両親とも相談して、少し頑張ってみようと思います。重ね重ねありがとうございます。
追記2
多くの方に「己の価値基準を他人に頼りすぎ」だという指摘をいただきました。
たしかにそうだ、と。
なんというか今私は、「自分の価値は(個人的な情の無い)他者が決めるもの」と思い込んでいるんですね。
学生時代はそんな考えはしてなかったのですが、社会に出てこれまで聞いたことの無いような罵倒や品の無い言葉を浴びてこんな考えに凝り固まった気がします。
公立には小学校までしか行ってないので、これまでの友人達は家庭環境や文化的背景が似たような人たちばかりでした。(皆私には勿体ないような素晴らしい人たちばかりです)そんなぬるま湯に浸り切っていて考えが幼稚なんでしょうか。
それに関しては、「自分は長子である」という考えが自分の中で強くあるからだと思います。
また両親は決して高収入ではないのに、一人暮らしの支援や長期間の留学等、沢山の援助をしてくれました。恩返しをしたいと強く思うのはそれほど特異なことではないと思います。
しかし私の貧弱な思考力では、「恩返し」が目に見えるお金や分かりやすい地位しか思い浮かばないからこのように拗れてしまったのだと思います。
そういうのって、単にその人がそういう地域に住んでるってだけだと思うんだよな
在外日本人って大抵現地の中でも良い所に住んで上流階級としか付き合わないから
そりゃお前が親より落ちぶれて実家より治安悪い地域に住んでるってだけだろ…としか
逆に今の子供は習い事沢山勉強ばかりで可哀想、自分が子供の頃はそんな事なかった!って奴だと
親より階層が上になった、ってだけだろうし
本当になんて言えばいいのかわからない…確かなことはあなたは100%悪くないということ。
本に不自由しなかったから何?習い事に行けたから何?人が親になぜ感謝するかというと、きちんと「他の選択肢から選ばせてもらえる」からだ。
選んだ上で、本が読みたい!とか、これを習いたい!っていうのを叶えてもらってはじめて、自分の人生を過ごすアシストをしてもらえるから大人になったとき感謝するんだ。
あなたの親は、客観的に見て選択肢を狭めることしかしていない。親は、子供をただ死なない程度に食わせればいいだけじゃない。
こう言っちゃ悪いが、その父は勝手に家族を巻き込んで自分の道を進んだに過ぎない。客観的に見て、これで親殺しはありえない…自分の無実を信じてほしい。