はてなキーワード: 習い事とは
でき婚しちゃいました!のと同じで、おめでたいのだけどなんか引っかかる。世間は高齢出産ブーム(?)なので絶対こんなこと言えない。
そもそも高齢出産にメリットってあるの?地獄案件しか見えないんだけど。
・お金
40近くまで働き続けたんなら貯蓄たんまりあるんだろうなと想像してたけど、共働きでもそこまで貯蓄ない世帯も普通に多い
不妊治療してたら家購入する資金もなくなったり、あるいは庶民からは想像できないほど贅沢しまくってたりとか。
(彼らの言う"お金ない"は自分で自由に使えるお金が少ない、という意味であり生活が困窮してるわけではないと思う)
そもそも流産率が高い、ダウン症もちょっと多い。これについてはいろんな人が言ってるから割愛する。
・メンタル
ほとんど一人っ子でベタベタ甘やかし育ちが多い印象(私の周りだけかもしれませんが)
更年期で精神的に不安定な中子育て大変なのは同情するけど、子供にあたってるの見るとほんとしんどい
いい子だなと思ってたら、急に叩かれたり、ご飯なかったり、お母さんが怖いから言うこと聞いてるって子もいて。
でもそれなりの服着させてたり、ちゃんとした習い事などさせてるからパッと見そういうのわからないんだよね。殴った後とか、そういうのもない。精神的虐待?が多いのかも。
40にもなれば精神的にも成熟してるから広い心をもって子育てができる、とネットのご意見をみたけども
広い心をもって子育てしている高齢出産の方いたらぜひお話伺いたいものです。超レアでは。
あと、40前後のご夫婦だと母親主導の子育てが当たり前という価値観を持ってる旦那さんが多いらしく、夫は子育てに非協力的な面も目立つ。(共働きでもそんなの関係ないようですw)
若いカップルの方が一緒に子育てしてる印象がありますね。わからないことも素直に聞いてくれるし、変な先入観がないのがよろしい
イベントや授業参観の時とかにお母さんがおばさんに見えるから(老けてるから)来てほしくないって子、やっぱりいるんですよね
産前は若作りできても産後一気にメッキがとれて老け込むから仕方ないんだけど
子供からしたらおばあちゃんに見えなくもない親ってちょっと嫌なのかもね わざわざ見に来てくれたのに早く帰って!とか言っちゃってる子もいるし。
・キャリア
ある程度職場でのポジションを築いてから産もうと思ってる人、よく考えてほしい
子供が小さいうちは呼び出されたり急に休まなければならない時がある 仕方ないことです 周りも子供事由で休むことに何も文句ない
でも要職についてると代わりが少ないし責任のある仕事も多いことでしょう
だから「ある程度」なんて思わずにさっさと若い時に産んでしまったほうがいいです
高齢出産しました!ってイキってるバリキャリアラフォー多くて、それに感化されてる若い子いそうで恐ろしい 見習っちゃだめな例ですよw
あとお金にも絡んでくるけど、40前後で産んだら、自立する65歳くらいまでは働き続けなきゃならないということも考えてほしい
院まで行ったら70近くまで稼がなきゃならないのです もちろんアーリーリタイアなんてできない
体力もモチベーションもない頃にそこまで前線で働き続けられる??窓際社員で文句なく稼げるポジションがあればラッキーだけど今の状況考えるとそんな夢のようなポジションは将来なさそうじゃん
ダラダラと10年近く付き合った彼が、
冗談では言い合ってたけど、「家を探してる!」と言われ、
急に怖くなって逃げだしたくなった。
と、言うか逃げている。逃げ回っている。
いろいろ理由はあるけど、子供がいない前提での結婚だ。相手も同じ気持ち。
結婚をする。とする。
何がいいのだろう。
年々仕事の疲れも取れない。週末は寝て過ごしたい。
でも、今は彼が来るから、しょうがなく週末だけ掃除をしている。
部屋が広くなったらどうなんだろう。誰が掃除をするんだろう。私かな。
洗濯をする。
料理は好きだけど、
「今日は魚だ!」「今日は肉だ!!」と、スーパーで食材探すのが好きだ。
肉が食べたい時に、彼が魚料理を作っていたらどうなんだろう。
私は美味しいと食べるのかな。逆はどうなんだろう。
自分一人だと充分だけど、誰かを養う程の稼ぎは、お互いない。
でもどんぶり勘定だな。
今は、週に一度の贅沢だと思って、外食したり、お寿司買ったり、高いワインを買ったりしてる。
結婚したら、毎日がパーティーになって、食費は増えるだろうな。
週末にうふふと一緒にスーパーに行って食材を選ぶ楽しみはなくなるのかな。
お互い交代で食事を作ったりしてると、
「なんでこんな高いモノ買ったんだ!」「私はこれ食べてないし!」とかi言ってしまいそう。
そもそも食べる量が違うし。
疲れて食べずに寝てしまう日もあるけど、
誰が家計簿つけるんだろう。
コロナが収束したら、私は今まで通り、自分の趣味の時間を楽しめるだろうか。
ふらっと旅行する事も、
ふらっと飲みに行く事も難しくなるんだろうな。
親族のあれこれも増えるんだろうな。
彼は年上なので、先に死ぬのかな。いやだな。苦しいな。
彼の事は好きだけど。
それまでの私は、小学校で友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。
中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。
高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。
大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校の友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。
でもその時から、漠然と自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。
どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。
冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。
山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。
絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想。
毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。
その時、偶然実家の犬が虹を渡った。
最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。
火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーがいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。
それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。
その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。
結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で
「ちゃんとしてた、よかったよ」
と言ってくれた。他の人にも
「貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」
と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。
そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。
今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。
でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。
知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。
新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。
本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから。
でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。
ごめん、これは私の書き方が悪くて、この方は子ども大好きで大勢産んでるのが分かるというか、外見こそ着飾ってないけど、不潔な身なりというわけではなく、普通のおばちゃん!って感じの、中身はとても素敵なママさんなんだ。旦那さんもたまに園の行事でお見かけするけど、多産DVっぽい匂いは今のところしないな。ただ、どこからその財源が?っていうゲスの勘ぐりをしてしまう私の心が嫌だーという話の例として出してしまった。心配してくれてありがとう。
まともな教育、のハードルが昔と比べてグッと上がってる体感はある。今やみんな塾通いは当たり前で、習い事も複数かけもち、大学まで行くのも当たり前の中、日本の景気は下がり調子で、今後も増税の可能性を含みながらデフレだけが進んでいく…旦那も、そういうことを心配しているんだと思う。
私は実家は貧乏だったけど田舎の多子家庭育ちでみんな仲も良かったし、ある程度なりふり構わずみたいな育ち方も経験してるんだけど、旦那は割と裕福な家庭の出で、中学生頃まではそこそこ優雅な生活をしてたのも、子ども一人にかけるお金の価値観の差に繋がってるかもしれない。
結論は夫婦が我が子をどう育てたいかに尽きると思うんだけど、その話し合いすら何故か拒まれてしまうのが途方もなく悲しいんだよね。私が産後に第二子の話題を出しすぎたのかもしれない…話し合いって難しい…。
今時、保護者会のある習い事って珍しいんじゃないかと思う。しかも文化系でっていう。最近じゃあ野球やサッカーのチームでさえ、子供じゃなくて親のいざこざでチームが瓦解するので親はかませないという所ばかりなんだけどなぁ。でも、囲碁教室の保護者会は人数が少ないせいか、前からいる人達の人徳なのか、そんなには居心地悪いとかはないので助かる。一時期、お当番に参加するのがいつもの少数しかいないってキレてた人もいたけど。
保護者会で何をするのかというと、一番大きな役割は、教室のお手伝いだ。具体的には、宿題の丸つけと、対局の勝敗記録をする。
丸つけは解答を見てやればいいし、別に子供達に教えなければいけない訳じゃないから難しくはない。ただ、人数分をなるべく対局が始まる前に終わらしておかないと忙しくなっちゃうのが大変っちゃ大変かもしれない。
対局の記録は、不慣れだと大変だった。まず、誰と誰が対局するかマッチングしなきゃならないのだが、先週の手合いであまり対局してない子同士を優先するとか、棋力の差が大きくない相手と組ませるとか、そういう気配りをしなきゃならない。子供達が組み合わせについて意見を一度に言って来るしワガママも言うので、汲むべき意見・なだめるべきワガママなどに対応するのが難しい。
マッチングが終わり、いざ対局なのだが、先生が忙しくて目が行き届かないときは、一々何目のコミ出しなのか、ハンディ表を見て子供達に指示しなきゃいけないこともあるようだ。
子供達は速打な子もやたら長考な子もいて、対局を終えると次々にこちらにやって来て、結果を報告していく。せっかちな子は、こちらが他の子達の記録をしている最中にも結果を言い放ってどっか行っちゃうので、引き止めて順番に結果を言い、ちゃんと記録表に間違いなく記録されたことを確認してから行くようにさせる。こんな何人もの子供達を相手にすることなんか日常にないので、苦戦してしまった。
でもって、総当たり戦用のあの対戦表!表の左端と上端にメンバーの名前がずらっと書かれていて、左上端から右下端に向かって斜線が引いてあるあれね!書き込みづらいんだなぁ。書き込み間違うと子供達、がっかりしてしまうので、何度も見直した。子供達の立合いの場で書き込んでるのに見直してみたら間違えてたりして震える。
不慣れな私があたふたとマッチングや記録を取っているとき、子供達はもう容赦ないので、
とツッコミを入れてくる。私は、
「すみません、ぶっちゃけよく分かってないので、教えてください、すみません」
平身低頭、頭を下げて子供達に教えを乞うしかない。なんていうか、久しぶりに無力感を味わったよね……。子供達の方が、よっぽどしっかりしてる。
普段、囲碁教室には我が子を送迎するだけで子供達と関わることがほとんどなかったから、誰が誰だかわからなくて、対局結果を報告する子供達の名前を一々聞く。もう歳だもんで、すぐに人の顔を覚えられないのもあり……。すると、特に同性のきょうだいのいる子なんかあからさまにがっかりするよね。「この人私ときょうだいの区別ついてない」みたいな。すいません!めっちゃその通りです!!どっちがどっち!?……と、開き直る訳にもいかないので、間違って記録しないように、もう一度お名前教えてくれる?って聞いた。子供達の軽蔑の眼差しが痛い!ちょう痛い!!
どうやら、お当番に参加出来る保護者はまたごく少人数に限られているようなので、月1くらいのペースで当番が回ってくるようだ。来月もまた頑張ろう。
結婚したらいいよ、という言葉で唯一効果があったのは、見知らぬおばあさんからのものだ
当時私は30代前半くらいだったと思う
都心の某区の屋内プールは人も少なく快適でしばらく月イチで通っていた、習い事のついでに
客層は周辺在住の家族連れが少しと、あとはほとんど一人で泳ぎに来ている人という感じ
どういう流れだったか、おばあさんは私に結婚しておいたらいいよと言った
その言い方は、自分がしなかったことの後悔を含むニュアンスがあった
私は結婚をしないつもりはなかった、けれど当時、積極的でもなかった、いつかはするつもりだけど、と
どこかで自然に相手と出会い恋愛して結婚に、というようなことを夢見ていた、それが無茶な夢だったと自覚したのはずっと後だったが
俺今45。人生振り返って、これまで挫折らしい挫折した経験がない。
学校の勉強、スポ少、習い事、なんでも出だしはそこそこのレベルでこなして、ぼちぼちの出番を与えてもらって。でも何かにずば抜けているわけでもなく、そこそこの成長したら頭打ちで、モチベ下がって、でも叱られるのや失望されるのは嫌だから顔だけは真面目になんとかこなして。大きく成功しないからそんなに目立つことなく、妬まれることもない。ベストじゃないけど、でもまあいっか、次に期待って言えるレベルで踏みとどまるから、露骨にがっかりされることもない。小さい頃思い描いていたまんまではないけど、広い意味でやりたかったことやれているし、ここで人生終わってもまあ良かったねと言えなくもない。出会うべき人にも多分巡り会えて、子供こそいないけど結婚もできたし、裕福ではないけど、ここに至るまで不自由したこともなく、環境にも恵まれて、巡り合わせにも周りに支えられてきたことにも感謝でいっぱいだ。このまま枯れていっても、幸せだと思いながら死んでいけるだろう。でもこの生き方で面白いのか?って、ここ10年単位でなんか引っかかってた。
病気、災害、失業、いじめ、身内の不幸、周りはみんな何か一つは鉄板の苦労話を持っていて、でも自分にはない。いくら無い物ねだりでも、不幸は望まない。死ぬまでぬるま湯に浸かって暮らせるなら、そうしたい。でももし、誰もが一度は大きな不幸に見舞われるなら、遅かれ早かれいつか自分にもその日がやってくるんじゃなかろうか。挫折を知らず、そこから立ち上がる訓練も受けずに、ずっと年取ってからいきなりどん底に突き落とされるくらいなら、早い方が良かった。大人になってからおたふくに罹るとしんどい、みたいな後になるほどしんどい痛みがいつかやってくるんじゃないかと、漠然とした不安が拭えない。
多分、日本で生まれ育ったなら、ほぼもれなくどっかで災害を体験していて、非常事態の自分の心の動き、辛さを共感しあえる部分で繋がっているんだろう。でもそれすら運がいいことに(引越が多かった)、自分は晒されずに回避してここまできているものだから、被災した誰かに心から共感できてる気がしない。いざという時の備えに対して緊張感ももてず、貪欲さもないから、どのコミュニティーにいてもアウェー感が否めない。何を語るにしても表面的で所詮お前には他人事だろう?と思われてるんじゃないかってコンプレックスが湧いて、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。きっとみんなどこかで苦難を乗り越えたからこそ、今、強く生きていて輝いてみえるんだろうな、と観客のような気分でこの世界、この時代を生きてた。のうのうと。
で今年、コロナが起きた。
世界的な非常事態となって、客観的に見ても間違いなく、初めて自分が、この特殊な状況の当事者になった。そして案の定、苦労してない俺は、挫折に弱かった。3ヶ月間、職場に行けず、ほとんど出歩けず、家で過ごす非日常の日々を体験してわかった。俺はいざとなったら、いや、いざとなっても、危機感がなさすぎて動けない。失敗体験が少なすぎて、行動して状況を悪化させるくらいなら、何もしない。何かを考えようという発想がない、世の中になんの影響も与えられない人間だった。同じ境遇に置かれた周りを見渡すと、環境にすぐ対応して新しい生活習慣に移行して、ネットワークを活用して、自分に何が必要で、何が提供できるか考えて、みんな行動に移していた。なるほど、挫折経験が産むものはそういう思考回路なのか。それに比べて自分は何やってるんだろうな。コロナの前も後も変わらず、何の価値も生み出してない。引きこもり期間、ずっとそういう思考に陥ってどんどん落ち込んでいった。今思えばそれすらも、何か不幸な自分をファッションで演じてみたかったんだろうなと、恥ずかしい気持ちになるけど。とにかく、ようやくまわりと同じ境遇になったと自覚して改めてわかったが、自分の挫折を感じるセンサーはとても鈍い。実際自分よりもっとしんどい思いをしている人はいつだって絶えないけども、同じ境遇を逆境だと受け止める人がいて、さらにその中には、それを自分への挑戦だと受け止めて、立ち向かっていく人たちが世界を変えている、支えている。それを未だ自分は恵まれているとしか思えないから、敗れて悔しくてそこから這い上がるっていう体験につながらない。そういう思考が育たない。
生き延びるために今を必死に生きている人間がいて、そういう人たちに向かって手を差し伸べることができるサバイバーが多分世の中にたくさんいて、それを求める人が大半なんだろう。それと比べると、挫折のない人間が挫折してこなかった結果どうなるかを語るような場面はほぼない。死ぬほどの苦しみを味わったことがない人の、うすぼんやりした悩みなんて悩みとすら言えないんだろう。そうやって行き場のないモヤモヤを受け止める場所、手を差し伸べてくれる先人はなかなか見当たらない。でも、それこそ自分がずっと知りたかったことだし、もし自分に価値を与えるなら、そういうニッチな生き方の語り部としてのテメエの分際くらいしかない。流されて生きてきた事例、チャレンジせずにサバイブする方法、これからも目立たないように、でもほどほどに必要とされて生きていくために、情熱のない情熱大陸みたいな話を一応書き留めておこう、いつか必要としている誰かにそっと手渡せるように。とようやく心の整理がついて、ひとまず持ち直し今に至る。
この話はネットで書いたこともなければ誰かに話した事もなかった。
そもそも性被害にあった事すらなかったかの様に、というより本当に意識せずに生きてきたので、たまに思い出して苦しくなったりするものの、めちゃくちゃトラウマになっている、というわけでもなくて
うまく消化できないままどんな風にどんなスタンスで誰に話せばいいのか分からないまま大人になってしまった。
定期的に誰かに聞いてほしい気持ちが襲ってくるのでここに書く。
三歳か四歳の頃だった。
私は幼稚園が終わってから毎日習い事をしていてその日は多分ピアノの帰り道だったと思う。
私は早生まれな上に母子家庭で、だからこそ母親は教育をしっかりしたい、そんな意識がとても強い人だった。
小学校受験の為にピアノやお絵かきに日本舞踊に塾…様々な習い事をしていた。
ちなみに電気が止まるのは恒例行事なくらいの貧乏だったので、母は色々と大変だっただろうと思う。
ピアノ教室は徒歩で行ける場所だったが、二駅ほど離れた塾にも一人で切符を買って電車で通っていたし、"豚バラお好み焼き用"なんていう複雑な買い物もよく任されていたくらいなので、一人で行動する事にはとても慣れた子供だった。
そのせいか母親やたまに会う祖母なんかに、口酸っぱく知らない人にはついていくなと教えられていて
母親が倒れたと言われた場合、親戚だと名乗られた場合、など複数のパターンを想定して受け答えの練習をさせられていた。
なのに私はその日知らないおじさんについていってしまった。
ピアノ教室から住んでいたマンションまでは五分程の距離の一本道で、その日もいつも通り一人で帰っていた。
どうやってどこで声をかけられたのかは全く覚えていないしおじさんの顔すらもう覚えていない。スーツを着た太った人だった。
この事件に関しては覚えていない事が多すぎるけど幼稚園児の記憶なんてそんなものだと思う。
覚えているのは、私の住んでいるマンションの屋上に連れて行かれた事。
体調が悪いので助けてほしいと話していた事。
性器から悪い何かを出せば楽になるから手伝ってほしいと頼まれた事。
それがいけない行為だという自覚すらなかったはずなので、きっと助けてあげないといけないと思ったのだろう。
祖父や叔父はいたけれど、一緒に住んでいたわけではないので性器を見たのはその時が初めてだったのかもしれない。
もし私に父親がいたらいけない事だという自覚も少しはあったのかな?と今は思ったりする。
屋上でおじさんはチャックから出した性器を私に咥えさせながら色々と指示していた。
あまり書きたくない。
何故か性器はずっとふにゃふにゃだった。
そして少ししてから精液を口の中に出した。
気持ち悪いものが口の中にあって早く吐き出したいと思ったのはとても覚えている。
多分その精液はティッシュに出した。
不思議なもので、なんの知識もないはずなのに私はすごく嫌な気持ちでいたし
してはいけない事をされている、となんとなくその時に気付いてしまって、気持ち悪くて吐きそうでずっとソワソワしていた。
おじさんは、これで元気になったよ、と言っていた。
おじさんは私を脱がしたり触ったりは一切しなかった。
大人になってから、これは結構レアケースだったのでは?と思ったりもするけれど性犯罪者のスタンダードなんてものは分からないし
遅くなれば母親がおかしいと気付いてしまう時間的制限もあったので、優先したのがその行為だっただけかもしれないし服の乱れなんかを気にしたのかもしれない。
エレベーターでマンションの屋上から自分の階へ降りた時、すごく不思議な気持ちがしたのを覚えている。
ずっと住んでいたけど屋上へ行ったのも初めてだったし行ける事も知らなかったので、そのおじさんはきっと下調べしていたんだろう。
私がよく一人で帰っているのもきっと知っていたんだろう。もしかしたら母子家庭だって事も知っていたのかもしれない。
エレベーターの中で「この事は誰にも言っては駄目だよ」と強く強く言われて、誰かに話したらとても悪い事が起きると言われた。
私は馬鹿正直にそれを守り母親にも誰にも話さなかった。母親に隠しごとをしている事実に強い罪悪感があって、その日はずっと落ち着かなかった。
バレませんようにってずっと思ってた。
もしかしたら事件の影響で私も普段と変わった行動をとったりしていたのかもしれないけど、覚えていないので分からない。
当時の事を思い出した時に一番後悔するのは、ついていった事でも断らなかった事でもなくそれを母親に話さなかった事だ。
思い出すたびに何で話さなかったんだろう……と苦しくなって悲しくなる。
でも話していたら母親に一生消えないような負い目を感じさせる事になったわけで、この辺りの気持ちはうまく言葉にできない。
その後はおじさんに会う事もなかった。
小学校は電車で通っていたので、もし痴漢にあったらこうしなさい、と色々指南されていたけど、六年間痴漢被害にあうことはなかった。
満員電車の中にはランドセルの幅を迷惑がる大人がいるだけで、よく蹴られたり押されたりしていたので低学年の頃は痴漢よりもそっちの方が恐ろしかった。
十代の頃は露出狂や自転車で自慰しながら併走してくる人間に会ったりはしたものの、直接触ったりしてくる性犯罪者には遭遇しなかった。
屋上で何をされたのか自覚できるようになったのがいつ頃だったのかは記憶にない。
ある日ふと思い出したような感覚だったと思う。
性被害が与える心の影響なんかを調べたりしたこともあったけれど、心の傷になったりしたわけではないから
性被害にあった女性達に同調するのはとても失礼な気がして、名状しがたいモヤモヤした気持ちをずっと抱えていた。
でも思い出すとやっぱり嫌な気持ちになる。
ずっと深くは考えないようにしていたせいか、自分に起きた事という自覚があまりないのも良くない気がする。
だからといって辛すぎる体験を脳が忘れようとしている現象だとか深層心理では傷付いているとか、そういうのもいまいちピンとこない。
最近いろんな主義主張を見るようになって極端な意見ほど目につきやすい世の中になったけれど、自分はいつもどちら側にもなれなくて性被害にあったはずなのに私っておかしいのかなと自問自答する事が増えた。
その時のことを思い出すことも増えた。
なのに生まれつきの小児性愛者(not犯罪者)ってかわいそうな人だな……と思う時もあるぐらいで、男はすべて最低な生き物!とも思えない。
ある程度男性に警戒心は持って生きてはいるけど、まともな男性にもたくさん会ってきたしな……と思ったりする。
でも頭のおかしい男性がたくさんいるのも経験で知っているから、性犯罪のニュースを見ると心から死ねば良いのにと思う。子供の事件なんかは特に苦しくなる。
そんな感じでどっちつかずの自分の意見すらよく分からない人間になってしまった。
あの頃の事件が自分の人格形成に影響を及ぼしたとは思わないけど、いまだに言語化できない感情に支配されるのは事実で、幼稚園児の頃の記憶なんて薄れていくばかりのはずなのにずっと覚えているし
年に二回くらい思い出してはしんどい気持ちになるので言葉にしたら何か変わるかなとダラダラ推敲もせずに書いてみたけど、誰かに何かを伝えたいわけでもなく正直何がしたかったのか自分でもよく分からない。
おわり
「割と裕福」と言っても土地持ちなだけで
働かなきゃいけない実家出なきゃいけないコネもなしって事は、親も別に高収入って訳じゃなさそう
その土地は将来継げるだろうけど、それもただ広いだけで大して価値はない土地なのかな
家も歴史的価値があるような建築物でない限り古くて価値はないだろうし修繕費大変そうだし
要は自力で家用意する、ってのが大変なんだよな
Webのインターンやって早期選考の申し込みして新たに良さげな会社探してって最中に思った。
ちょっと裕福な私の家はデカイ。近所では1番デカくて全部で200坪くらいある。古い洋風な建築だからか設計のミスか母の寝室は高校の教室より広い。10畳の部屋が2部屋放置されてるし図書室には床が斜めになるほど本がある。
でも私にはこれが普通だから、逆に古い木造アパートとかトタン屋根の平家とかボロい(失礼)家が小さい頃から大好きだったし、たくさんの習い事を一年足らずでやめた。
で、今就活生で平均年収とか見るじゃん。私が狙ってるあたりの会社だとよくて800万、小さいとこだと500万とか。
超裕福ってわけじゃないから絶対働かなきゃ行けないしコネもないし実家離れなきゃ行けないしさーーー
元から全然貧乏だったらあと上がるだけだけど私あと下がるだけじゃん
もっと早く気づけばよかったよーーーー
限界です
10年くらい応援しているグループ(アイドルではなくとある劇団)なのだが、まあコロナの影響により舞台は中止または数を少なくして再販売。
それがただの紙切れ。(勿論返金された)
はぁ、こういうのって誰が悪いわけでもないのだがやっぱり事務所、俳優、舞台関係者を悪者にしてしまう。
それか私の運がよっぽど悪いのか。
だって最前列なんて何百何千万分の1レベルで取れないと思うし、私は最前列じゃないとその舞台を見たくないんです!!!
これまで28列だとか、2階席の1番後ろでも文句言わず見れるだけで幸せだと思ってたけど、一回最前列という夢を見せられちゃ、ねぇ。
これはもう『これ以上金を使うな』という神からの啓示でしょうか?
ここで私が辞めたところで他のファンからしたらチケットが取りやすくなるから別に何とも思わないだろう。
最後に、
今まで沢山の笑いと感動をありがとう。