はてなキーワード: 結果的とは
別姓を選択した夫婦から生まれた子供の姓をどうするのか、世論っていうかさ、みんなここのところどう思ってるんだ。
例を出すと、田中さん(夫)と鈴木さん(妻)が結婚して、太郎くんが生まれたとして、この太郎くんが田中太郎か鈴木太郎かってことになるよね。
夫婦で話して決めればいいし本人たちの自由といえば話は終わりなんだけど。それは分かってるんだけど。じゃあみなさんはもしこの田中さんや鈴木さんの立場だったら、どういう思いで子供の姓の決定に臨む?
親と子の姓が違うのは今どき当たり前だし、そこに奇異の目を向ける人は時代に取り残されていくと思うんだ。
イエの一体感とかも、自分はあんまりぴんとこない。なんかそういうことじゃなくってさ。
子供の姓を、生まれたばかりの赤ちゃんの姓を、田中か鈴木かどっちかに決めるのって、すっごく難しくない? 残酷な場面も出てこない? 遺恨が残るケースもない?
本当にそういうことないかな? だから自分は、諸手を挙げて選択的夫婦別姓に賛成って言えないんだ。ここのところがどうしても引っ掛かるから。ここのところ、世論というか、雰囲気が煮詰まってきてるとか、そういう感覚ある? ごめんけど私はない。
でね、この話になると、今の同姓が実質強制される場合において子供が田中太郎になるから鈴木さんは機会を奪われている、だから、今も片方を選んでいるに過ぎないから結局一緒とかいう意見があるのね。
いや~ 一緒じゃないでしょ。少なくとも、今は同姓にするのが(好ましくないと思うけど)アタリマエとされていて、そういう結婚をして、半ば自動的に子供の名づけをする夫婦が大多数なわけじゃない。
そういった近代に定着した価値観や文化の中で結果的に片方を選んだことになることと、新しい制度の上で両親の異なる姓から意識的に片方を選ぶのは、全然違う話じゃん。これを一緒だっていう人が私はどうしても信じられないの。背景とか意味とか、全然違うから。
そして、鈴木さんは機会を奪われているって言えてしまうなら、それは、選択的夫婦別姓を導入した場合でも、田中さんも鈴木さんも依然として奪われる可能性があるってことだよね。それでいいのかな? 本当に?
結婚して同姓になるのが当たり前、が、なくなって、自由に決められて話し合って田中太郎くんになったら、鈴木さんはちょっと悲しくないのかな?
成長した子供に「どうして自分は田中(鈴木)の方なの?」って聞かれたらなんて答えたらいいの?
このあともし次郎くんが生まれたら、太郎くんが選んだ方とは反対の姓を選ぶの? それとも同じ? どうするのかな?
これまでの実質同姓強要がおかしかったって主張も、わかる。わかる、けど。けどさ。実際、私たちが生きる今の社会は、同姓にすることがアタリマエになっちゃってるじゃん。そこからここの部分を変えていくのって、すっごく難しく思えちゃうの、おかしいことかな?
最初にも書いたけど、選択的夫婦別姓には賛成なの。でも、ここだけがどうしても引っ掛かっちゃう。
はてなーのみんなはここのところをどう思ってるの? 自分だったらどうするの?
子供のことをダシにして選択的夫婦別姓に反対したいとか言われそうだな。違うの。みんな好きな姓を選べたらいいと思うんだ。でもここがどうなるのか、みんなどう思ってるのか、わからないの。選択的っていう正しさばかり叫ばれていて、ここの運用の議論とか世論の形成があまり進んでいないように感じてしまうのは、私が勉強不足なのかな。
自分は、将来結婚してパートナーと話し合って別姓を選んだとして、そして太郎くんが生まれたらと考えたら、ちょっと怖いよ。その話し合いとか、いろいろ。
みんなどう思ってるの~~~~~~
素っ裸の女の写真でおっぱいとかお尻でガキが発情しているのは正常だろ
もっとアブノーマルな、変態すけべコンテンツで性癖が歪んでしまうぞ
まず、出来損ないの万博会場に子供を連れて行くことについて。一般的に万博は大型の国際イベントであり、様々な国や企業の最新技術や文化を紹介する場なので、子供にとっても勉強になる場であることが期待されるっす。しかし、もし会場が未完成で十分な展示がないとなると、その期待が大きく裏切られることになるっすね。それでも外出して家族や友人と一緒に過ごすこと自体は楽しいかもしれないっすけど、その価値はやはり場所や内容にもよるっす。
参加表明したものの建物が完成しなかった国々について。実際に工事が進まなかった背景には多くの理由がある可能性があるっす。例えば、資金不足や工期の遅延、コロナ禍などの外的要因などっす。でも、最終的には何かしらの対応を迫られることになるっす。プレハブ小屋なんていうアイディアも一つの対策としては考えられるけど、その国の イメージや展示内容が十分に伝わるかは疑問符がつくっす。
維新の会の姿勢についても辛辣な意見が出るのは理解できるっす。特に、過去に自民党の箱物行政を批判していたのに、同じような失敗をすると信頼失墜は避けられないっすね。万博のような大規模イベントは計画段階での予測が難しい部分もあるけど、タイミングや管理が悪いと結果的に大きな批判を浴びることになるっす。
総じて、増田ちゃんの意見は的を射ているし、たくさんの人が共感する部分も多いと思うっす。どんなイベントも成功するためには計画の段階から慎重に進める必要があることを改めて感じるっす。
都知事選で女性が半裸で写真に写ったポスターを作り、自らそのポスターを張っていた行為に対し、警察が警告したことで撤去に追い込まれた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/election/tochijisen/20240620-OYT1T50179/
「東京都知事選挙でほぼ全裸の女性ポスター掲示、警視庁が条例抵触で警告…候補者「撤去する」」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1244115
「都知事選候補者の“ほぼ全裸”女性ポスターめぐり 都の迷惑防止条例で警告 警視庁 | TBS NEWS DIG」
ニュースそのものや、それに対するブコメがいろいろ突っ込みどころだらけなので気になる点を列挙
・性器や乳首は隠されているので、刑法のわいせつ物陳列罪にはあたらない可能性が高い。
・今回警察が警告した根拠は迷惑防止条例で、「公の場で人を著しくしゆう恥させる卑わいな言動をしてはならない」という規定。「わいせつ」より幅広く対象になる。
迷惑防止条例は全体的にそんな感じで、警察が恣意的に運用して便利に使っていると批判も多い。
・刑法のわいせつ物陳列罪も、迷惑防止条例も、「公職選挙においては禁止から除く」という除外規定はないため、「選挙だから大目に見ろ」と警察が言われても、困るだろう。法令にそんな規定はないので、選挙のときだけ甘く対応したら、それこそ「恣意的運用」である。
起訴までいけば裁判所が「民主主義に必要なのでこの程度で罰すべきではない」と判決を出し判例になっていくかもしれないが、結果的に無罪になるとしても逮捕され裁判を受ける被告人の負担は大きく、ほんらいなら条文に入れ込んでおくべき。
・が、条文で除外規定を設ければ、今回の都知事選のように悪意をもって除外規定を濫用する者はきっと現れるはずで、難しいか。
・あのポスターの掲示が「卑わいな言動」に当たるなら、パンツ一丁の「とにかく明るい安村」が角度によっては全裸に見える姿を、レーティング無しで全国テレビ放送することが「卑わいな言動」で警告されないのは何故か?大相撲の力士達、大相撲の中継放送がなんの問題もなく行われているのは何故か?
・「オッサンには誰も欲情しないから半裸でも卑わいではない、自由にやりなさい」 「若い女には欲情する男がいるから、半裸でも卑わいである、まかりならん」というのは、男性の性欲基準で女性の行動を縛っていて、本人の責によらない性別・年齢による自由の制限であり、男女差別ではないのか?
・若い女性がとにかく明るい安村のような全裸に見える半裸コントをしたいとき、それは禁じられるのか?実際にやってみた動画をyoutubeにアップしたり、公衆の前で披露したら罰せられるのか?
欲情する相手がいない醜い姿の人間(属性)なら許される行動なのに、若い女だと欲情する男がいるから卑わいだと公権力(警察、検察、裁判所)が行動を制限するのは、憲法に定められた平等の権利に反するものではないのか?(ものすごいデブスや老婆だったら?)
・そもそもわいせつ物陳列罪の「わいせつ物」の定義「社会通念による」の運用からして恣意的で、性器が描写されたダビデ像や・裸婦画の現物や写真を公然の場に掲示して摘発されていない。男性器そのものをリアルにかたどったかなまら祭りもお咎めなしである。女性器をリアルにかたどった芸術作品を作ったろくでなし子さんは摘発され最高裁で有罪判決を受けたのに。女体はエロい(男にとって)から隠さなければいけないのか。
・とにかく明るい安村も、大相撲力士も、ゲイの男性やああいうポチャ男性が好みの女性からすれば欲情対象でありその姿は卑わいである。それは少数だからと無視し、「世の多数のノーマル男性」の性欲基準でわいせつ・ひわい認定するのを「社会通念」「国民感情」としている現状は、多様性や平等性からして問題ないのか?
・はてブについていえば、過去に私有地であるビル内の入り口に掲示してあった肌色の多い(着衣はしている)女キャラの大きなイラストを、ネットのフェミニストが「卑わいだ、不適切だ」と抗議して表から見えない裏側に移設させた事例で、「子供も見るのだから抗議・移設は適切だ、TPOを考えろ、ゾーニングだ」と肯定するブコメがスターを集め上位になってたことがあり(他同様の事例多数)、今回のブコメだけ「問題ない、表現の自由だ」とするブコメがスターを集め上位になっているのに、恣意的・偏りを感じざるを得ない。
生身の女性が裸をさらしたいのは女性の自由、女性の権利として大事だが、イラストに描かれた女性の姿は男性の性欲の結果だからより「価値が低い」「重要ではない」「隠されるべき」なのだろうか。
ならば生身の女性が男性受けを狙って肌を露出させたいと思ってたとしたら? 「卑わい」な女キャライラストを女性絵師が表現として描いていたら?
ブコメで「社会通念を基準にするなら、同性婚やジェンダーギャップも」とあってその通りと思った。
社会通念が権利制限の根拠になるのであれば、世の多くの人が「同性で結婚などありえない」と考えてるかぎり、どんなに同性愛当事者が求めても、どんなに苦しんでても、多数の異性愛者にとって何の実害がなくても、「同性婚は社会通念上おかしな要求だから聞く必要はない」とはねのけるのが是となってしまう。
多数の「お気持ち」で少数の権利を制限するのは差別で不当なことだと、同性婚や夫婦別姓では考えることができるのに、どうして性的表現のときだけ「多数のお気持ち=社会通念」で「裸を表現したい」という少数の権利を制限することを是とする事を認める人が多いのか。(ろくでなし子さんや海外でトップレスデモしているフェミニストにとっては、そもそも女の裸は「単なる自分の一部」であって、「性的表現」ではないのだが)
これ表現規制って法律問題だとかなり難しい問題なんじゃないかな。
たしかに単なる猥褻物は判例上においても規制が可能とされてる。
まず表現行為の価値について考えると、選挙において政策として猥褻表現の価値を訴える場合はチャタレイ夫人なんかを例とする個人の表現としてのされる行為が猥褻表現を含むのではなく、政治的意見表明としてされており表現に政治的な価値が乗る。
従って価値が高くなる。
その場合、民主制の過程において何が政治的に正しいか討論するための情報を事前に行政が規制することはかなり厳しく判断される。
これは例えば外国人による犯罪の予防のために議論するときに結果的に差別的ですあったとしてもまずは行わせた上で妥当性を判断するような場合なんかと同じ。
議論の土台となる主張については議論によって妥当性が判断されるべきで、事前の規制は権力による恣意的な濫用の危険性が大きいからできるだけ抑制されるべき。
次に目的、すなわち対抗価値の重要歳について考えると、猥褻表現については上に挙げた目的以外に未成年保護って理由も考えられるし、選挙ポスターはこれに当たりうることがら正当化の余地がたしかにある。
これに関しては猥褻な出版と青少年保護が対立する岐阜県青少年保護育成条例事件の判決があるけど、これは政治的表現じゃないから判例の射程外の可能性もある。
そうすると今回の事件は単なる低価値で、性道徳や青少年への害悪の疑われる猥褻表現の規制ではなく、政治的な主張に必要な表現が猥褻性を有するっていう事案であって、価値が認められる余地があるんじゃないかな。
子育てとの両立は大変だったが、夫が子育てに協力的だったのでなんとかなった
夫は私が浮気してることは知らないけど、結果的に私の美しさが保たれているのでwin-winだと思う
夫はいつも綺麗だとか可愛いとか言ってくれるし、私も夫を大切に思っている
夫ともセックスはするし、生で挿入させてあげるのは夫だけで恋人にはさせていない
無料マンガアプリがたいてい冒頭を読ませて最後は有料に設定しているように、最終回は締めであり落ちであり まあそこ読めば分かった気になるものである
ピッコマで毎日なにがしか全巻無料で読めるキャンペーンやってる
また、平日では読み切れるはずもなく
2021年1月、はてなブックマークで以下の記事が多少話題になった。
日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策 - 佐藤由美子の音楽療法日記
佐藤氏が気にかけていたのは、あくまでも日本語版Wikipediaの日本の歴史認識問題についてのみだったようだが、私は当時から、いわゆるホロコーストに関しても、歴史修正主義者のWikipedia上での活発な活動を知っていた。奴らは、ちょこちょこちょこちょこ、関連記事を編集していたのを目撃していた(実際にはネットで知り合った人から教えてもらったw)。その時から、私の奴らとの孤独な戦いが始まった。本当に孤独で、誰か他におらんのか?と思うほどである。
そんな戦いをしているのは私(と他に何人かはいるかもしれんがよく知らない)くらいかもしれないが、とにかく日本語版でのホロコースト否定派に属するであろう歴史修正主義者はWikipediaで暗躍し続けている。
例えば、ニュルンベルク裁判の記事では、「被告に対する暴行や弁護団への不法行為」という項目で、ヴェルナー・マーザーというドイツ人歴史学者による著書『ニュルンベルク裁判 ナチス戦犯はいかにして裁かれたか』だけを使って、ニュルンベルク裁判で被告らが暴行・拷問を受けるなど不当な行為が行われたと書かれている。少し調べると、ヴェルナー・マーザーは歴史修正主義者と見做されており、ドイツ語版のWikipediaにあるヴェルナー・マーザーの解説には次のように書かれている。
しかし1977年以降、マーザーは歴史修正主義者に分類されるようになった。特に『ニュルンベルク:勝者の法廷』(1977年)、『言葉の破れ』(1994年)、『ヒトラーとスターリンに関する改竄、虚構、そして真実』(2004年)といった著作のせいである。ヒトラーと国家社会主義に関する彼の全体的なテーゼは、ナチスの研究によって否定された[4]。
残念ながら、マーザーの著述を批判するほどの知見は私にはないので、Wikipediaの記述を修正することは今の所無理だが、同ドイツ語版ページには上の引用の直前にこうも書かれている。
メーザーの文書館での作業、資料や二次文献の知識、同時代の証人や専門家との接触、調査方法は、初期の著作では歴史学的基準を満たしていたため、ナチスの歴史に関するこれまで知られていなかった詳細を文書で発見したことは、研究衝動として認められた。例えば、マーティン・ニッセンは、事実をつなぎ合わせることに関しては、メーザーが多くの専門的な歴史家よりもはるかに優れていると見ていた。
しかし、多くの専門家たちは、彼のこうした事実の扱いを批判した:例えば、カール・ディートリッヒ・ブラッハー、ロバート・G・L・ウェイト、ジークフリート・シュヴァルツは、ナチス時代に関する著書の中で、彼が他の著作からバラバラの詳細を集め、歪曲したやり方でそれらをつなぎ合わせ、本質的な事実とそうでない事実の区別をつけなかったと非難した。
ドイツの歴史研究界隈で物議を醸す歴史家だったことは確かなようではあるが、マーザー自身はホロコーストを否定していないようではあるが、ニュルンベルク裁判で被告に拷問をしていたと記述していた点は、どうも日本人の歴史修正主義者にはかなりのお気に入りのようではある。
そして、「被告に対する暴行や弁護団への不法行為」より下の項目を読んでいくと、もはや修正主義者の独演会になっている。例えば「不起訴になったカティンの森事件」という項目があるが、カティンの森事件は修正主義者・ホロコースト否定派の大のお気に入りで、何故かといえば、ソ連のゴルバチョフ書記長時代に実施された情報公開政策「グラスノスチ」により、カティンの森事件がソ連の犯行であることが、ソ連自身によって文書証拠付きで示され、ソ連がそれまでナチスドイツの仕業だ!と言っていた、そのソ連の主張が嘘であることが確定したからである。
ホロコーストに関しては、ユダヤ人絶滅のほとんどが、ソ連地域や第二次大戦で結果的に終戦まてにソ連が占領した地域で起きたとされていることから、否定派はホロコーストはソ連の捏造だ!と主張してきたので、カティンの森事件がソ連による嘘だと確定したことには大喜びなのだ。つまり、修正主義者たちは「ほらみろ!ソ連は嘘つきだと判明したじゃないか!ホロコーストだってソ連の嘘に違いない」と言いたいのである。
だからこそ、ニュルンベルク裁判の内容にはほとんど関係のない、カティンの森事件についてまで記述されているとしか考えようがない、だいいち記事中に書かれている通り、ニュルンベルク裁判では審議の対象にすらなっていないのだから、ほとんど書くべき内容はないはずである。事実、英語版ウィキペディアのニュルンベルク裁判の記事では、たった一文「西側の検事たちは、審理全体に疑念を投げかけることを恐れてカティンの罪を公に否定することはなかったものの、懐疑的であった[160]」と書いてあるだけで、日本語版のように項目にすらなっていない。
続く項目は、カティンの森事件以上にホロコースト否定派が大好きな「発見されなかったヒトラーのユダヤ人絶滅命令や計画書」だ。ホロコースト否定派はヒトラーのユダヤ人絶滅の命令書は存在しない!というテーゼを抱えて絶対に離さない。個人的には、もしホロコーストが連合国やユダヤ人による捏造なら、それこそヒトラーの命令書が捏造されていないことは、極めて不自然(ペラ一枚捏造するくらい造作もないだろw実際、文書資料として残されているT4作戦のヒトラーの命令書(承認書)は簡素なものだった)だと思うのだけど、ホロコースト否定派はそんなコマケェ話は気にも留めない。命令書が存在していないのだから、ナチスドイツのユダヤ人絶滅など作り話に違いない!、という鬼の首なのである。
しかし、そこには書いてないが(何故それを書かないのかわからないが)、歴史家のほとんどは「ヒトラーによる命令は口頭でなされたのであろう」と考えている。詳しくはここでは書かないが、それなりに間接的な証拠がいくつか存在するからだ。ヒトラー自身が強烈な反ユダヤ主義者だったことを否定する研究者は存在しない。それは修正主義者ですら認めている(アホなネット否定派の中には認めない人もいるが)。ナチ党自身が反ユダヤ主義者の集まりであった。「ユダヤ人を殺す」とする趣旨の記述を持つ当時のドイツ文書は腐るほどあるのである。例えば、リトアニアでユダヤ人を殺しまくっていた親衛隊将校によるイェーガー報告書という文書を読んでみるといい。そこには「ユダヤ人を全員殺したかった」とさえ書いてある(全員はその地域の労働力の保存の意味で殺せなかったから不満を言っているのである)。それら諸々の記録などを調べていたら、ヒトラーの命令がなかったことは非常に考え難いのだ。
ともかく、日本語Wikipediaのニュルンベルク裁判に関する以降の記述項目もほぼ全て、ホロコースト否定派・修正主義者による記述だと断定していいだろう。ニュルンベルク裁判についての解説として、まともなのは記事の前半くらいなのだ。それが、履歴を多少確認する限り、かなり以前から放置されてきたようなのだ。日本人はニュルンベルク裁判などほとんど関心がないからだろうか?
私自身は、このニュルンベルク裁判を大幅に書き換えるほどの知見はまだ持ってない(細かいことなら可能ではあるが…)し、他のホロコースト関連記事で多少活動している程度である。それらの他の記事でも、実際のところホロコースト否定派と思しき奴らの記述は散見されるし、しかも奴らの記述をあまりにも大幅に書き換えたり、あるいは削除したりすると「削除しないでください!」と履歴欄でクレームをくらうことは頻繁だし、最悪な時は編集合戦と認められて、保護状態にされてしまったことすらある。Wikipediaは厄介で、敵対する相手とも共同編集せざるを得ないため、とんでもなく面倒なのである。しかも、ホロコースト否定に対抗する場合、「要出典」とならないように、可能な限り出典を明示するべきなのだけれど、日本語圏では壊滅的にホロコースト文献を得るのは至難の業なのである。どうにかこうにか、若干の日本語文献と、ネット上の文献を駆使してはいるが、とにかく図書館に行っても、適切な文献を見つけることは困難なのである。稀に洋書を見つけることはあるけれど、そもそもすらすらとは読めない…。
ところが、否定派の連中ときたら、平然とその出典部分を修正主義者のサイトから持ってくるのである。有名なのは、歴史修正主義研究会で、こちらには大量の欧米の修正主義者による論文の日本語訳が公開されていて便利なのだ。そして、もう少し知恵の働く修正主義者はこの歴史修正主義研究会のサイトを経由して、欧米の修正主義者サイトにある資料を典拠としたりする。あるいは酷い人になると、どこの誰が作ったのかもよくわからない怪しげな歴史修正主義者のサイトにある記述を出典とする人もいて、Wikipediaのガイドラインなんざガン無視していることすらある。
多分、語圏の広い英語版だと、修正主義者よりはるかにそれに反対する人たちが多いからなのだと思うけど、英語版のホロコースト関連記事ではほぼそんなことにはなってない。英語版で修正主義者の記述を見つけることはほぼ全くないと言っていい。しかし、日本では以上の有様なのだ。私はここ増田で何度も「日本にもホロコースト否定派は多い」と言ってきたと思うのだけれど、それを問題に思う人も少ないのかもしれない。実際、ホロコースト否定の日本のネット上での存在を知って、ホロコースト否定論への反論がほぼ日本語では存在していないことを知ったから、数年前から、主に海外の記事を翻訳してnoteを通じて公開してきた。
勝手に翻訳公開するのは著作権がどうのと言われたこともあるが、人力でAI翻訳しているだけとでも思って欲しい。私の翻訳がしばしばハルシネーションを起こしているのは私が生身のAIである証拠だ(笑)
誰か手伝って欲しいという気持ちは正直なところだし、ここ数年、大量のネット上の海外記事を翻訳し続けてきたし、それら記事に辿り着く人もそこそこ増えてはいるようだし、最近はもういいかなとも思い始めてはいる。結局、多数の賛同を得られないのであれば、それはそれでしょうがないかなという気もしている。ネット上の否定派たちは、私からみる限り、どこからでも湧いてくるように増殖する、ように見える。正直、キリがない。一応趣味でもあるから、完全に辞めることはないとは思うけど、ともかく、どうしてこんなにデマに弱い人が多いのか、よくわからない。
「オマエモナー」と言われるかもしれないが。
実体験に基づく教訓。
俺はある地方都市在住のしがないSEで、子育てを終えて余裕出てきたから、ボランティアとして公民館で子ども向けのプログラミング教室を細々とやっている。
そんな俺に興味を持って話しかけてきたのは公民館を管轄する生涯学習課のAさんだった。
Aさんは役所の職員には珍しくパソコンが得意で、プログラミング教育にも高い関心を持っていた。
俺とAさんはすぐに意気投合して、もっと多くの人がプログラミングに触れ合えるようにするにはどうすればいいかを語り合った。
Aさんは40代の係長で、これまでの経験から学校や地域に多くのツテを持っていて、補助金にも詳しく、何より情熱と多くのアイデアを持っていた。
この人とならどんなアイデアでも実現できそうだ。
そう思って色んな事業をいっしょに考えた。
そして補助金をとって、いよいよというタイミングで、Aさんが全く別の部署に異動してしまったのだ。
ショックだったが、Aさんは「予算は取れているし、後任にもしっかり引き継ぐ。自分もいつでも相談に乗る。」と言ってくれたので、信じることにした。
だけど、この後任というのが本当にどうしようもないボンクラで、こちらの話を理解する能力が全くないやつだった。
こいつをBさんとしよう。
Bさんは30代と若いのだが、パソコンもExcelの関数すらろくに使えないレベルで、すぐに「それはどういう意味?」と聞いてくる。
それに答えて何度説明しても用語を覚えない。覚える気が全くない。
そのくせ、こちらを見下しているのがありありと見て取れる。
Aさんと雑談してた中で聞いた話からすると、たぶん年収はこちらの方がかなり上だと思うんだけど、そんなことは関係なく、どうも民間企業を全て見下しているようだった。
そんなBさんとはまったく話ができなかった。
会話が成立しない。
困ってAさんに相談して、Aさんから話してもらったが、改善はされなかった。
やはり直接の担当者でないから限界があるのと、どうやらBさんは、役所内でも優秀だと知られているAさんのことを一方的にライバル視しているようで、Aさんの反対をやりたがる傾向があるらしかった。
そもそも俺も働いているし、Aさんも新しい部署での仕事がすごく忙しそうだったので、Aさんと話せる機会は減っていった。
しかたなく、Bさんがわかってくれるまで話そうと、我慢強くコミュニケーションをとってきたが、ある日Bさんの上司から「もう少し接触を控えてほしい。」と言われてしまった。
なんでも「毎日通常の業務だけでも深夜まで残業してるのに、増田さんがしつこく連絡してくるので負担になっている。」と上司に訴えたらしい。
俺はその上司に「でもAさんは同じ仕事を勤務時間内に片付けた上で私ともっと密にやりとりしてくれてましたよ?」と返したが、その答えは「彼は特別だから。」だった。
その後、俺とAさんで考えていた事業は、しょうもない営利目的のプログラミング教室が落札していった。
意図的に俺を外すために入れたのだとわかる項目がいくつもあった。
きっと、役所側は何もしなくていいですよとうまいこと丸めこまれたんだろう。
結果的に、そのプログラミング教室は業務を表面上カタチだけ実施して、ホームページに大袈裟に実績として掲載したが、それっきりだった。
市も「補助金使ってこんなことしました」と宣伝したが、その後には何も残らなかった。
俺とAさんなら、と思わないことはなかったが、もうどうすることもできなかった。
俺は今でも、以前と同じように公民館で細々とプログラミングを教えている。
よく考えたら、これで満足だし、これを望んでやっていたのだ。
Aさんがいなければ、別に何か大それたことをしようなんて気持ちは無かったのだ。
よくわからない虚しさがあるだけだ。
その人がいないとできないことは、はじめからできないと思ったほうがいい。
これが今回の一件で得た教訓だ。
これを書いた増田です。
この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。
結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。
ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科の病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています。
辞めるつもりではあるけど。
とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。
今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。
パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。
別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。
相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。
親家族にパワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。
きっといつか好きな人にちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。
あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。
危惧は結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。
今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。
あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。
最後に
こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣にレスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます。
長くてごめんね。
ここに書いていいよって言われて救われました。今後も沢山書くからな
これを書いた増田です。
この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。
結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。
ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科の病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています。
辞めるつもりではあるけど。
とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。
今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。
パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。
別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。
相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。
親家族にパワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。
きっといつか好きな人にちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。
あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。
危惧は結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。
今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。
あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。
最後に
こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣にレスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます。
不機嫌ハラスメントって、大きい音を立てて威嚇したり、叫んだりっていうのの他に、悲しいとか落ち込んでいるとかをあからさまに押し付けられるハラスメントもあると思う。
人を嫌な気持ちにさせることに遠慮がない人に対して、無視したり気にしない以外の対処方法がなくて、落ち込んでしまう。
他の人はうまくやっているのか、私に対してだけやられてるのかわからないけど、楽しい気持ちになっているところを、急に変なスイッチを押して相手の気分がガクンと下がってしまって、気にしなければいいのにつられて嫌な気持ちになってしまう。
相手が欲してる言葉はわかってたけど、それは自分を犠牲にしないといけなかったし、やりたくなかった。
前は機嫌取るため、というか相手が死んじゃうんじゃないかって夜中相手してたけど、泣きながら自分を削りながら必死でやるのは、結果的にあんまよくないのではと思ってやめた。
放っておけるようになったのは進歩だけど、でも気が重いのには変わらず。程度は違えど。
不機嫌ハラスメントって、大きい音を立てて威嚇したり、叫んだりっていうのの他に、悲しいとか落ち込んでいるとかをあからさまに押し付けられるハラスメントもあると思う。
人を嫌な気持ちにさせることに遠慮がない人に対して、無視したり気にしない以外の対処方法がなくて、落ち込んでしまう。
他の人はうまくやっているのか、私に対してだけやられてるのかわからないけど、楽しい気持ちになっているところを、急に変なスイッチを押して相手の気分がガクンと下がってしまって、気にしなければいいのにつられて嫌な気持ちになってしまう。
相手が欲してる言葉はわかってたけど、それは自分を犠牲にしないといけなかったし、やりたくなかった。
前は機嫌取るため、というか相手が死んじゃうんじゃないかって夜中相手してたけど、泣きながら自分を削りながら必死でやるのは、結果的にあんまよくないのではと思ってやめた。
放っておけるようになったのは進歩だけど、でも気が重いのには変わらず。程度は違えど。
10年ほど前田舎のTSUTAYAでアルバイトをしていたので、TSUTAYAが無くなってしまうことについて思うことが色々とある。
Netflixなどのサブスク動画配信サービスにはコンテンツが少なすぎる。TSUTAYAに行く文化が無くなってしまったことにより、ライトな消費者が見る映画の選択肢が少なくなっている。試しに、DVDレンタルサービスであるTSUTAYA DISCASの2024年5月のレンタルランキングを基準に、動画配信サービスの配信状況を一覧化してみた。
ランキング | タイトル | Netflix | U-Next |
---|---|---|---|
1位 | アクアマン/失われた王国 | なし | レンタル(399円) |
2位 | オペレーション・フォーチュン | なし | レンタル(399円) |
3位 | バッド・デイ・ドライブ | なし | レンタル(399円) |
4位 | ウォンカとチョコレート工場のはじまり | なし | レンタル(399円) |
5位 | ロスト・フライト | なし | レンタル(399円) |
6位 | 怪物の木こり | 配信あり | レンタル(399円) |
7位 | ミステリと言う勿れ | なし | レンタル(399円) |
8位 | 翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて | なし | レンタル(399円) |
9位 | THE FIRST SLAM DUNK | 配信あり(独占配信) | なし |
10位 | アナログ | なし | レンタル(399円) |
11位 | ヴィレッジ | 配信あり(独占配信) | なし |
12位 | コンクリート・ユートピア | なし | レンタル(399円) |
13位 | ゆとりですがなにか インターナショナル | なし | レンタル(399円) |
14位 | おまえの罪を自白しろ | なし | レンタル(500円) |
15位 | カンダハル 突破せよ | なし | レンタル(399円) |
DVDレンタルランキング15位以内のうち、Netflixにはたった3つしか配信されていない。U-Nextについては見放題コンテンツは1つもなく、有料レンタルのみだ。さらに厄介なのは、Netflixが一部コンテンツを独占してしまっているため、U-Nextやその他のプラットフォームを利用しているユーザが有料でコンテンツを楽しもうとしてもできない状態になってしまっている。
サブスク見放題のコンテンツが膨大にあるため、有料コンテンツはランキングに乗ってこない。U-NextのUIは悪くはないし、新作のランキングも見ることができるようになっているが、DVDレンタルランキングと比較すると違和感がありあまり参考にならない。有料でコンテンツを見ようとする人が少なすぎるせいなのだろうか。
ネット配信で多くのコンテンツに安価にアクセスできる環境は整ったのに、結果的にライト層が新作映画を見ない文化が出来上がってしまったように感じる。少なくともNetflixはTSUTAYAの代替にはなっていない。U-NextやApple TVには新作コンテンツが多いので頑張って欲しいが、YouTubeやTikTok等膨大な無料コンテンツがある中、有料コンテンツの映画を見る人が増えるとも考えにくい。
今更TSUTAYAに行きたいという考えは全くないし、無くなって然るべきと思うものの、映画文化が縮小していくような寂しさも感じている。
宇宙から降り注ぐ宇宙線と地球の大気とがぶち当たると素粒子が生じる←信じられないけどうん
ミューオンは強い透過力があるのが特徴←うん
どうやって人工的に利用できるんだろ?
空気みたいにそこらじゅうに溢れているの?
ちっちゃいミューオンをどうやって扱うの?
わからないことが多過ぎる
発見にとどまらずそれを制御して利用しようって思い立って結果的に成し遂げたって凄すぎるし
やばいよね
まーX線は電磁波の一種だから生み出すのもまだ容易なんだろうなと思う
でもミューオンはどうなるの?宇宙線をどうやってコントロールするの?
わかんないよ
「ミューオン出ましたっ!捕獲!」って集めてから使うの?ってGPTに聞いたらそれは面白い発想ですね!でも違います!って言われた
通過するミューオンをリアルタイムで検出して情報を得るというプロセスなんだって
まだわかんない
なんとなくわかってきた
つまり、宇宙から降り注いで、物質を通過し終えたミューオンをキャッチし、検出し、解析することで、その通過データ(透過データ)を得られるってことですか?
ってGPTに聞いたらその通りです!って言われた
そういうことかあ
まあそれはそう。
作家の性別がなんであれ、性別や立場によって偏見や不備がでているぞってことなら本当にそれが正しい評論として成立しているかはさておき、それを指摘するのは間違ってはないと思うし、どんな作家を目指すのかにもよるけど公正でリアルな表現を目指しているならばそこに気をつける価値はあると思う。
あとでもまあ社会構造から結果的にそうなったものを「男が作った」と手柄のように言うのも変だよなとは思う。女に参加させなかっただけだよねっていう反論は成り立つのではないだろうか。
まあそれも社会構造とか生物学的に自然にそうなっていったというのが正しいとは思うので、別に誰がいいとかわるいとかではないと思うけど。
そしてテクノロジーや医療、教育や社会システムの発展によってその昔の性差による役割分担もおおかた意味をなさなくなってきているから見直さなければならないよね、というのも自然の成り行きだと思う。
立憲民主党が蓮舫っていうカードを切ったのは正直微妙だと思っている。
雑な言い方だけど知名度ももともとあって好き嫌いがしっかり分かれている人だし、そういう対立候補支持を切り崩していかないといけない野党候補としてはどれぐらい現職や自民党支持者、無党派層を引っ張ってこれるんだろうというのが懸念してるところ。
なので、もっとふわっとした人を立てたほうがよかったのではと思ってるんだけど、そうすると共産党も別候補立てて相乗りにできなかったのかなあなんて妄想をしている。
自民が前のめりに小池支持をしているのは追い風で、いまの情勢で自民には入れたくないよねーという人が結構流れてきそうになってきた。でもやっぱり蓮舫はちょっと・・・ていう人も多いから結果的に投票率下がったりするかな、どうだろうね。