はてなキーワード: 精神医療とは
どこを見てどういう基準で診断出してるんだろうか。
そういえば、精神科にかかってた知り合いが引っ越しに伴って病院を変えたら病名がまるっきり違うものに変わったって話してたわ。
あと、親戚で20年弱ぐらい精神科に通って薬もせっせと飲んでる人がいるけど良くなってるのか悪くなってるのか本人も周りもよく分かってないみたいな状況でなんだかなぁって感じ。
まじでどういう基準で病名つけてどういう基準で薬出してるん?苦しんでる人を助けたいって思いでやってる精神医療の関係者は多いんだろうけど、ほんとに医学の名に値するものなの?
精神科にかかって良くなったって人もそれなりにいるんだろうけど、医者ガチャ要素はでかそうだし、医者以外の私生活の諸々で治るかどうか左右される割合とかも結構ありそうだし、いまいち精神医療に信用置けないというか、つかみどころのない感じがするんだよなぁ。
きついことを書くが、アンタのために書いているつもりなので、どうかこらえて読んでもらいたい。
まず、アンタは治りたい(本当は治癒というよりは寛解、もしくは自分のありようにおりあいをつけるということなんだが)のか。今だけ楽になりたいのか。どっちなんだろう。いずれにしても、アンタのやり方はよくないと思う。まずアンタが書いている時刻が問題だよな。俺は今日早く家を出る用事があって早起きして、アンタを見かけてこれを書いているわけだけど、アンタ、未だに夜寝られていないんじゃないのか。それは状況が改善していない証拠だと思う。
自分で病名を探して納得しようとする、っていうのは、メンタルの悩みを抱える人が陥りがちな穴なんだけど、こう考えてみてくれないか。直線が曲がって見え、色が違った色に見える、そういう状態の視覚で懸命に絵を描こうとして、絵が描けるのか? 少なくとも一人では描けないよな。もし無理矢理描くならば、定規なり補助者なり、といった「外部(自分以外)の基準」なしには絵は描けないわけだ。これと同じで、メンタルに問題を抱えた人間が、その精神的状況を自分で精査することは不可能だ。だから、医師なりカウンセラーなりの助けが必要だし、最終的な判断は彼らに委ねなければならない。
患者側が、たとえば amazon で大枚はたいて DSM-5 やそのマニュアルを購入し、自分にあてはまる箇所を探す……なんてことがありそうなわけだが、あれは臨床経験をちゃんと持った精神科医が診断の基準にするためのものなので、素人が自分の主観的に感じる状況をその中に探しても、あーここも、ここも、ここにもあてはまりそう……で終わってしまう。だから、自分で自分を「診断」するのはやめた方がよろしい。意味がないんだ。そういう例を山程扱っている専門家に委ねる必要がある。
ただし、患者側にもある程度選択する自由はあるし、選択することは考えないといけない。ニュースとかで見たことあるかもしれないが、安易な多剤併用の処方を漫然と行う精神科医は確実に存在するし、まともな指導を受けず、怪しい資格を取得してカウンセラーを自称するような輩も結構あちこちに転がっている。
だから、これから書くことをやってみてもらいたいんだ。うまくいけば、もっと自分の状況をよくすることができると思う。
まず病院を探すこと。近所にあるところにポンと入るのは駄目。さっき書いたような多剤併用を行うような医師に当たってしまう可能性もある。俺がこの手の話を相談されたときに提案するのは、その地域の保健所に相談することだ。保健所は、精神医療における自立支援医療の窓口になっているので、精神科・心療内科に関する評判が集まる。多少敷居の高さを感じるかもしれないが、邪険にされることはまずないから、一度行って話を聞いてもらいたい。
あと、ちゃんとした精神科医は、いきなり病名を決めたりはしない。何度かの通院の中で、状況を観察し、処方に対する反応をチェックし、最終的な病名を決定する。なので、先の多剤併用みたいなことがない限りは、多少辛抱強く通院する必要がある。おそらく最初は、抗不安薬と眠剤位しか処方されないかもしれない。それは、いきなり複数種の薬を処方しても、効果があるのかないのか分からないから。向精神薬ってのは微妙な薬で、同じように見える二人の人に投与しても、片方に劇的に効くがもう片方は副作用で苦しむだけ……みたいなことが結構普通に起きる。抗うつ薬等の場合は血中濃度が安定するのに長くて二週間位かかるものもあるので、飲み始めてそれ位経ってから効き目を判断しなければならない。最初は、まずひとつ処方して、二週間様子をみて、量を調節して、駄目そうなら他に変える、しかしいきなりやめると揺り戻しがくるから何週間かかけて減らし、他に変えて……ということを続けることになる。まあ、ちゃんとした医師は俺の書いていること位は説明してくれるけどな。いずれにしても、バファリン飲んで頭痛が治まる、みたいに安易にはいかない。そこは辛抱しなければならないところだ。むしろ安易にいくと軽々に言う医師はあまり信用できないということだな。
あと、いわゆるパーソナリティ障害に関しては、薬剤治療よりも精神治療(カウンセリングなど)が有効とされるわけだが、カウンセラーに関しては臨床心理士であるかどうかを確認した方が良い。他にもちょっと前に公認心理士という資格ができているわけだが、あの業界でオーソライズされている資格って結局は臨床心理士なんだな。専門の大学院で教育を受けないと取得できないし、資格が5年で更新され、更新にあたっては臨床実績がなければ無理、という制度なので、判断基準としては有効だと思う。カウンセリングに関しても、一度や二度受けてどうこう、というものではないので、継続的に受ける必要がある。
いずれにしても、医者は厭だ、自分で自分はこうだと思う、納得した!……では、状況はあまり変わらないよ。変わってりゃあ、もう少し朝寝坊もできると思うんだけど。医者は厭、を越えて、少しはマシな医者を探す、に行ってもらいたいと思うのだが。
ド田舎なんで発達障害診療可能な精神科病院が1件しかないんだけど、そこの主治医が控えめに言ってうんこ
自分:精神科既往歴15年、ASDグレーゾーン、被虐待児(精神的なものが主)、DV被害者(身体的以外10年受けてた)、IQは並
うつがひどくて障害者手帳取得を聞いたら「50%くらいだね、診断書は書きますよ」って言われたからしんどい中役所で30分かけて必要書類取りに行って次の診察日に出したら「えっ? あなたは手帳無理だよ」と言われて診断書書いてもらえず
うつがひどく寝てることが多いと言ったら毎回「とりあえず散歩してみたら?」だけ言われる 散歩できる気力あったらとっくにしてる
先月から食欲不振も出てきてそれも伝えたら「食べなさい、食べないで治る病気はないからね」
猫を飼っていて入院の話が出た時に「人間は預け先あるけど猫は野に放つしかないねーはっはっは(笑いながら)」
病院の方針で主治医の変更はできない(多分この辺はごねたら通るらしいがそんな気力ないので放置してる)
二次障害とトラウマのあたりをどうにかしてほしいんだがとりあえずのカウンセリング(話聞くだけ)と薬物療法でどうにもならない
自傷も自殺もダメとか言って安楽死もないのにずっとこんな状態続くの? お前が実際なってみろよ頭おかしくなるからって言いたい
https://twitter.com/magicaltina/status/1081696726044442624
一連の件に便乗して、若林宣、瀬川深、北守、墨東公安委員会、後藤和智の5名が同一歩調をとってコミケ絶滅を主張してきた。そう遠くない時期にフェミニズム団体、レインボー・アクションなどのLGBT団体、部落解放同盟が話を聞きつけて合流してくるだろう。2019年のコミケ界隈は早くも修羅場である。
というツイートにid:hhasegawa氏がこういうブックマークコメントをつけた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/4662843558729924673/comment/hhasegawa
これはなんという「五人委員会」の人選なのであろうか。「助けて! まなざし村に襲われてまーす!」と発狂する前に、『十三人組物語』(https://amzn.to/2scD70Z)でも読んで落ち着くべし。
このブックマークコメントがあまりにもひどくて驚いた。magicaltina氏の発言は、若林氏以下5名について何も知らなくても「そう遠くない時期にフェミニズム団体、レインボー・アクションなどのLGBT団体、部落解放同盟が話を聞きつけて合流してくるだろう。」の時点で事実認識のおかしい反反差別的なたわ言だと判断できるんだけど、それに対するhhasegawa氏のコメント、単なる差別ですからね。「助けて! まなざし村に襲われてまーす!」って、「助けて! 集団ストーカーに襲われてます!」というネットミームのもじりですよね。で、当該ミームは、もともと統合失調症だと目されているとある人間(以下、A氏)が発した言葉であり、その言葉がA氏を面白がって揶揄する人たちの間で広まった結果ミームになったわけ。最低。
A氏が統合失調症であるという、ネットの間で主流の見立てが正しいのかは知らないけど、とにかく医療的ケアを必要している人物なことは容易に推定されるわけです。そのような人物を揶揄するミームを使用して人権侵害に荷担したことを今すぐ反省してほしい。ついでにいうと、以前から一部インターネットにおいてA氏の人権侵害をギャグで済ませる風潮があって、たとえば「リスボックリ」でA氏の発言をネタにした大川ぶくぶ(漫画家)も、リスナーからリクエストされてA氏の「物真似」をした名取さな(バーチャルYouTuber)も大して批判されてないわけだけど、このゴミのような風潮に、普段人権問題に高い関心を示しているhhasegawa氏(ドイツ文学・研究者)までが乗っかるとは思わなかった。3人とも今すぐA氏への人権侵害をやめろ。
おまけ: この記事を書いてて知ったんですが、そんなネットの風潮の中でちょぼらうにょぽみ(漫画家)は大川ぶくぶを「まぁ!病人までネタにして!」とさりげなくdisってるっぽくて好感度があがりました。
(重度の精神病者のいるご家族のご苦労は本当だと思う・・・が)
イタリアの精神科医が行った「バザーリア改革」って門外漢であっても知っている有名な話じゃないですの?
イタリアには精神病院はない。何故なら精神病者を社会から隔離して薬漬けにしてプラスに運ぶ事は何一つとしてないからである。(人権を無視して永久にクスリ漬けにして閉じ込める場合は別として)
そりゃそうだよね
イタリアで精神病を患っている方々は、一般社会で、ホテル、レストラン、バー、ラジオステーション、建設業、映像制作、農業、酪農、園芸、警備、修理 など仕事をし、
共に働く人々にとっても精神障がいのことを知る良い機会となっている。
一方日本は?というと、大した障がいレベルでは無い相手に対して、共に働く人間が「負担だ」とか「邪魔だ」とかやって、時には訴えられたりもしている始末
バリアーザ曰く、
専門技術者、医師、心理士、技術面の管理法の専門家といった私たちの役割は、二次的なものになってしまいます。
精神医療の専門職を廃止し、政治家になってしまうことは望ましいことではないのではないですか」
「私たちは二つの状況、二つの役割、つまり専門技術者としての役割と政治的な活動家としての役割をあわせもっていなければなりません」
つまり専門職としての役割も政治的な役割もどちらもあるだろう、と彼は考えるわけです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58808
(亡くなられた方へのご冥福をお祈りします)
なんていうかさ、親が体調を崩したら、面倒を看ることが難しいレベルの方がいてさ。
そういう中で「自分のペースでやらないとイライラして怒鳴る患者が2人いる」とするじゃん?
今の精神科医療の現状だと、家族が身を犠牲にして近所に迷惑をかけないようにするか、集団の中でなんとかやれるように鎮静をかけるという、二択を迫られることが多いんだよ。
こういう現状なんだよ。
悔しいよ。
本当は、彼をなんとかしようと思って医療に携わったんだ。
でも、今のままだと、どうしょうもないんだ。
地域でも大声を出して暴れる人は受け入れられない。
俺はされたよ。
「弟さんといつも仲良くていいね。大事にするんだよ」とか無責任にニヤニヤしながら俺に言っていた近所のおばさんにね。
もちろん、薬は鎮静だけでなく副作用も出る。
鎮静も強くなる。というか、そもそも薬物療法で解決する話じゃない。
というか、これまでの日本の社会は家族に責任を押し付けすぎたんだよ。
精神障害を持つ人の家族の研究だって、ここ数年でようやく手がついたくらい。
精神障害、発達障害を持つ子どもの介護をしている親がいなくなって、あるいはどちらかが体調を崩して、本人も具合が悪くなるなんてのは、本当によくあるんだ。
ウチもそうだった。
それに今は認知症も増えてて、他害がある場合には現状の枠組みだと精神科病院が受け皿にならざるを得ないことも多い。
この記事だけをみて、一方的に病院を叩いている人は精神科特例って知ってる?
精神科は他科と比べて、人員が少なくてもいいよ、って、決まってんの。
「病院はクソ!」
「薬は金儲け!鎮静はかけるな!」
「絶対に施錠はするな!」
それは、単なる思考停止じゃない?
じゃあ、人員を、増やすために今の何倍も医療費を出せるの?無理でしょ?
こういうことを書くと「精神病院がなくなった国もある」と反論されたりもするけど、イタリアだって、北と南で全然違うし、精神科慢性期病棟にあたるようなナーシングホームもいっぱいあるよ。
このケースはさ、ICや手続き、目標設定、情報共有に問題があったんでしょ?
面会禁止とか、隔離とかどういう手続きで行われてたのか、そこがないと何も分かんなくない?
そこは履き違えちゃダメじゃね?
得意げに「だろう」と憶測で書いてあることもいっぱいあるのは、みなさんもわかると思うんですが…
こういう記事は、あるいは、ますます現実から目を背けることにならないだろうか。
死刑が確定し、収監されるのは集団生活を行える刑務所ではなく留置所の独房だ。当然ながら周囲の死刑囚との会話は禁止されている。
日々顔を合わせる人間は刑務官や警察官、弁護士、精神医療関係者、教誨師(宗教家など)。家族や友人との面会は容易に許可されないこともある。
規則正しい生活を矯正され、気分転換は1日3回の食事と狭い空間での30分の運動。刑務所の囚人と同様に軽作業も割り当てられている。
運動時間以外は独房内でも行動に制限が掛けられカメラで常時監視され続けている。
大罪を犯して死刑が確定しても、死刑囚は直ぐに死ねるわけではない。
それまでは精神医療関係者や教誨師との会話の中で日々命について考えさせられる。
死刑判決が確定したときの絶望または諦念が無為味だったかのように、その後の独房生活は死が確定していながらも死ねない不安や焦燥、そして恐怖が襲いかかる。
いつ死ねるのか、いつ殺してくれるのか、早く死刑執行を、今日の朝も死刑執行はされない、次の日の朝も死刑執行はされなかった、また次の日も自分は生きている、その次の日はどうか、自分は明日生きているのだろうか。
いつ来るかわからない死、自分で決めることのできない死、死はある日突然やってくる、無遠慮に思い掛けないタイミングで死はやって来てしまう。
精神医療についての話題が増田で盛んだ(時期を若干逃した感はあるが)。自分の場合は医者と薬のおかげでサラリーマン生活を続けることができている人間なので、こんなケースもある(ごく普通にある)と知ってほしいと思い、ここに書いておく。
発症は1年半ほど前。メンタルに突如異常が出る。時期によって異なるが、症状は次の3つ。
一晩に3~4回程度目が覚めてしまう。起きて時計を確認すると午前2時や3時だったりしてめちゃくちゃがっかりする。寝不足がひどい。
常にイラついているわけではないのだだが、出社から夕方頃までの間は魔の時間で、ちょっとしたきっかけで怒りが爆発する。会社で同僚に挨拶されただけで突然感情のメーターが振り切れて暴言を吐きそうになる。社会生命がやばい。
これはこの発症当初ではなく半年ほど過ぎた頃から発生。気分がとにかく落ち込む、自分が劣った人間であるという根拠を脳が勝手にひねり出し始める、意味がないと知りつつ止められない、性欲の減退、性的なコンテンツへの嫌悪感、これまで好きだったものへの無関心、等々。人生がまずい。
このままでは社会生活が送れなくなるという危機感が背中を押し(抵抗なく医者に駆け込めたのはTwitterやはてなで「困ったら医者に頼るのは当たり前だ」という判断基準が刷り込まれていた部分も大きい。この場を借りて感謝しておきたい)、これはまずいと認識した数日後には勤務先から徒歩圏内にある心療内科へ予約の電話をかけた。もう1年以上前のことなのに、電話を切った後の「一仕事終えた」という若干の開放感、そしてこれから未知の何かが始まるのだという不安感はまだよく覚えている。
初診は待たされることが多いと聞くが、昼休みに融通が利く職場環境ということもあり、1週間程度で予約が取れたのは幸いだった。医者では簡単な問診が行われた。
Q: これまでもこんなことが?
A: ない。
Q: 原因に心当たりは?
A: ない。ここ数ヶ月で生活がいきなり変わったわけでもない。イライラとは逆に毎年春になるとメンタルが低調になることはあった。
その結果医師が下した判断は「軽度の双極性障害の可能性があります。薬を処方します。睡眠導入剤も一緒に出しておきます」とのこと。人生初の薬物生活へ突入。
薬を症状によって変えつつ、今は双極性障害の薬、抗鬱剤+精神安定剤、睡眠導入剤、便秘薬(抗鬱剤の副作用に便秘があり、それに対抗するため)を1日トータル11錠服用している。
中途覚醒はほぼ姿を消した。イライラも落ち着いた。眠りの質はあまり良くないものの、ほぼ毎日朝まで眠れるようになった。ここのところは1週間のうちダメな気分になるのは0日から3日程度。1回あたり数十分から数時間続くのでその間はつとめて何もしないようにしている(これも仕事にある程度の裁量があるから可能なことではあるが)。
寝る前に服用する薬が多いので、以前は時折楽しんでいた寝酒は諦めた。副作用の眠気にはかなり苦しんでいる。頭の働きが明らかに鈍くなったという実感があり、「自分はそこそこ頭の回る人間だ」という自負を捨てるために苦労している。これは加齢のせいかもしれないのだがそれはそれでつらい。
医者に行っていなければ極度の寝不足によって遅刻太郎・無能太郎のみならず暴言太郎と化していたことは間違いないので、「医者にかからない」という選択肢は最初からなかったと思う。症状は寛解したり(1週間まったく自覚症状が出ない時期もあった)悪化したりと波があるものの、世間の健常者よりも1歩遅れ程度の生活は送れている。
医者行け。
NHKEテレ『長すぎた入院 精神医療・知られざる実態』で描かれた日本の精神医療の実態。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html
鹿児島県立姶良病院http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
http://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/
携帯は使えない。
退院時はデイケア通い(週4日以上)と居住地を制限される患者(病院周辺のみ)も多い。
主治医は選べない。変更も出来ない。
必ず預ける事になり、おやつの時間(3時)にのみ限られた量だけ渡されて食べる事が許される。
マジで副院長は、女性患者しか受け持たなくて、恋愛禁止を強要しているのよ。
だから、女性患者は、ここの患者でいる限り、恋愛を禁止されているんだ。
医者によっては、資産を売却して生活保護を受ける事を強要された患者もいた。
姶良病院の近くにグループホームが新しく出来て、そこに居住する事を強要させられる。そこの設立者が姶良病院の元看護師長で、会社を設立している。姶良病院の近くに居住を強要して、その元看護師長がアパートの保証人に当てられる。そして、週に何回か訪問看護があって看護師が自宅に監視にやってくる。その内容は主治医に細かく報告される。退院しても自由はない。金も訪問看護が決められた金額だけ渡して自由に使えない。何かを買う時は、病院の許可がいる。
262 2018/02/09 18:05
南日本新聞の患者インタビューも病院に対して不満を持っている患者は対象に選ばれなかった。都合が悪い事実を暴露されるのを恐れていたからだ。病院側にとって優等生的な発言をする患者のみにインタビューする事が許されており、病院の真実は明かされる事はない。
#266 2018/02/09 19:22
都合が悪い告発をした告発者は重症患者扱いして真実を闇に葬る卑怯な手口」
(注)
「南日本新聞の患者インタビュー」鹿児島の地元紙・南日本新聞に16年に掲載されたこの病院のルポ記事のこと。同紙の連載『精神障害とともに』16~17の一部「精神科密着240時間」として掲載された。但しwebでは一部分しか無料で読む事はできない。https://373news.com/_kikaku/16/seishin/
なおラグーナ出版から17年に同内容が書籍化されている。『精神障害とともに』http://www.lagunapublishing.co.jp/books/seishintomoni.html
2年くらい前まで入退院を繰り返してた。
中高生時代にも子供精神科に通ってたけど、高校卒業を期に、いったん精神科も卒業した。
私がお世話になった病院は精神医療専門病院で、なおかつ建物が新しくなって間もなかったのは、とっても幸運。
大学で一人暮らしをしてたある日、何故か包丁を持って外にでようとしてた。やばいと思って近所のメンタルクリニックに行ったら即病院に紹介されて、受診したその日に入院が決まった。
はじめは保護室という部屋に入れられた。
窓はなくて、トイレとベッドだけがある、施錠された個室。分厚い鉄扉についた小さな窓から、1時間に1回看護師さんが様子を見にきた。
部屋が真っ白で、ベッドに寝転んで天井を見上げるしかすることなかったから、いまでも白い蛍光灯は苦手。
何も持ち込めず誰とも話せず、孤独で辛かった気がする。
数日様子を観察されて、解放された。
4人部屋に移った。
入院の際にコード類や携帯は没収されてるので、音楽も聴けなかった。外部を遮断できるツールが使えないこれが一番辛かった。みんな顔死んでるけど。
病棟内でも保護室エリアと一般エリアは区切られてて、一般エリアは以外と静かだった。騒いだり奇声を発する患者は保護室に入れられてるから。
ご飯は食堂で一斉に食べた。毎回暗黙の席取り合戦がある。勝つために時間がきたら早く座ってた。
主治医の許可がでて看護師さんに言えば、1日に1回だけ売店に連れていってくれた。何買ったかはもちろんチェック。甘いもの好きだけど、買いすぎると怒られた。部屋に持ち帰ってこっそり食べたりした。
私と同い年くらいなのに立派だな、と思ったし劣等感爆発した。大学に行ってたはずなのにどうして今こんなところにいるんだろうって。病室の窓から大学が見えるのが、余計に悲しかった。
テレビ見るか、作業療法行くか、塗り絵するかくらいしかなかった。
それでも主治医が毎日顔を出してくれて嬉しかったのは覚えてる。
一度、持っていたタオルで首を締めることがあった。一応看護師さんに軽く報告してタオルは預かってもらった。
そしたら当直の医師に伝わってしまって、保護室に連行され身体拘束された。
両手首・両足首・胴体の5箇所をベルトでベッドに固定され、ピクリとも動けなかった。
おまけに血栓防止ストッキングなるものを履かされ、めちゃくちゃ痒かった。
痒くても掻けない。
拷問のようだった。時間が経つのが遅すぎて気が狂うかと思った。
私はまだ、見回りのタイミングでベルト外してもらってトイレできたが、最悪オムツらしい。女子の尊厳は守られた。
食事は胴体と手首のベルトが外され、ベッドの上で監視されて食べた。
翌日に主治医が来てくれて、もうしないことを約束して、その翌日に解放された。
あれは自分にとって紛うことなき拷問だ。罰則だ。約束を守るように頑張った。
症状の軽い人たちがいる病棟だったから、会話が楽しかった。気のいい兄ちゃんもいたし、優しい兄ちゃんもいた。
でもそれ以外の病棟は、みんな症状重くてそれどころじゃなかったなぁ。
私も病状が悪化して、ますます壊れてたし。身体拘束はこのころね。
なんだろ、そんな感じ。
まだネタはあるけど、区切るわ。
んじゃ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20171218-00079439/
>骨折や糖尿病が「その人」そのものになってしまったとは、通常考えられないでしょう。しかし精神障害・精神疾患では、病気が「その人」そのものになってしまったかのような受け止め方が、未だに一般的です。なぜでしょう?
「出たよ、この喩え」という感じで思わず笑いすら出た。
精神医療関係者は必ずと言っていいほど外科や内科の患者の喩えを持ち出す。
確かに外科や内科の患者において、この喩えにおける関係性は「『病気・外傷』とそれが影響を及ぼす対象者としての『患者』」という登場人物で完結する。
精神障害・精神疾患を同じように喩えるならば「『障害・病気』とそれが影響を及ぼす対象者としての『患者』、症状に影響を受けた『患者』が行為者となって危害を加える『他者』」というものになる。
精神障害・精神疾患における『他者』は登場人物から絶対に切り離すことができない。
無論、自らの身体の状態や境遇を嘆いて周囲に当たり散らすという行動はどちらにもあるだろうし、それについては病気と直接的な関係はないが、病気で高まった攻撃性や抑制の利かない感情や衝動による言動(病気との直接的な関係)というのは精神障害・精神疾患にしか見られないからだ。
にもかかわらず、精神医療関係者はこれを完全に混同し、決して『他者』をその関係の中に含めて語ることをしない。
根本的な話として「どんな怪我や病気にも人格はない」し、「行為者」にもならない。
しかし症状により引き起こされる諸々により実際に自らが「行為者」となる精神障害者・精神病患者は違う。
たとえその言動が病気に起因していようとも「行為者はどこまでいっても患者自身」であるのに、精神医療関係者はその「言動の責任の帰属先」を「病気」にしようとする。
帰属先の人格が存在しないのに、それを当然の論拠のように語る彼らに「言動の責任は行為者当人に帰属する」という当たり前の話は通じない。
原因はどうあれ、加害者は行為者であり、被害者はそれに晒された人間であるのに、彼らはそれを否定するところから話が始まる。
患者の理不尽に晒された人間(主に家族)からの話を聞く際に「それは病気の特徴です。それも病気の特徴です」など、「どう対処すればよいか」の話ではなく「病気の症状の答えあわせ」から始まり「病気がどんなものなのか理解していない」という無理解のレッテル張りに繋げるというパターンが殆どであるため、彼らとの話に意義を感じなくなり患者の孤立を深めるのだが、それを自覚している精神医療従事者の話を聞いたことがない。
どこまでも「医療サービス従事者」の延長上で考え、「患者と感情をもって接し、生活や仕事を共にする人間」への認識が決定的なまでに欠落している。
晒された理不尽・それを与えた「患者に対して当然沸き起こるであろう怒りや悲しみ」を彼らに否定され、更にそういった反応をされることに対する「精神医療従事者の無理解への怒りや悲しみ」を彼らに伝えても、彼らはそれすら「患者に対するそれ」として八つ当たり扱いし表向きは聖人君子よろしく「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と臆面もなく言うのである。
患者自身にとってはカウンセリングや投薬判断など重要な役割を果たしているのかもしれないが、それ以外は何の役にも立たないどころか害であることすら珍しくない彼ら。
今日もどこかで「家族の方とお話をしたい」と無意味な呼び出しをして「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と独善的な台詞を吐いている無能がいるのだろう。
暴排に関する条例、不良勢力に対する法律そのものを変えるなどして、彼らそのものを精神異常者みたいな扱いをして、何らかの犯罪をした際などに刑務所ではなく精神病棟に隔離する。(彼らの2人に1人が精神病といわれている)
人権主義者が「非人道的云々」とかいってくるけど、やむをえない処置とか言えばこいつらも納得するだろう。
そして医療界隈はこのような人達を日本から出さないために、精神異常者に対する治療だの予防だのを真面目にやるべき。
日本の医療界隈への愚痴ではないんだけど、現代先進国水準の精神医療だの心理学だのが1970年代のときにあれば、日本に不良なんていなかったと思うんだよ。
科学的根拠が全く見えない言葉とともに、通院や投薬の無意味さを主張する。これがこの漫画の正体といっても過言ではない。
第2話において、うつ病の治療を始めたが効果が見えず、薬が増えていくことに恐怖を覚えたこと、そしてドクターショッピングに至ったことが描かれている。
精神医療に失望し始めたころに「薬では『うつ』は治らない。なぜなら…」という本に出会い、そこから「アファメーション」に傾倒する。
まず「アファメーション」が何なのかをググってみるといい。大半の人が目を覚ますだろう。
このアファメーションは一部で有名な苫米地英人が日本に持ち込んだものである。詐欺的な自己啓発集団が商品化しているケースがあまりにも多い。
ドクターショッピングの対象が自己啓発ショッピングに切り替わっただけと考えてほぼ間違いないだろう。同じ罠にはまる精神疾患患者はそう珍しくないからである。
田中圭一はもちろん医療の専門家ではない。それゆえに精神病理について全く無頓着である。
脳の器質的な疾患であるとか、そういったことを無視してメンタルヘルスを語っている。
その結果
という非科学的なセリフが登場するのである。いうまでもなく、これらはうつ病の発生原因や回復要因としてまったく因果関係が判明していない。
メンタルヘルスの回復の補助としてある程度役に立つかもしれないが、あくまで治療のメインは投薬治療である。
ストレスで胃に空いた穴は、ストレスを解消するだけではふさがらない。精神疾患もそれと同じだ。
つまりこの漫画は一見精神病患者の心に寄り添うように見えて、言っていることはマイルドな根性論なのだ。
「自分をキライになったからうつになった。自分を好きになればうつは治る」
うつ病というのは自分の気の持ちようで治る病気なんだ、という、多くの精神科の医師が解きたくてたまらない誤解をますます深めているのだ。
うつ病患者をはじめとした精神病患者は、長患いの結果、病院や医師に対する信頼を完全に失っている。
そんな折に「薬ではうつは治らない」「アファメーションで治る」と書かれた本を手にしたらどうなるだろうか。
すべてに絶望した末期がん患者が「抗がん剤ではがんは治らない」「手術も抗がん剤も無しでがんは治る」と書かれた本を手にした時と同じことになるのではないだろうか。
最後に。著者も含め、世の中の精神病患者はあまりにも「薬を飲み続ける」ということをネガティブにとらえすぎていないだろうか?
「一生薬漬けの体になってしまった」と嘆く人がいるが、よく考えてほしい。
健康な人間でも食べ物を食べ、水を飲み、空気を吸わなければあっという間に干からびて死ぬ。
薬がないと生きられない人間と、健康な人間には大して差は無い。
生まれてから一生薬を飲まなければいけない人。自分で自分に注射を打たなければいけない人。
自分の意志では歩くことができず、たくさんのチューブにつながれた人…
「生きている人間」のうち、彼らが占める割合はあまりにも大きい。
「一生薬漬けの体になった」と人目もはばからず嘆き、薬を飲まない人生こそを至上とする精神病患者は、彼らの生き方を否定している可能性に気付かないのだろうか?