https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20171218-00079439/
>骨折や糖尿病が「その人」そのものになってしまったとは、通常考えられないでしょう。しかし精神障害・精神疾患では、病気が「その人」そのものになってしまったかのような受け止め方が、未だに一般的です。なぜでしょう?
「出たよ、この喩え」という感じで思わず笑いすら出た。
精神医療関係者は必ずと言っていいほど外科や内科の患者の喩えを持ち出す。
確かに外科や内科の患者において、この喩えにおける関係性は「『病気・外傷』とそれが影響を及ぼす対象者としての『患者』」という登場人物で完結する。
精神障害・精神疾患を同じように喩えるならば「『障害・病気』とそれが影響を及ぼす対象者としての『患者』、症状に影響を受けた『患者』が行為者となって危害を加える『他者』」というものになる。
精神障害・精神疾患における『他者』は登場人物から絶対に切り離すことができない。
無論、自らの身体の状態や境遇を嘆いて周囲に当たり散らすという行動はどちらにもあるだろうし、それについては病気と直接的な関係はないが、病気で高まった攻撃性や抑制の利かない感情や衝動による言動(病気との直接的な関係)というのは精神障害・精神疾患にしか見られないからだ。
にもかかわらず、精神医療関係者はこれを完全に混同し、決して『他者』をその関係の中に含めて語ることをしない。
根本的な話として「どんな怪我や病気にも人格はない」し、「行為者」にもならない。
しかし症状により引き起こされる諸々により実際に自らが「行為者」となる精神障害者・精神病患者は違う。
たとえその言動が病気に起因していようとも「行為者はどこまでいっても患者自身」であるのに、精神医療関係者はその「言動の責任の帰属先」を「病気」にしようとする。
帰属先の人格が存在しないのに、それを当然の論拠のように語る彼らに「言動の責任は行為者当人に帰属する」という当たり前の話は通じない。
原因はどうあれ、加害者は行為者であり、被害者はそれに晒された人間であるのに、彼らはそれを否定するところから話が始まる。
患者の理不尽に晒された人間(主に家族)からの話を聞く際に「それは病気の特徴です。それも病気の特徴です」など、「どう対処すればよいか」の話ではなく「病気の症状の答えあわせ」から始まり「病気がどんなものなのか理解していない」という無理解のレッテル張りに繋げるというパターンが殆どであるため、彼らとの話に意義を感じなくなり患者の孤立を深めるのだが、それを自覚している精神医療従事者の話を聞いたことがない。
どこまでも「医療サービス従事者」の延長上で考え、「患者と感情をもって接し、生活や仕事を共にする人間」への認識が決定的なまでに欠落している。
晒された理不尽・それを与えた「患者に対して当然沸き起こるであろう怒りや悲しみ」を彼らに否定され、更にそういった反応をされることに対する「精神医療従事者の無理解への怒りや悲しみ」を彼らに伝えても、彼らはそれすら「患者に対するそれ」として八つ当たり扱いし表向きは聖人君子よろしく「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と臆面もなく言うのである。
患者自身にとってはカウンセリングや投薬判断など重要な役割を果たしているのかもしれないが、それ以外は何の役にも立たないどころか害であることすら珍しくない彼ら。
今日もどこかで「家族の方とお話をしたい」と無意味な呼び出しをして「全て受け止めますので私達に吐き出してもらって構いません」と独善的な台詞を吐いている無能がいるのだろう。