はてなキーワード: 箪笥とは
よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ
に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ
というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。
とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害や病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。
非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ、基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。
ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性のなかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれてしまうのは仕方がないのではないだろうか。
私の話をしよう。
私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。
具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病と解離性同一性障害の診断が下りている。
理系の大学院を卒業後、財閥系企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。
そして離婚歴がある。
私の持つ障害と疾患は、両親からの虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつを発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待の事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的に虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。
この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害と精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。
さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害や精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である。
結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。
そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックス、リボリトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分をコントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。
解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICAの履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミング、シチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。
私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。
主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつも自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人の精神がいびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。
結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームをスマホで遊んでいた。
最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人は他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。
ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまったことだ。ネコは家具が破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレスで過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき、獣医でそれがストレス性のもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。
元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。
おそらくこれを読んで私に好意的な気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付きの障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。
私はネコと暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔をチョコチョコとしてくるだけだ。
でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。
誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。
なんだかインターネットが異様なくらい一様にメメント・モリの空気に包まれているので、なんとなく思い出したことを書いていく。
先日親父が孤独死して、まぁ、そのあたり色々のゴタゴタは省くわ、そこに至るまでの家族の確執とか、実際の臭いの話とか。
で、死んだ親父の部屋に行ったわけよ。
それでふと気になって、親父の使ってた箪笥のいちばん上の棚を開けた。
乱雑に放り込まれた靴下をつまみながらひとつひとつ確認したら、やっぱり全部に穴が空いてた。
だよなぁ。
埃に日の光がチリチリ反射する部屋のなかで、なんだか笑ってしまった。
自分自身、20代の頃をほとんど鬱で過ごして、その頃全部の靴下に穴が空いてたんだ。親父と同じように。
その頃の自分も一人暮らしで、誰に見せるでもなし、座敷で飲むような会には出なかったし、それに気を遣ってくれる人も、靴下に穴が空いてることに気づく人もいなかった。
困らないんだよな。べつに人から見えないところで、生活がどのくらい破綻してようが。
そんなことがあったからか、いまの自分は、靴下に穴が空いたらなるべく直ぐに捨てるようにしている。
自分にとってメメント・モリとは、穴の空いた靴下のことなんだと思う。
足をすっぽり包む布を見ながら、いまの自分はまだそれに抗う力が残されていると確認する。
いつかはそれを失う。それは決まっていることだ。
子供を産んだら20年間365日24時間専用の施設に預けるルールにした方がましではないだろうか?
理由は以下だ。
・設備投資費
1.設備投資費
子供ができた家庭は、おもちゃや小さい滑り台やウレタンマットを購入する。また、机や箪笥の角には頭をぶつけても大丈夫なようにゴムを取り付けている。
子供ができたすべての家庭がこれらをそろえるのは無駄ではないか?
ちっちゃい子供が過ごす場所を社会として限定すれば、設備投資費が少なくて済む。
家賃問題もある。夫婦二人なら四畳半のボロアパートでつつましく暮らすことも可能だ。しかし、子供が騒ぐと近隣住民の迷惑になってしまう。だから、子供ができたらそれなりの防音設備のある部屋に引っ越さなければいけない。それが不可能だったら最初から子供を作ることをあきらめてしまう。残念だ。だったら、子供が暮らす部屋と両親が暮らす部屋を完全に分けた方が良いだろう。
地味な問題だが、自宅に救急箱をちゃんと用意していない家庭もあるだろう。子供が転んでけがをするたびにマキロン探しをしている親は多いはずだ。「最後にマキロン使ったやつ誰だ!」と。保育園はちゃんと備品管理をしているはずなのでそういうことは少ない。こういう些細なことでも、各家庭と育児専用施設の設備力の差が感じられる。もはや子供が両親の家に住む合理的な理由はないと思う。
率直に言って世の中の親の大半は育児が下手だと思っている。
知識や技術や体力や精神面でプロの保育士のレベルに達していない人が大半だと思う。
僕だって子供をまともに育てられる気がしない。こんなの素人には不可能だと思う。
僕は特別におかしなことを言っているとは思わない。自分の子供がプロ野球選手になれるかもしれないと思ったらリトルリーグに入れてコーチに野球を教えてもらうだろう。名門中学に入れるかもしれないと思ったら専用の塾に入れるだろう。であれば、自分は子育てが下手だと自覚している親がいたとして、その親が育児を一切放棄して専用の施設に預けたとして、それは正しい選択だと思う。親にとっても子にとってもそっちの方が良いはずだ。そして、ほとんどすべての親は子育てが下手だと思うのでそうすべきだ。
例えば「叱る」と「怒る」は違うとよく言う。しかし、口で言うほど簡単なことではないだろう。あまり表に出さないだけで、苦しんでいる親はたくさんいると思う。
ついカッとなって子供をキツく罵ってしまったり手を出してしまったりして後悔した経験がある親はたくさんいるはずである。
社会制度の方が変わっていかないといけない。親を支えないといけない。
ニュースを見ていると「こんな奴が子供を作るなよ」と思うことは多いだろう。しかし、それを言ったところで子供は救われない。また、そういうことを口に出す人が増えると「自分なんかが子供を作っていいのだろうか」と気後れしてしまう人が増える。それは不本意だ。
問題の本質は「子供を作った人が責任をもって子供を育てないといけない」というルールにある。「子供を作っても育てないでいい」というルールにするべきだ。
核家族はピークコントロールがしづらい。もし2人の親に2人の子供がいたとする。これならぎりぎり回る。しかし、突然片方の親が熱を出して寝込んでしまったとする。急に一人で二人の面倒を見ないといけなくなる。詰む。
これが保育施設であれば、(普段からゆとりを持った人員配置ができているなら)保育士さんが一人か二人寝込んだとして、何とか融通可能だろう。
また、夜泣きという問題もある。日中働いている両親が深夜に数時間おきに起きて授乳をして、睡眠不足なまま朝から会社に行くのは、不健康だし非効率だ。施設であればシフトを組んで夜勤を作れる。こっちの方が良い。
特に「家で資格試験などの勉強をできるか否か」が大きなポイントだ。これはいくら社会が子育て世代に受容的になったり経営者が寛容な制度を作ったって関係ない。
「日本は子育てしている人に冷たい社会だ」などという言説は(事実かもしれないが)本質を外している。
子供を作ると家で勉強する時間がほぼ取れなくなる。その時点で社会がどう変わろうと無理なものは無理なのだ。
だったら、子供を育てる専門の人とそれ以外の子供を育てない人に分けたほうが社会の効率が良くなる。
キャベツを作るのが得意な人とニンジンを作るのが得意な人が、それぞれ別々に5キロずつキャベツとニンジンを作るより
片方がキャベツを10キロ、もう片方がニンジンを10キロ作るほうが効率がいいだろうという理論だ。
親は子育てに時間を取られるよりも、子供を施設に預けて自分のキャリアのために時間を投資した方が社会全体が豊かになるに決まってる。
いくつか反論があると思うので先回りして答えておこう
1.子供がかわいそうだ
素人の親が子供を育てるほうがよっぽど子供にとってかわいそうだと思う。
小学生にもなってお箸が持てなかったり敬語が使えなかったり虫歯だらけだったりする子供を見たらかわいそうに思う。
有名国公立大学に入れる才能を持っていたのに高卒の両親が上手に伸ばしてあげられなかったりすることがある。残念だ。下層社会の再生産になってしまう。
補足として個人的な感情を言うなら僕は親が嫌いだ。こんな奴が子供作るなよと思っている。
2.親がかわいそう
子供は親のために生きてるのではありません。
少子化の観点でいうと「自分で育てれないなら子供を作らない人」と「自分で育てなくていいなら子供を作る人」の量を比べると、どちらも一定数いると思うが、後者の方が多そうだから子供が増えると思う。
親にとっても悪い話だけではないと思う。
親にも親の人生がある。
今の社会で子供を作ると人生のほとんどを子供に持っていかれる。
現代社会では子供を最優先にしない親に対する風当たりが強すぎる。変えていかないといけない。
あと、こう言う意見を言うと「自分にとっては子供が全てだ。自分は子供のために全てを捧げている。他の人もそうすべきだ」的なことを言う人が出てきそうだ。
多分そういうことを言うせいでみんな困ってるんだと思う。自覚して欲しい。
大体会社にいる「自分は仕事に全てを捧げています」系の人は仕事できてない人が多いので、そういうこと言っちゃう親は子育て下手な親だと思う。
それはそうだが、デメリットも大きい。
ジジババに子供を預けた時に「これはアレルギーだから食べさせないでください」といったら、ジジババが「好き嫌いはよくないから」と言って食べさせた結果マーライオンになった。というような話はよく聞く。
4.ポルポトがー!
それはポルポトが悪いのであって制度が悪いわけではないと思う。
5.今の保育園の現状分かってんのか
親のキャリアのところで触れたが、比較優位の法則で説明がつく。税金を減らして各家庭で親が育児にかかわる時間を増やすのと、税金を増やして親が育児にかかわる時間を減らすのでは、後者の方が生産性が高い。よって税金を増やせばいい。
殺人事件の加害者も児童に対する性的虐待の加害者も身内が一番多い。
知り合いの介護士も、他人の介護はできたが自分の親の介護はめちゃくちゃ辛かったといっていた。程よく他人じゃないと感情が入ってしまって逆に辛いんだろう。
ダイエット成功により、ながらく箪笥の肥やしであった服(Lサイズ)がジャストサイズになっていて喜んでいたのだが、
他のも着ようと思ってLLのを引っ張り出したら、パッツンパッツンで着れなかった。
Amazonでなんか格好よさげな服見つけても、中華メーカーだとXXXLくらいでユニクロのLと同じレベルとか、多すぎるんだよ。
まあ、LだのXLだは感覚的な表示だから、まだ丼勘定なのは仕方ないかもしれないけど、
靴で27だの27.5だのとインチで書いてあるのに、「このメーカーのは1サイズ上にした方が良い」とか、何なんだよ。
違うメートル原器でも使ってんのか? 工場が亜光速で移動してて伸びたり縮んだりしてんのか?
おかしいだろうが。
何で規格を統一しないんだよ。
別に型紙変えろとか言う気はないよ。今のまま作って良いけど、大きさの単位を揃えて「27.125インチ」とかそういう細かい表記にすりゃ良いだけだろうがよ。
何考えてんだよ。
客がサイズ間違えてもう一個買う事を期待してでもいるのか?
やっと、横の小さな窓にオーニングをつけたよ。(昨日フックを買った)
もうずっと箪笥をおいてて、開けてない窓だったんだけど、旧いカーテンは外しました。
新しいのをつけたけれど、遮光じゃないので、また部屋が日に焼けてしまうので。
本当はカーテンにアタッチで遮光のをくっつけたら暗くなって、断熱もできていいんだけど、
片づけたので、すっきりして(まぁまだまだ整理予定)風が良く通るので、この季節でも涼しい。
あんなに湿気てたのに。部屋ごとの気温差がまったくなくなったよ。
箪笥のある部屋はここんとこ毎日掃除機かけてるのでびっくりするくらい
前と違う、ほぼ衣裳部屋というか、箪笥ばかり3つ、クローゼット1つ、めちゃかけハンガー1つ。
もうなにがなんだかわかんなかったけど全部片づけた。
僕にも夢ができました。必死こいて勉強して資格を取って、うんと金を稼いで、優しい奥さんと結婚して、可愛い子どもを作って、温かい家庭を築いて幸せになることです。こんなことを言ったら先生はどんな反応をするでしょうか。笑わないで聞いてもらいたい。出雲を出てもうすぐ十年が経とうとしていますが、僕はあの頃のことをどう整理をつけていいのか未だにわからずにいます。あの頃の僕は明日のことを考える力すら持っていませんでした。毎日毎日頭がおかしくなりそうだった。まともっていうものがこれっぽっちもわからなかったんです。そして今でもやっぱりいまいちわかりません。しかし、こんな頭の悪い僕でも今では多少の知恵はついたんです。だって今じゃ就職して毎日会社に行って社会人とかいう狂った連中と一緒働いて、そうやって今でも生きているんですから。(社会人という人種のがさつさには気が触れそうになります。まるで寝室に土足で上がり込んで箪笥を荒らされるかのような不快さです。)僕はどんなことがあっても幸せになりたい、そう思います。どんなことがあろうと、どんな手を使おうとも、です。それはあなたを含め僕の人生に影を落としてきたすべてのものへの復讐でもあるんです。実を言うと僕はあなたを殺してやりたいとまで思っていました。どうかこの世をさるその時は地獄に堕ちて欲しい。僕のせめてもの願いです。
痛車は車体のデザインや本来の色を考慮しながらオタク要素を全力で取り入れるものだと思ってるので、
統一感の無いステッカーをベタベタ貼って小学生の箪笥みたいな仕上がりのものはちょっと違うのでは?と感じている
いわゆるセンスの方が痛くて見てらんないケース(痛車自体痛いだろというのはナシで
キャラクターの解釈にこだわりを持ってイメージに沿ったラッピングやインテリアをしてくる人の車は痛々しくても一台の車として完成している
そういう車が大半の中で、車体の色形を考慮せず、作品もゴチャゴチャでとりあえず貼ってオタク感出しましたwとスベってる車は見ていて辛い
インターネットでは発達障害当事者へのライフハックや支援、発達障害者の周囲の人間へ向けた配慮の方法なんかが沢山あって良い時代だなあと思う。
でも「発達障害はとことん配慮しなければならない」という風潮はしんどい。
今は二度と発達障害者に近寄るもんか、あっちが近寄って来ようものならほうきで追い立ててやる。とまでヘイトを持ってしまった。
発達障害(ADHDとASD双方)の症状と、それに由来するであろうその人の行動を列挙してみる。
・多動性
電車で隣合って座っていると突然激しい貧乏ゆすりをはじめる。普通にこわい。
なにかショックなことがあると鼻息を荒くして震えはじめる。普通にこわい。
・衝動性
自分の思い通りにならないとノータイムで叩いてくる。普通に暴力
・不注意
料理をしているのを見守っていて、初っ端から失敗の道に突き進んでいるのでやんわりと軌道修正しようとするもそのまま突き進み失敗作として完成させたものを押し付けてくる。普通に迷惑
例えば「○○ちゃん、大変だったけど治ったんだよ〜。世間の支援の少なさが〜」という話を唐突に切り出す。
でも私は○○ちゃんを知らないし、なにが大変でなにが治ったのかも分からない。
その時点で混乱するのに更に世間の支援の冷たさの話をされても理解のとっかかりすらない。けれど理解をされない怒る。普通に混乱する。
辞書にない、特別な造語を会話の中で多用する。もちろん話は通じない。
リサイクル提案という謎の単語、出陳を出先陳情という意味で使う。普通に話ができない。
・体のバランスが悪い
並んで歩くと進行方向も身体もなにもかも少しずつ斜めになるので、私が生垣や電柱などに押し付けられるハメになる。
後ろを歩こうと歩く速度を落とすと立ち止まる。なにがなんでも隣に並んで、私を建物側に寄せたいようだが無理。普通に物理的に無理。
・自他の境界が薄い
他人の家のものでも自分の判断で「この箪笥は漁っていい、これは使っていい、これは触っていい、この部屋には入っていい」と思えば家主に断りなくそうする。
後ほど何故そうしたのか聞いてもそうされた側としては到底納得がいかない理由しかない。
そうしたいと思ったからそうした、以上のことが読み取れないが本人はそれが正当な理由だと思っている。普通に人として無理。
また、自分がそう思ったから他人もそうなのだという思い込みが強い。
自分がAちゃんを好きなのはAちゃんが自分を好きだから、Bさんは自分を誘惑している。何故なら自分が欲情したから。
客観的な立場でそれらを見ると全くそんなことはないけど、本人にとってはそれが真実なのだから手に負えない。普通に逃げて。
特性だろうと、障害だろうと、それを避けることが差別であろうと、こんな人間とは交友関係は作れない。
発達障害が治らないものであるのならば、定型はこれを受け入れ続けなければならない。
私達には私達の平穏を守る権利があるはずだし、その権利に障害者相手もなにも関係ないはずだ。
仕事の場でなら合理的な配慮もしよう、困っている人がいたら手を差し伸べるのも当然の行為だ。
けど、差別だからって自分を削り切ってまで発達障害者に寄り添うなんて無理。
けど、そんなこと言ったら差別主義者だと叩かれるし発達障害者の特性にあてられて消耗して逃げようとすると追いかけられる。
上記のことを定型がやったら頭のおかしい人なのに、発達障害者だと一転して定型が受け入れるべきことになってしまう。
インターネットで発達障害者の悲痛な叫びを見る度に「だとしても絶対私に近づかないで欲しい」と思ってしまう差別主義者を許して欲しい。
たぶんこういう男性は多いと思う。
「性癖・フェチ」をグラフ化した時に、上位に食い込むのではないか?と個人的には思っている。
それほど下着フェチは性癖界ではマジョリティーなんではないかと思う。
10歳離れた姉(当時20~21歳)の下着が、自分のジャージやら服が入ってた箪笥の一番上にあったのだが、その事実を俺は知らなかった。
ただ、下着入れの隣の引き出しが小物入れになっており、その小物入れはよく使っていた。
そこには姉の下着類が広がっていた。今でもはっきり覚えているが、感じた事のないさわり心地。そして石鹸のにおい。
不覚にも自分はそのさわり心地と石鹸の匂いだけで射精してしまった事を覚えている。
それから少し経ち同級生を部屋に呼んで、間違ったフリをして姉の下着入れを見せて驚かせる・・・というような事もやった。
その時は「驚かせる」という事が快感だった。ただそれだけだった。
だが、その後から徐々に下着・他人の衣類というものへの興味が目覚めていく。
当時すでにオナニーはしていたと思うんだが、自分は姉の下着を陰部に巻き付けてオナニーするのが当たり前で。
使用後、精液がかかってしまった後ごまかす為に、自ら洗濯する・・みたいな事までやっていた。
1度母にもばれかけた事もある
(あれ?なんで、姉の下着干してるの・・?)みたいな。
高校の時、一度女の子用の下着を部室の近くで見つけた事があるが(あれは何だったんだろう。今ではわからない)持って帰って、激しくオナニーしたのを覚えている。
クイズ悪魔のささやきって番組が昔あったんだけど
(古舘伊知郎と和田アキ子が出ていたヤツで、簡単なミッションをクリアして1万円? ハイレベルなミッションをクリアして100万円もらえるって企画。TBSだったと思う)
彼曰く、下着は「電子レンジでチンすると匂いが復活するらしい」。 実際試した事はないが本当なんだろうか。
当時みすぼらしい格好にグラサン、帽子で出演した彼を俺は軽蔑していたが、大人になった今ならわかる。
あなたが一番欲しい下着は、女子アナみたいな清楚な女の子が身に着けた下着なんだろう。。と。
出会い系サイト(もちろん相手は20歳以上)やブルセラショップなどで下着を買った時期もあった。
下着の購入ってのは風俗と同様で、買うまでは非常に長い間性的興奮を楽しめるが、購入し陰部に巻き付けてオナニーが終われば賢者モードに入るわけで。
その瞬間思う。
「ここまで(下着を買うまで)の時間とお金は無駄だった・・・と」 毎回これの繰り返し。
下着は新品ではいけない。あくまで使用済み。(まぁ、ちゃんと匂いがついていれば新品でもいいけど)
最初は近くの下着ショップに買いに行く事も検討したけど、一人で買いに行くのはハードルが高すぎた。
それもあったから、オークションサイト・フリマアプリの存在は大きい。
「未使用」と書いてはいるが「自宅保管」とか書いていると、「女の子の部屋の中で保管されていたんだ・・・」ってちょっとうれしくなっちゃう。
自分で勝手に使用済み(とまではいかないけど、未使用と使用済みの中間あたり)に変換し購入→楽しむ事が出来る。
下着の量が増えてから覚えた楽しみ方としては、購入した下着にお気に入りの香水を振りかけて
一度彼女にバレて別れた事があるのは言うまでもない。
何故あの時姉の下着ダンスを開けたんだろうか。と今でも思う。おかげで変態トークに関しては俺の右に出るものはいないと自負してはいるけれど
何かもっと良いスイッチの入れ方ってあったんじゃないだろうか(年収ウン百億の社長に出会うとか)
それが「使用済み」の「女性の下着」「女性の衣類」というのだからまたタチが悪い。
努力して手に入れる・・・種別のものではない。どちらかというと「掠め取る」「盗む」がメインの世界なのだから。
それもあり、昨今のフリマ・オークションサイトには本当に感謝。
幸い俺は一線は超えていない。そういう欲求に駆られる事は何度かあったけど、今度も線を超えることはないだろう。
今は彼女もいるし、何なら何でも言う事聞いてくれる2人目の彼女もいるし、下着ならフリマアプリで購入する事も出来るし。
何より刑務所の怖さを知っているので、理性がというよりは体が一線を越えないようにプログラムされているようだ。ここには安心している。
それでも彼女の家に遊びに行く時、彼女に内緒で彼女の箪笥を開けて下着に顔をうずめて下着の匂いに酔いしれる感覚は最高である。
ああ。同類なんだなっていつも思うよ。
本当は違う所にスイッチが入ればよかったのにな。って。
本日は36度で過ごしやすいですわ……と白目のタンパク質を凝固させながら
幸兵衛窯ではラスター彩と三彩の復元をおこなった加藤卓男様の業績を中心に展示が行われています
現役の窯でもあって販売も行われているというか、
展示されている加藤卓男様の作品の一部にまで値札がついていました
先代の五代目加藤幸兵衛様の作品は流石に希少らしくて値札はなかったですの
カバの上に子カバが乗った形態で、子カバがまるでムー○ンのようでしたわ
かわいくて心惹かれましたわ
加藤卓男様の展示では文字がびっしり書かれ、スケッチや写真の貼られた日記をかくにんできました
正倉院の鼓胴と呼ばれる陶器を復元したときは2年かけて97個目で
満足のいく複製をつくりあげたそうですから、そのこだわりの強さがうかがえますわ
研究対象とした出土品のラスター彩はわかりにくかったのですけど
七代目加藤幸兵衛(ちなみに加藤卓男様が六代目幸兵衛を名乗らなかったので六代目幸兵衛は欠番ですわ)様の
身近な人に奇妙な癖の持ち主がいる
それは「ドアや扉の類を閉じるとき少しだけ隙間を空けてしまう」というもの
ドアは必ず数センチほど開けるし、箪笥や机の引き出しの類も指が入る程度の隙間をどうしてもあけてしまう
一度当人を注意してきちんと閉めさせようとした事があったのだが、なぜか相当な躊躇をしていた
「トイレを出る時のドアはきちんと閉めてといつも言ってるよね」
「うん…」
「でも、また少しだけ隙間空けてるじゃん」
「…」
「とにかく、ちゃんと閉めて(ドアを指さしながら)」
「わかった…」
目の前のドアを10cmほど軽く押すだけで良いのに、それだけになんと数十秒を要した
途中、私の方を振り返って、私に「閉めなくていいよ」と言って欲しそうな素振りを見せたが、私は何も言わずドアが閉まるのをひたすら待った
それを察したのか、相手は観念したかのようにドアを押し込み、ガチャリと音をさせて完全に閉じられた事を示した
「今度から気をつけてよ」
しばらくしてトイレへ入ろうとしたら、なんとドアが少しだけ開いていた
「トイレ、また入ったの?」
「え、いや…」
「トイレのドア、また開いてるんだけど」
「え、それは…」
「また開けたの?」
「え、いや…」
「さっききちんと閉められてたのに、どうして開いてるの」
「…う、うう」
どういうわけか、相手は立ち尽くしたまま嗚咽を漏らし始めた
なぜいつも隙間を空けようとするのか、何度も尋ねるのだが下を向いて黙りこくってしまう
どうにかならないものだろうか
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
夢追うのやめたけどあきらめきれないシンパシー。自分は絵じゃないけど。
いま25歳。小中高と吹奏楽部でトランペットやってきた。周りと比べるとうまい方だった。
高校は毎年地方大会出るような強豪だったけど一年でレギュラー取った。
完全に調子乗ってた。
毎日居残り練してもレギュラー取れない同級生や先輩たちを見てせせら笑って過ごした。
追われる立場のもろさも知らず。
今思うと成長期で口が変わってたのもあったし、そのため無理やりアンブッシュア変える訓練を強いられていた(アンブッシュアとは吹く口の形。要するに投球フォーム変えるようなもん)のもあったし、当時心酔していた先輩からペダルトーンっていう練習法(古く最良のトレーニングと言われてきたけど最近の研究ではあまりよろしくないとされてるもの※諸説あり。気になる人はググれ)を教えられてたのもあった。
バカにしていた同期はぐんぐん上達し、高校三年の夏、ついにトップの座から陥落した。
それで意気消沈なんてしてられるか。自分はまだまだこんなものじゃない。まだやれる。今は調子悪いだけで、大学行けば、また昔みたいにふける。ダブルハイベーだって出る。と言い聞かせて、現状への不安や迷いは見て見ぬふりして昔からの目標だった音大への進学を決めた。
この時点で今思うともう完全に周りも自分も見えてない。強迫観念と執着心だけだったと思う。
ところで、中学生のころから師事していたトランペットの師匠がいた。学校とは別に、個人レッスンに
通っていたのだ。
中学の時はまだそんなガチガチになっていなかったので、受験の季節に高校でも吹奏楽を続けるか迷っていた。それを師匠に相談したら、「続けなよ。そして、僕が講師をしてる音大にもおいで」と言ってくれた。それに胸を打たれて、ちょっと無理して遠く私学の強豪校を選んだ。
そんなこんなで師匠が待つ大学に入学したものの、メンタルも演奏もコンディションの悪かった。当時おそらく鬱だったためか記憶があまり残っていないが、吹いても吹いてもうまくならない。思った音が出ない。音大つったってもちろん吹いてばかりじゃない。ソルフェージュ、和声、副科声楽、ドイツ語、フランス語。どれも集中できなかった。思い通り吹けない焦りに覆い尽くされて目の前が真っ暗だった。
ほどなくして、音大をやめた。
なんで辞めたの、なんて聞かれても一言じゃ答えられない。
そりゃ食ってけなささも続けんの無理と思った理由の一つではあるかもしれないけど、そんなの承知の上で飛び込んだ世界だし、それが理由とは言い切れない。
スランプで思い通り吹けなかったことかもしれないけど、それこそとしかたないことだし、乗り越えなければならないことだから、理由にならない。
しいて言えうなら、あの時はもう精神的に続けられる状況じゃなかったということが理由かもしれない。
まあそういう精神状態に追い込まれた背景としては上記のようなしがらみにさいなまれたこともないとは言えない。
しばらくは楽器見んのもいやだった。長い付き合いだったbachの180MLは箪笥の肥やしどころか忘れ去られた過去の遺物だった。
大学中退後、わたしは適当なデザイン専門に入り、ヘラヘラ学生をし、順当に卒業・就職し、4年。
今はwebデザイナーとしてそれなりにやってる。
(webデザイナーを選んだのは、グラフィックより求人もあるし給料もよかったから)
(元々オタク時代に同人サイトを少しかじってたのでとっつきやすかったのもある)
残業もたいしてないし、自分がデザインし構築したサイトが世に出回ってるのは、なかなかやりがいも感じる。
もうすぐ社会人五年目に突入というのもあり、社会人と呼ばれることにも慣れ、バランス感覚というのがようやく身についてきた気がしたと思ったら、トランペットが無性に恋しくなった。
実家から楽器ケースを引っ張り出し、久々に吹くと音色はひどいものだったが、当時の嫌悪感は完全になりを潜めていた。
幸い高校にOBOGによる一般バンドが存在したため、数年ぶりに顔を出した。
当時のい比でないほどひどい音にはなってしまったけど、随分と夢からは遠くそれてしまったけど、今は吹くのがとても楽しい。
これから先の人生ではもう投げ出さないで、周りと比べたり焦ったり嘆いたりせず気楽に楽しく吹いて、少しでいいから学生の頃より上達して、いい演奏をして、当時の自分への餞になればと思ってる。
たまに大学時代の友のfacebookやツイッターを覗くと、自己研鑽のためドイツ留学した先でのレッスン中の写真、T●Lの鼓笛隊になるべくオーディションを受けた所感、バイトいくつも掛け持ちしながらフリーランスとして講師やエキや小さなハコでコンサートのセルフ主催などしながら演奏活動を続けている様子など、あいかわらず音楽に当時と寸分たがわない情熱を傾けている様が見られる。(こういうのも最近になってようやく受け止められるようになった)
今の暮らしは不自由もないし、それなりに楽しくやっているが、それでもやはり苦労やコストもなりふり構わず夢を追う彼らを見ると、憧れと羨望と嫉妬で少しだけ胸がざわつき、当時の激情を思い出す。