2019-01-06

発達障害者相手でも距離を取る権利が欲しい

インターネットでは発達障害当事者へのライフハック支援発達障害者の周囲の人間へ向けた配慮方法なんかが沢山あって良い時代だなあと思う。

でも「発達障害はとことん配慮しなければならない」という風潮はしんどい

まるで定型発達障害者に苦役を強いているという風潮も辛い。

以前、発達障害者と近しい関係にあったことがある。

今は二度と発達障害者に近寄るもんか、あっちが近寄って来ようものならほうきで追い立ててやる。とまでヘイトを持ってしまった。

発達障害(ADHDASD双方)の症状と、それに由来するであろうその人の行動を列挙してみる。

・多動性

電車で隣合って座っていると突然激しい貧乏ゆすりをはじめる。普通にこわい。

なにかショックなことがあると鼻息を荒くして震えはじめる。普通にこわい。

衝動

自分の思い通りにならないとノータイムで叩いてくる。普通に暴力

・不注意

料理をしているのを見守っていて、初っ端から失敗の道に突き進んでいるのでやんわりと軌道修正しようとするもそのまま突き進み失敗作として完成させたもの押し付けてくる。普通に迷惑

社会性の障害

話している本人にしかからない話し方をする。

例えば「○○ちゃん、大変だったけど治ったんだよ〜。世間支援の少なさが〜」という話を唐突に切り出す。

でも私は○○ちゃんを知らないし、なにが大変でなにが治ったのかも分からない。

その時点で混乱するのに更に世間支援の冷たさの話をされても理解のとっかかりすらない。けれど理解をされない怒る。普通に混乱する。

言語コミュニケーション障害

辞書にない、特別造語を会話の中で多用する。もちろん話は通じない。

リサイクル提案という謎の単語、出陳を出先陳情という意味で使う。普通に話ができない。

・体のバランスが悪い

並んで歩くと進行方向も身体もなにもかも少しずつ斜めになるので、私が生垣電柱などに押し付けられるハメになる。

後ろを歩こうと歩く速度を落とすと立ち止まる。なにがなんでも隣に並んで、私を建物側に寄せたいようだが無理。普通に物理的に無理。

・自他の境界が薄い

他人の家のものでも自分判断で「この箪笥は漁っていい、これは使っていい、これは触っていい、この部屋には入っていい」と思えば家主に断りなくそうする。

後ほど何故そうしたのか聞いてもそうされた側としては到底納得がいかない理由しかない。

そうしたいと思ったからそうした、以上のことが読み取れないが本人はそれが正当な理由だと思っている。普通に人として無理。

また、自分がそう思ったか他人もそうなのだという思い込みが強い。

自分がAちゃんを好きなのはAちゃん自分を好きだから、Bさんは自分を誘惑している。何故なら自分欲情たから。

客観的立場でそれらを見ると全くそんなことはないけど、本人にとってはそれが真実なのだから手に負えない。普通に逃げて。

これが、一人の発達障害者に詰め込まれ特性だった。

特性だろうと、障害だろうと、それを避けることが差別であろうと、こんな人間とは交友関係は作れない。

発達障害が治らないものであるのならば、定型はこれを受け入れ続けなければならない。

そんなことしてたら定型だって壊れてしまう。

私達は福祉じゃない。親でもない。医者でもない。

私達には私達の平穏を守る権利があるはずだし、その権利障害相手もなにも関係ないはずだ。

仕事の場でなら合理的配慮もしよう、困っている人がいたら手を差し伸べるのも当然の行為だ。

けど、差別からって自分を削り切ってまで発達障害者に寄り添うなんて無理。

けど、そんなこと言ったら差別主義者だと叩かれるし発達障害者の特性にあてられて消耗して逃げようとすると追いかけられる。

上記のことを定型がやったら頭のおかしい人なのに、発達障害者だと一転して定型が受け入れるべきことになってしまう。

インターネット発達障害者の悲痛な叫びを見る度に「だとしても絶対私に近づかないで欲しい」と思ってしま差別主義者を許して欲しい。

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