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はてなキーワード: 生活費とは

2023-07-17

anond:20230717182359

配当金範囲内で暮らすから精神すり減らすなんてないで。

それでもサラリーマン給料くらいはもらえるからな。

まあ配当が減ることもあるがそういう時は週2〜3日テキトーバイトすれば生活費くらいにはなるからな。

どう転ぼうがノーストレス生活やで。

anond:20230717174300

本命山口大学医学部とお試しで受けた慶應義塾大学医学部の両方に合格して「上京して都会で慶應医学生キャンパスライフを送りたい」ってなった。

母子家庭経済的には厳しかったが高卒市役所勤務の姉、看護師の母に生活費仕送りを出してもらい、裕福だった父方親族借金して学費を捻出し、妹に進学を諦めてもらい心苦しさもありながら上京したけど関連病院の数、寄付金の額、留学時に慶應医学賞などのネームバリュー欧米では割とポピュラーだったこともあり今では慶應にして良かったと思ってる。

この女性は凄いと思うけど、どうやら独身か。

この女性がもしも子持ちだったらおそらくもっと大々的に報道されてるしそもそも味方も多かったんだろうなと思った。


https://www.tokyo-np.co.jp/article/262749

店長から年末評価項目の変更に伴い、時給が20円下がり1010円になると言われた。今回の評価の変更も説明あいまいだった上、食料品が値上がりする中での賃下げに「非正規をばかにした対応」と怒った。女性は、年金が少なく介護必要な両親の生活費自分の稼ぎの全額を充てており、受け入れ難かった。

金持ちの友人がいる。

本人は金持ちと思ってないようだが。持ってるものハイブランドばっかりである。なぜか普通会社で働いている。生活費は親からお小遣いでやっており、給料は全て旅行に使っているらしい。

週に2、3回は1人数万くらいするコースやおしゅしを食べに行ってて、それを無邪気にインスタに上げているんだけど、アカウント発見されバパ活してると噂になってるらしい。

まあ家族食事してるんだから、ババが出してるのは間違いではないんだが。ババ活頑張ってる女子からしたら気に入らないんだろうな。

ちなみに本人は全く気にしてない。富裕層メンタルである。どうして貧乏育ちのワイと仲良くしてるのかたまに不思議になる。

2023-07-16

世の中の人達が1人数千円する外食バンバン行ってるのはどういう思考回路

日本の平均年収は400万円くらい。

税金取られて生活費払って貯金もしてたらそんな高い外食行く金無いよな?

ちなみにワイは年収700万円以上だが外食松屋日高屋丸亀製麺ラーメン屋やぞ。

奮発してインドカレー屋のランチセット1000円前後

結婚して子供作って家建てて車買ってとかやってる奴らって70歳とか80歳まで働くわけやろ?

まあ女は結婚後は所詮パート程度しか働かんやろから男に向けた文章ね。

ローンを返したり、返し終わったあとも年金だけじゃ生活費足りないから老後の生活費貯めるために老後もずっと働くわけやろ。

それは君が本当にしたいことなのか?本当の君はそれでいいのか?って聞きたい。

周りに流されてなんとなく人生送ってるんやないか

別にやりたいことじゃなくてもいい、やりたくないことはないんか?

ワイなんかは中高生の頃は部活やりたくない、大学生以降は働きたくないという欲求根底にあってどうすれば持続可能な形でそれを達成できるかずっと考えてきて人生を歩んできたわけや。

それでようやく40代前半くらいになれば働かなくても生きていけるくらいの金が貯まる見込みが出てきたわけや。

ネガティブ理由人生送ってるけどワイは本気やで。

君らにはそういう自分が本気になれること無いんか?

2023-07-14

anond:20230714171222

ヤニ中毒にしつつバカにして考える力も落とす。

そりゃ税金で値段上げまくっても生活費削ってまで買う訳だ。

2023-07-13

育児休業中の家計負担割合について

育児休業中の家計負担割合って皆さんどうしてましたか

育児休業に入る前は共働きで夫と年収に大きな差がなく、

一定額を共用の口座に振り込みそこから生活費家賃光熱費を支払っていました。

しかし、育児休業に入ると育児休業支給上限までしか給付金がないため、

年収が大幅ダウンします。

少し夫に共用口座への振り込みの負担額を増やしてもらう相談はしようと思いますが、

参考までに皆さんがどうしていたか聞きたいです。

補足)

夫は一緒に半年育児休業を取得し、半年間は共に育児家事半々で生活していました。

半年経過後夫は仕事に復帰するため、日中家事育児ほとんど私になるかと思います

夫の家事育児のやり方についてはほとんど不満はありません。

育児休業中の家計負担割合について

育児休業中の家計負担割合って皆さんどうしてましたか

育児休業に入る前は共働きで夫と年収に大きな差がなく、

一定額を共用の口座に振り込みそこから生活費家賃光熱費を支払っていました。

しかし、育児休業に入ると育児休業支給上限までしか給付金がないため、

年収が大幅ダウンします。

少し夫に共用口座への振り込みの負担額を増やしてもらう相談はしようと思いますが、

参考までに皆さんがどうしていたか聞きたいです。

補足)

夫は一緒に半年育児休業を取得し、半年間は共に育児家事半々で生活していました。

半年経過後夫は仕事に復帰するため、日中家事育児ほとんど私になるかと思います

夫の家事育児のやり方についてはほとんど不満はありません。

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-11

anond:20230711174331

私も奨学金借りて大学行ってたけど、新卒で月手取り25万貰っても4〜5万は返済しなきゃいけないしそこから自分生活費、将来の貯金、親の介護貯金とか考えると発狂しそうだなと思ったよ。

それに行きたい大学あっても選択し狭まるし。

から在学中は夜職して奨学金は途中で辞めて学費自分で払って、自分は行ける大学選択が少なかった(進学する時は夜職の選択肢がなかった)から妹弟にはそんな思いさせたくないと思って、兄弟学費も貯めて大学行かせたよ。

子供に苦労させたいって人もいるけど、私はしなくてもいい苦労はしなくていい派だな。

個人能力ならまだしも生まれた家に寄って教育を受けることを諦める事もあってはならないと思う。

それに今は大卒前提で、大卒じゃないと職業だって選択し狭める。

保護者として子供選択肢を狭めることもあってはならないと思う。

教育習い事も何もせずさせず狭い世界の中で幸せでしたね も有り得るかもしれないけど、今はみんな携帯持つし狭い世界の中だけで完結させるのも難しい。

親に感謝するのは良い事だけど、子供幸せを考えるなら習い事する/しないも大学行く/行かないも最低限選択肢は多く持たせてあげるのは養育者として最低限の責任だと思うけど。

2023-07-10

anond:20230705020222

たいしょくしたら各種税金なくなるし今後の税金もなくなる

生ぽでもらったお金生活費に使える

anond:20230705020222

親身に相談のってくれたみたいに書いてるけどはたから見たら水際作戦で体よく追い返されただけにしか見えん

生活保護受給中は借金が一切できないので、支給された分以外の金銭を得ることはできない(生活保護を受けても生活できない)

↑これがイミフ支給された分で生活できるだろ。

それ以上にお金を使う・浪費する可能性があるってことなの?

前回は生活費のために借金してるって話だったけど。

大学時代にそこそこ大手アニメ制作会社就職説明会に参加したことがあって。

会社から「歩合制で最低保証が月5万、でも1年目はそれしか稼げないことがほとんど」という説明があり、それに対して同席した人から「1年目はバイトしつつ働く形ですか?」って質問が。

なんて返ってきたと思う? twitter.com/livedoornews/s…

「いえ、バイトなんてしてたらいつまでも腕が上がらずに5万しか稼げないままなので、安定して稼げるようになるまでは仕事以外の時間自主練に充ててください」

「その間の生活費は、親御さんに出していただく等して凌いでください」

知り合いの絵師がことごとく実家が太かったのはそういうことか

趣味時間をかけさせるゆとり必要なのね

2023-07-09

東京パンがまずいのは自店で焼かないかanond:20230709155748

全くだな

福岡に越しておいでよ!

生活費東京の70%!

通勤は30分圏内普通

空港まで中心街から地下鉄10分!

2023-07-06

anond:20230705201243

株買ってるってことは、金が減るリスクそもそもある程度許容してるんや

そのリスクを許容して株売買や配当で手に入る利益を追っている

ただ、仕事をクビになったりしたのと同時に株暴落して生活が路頭に迷うレベルリスクは多くの人が許容できないか半年分の生活費を預貯金で蓄えて次の仕事が見つかるまでの繋ぎとすることで回避しているってことや

リスク回避ゼロイチじゃなくて、自分がどこまで許容できるか考えた上で許容できないリスクについては回避策を考えるということ

もちろんそのリスクでさえ許容できるというなら半年分の生活費も投資に回しても良い

2023-07-05

anond:20230705153149

暴落リスクを正しく恐れるから半年分の生活費は手元に残すって話なのでは?

anond:20230705100924

ワイ:元増田みたいなこと書いてるヤツ貧乏そう。毎週飛行機東京に来てもお釣り出るぞ。東京市部でそこそこの家に住むならな

 ↓

増田:どのくらいお金使うとかは問題じゃない。中目黒大型犬 https://anond.hatelabo.jp/20220401211442#

 ↓

ワイ:物知らず(地方都市にも特色はある)、あとキミが例であげている地域にキミの所得では住めないと思う

 ↓

増田山手内側に住んでる。嘘じゃない

 

まぁこ認知能力なら東京の方がいいんじゃない福祉受けやすいし

 

ただ 新宿区ですら最低生活費が約12~13万円の設定で、

相当計画的手続きを進めないと生活保護支給開始前に宿無しになる感じなので

その辺はご注意ください。あと地方以上に生活保護で借りれる賃貸しんどい

うつ休職してお金が無くなり自殺を考えてみたけど・・・

うつ休職してお金が無くなり自殺を考える

https://anond.hatelabo.jp/20230530162017

上記日記を書いた増田です。続きと言うわけではないけど、近況を。

アドバイス通り「生活保護」の相談に最寄りの区役所に行ってきました。

そして、進めようとした生活保護申請をいったん止めて、さらなる借金生活を続けることに。

理由は以下のとおり。


そのため、(自己破産覚悟のうえで)借金継続している状態の方が、生活費を借金から充当可能なため、より休職からの復帰を目指せるだろうという結論に。

もちろん、直接的に生活保護相談担当から言われたわけではありません。責任問題になるので。

ただアドバイスとして、まだやれることはあるということを遠回しに言って貰えたのと、借金も「生活福祉資金」という利率が低い借金方法もあることを教えてもらったのもあり、そう決断して行動することになったと。

まあこれも金策借金以外本当にできないのかを検証したうえで実践となる予定。

検証で手が無ければ、金策のための借金生活継続という感じになると。

正直、生活保護を受け生活レベルが落ちたとしても、金策のことを考えずに治療や療養に専念できると思ったのに、なかなかそうはいかないらしい。。。ツライ。

2023-07-04

実家の親の面倒ってみんなどうやってんの

8050問題が見えてきたワープアこどおじ40代俺、地方実家で70代父親と二人暮らし

親父には毎月、光熱費通信費固定資産税と親父の生活費を含めて手取りの5割を渡している。

その分と年金+バブル直撃世代の貯蓄をもってすれば老後の心配などどこ吹く風……

のはずなのだが、先日親父から借金の支払いが追い付かない」との理由

この半年で俺が貯蓄できた分の同額に相当する金の前借りを求められた。


飲む・打つ・買うを地で行く父親は定年間際まで借金まみれだった。

生前の母や祖母の尽力により、なんとか近縁への借金はほぼ片付いたのだが

その2人がいなくなった今、貧乏くじはその時たまたま都落ちして実家にいた俺に回ってきた。


こどおじとは言ったものの元々自分の部屋は無く、実家に帰ってきた時に空いていた祖父の部屋を使っているので

厳密には子ども部屋おじさんではない。俺の学習机は今も居間の片隅に置かれたまま。だから何だよって話だが。

東京で鬱やって退職して、30代で実家に帰った時は自分の部屋ができて嬉しかったのを覚えている。

程なくして祖母と母が立て続けに亡くなって自分家計を支えることになるなんて当時は夢にも思ってなかったし。

(母が生きていた頃は母に手取りの3割くらいの金を収めていた。銀行行く機会が減ったと喜んでいた)


祖母が亡くなった時は母が、母が亡くなった時は俺が遺産管理を引き受けた。

親父は以前その両方の口座の管理人だったが使い込みが激しく、家族会議の末権限剥奪した過去がある。

母も「何かあった時の為に」と俺にだけ口座の暗証番号を教えていたくらい。

相続したその口座も、平均的な同世代夫婦の貯蓄の半分程度の資産だった。

母は父に代わって二世帯分の家計子ども3人の教育費を主に自分給与所得で切り盛りしていたので

父の借金を肩代わりしながらよくこれだけ残せたなと思うほどではあったが。

(なお俺が高校を出てから学費バイト奨学金自力清算した(自慢)。きょうだいの分は知らない)


親父には基礎疾患があり、今はまだ元気で車も運転できるが段々怪しくなってきている。

寡夫となり若干丸くなったとはいえ浪費癖は変わらずだし、今後の医療費も増えこそすれ減ることはないだろう。

きょうだいは皆所帯を持って県外に出ているしそちらの暮らしぶりもよくないようなので援助も見込めない。

自分甲斐性の無さも含め、先のことを考えると暗澹たる気持ちになる。

実家住まいは甘え」「老後のために2000万」とか見るたびに自分と父がどれだけ不出来であるか痛感させられる。

5年先、1年先すら自分がどうなっているか想像できない。


年代人達は、自分の親の面倒ってどうしてるんだろう。

働き盛りの現役世代なら親と自分(+所帯)の面倒を見切れるくらいの稼ぎはあって当然、なのか

そもそも親は親で自活してるから子が面倒見る必要はない、なのか

普通とされるラインが分からない。

それが分かれば自分に対して思うことが「甘えんなカスもっと頑張れ」か「不憫だがまあ頑張れ」のどっちかに決められる。これは気の持ちようとして結構かい

はてなー40代以上多いし所帯持ちも多いだろうから参考までに教えてほしい。

皆にとって親の存在負担か?



【2023-07-04 18:30ごろ追記

トラバありがとう。参考になった。

皆いろいろあって何が普通とかないかもしれんね。よそはよそウチはウチの基本に立ち返ってがんばるよ。暖かいコメントありがとうございました。

2023-07-03

ウクライナ戦争よりもその影響の方が人死んでるよな

小麦高騰、燃料高騰から電気高騰

生活費圧迫からの死者って計算しようがないけども、間違いなく大量虐殺ばりに人死んでるよな

ウクライナが早く殺られてくれた方死にゆ世界貧困層には有り難いだろ

【青ブタ】かえでと花楓に(少しだけ)人生を変えられた話

映画1作目(2019年6月

TVシリーズスルーしてたけど観に来たやで!

……なんかループものの亜種みたいな話なんやな?

シリアスなシーンのはずなのに、この主人公の格好は滅茶苦茶シュールやな…。

オチ、というか「ミクロではなくマクロに働きかける」という最終的な過去改変の方法はなかなか捻りが利いてるな……まあまあ面白かったやで。

映画2作目(2023年6月

1作目は観たけど、前作から4年も経ってるとほぼ忘れてるな…。

この『花楓』って子が今作のメインヒロイン主人公の妹なんか……前作に出てたっけ?

あー、不登校してて学力が足りてなくて、それでもお兄ちゃんと同じ高校に行きたいと。滅茶苦茶勉強してる……健気な子やな…。

……あ、この不穏な電話は、まさか……あああ、そんな……あんなに頑張ったのに……でも、自分不登校経験があるから解るわ……え、2年間記憶を失ってた…? そうやったんか…。

……また電話が…。……え? …いやいやいや、そんなことってある…????? 花楓、それでもお前は…お前ってやつは…。

……こ、このエンドロール曲は……こんなん泣くわ……久保ユリカ凄すぎひん???

TVシリーズ(dアニメストアで)(2023年6月

映画で、自分人生史上かつてないぐらい感情をグチャグチャにされてしまって、映画ストーリーに至るまでの花楓が気になりすぎたのでTVシリーズを履修するやで……。

……え、この子は花楓……じゃなくて『かえで』? あー、日記帳の表紙の名前ひらがなだったのはそういう…。ものすごくリアルな「今どきの女子中学生」だった花楓とは打って変わって、かえでは天真爛漫でお兄ちゃん大好きっ子で、「ザ・ラノベの妹」って感じの子やな…。

あー、いじめが原因で不登校になって、思春期症候群発症して……しかし他のヒロインの「存在認識されなくなる」「同じ日を繰り返す」「二人の自分が同時に存在する」「二人の姿が入れ替わる」という超常的な症状とは違って、花楓/かえでのは(体に突然現れるアザは別にすれば)「別の人格が現れて、それまでの記憶もなくなる」という、現実でも解離性同一性障害として起きそうな症状やな…(性格言動が幼くなってる気もしたけど、知能や一般常識は年相応みたいだし、「幼児退行」とは違うんかな…?)。

……お、かえでのエピソードTVシリーズ最後なんやな。おお、あんなにお家大好きっ子だったかえでが、外に出たい、動物園に行きたい、学校に行きたいと…。咲太が次々と新しい女を家に連れ込んだ(←言い方)のが良い方に影響したんやな…。しかし、咲太もかえでが言うことを絶対に頭ごなしに否定したりせずにちゃんと聞いてくれる、いいお兄ちゃんやな…。

……あああ、家の外に出るだけでそんなに……でも、自分不登校経験があるから解るわ…(2回目)。

…本人の決意と咲太の支えで外には出られるようにはなったけど、やっぱり学校ハードルいか……でも、自分不登校の(略)。

……え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは……洗ってないなすの臭いwww 良かったな、かえで……からの、え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは…(2回目)。

明日はきっと……って待て待て、この展開はどう考えてもフラグ……あああああ、やっぱり……。かえで……かえで……。

そりゃ咲太も、それまでの40日間(10/16~11/26)必死に頑張ってたのをそばで見てた、そしてそれまでの2年間一緒に過ごして、自分が誰なのかも解らず不安に押しつぶされそうな状況なのに「妹になってくれた」『かえで』のことを思うと喪失感が大きくて、単純に「『花楓』が帰ってきた!」という気持ちにはなれないよな…(父ちゃんはわりとそういう感じだったが……まあ2年間妻の看病のために咲太・かえでとは別居してたし、それはしょうがないのか…)。

……いや、それはわかるけど、病室の『花楓』と父親を置き去りにして雨空の下を走り回るのはちょっと…。『花楓』はわりとあっけらかんとはしてたけど、気がついたら2年経ってるっていうし、自宅も引っ越してて、両親とは別居してて…という状況に戸惑わないわけはないんだからそばに居てやれよ……(という感想自分が持ったのは、映画2作目→TVシリーズという順番で観たからなんだろうな。普通にTVシリーズから観てたら、『かえで』のことはよく知ってるけど、それまで劇中でほとんど描写がなかった『花楓』の方に感情移入することはなかなか無いだろうから…)。

からの、翔子さん。咲太をよしよししてあげるのはいいとして、かえでの日記帳勝手に読み上げるのはどうなんだろう…と思わなくもない。

いやしかし、この日記は泣くわ……。目が覚めたら記憶がなく、自分が誰なのかも解らず、父親も状況を受け止めきれず、母親に至っては心を病んで入院してしまった。そんな状況で唯一、咲太だけは自分のことを認めてくれて、一緒に暮らしてくれた。さっき『かえで』が「妹になってくれた」って書いたけど、それ以上に『かえで』にとっては咲太が「お兄ちゃんになってくれた」ことが救いだったんやろうな…。

そして、『かえで』の最後の日のことまで日記に書かれてる…。動物園夜の学校に行って、翌朝目覚めた『花楓』が筋肉痛を感じるほど肉体的な疲労があったはずなのに、帰宅してから寝るまでの間に日記を書き上げたということは、『かえで』は、これが自分に残された最後時間だということを解ってて、咲太に自分の想いを伝えなければいけないと思って、力を振り絞って……うう……。

翌朝、とりあえず立ち直って再び見舞いに訪れた病室で「退院したら動物園に行くぞ」と『花楓』に言ってしまう咲太さん…。なんか「元カノ面影を今カノに見てる」みたいな…。まあ、ちゃんとしたお別れもできないまま行ってしまたから、気持ちはわからなくもないが…。

からの、麻衣さん。撮影の合間を縫ってわざわざ金沢から駆けつけるという理想彼女ムーブ。…からの、翔子さんの書き置きが見つかって修羅場…。で、怒ってトンボ返りした麻衣さんを追いかけて金沢まで行ってしまう咲太さん……いや、そんなことしとる場合か!!? 言い訳謝罪は後日にして! お前は!! 今は!!! 『花楓』の!!!そばに居てやれ!!!!!(自分麻衣さんというキャラクターに対してそれほど魅力を感じないので、このへんの咲太の行動に対してあまり共感できなかった…)

映画1作目(dアニメストアで)(2023年6月

花楓、登場シーン数は少ないけどちゃんと出てたんやな…(当たり前)。

注目すべきなのは美容院で髪を切るシーン。咲太、お前、もうちょっと感慨とかないんか…? 髪型が変わって、またひとつ『かえで』の面影が薄くなってしまうシーンやぞ…。(まあ「TVシリーズの続き」ではなく「1本の映画」として考えると、本筋とは関係ないそういう描写を入れるとブレるからしょうがないのかもしれんが…)

しかし、髪を切ったあとの「ど、どう…? 調子に乗ってるように見えない…?」というセリフいじめに遭ってた花楓の過去を考えると結構重いセリフではあるよな…。

映画2作目(2回目)(2023年7月

青春ブタ野郎アニマルランドの夢を見る(映画2作目の来場者特典小説)(2023年7月

1回目に観に行ってもらってたやつ。……あああ、これこれ! このエピソードが読みたかった!! 咲太と花楓(と麻衣豊浜)が動物園に行くやつ!!!

行ったのは映画2作目のあと、3月ということだけど……まあ、そう簡単に『かえで』のことを忘れられるわけはないよな、咲太…。一方で、いつまでも『かえで』の面影を『花楓』の中に見てしまうのは、『花楓』に対してどうなんだ…?と思わなくもないし……う~ん……。

かえでと花楓に(少しだけ)人生を変えられた←イマココ

最近はずっと、かえでと花楓のことを時折考えて、そのたびに泣きそうになってしまう…。これは『かえで』ときれいな形でお別れができなくて、咲太も未だに未練があって、でも『花楓』を受け入れていないわけではなくて……という複雑な心情が続いていて、(少なくともアニメで描かれた範囲では)解決していないからだと思う。咲太、お前、『花楓』を動物園に誘ったのは、もしかしたらそれをきっかけに『かえで』が帰ってくるかも…という期待が、ほんの僅かでもあったんじゃないのか……?

かえでと花楓、2人が(何らかの形で)直接会うことができれば、一番いいわだかまりの解消になると思うんだけど……まだアニメ化されてない原作小説にそういう展開があったりしないのかな……と気になって、Kindleで全巻ポチってしまった(まだ読んでないけど)。今まで電子書籍ってほとんど買ったことなかったんですよ…。

それだけじゃなくて、コミカライズ版、BD全巻、OPEDサントラCD、前売り券の特典についてたグッズ、劇場販売グッズ、予約受付中の花楓のフィギュア……この数日間で一体何万円を使ったただろうか? でも後悔なんてしてない、するわけがない。

特定アニメ作品にハマったことは何回もあったけど、あるキャラクター実在人物のように感じたのは初めて。

今はそう……藤沢に行きたい。かえでが生きた、花楓が生きてる街の空気を感じてみたい。それと上野動物園に行って、洗ってないなすの臭いを嗅ぎたい。

今まで「聖地巡礼」って「ふーん、世の中には物好きな人がいるんやな」くらいの冷めた感じで見てたけど、こういう気持ちやったんやな…。

……薄給だし、休みあんまり取れないけど……。…新幹線で片道○時間切符代が×万円…。日帰りだと流石にしんどいので1泊…いや、2泊…。となると宿泊費も…。

それを捻出するためには、今の支出見直して…。買うだけ買って積むだけだった漫画書籍Steam、利用頻度の少ないサブスク

それほど興味がなくてもわりと頻繁に行ってた映画……いや、でも青ブタ出会えたのはそのおかげだし…うーん……。


それと、かえでと花楓があんなに頑張ったんだから自分ももう少し頑張って、今のただれた生活をなんとかしなきゃな…と思っている(部屋めっちゃ汚いんです…)。

(おしまい)

 

2023-07-02

anond:20230702231550

草🌱 森🌳

 

ゆうて、増田父ちゃんちゃんだって、じじばばじゃん?

今は足腰しっかりしてるかもしれんが、やがて歩くだけでしんどい時期が来るかもしれない

その上、自家用車タクシーで通院できないどころか、

生活費のために働かなきゃいけない・・・・なんてことが起きるかもしれない

その時にできたら席を譲ってあげて欲しいって思わん?ワイは思うから譲ってるよ 

 

ただ、首都圏だけ年寄りに席譲らない若者が多すぎる理由ひとつに、

じっさまばっさまがあからさまに遊びの帰りの姿で乗り込んでる姿が、

そこそこ目に入ることも原因になっているのかなぁとは思う

妊婦様・ベビーカー様・子連れ様と同じアレやね

 

地方じゃ、山遊びに行ったり、老人になっても畑仕事を続けられる経済体力がある人は、車で移動しているけど、

首都圏は、山遊びに行ったり、貸し畑で畑仕事した後に、電車で移動するのよね

生活に余裕がある人もない人も

 

本質的には電車に乗る人を減らすしかないと思うのよね

デスクワークの人は基本は在宅勤務、学生一定距離以上はリモート学習って風に

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