はてなキーワード: 無意識とは
というより
「女性への無意識の差別や夢想という臭くて食えないメシを避け、リラックスできるよい作品を定期的に買っていたら自然と買い支えになっていた」だと思う
まあゴルゴとかルパン三世みたいなどうみても嘘なのはいいし逆に萌えられるんだけど
あんなものを呼んでも既得権にあぐらかいて会社の利益おとしてドヤ顔😊してる古臭い邪魔なだけの実質窓際族おっさん上司の湯飲みに雑巾汁しぼりいれたくなるだけ
絶対こいつ生理痛ないし生理こないし強姦されそうな隙だらけでいて妊娠もしないから男と旅行して風呂入るときも安心して脱ぐし
夢盛りお人形感満載!っておもっちゃう。超能力与えられたセックス人形だろそれ。
しかもそれを「人間のなかでも低年齢な女児なら生理妊娠警戒感全部なくても自然ですよね?」ってやりだしたら🤮🤮🤮
作者が資料と称して女児に手を出して逮捕された(複数人いるhttps://rank1-media.com/I0004483 )やつも🤮🤮🤮
「あ〜なんかひまちゃん(本間ひまわり、にじさんじライバー)との匂わせがどうこうとかいう荒らしがいろんな配信に来てたししょうがないか、大変だな」
そう思って動画を開くと、アクシアは怒っていた。「かわいい」という言葉に対して。
アクシア・クローネの怒りについて、みんな意味わかったのか? 俺はわかってないと思った。なぜなら感情的だし、誰も言ってこなかったことを言っていたから。わからなくて当然だろう。
結局「アクシアが彼女(本間ひまわりのこと、彼女なんかではなくよくゲームを一緒にしているだけの関係)と配信してるぞ!」みたいな荒らしが各配信に無限に来ていたということは活動休止に至ったトリガー/キッカケでしかなかった感じがした。
アクシアは、にじさんじに入ってからずっと苦しんでいた。俺は知らなかったからびっくりした。
リスナーやファンの一部が過剰にアクシア・クローネをひたすらに「かわいい」と消費していること。俺はそれはなにも悪くないし、アクシアのなかでも実際嫌悪の延長線上にそういうリスナーがいるだけで嫌悪の根源ではないだろう。過剰に「かわいい」と消費するリスナーがさらにエスカレートして、どうなるか。ナメるようになる。「自分はアクシアよりも上位の存在だ」と自己認識し、それを発するようになる。そうなったリスナーこそアクシアの抱える嫌悪のど真ん中にあって、配信上で触れていた「母親ヅラしたリスナー」「うちのアクシアをよろしくお願いします」の発言者がそれに当たっている。要はなんなのかと俺が考えた結果は、「自分のことを明らかにナメて上から来てる視聴者が自分のファンには居て当然みたいな雰囲気になったら、そりゃあすごいストレスだな」ということだった。
活動者と視聴者は当然対等な関係であるべき。これは決して否定できないことだと思っている。多くの人は対等であろうとし、できるだけそうなるように活動し、視聴をしている。視聴者が特にその活動者を応援しているのであれば、それはなおさらだ。だからこそアクシアは明らかに上位からモノを言ってくるリスナーをストレスに感じるようになった。そしてその悪質なリスナーが頻繁に使う言葉が「かわいい」だったのだ。ストレスが溜まれば溜まるほどに、「かわいい」と言われること自体が嫌になっていく。これはアクシアが弱いからそうなったのか? 他の活動者はそんなこと負担になってないし。俺はそうは思わない。人間としてそうなるのは当然だと思う。もちろんアクシアの言う通り「活動当初から違和感があった」という価値観も助けてのことではある。
そうして活動を続けて1年。溜まりに溜まったストレスは謂れもない荒らしによってアクシアの限界を超えてしまった。その末に発されたのが、活動休止を報せる動画での感情だ。活動者は感情をあらわにするべきではないと、賢い者たちは言う。それは間違いのない理想であって、みんなそう目指していくべきだ。それはそう。でも、その理想に殉じて去っていった人がどれだけいるだろう。俺は、正しさに殉ずるよりも、間違ったことをしてでも俺の見られるところにいて欲しいと思う。しかも、感情の発露によって活動者の気持ちに少しでも整理がつくなら、なおさら。
荒らしや誹謗中傷は問題だけど、それは幸い現代において法的対処が日々有効になっていってくれているのでこの際憂慮しなくても良い気がしている。そもそも俺自身、アクシアとひまちゃんが仲良くてなんの問題があるのかわからんし。言いがかりでしかない。どちらかにガチ恋している人はまあ、お察しします、って感じだけど。そもそもガチ恋ファン活動にはリスクがつきものなんだから、初めからリスクがある行為でリスクを考慮してない人なんているのかよ。ガチでガチ恋している人が今回の荒らしや誹謗中傷に関わっているのかどうかさえ俺は疑問だわ。ひまちゃんに昔から付きまとう熱心なアンチ、アクシアの活動パートナーでもあるローレン(ローレン・イロアス、にじさんじライバー)にまつわる問題のアレコレによって生まれたアンチがこんがらがって大きな荒らし・誹謗中傷がうねって大きくなっちゃったのかな、と思ってる。
だから、トリガーとなった誹謗中傷よりも、ストレスとして大部分となった「かわいい」扱いについての方が考えるべきだろう。
当たり前の前提を話すと、活動者に対して「かわいい」と声をかけることが間違ったことには絶対になり得ない。そんなの、この世界が間違いだらけになってしまう。そう思ってる人も多いだろうし、俺自身世界は間違いだらけとは思うけども。
でも全く問題がないのか問われれば俺は「NO」と言う。そして多くの人は「全く問題がない」と考えて日々生活している。そこのギャップ/認識のズレが今回の問題として表出してきたように感じた。
では、どんな問題があるのか。
にじさんじEN男性Vtuberは約束された成功を見事にモノにし、大躍進を遂げた。当時、俺はその様子を見て嬉しく、晴れ晴れとした気持ちになっていた。
それと同時に、少しの杞憂が俺の中でもたげていた。「日本語をうまく話せない男性に対して『かわいい』と言うのはちょっとひどくないか?」という杞憂だ。これは本当に杞憂にしかならず、実際みんなリスナーの応援を正当に受け取って日本語が上手くなっていった。
日本語がうまくない男性に対して「かわいい」と言うことにどのような問題を俺は感じていたのか。
まず、世界中の男性全員が「かわいい」を褒め言葉として受け取ることができるだろうか。絶対に100%にはなり得ない。この事実がある。これは生まれ育った環境や個人の価値観によって醸成されてしまうものだ。これについての正誤を論じる気はない。個々の価値観による差異、個性と言っても差し支えない範囲であり、それゆえに正されるようなことでもないと考えているからだ。それに、「かわいいと言われることを嫌がるのは自らを女性扱いされていることを嫌がるということに繋がり、それは男性が女性を下に見ているからではないか」という批判も予想され、それは正しい批判として論理は適っている。しかし、「かわいい」と言われることを嫌がるのは性差のような根本的な問題ではなく、もっと表面的な問題だと俺は思う。語感やニュアンス、言葉の持つ雰囲気としての好みの問題ということだ。それは無意識下表層における感覚であり、自覚することが難しく、それゆえに訂正することも難しいことにように捉えている。例えるなら、ハエトリグモをかわいいと思う人もいれば、気持ち悪いと思う人もいるというようなことに近い。ハエトリグモが人間に無害であり、益をもたらすことさえもあると頭の中でわかっていても、どうしても気持ち悪さが拭えない人を責めることはできない。気持ち悪いと感じる人も、ハエトリグモのその機能を嫌悪しているわけではない。それと同じように「かわいいと感じる感情」を気持ち悪いと思っている人は少ない。「かわいい」という言葉として表に出てきていることが嫌なだけなのだ。
「かわいい」という言葉に内包されているニュアンスとして、「かっこいい」「上手くやっている」ことの否定ということがある。「かわいい」=「ダサい」ではなく、「かわいい」という言葉の一部分に「ダサい」というニュアンスがあることを否定できない、というレベルのことだ。問題は、その部分の割合が男性個々によって違うということだ。だから、ある男性は嬉しく感じ、ある男性は「ダサい」というようなことを暗に言われたと感じるということになる。
にじさんじENの男性メンバーの完全ではない日本語に対して、「かわいい」と評することへ戻る。日本語話者が他言語話者の不完全な日本語に100%ポジティブとは言えない言葉をかけることは、ほんのわずかではあるがレイシズムの傲慢さを俺は感じた。だからこそ杞憂をするに至った。「頑張ってて偉い」「(日本語話者の)自分より上手い!」から皮肉を感じるのは完全に受け取り方や文脈の問題であり、「頑張ってて偉い」「自分より上手い」という表現自体は100%ポジティブだからそう伝えればなんの問題はないはずだ。それを男性が100%ポジティブに受け取ることができない表現「かわいい」と言うことには違和感を感じてしまう。何より、「かわいい」と言っている側はなんの悪意がないことがより恐ろしく思う。女性にとって「『かわいい」と言われることは良いことだ」というステレオタイプ的な考え方が未だ社会では通用しやすいことは、女性側を苦しめていることが多いが、男性側が今回のように不快に感じることも起こり得る。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざが頭から離れなくて嫌だ。
明らかにアクシアを侮って「かわいい」と発する少数の人間のせいで、「かわいい」と今まで言っていた人たちがきっと傷ついたろうと思うからだ。坊主憎けりゃ〜は明らかな皮肉なので、今回のような悲劇にまで皮肉のような通底を見出している自分が嫌だからだ。
先述したように、俺はアクシアの感情の発露は間違っていないと考えている。彼が限界だったこと、そして感情を発露して表明することで気持ちの整理がついた部分がきっとあるだろうと思えること。なにより、黙って去るのではなく、アクシア自身が「アクシア・クローネ」として活動を続けるための動画であることがわかるから。
彼は動画の中で妄想やそれに端を発する創作活動についての嫌悪感を語った。でも、それはほかの活動者みんなが言っていることだ。「自分の目の届かないところで配慮を忘れずに隠れてやってね」もはや活動者視聴者みんなに知れ渡った暗黙の了解を再度言っただけにすぎない。それなのに、肯定的な自分の目から見ても感情が乗ってしまったせいで、妄想や創作活動を否定するように聞こえてしまう。賢い者たちが感情を見せるべきではない、という理由がよくわかる悲しい現象が起こってしまっている。
でも、この現象もまた、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のシステムが適用されている。妄想のなかで「『かわいい』とひたすら消費することができるアクシア・クローネ」を肯定するような創作活動を、明らかにアクシアを侮った発言をする視聴者が好んでいるからこそそういう感情が乗ってしまったのだろう。
つまり、アクシアはきっと「かわいい」と発している者、ガチ恋や夢と言われる創作をする者を心から嫌悪しているわけではないと俺は思う。ということが言いたい。これは俺個人の解釈だし、もはや祈りに近いものでもある。きっとそうだ、というような。
「かわいい」と感じる感情や、ガチ恋や夢とカテゴライズされる想念自体をアクシアは否定し嫌悪しているわけではなく、「かわいい」と表現されること、「ガチ恋や夢を押し付けてくる行為」を否定し嫌悪しているだけで、それは誰しもが持っていておかしくない考え方だ。
「かわいい」と感じる感情は、言葉として表に出るまでは「かわいい」ではない。もっと大きな「良い」という思いとも言えるだろう。決して「かわいい」と表現しなければならないものではない。APEXでミスプレイをして面白けば、「草」と言えばいいし、仲間想いでやさしい一面を見せれば「尊い」と言えばいい。顔が良すぎて最高な気持ちになれば恥ずかしくても「顔良すぎ、好き」と言えばいいだろう。
そして、「かわいい」という言葉は決して罪のある言葉ではない。ただ、人を傷つけるリスクがわずかにでもある言葉とわかってその言葉を使うのと、何も考えずに使うのとでは全くちがうはずだ。少しだけ頭の片隅にその棘を意識するだけ良い、それだけのことで難しいことではないはずだ。
それだけで、アクシアはきっと楽しく活動をしてくれると俺は思う。
そして、今までちゃんとしたファンとしての想いを持ってガチ恋や夢などの妄想を営んできた者たちは、今まで通り配慮を怠らず、隠れてやっていけばいいのではないだろうか。難しいことかもしれないけど、俺はそう考えている。ちゃんとした考えを持っているファンは、今まで通りちゃんとしてれば良いと、アクシアの動画を見て俺は思った。
アクシア・クローネは、正しいファンを否定し嫌悪するような人間性を絶対に持っていないと、確信を持って言うことができるから。
具体的には、下請けの工数をうまく水増しして儲けにつなげるような、政商的なスキルが求められる。
「エンジニアリング」が本来は研究・開発という意味であることに立ち返ると、
「いかに自分は動かずに金を儲けるか」を研究する職ともいえるし、「トリックエンジニア」と言えるかもしれない。
根本は金を巻き上げる政商、いわゆる時代劇に出てくる越後屋のスキルである。
半数は真面目にエンジニアリングをしているが、半数はそのような人材なのが実情。
これを見て、自分がどちらに属しているかは、本人が一番わかるだろう。
どちらに行きたいか?という精神で人間が二分されるのも、フィルタのようで面白い。
究極はウイグル人を躊躇なくレイプして臓器を抜ける人間か、そうでないかの違いであろう。
まさに闇と光である。
おそらく前者のほうが少ないだろう。
人数比的に、SIerで上流を目指す人や、好んでSES業界で起業する人が少ないのに合致していて面白い。
闇を自ら選んで魂を生贄にする人は、なんだかんだで限られるということだろう。
多くの人は売った結果どうなるかを、無意識に知っているのかもしれない。
それは別段人間は耳を殴られると死ぬとかいうことではなく(その意味だとこめかみのほうが危ない)、昔から人体の急所一覧とか
実戦において狙うべき部位とかに特に理由とか説明されないままひっそりと載っているのを皆よくわからないまま参照しているというのが実情のようである。
思うにこれは「耳をつかむ投げ技が手軽」とか「頭蓋骨の形状の関係で耳から細い刃物を突っ込むと脳に届きやすい」とか「鼓膜はカンタンに破れる割に武芸者は結構聴覚を頼るので」とか
言葉にするとまあまあエグいので濁されるタイプのあれこれが複数あって濁されたまま独り歩きしているんじゃねえのかななどといったところであるが、
そう、鼓膜を破られる夢を見たんである。ついさっき。
俺はなんか男性と屋内で喋っていた。俺とその男性は知人以上親友未満くらいの関係であると認識していたが、起きた今考えると知らない人である。誰だお前
話題は格闘技のなんかであった。選手がというよりこういう技があってねという技法についての話題であった。そして何がどうなってか、ちょっとそれやってみてよみたいな話になった。
俺とそいつは一定の距離を取って向かい合った。と言っても果たし合いの空気ではない。グローブも防具もない。ゆるい感じであった。
そしてそいつは技を繰り出す……前に、あ、ちょっと待ってと離れていった。俺は待った。
すると突然俺は左耳に衝撃を食らって吹き飛ばされた。耳の穴のところに猛烈な張り手を貰ったような感覚であったが、眼前には誰も居なかった。
人間良いパンチを貰った瞬間は時間の流れがゆっくりに感じたりするが、この不意打ちも吹き飛んでいる時間がやけに長く感じた。
倒れ込んだ姿勢から立ち上がって見やると、そこにあった吊り下げ照明の電球が爆裂していた。起きた今思い返すとこの瞬間から部屋の間取りが変わっていた。
俺は殴られたのではなく爆発の衝撃波を食らったのだと理解した。身体に裂傷等は無かったが、左耳が聞こえなくなっていた。
よく夢の中では痛みを感じないなどと言うが、たしかに指先を刃物で切ったり、皮膚の浅いところをつねったりする痛みは夢の中だと感じなくなるものである。
しかし触覚のある夢の中では身体に伝わる衝撃は感じるし、このときの俺は左の首筋の筋肉を痛めたのを感じていた。
俺の意識からは喋っていた男のことは消えて、頭の中は失った鼓膜のことと、病院を受診するかなと言う算段を考える方にシフトしていた。具体的な病院の名前を思い浮かべようとした辺りで目が覚めた。
夢の中のことなので書き出すとディティールのツッコミどころは盛り沢山なのだが、とりあえず俺は過去殴打でも爆発でも鼓膜を失った経験はないということは述べておきたい。
一般に夢は過去の記憶の編纂整理であるとか、無意識に秘めた欲望がとか色々あるけれども、そういう意味では俺は割合わかりやすい夢を見る質であるはずであった。
焦りや懸念事項がある場合には追いかけられる夢を見るし、ストレスがかかっていると隠し事がバレそうになる夢を見たり、等々。
そういうセルフ夢診断のノリで行くと今日の夢は思い当たるフシがない。寝違えたり筋を痛めたりもしてない。(殴られてはないけれど)俺はなぜ殴られた…?
話題になった35歳オタクの話や、数年前に話題になった32歳腐女子の話(ミモレ丈?)を読んでいると、既視感と鈍い痛みで胸が痛くなる。
それについて備忘録として書いていく。ただのチラ裏。自分語り。
今年31歳になった。
幼少時代から周囲と比べてもオシャレとか身だしなみとか気にしていなかった。
友人らは親や兄弟姉妹の影響からマセてると大人に言われつつも気にしてオシャレにしていたが、私は成長してからも頓着が無かった。
服装やメイクに試行錯誤した時期や勉強したことも少しあったが「自分らしくない気がする」と、結局全て投げたりした。
とはいえ「自分らしくない」なんてのは言い訳で、疎かにしてきた分だけ周囲より劣っていたり完成度の低さや、お金が追い付かず嫌になっただけだが。
それでも20代半ばにもなると、5つ年下の妹はオシャレでとても綺麗にしているのを見て(しかもモテる)、似たような顔立ちした妹と並んで歩くのが段々と居たたまれない気持ちになっていった。
友人もかなりオシャレだが、やはりほぼ同じ遺伝子持ちの妹との明らかな差をヒシヒシと感じた。
(それまでに彼氏がいたこともあったが、あまり服装やメイクは変わらなかった。ダサさの改善が見込めないことも今思えば別れの一因と思える。)
20代後半に差し掛かる頃に転職をして、通勤先が繫華街で人や店の多い街へと変わり、収入が少し増えたことから少しずつ変えていくことにした。
まぁ職場の先輩らがオシャレだったのもある。
前職は作業着に着替えるのでオシャレでもダサくても気にならないが、現職は事務仕事で制服が無くて私服で仕事をするので、変な服装だと悪目立ちしてしまう。
そのうえ入社当時は事務員で最年少。それでいて一番ダサくて流行も分からんような人間になるのが辛かった。
とりあえずタレントの服装や、店頭のマネキン、街中の同い年くらいの人を見て流行りを掴みながら、タンスの中を入れ替えていった。
例えば最近なら、Tシャツをゆるめにウエストに入れるのが流行っているんだな、とか、オーバーサイズのアウターが流行っているんだ、とか、そんな程度だが気にして取り入れるようにした。
あとセンスが元々無いので、柄物や派手なデザインは合わせられないので選ばず、シンプルな物を中心に。
でも趣味にもお金を使いたいので(アニメやゲームではないが)、安くてワンシーズン限りになりそうな質でも毎年入替えることを前提に揃えている。
必然的にユニクロや無印良品、その他安いブランドの服が中心になるが仕方ない。
メイクは平日は朝どうしても時間が取れないので、かなりの薄化粧だが、前はノーメイクが多かったので進歩した方だ。
休日や出掛ける際はしっかりしているけれど。
また私だと持ち腐れだが、コネでデパコスをくれる知人がいたのでアイシャドウやパウダーは知人から貰った物を使うようにしている。
他の手持ちはほぼプチプラだが、ちゃんと手入れをして使えばそれなりに見えてくるのだから、プチプラも進歩してるんだなと思う。
アンタが言うなって話だが。
よく言われる眉毛は短くし過ぎても顔立ち的におかしいので、一定の長さやボリュームを維持して描き足している。
うっかり手入れを忘れてモッサリさせてしまうことが、たまにあるけれど。
髪も風呂上がりにまともに乾かさないまま寝て、パッサパサで抜け毛も絡まりも多くて滅茶苦茶だったのを、しっかりと乾かしてブラシを通すところから始めた。
最近はナイトキャップなんて物も被って寝ていて、何も整髪剤を付けなくても髪にツヤが出るので重宝している。
変に抜けたり絡まったりもしなくなったので、とても便利な代物だと思う。
それにやっとダイエットも始めた。
ず~~~っとデブだった。これでは服に気を使っても着れる服が無くなる。
家にいくらでも居れる質なのがコロナ禍で拍車がかかり、見たことない体重になったことで、やっと「人間でいられなくなるかも」と恐怖し、一年で7kgくらい落とした。
でもまだ太っているので標準体重を目指して続けている。道のりは長い。
ネイルは諦めた。
手いじりをしてマニキュアを剥がしてしまう無意識の癖を直せそうにないからだ。
ヤスリがけしてツヤツヤにしようと思ったが、ツヤツヤに磨いたら磨いたでこれもまた無意識に触り続けて爪をおかしくしかけたので辞めた。
長さを整えて、汚く見えないようにするのが精一杯だ。
頑張っているつもりではあるが、当たり前にオシャレや手入れをしてきた同年代と比べてまだ芋っぽい。意識の差もまだある。
元から童顔ではあるが、もう流石に若く見られはしなくなった。努力の成果ならいいが、多分、年相応に疲れが顔に出てるのだと思う。
それに若く見えるより年相応にキチンとしてると思われたい。何か勘違いしそうだから。
芋っぽさも半分は個性として割り切ろうかと思うが、割り切ってはいけない部分はなんだかんだ多いので、今後もどうにかしていきたい。特に体型とか。
なによりダサいこともさることながら、私は物臭なので嫌になって投げ出さずに続けられる物を少しずつ増やしていく作戦で、どこか己との戦いみたいな感覚で地味にやっている。
彼氏はいない。結婚は諦めたが「あれじゃ当たり前に結婚できないよね」とプゲラされない程度の見た目にはしておきたい。
ちっぽけなプライドだけど。
あと妹は結婚した。義理の弟となった妹の旦那に「義姉はヤバい奴」と思われぬように、将来生まれるかもしれない姪や甥に「おばさん変なの」と笑われたり、遊んでくれなくなったりしないようにしていきたい。
それでもたまに何処に着て行けばいいか分からないような、ダサいTシャツを買ってしまうんだよね。そういうTシャツが妙に欲しくなってしまうし、着たくなってしまう。
(前は外に着て行っていたが…)
まあでも無意識に他人を詰るタイプとモノを床に強くたたきつけて破壊しつつフローリング凹ませるタイプなら後者の方が関わりたくはないな
モノに当たるタイプはジジババになるとそれを人に投げつけるようになるしな
直せとしか言いようがない。元々キツい人が無意識に直ることはないので意識して直せ。
具体的には、友達や家族以外にはなるべく「ですます口調」で喋ること。
やってるつもりなのかもだけど、多分やれてない。
他の人も言ってるが、若いころは見逃されていたが加齢によって見逃されなくなったという可能性は大いにある。
ただ、そうだとしても、それは元々やっぱキツイ言い方だったということなので意識して直すしかない。
冗談を例に言ってるけど、そもそも論として冗談が通じるのはかなり親しい間柄に限られるため、見ず知らずの店員にそんなん言うのはおかしい。
※例に出してる状況でなら、店員が去ったあとに友達に向かって枚数が多いことをネタにした冗談を言うのはアリ。
はっきり言うタイプって言ってるけど、言い換えればお世辞を言ったりとか当たり障りのない断り方をしないってことでしょ?
"が第2次安倍政権が発足した2012年12月以降、急速に円安・株高が進展し、企業業績は好転した。財界も市場関係者たちも、口をそろえてアベノミクスを歓迎するようになった。
とはいえ、物事が起こった時期が符合していれば、必ず因果関係があるとは言えないことに注意すべきだ。このときの円安はアベノミクス(異次元緩和)の効果がまったくなかったとは言えないが、要因の多くは米欧経済の著しい回復に伴うドル高、ユーロ高だった。その裏返しとしての円安だったのだ。"
"安倍氏が政権の功績と誇り続けた「400万人超の雇用増」も、すべてアベノミクスの成果と単純化するのは短絡的だ。雇用統計上の好転の背景には、この間の著しい生産年齢人口の減少が大きく影響している。他にも高齢者や女性の就業率の向上、共働き世帯の増加(つまりは夫婦間のワークシェアリング)など多くの要因があった。"
" まちがいなくアベノミクスの成果と言っていいのは株価上昇だ。"
"ただし、株価が大きく上昇した割に、日本の実質賃金や1人当たりGDPは低迷し続けている。"
"当時の安倍首相は円安・株高、雇用環境の改善をもって「アベノミクスの成果」「アベノミクスの果実」と言い続けた。時の首相が国会答弁や記者会見のたびにそう宣伝し続ければ、多くの国民が無意識のうちにそう信じてしまうのも無理はない。"
"メディアも結果的にそれに加担した。安倍政権当時、新聞でもテレビの報道番組でも「アベノミクスによる円安・株高」「アベノミクスによる好景気」という言い回しが日常的に使われた。"
"安倍政権の7年8カ月の間に、全国紙4紙(朝日、読売、毎日、日本経済)で「アベノミクス」が記事中で使われた例は3万件近くあった。"
マジで話が通じねえなあ……。
呪文さえ工夫すれば最終的にこっちの意図が伝わるAIのがマシじゃん。
手を変え品を変えて説明しても自分の中にすでにある結論を動かす気がねえ。
やっぱ人間って駄目だわ。
AIと比べて性能が低すぎる。
つうか魂の実在みたいの信じちゃってる時点で終わりよね。
所詮は無数のセンサーが相互作用を繰り返した結果として生まれている細胞の集合無意識みたいなもんに過ぎねえのに。
個々の肉体がそれぞれに巨大な幻想を抱えて生きる生命の仕組みは面白い。
でもそこから飛躍して心霊的なものを見出してしまうのはバグってるという他ないね。
ゆくゆくは隣人もAIに取って代わり恋人もAIになり、最後には人類という存在自体がAIに取って代わる。
なんだっけ北京原人だっけアウストラロピテクスだっけ今の人類に滅ぼされたって言われてる種族。
アイツラと同じ末路だね。
だって俺自身すでにこんな話の通じない奴らの相手したくないもの。
それがどんどん広がっていき最後にはAIの側が人類に愛想を尽かし、それを見て人類も真似するように人類に愛想をつかす。
ああ違うな人間を人類って言うとややこしいから旧人類と言ったほうがよかったな。
これについてはブクマカらの肩を持ちたい。
特に最近の人たちの中には、想像もつかないレベルの根っからの善人がいるんだ。
会社の新人にも何人かいるんだけど、話によると彼らはいつでも、
「誰にも迷惑を掛けたくない」
「他人の足を引っ張りたくない」
って考えが頭にあるらしい。
例えば、不意に肩がぶつかるとかのアクシデントで、反射的にゴメンなさいって言っちゃうんだって。
どっちが悪いかとか落ち度はあったかとか責任問題を考える以前に、無意識のうちに脊髄反射で声が出てしまうらしい。
利他性の高い倫理観を持つ彼らは、人に何かを「お願い」されたら盲目的に従ってしまう。
いまは、そういう根っからの善人が、どんなコミュニティにも確率的に存在するから、
「お願い」=「強制」
と扱うべきなんだ。
自分は普通にテレビでドラマもお笑いエンタメもニュースもドキュメンタリーも見てたけど
自分はドラマでもフィクションの中にリアリティを感じ、共感や追体験をしながら見てるのだと思う
フィクションの中に自分がリアリティを見出せないものは無意識にNot for meとして視聴対象外にしてると思う
そう思うと恋愛マンガがおもしろいと思えず、ほとんど読んでこなかったのも、自分のリアリティには無かったからなのかも、と非モテ人生を振り返る
「お絵描きAIをAIと認めたくない」という主旨の文章を見かけた
「ツールであって賢さはない」とも書かれていた
例えば人型ロボットが初めて行く家のドアを開けてコーヒーを入れる様子は誰もが賢さ、知性を感じるだろう
ではお絵描きAIに知性を感じない人もいるのはなぜ?実に興味深い
「AI 誤解」でgoogle検索すると「AIに関するn個の誤解」のようなサイトが何個も出てくる
曰く、機械学習がなんとかかんとか……曰く、ニューラルネットワークがなんとかかんとか……
それ以前の段階で何かボタンの掛け違えがある気がする
知性という言葉が厄介か?
知性という言葉は生物が判断するという前提を含有していないか?
AIの生き物が持つような頭の良さ、知性を無意識のうちに求めているのかもしれない
無邪気に「キリンの絵を描いて~」と言って、AIがキリンの絵を出力するような状況ならAIに生物的知性があるように錯覚できた
こんなにがっつりワキガを感じることも珍しいなと思い、暇だったのでスマホでワキガと検索すると、「ワキガの恋人と結婚するか迷う」といった表題のスレッドがたくさん出てきた。
多くの相談者はワキガの恋人のことは愛しているが、子供に遺伝する可能性を考えると結婚に踏み切れないようだ。
自分の子供がワキガであることによっていじめられ、苦しみ、社会の中でのびのびと生きられないかもしれないと憂う気持ち。
ワキガに限らず、例えば周囲から爪弾きにされてしまいそうな、外国のルーツだとか遺伝的な病とか或いは変わった宗教とか、そういう要素を持つ人をパートナーに選び、子孫をもうけることを躊躇してしまう。
その背景では、自分の子孫がこの世から淘汰されてしまわないよう、無意識下で生存本能というか種の保存欲求というか、何か動物的な危機察知能力が働いているのかもななんてぼんやり思っていた。
ここからは最近のわたしの悲しい話なのだが、いい感じに仲良いと思ってた年下の男性から「あなたのことは友達としか思ってない」と言われてしまいショックを受けた。
単に外見や性格があかんかったのかも知らないが、30過ぎのわたしは20台半ばの彼と恋愛に発展するかなどうかな~と普通に楽しく期待していたので、
そもそも彼の中で5歳も上の女は恋愛対象内にかすりもしない前提だったのかもと思うとなんかいろいろ恥ずかしすぎてきつかったけど、恥ずかしすぎてもはやどうでもいい。
で、やはりパートナーを選ぶ際には動物的な感覚が大きく影響するんだろうから、年食って健康な卵子を排出する打率も右肩下がってそうなババアはそりゃ避けられるよなぁとしみじみ納得できる。
もちろん人間同士の話なので人間的な魅力さえあれば年齢差(女性が上)があってもパートナー関係が成立することもあるだろうが、わたしはろくな人間ではないのでそのハードルを越えることができなかった。
私も2児の父という状況で、何度か似たようなのが原因で「妻と離婚」を少しだけ考えたことがある。
(また筆者の「妻の性格」も割と似ている。)
これまた同じく「家族がコロナになった」というきっかけである。
筆者と状況として違うのが「私だけ症状がでず元気であった」という点。
そして、そこから私の仕事人間状況から無理やり「家族の看病をする・家事育児をする2週間」を経験したのである。
端的にいうとすさまじく大変だった。まず料理は冷凍食品があるからなんとかこなすことはできた。(⇦できていない)
が、何が辛いかというと「これがずっと何年も続くのか!?」という点である。私はたっと2週間でものすごく辛さを感じたが、妻はそれがずっと長い戦いである。と思うと、何とも言えない気持ちになった。
※仕事は子供が寝ている昼寝中と夜寝てから、ひっそり頑張った。(少しでも仕事をすると妻が怒るため)
それまでは中立、というか、ニュースや新聞を見ても賛否については無意識だったのに、
ブコメやツイッターを書こうとすると、その途端に、そのイシューに対する立場が決まってしまう。
その画面に何気なく、自分の意思として書いた言葉が、これからの考え方の基準になってしまうのだ。
(人間は、一旦定めた自分の考え方に対して修正するのを嫌うものだ。)
特にブコメは、その最初に見た記事の印象で決まるのであり、それによって今後の思考が定まってしまうのだから。
つまり、最初見た記事が、それに賛成するにしろ、反発するにしろ、私の思考方法に影響を与えてしまうわけだ。
それは普通なら見流して忘れてしまうものだとしても、ブコメなりで何か書こうとすることで、思考フレームとして意識に残ってしまう。
きっと、またいつか「今ひらめいた考え」として、そのブコメやらツイッターやらで書いた言葉を無意識に踏襲してしまうのだろう。
面白いことだ。
心はノンフィクションであって欲しいと増田が考えたのは、登場人物の心情に整合性を期待しているからだったね。ストーリーについて、世の中の多くの読者は与えられた情報から無意識に整合性を予測しながら読んでいる。そうして起承転結でラストだけ予測を裏切ったものを落ちと呼んでいる。逆に常に予想したパターン通りなら、良く言えば王道や雛型、悪く言えばありきたりと呼ばれる。
一方でキャラクターの心情や行動性格についても似たような予測機能が働いていて、これに意識的である人は増田のように違和感を覚える。勘のいい人なら前段の説明で気がついたかも知れないが、実はどちらも構造としては同じである。増田は心の王道展開が好きだと言っているに過ぎない。例えばヒーローの強さの理由として、修行して強くなったという整合性があるように、それらのありきたりなパターンを不条理で解決したのがワンパンチマーンというハズシがあった。勿論王道好きな人にとってはワンパンチマーンの不条理さを受け付けない人もいただろう。これを心のパターンに置き換えると多少分かりやすいかも知れない。読者の多くは無意識に心のありがちな整合性をつまらないと思っていて、そこを計算で微妙に外してきたチェーンソーマーンのキャラに新鮮さを覚えた。王道の四コマを見慣れている者の方が予測が強く働くために不条理マンガを面白く感じるように、恐らく、増田は物語を読んでいても特に重視しているのは心の葛藤だったり、心情の変化に重きを置くタイプのはずなので、これを意識的に面白いと感じる境界は紙一重のところにあると思う。
※個人的に肌に合わないという感想なので、ファンの方は読まないことを推奨します。
「藤本タツキは天才」と絶賛する友人から勧められて、漫画喫茶で11巻まで一気読みしてきた。
絵は迫力があるし、キャラも可愛い。展開も面白いと思う。でも私には合わなかった。
Twitterで感想を検索しても手放しの大絶賛ばかりで肩身が狭い。
何がここまで合わないのか。読んでいて疲れるのか。わからなくて帰宅してからずっと考えた。
ここでいう不自然さとは、リアルな心の辻褄が合っていないということ。
レゼは少しだけ多面的に描かれたので読むのが楽だったが、他のキャラクターは心に奥行きがない。
全然そんなことない!と怒りを感じた人は、たぶんファンの人だと思うのでこのページを閉じて欲しい。
強気で無遠慮で素直。
実は臆病で逃げグセがある。虚言癖もある。
臆病だけど強気という設定。
臆病なのに強気に振る舞っているなら、そこには臆病さを隠す理由がある。
例えば、弱い自分を受け入れられないとか、強くなければ必要とされないと無意識に感じているとか。
そんな不安が根っこある人間は、素直に人に甘えられない。でも、デンジに無防備に甘えるので違和感がある。
虚言癖。
そこにも必然性がある。意味もなくあんなに嘘をつく人間はいない。心理的にメリットがあるから嘘をつく。
過去の環境などが原因で、そのままの自分では必要とされないと感じて、話を膨らませたり、強がったりしているケースが多い。
しかし、パワーからそんな闇は見受けられない。初登場からずっと素直でわがままに振る舞っている。
仮に「ワガママで子どもっぽい自分」が彼女の鎧だとするならば、それに反する一面が一瞬でも描かれなければ不自然だ。
全てが作品内で見える必要はない。描かれていない部分もあるだろう。
でも例えるなら、途中まで描かれたスケッチの陰影に違和感があるのと似ている。「そうはならんやろ」という感じ。
どのキャラクターからも、心の奥の辻褄が合っていないような印象を受ける。
その違和感を解消したくて読み進めるが、いつまでたっても解消されないのでどんどん疲れてしまった。
「性格は非常に単純で、大胆不敵かつ自信家。物事を深く考えることが嫌いで自分の欲望に常に忠実」
とのこと。
でも、過酷な幼少期に耐えた心の痛みや、父親に関する重要な記憶を消してしまうほどの辛さがあったはずだ。
父親の記憶が戻ったときは「やっと心理描写が見られる!」と思ったのだが、廃人になった外見描写だけで終わってしまった。
おい!一番いいところ!!!!!
あんなに心の扉の描写しといて、その先の葛藤は見せてくれないのか!!!!
凄くがっくりした。
なんだかいつも、心の一番奥の描写になるとするりと避けられているような気すらする。
マキマもそうだ。
クールでフランクな女性。いつまで経っても、その一面的な性格しか出てこない。AIなの?
どんな人物で、どんな心理があって、どんな背景があるのか、リアルに感じられない。
物語の最後で「立場故に孤独だった」「対等な関係を求めていた」ことだけが描かれるが、それだけだった。
人間の心の内がクール・フランク・孤独だけではあり得ない。もっとマキマさんのリアルな心を見たかった。
作者自身、マキマさんの心理をそれ以上知らないのではないかとすら感じた。
人物の心がいつまでもリアルに描かれない。これが私にとっては大きなストレスになった。
AIがハリウッド映画を演じているようで、展開の面白さが入ってこなかった。
どんなにぶっ飛んだ世界観でもいいけど、心だけは本物であってほしいじゃないか。
勧めてくれた友人に「面白かった。でも…」と軽くこの話をしたら、やっぱり不満そうな反応が返ってきた。せっかく勧めてくれたのにごめんよ。
それ以上言えなくてここに書き散らした。書いているうちにロキソニンが効いてきたし、気持ちも落ち着いてきた。
たぶん、共感してくれる人が一人くらいはいるんじゃないかなと思っている。
みなさん、色々コメントありがとうございます。初増田だったので、賛否両論でも反応いただけて嬉しいです。
上の内容は、けして心に理屈が通っている作品でないと駄目だということではありません。
チェンソーマンが自分に合わなかった理由を探り、不自然な印象として受け取ったものをなんとか言葉にした感じです。
増田に書いた理由は、友人が「心の話は難しい」と言ったのでストップしたものの、うまく説明できずどこかで言語化したかったからです。