はてなキーワード: 洒落とは
発言からして、どこか飛んでるので見ている方は呆れてものも言えない状態まで持っていかれる。
有料スプーンの件もそうだが、瀬戸内海のゴミでスニーカーでも作れよって話も凄い。
自分が全く使わんだろうってレベルで話をしているせいで、全然苦労知らずで生きてきたお坊ちゃんだなというのが分かる。
ここの所は『サーキュラーエコノミー』なんて言葉を使いだしているが、やっぱり選ぶ言葉がどこか飛んでいる。
ちょっと小洒落た言葉を使うのがステータスっぽいという勘違いをしてそう。
独自の感覚が国民からバカにされ、国民から呆れられているのがわかっていない。
自然云々の前に、机上の空論を止めればいいのに止めない姿は政治家らしい姿。
最近思うことがあるんだけど、残念ながら書く場所がないので、フィクション入れながらここに書こうと思う。
私は大学生女。書きたいのは友人たちのことについて。
自分たちは大学入る以前からの付き合いで、よく遊びに行っている。
高校生の頃は、正直遊びに行く場所なんて友だちと目一杯話せて面白ければ、学校の近くのマックでもスタバでもショッピングセンターでもどこでもよかった。でも大学に入ってメイクとか服とか気を使うようになって、せっかくだから綺麗な格好して小洒落たレストランとかカフェとか行ってみたいなと思うようになった。
で、友だちに誘われて、都内のホテルのレストランにランチしに行ったときのこと。自粛に入る前のことだから叱らないでくれ。
私はホテルのレストランでランチなんて素敵だなと思って、ドレスコードがあるようなホテルではなかったけど、自分なりにスマートカジュアルだとか「ホテル 服装」でググッたりして清楚めな格好を調べた。
当日はワンピースにコートを着て、小さめのバックに浅いブーツを履いていった。だから友だちの服装を見て「え?」と思った。
1人をAとする。AはGUに売ってるのか?というようなパーカーを着ていた。それにサコッシュ、スニーカー。上着は何着てたか忘れた。
もう1人をBとする。BはTシャツにGジャン。以前アニメのグッズだと話していたデカいトートバッグ、そして運動靴。彼女はコンタクトの日もあるのに、なぜかその日は茶色のふちのついた眼鏡。髪はぶっとい髪ゴムで1本結び。
嘘だろと思った。
え? なんで? なんでその格好で来たの? アニメ〇トと間違えた?
しかもマックやファミレスではないのに大きめの声で話すし、店員にはなぜかコミュ障発揮して「アッ……ハイ……」と戸惑ったようにボソボソ話すし、店を出るまで気が気ではなかった。
大学に入ってから、この友人たちにこんな感じの「え?」と思うようなことが増えた。
例えば、他県に旅行に行ったときのこと(私ではなく友人の誘いで)。私はせっかく遠出するので、周辺を観光したいとLINEでいくつか候補を送ったところ、承諾されたので行く気でいた。向こうはどこに行きたいとか特に何も送ってこなかった。
そして当日、観光したいと言うと如何にも面倒くさいというような反応をされて、渋々といった感じでついてくる。まるで私がとんでもないワガママのようだ。別に泊まった場所から遠いわけではなく、徒歩10分とかそんなもん。その後「どっか行きたいとこある?」と聞いても、「……」と無言。自分たちで調べたりすることは全くない。
本当に泊まって帰るだけのつもりだったの? ただホテルに泊まって帰るだけって、マジで何? 何が楽しいの? 金の消費? ただ遠出して帰る意味??? お年寄りの温泉旅行ならまだわかるけど、女子大生、え??? 何? 年寄りなの? なんなの? お土産屋を見ることまで渋られる始末。
意味がわからない。もしかして、景色見て楽しんでんの? それだけ? そんなん世界の風景でも見てれば良くない?
そういうことが何回か重なった。私が何かおかしいのか? コロナ収まってきたら(収まりそうもないが)一緒に都内をぶらぶら散歩してお洒落なカフェに寄ったりしたいなーとか思ってたけど、今述べたことを考えると、とてもじゃないけど誘う気になれない。ほかの友だちと出掛けてこんな気持ちになったことはない。
「布団を吹き飛ばした」になる余地がないよう、できるだけ受け身でいる必要はあるが、実現はできそう
ニューヨークに行きさえすればいける
疲れた状態で行き、疲れが吹き飛んだと言えるまでの効果を得ないといけないので意外と難しそう
洒落としてのレベルが低いのでそもそも実現する価値をあまり感じないが、一応可能か
ただ、クレヨンを「くれ」なんて態度で要求する必然性がある状況はかなり少ないだろうから、意外と難しいかもしれない
「夜景が妙に綺麗」というシチュエーションを要求されるため、けっこう難しそう
レベルが低いが、花を掴めばいずれは放すことになるので、実現はかなり容易
これ意識しないで言っちゃうことがあるレベルなので相当容易な部類かもしれない
居留守をかますときにも言えるし、相手が出ないときにも言えるので実現性が高い
微妙か?
資本主義社会に生きている以上、常に実現していると言えるのかもしれない
死ね!
やめろ!
ダジャレそのものはかなり苦しいが、喫茶店でストロー付きのジュースを頼んだりするとそこそこ生じうるシチュエーションではある
ならない
俺じゃ!
ちょっと前にファッションの話題がここで出たときに俺が「興味なくてもちゃんとした格好しようぜ」みたいなことを書き込んだら「お前は服装で人を判断するのか。差別者め」と返信もらった。
その時はなんじゃそりゃ?って意味がわからなかったけど、昔の自分を振り返って考えると俺を差別者と罵った人の気持ちも分かる。あの人たちはファッション弱者なんだ。
子供の頃からお洒落をしたいけど上手くいかない。服よりお金を掛けたい趣味がある、と思いつつも服装をなんとかしなきゃ。勇気を出して選んだ服を馬鹿にされる。
お洒落な知人にアドバイスをもらったり、服を譲ってもらったりするのが手っ取り早くて良いんだけどそんな人は周りにいない。
何が良いのか悪いのか分からないまま服を買っては失敗を繰り返すうちに、だんだん気力が無くなってくる。
嫌になってもうお洒落はしないと決める。ダサくていいんだ。コレはわかっててダサい格好をしてるんだと開き直る。
今は同性愛も差別してはいけない世の中だ。なのに俺の服装にケチをつける奴がいる。人のファッションセンスを馬鹿にするなんて悪いことだ。あいつらは差別者だ。
学生の頃と変わらない服装で年老いた自分がいる。髪は薄くなって体型は崩れている。
同じ服ばかり着てないで新しいの買ったら?と言われる。そんなことはしない。服に金をかけるのは馬鹿のすることだ。
ここまで想像して悲しくなったので止める。
中学生の頃「今後の社会では必要になるはず」と未来を見据えた父親が買ってくれた、
Vista搭載ノートPCでネットサーフィンと洒落込んでいる時に出会ったのが「東方」だった。
最初はアニメか何かだと思っていたけど、それがシューティングゲーム原作で、
二次創作という未知の世界で大いに盛り上がっていることを徐々に知っていった。
おまけに何とか動画とかいうサイトも見つけて、それからは夢中だった。
とにかく、コンテンツが尽きることなく増えていくような、不思議な存在だった。
同じキャラが全く別のシナリオを紡いでいき、それを違和感なく楽しめる懐の広い世界観、その他いろいろ。
少なくとも、勉強も運動もしない暇を持て余した学生を夢中にさせる条件はすべて揃っていたんだと思う。
それから月日は流れ、無名ながらもお金を払えれば私のような者でも受け入れてくれるという、
東の都にある大きな学校に通うようになったころには、興味は色々なものに移っていって、
夢中ってほどじゃあなくなったけど、それでも時折調べてしまう、それぐらいの存在になっていた。
さらにさらに流れ流れて、中学の頃から両手では足りないくらいの年月が過ぎたここ最近。
仕事に対する情熱も消えかけ、優秀な若い人たちとベテランの間で中途半端な成果しか出せない、
自己に対する失望と絶望を味わいながら、どうにか席を失わないようにもがいている今。
もうずーっと触れていなかった「東方」の二次創作漫画がタイムラインに流れてきた。
ぱっとみて知らないキャラも増えていたけど、元々たいして知らない中で楽しんでいたものだし、
なんの抵抗もなく何となく読み、何となく同じ作者の漫画を読み始めた。
何となくBGMが欲しくなり、Spotifyで調べると出てくる出てくる。
聴いたことのない曲なのに、聴いたことのあるメロディが流れてくる。
何もかも、あの頃のままだった。
気づけば時間は過ぎ、閉塞感いっぱいで憂鬱だった休暇が終わりを告げようとしてた。
ため息をつきながらも、何となく心はいつもより晴れていて、少しだけ前を向けた。
今からこれらを覚えようとしても無理だろう。
でも、若い頃に吸収した知識と雰囲気はなかなか忘れないものだ。
そう考えたら何だか気分が楽になった。
記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます
朝から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります。
「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。
合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。
「■■(弟)、死んじゃった」
涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において
「え??????????本当????????マジで?????????は???????????」
ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。
弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。
自殺未遂をしていたことから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。
なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。
親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。
薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。
お昼を食べたあとは、前から見たかった時をかける少女のアニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。
(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白い作品を摂ることも、生きている人間の特権です。
実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間の活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。
ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。
ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せを放棄しているから。
ただまぁ、私はまだ人生に幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。
だから、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています。
後から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います。
親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しかし感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。
仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装は私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでからお洒落しても何もないです。
親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。
整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまり好きじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれてしかも折り目つけて返されたり、DSのソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。
ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観を確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。
遺書はなく、スマホのデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。
それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。
独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方を自分もするのでしょうが、さらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。
弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います。事故物件作りやがって……と私は思いました。
しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。
私が教官に監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。
もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。
あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。
火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。
いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。
結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。
ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。
その昔はてな村で脱オタファッションに関する記事がトレンドになったことがあったが、
そろそろ世代が入れ替わった感があるので当時を思い出しながら思う所を書き殴ってみる。
言うて、もう脱オタが何か分からない人がいるだろうから一応解説すると、オタとはオタクのこと。
脱オタとはいかにもファッションに興味がなさそうなオタクが、最速、最短で最低限の見た目になるためのメソッドについて論じる
さて。
ファッション初心者にとっての服選びを始めとするファッションのハードルの高さとは何か。
これは何故か世間のアパレルショップがアイテム単品買いメインの作りになっている所が大きいと思っている。
PCに例えるならBIOSやドライバの知識のない初心者がいきなりパーツ買いするようなもので、
回りくどい書き方をしたがヨドバシカメラのような家電量販店で売っている
とりあえず学校のレポート程度ならこなせる割高な国内メーカー製のWindowsノートPCにあたる提案が、
ファッションの分野にはないんだなこれが。
ベストではないけどまあそれでいいんじゃない? 知らんけどと言える商品。
これって驚くべきことで、いいからブサメンの俺でも似合う髪型と服を教えてくれと何度言いたくなったか分からない。
#それに対するアンサーが後年の服を着るならこんな風に的なサムシングなんだけど、ここでは触れない。
#洋服のアオヤマなどで買える就活生向け一式セットがモロ理想の初心者向けセットなんだけど、
CPU、HDD、メモリといった最低限の部品一式を揃えなければPCが起動しないように、
ファッションで取り敢えずの及第点を取るには髪型から靴まで全身をパッケージで見る必要がある。
あるのだが、少なくとも中学生、高校生の頃の俺はそれを知らなかった。
自分が欲しいと思ったアイテムをなんとなく単品買いして、思えば随分と時間と金を無駄にしたもんだ。
自分の体型を踏まえた髪型から靴まで全身のイメージがないと、何年経っても自分なりの審美眼が磨かれない。
毎年服を買っているのにちっともお洒落になった気がしない人は、大抵の場合トータルで見る観点、
全体としてどういった印象を他人に与えたいかという視点が欠けているんじゃないかな。
話を戻す。
いきなりイメージと言われても、大抵の初心者には自分が目指す確固としたイメージなど存在しないだろう。
ではどうするか。最も手軽で確実性が高いのは素人のファッションスナップのサイトで自分と身長と体型の近い人のそれを丸パクリすることだ。
最低限の知識がない素人のこだわりは言い方は悪いがノイズでしかないので、髪型から眼鏡から靴ひもの色から変なアレンジを入れずにそのまま全て真似するといい。
次点で全国展開している大手セレショ(BEAMS、UAなど)がディスプレイしているマネキンが着ているアイテム丸パクリ。
これは自分の体型が考慮されていない分失敗の可能性が増すが、少なくともアイテム同士の相性が考慮されている分素人の単品買いよりずっと勝率が高い。
ん? 似た体系の人がファッションスナップサイトには見当たらない?
申し訳ないが太っている人は死ぬ気で痩せてくれとしが言えない。
そのままでもお洒落にはなれるが、格好良く、可愛く見られたいなら普通体型程度に痩せている方が圧倒的に、そりゃもう圧倒的に有利だ。
腹が出ているだけで目指す方向性が”愉快な気のいいデブ”しかなくなってしまい似合う服や髪型が限定されてしまう。
金がない? 金がないなら時間を使え。良いと思ったモデルが着ているアイテムの安い類似品を探すんだ。
セレクトショップやZOZOなどのオンラインショップには類似品を探す機能があるはずなので、安いものを目を皿のようにして探せ。
中古が気にならないならメルカリでも何でも好きなサイトで探せばいい。
類似品は色は似ていても素材や形が違う別物なので地雷率は高いが仕方ない。
残念ながら知識も金もない者に地雷を避ける術はない。ゲームオーバー。
グエ-シンダンゴ
ここまで書いた内容をざっくりまとめると、分からないなりに自分より詳しい人の力を借りて
世間一般で何が良いとされているかを把握しよう。その際自分のセンスは封印しましょうという話になる。
一応理屈を書いておくと、定量的な評価基準の無い分野で素人が自分なりの審美眼を獲得するには、
まずは先人が高く評価するものを浴びるように摂取して、自分の中にそのジャンルにおける一般的な良し悪しの基準をインストールする必要があるのね。
この基準が確立するまでの自分なりのこだわりはぶっちゃけゴミです。
世阿弥言う所の守の段階での変なこだわりは捨てた方が圧倒的に成長が早い。
そうして手に入れた基準を自分なりに使いこなせて初めて店頭に並んでいる個々のアイテムの客観評価が可能になるのよ。
最後に金はあっても時間がない社会人向けのドーピング方法を書いておく。
便利な時代になったもので近年はテレビや雑誌で活躍する現役のスタイリストが素人の買い物に付き合ってくれたり、
そのものずばり何を買えば良いかアドバイスしてくれるサービスが存在する。
相場は割とお高いが、プロとして需要がある人の知識とセンスを借りると考えると俺は安いと思う。
具体的なサイト名をあげるのはちょっとはばかられるので、単語としてはスタイリストやコーディネイト、
知識がある人は自分が好きな雑誌やスタイリスト名で検索してみて欲しい。
こんな駄文が誰かの役に立てば幸いだ。健闘を祈る。
メンヘラってデブに多い気がする。あと服装がダサくて髪も伸ばしっぱなし。
メンヘラの定義は、自分の承認欲求を他人に不必要にぶつけたりいらんマウントとったりするやつです。
たとえば全く文脈関係なく「どうせ私なんて………」と語り出したり、クソ長い愚痴を語るやつ。聞いてもないのに私はお前より努力してるとか言う人。
こういうメンヘラに絡まれてどうにもイライラしてしまったので、ここに吐き出してしまいました。私は普段はイライラを日記に書き殴って終わってます。人に愚痴るようでもないし。(ここを読んでくれるみんなありがとう)
んで、気付いた。メンヘラは可愛くて原宿系お洒落な女の子が多い風潮だけど、私の周りは特別ブスでデブなやつばかり。縁切りたくなってきた!でも切ったら切ったでいらん恨み買いそうで怖い!!
Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
もう20年ほど漫画オタクなんだけど、ファッションオタでもあり部屋のインテリアも凝る方なので基本的に漫画グッズは買ってこなかった(最近はデザイン性を謳うグッズも増えてきてはいるが好みに合わない)。
それが、約2年前に「フィギュアより遥かに手軽だし場所取らないし安いし…」という理由でとある作品のアクスタに手を出した。連載当初から応援してきた漫画がついにテレビアニメ化するということで、その先行上映映画に合わせて作られたものだった。
多分、アニメ化記念とヒット祈願を込めての購入だったと思う。当時は真面目と揶揄の両方の意味合いで「光るものがある」と評価されていた作品だ。制作会社は最高のところを引き当てたが、ヒットするかどうかは断言できなかった。まあ、結果はご覧の通りだが。
話を元に戻す。我ながら洒落た室内に突如現れた小さな推しの姿。端的に言って最高だった。インテリアがどうとかどうでもいい、まじで拝んだ。
現在私の部屋には10体ほどのアクスタが飾られており、いい加減埃を拭うのも大変になってきたのでとうとうフィギュアケースを購入した。どうせ買うなら、と奮発してUVカット機能付きのものを選んだ。
先ほどそのフィギュアケースに数々の作品の推しを収めた。推しが中で倒れたりしないよう慎重に持ち運び、それまで直に置いてあった棚に収納した。
作業が終わり、真っ先に出てきた言葉が「うちに神棚できたわ」。
再び拝んだ。一瞬「これ榊必要なのでは?」と真剣に考えたほどその姿は神々しかった。
ちなみに今は5000円する受注生産の大型アクスタの発送待ちだ。彼は今最もハマっている推しで、キャラ数がべらぼうに多い漫画の脇役なので可能性は相当低いだろうがもしフィギュアが出たらそれも買う。絶対に買う。