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2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-08-29

anond:20220829003153

そもそも金銭的に切羽詰まってるやつにアニメーター出来ないからな

杉並の某スタジオにいた時もみんなお元気はつらつでしたよ

2022-07-24

完全に論破されててワロタ

ハイアールステマからの~

先日、杉並区長岸本聡子氏が中古洗濯機を買いに来た。すると「消費電力が一番低いやつちょうだい」という前代未聞の選び方。急いで調べてみたところ、なんと国産メーカーのは軒並み350~390Wほどだったけど、中国メーカーHaierのは250W程度。

国産は高性能だから省エネ」ってのはもう過去の話か~

Haier、6年使ってるが壊れない。性能は悪くないよ。

↓↓↓↓↓↓

完全論破で草

いやいや、顧客情報を流すな

省エネ観点なら比較するのは消費電力ではなく消費電力量のほう。ついでに、国産でも消費電力350Wとかあるのは縦型の大容量のものだけで、ある程度小さい縦型やドラム型は200W台以下です。大きさの違うもの比較しているかドラム型と縦型を比較してない?数字しか見ずに比較すると詐欺師に騙されるよ。

適当に現行機のスペック拾ってきたっス。 Heier 9kgドラム式:230W/53min/87Wh ttps://www.haier.com/jp/washing-machines/jw-td90sa.shtml Panasonic 10kgドラム式:260W/30min/70Wh https://panasonic.jp/wash/p-db/NA-VG2600L_spec.html んー、なんか暗黙の条件付けて比較してるっスねこれ。

杉並区には住みたくないな

店側のアカウント、このツイートの前は蓮舫とか高橋まこととかリツイートしてて、あいかわらずリベサヨ無頓着なんだなあという納得感。杉並区のみなさんはごくろうさんでした。

2022-07-13

anond:20220713103400

都内一戸建て選択肢に入るほどの所得なら、

路線くらい使える中規模ターミナル駅から徒歩10分くらいの立地、

かつ繁華街から離れた住宅地おすすめ

ワンルームが少なく、雑居ビルが少ないエリアほど民度が高く治安がいい。

駅に近いほどすべての条件が真逆になる。

から遠すぎても不便だから10分くらいがちょうどいい。

どこに行くにも便利な新宿池袋渋谷に1本でいける路線で、

メトロ私鉄JRのうち2種類使える駅がおすすめ

東側南側民度や地形のデメリットが多いから、

コストが折り合えば文京・千代田中央・港・新宿の5区おすすめ

次点目黒杉並豊島

知名度は高いが地雷エリア渋谷世田谷大田江東

2022-06-20

杉並区長選で思ったこ

杉並区長は下記の立候補者インタビュー読んだら分かるように

区民(とくに女性若者)に対する上から目線を隠そうともしなかったし、

開発業者との癒着露骨で、いわゆる杉並っぽさがどんどん壊されていってたので、

住民の反感買って当然といえば当然だったと思う。

それにしては投票率が低いけども、逆に言えばこの低投票率で、有利なはずの現職が落ちるくらいに

嫌気が差されてたという。

(それはさておき、下記インタビュー区長選挙ならではの視点で各候補の考えとキャラクターあぶり出しており、

なかなかの力作かつ快作だと思った)

https://nishiogi.org/220619kuchointerviews/

ひるがえって、私の現在のすみかである某区の区長もやってることは杉並と似たような利益誘導政治なのに

つるむ相手外資とか財閥とかのキラキラ系だからか、代理店とがっちり組んでるからなのか、

批判など涼しい顔で受け流しつつ選挙圧勝してしまうので腹立たしい。

どうにかならんのか。はやく馬脚を表せばいい。

anond:20220620165238

あっちの田中については杉並区待機児童問題で苦しんでた時にちょくちょく嘴入れてきて「子供は家庭で育てるもの」「死ねというほど日本が嫌いなら日本に住むな」とか子育て世帯喧嘩売りまくって炎上してたんで恨みしかない。

あいつに2万票近く入ったのマジかと思ったけど「杉並田中区長岸本区長リベラルから保守の票の行き場がないんよね、仕方ないね……」と己に言い聞かせた。なぜか常に右からはクソ左翼と呼ばれ、左からはクソ右翼と呼ばれるどっちつかずの田中区長であったので。

杉並区長選で現職の田中良が落選となったわけだが

杉並在住の子育て世帯です。

ニュースになってるコロナ禍の都外ゴルフ場を筆頭にtwitterでもはてなでも良い話は聞かないし、今回の田中区長の再選は正直どうかな……と思っていた。

ネットのどこ見ても前区長についてはほぼ「落ちてざまあ」みたいな声しかないので、ひっそりとここに書いておく。


あれほど待機児童に苦しんでいた杉並区にたくさん保育園を増やしてくれてありがとう

あのコロナ禍の中、考えなしの大人のために我慢続きだった子供の一生に一度の思い出を優先して、成人式を開催してくれてありがとう結果的にあの時の杉並感染者は他所と大して変わらんかったぞ)。

色々思うことはあったけれど今回は、これまでの感謝の念を表して現職の田中区長に票を入れました。

対立候補岸本さんについては特に政策異論もなく、ただ新人かつあのゴリゴリリベラル政策で勝つのは難しいだろうなと思っていたので、正直当選を聞いてびっくりした。おめでとうございます。前区長のよくないところは改め、よいところは引き継いで、杉並区のためになる政治をしていただければありがたいなと思う。


(以降蛇足

子育て政策に関して区長は「老朽化した児童館を閉鎖し、新しく乳幼児特化の子育て施設子育てプラザ)を建てていく、その間行き場のない子供の居場所については小学校の空き教室などを充てる」と言ってたけど、皮肉にも区長必死に増やしてくれた保育園から大量に新一年生が持ち上がり続けて今はどこの小学校パンク状態、空き教室なんてないんだよね。

から「この発言は苦しいな、新しい施設が出来上がるまでのどこかで子供に皺寄せがくるんじゃないかな」という危惧はあった。そういうのも地味に選挙に影響したのかも。

でもうちの近所にできた子育てプラザは広くてきれいでとても使いやすい良い施設だと思う。できてから何度も利用させてもらった。近所の児童館は狭いし学童と競合するので、ちょくちょく遊びに行ける規模の場所ではなかった。岸本区長既存児童館保護派の方ではあるが、長期的には子育てプラザのような新しい施設へも目を向けていただければなと思います

 

2022-05-26

立憲民主党、まだ5月なのに話題豊富すぎる

ttps://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1478889801827102722

ttps://togetter.com/li/1829396

ttps://www.sankei.com/article/20220114-SZT4OOTICBMOVMB6WWWGYBPKFQ/

ttps://news.yahoo.co.jp/articles/079a7ea0fde3b10123f610cc3b00cefd32bf9050

ttps://mainichi.jp/articles/20220127/k00/00m/010/219000c

ttps://www.asahi.com/articles/ASQ1W6JJHQ1WULEI00F.html


ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220201/k10013460051000.html

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220202/k10013463731000.html

ttps://hochi.news/articles/20220209-OHT1T51065.html?page=1

ttps://mainichi.jp/articles/20220214/k00/00m/010/336000c

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220215/k10013485071000.html

ttps://nordot.app/866968948551286784

ttps://twitter.com/yorisoibengoshi/status/1496998418803093524

ttps://www.j-cast.com/2022/02/28431909.html?p=all


ttps://twitter.com/hatoyamayukio/status/1498468658984910848

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220305/k10013516321000.html

ttps://twitter.com/kharaguchi/status/1505292668360073218

ttps://mainichi.jp/articles/20220323/k00/00m/010/317000c


ttps://twitter.com/CDP_AICHI10/status/1513347177417830401

ttps://twitter.com/shirakawayumi26/status/1513885320903016452

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220418/k10013587521000.html

ttps://togetter.com/li/1875153

ttps://nordot.app/890507199798853632


ttps://twitter.com/ssimtok/status/1521359086519918592

ttps://www.asahi.com/articles/ASQ535Q4QQ53UTFK00J.html

ttps://togetter.com/li/1883041

ttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/73978

ttps://bunshun.jp/articles/-/54027

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220515/k10013627241000.html

ttps://mainichi.jp/articles/20220515/k00/00m/010/095000c

ttps://twitter.com/tomominishitani/status/1527271616090017792

ttps://www.kanaloco.jp/news/government/article-912720.html

2022-04-04

大人しくて声が通らない小中学生女児って居なかった?

最近そういう子を見かけたんだけど

そういえば小さい頃居たなぁと思った

杉並さんと成田さんが確かそうだった

声が通らない、上ずってるからか、ちょっとだけ障害児っぽいというか、オタクっぽい雰囲気あったんだけど

あれはそういう特有のなにかなんだろうか?例えばアスペルガーみたいな

それとも声が通らない、小さいからそう見えただけ?わからん

あと高校生以上でそういう子を見たことがない、あの後どうなったんだろう

大人しい声に力が入ってない女児がそう見えるだけなんだろうか

2022-03-10

[] 江南左派

韓国で「富裕層でありながら政治的には進歩的な人々」や彼らのダブルスタンダードぶりを皮肉った言葉

ソウル特別市江南江南区およびその他の区を含むこともある)は『江南スタイル』に代表されるように富裕層・お坊ちゃまのイメージが強く、

リムジンリベラル」「杉並左翼」あたりがおそらく意味としては近い。

ちなみにこの発音をもじった「江南タマネギ」という言葉もあり、一時期話題になった「疑惑タマネギ男」はこれが由来らしい。

2021-11-22

anond:20211122134824

言葉として影響与えるのって

周りの人なんで

単に周りの人が良く言うことばなんでは?

杉並あたりは学歴のために転居してくる人が多いか

実質地方の人ばかりだと思う

2021-11-02

anond:20211102155107

井の頭線沿線に住んでると一切こっちに来ないから全くそんなイメージないぞ

路線差が激しすぎるんだよな杉並世田谷

2021-10-10

anond:20211010002508

「さあ、それでは選挙区の発表やらせてもらいます。いつになったら決めるのか、と言われ、今日発表することにしました。東京8区杉並です。石原家のご子息のおひざ元。東京でも最強と言われる、盤石な人です」

 これまで出馬する選挙区をひた隠しにしてきた山本氏ホームグラウンドともいえる新宿の街頭での出馬表明と、サプライズ感を演出した

https://news.yahoo.co.jp/articles/54de6226e12cd23977f8abd68888d9f33119d719

ニュース記事から山本太郎発言引用したぞ。これで満足か?

2021-09-27

anond:20210926201003

週末の城西は怖ろしいからな

中央線も土日は杉並三駅で停車せず通過する

2021-06-06

ティ

中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。

べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモ住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。

ファート商会という会社私たち職場だった。本社中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュ臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。

中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。

もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪アパートへ帰ろうとしていた。電車中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たち中野暮らしている。

中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域から隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車選択的にブロックするよう、政府からJR東日本命令があったとかいう噂だ。感染症拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから都心通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野はいないと思う。

中野で足止めされたら、人生中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。

練馬杉並新宿中野境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。

ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品品質検査に使う精密機器会社に勤めていたそうで、その方面知識豊富だった。最初中国から大量に取り寄せたシリンダー小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。

その頃には空き家相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。

三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさら一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事プライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。

鬼澤さんに渡された地図コピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォン地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野住宅地図は貴重品になっていた。

何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。

103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。

寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。

その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」

「散らかってるけど」

といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。

「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」

猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったかランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかい名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。

「この近所では、見つからない感じ?」

毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱ポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」

寺元さんは俯いたままTVリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。

中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。

職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……

「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」

「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」

寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。

「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」

「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」

その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。

その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。

それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるか大人びた姉が私を見ていた。

「背、伸びたじゃん」

といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。

「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」

寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。

「ニティンくん、きっと戻ってきますよ」

姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。

「待って。聞こえる……ニティン、ニティン!」

というが早いか、寺元さんは部屋から駆けだしていった。

かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方空気が窓から入ってくる。

「もうすぐディオニュソスお祭りだね」

どこか遠いところを見ながら姉が言う。

「もうそんな季節か」

中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。

2021-05-10

anond:20210510145631

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82610

1990年宮台真司さんが首都圏で行った調査では「自分にはオタクっぽいところがあると思う」に「はい」と答えた割合は13.4%でした。2005年2009年2015年に同様の調査をしていますが、「はい」の割合がどんどん増えて最新では半数を超えていますふたりにひとりもいるともはや「オタク」というグループが成立していない。「誰がオタクなのか?」を定義して分析することが非常に難しくなっています。また、漫画アニメゲームの消費度合いやオタクを自認するかどうかに関しても、大都市圏杉並に顕著に多かったのが、最新調査では地方都市である松山と差がなくなっています。つまり、いわゆるオタクコンテンツは非常にポピュラーものになった。

これでええやん。

2021-04-25

anond:20210425034206

コロナ初期に顕在化したけどさ

23区民の民度って都心寄り西側(港、新宿渋谷)が最悪

その次が西/南側郊外(世田谷杉並大田)、北側郊外(練馬、北)、東側郊外区(荒川足立江東葛飾江戸川)、都心寄り東側(中央千代田、文京、台東)と続く

ハイソ感とかじゃなく、他人の指示を聞くかどうかのランキング

2021-04-24

コロナ初期に顕在化したけどさ

23区民の民度って都心寄り西側(港、新宿渋谷)が最悪

その次が西/南側郊外(世田谷杉並大田)、北側郊外(練馬、北)、東側郊外区(荒川足立江東葛飾江戸川)、都心寄り東側(中央千代田、文京、台東)と続く

ハイソ感とかじゃなく、他人の指示を聞くかどうかのランキング

2021-02-10

anond:20210210170713

うちの杉並実家アパート併設でまあまあ広いけど億は行かんと思う。行くのかな。わからん

元増田嫁と似たような立場だけど都内出身だとそれ以外の暮らしぴんとこないし、日本田舎に住むならよっぽど海外の主要都市に住む方がまだいいなまである

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