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2016-08-28

シンゴジラの続編を考えて一人で興奮している

映画の続きとして、シンゴジラ2があるとして、監督庵野で、庵野ならどうするか。で妄想

1・巨神兵現る的展開。

凍結したゴジラの処理を巡り、各国で議論が交わされる。凍結したゴジラが再び蘇るとともに、尻尾からいろいろゴジラ亜種がたくさん出てきて街はさらに壊滅へ。

最後まで核攻撃を阻止しようとする日本チームだが、国連判断によって、核攻撃へ。東京都完全壊滅。焼け野原攻撃によってさら進化したゴジラによって世界破滅に向かう。全世界が徹底的に破壊されて終わり。人類は、恐竜が主役だった哺乳類のように陰で隠れながら暮らす日々を過ごすことになる。

2.VSシリーズ的展開。

ゴジラの凍結の直後、別の怪獣が現れる。

別の怪獣によって、人類側大混乱。その隙にゴジラが凍結から復活。そして戦う。尻尾からゴジラ亜種らしきものが次々現れ、それと別の怪獣との総力戦を展開。ちなみにこの時に、ゴジラの腕が異様に伸びて怪獣を攻める。

被害が拡大するのを恐れた人類側は、核攻撃怪獣ゴジラ共々まとめて倒すことを議論の間もなく決定。でかいキノコ雲がドカンカン上がる。東京セカンドインパクト並の穴が空く。壊滅。しかし、その攻撃も効かず、、さら進化し、ますます異形になるゴジラ怪獣。めちゃくちゃに破壊された都市で2体が神々の戦いの如く暴れまくり人類はただそれを見守るだけとなり、終わる。

3、エヴァ的展開。

ゴジラ凍結後、その処理を巡り議論される。そのなかで、ゴジラ核融合エネルギー機構、未知の元素に目をつけたアメリカが、ゴジラ人類の新しいエネルギーとするため、利用しようとする、が、それはあまり危険すぎるとした日本側のチームが反対。いろいろ工作攻防を繰り返す。

と同時に、ゴジラ尻尾から新しいさらに強く凍結も効かないゴジラみたいな怪獣誕生。成長し海に戻り身をひそめる。

ゴジラが暴れる前から研究していたアメリカは、ゴジラエネルギー源の活用をすでに解明。ゴジラを改造し、メカゴジラ的な兵器に無理やり改造し、エヴァゴジラとなった対ゴジラ兵器上陸した怪獣ガチンコ対決する展開。

2016-08-19

シン・ゴジラをみて思い出したようにヱヴァQ批判を始める人、全然違うものを観てるんじゃないかビビる

Qや巨神兵で描かれてる内容が今回のゴジラ存在下地になっていることなんて、何も考えなくても観たら感じるだろうに

(ネタバレあり)シン・ゴジラ感想

各所で絶賛されてるけど、個人的にはナシでした。

場面が切り替わってはテロップ、画面が切り替わってはテロップ、正直に言えば、わかりやすいし面白いんだけど、なにか違う気がしました。

ニコ動ではなく、映画なのだから映画映像で魅せるべきなのに、文字情報に頼りすぎてるように思った、

ほぼほぼ人間パート会議のシーンと会議室までの移動シーンでしたが、テレビドラマというか、お笑い番組のなかのミニドラマのような感じを受けました。

アイデアとしては面白い、でもこれを映画と認めたくない。

そう強く思わせる映画でした。

もう1つ、気になったのは、ゴジラへの愛が薄いことです。

特撮が撮りたかっただけで、ゴジラが撮りたかったわけではなかったように思いました。

1番、熱を感じたのは、序盤の水棲生物型のゴジラビルに抱きついてはなぎ倒すのを繰り返す街破壊シーンと、在来線爆弾のところです。

ゴジラの熱線なんかは、とってつけたようなCGで、特撮シーンに比べると、「とっておき」感が薄かった。

ゴジラにとっての熱線は、派手さじゃなくて、もっともっと特別ものだったので、派手だけど気に入らなかった。

シリーズは、旧シリーズ否定なのだから、それは仕方ないことなのかなと思ったのですが、ゴジラ映画の思い出は、幼年期の思い出で、幼年期を否定されたような、寂しい気分になりました。

その点で、ギャレゴジはゴジラ愛に溢れてました。

天災破壊化身であると同時に、裁きを与えるもの、神でした。

神に仇なすムートーは裁きを受け、核に頼ろうとする人間、銃に頼る人間ゴジラが裁く。

強く、雄大で、公正な、神の姿でした。

他方、シン・ゴジラでのゴジラは、自然災害ではあるものの、乗り越えるべき存在です。

別にゴジラじゃくてもよかった。

とってつけたように、博士は核を憎んでたとか、ゴジラ世界を作ろうとしたけど、やっぱり別にゴジラでなくてもいい存在だった。

別にゴジラでなくとも、ゼットンでもよかったし、巨神兵でよエヴァでもよかった。

シン・ゴジラ面白いと思ってる人は、騙されてるだけだと思います

お笑いテロップをいれたら、その瞬間は視聴者を笑わせることが出来たとしても、笑いのポイント解説しなかった時点で敗北でしょう?

庵野は他の作品なんかやらずに、さっさとエヴァをちゃんとおわせ。

2016-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20160812124554

一般人にはシン・ゴジラオタクの作ったオタクのための内向きで閉鎖的な映画らしいから広めるのは諦めろ。

自分ゴジラ映画見たことな20代女にシン・ゴジラ勧めて観てもらって、たまたま気に入ってもらえたけど

その人はあらかじめエヴァと実写巨神兵だけは観てて、最低限こういうものなんだなという理解下地があったから良さが分かったらしい。

自分ゴジラ大好きだしもっといろんな人に作品の良さ知ってほしいけど、

そんな自分でもシン・ゴジラ特撮とかアニメ演出とかの面白さ分からない人には何が何だか分からんわりに感動も少ないし専門用語に置いてけぼりになってポカンとされる、そういう映画だと思う。

これは〇〇が元ネタになっててとか語れば語るほど虚しくなるよ。

2016-08-05

ゴジラと刺し違えたのは誰か(ネタバレ)

自分今日見てきてので、一つ書く。

シン・ゴジラカタルシスは散々言われ尽くされてる事だが、ゴジラブレス攻撃第一波に尽きる。

主人公側(政府側)のステートマシン図を書きたくなるような目まぐるしい報告と対応も凄かったが、

その凄さは恐らく「敵が無能だと強さ引き立たない」という理由演出されたものであり、

あくまフォーカスの中心はゴジラ攻撃にある。


観終わった後も「あの攻撃だけでももう一回見たい」という気持ちが強く、

多分DVDダウンロード権を買うことになるだろう。

で、あの攻撃の何が凄かったのか数時間考え続けて、一応の結論自分の中で出たので、書き留めておく。


まずあのブレスが設定上どういう位置づけかという点だが、あの攻撃は、波動砲ガミラス視点)だったのだ。

発射に至るまでの溜めの長さといい、ゴジラ自身制御しきれない巨大なリスクを伴った手のつけられない破壊力といい、

存在感として波動砲位置づけと見た。

庵野つながりで巨神兵ブレスと見ても良いのだが、巨神兵との違いは、巨神兵が最終的に大海嘯に押し切られて自滅するのに対し、

ゴジラ攻撃は押し切られない事。

とにかく撃ったら終わる無敵兵器位置づけなので、巨神兵よりは波動砲に近い。

(とはいえ、後述するように最後は「ガス欠」が敗因なので、そこは巨神兵と同じと言える)


で、ブレス攻撃第一波に物語上の位置づけについてだが、

見てる人は皆同じことを思っただろうが、今回のゴジラブレスを吐くまで攻撃らしい攻撃を全くしないのである

町の中をのたくってあっちこっちを押しつぶしたのと、煙の中から橋をちゃぶ台返しした事以外は、実に忍耐強いというか、攻撃をしない。

神心会のデンジャラスライオン加藤清澄パンチされまくっても欠伸してる夜叉Jrのように、まるで何もしない。

ゴジラ攻撃するのは「有効攻撃」をされた時だけなのである


これは別にゴジラが「攻撃しなければ無害であり、本当は戦いたくないのだ」などという甘っちょろい事を意味してるわけではない。

第一形態から第四形態に至るまでずっとそうだが、

ゴジラは移動するだけでも甚大な被害を発生させる存在であり、「放置しておくと増大するリスク」そのものなのだ

いるだけでも迷惑だが、取り除くために行動するなら痛みとリスクを伴う癌細胞。それが今回のゴジラだ。

から有効攻撃を食らうまではゴジラ攻撃しなかったのだ。

今回の映画政府側は何度となく「民間人被害が出るけど攻撃するか」を問われるが、

ゴジラ最初からブレス撃ちまくりながら侵攻してきていたら、その葛藤は描けなかっただろう。


で、テーマ上の都合は上記のとおりとして、

ゴジラの都合に立ってなぜ攻撃しなかったのかを考えると、ブレスの「奥の手」としての悲哀が見えてくる。

ゴジラの負けが決まったのがいつかという点を考えると、それはあのブレス攻撃が終わってゴジラ活動停止した時だろう。

あの攻撃で「ガス欠」という決定的な弱点を晒ししまった事で、

主人公側はゴジラ血液凝固剤を投与するための道筋が見えてしまった。


確かに「止め」を刺したのは血液凝固剤を飲ませた事で、その点はショボく見えるのだが、

重要なのはそれより前に無人機による波状攻撃によって放射能を撃たされて、意図的に再度ガス欠にさせられてしまった事で、

あの状態になったらもう血液凝固剤でも口の中に爆弾でもバンカーバスター釣瓶撃ちでもなんでもできるわけで、

止めの手段問題ではない。

ガス欠がバレた時点でゴジラの勝ち目はなくなっていたのだ。

その意味で、勝負が決したのはゴジラが奥の手であるブレスを使わせれた第一波が全てだった。

からあのブレスシーンは凄かったのだ。


ということで表題ゴジラと刺し違えたのは総理大臣

総理ゴジラブレスで死んだが、ブレスを撃たせたことでゴジラの死も決まった。

神羅カンパニーミッドガルキャノンvsダイヤウェポン戦と同じで、あのブレスシーンは、総理以下内閣首脳とゴジラが刺し違えたシーンだったと考える。

あの総理大臣は2つ印象的なシーンがあり、一つはゴジラ第3形態の時に巻き添えになる民間人を見過ごせず、攻撃中止を決断したシーン。

もう一つは米軍によるゴジラへの攻撃東京の空が赤く染まっているのを見ていたシーン。

特に前者の方は、直後のゴジラのしばしの停止とも相まって、日本政府の弱みを敵の眼前に晒したシーンであり、総理のその後の敗北を強く暗示する物だった。

ゴジラ鎌倉に再上陸した後東京に向かい登場人物が「なんでこっちに来るんだよ」と嘆くシーンがあるが、

その理由は、あそこで攻撃を止めたことが一因なのだろう。

要は、民間人を救おうとしたことで勝機を逸したと同時に「人がいる場所なら攻撃されない」と舐められたわけである

その事が、熱核攻撃というリスクの拡大再生産と、最終決戦での主人公民間人に巻き添えが出ようが何だろうが攻撃する決断につながったのであり、

またゴジラ東京駅活動停止した理由も、人の多そうなビルの近くが一番攻撃されにくいという判断によるものかもしれない。


攻撃するべき時に攻撃できなかったことで、リスク東京消滅の寸前まで大きくしてしまった総理

一方で、ゴジラの死因となった総理でもある。

決断力あり過ぎに描かれていると非難も多い日本政府だが、それは彼らが死んだ時に「その後」の日本政府人材欠乏ぶりを際だたせるためのものだろう。

実際、農林大臣総理就任した時の頼りにならない感は強烈だった。

だが同時に、あそこで死ぬ総理は、ゴジラと刺し違える総理なので、無能に描かれるわけが無かったのだ。

2016-07-31

シン・ゴジラ』の元ネタまとめ(8/12追記)

筆者は半分くらいしか観てないので間違いとかあったら指摘してください。

◇関連性大

庵野秀明エヴァ(旧世紀版&新劇場版)』 : 同じBGM使用している。ヤシオリ作戦の内容・名称元ネタ

岡本喜八日本のいちばん長い日』 : 激しいカット割りの元ネタ日本危機に直面した時の官僚政治家の動向を描く点は同一。監督岡本喜八写真が本作に登場する牧吾郎写真として使われている。

本多猪四郎ゴジラ(初代)』 : 冒頭に映る古い「東宝」画面、第2形態時の咆哮音、冒頭に襲われる船の名前(「栄光丸」⇒「グローリー丸」)はこれが元ネタ

押井守機動警察パトレイバー the Movie』 : 『シン・ゴジラ』に登場する牧吾郎のあり方が、『機動警察パトレイバー the Movie』に登場する帆場暎一と被る点が多い。①冒頭で海に消える、②事件解決の鍵を握るが、本人は既に死亡しているため、彼の思考の解明に主人公たちが翻弄される、③東京破壊する動機が匂わされる、等。

福島第一原発 : ①ラストシーンで凝固剤をクレーンで投入するシーンは、福島第一原発コンクリートなどを流し込む姿を模しているとの指摘あり。②また、ラストにおいてゴジラは死亡せず凍結されるに留まるが、これは福島原発事故の現状を表してるとの指摘あり。すなわち、冷温停止状態ではあるが、これからもきちんと処理を続けないと、また放射能汚染惨禍を生むということ。

◇関連性中

長谷川和彦太陽を盗んだ男』 : ラスト石原さとみ長谷川博己が語り合う建物が、菅原文太ジュリーの決戦の場と同じ。ヱヴァ破でこれのサントラを使っていたため、意識して使用した可能性がある。また、制作中の仮題が『日本対俺』であり、これは『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)』に類似する。

庵野秀明巨神兵東京に現る』 : 終盤、ゴジラ尻尾から出てくる人型が、『巨神兵東京に現る』に登場する巨神兵酷似している。

橋本幸治=中野昭慶ゴジラ(84年)』 : 今回のシン・ゴジラと同じテーマ危機に直面した日本がどう対応するか)を扱った作品。第4形態時の咆哮音の元ネタ。『シン・ゴジラ』のキーマンである吾郎の初出。

本多猪四郎宇宙大戦争(59年)』 : ヤシオリ作戦シーンのビーム作画ビームSEBGM元ネタ。ただし、マーチについては、直接の元ネタは『怪獣大戦争』ではないかとの指摘あり。

富野由悠季イデオン』 : ゴジラが、背びれから全方位ミサイルを出し、尻尾からソードを出しているのは、これが元ネタではないかとの指摘あり。

岡本喜八沖縄決戦』 : 上述した『日本のいちばん長い日』と同じ理由。ただしこちらはシン・ゴジラと違って民間人視点から事件を描く/人の死亡シーンまで描く。また、『シン・ゴジラ』のラスト付近に登場する第32普通科連隊丹波一佐は、『沖縄決戦』で第32軍長勇参謀長を演じる丹波哲郎元ネタ

◇関連性小

佐藤純彌新幹線大爆破』 : 東京駅作戦をするシーン、新幹線爆弾を積んでぶつけるシーンの元ネタ

赤井孝美『八岐之大蛇の逆襲』 : 「ヤシオリ」という名称ヤマタノオロチを酔わせた酒)からすると、ヤシオリ作戦元ネタエヴァではなくこちらを挙げるべきであるとの意見あり。また、血液凝固剤を注射ではなく経口投与にしたのは、ヤマタノオロチ伝承に倣ったものか。なお、これに登場する八岐之大蛇は第2形態に似ている。

◇その他名前ネタ

山崎豊子白い巨塔』 : 財前正夫(國村準)、大河内清次(大杉漣)、里見祐介(平泉成)、花森麗子(余貴美子)、東竜太柄本明)、柳原矢島健一)、金井中村育二)の”苗字”の元ネタ。たぶん探せばもっと出てくる。

安野モヨコ作品 : 矢口蘭堂(長谷川博己)(⇒『ジェリービーンズ』)、カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)、尾頭ヒロミ市川実日子)、花森麗子(余貴美子)(⇒『ハッピー・マニア』)の”名前”の元ネタ。たぶん探せばもっと出てくる。

補足

http://anond.hatelabo.jp/20160812012224

シンゴジラあんまり怖くなかった件

ツイッター見てると怖かった怖かった言われてたのでなんか違和感があったというか

ナウシカ巨神兵並にぶっとばすかと思ったんだけどいまいち思い切りが足りないというか

おまけにエネルギー使い果たして数日休みに入るし

なにそのホワイト企業

緊迫感足りなさすぎ

2015-03-29

Gのレコンギスタ風の谷のナウシカに似ている

・1000年単位の昔、発展した技術により世界が滅びかけた(火の七日間/宇宙世紀時代戦争)

・そのために、ある政治思想に基づき、技術封印・独占が行われ、宗教性でもってカモフラージュされた(腐海開発者・シュワの墓所/ヘルメス財団スコード教)

物語の始まる少し前に、世界を変えようと目論む青年によって、技術が外に持ち出される(神聖皇帝/クンパ・ルシータ(=ピアニ・カルーダ))

物語は進んだ技術主人公出会うところから動き出す(王蟲の幼生/Gセルフ)

主人公たちは真実を突き止めようといろいろな国へ赴き、道中に戦争をする。

真実を知りたいがために突き進むのは姫である。(ナウシカ/アイーダ :ともに姫様)

最後主人公は旧世紀の遺物である強大な力(巨神兵オーマ/Gセルフ)を利用して旧世紀の技術破壊を行い、戦争をひと段落させ、自分たちの力でもって生きていこうとする。(生きねば…/僕はこれで世界一周するぞ〜!)

2014-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20140903022319

まらないネタの内輪受けでいちゃいちゃするアメブロ勢を駆逐してくれる便利なアメブロバスターだと思って黙ってみている人たちも多いと思う。

しかし私には王蟲駆逐するのに巨神兵を用いているように見えて仕方ないのである

2014-04-07

ナウシカあらすじ07

からトルメキアの王都トラスから戦線崩壊に業を煮やしたヴ王がシュワに向けて自ら出陣していた。彼もまた墓所を狙っていたのである。敗走した生き残りの兄皇子たちもまた、国境警備を命じられたものの、ヴ王の目を盗んでシュワに向かう。そして偶然ナウシカは兄皇子たちの斥候部隊と遭遇する。嬉々として彼らを撃滅する巨神兵を制止したナウシカは、彼を立派な人になるようにさとし、エフタル語で無垢を意味するオーマと名づける。

名を与えられた巨神兵は急速に知能を発達させ、自らを調停者と称する。ナウシカ巨神兵についての伝承に疑問を抱く。巨神兵とは単なる兵器ではなかったのではないだろうか?

一方難民終結地は一瞬即発の危機状態にあった。クシャナによる、ナウシカを追ってシュワに行く為の船を貸してほしい、との要請火種になり皇帝と僧会という重石がとれ権力真空状態にあった土鬼難民の間に、侵略者トルメキア軍への憎悪クシャナを標的として再燃する。クシャナももはやかつてのような攻撃性は失ったものの、自体平和的に打開する手を打つでもなく、「所詮血塗られた道か・・・」と呆然とすべての終わりを待っているだけであり、

チャルカもまた圧制者たる僧会への民衆憎悪をなだめるのに手一杯で後手に回ってしまう。しかしユパがクシャナ殺到する兵の刃から身を持って庇ったその瞬間、マニの僧正の霊が彼の体を借りて再臨し、人々の憎悪は打ち消され、衝突は回避される。「そなたには王道こそふさわしい」と言い残しユパは死に、「友達になろう」と差し出されたチククの手をようやくクシャナはとる。

ナウシカとオーマは兄皇子たちの艦隊に合流するが、ナウシカの身体はオーマの発する「毒の光」によって衰弱しきっていた。テレパシーで伝わったユパとほぼ同時に、彼女の旅にずっと同伴してきたキツネリスのテトも死に、テトを埋葬する為ナウシカはオーマとともに艦隊を離れる。ナウシカを逃がすまいとする兄皇子たちはオーマの「裁定」により艦隊から引き離され、身一つでナウシカに伴わなければならなくなる。

テトを埋葬するために降りたオアシスナウシカは奇妙な牧人に救われ、彼の庭園の館で治療を受ける。彼女の身体はみるみる回復し、とうに滅びたはずの動植物ヒドラの農夫が世話するこの館で、彼女はくつろぐと同時に記憶をなくしていく。しかし同じように記憶をなくし、かつての権力への妄執から解き放たれて別人のようになった兄皇子たちの奏でる、「火の七日間」以前の古典音楽の調べが呼び覚ました「青き清浄の地」のイメージとともに、彼女忘却から醒め脱出をはかるが、牧人に制止される。

目覚めた彼女は牧人のテレパシーによる誘惑をもはや受け付けず、牧人に真実を語ることを求める。しかし牧人は、二百年ほど前にこの庭を訪れた「そなたに良く似た少年」のことを語る。彼はやがて人類を救いたいと書き置いて、ヒドラを連れて脱出し、初代神聖皇帝になった。「そなたのしようとしていることはもうなんども人間が繰り返してきたことなんだよ」。

くじけそうになるナウシカのもとにセルムがテレパシーで救援に駆けつける。しかし、牧人もまた一種のヒドラであることを指摘するセルムの前でも、彼(彼女)の奏然たる様は揺らぐことはなく、逆にセルムを問い詰める。「青き清浄の地」に今の人間適応できずに死んでしまう。そのことを森の人は知っておきながら何故それを希望と偽るのか、と。

しかし、問答をきっかけにナウシカは一気に自体真相に肉薄する。実は「腐海」の地球環境浄化機能は、自然にできたものではなく人為の所産である。そして腐海の周辺の汚染された環境に対する人間の耐性もまた、人為的な改良の所産である。つまり産業文明末期、「火の七日間」の前後に巨大な地球環境復元プロジェクトが組まれ、そのために「腐海」という人工の生態系創造され、プロジェクトの期間中、「腐海」が副産物として生成する毒物に耐えて生延びていけるように人間も改造されたのだと。

そしてこの庭は復元された環境の中に開放されるべきものたち、農作物家畜文学芸術を保存したタイムカプセルのようなものなのだと。

「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるもの人間は造れなかったのだ・・・つぶやく牧人にナウシカは「何故墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き出しているのですか?」と問う。答えない牧人に「沈黙もまた答えです」と言い放ち、牧人ももはや彼女を止めようとせず、「そなたのためにこの庭はいつも開けておこう」と別れを告げる。そしてナウシカは館を脱出し、ガンシップで追ってきた風の谷の従者たち、蟲使いの若者たちと合流する。すでにオーマは、病んだ彼女を置いて一人シュワに出発していた。ナウシカたちはシュワに急行する。

シュワにはすでにヴ王軍勢が到着し、制圧完了していたが、墓所の門は閉ざされたままあらゆる攻撃を跳ね返し、逆に激しく反撃してくる。そこに到着したオーマは裁定を申し入れ、墓所に対して門を開くように通告し攻撃を加える。これにさしもの墓所も損壊するが、反撃でオーマは傷つき倒れ、シュワの市街ともどもヴ王の軍も全滅する。辛くも生き残ったヴ王とその忠実な道化の前に、門は其の新しい王を迎えるためついに開かれる。

ヴ王に遅れてナウシカも到着し、ともに墓所最深部、主の前に立つ。主はその表面に旧世界の知を記した古文字を浮かび上がらせた巨大な肉塊である。そこから人々(浄化計画を設計した旧世界科学者達?)の幻影が立ち現れ、「腐海の尽きる日」「青き清浄の地」の復活を予告し、其の準備として用意された技術の貯蔵庫である墓所を守るように要請する。しかナウシカはそれを拒絶し、「真実をかたれっ」と迫る。

幻影はかき消え主は新たに道化の口を通し、お前は人類を滅ぼそうとするのか、と責めるが、ナウシカ未来と引き換えに現在犠牲するプロジェクトをあくまで拒絶、かろうじて生きていたオーマを呼び出し、主を攻撃させて破壊する。断末魔の主の反撃からナウシカを庇ったのはヴ王であった。オーマは母の名を呼びながら絶命し、その死を哀しむナウシカはオーマとともに解体する墓所の中に沈もうとするところをアスベルに救われて脱出する。

救出されたヴ王クシャナに看取られ、彼女王位とトルメキア再建の責務を託して死ぬクシャナは「わたしは王にはならぬ すでに新しい王を持っている だが帰ろう!! 王道を開くために」と、ユパとヴ王の遺志に従うことを決意する。

ナウシカは青き衣のものとして民衆の歓呼に迎えらる。彼女自分の知りえた真実については黙して語らず、人々を欺き続けることに決める。ただ秘密セルム、森の人とのみ分け合って。

後日談としてナウシカはその後土鬼の地にとどまり、チククの成人まで風の谷にもどらなかったこと、また一説には森の人の元に去ったとも伝えられていること、そして後に「トルメキア中興の祖」とたたえられたクシャナは生涯王位につかず代王にとどまり、以後トルメキアは「王を持たぬ国」になったこと、が記されてこの長い物語は終わる。

ナウシカあらすじ06

チククとチャルカは飛行ガメで彼女を探して粘菌の合流地点へ向かう。そこで彼らはナウシカメーヴェを手に入れた蟲使いの大群に出会う。蟲使いたちは森の人の呼びかけに応じ、新たに広がった「腐海」の領有権を確認しに来たのだ。チャルカたちはユパを救った森の人の青年セルムに導かれ、奬液に包まれたナウシカを回収する、彼女は心を閉ざして眠り続けていた。

ナウシカ保護して難民終結地へ戻る途中、彼らは皇兄の乗る旗艦出会うが、そこに肉体を失った皇弟の霊が取り付いており、ナウシカ発見した皇弟はセルムのガードをかわしてナウシカの無防備な心に入り込んでしまう。

他方、旗艦チャルカ難民救出のために収集した船団に皇弟と僧会の失権を通告し、指揮権強奪した。新たな混乱を予感したチャルカナウシカセルムとチククに託し、戦火の再燃を食い止めるべく、死を覚悟して単身難民終結地へと戻る。

眠るナウシカセルムはテレパシーで呼びかけ、森の人の秘密腐海の中の最も古い土地、その浄化作用が一巡して昔の汚染されていない生態系が回復した「青き清浄の地」へと案内する。ナウシカの仮説は正しく、しかもそれは部分的にであれ現実のものとなっているのである。皇弟の霊はこの「青き清浄の地」成仏する。しかし森になろうとしたはずのナウシカはそうしない。

 「もどろうね 自分達の世界へ この世界を汚しちゃいけないから・・・・ 土の毒や瘴気に脅かされないで皆とここに住めたらどんなにいいだろう でも今の人間が知ったら また 自分達が 世界の主人だと思い始める たちまち生まれたばかりのこのひよわな土地を食べつくして又同じことの繰り返し 1000年かもっとたって あなたもっと広くつよくなって 私たちが滅びずもう少しかしこくなっていたら その時こそあなたの元にやってきます

そして希望を取り戻して目覚めたナウシカは、「私と一緒に森に来てくれませんか」と誘うセルムにも「人間の汚したたそがれの世界で私は生きていきます」と応え、ついに彼女の元に到着した従者や彼女女神と慕ってきた蟲使いの若者とともに、難民終結地へと向かう。

終結地では皇兄による粛清の嵐が吹き荒れ、チャルカもまた処刑されようとしていた。間一髪でまにあったナウシカはチククのテレパシーを通じて民衆に呼びかけ、皇帝の言いなりになってトルメキアに侵攻するのをやめるように説得する。

「土鬼の地がすべて失われたわけではありません。腐海ほとりに住みそこで生きましょう 腐海私たち業苦です でも敵ではありません 苦しみを分かち合って生きる方法を私の一族は知っています。 皆さんに教えられます 苦しみより友愛を 王蟲の心を・・・

ナウシカの説得は功を奏するが、頭上には巨神兵が到着していた。ナウシカガンシップ輸送艦ごと巨神兵撃墜しようとするが、巨神兵本体破壊することはできず、かえってそれを目覚めさせただけであった。マニ族を説得して駆けつけたアスベルから託された秘石を持って、土鬼旗艦上で巨神兵対峙したナウシカの前で、巨神兵自我を生じ、彼女ママと呼びかける。呼びかけに応じたナウシカは、この巨神兵を伴って、シュワの墓所封印すべく飛び立つ。

土壇場でのクシャナの反乱もあってすべてを失った皇兄は「俺はもう生き飽きた なにをやっても墓所の主の言うとおりにしかならん あとはあの小娘が背負って立てばいい」と言い残し(ここまで単行本6巻

ナウシカあらすじ03

飛行艇を奪って脱出したユパたちは僧会の追ってによって撃墜され、「腐海」に墜落するが、森の人の一行に救われる。森の人は「蟲使いの祖にして最も高貴な血の一族」、彼ら自身の語るところでは古エフタル王国大海嘯による崩壊の際、「青き衣の者」に率いられて「腐海」に入り、そこで生きることを選んだ者達の末裔である。彼らは「火を捨て 人界をきらい 「腐海」の奥深く住まう者 蟲の腸をまとい 卵を食し 体液を泡として住まう・・・・」、つまり腐海」を敵とせず、大地を汚さず生きるものたち、「腐海」の生態系を熟知し、そして当然に、ユパやナウシカが気づいた真実を初めから知っていたものたちである

彼らもまたナウシカと同じように蟲たちの大移動を察知し、南への探索の途上であった。彼らにつれられてユパ達は「腐海」を突破して土鬼の地に到達し、追ってきた風の谷のガンシップと首尾よく合流を果たす。ところでガンシップは其の途上で、土鬼の浮き砲台がペジテを襲ってトルメキア軍から奪ったとおぼしき巨神兵輸送しているのに遭遇していた。

他方、クシャナ部隊とともに土鬼の地に到達したナウシカは「腐海から遠く離れた村までが瘴気に襲われて全滅しているのを目撃する。

土鬼は瘴気兵器として利用する技術を手に入れたらしい。

クシャナ目的自分を陥れようとする父ヴ王を欺き、忠実に土鬼を進撃する振りをして、奪われた自らの最強軍団、第三軍に合流し、指揮権を奪還し王に逆襲することだった。瘴気を利用した土鬼の総反抗の中、撤退するトルメキア軍のしんがりをつとめさせられている自軍を救い出す為には、瘴気の謎を的確に追跡するのみならず、優れた技能母性カリスマを発揮して兵の心を捉えつつあるナウシカの力が役に立つ。そして彼女はついにトルメキア軍最南端拠点、土鬼サパタ士侯国の都城に立てこもる自軍との合流に成功する。

 

クシャナが、そこで脱出の血路を開くべき会議を計画する一方で、ナウシカは大量の非戦闘員捕虜存在に憤激する。減り続ける労働力不足を補う為の奴隷の獲得は、この戦争の主要目的ひとつであった。ナウシカクシャナ捕虜釈放を要求するが、クシャナは「手を汚すまいとするお前の言いなりになるのは不愉快だ」戦闘への参加を其の交換条件として提示する。

仕方なく戦闘に参加したナウシカは、会戦目的が敵土鬼包囲軍の殲滅ではなく、攻城砲台を撃滅して脱出のための時間稼ぎをすることにあるのを利して、砲台殲滅を機に、本来「腐海」の蟲を音で脅して追い払うために用いられる鏑弾を撃って敵の馬脚(正確には牛脚。土鬼の常用役畜は「毛長牛」なお、トルメキア、エフタルの常用役畜は「トリウマ」)を乱し、その隙に、「これ以上の流血は無用!!」とクシャナに撤退を求める。

クシャナはコレを承諾し、退却し、敗走中にナウシカに救われた兵士達の分隊ナウシカを援護し全滅する。ナウシカは危うくとらえかけられるが、ユパから贈られた忠実なトリウマ、カイの死を賭けた奮戦によって脱出成功する。(ここまでで単行本第三巻)

ナウシカあらすじ01

マンガ風の谷のナウシカあらすじ

まずはじめに、マンガナウシカ」をお読みになっていない読者のために、そのあらすじをやや詳しく説明しておこう。

すでに多少説明したことでもあるし、本書の読者であれば、マンガナウシカ」を読んでおられなくても、すでに何度となく

テレビで放送され、どこのレンタルビデオショップにも置いてあり、へたをすればほとんど国民映画扱いのアニメナウシカ

をごらんになっているであろうからアニメ漫画双方に共通する限りでの設定の説明は省略する。

 

しかし、漫画ナウシカ」のストーリーはきわめて複雑に錯綜しているため、必ずしもテクスト通りには整理できないがご容赦いただきたい。

もちろん、この記述で納得なさらずに漫画ナウシカ」のテクストに実際に当たられることが一番である

物語の発端はアニメナウシカ」と同様に、風の谷」付近の「腐海」でのナウシカとユパの再会、ユパの風の谷訪問である

平和なこの国も別転地ではなく、「腐海」の毒は確実に浸透し、人口は年々減り続けているし、近々始まる戦争ナウシカ

時期族長として、病める父、ジルに変って、同盟宗主国トルメキアの軍に従軍しなければならない。

そんな時、谷付近で不時着した飛行船から隣国ペジテが同盟であるトルメキアから滅ぼされたとの報が入る。

飛行船に乗っていたペジテの姫ラステルはいまわの際に、ナウシカに謎の「秘石」を渡し、それをトルメキアの王に渡すことな

兄の元に届けるように依頼する。

ペジテ避難船の動向を察知したトルメキアの部隊は程なく、風の谷に現れ、谷の代表として対峙したナウシカと一瞬即発の事態

空気が流れるが、ユパの仲裁によって事なきを得る。しかしその際トルメキア兵を一人殺めてしまったナウシカ自分の中に

眠る力と凶暴性に恐怖する。

出発前夜、ユパはナウシカ管理する城の地下最下層にある部屋に案内され、そこでナウシカ管理する「腐海」の植物群を

目にする。通常の「腐海」の環境下では瘴気を発する植物群も、清浄地下水と土で育てれば、毒を発しないのである

これを見てユパは腐海生態系が土壌中の有害物を還元して無害化し、かつての産業文明汚染した地球環境を浄化している

という自らの仮説に確信を抱き、独力で実験的に結論に到達したナウシカこそ、人類未来を握る存在だと直感する。

ナウシカは谷の将来のためにあえて、若者を残し、老人達ばかりの戦闘従者率いて、ガンシップ(小型の戦闘用高速飛行艇)とバージ(艀

ガンシップに牽引されて滑空する輸送グライダー)で、近隣の、同じく「腐海」のほとり(この地域は「辺境」あるいは「エフタル」と呼ばれる。)に位置する小国家郡の軍勢とともにトルメキアの部隊に従軍するべく出立する。彼女達が合流する部隊の長はトルメキアの第四皇女クシャナである彼女は本来一大軍団の長であるが、自軍の兵力の大半を主戦線に召し上げられ、今はペジテ攻略のためのわずかな兵力しか手元にない。彼女任務は当初、ペジテで偶然発見され、その危険性を察知したペジテ当局によって封印された最終戦争「火の七日間」の超兵器巨神兵の奪取だったが、其の復活の鍵である秘石の紛失によって当面巨神兵は役に立たない。

ついで新任の参謀クロトワによって、現有兵力プラス辺境諸族の同盟軍によって「腐海」を突破し、主戦線とは別方向から遊撃を行えとの指令が中央からもたらされる。彼女の側近たちは激昂し、この作戦自体彼女の政敵である皇子たちによる、彼女を陥れる為の罠ではないかと憂慮するが、クシャナはおとなしく指令どおりに行動することを決める。

クシャナの軍とナウシカ辺境諸族の軍は「腐海」上空で合流するが、ランデブーポイントに突如ペジテのガンシップが飛来し、攻撃を仕掛けてくる。それはラステルの双子の兄アスベルであった。攻撃に巻き込まれて風の谷のバージは牽引ロープを切られ「腐海」に不時着する。

初めて本格的な戦闘行動に直面したナウシカは、機敏な行動でバージを不時着へ誘導し部下の命を守ったものの、殺戮に軽いパニック状態になりテレパシーでアスベルに攻撃をやめるよう呼び掛ける。

そのため隙を作ったアスベルもまた、クロトワの操るコルベット戦闘用高速飛行艇撃墜され「腐海」に不時着する。

腐海」に降りてバージを救ったナウシカは、そこで「腐海」の主とも言える巨大な蟲王蟲と接触し、アスベルの生存を察知し、ただ一人メーヴェ(一人乗りの動力凧)に乗って救出に向かう。辛くも生き残ったアスベルは「腐海」の蟲たちを殺しすぎ、蟲の群の集中攻撃を受けていた。

ぎりぎりのところでナウシカはアスベル救出に成功するが、二人して「腐海」最下層へ落ちてしまう。気を失ったナウシカを守ろうとするアスベルの前に現れた王蟲は、ナウシカを小サキ者と呼び、彼女がそう望むからさない、早く去れ、自分達は助けを求める遠い南の森へ行く、と言い残して去る。

腐海」最下層は瘴気が無く、空気も水も清浄場所であった。ここでナウシカは「腐海」が地球環境を浄化しているという自らの直感の裏づけを得る。そしてナウシカとアスベルメーヴェで「腐海から脱出するが(ここまでで単行本第一巻)

2013-07-19

スタジオジブリ風の谷のナウシカリメイクを発表するもガンシップは登場せず

…というタイトル虚構新聞が掲載される夢を見た

勿論ラスト巨神兵が登場しないまま風の谷が王蟲の大群に飲み込まれてハッピーエンド

2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月12日 庵野秀明ゲスト回その2

第1回

http://anond.hatelabo.jp/20121203123633

 

ナレーション

 

鈴木:ひどいこと言うんだもん、色々(笑)。『もののけ(姫)』のときもねえ……。『もののけ』どうだったって聞いたら、「レイアウトダメになった」って(笑)

庵野ダメでしたね。よく宮さん(宮崎駿)、このレイアウト通したなというくらいダメでしたね。

鈴木(笑)。かなり自分で描いてんだけど。

庵野:いやー、ダメでしたね、レイアウトはかなりね。レイアウト世界一の人だと思ってるんで。

鈴木はいレイアウトマンだもんね。

庵野:ええ。あの空間の取り方のなさっていうのは、ちょっと、あれは歳取ったのかなって思っちゃいました。

鈴木空間がなくなっちゃったんだよね。

庵野はい。すごく平面的になってて。

鈴木:すごくフラットなっちゃったんだ。だからすごいのはお話のほうで、画のほうはどっちかっていうと結構サラッとしてるっていう。

庵野:サラッとしてます。あれが『(崖の上の)ポニョ』でまた粘りが出ててよかったなっていう。

 

ナレーション

 

鈴木:『ポニョ』の前にね、宮さん、ディズニーチャンネル見まくったんだよね。そしたら「動きすぎだ」って最初言ってたのが、途中から「いや、動き過ぎだと思ってたけどそうじゃない、動くことに意味はある」って。それで突然「世界は動いてるんだから、やっぱり動かすべきだ」って。それをテーマにやりはじめた『ポニョ』はどうでした? なんて今頃聞くのもあれなんだけど(笑)

庵野:Bパート、いや、Cの途中まではすごい好きでしたね。

鈴木:Cの途中ってどこ(笑)。ばあちゃん話になる前?

庵野:うん。いまの尺でも僕は長いと思いますけどね。

鈴木:いまでも。

庵野:うん、いまでも長いと思いますね。お母さんが宗介を置いて車で行っちゃうじゃないですか。それで二人っきりになるあたりからは、あんまりノレない感じですね。それまではすごいよかったですね。

 

ナレーション

 

庵野特にあのお母さんがいい。

鈴木:えっ。

庵野:お母さんがいいです、もう。

鈴木:お母さんが。

庵野:うん、近藤(勝也)さんがすごくうまい

鈴木:「色気がありすぎるんじゃないですか」って――

庵野:いや、それがいいですよね。いままで宮さんになかったものじゃないですか。

鈴木:そうしたら宮さんがね、「あれは勝也がやってて俺じゃないから」って(笑)

庵野:そうそうそうそう、それがいいんですよ。いままでの宮さんにはできなかったこと。

鈴木:だから、すっごい色気があるんだよね。

庵野:いいですよね。線だけでそれ出すんですよ。

鈴木:だから俺びっくりしちゃったんですよ。

庵野:宮さんが手を入れてないってのがまた良かったんですね。

鈴木(笑)

庵野:あれにまた入れ直したらもうブチ壊しだったのを、それをグッと抑えてるのが大人になったというか――

鈴木:いやいや歳取ったのよ(笑)

庵野:歳を取ったというか。

鈴木:さすがだなあ、よく見てるね(笑)

 

ナレーション

 

鈴木:僕ね、すごい覚えてるのは、スタジオ……あれは(スタジオ・)グラビトン

庵野はい

鈴木:あの、もりやまゆうじ森山雄治)がいて。そこで初めて(鈴木庵野に)会ったの覚えてるんですよ。

庵野:それは(スタジオMINなんですけど、細かく言うと。

鈴木MIN

庵野MINっていうところですね、スタジオMIN

鈴木:あ、そっか。

庵野:桜田にあった、フリーアニメーターが寄り集まってるスタジオ界隈ですね。

鈴木:あのとき自己紹介されたの覚えてるんだよ、俺。順番がちょっとぐちゃぐちゃなんですけどね。ただ、当時もりやまゆうじっていう人と一緒に押井守原作漫画をやってたんですよ、『とどのつまり』っていう。それで、そこのスタジオ漫画原稿取るっていうんで1ヵ月に一回行って。押井守原作を書いて、彼が画を描いてたんですけど。そこで(庵野が)登場して、あの「住所不定なんです」って。

庵野:ええ、家なかったです。

鈴木:だから、ここに居候してるって。あれいくつくらい?

庵野24……ぐらい。

鈴木:えっ、そんななってんの、もう。

庵野:ええ。24、5じゃないですか。

鈴木:あ、なってんの。そうなんだ。

庵野:ええ、23、4。24くらいだったと思いますね。『(風の谷の)ナウシカ』のあとですもんね。

鈴木:あれ『ナウシカ』の直後?

庵野:『ナウシカ』のときも家なかったですから

鈴木:そうだよね。

庵野:ええ。大阪アパート引き払って、とにかくカバンだけ持って――

鈴木東京へ出て。

庵野:ええ、宮さんのとこ行って。で、家はないのかって言われてありませんって。そのときは高校時代友達のところに荷物だけ置かせてもらって。トップクラフトで寝てましたね、寝泊まりは。

鈴木:ああ、あそこで寝てたんですか。あの応接で?

庵野:いえ、応接なんかで寝ないですよ。机の下ですよ。机の下か、隙間。壁と動画机の隙間が60センチぐらいあって。そこで寝てましたね。

鈴木:とにかく『ナウシカ』始まったときに、やらせろっつって。当時トップクラフトってところで『ナウシカ』作ってたんですけど、現れて。なんか原画持って来たんだよね。

庵野:ああ、自主制作やってたやつですね。

鈴木:それで宮さんが気に入って。その画を見て、多分ここがいいだろうっていうんで巨神兵を。

庵野:いきなりですよね。めちゃくちゃです。ズブの素人ですよ(笑)

鈴木:それで粘りのある画面を描いてくれるだろうって。

庵野:いやあ。

鈴木:でも描いてくれたじゃない。

庵野:まあ出来てよかったですけど。でもよく任せましたよね。

鈴木:宮さんの独特の勘だよね。あまり給料払えなかったよね、多分。

庵野:いえいえ! あれは貰えましたよ。

鈴木:あ、本当?

庵野:それまで安かったですから。『(超時空要塞マクロス』のテレビ大学ときアルバイトでやったんですけど、1カット1800円でしたから。

鈴木:1800円!?

庵野:ええ。まあテレビシリーズですから、そんなもんです。1800円です。

鈴木:はあ。でも、あの巨神兵は凄かったよね。粘っこいでしょ。だってあれだけやるのに、あれ秒数どれくらいあったの。

庵野:長いのが十何秒ですか。普通6秒か8秒で、でも伸びてやっぱり10秒になってたと思いますね。

鈴木:それをどのぐらいの期間でやってたんですか。

庵野:1番長いのは2週間ぐらいですね。

鈴木:ああ、でも当時だとそれぐらい、それでもすごいよね。

庵野:んー、まあ巨神兵については一個悔しいのは、中(動画の中割り)を7枚にするべきだったと思いますね。宮さんはあのとき「中5でいいんだ!」って言ってて。でも中5は速いんじゃないですか……って。でも中7にすると枚数が増える上に尺も延びるから間に合わないって、中5でいいって。そして影も2色つけなくていい、1色でいいって。「ええっ~!」というやつですね。あのときは影は2色……まあ、それでも2色は許してくれたんですけど、「3色つけたら殺す」という風にメモがありますよね。

鈴木:やっぱり影を付けたくない人なんですよ。

庵野:ええ、でも大きさはやっぱり影で出せるものがあるじゃないですか。

鈴木:でも、あれは記号から――

庵野:いや、記号からこそ、ですね。でも色々教えてもらったのは、本当に板野一郎宮崎駿、この二人ですね。アニメ技術だけじゃなく、作り方みたいなものも横で見てて。だから僕の師匠はこのふたりですね。実際色々教えてくれましたからね、手取り足取り。

鈴木:いや、ジブリ、西ジブリって作ったでしょ? だからいまトヨタのなかで若い人、22人やってるわけですよ。そういうとこ行って、ちょっと特別講義を……。

庵野(笑)

鈴木:みんな喜ぶよね。でも喋るだけじゃなくて、実際のね、なんかやってくれるといいんじゃないかって。

庵野:昔、宮さんが塾を二馬力でやってたときに、一回行きましたね。でも宮さんって自分が好きか、こいつはいけるっていう人じゃないと教えないじゃないですか

鈴木:そう。やっぱり……依怙贔屓なんだよね(笑)

庵野:依怙贔屓と、やっぱり自分下駄が欲しいので。自分の役に立ちそうな奴しか労力を使わないですよね。

鈴木(笑)

庵野:僕が『ナウシカ』のときに色々教えてもらったのはそれだなあって。巨神兵をこいつにやらせとけば、自分はそれを直す手間の分、ほかのことやれるっていう。それだと思いますね。

鈴木:でも、だってアレやってくれるだけですごいホッとするんだもん。

庵野:うーん、でしょうね。だったと思います、いま考えれば。

鈴木:でも、ラストシーンは『ナウシカ』よかったんですかね、あれで。

庵野映画はあれでよかったと思いますけど。

鈴木:宮さんの最初の案は、とにかく王蟲が突進してきて、そこへ降り立つナウシカ、それでいきなりエンドマーク。それて王蟲の突進は止まると。……これは困ったんですよ。

庵野:いやー、引かれないと困るでしょうね。

鈴木:だから延々、僕ね、それこそ最後のほうコンテが出来たとき高畑さんとふたり阿佐ヶ谷喫茶店で8時間ぐらい、色々話したんですよ。これで行くのか行かないのかって(笑)。それでとにかく現状はいまある案。2つ目がナウシカが死んで、伝説の人になる。で、3つ目がね、死んだあと甦るっていう。それで最後さ、高畑さんがね、「鈴木さんどれが好きですか」って(笑)

内藤:好き嫌いになるんですか。

鈴木:そりゃやっぱ甦ったらいいんじゃないですかねえって。じゃあ、つってふたりで宮さんのとこに言いに行くんですよね。いやー、判断が早くて。「ふたりで決めたんでしょ、じゃあそうします」って。考えないんだよね。

庵野:あのとき見せてもらったのは、巨神兵王蟲が戦うのは、見たかったですね。

鈴木(笑)

庵野:あれかっこよかったですよね。まあ巨神兵は大変でした。僕は全然描けなかったと思いますよ、あのコンテのままだったら。

鈴木:でも――

庵野:見たかったですけどね。

鈴木:でも、あの巨神兵はすごかったよね。

庵野:まあ、宮さんだったら出来たんですね。『ナウシカ』の途中で、最初面接でお会いしたときにはすごく緊張したんですけど、段々それが解けてただのオヤジになっていったんで。普段アニメ作ると、宮さんってフィルターかけちゃうじゃないですか。

鈴木バランスとるんだよね。

庵野:ええ、いい人っぽく。

鈴木:そうそうそうそうそうそう。

庵野:本当はそうじゃないじゃないですか

鈴木:そうそうそう、悪い奴だもんね。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに言ってたんですよ宮さんが、「人間滅びてもいいじゃん」っていうの。

鈴木:そうそうそう。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに、最後のほうの相当宮さんも飲んでたときに、スタッフアニメーター若い女の子がひとり食って掛かってて。「人間が滅びてしまうじゃないですか、そんなの作っていいんですか」みたいなことを言ったときに「人間なんてね、滅びたっていいんだよ!! とにかくこの惑星に生き物が残ってれば、人間という種なんていなくなっても全然いいんだ!」っていうのを怒鳴ってるのを僕は横で聞いてて、この人すごいとそのとき思ったんですね。クリエイターとして宮さんが好きになった瞬間でしたね。人そのものに執着してないってのが根っこにあって、あれはすごくいいですよね。

鈴木:「もしかしたら私達そのものが汚れかも知れない」、いやー、もうそセリフ読んだときにね、ああこの人、人間よりあっちのほうが好きなんだって

庵野:『ナウシカ』の7巻は宮さんの最高傑作だと思いますね。まあ巨神兵のくだりは別にしてですね、宮さんの持ってるテーマ性っていうのが、あれに、すごくこう――

鈴木:集約されてる?

庵野:集約されてるっていうか、もう原液のまま出してるわけですよね。本当に、本当はすごくアレな人なんですけど。

鈴木:あの、負の部分っていうのか。

庵野:それがストレートに7巻には出ててよかったですね。『ナウシカ』の漫画にも色々出てますけども、7巻は特にそれが凝縮していていいですね。

鈴木:『ナウシカ』の『2』やらせろって言ったのはいつなの?

庵野:あれは……『ラピュタ』のころだったと思いますけど。吉祥寺で言った覚えがあります最初にね。

鈴木:あれはだけど俺、宮さんに真剣庵野がやるならいいんじゃないですかって。俺はこう説得したんですよ、宮さんを。「3部作にしたらどうだ」って。そうするとね、多分2本目は、宮さんが書いてるように、ある種、殺戮映画だと。第2部はそういうことでいうと、さあ、このあとどうなるんだろうという、そういう映画を作ればいいわけから庵野がやれば絶対面白くなると。で、その締め括りをね、宮さんが第3部でやったらいいんじゃないかって。いい説得でしょ。

庵野(笑)

鈴木:そしたら怒っちゃって。やめて下さいって(笑)

庵野:僕がやりたいのは7巻ですけどね。

鈴木最後じゃない。

庵野:ええ。

鈴木:未完だもんね、一応、あれで。

庵野:未完……いや、もうあれで十分だと思います

鈴木:十分(笑)。本人は未完なんだよね?

庵野:まあ、あのあとも語りたいです。

鈴木:いやかくね、宮崎駿に関して語らせたら一言も二言も、一家言も二家言もあるっていう。

庵野:いやいや、そんなことないです(笑)

鈴木:いや、ずっと一所懸命見てるじゃない。

庵野だって一応師匠ですから

鈴木:『ナウシカ』でどれくらいの期間いたの。

庵野:2ヵ月半くらいですかね。

鈴木:そしたらさっきの、もりやまゆうじのところに居たってことなのね。そしてしばらく経ったら、また『火垂るの墓』のときに現れたんだよね。

庵野:ええ、そうですね、就職活動ですね、仕事がなかったんで。宮さんのとこ行ってなんか仕事ないですかって。『トトロ』のオープニングをやるか、高畑さんのほうでなんか戦艦を描くのがいないっていうんで、じゃあそっちをやるかどっちだって。宮さんは前にやったんで僕は高畑さんと仕事ときたいですって。

鈴木:そうだよね、覚えてる。それで戦艦イルミネーションと――

庵野:ええ、イルミネーション花火の。実際には重巡ですけどね、戦艦じゃないですね。

鈴木:で、やってもらったら、なんかのときに話したら、よく覚えてるんだけど「二人のこともよくわかったんで」って(笑)

庵野:ああ。とりあえず一度仕事すれば、だいたいわかります

鈴木:で、終わったらいなくなっちゃったのよ。

内藤:そうなんですか。それでひたすらそれを、超えるために。

庵野:超えよう超えようと。

内藤:それで超えたときに人はどうするんですかね。なんか達成しちゃうじゃないですか。

庵野:ああ、でも次の敵が来ます。次の仮想敵が出るだけです。

鈴木富野由悠季)さんなんかはそう言ってたね。

庵野富野さんはそれでずっとやってる人です。

鈴木:はっきりしてる。

庵野:ええ、必ず敵作ってやってますね。

鈴木:……そうだよね。

内藤鈴木さんは仮想的とは違うんですけど、高畑さんの話をするときに――昨日もそうなんですけど――毎回高畑さんの話するときに、その当時の怒りが込み上げてくるみたいで……。

鈴木:いや、そりゃ色々ね。高畑さんって……曖昧じゃないからね。昔、押井守雑誌で対談したときに、押井守が『赤毛のアン』の第1話、これが僕がアニメーションをやるときに非常に大きな影響を与えられた。簡単に言うと、30分の話を30分でやっていた。こんなことテレビシリーズでやっていいのか。それで勇気づけられた思い出がある。そこに描かれていたのは日常を描くっていうことで……って言った瞬間、高畑さんがね(語気を強めて)「あなたが使ってるその『日常』っていうのはどういう意味なんですか」って言ったのよ。そしたら押井さんがね、黙りこくったんだよね。

庵野押井さんを黙らせるっていうのすごいですよね。

内藤:やっぱり高畑さんにはありますよね、そういうの。

鈴木:仮想的ではないんだけど、ねえ。

庵野:「ねえ」とか言われても僕知らないですよ(笑)

鈴木:うーん、甦るんだよね。

 

ナレーション

 

鈴木:宮さんにとっての仮想敵は? わかりやすいよね、高畑勲だよね、やっぱりね。

庵野:ずうっとそうですよね。

鈴木:そう。いまだに毎日喋ってて、誇張すれば半分は高畑さんの話だもの

庵野:いや、そうだと思いますよ。

鈴木高畑さんがいるから作ってる。高畑さんが作ろうとするから作る。おまけに高畑さんに作ってもらいたい。それが変わってないもんね。この期におよんでね、画コンテ描きながらね、「こういう画コンテ描いたらパクさん(高畑)に叱られる」って(笑)。なんちゅー純粋な人だろうと、そこは。

庵野:何回も挑戦してますよね、高畑さんを超えようと。そのたびに思い知ってるような気がします。

鈴木:やっぱり宮さんはね、高畑さんという大きな存在に包まれてる、と自分で思ってるんだよね。面白いんだよ。

??:(聞き取れず)

鈴木:やっぱり、ありますよね。まったく宮さんは宮さんの道行け、だから俺は勝手に行く、じゃないんですよね。やっぱり宮さんという人と一緒に作って来たわけでしょ。それで作ってきた人が、こうやって世間から認められて。それでいま作ってるものに対して、誰よりも関心が深い。誰よりもその内容を見返して、内容を把握して、それを自分のなかで整理しようとする。気を許すわけにはいかないよね。それが自分にある種の緊張をもたらしてるのは確か。それは高畑さんすごいですよね。だからそういう人が、誰かがいるから俺もやるみたいなことは大きいですよね。だから押井守もそうだったね。もし宮さんがいなかったら、宮さんみたいな映画作りたかったって。同時代に宮さんがいるから、俺はこんな変な映画作るんだと。自分で言ってましたけど、「変な映画」って(笑)

庵野:いいですね。

鈴木:『スカイ・クロラ』見た?

庵野:あ、見ました見ました。

鈴木:どうだった。

庵野:僕はまあ、面白いかなと。

鈴木:そうなんだ。「かな?」。

庵野:かな、と。

鈴木:どういう意味それ、「かな?」って(笑)

庵野:とりあえず寝ないで最後まで見れた(笑)

鈴木(笑)

 

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035736

2012-11-25

エヴァQのまともな見方

ネットサーフィンしてるといやでもエヴァQの感想がめにつく。

やれループだやれ巨神兵だやれミサトさんひどいだ……。

どうしてそんな穿った見方しかできないんだろう?

とりあえずどうしてもエヴァループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、

巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、

ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。

しかエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。

とくにテレビ版と旧劇はそういう性格が色強くでていたと思う。


けれど、新劇はまったく違うストーリーの描かれ方をしている。

新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ


それは序、破ではみんなわかっていたはずで、

かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。

でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。

繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。

そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。

前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。

エヴァQという作品の肝心な部分は、

碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。


直行って第壱話からぼくはなんでシンジエヴァに乗ったのかわからなかった。

そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、

その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。

時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。

そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。

あのシンジさんに感情移入できるという無自覚なリア充

どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。

もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。

それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、

旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。

それとベクトル真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。

綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。

僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。

こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。

でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブ綾波アスカ快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。

そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。

14年後って設定もヴンダーデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。

面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。

見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。

見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。

というより、自分映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、

とてもしっくりいくことに気付いた。

起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。

あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感

冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。

崩壊したネルフ本部、アヤナミレイに覚えてしま嫌悪感

24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。

そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、

自分関係ないといったような無責任感情

そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。

なにもかもが手に取るようにわかったのだ。

いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。

でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。

そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。

ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』

みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル

もしくは親から先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。

エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。

逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジ視点によってあげてほしい。

いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる? 

いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。

伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、

描くべきものというのがあるはずなのだ

これは厄介なことに巻き込まれた14歳の少年ドラマだ。

そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、

学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ

しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。

観ることで自分現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。

そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか

なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。

僕は、エヴァQは一つアニメ新天地を切り開いたと思っている。

あのテレビのエセ心理描写なんかじゃないほんものドラマを、

少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。

冒頭の宇宙描写の精緻さが話題になっていたけれど、それと同じように、

キャラクターの気持ちを精緻に描いてみせたのが、エヴァQなんじゃないかね。

2012-11-24

ヱヴァンゲリヲン疾走する。情弱は追いつけない。

音楽評論家宇野功芳に「メータ(注:インド出身指揮者)のブルックナーなど聴くほうがわるい、知らなかったとは言ってほしくない」という言葉がある。

その言葉にならうのであれば、本作を過剰に批判する側にも、称揚する側にも、「ヱヴァンゲリヲンはそういうものなのだ。知らなかったとは言ってほしくない」の言葉を添えたい。

「Q」はアップデートされた「エヴァであるから「旧作の狂気が帰ってきた」と称揚する評は間違っている。「意味がわからない、映画としての書法をなしていない」との評価も間違っている。

見る側を常に裏切るのが「エヴァなのだ

庵野新劇場版を作る前の宣言文でいった。

「この 12年間エヴァより新しいアニメはなかった」と。

その言葉伊達ではなかったと、冒頭シーンで感じないものがいればそれは不感症なのだ

あの冒頭シーンを見てこの作品を全否定するその神経が分からない。

そう、まずはヴィジュアルの評価から入ろう。

状況の分からない空間戦闘からノーチラス号の発艦シーンまでの息詰まる緊張感と圧倒的なヴィジュアルにため息をつかないものがいるとすれば、それはブーレースの演奏するマーラーを前に「精緻にすぎる」などと見当外れの批判をする童貞ラヲタのようなものだ。

圧倒的な美しさ、スタイリッシュさ、その疾走にはに頭を垂れるしかない。涙は追いつけない。

参照される古今東西映像作品の断片に庵野の美意識が振るわれ、結晶として屹立するその様はベルント・アロイス・ツィンマーマン音楽を思わせる。

ネットにもビジュアルに対する批判は少ない。

あるとすれば、脚本、演出による。

しかし、どれも的外れものに過ぎない。

いくつか代表的なものあげてみよう。面倒なので3点に絞る。

1.いみがわからない

私も意味がわからなかった。もう自己パロディしか思えないほどのとっちらかった謎、伏線、設定に呆然とする気持ちはわからないでもない。

しかし、こうした要素は「わからない」ことも含めて、自らを「サービス業者」と規定する庵野の「サービス」であり、そのインタビューにもあるように「酒のツマミ」として楽しむべきものなのだ。すでに2ちゃんには解釈をめぐりいくつもの「名解釈」が登場している。そこにエヴァ本質はないのでその解釈論争の成立自体「そういうもんだ」と楽しむのが正解だ。「しらなかったとは言ってほしくない」

だいたい、我々が生きているこの世界自体、意味がわからないだろう。

2.登場人物の行動に整合性がない

そうだろうか。ある程度登場人物のおかれた状況に寄り添って、「補完」すれば整合性は保たれてはいいか?たとえば「破」で「行きなさいシンジくん」と煽ったミサトが「Q」で別人のように冷淡だというのも「ミサトの14年間の辛苦」といったもの忖度すればあながち整合性がとれないわけでもない。

だいたい、我々が生きているこの世界の人物自体、行動に整合性がないだろう。

3.リアリティにかける

ゲンドウと冬月の「二人のネルフ」はどんな金で動いてるんだとか、吹きっさらしのグランドピアノがなんであんなに綺麗なんだよ普通さびるだろとか、まぁ分からないでもない。

しかし、エヴァとは「私小説なのだプライベートフィルムにおいて、美意識表現される「わたくし」の前に「世界」のリアリティはある程度犠牲になるのだ。

つーか、あの廃墟、ぐっとくるじゃん。それでいいんだよ。

だいたい、我々が生きているこの世界の自体、リアリティがないだろう。

同様に依存症にも似た称揚にも目が当てられない。

4.狂ったエヴァが帰ってきた。俺たちのエヴァだ。

どこ見てんのかね。この「狂気」は完全に「作った狂気」だ。綺麗にまとまりすぎているし、旧劇場版アドリブ奏法のようなどこに行くのかわからない狂気ではなく、計算された狂気だ。

「序」と「破」をいったんたたき壊すための仕掛けであり、旧劇場版の「狂気」に魅せられて未だに90年代から一歩も動けていないものへの「釣り針」だ。

から、この「狂気」に「狂喜」するものは救いようがない。

この作品は「シン」へのかけ橋である以上、注意すべき点は以下の3点に絞られる

・旧劇場版とほぼ同じ立ち位置にいる「無限に後退していくシンジ」をQで再度設定しながら、決定的に違うのは旧劇場版シンジの周りにはダメな大人と壊れたアスカしかいなかったのに、新劇では導き手としてのアスカとマリが設定されていること。

・旧劇場版で「鬱シンジ」を否定し、「序」、「破」で設定した、ポジティブな「シンジさん」(セカイよりもポカ波を選んだシンジ)も「Q」で全否定したこと。

・露悪的な破壊の中で、通奏低音のように「やり直し」「成長と大人になること」「社会とつながること」を流していること。

上記を踏まえると、庵野<旧劇場版で引導を渡したはずの「エヴァ」に依存するヲタク>をもう一回、別のアプローチ説教しようとしているように見えて仕方ない。ヒントは同時上映された「巨神兵東京に現る」に流れていたようにも思える。

我々は上記3点の「伏線」に「シン」でどうオトシマエが付けられるのかを見守るべきであり、やはりつまらぬ結論ではあるが、それまで判断を留保すべきなのだ

つーか、こういう厨二病全壊な文章をかかせるエヴァさいこうって話ですよ。

2012-09-18

オベリスク巨神兵ってなんなん?

なに、「の」って。どういうことなん。意味わからんのやけれど。

主格でも所有格でも意味が通らん。オベリスク巨神兵なわけがないし、オベリスク巨神兵を所有してたら恐ろしい。

だってオベリスクなんだぜ? 神様でもなければ人物名でもない。単なる建造物なんだぜ?

いや、単なるってのは語弊があるけどさ。でも、物であることには変わりないじゃない。

ラーとかオシリスを見てよ。神様だよ神様。片や太陽神、片や惑星名前にもなっているほどの神様なんだよ。

なんだよ、オベリスクって。塔じゃん。石から切りだされた、量産型の記念碑じゃん。

なんでそんな名前を冠した奴がさ、神様と同列に語られてんの。おかしいじゃん。逸話ないじゃん。

海馬の顎の角度と似てるからってさ、もてはやしすぎてる気がする。

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