だから、恋愛観を語るには社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけないんですが
元増田は「男性の恋愛観」を語っているんです。その論拠が無茶苦茶です。ざっくり説明しますね。
元増田の主張。
・元増田はまず、ホモソーシャルはホモセクシャルに由来する言葉だと説明。
「男は本来、同性愛である。同性愛を回避するために、女とは体目的で付きあう。女を愛さない。これが男の恋愛観である」と主張
・男は皆、アッー!だけど、そうならないために女と付きあう。
→フォモフォビアとミソジニーを、文字訳通りに受け取り、ホモソーシャルとホモセクシャルを混同している。
実は、ホモソーシャルの説明のなかに「女性を貨幣と同じように交換する」という一文があるんですが
これは、社会や組織を継続する目的で、女性の存在が手段として扱われていることを説明したものなんですよ。
具体的には家父長制や政略婚で、女性が使い駒にされてきたことを話しているんですが、元増田はこれを「体目的」だと解釈して誤った主張を繰り返しています。
ホモソーシャルの概念が、観念に置き換わっているし、なぜ性愛の話にすり替わるのかも意味不明。
また、ホモフォビアやミソジニーを単語レベルで解釈していて、概念中の意味を無視している。
私の主張は、
・ホモソーシャルは、男性の同胞社会や男性権力社会のことを言う。ホモは「同一」という意味の接頭語であり、ホモセクシャルと混同すべきではない。
・ホモソーシャルの成立要件に、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性蔑視)とあるが
社会化していること(性愛とは別ですよ)をホモフォビアとし「社会を維持継続させる目的の中で、女性を手段として扱うこと」がミソジニーである。
・ホモソーシャルの概念を「ホモソーシャルだから、男はこんな恋愛観だ」などと、心理学の原型のように使うものではない。
・「◯◯観」は個人的なものの見方である。「ホモソーシャル」で語れるのは関係性まで。概念を観念的に使えない。
あ、追加でレスがついてた。
それこそこの増田は作用と反作用しか論点にしていないし、「社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけない」は蛇足にしか見えないのだが。
元増田は、ジェンダー用語を用いながらも、生物学的な話をミックスした持論を展開しているんですね。
にも関わらず「こうではないか?」「僕はこう思う」という話ではなく「男性はこういうものです(キリッ」と断言しています。
ジェンダー用語を用いるなら、社会学的に(近代化で恋愛を啓蒙した流れなど)語らなければおかしいでしょ…という話です。
いえ、階層にすらなっていない話です。元増田の話はトンデモです。
生物学的には男性は体目的であり、女性は恋愛依存症であるとされています
ただ、恋愛依存症の女性は男性にモテないので、体目的になります
これが社会学です
ジェンダー用語を用いるなら、社会学的に(近代化で恋愛を啓蒙した流れなど)語らなければおかしいでしょ…という話です。 これは、理屈として違うよ。 君自身が 元増田は、ジェ...