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2022-10-26

ロマンティクラブ信仰

恋人ロマンティック・ラブによって結ばれてるのはある意味当然の帰結として、なぜ夫婦までがそうでなければならないのかマジで意味からいから教えてくれ。

夫婦ってそんな神聖ものでもなんでもなくてさ、再生産の場であり単位なわけじゃん。近代社会ではそこに性別役割分業によって、賃金にならない仕事を担わせる意味もあったけどそれは過去の話。ただそれを除いても再生産の場であることに変わりはないわけで、何かの目的があって2人が共同生活するものから目的なく、「ただ一緒にいたい」の恋人とは全く違う。なのになんでこんなにも「恋人夫婦」になっちまったんだ。

ロマンティック・ラブって結構辛くないかだって、雨の日も嵐の日も戦争が起こっても旦那兵隊に取られても、妻の金遣いが荒くても、旦那の酒癖が悪くても、常に仲良く愛し合わなきゃいけないし好きじゃなきゃいけない。しか夫婦問題は「2人の問題」として社会から無視される。

家と家の結婚だったらそうじゃない。最初から再生産と共同生活の場」だから別に愛し合ってなくてもいい。夫婦仲の問題は2人の問題じゃないから、配偶者に不満があるなら配偶者の頭の上がらない人物(親、上司君主主君)に手紙文句言って解決してもらえば良い。稼ぎが悪かったり酒癖悪かったらさっさと離縁して、紹介者に文句を言って別の相手再婚すれば良い。そっちの方が簡単じゃないか

あと「子作りのための夫婦なんて幸せじゃない!」って意見があるかもしれないけど、むしろ愛するが故の遠慮や期待や思い込みがあってストレス多いと思うよ。最初から再生産のための共同生活って割り切ってれば、願望、得意不得意を先出ししたりルールを話し合いやすいでしょ。ロマンティック・ラブは愛でなんでも乗り越えられるから、そういう話し合いや無機質なルール抵抗感があるんだよ。

2022-06-15

anond:20220615153030

ロマンティック・ラブイデオロギーまで心酔せずとも、誰だってつがい」になり孤独死せんようにしようという、自分の生の矜持なのである

anond:20220613094136

LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚批判する議論はありますぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます

まずゲイ男性同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的交流交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定相手との排他的関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターン自分たちが創り上げた独自ライフスタイルゲイライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。

もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代ヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています

もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアンフェミニスト的な立場人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たち模倣するなんて…という抵抗感もありました。

そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですからさらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。

こういう流れを一変させたのが、80年代AIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVAIDSは、発症抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地ひとつとなった米国ゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市コミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまりパートナー医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。

結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもありますAIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験想像ゲイレズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピック海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由享楽的ゲイライフ」という夢の先にある、生活者としての現実シリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが自分後者だと思います

AIDSパニック以後、ゲイレズビアンアクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護ニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者法曹支援者同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージチョーンシーの『同性婚 ゲイ権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。




というわけで、実は元増田意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアンゲイコミュニティでの典型的同性婚批判ロジックとしっかり符合してるからです。

自分同性愛者だったら絶対結婚とか目指さんけどな

だって結婚って異性であることを前提とした文化制度法律じゃん

そんなもん同性パートナーとのルールとして採用したくないわ


これは上でも書いた「異性愛前提の制度模倣従属すべきでない」という声。

それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい

それが多様性だろ


これは「既存結婚制度に縛られない、よりフラット意味合い法律関係シビルユニオンPACSパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります

よく話聞いてると同性婚目指してる人たちって、結婚恋愛のゴールだと思ってる節あるんだよな

から同性愛者にも恋愛のゴールとして結婚させろと言ってるみたいでアホっぽい


恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義ロマンティック・ラブ・イデオロギー模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイ歴史学者で「自分同性婚法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認象徴なんですよね。その関係行政公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います

元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアンゲイコミュニティだと思います

2021-05-12

反出生主義者がロマンティック・ラブイデオロギーを殊更に敵視しているのが意味からないんだよなあ

現実に溢れている結婚生殖ロマンティックとはほど遠い妥協と打算の結果が大半なので

この世の中にロマンティック・ラブイデオロギーが浸透しているならば出生率もっと下がると思う

恋愛に夢見る女がそんなに多かったら、寧ろ白馬王子様(比喩)を待って生涯独身になる女が増えるでしょうに

あと私は生殖に繋がらない恋愛って、それこそもっとロマンティックだと思うし

本当にロマンティック・ラブイデオロギーの信奉者だったら寧ろ反出生主義になるだろ!と思うので

2020-11-15

なんだかんだでみんなロマンティック・ラブをしたいってわけね……!

2020-07-25

優生思想反対」というのはわかるんだけど、「ロマンティック・ラブイデオロギーに対する揺れ戻し」としての「俺の子供とか愛する人の子供とかより、優秀な遺伝子受け継いでる子供育てる方がよくない?w」程度の軽口を何が何でも許さないのは、単にロマラブ(略)の特権性を守りたいだけなんだろうなぁと思うよ。「優生思想」とやらを批判する人々は、それと同じくらい「人と人が愛し合って家族を作る生活こそが健全だ」というシスヘテ特権思想批判しているのだろうか?

2013-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20130425100049

元増田に間違いを指摘してる増田です。

DQN礼賛は言葉は悪いけど、どなたか社会学者さんもその手の発言をしていた記憶

恋愛で頭がのぼせて結婚~は、ロマンティック・ラブイデオロギーの最もたる効果」みたいな話をしてた。

から「それまでにはなかった価値観が、民話によって社会に広まる」ことが多々あるんじゃない?

それは社会に対する希望であったり、また「そういう社会を作ろう」という啓蒙でもあったわけで。

そうなんですよ。これは社会学教科書に書かれているだけじゃなくて、

文学史の初期の方に近代化の話はすでに出ていて、恋愛観が啓蒙されたものであるのは周知の事実なんですよ。

から恋愛観を語るには社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけないんですが

元増田の主張は「ホモソーシャルから同性愛回避のために男は体目的で女と付きあう」なんですw

二者間の作用反作用しか言ってないし、お前ホモソーシャル概念がわかってないだろwと、同じことを言い続けているわけです。

2008-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20080814190930

恋愛至上主義は「愛はあらゆる事に優先する」だろ

本来の意味での恋愛至上主義ロマンティック・ラブイデオロギー)と

はてな界隈で用いられる「恋愛至上主義」は意味が異なると思う。

後者は「恋愛や性の商品化」「コミュニケーション能力万能主義」(恋愛強者=高コミュ人間経済勝ち組を前提として)

非モテ迫害」などを指すのだと思われる。

 
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