はてなキーワード: 創作物とは
A子とはあるネットで知り合い、相互フォローする間柄となった。A子はオタ話以外にもコスメやファッションの話題もつぶやくタイプ。私生活が忙しいらしく、オタイベントにはあまり顔を出さなかった。去年、珍しくイベントに来たことがあり、たしかに垢抜けた人だと思った。顔は特別美人じゃないが、お洒落でカースト上位感はプンプンした。ただしカースト上位と下位が交わった時の宿命なのか、下位側が変に下手に出るというか、自虐や太鼓持ちをする人が出る。必要以上に「A子さんすっごい美人!」「私なんて〜」とかやっちゃうやつ。
イベント後、A子はツイート(主に自分語り)が増えた。アレを買った、これはオススメ、とかは良い。ただ自慢話が増えたのが気になった。ちょっとした褒められとかもそうだけど、目につくのはモテ自慢。
A子はオタクに見えないし、それなりの恋愛経験はあるように見えた。けど、ファンクラブができる(?)くらいの美人というにはちょっと厳しい。ていうかリアルでファンクラブができるなんてことがあるんだろうか…。私の高校には後にモデルになるくらい可愛く爆モテの女の子がいたけど、彼女にもファンクラブはなかったと思う。
褒められも、職場(良いところみたい?)の人に頻繁に容姿を褒められているみたいだけど、プラスとはいえ同僚の容姿にがっつり言及する職場ってかなり微妙じゃないか?と思うようになっていた。
全部が嘘とは思わないが、盛っている感がかなりする。結果、一部のフォロワーは彼女の信者みたいになり、一部は彼女をヲチ対象にしている。
A子は創作物も悪くないし、ノリも楽しいのに痛い人として小馬鹿にされてるのがしんどい。その上私自身も前ほど純粋に交流を楽しめないし、痛さに辟易してしまっている。以前よりイベントに積極参加するようになったA子からのアフターの誘いを、どう断るか悩んでいる。
そいつは等身大で二次元的ではなく三次元的なキャラ作りと評価していたが、正直今の創作物からそれらがすっぽり抜け落ちてるだけなんだよね。だから今になって80年代回帰が緩やかに起こると、かつての表現が非常に新しく見えてきてしまう。それらはかつて90~2006年代の属性(ツンデレ・ヤンデレ・妹等)の多出によって失われたテクニックの一種なんだけど、今になってリアルな人というものそのものが見直されてきて、スポット的に人気になった。みんなそろそろ、というかようやくテンプレ的なキャラに飽きが来てしまっているのではないかと。とはいえかのかり作中にも十分あテンプレキャラやパターンはあるし、80年代だってテンプレとパロディの宝庫だった。多分グイグイ来る女とか見ている男たちが気持ちのいいテンプレは残ってゆくんだろう。個人的にはあんなグイグイくる女や妙に女房めいた決断や決意を迫る女がいたら疲労感を感じるが。
テンプレがなくなれば映画や邦画と変わらなくなってしまいかねないが、全くやってないことをやる土壌は年々失われていると思う。競争激化で冒険することができない。結果的に王道はある程度踏襲される。今はただ巡ってきてるだけかなあと。人間味という測れないパラメーターを重視するのは個人的には好きだけどね。テンプレのツンデレとか連発されるよりいい。
二次創作歴1年。
描くものは恋愛要素なし全年齢作品。基本的に一枚絵ばかり描いてる。
今までにないくらい好きな作品とキャラクターと出会えて、幸せで。彼女たちの豊かな表情や幸せそうな笑顔、何気ないけれど掛け替えのない日常を、自分でも描きたくなって、安易に「二次創作」というものを始めてしまった。
最初は観てもらえるのが嬉しくて、好きを共有できるのが幸せだった。でも、ずっと見て見ぬふりをしてきたことが、いよいよ辛くなってきて、毎日吐きそうになっている。
なぜ全年齢コンテンツで、他人作った創作物(キャラクター)を使って、成人向けの作品を描ける人や、キャラの情事やセクシャリティについて決めつけて発言する人があんなにたくさん、当たり前のようにいるのだろう。脳内の構造がどうなってるのか全くわからない。
キャラクターたちは未成年で、彼女たちがセックスする様子を描いているのは(基本的に)大人という構図がグロい。和姦だろうがなんだろうが、最近はどんな成人向け作品でも、キャラクターの人権を無視したAVにしか見えない。「二次創作(幻覚/妄想)」「コンテンツやキャラが好き(愛ゆえ)」だからという言い訳も、私は受け入れられない。
作中で性的指向を明言されていないキャラやキャラの振る舞いに対して「このキャラは(振る舞いは)レズ」と悪気無く当たり前のように発言も私は嫌だ。そういう発言をする多くの人はきっと「私は同性愛に理解がある」ってスタンスだと思うけど、本当に理解があるなら他人(キャラ)の大切な部分を決めつけたりしないのではないだろうか。
そしてキャラクターの向こうには、彼女たちを演じてくれる生身の人がいる。
トークイベントに参加していた二次創作者が、公式のツイートに反応もしているアカウントでイベントの感想に交えて「●と●の●姦見たい」といった趣旨の発言をしてるのを見かけたときは、殴られたような気持ちになった。生身の人を見て、その上でそういう発言ができるの、普通じゃないと思うのは私だけなのだろうか。
でも散々言っておいて、私もその「二次創作」の界隈のくくりの中にいる。辛い。でも彼女たちを描くのを辞められない。私が描いてるものだって、自分では毒にも薬にもならないと思っているけれど、キャラクターや演者さんを損ねている可能性だって十分にあるわけで。自分が正しいだなんて思っていない。
ただただ「二次創作」をする人たち、見る人たちの「当たり前」が、ずっとずっと、足を踏み入れたときからわからない。理解できないし受け入れたくない。
白人男性主人公が活躍して、役に立たない女性が捕まったりして助けられる、みたいな映画があったとして、そういうステレオタイプにすぐに「良くない」って声があがるのが最近鬱陶しいなあ。
社会派気取ってポリコレ配慮してるように見せかけて実は全然分かってない、とかなら批判浴びて当然だとは思うんですよ。
でも別に単なるエンタメなら、そういうステレオタイプを作りたい人がいたり、見たい人がいても構わないんじゃないの……駄目なの……?
なんかもう最近格好いい女性が活躍して、男性があんまり役に立ってないみたいな描写も溢れかえっててステレオタイプ化してる気がする。でもそういうのは新しいって褒めそやされている。
私も女だから女性蔑視が無批判に描写されてたら良い気分にはならないけど、まあ別に好きじゃないなってだけで、それが好きな人がいても良くない?
「女は馬鹿だから」って描写により、女は全部馬鹿だという認識をする馬鹿が増えるから駄目、って主張なんかなあ。未だに男性優位な社会だから、男は馬鹿であるという描写より、女は馬鹿であるという描写のほうが、悪影響を与える可能性が高い。という理屈。うーん。創作物って、そんなことまで絶対に気にしないとならないほど公共性が高いものかね。
今の社会に新しい価値観を投げかけるみたいな作品も好きなんだけど、ステレオタイプごりっごりでなんも考えなくていい作品だって好き。
っていうかまあつまり、なんの映画でも「マイノリティの描き方でアウトorセーフ」判定があるのを見かけるのに疲れてしまった。
なんもかんもがよく分からんなーー。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 187 | 12746 | 68.2 | 35 |
01 | 73 | 6963 | 95.4 | 31 |
02 | 55 | 9143 | 166.2 | 38 |
03 | 23 | 2712 | 117.9 | 55 |
04 | 26 | 1580 | 60.8 | 31 |
05 | 12 | 766 | 63.8 | 50 |
06 | 18 | 1667 | 92.6 | 61.5 |
07 | 24 | 2883 | 120.1 | 66 |
08 | 138 | 11763 | 85.2 | 40 |
09 | 92 | 11377 | 123.7 | 50 |
10 | 117 | 13279 | 113.5 | 47 |
11 | 109 | 8391 | 77.0 | 44 |
12 | 136 | 13210 | 97.1 | 42.5 |
13 | 105 | 10898 | 103.8 | 48 |
14 | 122 | 8331 | 68.3 | 44 |
15 | 120 | 10243 | 85.4 | 43.5 |
16 | 108 | 15227 | 141.0 | 46 |
17 | 119 | 9965 | 83.7 | 39 |
18 | 87 | 10834 | 124.5 | 42 |
19 | 117 | 11698 | 100.0 | 54 |
20 | 100 | 9950 | 99.5 | 36 |
21 | 106 | 12225 | 115.3 | 38 |
22 | 154 | 30541 | 198.3 | 41.5 |
23 | 220 | 33984 | 154.5 | 40.5 |
1日 | 2368 | 260376 | 110.0 | 41 |
女子教育(5), 自然エネルギー(14), 辰哉(3), レビー小体型認知症(3), 地熱(3), 心霊写真(5), ぼくち(3), 極楽浄土(3), ポピドンヨード(3), 四連休(5), 約款(3), 幽霊(12), 改変(17), デジタル(15), 枝野(10), 関西人(9), 死後(6), 出生率(8), 演説(5), まとめる(11), 連休(9), 一貫(8), 表現規制(6), 裁判官(9), 折れ(6), アラサー(7), u.(6), 大多数(5), 見出し(5), マンション(13), 通じ(12), グループ(15), 脳(27), 売れ(24), 婚活(11), 売り(11), 土地(10), 楽しかっ(9), 確保(10)
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「創作物は現実の見本になる必要はないのに、現実の倫理観を当てはめて改変を迫るのはどうなの?」
いつだって改変されてきたのに、なんで特別扱いすべきだと思うの?
→ ジェンダー観に限った話ではない、って言ってるよ。特別扱いすべきだなんて誰も言ってない。
→ 筆者は思想の影響に限定して問題視してる。対応しようとするとキリがなくて、創作物を消してしまうかもしれないから。
→ 筆者が原作改変のみを気にしていると取れる記述はないと思う。
改変はフェミニズムのせいではなく、世間一般の認識が変わったため
→ 何のせいとかは特に気にしてないでしょ。世間一般の認識に合わせて変えなきゃいけない理由は何?
→ このタイプの考えの人はチラホラいるけど、筆者自身は必ずしもそのようには書いていない。誰が、とか行いの善悪にはフォーカスを当ててはいない。フィクションの将来がどうなってしまうのか、改変をなぜするのか、を気にしている。
読めてない人が多いのにもうため息をつくんだけど、読み返せば答えが書いてあることを質問してる人はなんなんですかね… スターをつけてる人は晒しあげの意図なの?
→ この人はちゃんと答えている。意図しないメッセージだけ限定して消えるなら、筆者が危惧するような破滅的事態にはならないだろう。杞憂だ。
→ クソリプ的だが良いアドバイスだ。そういうのも彼女の問いかけの延長にあるものだ。
売れるから
→ この指摘は重要だ。視聴者の倫理観が売り上げに影響しているだけならば、創作物が繁栄する限りにおいて倫理観の影響があるということになる。改変すればするほど売れる。もしそれが真実なら、何も怖れることはない… 未来は希望にあふれている。
フェミとかポリコレとかBLMとかLGBTとか知らねえけど自由に創作したらいいじゃん
別に「創作物が改変された」とか言ってもTwitterで叩かれたとかそんなんじゃん
Twitterで叩かれたぐらいで折れるなよ
「表現は自由です。批判もどうぞ。でもわたしはこれが表現したいんです。」ぐらい言っちゃえよ。
問題視される創作物が配給会社なんかによってストップされて日の目を見なくなる的な問題はあるかもしれないが、そんなの配給会社のご意向で、商業主義的な問題以外の何物でもないから無視すればいい。
出版社とかテレビ放映とかなくても創作は自由だろ。YouTubeの規約に違反したとしても自分のサイトで公開すればいい。公開して批判が殺到したとしても、無視すればいい。批判も称賛も世間の受け止め方も含めて表現するってことなんだよ。
担当編集にストーリーを改変されるのが嫌ならひとりで描けばいいんだよ。
「フェミニズムのために改変された」とか甘すぎるますわ。正しくは「商業主義のために改変した」だ。「金のために自分が表現したいものをねじ曲げた」だ。その拝金主義をやめりゃ、時代の拒絶に屈する必要はなくなる。金のために作るか、自分のために作るか、選ぶのはテメェだ。
創作物は「A:物語の構造(意味・内容)」→「B:表面的な要素(表現方法・設定)」→「C:読み手の視線(時代・価値観)」で成立する。
で、Cが変わった時にBがそのままだとAの意味が変わってしまうんだよ。
しかし物語で一番重要な部分はAだから、Cが変わったならばBも同じく変える事でAの構造を維持するのさ。
つまりCで変わったものがジェンダー観だろうが死生観だろうが美的センスだろうが、そこが変わったならBを調整する事は物語の構造そのものの要請。
だからこそ銀英伝のように原作者自身がそれを望んだりする場合もあるし、当然読み手側が求める事もある。
フェミニズムのために、創作物が改変されるかもしれないことに、言いようのない恐怖を感じている。
女性が女だからという理由だけで不当な扱いを受けるのは当然嫌だし、男性が男だからという理由だけで不当な扱いを受けるのもおかしいと思う。
そういった、現実に蔓延る性差別を無くしていくためのフェミニズムは、支持している。性による違いは出来る限り理解し合い、なおかつただ性別のみによって差別されることのない世の中になっていってほしいと思っている。
でも、そのために創作物を捻じ曲げるのは、恐ろしいと感じてしまう。
ここで言う創作物は、フィクションを取り扱ったエンタメ作品くらいの意味合いだと思ってほしい。エンタメ作品にも色々定義があると思うけど、「こうしなければならないというような教材ではなく、視聴者読者プレイヤーといった受け手が『楽しむ』ことを主目的とした作品」くらいの気持ちで、この文章を書いていることを念頭に置いてほしい。
ジェンダー観が見直されつつあり、従来の慣習に対して、こんな扱いは不当である、性差別である、という声が上がるようになった(これは良い)からか、創作物に対して向けられるこんな声が目に留まるようにもなった。
「この作品の○○という表現は、ジェンダー観が古いからやめるべき」「この作品内で女性を活躍させるために□□するべき」「この登場人物の△△という価値観は男尊女卑だ」etc.
自分には少し理解が出来ない考え方であるため、あくまでも想像だが、このようなことを主張には「この創作物を真に受けて、現実に同じ考えを持ち込む奴がいるから、創作物を正した方がいい」という考えや、「この創作物内の女性を不当な差別から救わなければ」、「この表現によって自分あるいは他者が傷付く」というような考えがあるのではと思っている。間違っていたらごめん。
私は、前者の意見には「正すべきは創作物ではなくて創作物内の話を現実に持ち込んだその人本人や、世間のの考え方だ」と思うし、後者であるならば「救うべきは架空の存在ではなく現実の人間だ」「誰も傷付けない表現は無い」と思っている。
フィクション内の誤った価値観が創作物に氾濫することで、現実への影響を危惧する気持ちは分かる。
よく議論される題材として「暴力及び性描写のある創作物の影響で、犯罪が誘発されないか」という話がある。この辺の話はこれまでにも散々議論されているので割愛するが、私自身の個人的な見解は「影響があろうがなかろうが、最終的にやってはいけないことをやった人間が圧倒的に悪い」だ。
暴力も、性犯罪も、性差別も、やってはいけないことをやった人が悪い。その行為が現実に可能かどうか、その難易度を問わず、やってはいけないことをやってはいけないのだ。その責は当人にある。
所謂良くないジェンダー観に基づいた描写で、傷付く人がいるのも理解できる。
フィクション内の人物に対して「こういう扱いはこの人物を蔑ろにしている」と言う人に対しては「なんでお前がこの人の感情や幸せを決めつけるんだそれこそ偏見だろうが」くらいの気持ちで憤るが、例えば同じような扱いをされた経験がある現実の人間が辛い感情を追体験して傷付くことは想像に難くない。
それはもう、「この人物は貴方ではない、この扱いや言葉は貴方に向けられているものではない」と言う他ない。出来れば誰にも傷付いてほしくはないが、正直、「誰かが傷付くから」という理由で表現を止めさせることは非常に難しい。
誰もが傷付かない表現は無い。私自身、「こんな表現で傷付く人はいないだろう」というような表現が、一度見ると尾を引くレベルで苦手であるため、創作物で傷付く人の感情も理解できる。
世間的に評価され、CMで何度も流れるドラマの感動的な一台詞が、しばらく脳にこびりつくくらい嫌だった。でもだからと言ってそれを無くしてほしいとは思わない。
世間的に認められているドラマだからではない。自分の感性が少数派だからではない。
私が苦手だから、嫌だから、という一個人の感情で創作物を捻じ曲げたり、押しやったりすることが認められてしまえば、この世から創作物が消えてしまう。
誰も傷付かない表現、創作物は無い。どんなに「誰にとっても傷付く要素の無い、正しい物語」に見えたとしても、傷付く人はいる。少なくとも、私はそれに傷付いたことがあるから。
文句は言ってもいいと思うけど。嫌だと思う気持ちを抑圧してほしいとは思わない。それを理由に創作物を変えたり無くしたりしようとすると、キリが無いのだ。
思ったよりも長々と書いてしまっているが、要は「それがどんなに正しい思想であっても、現実の人間の思想のみを理由に創作物を改変することが認められれば、創作物の世界は完全に変わってしまうのでは」という恐怖を感じているということが言いたかった。
「現実と照らし合わせたときに正しい表現、正しい倫理観である」ことが、創作物の良し悪しを決める価値観となってしまうことが恐ろしい。
これは何もジェンダー観に限った話ではない。
ジェンダー観的に正しい表現であることが、正しい創作物の基準であることになれば、きっと、創作物の世界は一変するだろう。性や暴力、争いを扱うような創作物も、正しく、倫理的で、現実世界のお手本となるようなものであることが求められるようになるだろう。
ジェンダー観を正す思想がどんなに正しいものであっても、それに基づいて創作物を改変することが認めれれば、それ以外の分野においても、基づくものが正しい思想であれば創作物を改変可能になるからだ。
きっとそれが、これから先の社会に求められる「こうあるべき創作物」なのかもしれない。そういう創作物に満ちた世界が、正しいものなのかもしれない。
そして私が愛した創作物は、私を楽しませてくれたフィクションの世界は、おそらくそこには無い。
それが正しい世界だと言うのであれば、私が好きになったものが間違った創作物で、それがあるべき姿になったのだと言うのであれば、私も淘汰されるべき間違いなのだろう。それが正されるということなら、仕方がない。
ただせめて「ジェンダー観の正誤が創作物の価値基準であり、創作物は現実の手本となるよう正すべきという自分の主張は正しいものである」と思っている人達が、ほんの少しでも「本当にこれでいいのだろうか」と考える切欠になってくれたらいいなと思う。
例え真に「創作物を、現代的な正しいジェンダー観に合わせること」が正しい思想であっても、自分の思想が絶対に正しいものであると信じ込むことは恐ろしいことであるから。
私は、現実世界のお手本になるようなジェンダー観の作品も、そうではない作品も、平等に創作物という舞台に上がってほしいと思っている。全ての創作物が、現実の見本になる必要はない。だって創作物はフィクションなのだから。
勿論フィクションなら何をやってもいいという話ではないが、フィクションなら必ず正しくあるべきだという話でもないだろう。私は、そう思う。
偉そうに書いてしまったが、私も自分の考えが絶対に正しいものだとは思っていない。きっと間違っているだろう(そもそも、良い方向に改善しようという思想に反発している時点で、間違っているのは私の方だろうという不安も当然ある)し、もっと良い考え方もあるだろう。
だからこれを見て、「こんな考えは杞憂だ」「間違いだ」でもいいから、現実の思想のみによって創作物を改変することの是非を考えてみてもらいたい。正直滅茶苦茶に叩かれて炎上してでもいいから、一石を投じたいとさえ思う。
私一人が、自分の中でぐつぐつと考えを煮えたぎらせても良い結論は出ない。ああでもないこうでもないと、考えを走らせてくれる人がいてくれればと思う。
そして、現実のジェンダー観がより良いものになることと同じくらい、創作物の未来が少しでも良いものになることを願っている。
<9/22追記>
反応ありがとうございます。
言いたいことが上手く伝わっているような反応も、いないような反応もありますが、とにかく少しでも誰かに考えてもらえたり、考え方のヒントをいただければと思っていたので、どれもありがたい限りです。
私の書き方が悪いために、認識の齟齬がありそうな反応に対する擦り合わせは、大変申し訳ありませんが割愛いたします。(まだ見てくださっているかどうか不明なので……)
>銀英伝
すみません、銀英伝は未読・未視聴のため、その話ではないです。でも件の騒動は話に聞いていて、自分の不安に近い話だなと感じました。
元になる原作がきちんと残されていて、時代に合わせて物語表現のレパートリーが増えるのは私も良いことだと思います。でも現在進行形未完の作品の変容だと、これで本当にいいのだろうかと思わざるを得ない部分があります。
例えば「主人公の男の子が、幼馴染の女の子を救うために戦う」という話があるとして、「戦う力を持たない女の子を守りたいという、単純な動機のために懸命に戦う少年の姿を描く作品」だったものが、やがて「女の子だから守りたいという動機は不純だ、女の子に戦う力が無いのは女性軽視だ」という声を受けたことで「幼馴染と主人公が平等に戦う作品」へと変容していくのも、時代の価値観に合わせた変化なのでしょう。(勿論、元々物語の構成として、やがて後者へ変化する予定だった場合は別です)
「戦う力を持たない女の子を守りたくて戦う男の子の物語」も、「女の子と男の子が平等に戦う物語」も、どちらも素敵なストーリーであって、どちらもあっていい物語のはずだと思うのですが、前者のストーリーは現在の価値観的に間違っているからという理由で、後者に方向性を修正していくべきであるという変容の流れを、受け入れ難く感じてしまいます。私の考え方が凝り固まっているからなのかもしれませんが。
前者の物語が前者の物語として完結していて、リメイクなどで後者バージョンの物語が展開されるなら、単純に「リメイク後もいいけど、私はリメイク前の作品が好き!」で済むんですが。難しいですね。
>ジェンダーだけじゃない
私もそう思います。たまたま私の周りでジェンダーに関する話題が活発だったので、ジェンダー観に関する理由を元に表現やストーリーを変えてほしいという声が多く見られただけで、どこにでもある話だと思います。
切欠はジェンダーに関する話でしたが、それを元に「どんなに正しい思想であろうと、それを理由に創作物を現実のお手本のように整えていくことを、まるで創作物を正しく直してやっていることのように認識していて、本当に大丈夫なのか」と、少し立ち止まって考えてみたかったのです。
>正しいアップデート
必ず、全ての創作物を問答無用で正しくアップデートさせなければいけないのでしょうか。正しいアップデートであれば、創作物に現実世界の正しさという価値基準で手を入れてしまっていいのでしょうか。その必要が本当にあるのだとしても、その改変の先がどうなってしまうのか、私個人としは少し不安に思ってしまいます。
そうですね。批判も自由ですし、それを元に表現を変更するかどうかも自由ですが、表現を変更しなければ「現代の価値基準において正しくない、誤った作品」として評価され続けてしまうのは、なんだか勿体無いと感じてしまいます。創作物も商売の一つなので、売れるためには大多数の評価を取り入れないといけないのも理解はできるんですが……
私が好きな創作物も、「価値観が古い作品」「男尊女卑の作品」「誤った価値観を推奨している作品」というレッテルを貼られただけで終わっているので、そういった現実に照らし合わせた基準にとらわれない評価もなされたらいいなと願っています。
現代の人間にである私には充分魅力的な人物(ただし現実にいたら嫌な奴だと思いますが)に思えるのですが、現代の人間にとって魅力的な人物とは「現実の現代的な価値観において、現実にいたとしても魅力的に思える人」なのでしょうか。
フィクションでしか存在しえない魅力的な人物も、現実の正しい思想においては認められないからという理由で消されてしまうのでしょうか。創作物上でしか愛せないような登場人物が好きな人間としては、少し不安に思ってしまいます。
全くの杞憂かもしれない私個人の思いに対して、忌憚ないお話をいただけて大変助かりました。
自分の考えを一つの文章のみで齟齬なく伝えることの難しさも痛感しましたが、これだけ沢山の方に多角的なご意見をいただく貴重な機会となりましたこと、重ねて感謝申し上げます。
・が、読みなれていない人はそれを読み解けない
・そういう人たちは分かり易い創作物を持て囃す
・持て囃された側は分かり易い内容故にパクリと言われて攻撃されがち
・悪いことしてないのに高尚な書き手(描き手)様から嫉妬されて攻撃されて可哀想…><
って事をクソ分かりにくく書いてあるのが元増田
ここで言う「読みやすい」は悪い言い方をすると「馬鹿でも読める」
元増田はそういうのじゃないと読めない側なんでしょたぶん
× 分かり易い⇔読み辛い(=文章が下手)
みたいな感じだと思うんだが
俺の中ではファンマといえば、今はアビスパ福岡に所属しているサッカー選手のファンマ・デルガド選手だ。
そのファンマが昨日点を取ったらしいので、どんな感じの得点だったのか確認しようとしたがまだ公式のゴール動画やハイライトは上がっていなかった。
そこでTwitterでの福岡サポの反応を確認してみようとファンマで検索してみたのだが、明らかにサッカー選手のファンマの事ではないファンマって言葉が飛び交っていた。
「ファンマ作りました!」「ファンマ作らないんですか?」みたいな会話が飛び交っていて、その日得点したサッカー選手のファンマの話題より量が多い。
「なんだこれ?」と思いつつ、文脈を見るに何かの「ファン」+略語の「マ」という使われ方をしているのだという事は分かった。
「マーケット」では無さそうだし、「マシュマロ」にそういうサービスができた訳でも無さそうだ。
それで軽く調べてみたところ、どうやらファンが自発的に付ける、もしくはVtuberや創作物の作者などが「自分のファンはこれ付けてね!」と推奨したマークを略して「ファンマ」と呼んでいるらしい。
家紋とかヨーロッパ貴族が旗とか盾とかに付けてた紋章みたいなものなんだろうか。
もう、おじさんびっくり。
ファン向けのマークって文化が理解できないし、それが既に浸透している事にも全く気づいていなかった。
まあ俺はおじさんなので時代に取り残されるのはしゃあないとは思うのだが、被ったら喧嘩になったりしないのかなとちょっと心配になった。
こういった無料講座の講師を務めたのは初めてだったのですが、講義の時間配分が掴めずに毎回早めにその日の内容を終えてしまうせいで、雑談で繋ぐことが多くなってしまいました。、全6回だったのですが、それが原因でだんだんと和気あいあいとした雰囲気になっていったんですね。
最終回はカリキュラムとしてもほぼ自習、質問に随時対応という時間だったのですが、皆でほぼ雑談をしていました。
そこで少し調子に乗ってしまい、世間の話題についてはてなーの自分の認識とみんなではどれほど違いがあるか確かめようと思って、フェミの炎上について質問してみたんですよ。
ちなみに生徒は20人ほどで会計系の講義とあってか7割は女性です。年齢は知らないので、見たところ20代~40代といったところだと思います。
宇崎ちゃん騒動について聞いてみたんですが知っている人は何と…皆無でした。(笑)
誤解の無いように先に言っておきますが、私は創作物、かつ扇情的とも言えないキャラクターに難癖を付けているというのがその騒動のフェミに対する認識です。
知らないと言われたので宇崎ちゃんのポスター画像を見せてみたんですが、女性陣からは「そら炎上するよ(意訳)」とか「わざわざそのキャラ?」とかその胸を強調するように見えるキャラクターを起用したことが不快という意見ばかりでした。男性陣はほぼだんまりでしたが、場の空気もあってふさわしくないという意見でした。
たかが田舎の20人でエビデンスもへったくれもありませんし、「嘘松w」で流してもらっても構わないんですけど、「お気持ちw」とか「文脈を知れ」、「ひっそりやれは差別」なんて反論していたら本当に規制されそうだなと。不快なものを見たくないと言われて表現の自由を持ち出すのはいいんですが、やはり大半の人が不快に思っている事実があるようなので、そこを無視して「お気持ちヤクザw」と笑っても多数決社会で数には勝てないよね…と思った夏でした。
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
創作されたものは、なんであんなに気持ちよいものと書いてあるのか謎
性行為がいつから創作物に登場したのか知らないけど、誰かが書き始めたということは気持ちが良い行為だと知った上で書いたんだよな
なんで現代では偏見なく性行為に対して知る機会が少ないんだろう
避妊や病気についてはもちろんだけど、男女お互いの生態なんかも知っておいた方がいいと思う
あと男女以外のLGBTも
派生してレスや浮気や子育てなど、学校で教えろとまでは思わないけどそれまで勉強や部活やバイトやそれ以外の活動してきた子供達が
18歳で成人を迎えて就職して働きだしてからエンカウントするイベントとしては重すぎるんじゃと思う
ここまで思ったけど仮に教えてもらったとして、実際に直面して耐えられるかどうかはわからん
それより、小さい頃から他人をいじめたり馬鹿にするようなことをしないでお互いを尊重するような思考ができるように教育するほうがいいんじゃないか
知識としてはもちろん覚えておくとして
デッサンがおかしい・絵柄が極端に古い・線が粗い・癖が強すぎる・ていうか全体的に拙い
そういった絵を描く人の創作物が大好き
素人目から見てもあんまり上手くないなって絵なのに作品をアップする、同人誌を出す奴はちょっとおかしいから作品の内容が面白い
絵上手い奴の本は絵が描けるから描いたような本が多いけど、絵が下手な奴は絵が下手でも描いてるからなのか強烈に印象に残る本が多い(Twitterの誉め殺し内輪ノリで出るような本は大抵つまんないけどそれでも明確に光る部分があったりしてそれも好き)
ただ絵が下手な奴は割とすぐやめるから困る。続いても上手くなってくにつれて性壁とか展開が普通になっていくやつが多すぎる。
拙い絵でも素朴に描いた同人が好きなだけ。
今なんかみんな絵が上手くなりすぎてるし内容もおんなじようなんばっかじゃん。もっと安易に出せば良いのにと思うけど、自分みたいな人間あんまいないから無理なんだろうな。