はてなキーワード: 判別とは
え、あの癖があって埋もれない声が好きなんだけど
Cute jewelries曲なんて五人しかいないのに、全員で歌うとうづちえりとかもう全然判別つかないじゃん
そりゃ限度はあるし、たとえばあんきらは初期に比べて最近ちょっと声作りすぎじゃね?って思うこともあるけど、その点みくにゃんはいいバランスだと思ってるよ
男性特有のタブーといえば毛髪だと思っている女性は多いだろう。確かにハゲは深刻な問題だ。しかし、ハゲは外見で判別できるのためデリケートな相手に対して話題を避けることが可能だ。
フサメン同士で「いよいよやばいとなったらスキンヘッドにするよ!」「そうだな。俺もそう覚悟を決めてはいるけど、本当にその時が来たら決断できるかなー」「確かに。ばっさりいくのは淋しいよな」「だよなー」こんなふうに会話を交わすことは容易い。
しかし、ちんこの皮かむりに関しては、裸にならないと確かめようがない。そのため、話題にすることが非常に難しい。少なくとも私は20代以降、他人と包茎についての話をしたことがない。
10代の頃、皮が剥けるか否かは思春期の男子にとって重大な関心事であり、また、近い将来のイベントとして捉えられていた。10代の包茎は童貞と同じく、無垢なるものの象徴でもあった。
だが、成人が近づくに連れ、焦りが生じ始める。一向に剥ける気配がないのだ。手で何とか剥こうとするも、固いし痛いしで、とても剥けそうにない。
チョモランマに降り積もった万年雪のように、私の先っちょの皮が動くことはないのか。春は来ないのか。タートルネックを頬の辺りまで持ち上げて手術を誘うイケメン風の男が夢に出るようになった頃、突然にそれは剥けた、
ひょっこりと現れた亀頭は生々しいピンク色で、少し触っただけで痛みを覚えるほど敏感だった。つ、ついに剥けた・・・、感動に打ち震えていると、ひゅるんと音もなく皮がまた覆い被さってきた。
うむむ、これはぬか喜びなのか?一瞬の幻なのか?とがっかりしたが、この後、徐々に剥けている時間が長くなり、数ヵ月後、ついに皮が被さることはなくなった。
よかった。私は包茎ではなかった。安堵といくばくかの自信に包まれて私の20代はスタートしたわけだが、このまま包茎だったらどうしようと深刻に悩んでいたことは鮮明に覚えている。
そのため、大人になってから、包茎に関する話をしたことはない。自分から話を持ちかけることはもちろん、他人から持ちかけられたこともない。
ただ、ひとつ大きな疑問がある。
男性の約70%が包茎だといわれているにも関わらず、私は、銭湯や温泉で包茎の大人を見たことがないのである。
全員の股間を凝視しているわけではないのだが、目に付く大人はみんなちゃんとずる剥けている。
この70%という数字が間違っているのだろうか。
「刑事罰の対象でない」というだけで不法行為と合法な行為を一緒にするんじゃねぇよ!
アップルは最近、プライバシー保護について強調してきてるので、今回の決定もユーザのセキュリティの為なのだと思います。
セキュリティリスクについての知識が乏しい一般人でも安全にwebを利用できる必要があり、web広告がらみのマルウェア感染は大きな問題となってるので対策するのは妥当ではないでしょうか。
ほんとは広告業界がなにか対策をしていれば、アップルも今回のような決定をしなかったのでは?と考えてしまいます。
広告ブロックの利用に反対する人は、まずセキュリティ問題について語るべきではないでしょうか。
コンテンツの窃盗などに例えてられたりしてますが、webではコンテンツやサービスの利用に至る経路について考える必要があるかと。
webではリンクを踏んでコンテンツのあるサイトやサービスに移動するのですが、実際に移動するまでどのようなサイトなのか分からないことも多々あります。
通信料が気になる場合、見るか見ないかの判断を下せるのがサイト表示後では困るわけです。
判断のつくリンクだけ踏めばよい、という考え方もあるかもしれませんが現在のwebの使われ方から考えるに、非常に不便なものとなってしまいます。
このように、web外でのコンテンツ購入のような、明確に選択をするフェイズが存在しないことを考えないと、非現実的な意見になってしまいます。
専用アプリがあるサービスは、アプリの導入というやり方でユーザが明確に選択をすることができるという点で、問題になりにくいと思われます。
通信料をTVの電気代に例えてる人が居ますが、スマホだって電気代はかかります。
しかしスマホでも広告表示に関連する電気代に怒る人が居ないように、電気代は話として無視できるほど十分に小さいものであり、通信料と比べるようなものではないかと思います。
広告ブロック利用への反対意見には、全部の広告を受け入れるか、全部の広告を拒否するか、の話になってるものが多い気がします。
そうではなくブロックツールはユーザがサービスを選択する為の手段としてとらえるべきです。
サービス側はユーザが広告ブロックを有効にしてるか判別できるので、対応を決めることができます。
ユーザは使いたいサービスはホワイトリストに入れればいいわけです。
ユーザに選ばれるサービスは収入を得られ、選ばれないサービスはそうでない、という当たり前のことを実現するためのものです。
めんどくさい場合は、信頼できる広告会社だけをホワイトリストに入れるというのもありでしょう。
まだブロックツールは有料らしいので、すぐには大きな影響は出ないでしょうが、広告会社や各種webサービスは何かしら対策をしてくると思われます。
広告ブロック回避をさらに回避するツールが出る、とか、技術はいたちごっこになりやすいですが、多くの人たちはいちいちそれらをキャッチアップし続けることはないのでは、と思ってます。
某週刊少年漫画ジャンルで乱発されている商業ベースの版権元無許諾のアンソロジー(※海賊版アンソロ、違法商業アンソロなどとも)の現状について周知し、今後、問題点を認識しないまま無許諾アンソロジーに寄稿する同人作家が出ないよう、また購入する人に対し注意喚起を行いたい。
※アンソロジー本がすべて違法なわけではありません。 書店に並んでいる商業アンソロジー本の中には公式が監修して正式に出版されるものがあります。「(版権者)監修」や(c)マーク、正式タイトルやロゴの使用などで判別可能です。これらの本を買ったり、執筆する事は公式に認められた立派なファン活動です。
(9/8追記:(c)マークはあくまでも著作権者を示すマークであり使用許可とイコールではないのですが、商業アンソロ本で「(c)マークでわざわざ著作権者を示しているのに非公式」というのはかなり特殊なケースと思われるのでこのように書いておきます。)
そのため
→版権元が「作品のイメージを損なう」「利益を損なう」と判断し措置をとる可能性がある。実際過去に権利者からの警告・注意・提訴が行われたことがある(→ヘタリア、十二国記、ガンダム、トライガン、ときメモ等)。その場合の措置対象が無許可商業アンソロにとどまるとは限らない。
このような事態を招かないよう、寄稿者、購入者だけでなく、二次創作に関わる者が無許可商業アンソロの問題点を認識し、行動を自重していくことが必要ではないでしょうか。
言うまでもないことですが、個人による二次創作活動は「個人の趣味を逸脱しない範囲で」黙認されているにすぎません。
個人が対価を取って同人誌を頒布するのは、印刷代・イベント参加料などのファン交流に伴う経費をファン間で立て替えているのであり営利行為とみなさないという風習で見逃されているだけです。しかし企業に原稿を渡し対価として稿料を受け取る行為はその範疇には含まれないという事が理解できない方はいないでしょう。
当然、二次創作を公に認めていない公式が動けばこれら全ては違法となります。公式の二次創作に対する見解を問う事はなんの解決にもなりません。(→芳文社や小学館などの二次創作禁止(?)ガイドラインの真相について、出版社の中の人が解説してくれました。)
しばしば誤解している人がいますが、二次創作物は無料公開・配布であっても原作の著作権を侵害していることがほとんどです。したがってこの記事では、二次創作活動自体の内容、是非を問う事はしません。
著作権者の許可を得ずに発行されている商業アンソロジーです。問題点をご理解いただいたうえで、購入するかどうかご判断ください。
無許可の商業アンソロが刊行されるのは、当たり前ですが、購入者がいて儲かるからです。
購入者一人ひとりが問題の一端を担っているという事を理解したうえで行動していただけるよう、願っています。
無許可の商業アンソロは寄稿される原稿がなくては成立しません。加えて、影響力の大きな描き手が無許可商業アンソロに寄稿し、堂々と宣伝していることから、二次創作への知識が不十分な層がアンソロについて誤った知識を持ちつつあります。
しかし、実際は寄稿する作家の多くが「いけないことと知りながら」寄稿しているように見受けられます。その理由は個別にあるでしょうが、ほとんどは「みんなやっているから大丈夫」「商業誌に載ることはステータス」というような安易な考えのもとに行われているようです。寄稿する方々は、寄稿・執筆することで、結果的に上記のような重大な問題をはらんだ無許可商業アンソロに協力している状態です。今一度、自分の行為について考えていただければと思います。
また、同人サークルに執筆・寄稿依頼があった場合、依頼内容が版権公式であるか否かを確認することをお勧めします。
私個人は、以上のような理由から無許可商業アンソロを拒否しますが、この記事を読まれた方がどのように判断され、行動されるかを強制するものではありません。
二次創作同人にはさまざまな問題があり、無許可商業アンソロだけを槍玉に挙げるのは間違っており、正当性がないという意見もあるでしょう。
しかし、上記に挙げた問題点を「問題ではない」と言う方は少ないと感じています。何が問題かぴんとこない方は、ぜひこの機会に調べてみてください。「同人誌 著作権」「コミケ 著作権」などと検索すれば、いろいろなページが出てきます。勿論、この記事を含め、必要な情報を取捨選択し、判断を下すのはあなた自身です。
ヘタリアの無許可商業出版物に関する幻冬舎の謹告:http://www.gentosha-comics.net/hetalia/2010/05/oshirase3.html
ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件のwikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8D%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (経緯最終段落にアンソロ提訴の言及あり)
十二国記の無許可商業アンソロに対する講談社の謹告(アーカイブ):http://web.archive.org/web/20090623021846/http://shop.kodansha.jp/bc/books/junikokki/kinkoku.html
トライガン無許可商業アンソロに対する原作者のコメント(アーカイブ):https://web.archive.org/web/19991005041701/http://www.din.or.jp/~nightow/EFefnow.html (9/9追記)
前から思っていたのだけれど、ホームで次発(次に来る列車)に乗りたいとき、2つパターンがあると思う。
①先発待ち列の横に並ぶ
②先発待ち列に並んで列車が来たら前へ進んでいき、そのまま次発を待つ(先頭に立っていたらそのまま立ち尽くす)
どちらかのパターンに統一されていればそれで問題ないのだけれど※、
①の人からすれば横で待っていたのに先発待ち列に入れないのはおかしいとなり、
②の人からすれば次発待ち列が定められているわけでは無いのに、横に並んでいた人が割り込んでくるのはおかしいとなるからだ。
鉄道会社や駅によっては次発待ち列が定められている事もあるけれど、
これが必要な駅に無い事も多い。
駅によってはホームの幅的に出来ないところもあるだろうけれど、出来るのにそうしない駅も多いと思う。
統括するにはまだ早いと思うのだけど覚書。
【1】一連の騒動について
【2】デザイン的に見てどう思うか
【3】佐野氏に同情できるか
【1】一連の騒動について
サノケンのエンブレム取り下げまでの一連の事件を振り返ってグーグル会長が書いたエリック・シュミット『第五の権力』を思い出したので書いておく。
まず第五の権力とは何か。
行政、司法、立法の3つの権力に対して今まで報道を第四の権力となぞらえていた。それを本書でエリックは第五の権力のことを、全世界の人がオンラインでつながったことで手にする力と言っていて、つまりインターネットをもった我々のことで、有体にいえば『炎上』のことである。
で、サノケンの炎上だけど、これまでの炎上と明確に一つ違う点があることを留意しておきたいと思う。
海外のデザイナーやフォトグラファーらとニュースを通じてオンライン上で繋がり、情報が次々と提供され、外堀を着々と埋められてしまって国はもう言い逃れできなくなってしまった。
恥の文化がある日本人にとって、海外のリアクションはすごく耳が痛かっただろうなと思う。
で第五の権力、つまり『炎上』についてまだまだ日本で過小評価されているような気がする。
佐々木俊尚氏に限っては、いまだにネット民の自制が必要みたいなナイーブな話をしているし、茂木健一郎氏は、権威者層に対する下位層による妬み、対立みたいな話になっている。
いやいや、デザイナー・広告業界からのタレコミが多かったと思うけどな。政府関係者の中にもサノケンのエンブレムが気に入らなかった人は大勢いたんじゃないかなと思うし。
ていうか、妬みの力だけで国は動かないし、動かせるわけがない。もし妬みで国を変えられるのなら、Gakut何人必要なんだよって話だよね。
トートバックの事案、過去のデザインの掘り出し、原案の意匠の発表と、無視できない事案が重なってエンブレムが取り下げになった。
もしかしたらデザイン業界ではコピペ(盗用)・改変(剽窃)は、慣例的に、普通に行われていたのかもしれない。
でも、もうそれは許されることではなくなった。
どうでもいいけど、茂木氏がクオリア(死語)的にデザインが受け付けないと語った時にはこれはギャグなのかなと思った。
【2】デザイン的に見て
素人目に佐野エンブレムのデザイン的に悪いところを個人的に挙げておく。
1:デザインが堅苦しい。
スポーツの躍動感がない。
祭典のイメージがない等
2:パラリンピックの白黒反転ロゴが、『T』に見えず、『U』に見えること
佐野的にはパラリンピックは『=』(イコール、平等)をイメージしたらしいがパラリンピック関係者は、それを
聞いてどう思っただろうね?
まだ『U』でUNITE(結合)とした方が良かったのではないか。せっかく26文字作ったんだからさ。
3アルファベットイニシャルが、日本人にはそもそも受け付けないものであること。
なんでTOKYOのTなんだろうね?
たぶんあれは原案を元に作成されたもので、意匠変更を経て発表できなくなったものなんだろうなと推測。
素人目には、ここまで悪いところを挙げられる。
あとプロと素人の境界は職務に対して『批判的』になれるかである。
批判的になれないのは『商売人』であって、『プロフェッショナル』ではない。
【3】佐野氏に同情できるか
はっきり言って、どうでもいい。
同情は彼の仲間が(同情)するべきことで、無関係の我々がすることではない、よね?
著作権を軽視してトレパクすることは、他人の住所を勝手にネットに書き込みすることに等しい犯罪であることを認識してほしい。
とりあえずインターネットウィルスによる情報漏えいと同クラスの対策を取らないと自社、取引先の企業価値を大きく毀損する結果になるとだけ忠告しておく。
TPPによって著作権侵害の非親告による摘発が可能になればさらにこの流れは加速するはずだ。
むしろ、このことによってオリジナルのクリエイターの権利が守られることを望みたい。
そういえばトートバックの件でで剽窃したと思われる猫のデザインはいつになったら取り下げてくれるのだろうと思っている。
佐野デザインと名前を付けている以上、名前に大きく責任を持つべきだと思う。
盗用されて被害を受けているデザイナー、フォトグラファー、クリエイターが実際にいることを忘れちゃいけないと思う。
クリエイトすることによって飯を食っている人たちであることを忘れちゃいけない。
佐野氏より、五輪提携企業より先に、こちらに対して、まずどう補償していくのかが今後のこのサノケン事件の焦点になるのかなと思っている。
才能があるのに無名で売れないクリエイターってたくさんいるんだからさ、これを機に還元される流れになってほしいな。
以上です。
まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブの問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます。
この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から、有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見・文句・罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者」視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます。
まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます。
JOCや組織委員会の要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状である事から、人間の認知作用的に受け入れやすい要素を持っています。キャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。
次にマイナス評価として上げられるのが、過去の文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ・長野・シドニー・北京・バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈はオリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティを担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈が必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。
上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。
正直、分かりません。情報も錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報か判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体や動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件もデザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから。
これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品は商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品が過去の作品に類似していた場合、過去の作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています。日本も批准しています。
次に、デザインの機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品の制作指針をまとめますが、これを「ビジュアル・アイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。
件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます。言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真で撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場のロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真が印刷された情報が、リエージュ劇場の情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります。
あまり一般には知られていないと思いますが、デザインの価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています。
内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。
「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。
東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京・千代田区) http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124
これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業、チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます。
この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルのデザインを制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会が提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。
オリンピックという世界規模のイベントのロゴですから、世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分の作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。
以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当なデザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。
政治家でなくとも良い、
例えば、テレビを見ている内にそのような話題が取り上げられた際、
この芸能人はそれに賛成なのか、反対なのか。
相手の立場を知りたくなるという欲求がある。
気になって当然であると言える。
あながち結論の異同に依って、敵味方を判断する事は出来ないように思う。
極論、
という二つは判断過程は同等だが、結論だけ違うという一つの例だ。
しかしこの二つは、表層だけでぶつかり合い戦う事となる。
何とも悲しい結末だ。
結論だけ知ろうとする事は容易く、
知れば相手との関わり合いを容易にもつ事ができる。
少し踏み込むと、仲間意識を醸成できるし、あるいは、相手を糾弾する事ができる。
相手が賛成か、反対かの表層を知りたくなる気持ちは、
家族の捜索届出してる関係から、DNAの提出をしないかということだった。
なにか進展があったということではない。
ちょっと前に聞いた話では、民間にDNA鑑定依頼すると結構な金額がかかるようだったけど、
(税金で払ってると言われればそれまでだけど)
自分は過去に盗難に遭って通報した際に、犯人との判別のために指紋を取られたことがある。
アルミの粉とかつけられるんだっけ?
なんか爪のすきまだのに入って嫌なかんじに手が汚れた気がする。
そして、被害者の指紋が他の事件の照会に使われることはないとは言われたけれど、
K察に自分の指紋を抑えられてるというのはいい気分ではなかった。
そんなわけで、DNAなんてディープな情報をK察に渡すなんて自分ならとんでもないことだけど、
戸籍とかもいるみたい。
捜索届を提出している家族のみならず、うちには他にも行方のしれない親類縁者がいる。
DNAってどのくらい一致したら連絡来るんですかね?
最新の型にはついてないの?
たまらなく嫌いで、イライラして、この機能を標準でオンにして出荷するって馬鹿なのかと昔は思っていた。
その後、シャープのテレビは決して買うまいと思って。事実買っていないのだけれど、先日、使ってなかった小型のテレビを引っ張り出してテレビのない部屋でスーファミをつないだ。
ファイナルファイトのオープニングデモで自動映像判定が働き、画面が拡大。
その後も戻らず、画面の下端が切れている。
数年ぶりにわき上がる怒り。
とりあえず一度、シャツは脱いでハガーの動きを一通りまねた後、半分以上の動作がザンギエフのものだったことに気づき赤面して中断。
冷静になって、ゲームは終了。
後日、どうにか余所からシャープのリモコンを借りてきて映像判定を切ったのだけど、気になって検索すると、同様の趣旨に関する書き込みはだいたい五年くらい前に集中している。
・
察せよ言えよのやつ
俺
とりあえず言ってみてくれないと何考えてるかなんてわかんねーよ、人間なんだし基本は言葉でコミュニケーションしながら擦り合わせていこうぜ派。
自分ではよくいるタイプだと思ってたら、医者に発達障害で相手の気持ちを読み取るのが苦手とか言われたので、並の人より輪をかけてわかんないタイプの人だったらしい。
自分なりに頑張ってエスパーしても、タイミングが数日単位で遅かったり頓珍漢な行動を取ることが多いらしい。
妻
幼少期からかなりヒステリックな母親の地雷を避けるために極力自分の要望を口に出さず、相手の機嫌を損ねないように先回りして気を遣い続ける生活をしていたらしい。
要望を口に出す=ワガママであると強力に刷り込まれているようで、「口に出して言いたい」と思った時点で反射的に自己嫌悪に陥る。
「口に出す」ということに俺には想像もできないほど大きなエネルギーをつかってしまうらしく、何か思っても言わない方がまだ楽なぐらいらしい。
(でもそれだと俺は問題の存在にも気づかないのでは解決されず、最終的に我慢できなくなって妻が自分でなんとかしようと行動し始めて、ようやく俺が気付く感じ。)
以前は、婉曲的な表現でなにか要求があることを匂わせるような発言を(頑張って)したりもしていたようだが、俺が総スルーするか頓珍漢な反応しか返ってこないので疲れてやめたらしい。
「俺は察してくれなきゃイヤ、相手に対する思いやりがあればそのくらいできるはず。だって俺はできるし、人間なんだもの、やろうと思えばできるでしょ?」
という超察せよ派の義兄がいて、その義兄のエスパーに日々触れながら暮らしてきたせいか、義兄がさすがに特殊であるというのを妻の中で差し引いても、
「男性でも普通このぐらいは察せるはず」と求める最低ラインの精度が俺からすると無茶苦茶高い。
溜息(本人いわく最大限のアピール)の調子で頭痛か腹痛か単に憂鬱なのかを判別して適切にサポートを申し出て欲しいとか、俺は「わかるわけねえよ……」って思うんだけど、
帰省して兄妹で過ごしてるのを見てると、溜息どころか視線の動かし方とか身じろぎの様子で、
ホントに察して飲み物やお菓子(気分を察知して種類を変えたものが出てくる)が出てきたりするものすごいエスパーっぷりだった。
現在のところ、
俺は「頑張るけど多分すぐには無理だし、時間かけても学習済みのパターンしか反応できそうにない」
妻は「言うぐらいなら諦める、答え合わせも要望を言うのと同じだからあくまでも言葉では提示しない」という状態だが、
なんというか多分お互いに割と病的だから、もうちょっとうまいこと健全そうなところに着地できそうなプランはないもんかね……と切実に思う。
最近、女は中身を見ていると抜かしつつも実は何も見ていないといった論調の増田が流行っている。
まずは、これらの主張の大まかな流れをさらっとおさらいすることにしよう。
もし本当に女が中身を見ているのだとしたら、イケメンの馬鹿チャラ男なんかよりも、東工大の男にアプローチをかけなければおかしい。
したがって、実際には女は男の中身など何も見ていないのだ。
これが、彼らの言っていることなのだが、ぼくはそうは思わない。
いや、正確に言えば、より年収が高い男とセックスがしたいのだ。
よく成人式で男は、変わり果てた女の顔を判別できないというが、女の脳はもっと悲惨だ。
だから、はっきり言って誰とセックスしようが、本当は構わないのだ。諭吉のためなら風俗でどんな男性を抱くことも厭わない。
では、なぜ女は大して金も持っていないイケメンとセックスするのか?
性欲を満たすためだ。
女のセックスには2種類ある。
金を稼ぐためと、自分の性欲のためだ。
そして、自分の性欲を満たすためには、なるべく容姿の整った男性を選ぶ必要があるのだ。
自分がセックスして性欲を満たすことに、言い訳を用意するためだ。
あぁ~ん、あぁん。
年収も容姿もない男に股を開いたとあっては自分の価値がさがるから。
元増田です。
いっぱい反応もらってて、書きたくなったのでちょっと補足とかを。
・仲間がいっぱい
思ったより同じようなことで困っている人がたくさんいるんだなーと思ってちょっと気が楽になりました。
・聴力とか感音性難聴とか
発達障害の病院通いラッシュが落ち着いてまだ困ってたら耳鼻科行ってみようかと思います……。
・耳の形
顔の輪郭線から耳の一番外側と福耳な耳たぶがちょびっとだけ見えてる感じ。割と耳が寝てる的なやつですかね?
あと古いタイプのイヤホンがまったく引っかからない程度に耳の軟骨の形状が開いてて、ねじ込むタイプのイヤホンのイヤーピースはSサイズでもすぐ痛くなるぐらいの耳の穴のサイズです。
そのせいか、音が聞こえたときに、どこから聞こえているのか判別するのも苦手です。
携帯失くして鳴らしてもらった時なんかに、見当違いの場所探したりとか……。
耳に手を当てたり、耳の後ろを押さえて前に向けると聞こえ方が別世界になるけど、ふざけてるように見えるのであまりできません。
遠くから緊急車両や暴走族が近づいてくる気配を感じた時とか、前述の携帯を探してる時に方向を探るためにやる程度です。
・滑舌
そこまで悪くないつもりですが、ちょっとヒートアップすると割と噛みます。
噛むときは「そんなことウヴォルボチュノボルボルティヴァ---ッ!?」みたいな盛大な噛み方をするので、妻からは人間と暮らしたいと言われます。
・ラップ
最初は何言ってるかわかんないけど、歌詞カード見て感心しながら聞くのが楽しいので好きです。
・正誤表が多い
先日は特にひどかったので途中からスマホでメモってました、普段は家に帰るころには忘れてます。
見返すと自分でも割と笑えたので、恥ずかしいので公開するかどうかは別にして、書き留めてみると意外と明るく暮らせるかもしれないですね。
・発達障害
WAIS-Ⅲは聴覚系ワーキングメモリのスコアが飛びぬけて悪くて、数唱3/18、語音整列4/18でした。
あと問題の聞き返しが多いとか、部屋の外の音が聞こえると聞き取り辛そうにしていると言われました。
・全部聞こえたまま返してみれば?
「えっ!?」って感じで反射的に聞き返すことも多いですが、内容が突拍子もなさ過ぎて相手が受け止めきれなくて、
結局「え、なんて?」「ごめんなんて?」の応酬をしてるうちにお互いに最初になんて言ったか忘れたりします。
逆に完成度の高い空耳だと、相手は自分の発した言葉を正確にそのまま返されたと思って、
「うん、そう」とか言われてしまって空耳連鎖による誤解が生まれるのでそれも割と危険です。
(例)
妻「うん」
私「えっ!?」
私「うーん、まあ、いると思えばいるんじゃないかなあ……?」
妻「じゃあ買っとこうか」スッ
妻「えっ!?」カニカマ片手にフリーズ
妻「えっ、いや、うん、カニカマ……」
個人的には、たまに口頭でもハマる空耳もありますが、基本的に空耳は文字に起こした方が伝わりやすいし面白いのかなーと思います。
一言目が特にダメなので、文脈や状況についてはむしろ割と頑張って織り込んでいる部類なんじゃないかという気がします。
気を抜くと文脈も空気も読めなくなるので、むしろ頑張りすぎてるのかも。自己評価ですが……。
聞こえた内容を強引に状況に当てはめて、ハテ…?って感じのことも多いですね。
(例)
調味料コーナーにて
妻「晩御飯なににしよう」
私「(サンドパン並に塩……?)ンァウ……」
突拍子もない空耳については、反射的にオウム返ししてしまった場合を除けば、
いやいやこれはないだろう、と黙って単に聞き返したり曖昧な返事でごまかすことの方が多いです。
・飲み会
会話自体は1対1で相手の口の動きを見ながら必死に読み取ろうとしていても、
「おつかれさまです」「おせわになりました」ぐらいの定型挨拶ならまだしも自由会話は全然できない。
あとビクついてるせいか頻繁に名前が呼ばれたような気がして滅茶苦茶キョロキョロしてしまいます。
・電話
苦手です、外出中とかで言葉として聞き取れない場合はメモすら取れないし、声で誰か判別するとか無理ゲーだし。
ようやく聞き取れた内容が本当に合ってるかどうかも、復唱して確認しても空耳連鎖してそうでやっぱり不安があったりするので、
デスクに電話がかかってくるだけで割とビクついてしまいます。実際失敗も色々してきました。
あとどこで鳴ってる電話なのか全くわからなくてキョロキョロしたりすることも多いです。
・字幕
テレビの字幕は不格好なのであまり使っていませんでしたが、最近妻にお願いして字幕機能をONにしてもらいました。
アニメやドラマのキーワードや人名を、ずっと勘違いしたまま見てたことが発覚したりしてびっくり。
邦画やアニメ映画も、字幕をつけてみると演出や物語の内容に集中できるので非常に快適でした。
・対策
経験上、スーパーやカフェの喧騒ぐらいであれば、対面(相手の口の動きが見える状態)で、
対象物を指差したり手に持ったりしながらしゃべってもらえると認識率は劇的に改善されますが、
結局、常に相手の顔を見ているわけでもないので、話し始める時にワンクッション入れて知らせてもらう必要があるので、割と面倒を強いてしまいます。
思ったことを妻がポロッと口に出して、それをそっと拾う、みたいな一般的で自然なコミュニケーションにあこがれています。
・訓練
日常が訓練状態っていうのは置いといて、以前にも悩んだ時期があって、
その時は歌詞を覚えてない曲を何度も聞いて歌詞を書き起こして、完成したら歌詞サイトに行って見比べたりしてた時期がありました。なんかもうひどかったです。
歌だと英語と日本語が混じってたりするので、「日本語のはずだ」というフィルタすら使えないので余計しっちゃかめっちゃかでした。
・環境音
・上方落語
とか色々教えてもらったのでちょっとずつ試してみようと思います、ありがとうございます。
関西人なので上方落語というよりは、なんか違う土地の方言を聞いてみればいいんでしょうかね。
・君の胸で稚内
君の胸で naught count and it.
君に胸 cuz gatta some minds.
歯茎 for a perfect style.
ハァン…ハァン…ハァン……
「ADHDを脳血流測定で判別する新技術」というニュースに対するブコメに「現代社会は発達障害者を活かすどころか許容する段階にすら至っていない」とあったが、実際許容は難しいんじゃないだろうか。
「こんな簡単なことが抜けるとかできないとか、バカなんじゃないの」
これがアスペになると
「そんな事言ったらどうなるかもわからないなんて、バカなんじゃないの」
という、人として自然な怒りや不快感・嫌悪感は人間理解どうこうで解決する話じゃないと思うからだ。
人の気持ちが知識の有無程度で変わるかよって感じ。
「お前、犬のくせにワンと鳴くこともできないのか?ニャーニャー言ってんじゃねえ!」
くらい無理な要求をされているってことだろうけど。
もし反論があるなら言って欲しい。