はてなキーワード: 上方落語とは
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
いや元々観光地やねんけど
動くカニの看板とかグリコへの観光で稼いでた今までと雰囲気が違う。
クッソ治安の悪い新今宮の空き地にドーンと新品の巨大ホテル構えたりして
(あんなところにホテル作るなんてキチガイやでって言われてたけど、楽しそうなホテルになってるらしい草)
アクティビティとしてガイドさんがついて新世界に串カツ食べに連れて行ってくれるらしい。
夜はお寿司とビールを無料で配って上方落語見れるとか。あと551のアイスキャンデー食べ放題。
お好み焼きやたこ焼きはともかく。串カツなんか大阪の人食べないのにいつの間に観光資源に…。
「串カツ食べたい?串カツなんかどこで食べてもおんなじやで(笑)!!それよりええ店知ってんねん。」とか言っちゃうのが大阪の人
機動戦士ガンダム 水星の魔女、12/30(金)19:00[BS11]より毎週放送
話題になってるガンダムも今から追えるぞ。30日放送分はプロローグ。
すでに見た人も改めて見ることでいろいろ発見があると思う。
映画 羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来、12/31(土)20:00~22:00[BS11]
今期アニメとして5話に分割されたものが放送されたが正直分割されたものより劇場版を一気見したほうがいいと思う。
今から見るなら断然コレ。
うちの師匠はしっぽがない、1/3(火)4:00~10:00[BS朝日]全話一挙放送
SPY×FAMILY、全25話一挙放送 [BSテレ東]1/1(日)12:00~18:15、1/2(月)7:00~10:00、1/3(火)7:00~10:30
テレ東のやらかしで録画失敗した人も多かったと思われるスパイファミリーももう一度放送するぞ。
ヤマノススメ Next Summit、1/11(水)24:00[BS日テレ]より毎週放送
最初の4話は今までの総集編なので第4期といいつついきなりここから見始めて全然オッケー。
むしろ過去作見直してから4期見ると最初が総集編なので少しダレるかもしれない。
ゴールデンカムイ 第四期、4月から第三十七話(第四期 第1話)から改めて放送。
4月まで待とう!
リコリス・リコイル、[BS11]12/30(金)23:30第1~3話、12/31(土)25:00第4~5話、1/1(日)22:00第6話、1/1(日)23:30第7~9話、1/2(月)23:00第10~13話
第1期劇場版『弱虫ペダル Re:RIDE』、1/3(火)25:17[NHK-G]
第2期劇場版『弱虫ペダル Re:ROAD』、1/4(水)24:30[NHK-G]
第3期劇場版『弱虫ペダル RE:GENERATION』、1/4(水)26:00[NHK-G]
第4期『弱虫ペダル GLORY LINE 特別総集編』、1/5(木)24:30[NHK-G]
なぜ第5期を始める前にこれを放送しなかったんだNHKーーー!
今年3月に開局したばかりのBS松竹東急も年末年始に一挙放送放送をやるぞ。
いまだに勘違いしてる人も散見されるがBS松竹東急は全部無料放送だぞ。
これを機会にリモコンの空いてるボタンにBS260chを登録しとくといいと思うぞ。
昭和元禄落語心中、[BS松竹東急]12/29(木)24:00~27:30第1~6話、12/30(金)24:00~27:30第7~13話
「うちの師匠はしっぽがない」で歌緑師匠として出てきた石田彰がこちらでは八雲師匠として本気の落語を演じる。
たまゆら~hitotose~、一挙放送、[BS松竹東急]1/2(月)24:00、1/3(火)24:00、1/4(水)24:30
のんびりとした作品なのでお正月をまったり過ごすのにいいと思う。
Sonny Boy、1/1(日)23:00[BS朝日]全話一挙放送
劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEキングダム、1/1(日)18:00[BS11]
フィルムライブ形式で話題になった作品。映画を見るというよりライブに参加するつもりで見よう。
プリマドール、全話一挙放送[BS朝日]1/22(日)25:00~28:00第1~6話、1/29(日)25:00~28:00第7~12話
見どころ(聞きどころ?)はキャラデザ兼作画監督の矢野茜が途中から声優としてしれっと参加してくるところ
しょうたいむ!~歌のお姉さんだってしたい、1/1(日)25:00[BS11]全話一挙放送
いわゆる僧侶枠アニメ。オーディオコメンタリー付きでの一挙放送。ノーコメント。
落語の定席は自粛要請を受けません、というのに批判が割とあって、まぁ個人的には批判も、ある程度は仕方ないだろうなぁ…としょんぼりするほかないのだが、寄席を開いている側としては死活問題だろうとも思う。
増田は落語好きなのだが、寄席には元々あまり行かない。近所で落語好きが席亭やってる小さい落語会やホール落語に行くのが中心。これには個人的な理由があって、寄席だとあんまり好みじゃない芸人のもなんとなく見ちゃうことになるのが、あんまり楽しくないからだ。そういうのが好きな人もいるからこれは良し悪しではなく単なる好みの問題。
で、定跡の寄席(一年中やってる寄席)って実は少ない上に大して儲からない絶滅危惧スペースで、そこで芸人が得られるお金は微々たるものである。実際にいくらなのかは知らないが落語家さんがそういうマクラや雑談をするし、キャパシティや普段の稼働状況なんかを鑑みても「あんまり儲かってなさそう…」というのは容易に推察できる。定席の寄席に出てるだけだと全然食えないと思う。
寄席に出る芸人の主な収入源は寄席ではなく、営業やいろんな場所で行う落語会なので、寄席が閉じてしまうこと自体が彼ら芸人の日々の生活に直撃するわけではない。が、落語会やお笑いイベントが行われる場所は主に公共ホールだったりするので寄席よりも強く自粛させられるため、すでにホール落語は続々と休止が決まっている。こちらの方が実際には芸人たちにとってはクリティカルヒットになるわけだ。
去年の初めての自粛の後は、解禁後も寄席は閑散としていたと聞く。この10年ぐらいは東京はかなりの落語ブームで寄席も盛り上がっていたのでコロナの影響は深刻だよなぁと思っていた。それでも再開して少しずつ客足も戻ってきたらしいよと聞いていたのだが…コロナの影響で、営業(ホール落語とかも含めて)がままならなくなっている芸人たちも、寄席を開いている席亭たちの収入も当然大幅に落ちていると思われる。
絶滅危惧スペースで大して稼げるわけでもなく、これを書いている増田自身が「あんまり行かないんだよな…」と思う寄席ではあるが、落語や演芸文化にとって大事というのはとても理解できる。
席亭(芸人の出番を決めたりもする)の人脈力だったり、ショーケース機能(営業や別の落語会に呼ばれたり)だったり、自分を目当てに来ているわけではないカラい客を相手にするという若手の修業の場という機能だったり、こういう諸々をまとった空気感。寄席がつぶれると、こういう機能とともに、文化を醸成するための有象無象な「空気感」がなくなる。一度なくなった後に取り戻すのはかなり難しくなるだろうから、まぁ、寄席の側からしたら「文化だし必要だし」という言い方になるんだろう。
大阪では長いこと定席寄席がなかったこともあって、上方落語はすごく面白いのに、繫昌亭ができるまでの長い期間、沈んだ期間を過ごしていたらしい。関西の人にとっての落語家は三枝と仁鶴と、その他いろいろタレントやリポーター、みたいな感じだったと。最近はようやく中堅若手で面白い上方落語の人が続々と出てきているし大御所たちも落語を元気にやっておられる。
そして江戸落語がしばしば、すごい面白い落語家を生み出しているのは、定席が続いて存在しているからというのは大きい。批判もあろうが、どうせ(特に池袋は)ガラガラだろうし許してやってほしい。
一方で、実は江戸落語の界隈も、クラスタ認定はされてないが芸人の陽性者をこの1年で何人か出している。前座や若手だけでなく真打も。私が好きな師匠も感染を発表して、重症化しやすそうなタイプだったので凄く心配していて、今は無事に回復しておられるので安心した。とはいえ、まぁ、「文化だから開き続けるぞ」と宣言するからには、できる限りいやそれ以上に芸人たちの感染対策を、彼ら芸人自身がしっかりやってほしいと願うのだ。じゃないと、批判が増えてしまうだろうし何より何かがあった時にその芸人さんの芸が見られなくなったらすごく寂しすぎる。
で、話は変わるようで変わらないのだが、相撲である。相撲は相撲部屋クラスタも出しているし亡くなった力士もいる。なのに深夜まで飲んでた麻雀やってただのと報道をされている。反省がない…という悲しさ。
相撲も落語もそうなのだが、彼らの中に感染がおこる原因の一つに「タニマチ」の存在があるのではと思ったのだった。相撲も落語も「タニマチ」と俗称されるような人たちがいる。取り巻きというか私的スポンサーというか。落語会の後に打ち上げをやって若い者に栄養をつけさせたり、場所の後にパーティーをやったり、タニマチ側の慶事やイベントがあったらゲストで来て「お相撲さんがきてる、わー」と言われたり、ちょっと軽い一席をやったり、お姉ちゃんのいる店に一緒に行っておねえちゃんを驚かせてゲラゲラ笑ったり、そういうことをしていたりする。こういうのは徐々にすたれていっているという話も聞くのだが、こういう「場」を通して感染が広がるのはあり得るよなぁと思うのだ。
個人的にはこの「タニマチシステム」は好きじゃなくて、それは私がタニマチをやれる財力がないから嫉妬しているのは大いにあるが、芸や理屈が「内向き」になることと背中合わせだよなと思うからだ。一方でタニマチに食わせてもらった若手時代、とかタニマチに金出してもらったから部屋が持てた、みたいな話も聞くのでむげに否定もできない。ただ、コロナのことがあるから、徐々にすたれていっているという流れがそのまま加速して、別の方向(例えばYoutubeで課金とか)に流れていくといいなぁ…と思ったりする。
「『今大切なのは武士道精神とユーモア』とおっしゃる藤原正彦先生やけど、失礼ながら先生の実演されるユーモアは……」
例えば清の時代の記録によると、李氏朝鮮は毎年、金を百両、銀を千両、それから美女・馬・豚・牛などをそれぞれ三千ずつ貢がなければなりませんでした。美女を差し出せなどと言う中国は本当にひどい国です。羨まし過ぎて絶対に許せません。(日本と韓国「国家の品格」・文藝春秋2019年10月号)
ユーモアとは「距離感覚」です。いったん自分と状況との間に距離をおき、状況を俯瞰することで客観を取り戻し、事を上手く運ぶことが出来るのです。
「間違いです。ユーモアがそんなものでないことは、上方落語聴いて、少し考えてもらえればわかります」
「関東的やなあとは思うで? 『俯瞰』『客観』言うときながら、笑わせ方に余裕がない」
「徳川期、『人は武士』の見本は旗本衆やろけど……彼らの3分の1は無役の暇人やし、それも家禄の多い者ほど役に就かへん。役職に就いた者も、実務は旗本家を渡り歩く渡用人頼り。幕府という武断政権最後の有事に役立ったんは、旗本株を金で買った祖父を持つ勝家の海舟さんや、京都守護職預かりのバラガキら即製の幕臣」
面白いじゃないですか
「TBS『Nキャス』での安住紳一郎さんの発言です。椅子から片脚で立ち上がるトレーニングをスタジオの皆でやってる時、安住さんが腰を下ろそうとした瞬間、ビートたけしさんが椅子をさっと後ろに引きました。転んだ安住さんの、顔を複雑にゆがめながらの一言」
「何が面白いねん? まだこんなことやってるんか……」
「くまモンがテレビ熊本の番組でそれやって、大批判受けたのにね」
「何でこれが問題にされへんのやろ?」
「爆笑太田さんもこれに似た悪ふざけをします。それも、どちらも素人相手にやる。真面目に何かをしようとしてる背中を突いたり。この、芸とも言えない、機知ともお笑いとも言えない幼稚な行動をトップコメディアンが恥じずにやる。同じことを上方(かみがた)の芸人さん特に大御所がテレビでしてるとこを、少なくとも私は見たことがない」
「あちらの『ぼくのかんがえたさいきょうのユーモア』なんやろなあ。……タモリさんは?」
「あの方もキー局があちらにあって助かったタイプの芸人さんやわ。お正月の番組で鶴瓶さんを絶句させてはった。鶴瓶さんが『~してはる』言うた時、声張り上げて『はる!?』て笑わせにかかってた」
「筑紫福岡の言葉は完全に捨てはったんやね……こういう言動に笑ってみせなあかん立場の人らが気の毒やわ」
「いわゆる標準語て、本格的な教育が始まってまだ百年経たへん人工日本語やのに……」
面白いじゃないですか
「TBS『Nキャス』での安住紳一郎さんの発言です。椅子から片脚で立ち上がるトレーニングをスタジオの皆でやってる時、安住さんが腰を下ろそうとした瞬間、ビートたけしさんが椅子をさっと後ろに引きました。転んだ安住さんの、顔を複雑にゆがめながらの一言」
「何が面白いねん? まだこんなことやってるんか……」
「くまモンがテレビ熊本の番組でそれやって、大批判受けたのにね」
「何でこれが問題にされへんのやろ?」
「爆笑太田さんもこれに似た悪ふざけをします。それも、どちらも素人相手にやる。真面目に何かをしようとしてる背中を突いたり。この、芸とも言えない、機知ともお笑いとも言えない幼稚な行動をトップコメディアンが恥じずにやる。同じことを上方(かみがた)の芸人さん特に大御所がテレビでしてるとこを、少なくとも私は見たことがない」
「あちらの『ぼくのかんがえたさいきょうのユーモア』なんやろなあ。……タモリさんは?」
「あの方もキー局があちらにあって助かったタイプの芸人さんやわ。お正月の番組で鶴瓶さんを絶句させてはった。鶴瓶さんが『~してはる』言うた時、声張り上げて『はる!?』て笑わせにかかってた」
「筑紫福岡の言葉は完全に捨てはったんやね……こういう言動に笑ってみせなあかん立場の人らが気の毒やわ」
「いわゆる標準語て、本格的な教育が始まってまだ百年経たへん人工日本語やのに……」
救世主だからこそ衰退する講談界にトドメを刺す可能性が非常に高いと思っている。
まず後進、つまりは優れた弟子を育てる責任を果たしてない。今はまだその時ではないと考えているのは承知しているが「絶滅危惧職」と言われている奴がそんな悠長な事を言っている場合ではない。
上方落語を復興した師匠なんかは若い時から自分の芸を磨きながらでも凄い(良い意味でも悪い意味でも)弟子達を育てて死の直前まで孫弟子達の稽古も付けてたやんか。
伯山が本当に「落語と講談の立場を逆転させる」つもりならば、今後「神田派講談四天王」と讃えられる程の優秀な弟子達を育てるくらいないと絶対不可能だと思うが、そんな未来は全く見えない。
「ぼやき酒屋」は桂文枝(六代目)が桂三枝だった頃に演じていた創作落語である。
噺の内容を知っている人は多分分かると思うが、内容は明らかに上方落語の一つである「上燗屋」を現代的にリファインしたものになっている。
「上燗屋」は酔客があの手この手の口八丁手八丁でもって只酒只飯にありつこうとするというのが笑いの肝であるのに対し、ぼやき酒屋の方は
お題通り酔客の「ほやき」そのものが笑いの肝である。ぼやく内容に楽屋ネタを織り込んでもいいし時事ネタも大いに使える。演者にとっても
客にとっても言わば「勝手の良い」ネタであると個人的には思っている。
この「ぼやき酒屋」桂文枝(六代目)の創作落語である事は周知の事実であるので、文枝以外の噺家が演じるには、たとえどんな大師匠だろうと
「桂文枝直々に稽古を付けて貰う」つまり伝授してもらう事が絶対条件としてあるらしい。これは上方落語だろうと江戸落語だろうと、どの
団体所属だろうと一切無関係である。「直々に稽古」と言っても内容は至って形式的で、
二、文枝師匠に直接会って頭を下げて「直々に稽古」を付けて貰う事の許しを得る。
三、文枝師匠から快諾を受けて「直々に稽古」キットを授かる(大抵の場合、後日郵送でと思うけど、中身は口演DVDとか文枝の銘が入った公式台本、そして手拭い、みたいな感じだろう。)
以上の儀式を通過した噺家だけが「ぼやき酒屋」の口演を許されている。これは桂文枝(六代目)が生存している限り継続される筈の、現在のプロの落語家全てに課せられているしきたりである。
妄想です。
http://anond.hatelabo.jp/20151104213705 冗談が通じない相手と話すと疲れる
これを見て気になったので、よければ教えてほしい。
まず、「京都のぶぶ漬け」について語る上で、下記の知識は知っておいてほしい。
・ネタは「早く帰ってほしいから、あえてもてなす」ことを逆手に取ったネタ
・「早く帰ってほしい=ぶぶ漬けを出す」という習慣は京都にない
(「早く帰れ=もてなしを無理して用意するのを遠回しに伝える」ならあるかも)
・現在の京都でお茶漬けを「ぶぶ漬け」と呼ぶほぼ人間はいない(1万人に1人いる?)
その上で知りたいのだが、「実際に京都人にぶぶ漬けを出された」という方がどれだけいるのだろう。
なお、に最近だとお茶漬けは京都っぽい料理として楽しむ人が多く、テレビにも高級茶漬けなどが取り上げられるため、
「帰れ」ではなくむしろ、「おいしいのあるんやでー」という意味で、ぶぶ漬けのネタも気にせず出す人はいる。
繰り返すが、まず「ぶぶ漬けを出す」という古来の風習もないし、現代では「ぶぶ漬け」なんて使わないし、
大半の京都人はお茶漬けからぶぶ漬けは直結しないのだ。(ちょっとラグが生まれる感じ)
なので、もてなしでなく、「帰れ」という意味でお茶漬けを出された人に限るが、
これは実際のところどれだけいるのだろう。
これが気になったのは、上記の匿名ダイアリーのブックマークコメントで以下のような発言があったからだ。
この発現を別に「嘘つき!」と糾弾したいわけではない。(なので、上記引用もidを書かない)
実際、私も東京で「おまえ京都人? この前、京都人に茶漬けを出されたぞ」と知り合いから因縁を付けられた経験がある。
個人的にはかなり疑問が浮かぶし、身の回りでも四十年間聞いたことはないのだが、知人を疑うのは嫌いなので信じたいと願う。
正直、京都の真ん中に長年住んでいても、隣近所のもてなし事情まで知り尽くしているわけではない。
あと思うのは、この「ぶぶ漬け」が新しい文化として成立している可能性だ。
京都もある程度の都市ではあるから流出入は激しいし、他地域の人が連想する「生粋の京都人」なんてクラスに数名レベルだ。
だから、「京都っぽい振る舞い=ぶぶ漬けを出す」という新しい文化が生まれているのかもしれない。
いや、それは考えすぎで、単にステレオタイプを誤っているのにもかかわらず吹聴するひとが多いだけなのか。
だから聞きたいのだ、実際にぶぶ漬けを出された人がどれだけいるのか。
新しい文化が誕生しているなら面白いが、ステレオタイプでからかわれているだけなら、
ネットでこれだけ「ぶぶ漬け話」を多く目にしてしまうのは京都人として悲しい。
でも、耐えて流すしかないんだろうな。
客観的、科学的に物事を分類しようとするのであれば、一つの統一した基準、視点の下で分類しなければならない。
それをまったく異なる複数の基準、視点を混在させたまま分類をしてしまうと、せっかく分類をしても意味をなさないことになる(例えば野菜を色ごとに分類している際に、途中で根野菜か否かという基準で分け始めたら、それこそ「分け」が「分からない」ことになる)。
この増田がやっていることはまさにこれ。例えばアニメ作品の原作の種類(ラノベ、漫画、ゲーム、オリジナル)とアニメ作品の内容のジャンル(ラブコメ、ロボット物、学園異能系)はまったく別の次元の基準であり、本来ならそれぞれの基準ごとに別の枠組みで分類しなければならない。それを増田はまったく理解していない。例えば「オリジナル枠」と「アイドル枠」はそれぞれ別々の基準の下で分類しなければならないのに、増田は同じ枠組みの中で分類してしまっている。これだと実質的にオリジナルのアイドルアニメである『シンデレラガールズ』は何枠に分類されるのだろうか?
増田には300もの上方落語のオチを科学的、体系的に分類した落語家、桂枝雀の爪の垢を煎じて飲めと言いたい……がもう枝雀は故人だったなぁ……
元増田です。
いっぱい反応もらってて、書きたくなったのでちょっと補足とかを。
・仲間がいっぱい
思ったより同じようなことで困っている人がたくさんいるんだなーと思ってちょっと気が楽になりました。
・聴力とか感音性難聴とか
発達障害の病院通いラッシュが落ち着いてまだ困ってたら耳鼻科行ってみようかと思います……。
・耳の形
顔の輪郭線から耳の一番外側と福耳な耳たぶがちょびっとだけ見えてる感じ。割と耳が寝てる的なやつですかね?
あと古いタイプのイヤホンがまったく引っかからない程度に耳の軟骨の形状が開いてて、ねじ込むタイプのイヤホンのイヤーピースはSサイズでもすぐ痛くなるぐらいの耳の穴のサイズです。
そのせいか、音が聞こえたときに、どこから聞こえているのか判別するのも苦手です。
携帯失くして鳴らしてもらった時なんかに、見当違いの場所探したりとか……。
耳に手を当てたり、耳の後ろを押さえて前に向けると聞こえ方が別世界になるけど、ふざけてるように見えるのであまりできません。
遠くから緊急車両や暴走族が近づいてくる気配を感じた時とか、前述の携帯を探してる時に方向を探るためにやる程度です。
・滑舌
そこまで悪くないつもりですが、ちょっとヒートアップすると割と噛みます。
噛むときは「そんなことウヴォルボチュノボルボルティヴァ---ッ!?」みたいな盛大な噛み方をするので、妻からは人間と暮らしたいと言われます。
・ラップ
最初は何言ってるかわかんないけど、歌詞カード見て感心しながら聞くのが楽しいので好きです。
・正誤表が多い
先日は特にひどかったので途中からスマホでメモってました、普段は家に帰るころには忘れてます。
見返すと自分でも割と笑えたので、恥ずかしいので公開するかどうかは別にして、書き留めてみると意外と明るく暮らせるかもしれないですね。
・発達障害
WAIS-Ⅲは聴覚系ワーキングメモリのスコアが飛びぬけて悪くて、数唱3/18、語音整列4/18でした。
あと問題の聞き返しが多いとか、部屋の外の音が聞こえると聞き取り辛そうにしていると言われました。
・全部聞こえたまま返してみれば?
「えっ!?」って感じで反射的に聞き返すことも多いですが、内容が突拍子もなさ過ぎて相手が受け止めきれなくて、
結局「え、なんて?」「ごめんなんて?」の応酬をしてるうちにお互いに最初になんて言ったか忘れたりします。
逆に完成度の高い空耳だと、相手は自分の発した言葉を正確にそのまま返されたと思って、
「うん、そう」とか言われてしまって空耳連鎖による誤解が生まれるのでそれも割と危険です。
(例)
妻「うん」
私「えっ!?」
私「うーん、まあ、いると思えばいるんじゃないかなあ……?」
妻「じゃあ買っとこうか」スッ
妻「えっ!?」カニカマ片手にフリーズ
妻「えっ、いや、うん、カニカマ……」
個人的には、たまに口頭でもハマる空耳もありますが、基本的に空耳は文字に起こした方が伝わりやすいし面白いのかなーと思います。
一言目が特にダメなので、文脈や状況についてはむしろ割と頑張って織り込んでいる部類なんじゃないかという気がします。
気を抜くと文脈も空気も読めなくなるので、むしろ頑張りすぎてるのかも。自己評価ですが……。
聞こえた内容を強引に状況に当てはめて、ハテ…?って感じのことも多いですね。
(例)
調味料コーナーにて
妻「晩御飯なににしよう」
私「(サンドパン並に塩……?)ンァウ……」
突拍子もない空耳については、反射的にオウム返ししてしまった場合を除けば、
いやいやこれはないだろう、と黙って単に聞き返したり曖昧な返事でごまかすことの方が多いです。
・飲み会
会話自体は1対1で相手の口の動きを見ながら必死に読み取ろうとしていても、
「おつかれさまです」「おせわになりました」ぐらいの定型挨拶ならまだしも自由会話は全然できない。
あとビクついてるせいか頻繁に名前が呼ばれたような気がして滅茶苦茶キョロキョロしてしまいます。
・電話
苦手です、外出中とかで言葉として聞き取れない場合はメモすら取れないし、声で誰か判別するとか無理ゲーだし。
ようやく聞き取れた内容が本当に合ってるかどうかも、復唱して確認しても空耳連鎖してそうでやっぱり不安があったりするので、
デスクに電話がかかってくるだけで割とビクついてしまいます。実際失敗も色々してきました。
あとどこで鳴ってる電話なのか全くわからなくてキョロキョロしたりすることも多いです。
・字幕
テレビの字幕は不格好なのであまり使っていませんでしたが、最近妻にお願いして字幕機能をONにしてもらいました。
アニメやドラマのキーワードや人名を、ずっと勘違いしたまま見てたことが発覚したりしてびっくり。
邦画やアニメ映画も、字幕をつけてみると演出や物語の内容に集中できるので非常に快適でした。
・対策
経験上、スーパーやカフェの喧騒ぐらいであれば、対面(相手の口の動きが見える状態)で、
対象物を指差したり手に持ったりしながらしゃべってもらえると認識率は劇的に改善されますが、
結局、常に相手の顔を見ているわけでもないので、話し始める時にワンクッション入れて知らせてもらう必要があるので、割と面倒を強いてしまいます。
思ったことを妻がポロッと口に出して、それをそっと拾う、みたいな一般的で自然なコミュニケーションにあこがれています。
・訓練
日常が訓練状態っていうのは置いといて、以前にも悩んだ時期があって、
その時は歌詞を覚えてない曲を何度も聞いて歌詞を書き起こして、完成したら歌詞サイトに行って見比べたりしてた時期がありました。なんかもうひどかったです。
歌だと英語と日本語が混じってたりするので、「日本語のはずだ」というフィルタすら使えないので余計しっちゃかめっちゃかでした。
・環境音
・上方落語
とか色々教えてもらったのでちょっとずつ試してみようと思います、ありがとうございます。
関西人なので上方落語というよりは、なんか違う土地の方言を聞いてみればいいんでしょうかね。
・君の胸で稚内
君の胸で naught count and it.
君に胸 cuz gatta some minds.
歯茎 for a perfect style.
ハァン…ハァン…ハァン……