2015-08-22

安保法案に賛成なのか、反対なのかを知りたいと思う気持ち

この政治家は、安保法案に賛成なのか、反対なのか。

政治家でなくとも良い、

例えば、テレビを見ている内にそのような話題が取り上げられた際、

この芸能人はそれに賛成なのか、反対なのか。

相手の立場を知りたくなるという欲求がある。

心理学的な観点、あるいは生物学的な観点からは、

相手が自分の敵なのか、味方なのかを判別する事は、

自身生存維持について非常に重要な事項であり、

気になって当然であると言える。

ただ、殊の外このように抽象的な概念賛否を問う場合

結論に達するまでには多くの判断過程があり、

あながち結論の異同に依って、敵味方を判断する事は出来ないように思う。

極論、

安保法案に賛成なのは日本を守りたいからだ。

安保法案に反対なのは日本を守りたいからだ。

という二つは判断過程は同等だが、結論だけ違うという一つの例だ。

しかしこの二つは、表層だけでぶつかり合い戦う事となる。

何とも悲しい結末だ。

結論だけ知ろうとする事は容易く、

また、それは一つのコミュニケーションだ。

知れば相手との関わり合いを容易にもつ事ができる。

少し踏み込むと、仲間意識を醸成できるし、あるいは、相手を糾弾する事ができる。

これはどちらも脳科学的にダイレクト快楽へと繋がる行為だ。


相手が賛成か、反対かの表層を知りたくなる気持ちは、

本質とは離れ、極めて即物的な観点であると言えよう。

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