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2024-07-22

anond:20240722135535

9日の休み増田に使うなら休まない方がマシ

9日も休みもらったってそんなにやること無いぞ

13~16が指定休なので前後の土日祝と組み合わせて9連休

旅行行くにも家族友達と予定合わない

だったら一人でドライブするか庭でBBQするかって事で9日のうち何日かはするだろうけど全部が埋まるわけじゃない

ホントに何もない休日が何日かは発生しそう

ヤバい

死ぬほど暇だと休みなのにここに顔出しそう

人として終わってしま

なんか無理やり予定入れよう

久しぶりにジムとか行くか

anond:20240722125616

1. 食ってからこれを書いてる説

2. これからランチ

14:30で休み終了してるやつがあるから後者

40歳くらいになってようやく20代30代の頑張りが給料の差として出はじめた

でもこのままインフレ基調だと10年後には今の給料を30歳がもらってるとかになるんだろうな…

人手不足氷河期みたいな就職難もなく、働き方改革とかで最初から給料も良くて休みも多くて残業も少ないから羨ましい。

ブラック企業就職してみた。

事情ブラック企業だと面接の段階からわかっている会社好奇心就職してみたのだが、想像を超える治安の悪さに笑ってしまった。毎日不快感半端ない

今迄の人生、ここまでの頻度で「〇んだらいいのに…」が喉まで出かかった会社があっただろうか。

まず個人経営なのだがこの経営者が多分そこらへんの平凡な人で、経営者として生きてこなかった系なので無茶苦茶をする。法律って知ってる?

入社1日目から求人票の内容8割ブッチしてきた。

流石に労働条件提示書は突っ返したが、戻ってきても間違えてる。最後まで求人票と同じものはでてこなかったが、まあまあセーフなものが出てきたのでサインするも、

「年休120日って書いてあるけど社則では108日だから108日で働いてね」

「9-17時の勤務の契約だけど6時間残業してね。うちの会社では23時まで正社員は帰っちゃだめなんだ」

希望休2日は受け付けるけど、出勤日に希望休出さないでね」

と言ってきかない。何それ草。

休みの日に希望休出して何が起こるんだ。と思いながらも出勤日に希望休だしたが全部却下された。

あと人権人権言うけど、社長とその家族人権を守る為なら社員人権ゴミカス以下と平然と言うので、みんなよく働いてんな…!?と思ったが、後で聞いたら離職率半端ないそうで安心した。

自分ポストはここ5年くらい離職者が居ない、みんな長期で働いているか安心して、と聞いていて「そんなに奴隷労働好む人が集まってんの!?」とびっくりしたが、アルバイトで付かず離れず適当に稼ぎにきているお陰で長く続いているという人から

正社員で入職したのアナタが5年ぶりだからね。前任者は揉めて辞めた」

なるほど嘘じゃなかった。

そもそも応募が滅多にない上、あの面接じゃみんな断るだろうしね。

で、やたらミーティングがあるのだが、ミーティングの内容が稚拙で笑ってしまう。

最初聞いた時はゲエ…となったが、あまりにも稚拙なので逆に変な業務やらされてるよりはミーティングコントを鑑賞させて貰っている方が気楽という。

顧客首に紐をつけて引きずったら、早く移動出来て顧客も満足」

みたいなことを平気で言う。ガチで。上から下まで誰もつっこまない。突っ込み不在のデスバトルコント。

最初まりもびっくりして

顧客首につけた紐を引っ張った場合、下手したら死ぬので一般的手法誘導した方がいい」

と言ってしまったのだが、

「それだと時間がかかって顧客の満足は得られない」

はまだマシな返事で

顧客誘導をしないというのか!」

「数十年かけてこのルールを作ってきたのに!」

論点がずれていく。これも誰もつっこまない。

面白過ぎてつっこみまくってたらミーティングに呼ばれなくなった。ついでに責任者の顔もみかけなくなった。

顧客首に紐かけて引っ張るとかそんな馬鹿な嘘つくんじゃないよって思うじゃん。

俺も最初ジョークで和やかなミーティング演出してるのかなって思った。

実際やってたか現場でもダメだよって諭したけど、絵面が無茶苦茶面白くてちょっと笑った。

同じことをお前もしろと言われて真顔に。断固拒否

後で聞いたら、その場にいたスタッフ責任者も、資格もなくバックグラウンド勉強もしていない本当に何もないド素人から採用されて、専門知識がないまま20年くらいかけて職場ルール作ってきたらしくて、今迄もずっと顧客首に紐かけて引っ張ってたけど誰も突っ込む人がいなかったし、顧客が死んだことがなかったので正しいと信じてやり続けていたらしい。確かに当たり前過ぎて「顧客首に紐をつけて引っ張ってはならない」とわざわざ書いてある教科書なさそうだしな。SMクラブとかなら推奨だったりするかもだし。

耐えられない人は突っ込むのを諦めて辞めていったそうで、今回俺が言ってくれて顧客首に紐かけなくてもいい事になって助かったと新人バイトに言われた。管理職ミーティングの場では「これから首に紐をかけます」って言い張ってたけど知らない所で折れたらしい。

ちなみに突っ込むのを諦めた人が多かった理由は無言の圧じゃなくて、有言の圧で、喋ってる最中にずっとヤジとばしてくるんだよ、管理職も含めていろんなスタッフが。

小学生が注意されるやつまだやってんのか。ダサい国会議員じゃん。

正直これが無期で働き続ける予定だったら胃が痛すぎたと思うのだが、入る前から半年だけの予定だったのでむかつきながらも割と面白く過ごせたと思う。

ただ流石に無法地帯過ぎて身の危険を感じたので、半年の予定が1カ月に短縮されはしたが。

だってティッシュ在庫が切れたのは正社員のせい」とか平気で言い出すんだもん。現場ティッシュ在庫管理は担当事務員仕事だし、その現場には週に10分くらい様子みにいくくらいしかなかったけど、管理職曰く

「その10分でティッシュ在庫確認できたのにしてないのはお前のせい」

だそうで、多分これティッシュどころじゃなく全部言い出すんだろうなと思ったら、本当に「バイトがコップ割ったのはお前がコップ落としたら割れるって言わなかったせい」とか言い出して面白かった。10分/週の期待値がでかすぎる。

絶対顧客首に紐つけて引っ張ってんのも、事故おきたら俺のせいにしただろ。

そもそもアルバイト採用だったのに入社したら正社員になってた時点で面白いよね。

半年しか働かないのに5年後には理事にするとか初日から言い出してて、大卒地方三流)雇うの初めてっぽい初々しいクソデカ期待も面白かったよ。

ありがとうさようなら

anond:20240722024658

また朝キタ!目を開けると時計の針は6時ジャスト今日は待ちに待った花金だけど、週末が遠い未来みたいに感じるし。会社とかマジ行きたくないって感じ。昨日も一昨日も、同じこと思いながら起きたし、毎朝同じルーティンとかマジでヤバい

窓の外見たら、超青空が広がってて、鳥たちがフリーダムに飛び回ってるの。彼ら、どこでも行けちゃうんだろうなー。風に乗って、好きなとこ行っちゃってさ。仕事とか縛られることもなく、上司ギャンギャン言われることもなく、超フリーって感じ!

マジで鳥になりたいって、何回思ったことか!羽広げてどこまでも飛んで行きたいし、見たことない景色見て、感じたことない風を感じるとか、ヤバすぎ。でも、それってただの夢だし、現実は毎朝同じ電車に揺られて会社行くだけだし、退屈な会議出て、無意味報告書書いて、上司の機嫌うかがってるんだよね。

休みには、同僚たちとランチ行くけど、みんな同じような表情してるし。笑ってるけど、目は全然笑ってないって感じ。みんな、ただの給料泥棒じゃん。働く理由なんて、生活のためだけだし、他に何があるっての?

午後の仕事をこなして、やっと退社時間オフィス出るとまた鳥たちの声が聞こえてくるんだよね。彼らは今日も超フリー。でもあたしは違うんだよね。明日も、明後日も、同じように会社行くって感じ。それがあたしのリアル

結局、あたしはただの給料泥棒。でもさ、いつかフリーになれる日が来るのかな?その日を夢見て、明日もまた、会社に向かうんだろうなー。

2024-07-21

鬱々していたのでSNSをやめて1ヶ月が経った

仕事メンタル崩壊しかかっており、衆人環視SNS仕事愚痴をダラダラ発信していた。

周囲の人から心配されてもうるせー!と思いながら、更にグチグチ言っていた。

ふと冷静になると、愚痴って基本は人を不快にさせることだよなと思った。

そんな訳でこれ以上SNSをやっても愚痴しか言わないので思い切ってSNSを削除した。

SNSを削除して、毎日可処分時間は増えたものの、まとめサイトを見たり増田を見たりして無駄に浪費している。

増田で相変わらず愚痴を放流している。

SNS愚痴って誰かに反応して欲しい、更には、周囲に心配して貰いたいという意図があることに気がついた。

これってめっちゃ構ってちゃんじゃん。

いい歳としたおっさんがする事じゃない。

マジで反省した。

そんな構ってちゃん体質の自分が構って貰えなくなり、なんかより鬱々した気持ちが強くなっている気がする。

この構ってちゃんメンヘラ体質を改善したい。

SNSをやればメンヘラ構ってちゃん増田をやれば誰も構ってくれないとメンヘラ悪化、どうすればいいんだ。

結局はこのストレス源を解消するしかないんだろうけど、仕事は辞められないし、その仕事は高負荷高ストレス仕事から、本当にヤバいかも。

適応障害になってもうつ病になっても統合失調症になっても、這ってでも仕事をしないといけないのが我らの業界

職業選択ってマジ大事

最難関資格を取ってこれかー。

世の中世知辛いなぁ。

土日休みたい。

おやすみ

昼寝さいこ

休みの日は昼間メムミむなっても寝ても許されるとこがぼかぁ大好きだね

おやすみなさ〜い

奉えるイラストで有名な人、しばらくお休みなんだって

日本語訳

ちょっと休もうと思います

ホタエルはずっと描き続けます。本当に好きですから

アカウントPixivの削除はしないので、心配しないでください。

実は2022年から悩まされ始めたのですが、2年間ほとんど気付かれなかっただけです。

その間に言えなかったことが本当にたくさんありました。

人が多いから仕方ないと思います

少し休んでから、また絵を投稿しようと思います

この間、私のせいで本当にたくさん迷惑をかけたと思います感謝しているし、また申し訳ない気持ちです。

少し休んだらまた戻ってきます

「チジジ」はごくたまにしますので、退屈したら遊びに来てください。

原文⇒https://x.com/mery__S2_/status/1814673088472358937

 

SNSのせいだー!ってわけじゃなさそう だけど SNSのせいだー!って思っちゃうのはなんでだろう

「性行為寸前みたいな氷菓イラストを描き続けている謎の韓国人」とか言われてさ いい気分になる人いないよね

そういうところはマジ品位が無いよ日本SNS あごめん海外のこと知らないけど 案外似た者同士かもね 小学生みたいな成人がうようよいる

ツイートも全部削除したらしい

もったいないな かなしいな

って思っちゃうけど 本人はもっと もっと もっともっと かなしいんだと思う

2024-07-20

anond:20240720214120 anond:20240720214942

地鶏って書いてるのに地鶏じゃなかったら、単純に食品偽装からじゃない?

いから読んでないけどメシは地方のがうまい(1億回目)

そらフレンチとか寿司とかエグゼクティブものに限ればその限りではないが

庶民が口にする料理はだいたい鮮度でうまいまずいが決まるので地産地消出来る地域のが美味い

エイジングったって庶民が出せる値段じゃ変わりゃせん

https://anond.hatelabo.jp/20200119164743#

 

外食に主に使われる高級食材が有り余ってても???|2020-07-03

定食1300-2200程度する店でも外国産の肉とスーパー野菜

外食産業がお休みから高級食材が消費されないなんて本当なのかな

酒なしで4000円~する店とそこに行く客なんて県内でいったい何人いるんだ

そんなので売り上げが違うものなんだろうか

https://togetter.com/li/1552382

 ↓

首都圏外ならその価格なら国産だぞ

セントラルキッチンチェーン店地価のやたらめったら高い&地産してない東京だけやで

ていうかランチならその値段でも東京でも国産出すぞ

セントラルキッチンじゃない店なら

https://anond.hatelabo.jp/20200703022201#

 

山へ行ったり海へ行く

あと道の駅JAブランド肉・野菜食う

コロナから出歩いてないけど非常に楽しい

中学の時、朝にパン買って昼に食ってたけど

公立中学で、家から弁当持ってくるスタイル学校だったんだけど

弁当作らない家だったか

通学途中にコンビニパンおにぎり買って昼休みに食べてた

弁当ない子は皆そうしてたと思う、クラスの4割ぐらい?そんなんだった

今考えると衛生的にまずかったんじゃないかあれ

朝に買ったサンドイッチを保冷剤無しで教室に置きっぱ、昼に食べる

クーラーもまだ教室になかったし よく痛まなかったなと思う

でも今の子はどうしてるんだろ

俺の学生時代より気温はかなり上がってるしヤバいんじゃないの?

給食制の学校が増えたとはいえ多分弁当学校もまだあるよね?てか弁当の子ヤバいよね

おじさん心配なっちゃ

2024-07-19

昭和OLは昼休み会社屋上バレーボールをしていたイメージがあるんだけど

これは何に由来する幻想なのか

絵描きだったが最近は長いこと絵を描いてなかった、でもAIのおかげでオタ趣味に復帰できた気がするのでAIにはちょっと感謝している。

<誰?>
<なぜ描かなくなった>
そもそもオタ趣味とは?>
AIに手を出してどう変わった>
  • 単純に「俺はこういうの好き!」が非常にやりやすくなった。英語打ち込むだけで簡単に出したいキャラエロ絵が出てくるもんね、AI様々。急にドラえもんひみつ道具が実現した未来にきたみたい。
  • 休み中にも次はどういう要素を入れようか…こういうポーズは作れるのか…と昔好きだったキャラたちのことを思い浮かべて構図を練ってたりする。忘れてたこういう感覚
  • 自分が参加している界隈はかなりおっさんだらけで古いキャラでも結構反応がある。なんあらすでに鬼籍に入られている作家さんの作品を作り続けてる人もいてある種の執念を感じる。
  • 一応自分で描いた落書きスマホに指で描いたようなやつ)を元にしたAI絵も作ってみるけど、貼るときは「自分は絵も描けるんだ」みたいな態度は絶対に匂わせないようにしている。トラブルしか生むまい、身バレ怖い。隠さない人もいるけど。
  • というわけでこれまでずっと見る専だったのが、最近は絵を貼る側として参加できるようになった。のめり込みすぎて家族最近スマホいじりすぎだと怒られてるので少し冷静にならなければと思うくらい。でも楽しい
著作権侵害とか>
絵師特権とは>
  • 正直絵を描くことを趣味としていたおかげでネット上でちょっと特別扱いされてたとは感じる。
  • 「これが好き!」というのを言葉表現すると普通に警察呼ばれそうな嗜好でも、それを絵で表現すると「神!」「素晴らしい作品です!」「ずっとその作品ファンでいて!」と反応が違うからね。こっちは実益(ズリネタ)を与えてるので対価をもらっているようなもんではある。
  • AIでそれがなくなったか?と言われると、まだまだ手書きの方がずっと強いと感じる。自分の絵に関して言うと昔々の本当につたない初期の絵ですらごくごくまれネット掲示板で見かけたりするが、AI絵はこっちがどんなに傑作だと思ってたものでも転載されてるのは見たことない。
  • 現在AI界隈はみんな表現者になれることに夢中で、実は他人の絵なんて流し見して保存してないのだろう。AI絵は絵の価値が非常に軽い。
ネットの思い出>

2024-07-18

カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

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カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

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理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

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カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

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小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

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中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

なんでカツカツの人数でまわすの?

シフトに穴が空いた時に休みの者が代わりに出るのはおかしいよね

せっかく休みだと思ってたのに急に仕事に出るとかしんどい

機械だってバックアップ代替機用意してるのに

人間代替専用の人員を用意して欲しいよね

2024-07-17

素材がいい女が風俗デビューして連日の完売ですっかり大金を稼ぐ魔力に取り憑かれて鬼出勤した結果、

マンコを故障してしばらくお休みしないといけない現象名前はまだ無い

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

月に2、3回友達と会ってたけど、苦痛だった。俺だけ専門卒だから仕事してんだけど、友達はまだ学生で、遊べる日が多い。

せっかくの休みに人に会って金使うのが苦痛だった。申し訳ないけど今はそっとしてほしい。今は仕事が忙しいって言って断ってる。楽だ。誘ってくれて嬉しいけど、ほんとうに自分を優先したい。申し訳ない。

押し入れを掃除していたら

子供の時に自作したスゴロクを発見

見てみると「深爪した!!二回休み!!」というコマが。

深爪ダメージでかすぎないか

節電だかなんだかで昼休みに消灯してエアコンも止まる

休み終わりに電灯は付くがだれもエアコンスイッチを入れていないのである

5chがbot占拠されてて

休み暇つぶしに読んでいたスレ意味のない投稿で埋め尽くされている。

昼寝するしかない

便器セーラー服入れられたことある

2014年出来事なんだけど、

母親認知症ボケてとき、私が学校で着てるセーラー服便器に突っ込まれたことがある

確かその日は父親と私で用事に出かけてて、帰ってきたらトイレのドアが開きっぱなしになってた

あれ?って思ってトイレの中を見たらお母さんが床に膝立ちで便器に向かい合ってて

手を直接突っ込んで、便器の中でセーラー服をぐるぐる回してた 洗濯機みたいに

お父さんがおい、おいって声かけても最初全然気付かなくて、

一心不乱に便器の中をかき混ぜてた

すごい勢いでやってるから床も水浸しになってて、廊下も水がはねてびしょびしょになっててさ

お父さんに思いっきり肩を引っ張られて、やっと我にかえってた?かな

こっちを振り返ったお母さんはなんかきょとんとしてて、寝起きみたいな顔だった

私はただただ怖くて泣きだしてた

(なんで泣いたんだろう お母さんがとうとうボケてしまったんだと実感して辛かったのと、大事制服が汚れてしまって嫌だったからかな多分)

ちょうどその日は修学旅行の前日で

その出来事があまりにもショック過ぎて、翌日も全然気持ちが晴れなくて結局修学旅行を休んだ

普段はズル休みとか絶対さなタイプ父親だったけど、そのときは休んでいいぞって言ってくれた

制服は洗って着る気にならなかったからもう一回制服屋で新しいのを買ってもらった

結局母はそのまま認知症が進んで、

その半年後くらいに近所の病院入院した

せん妄が酷いか病院の人にも沢山迷惑をかけたことだろうと思う

でも家で父が介護するのはもう限界だったし、介護に参加してない私もキツかった

学校から帰ってきて玄関開けたら汚物のにおいがして、お父さんが寝室で怒鳴ってて

友達は皆彼氏デートしたりしてるのに私はなんでこんなに毎日トイレのことばっかり考えてるんだ?と嫌になった

正直、「早く施設に入ってくれ」と思ってた

亡くなる数年前からはもう寝たきりで、亡くなったのが今年

2014年から2024年まで10年間ずっとボケてたことになる

私が生まれたのは1999年

母が体調を崩したのは私が小1ぐらいのときからから

私が元気な母と過ごした期間は7年ちょっとしかないらしい 短い

お父さんやお兄ちゃんは元気な頃のお母さんの話をよくするけど

私はそんなお母さん知らないんだよなあ

体力満タンのお母さんにもっと会いたかった

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