「プリンタ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: プリンタとは

2022-09-07

anond:20220907113359

あの商品命名の時には商品名の公募があって、採用された人にはプリンターが贈られました。Buffalo32だったっけな。32KBのバッファということで。(僕の案 Buffalo Joe採用されなかったけれど入選ということで新製品プリンタバッファのものを頂きました)

2022-08-29

悪徳3Dプリンタメーカー製のフィラメント

なんか融点低くないか

ベースにくっついてはがすのつらすぎる

再利用できると思ったのに…

悪徳メーカー製の3Dプリンタは昨日破壊してしまったよ

なんてこった

というか、この台湾製の3Dプリンタめっちゃ分解しづらい

から、どうやって組み立てたんだ?って感もある

というか、ネジが多い

すごく多い、コストカットできてない

その上、はめ込みの箇所はどれもきつすぎて、必ず爪を折らないと中をいじれないレベル

というか、マニュアルにも一般ユーザーに向けて、はめ込みの箇所を開いて掃除しろだの書いてあるのに、

その段階で俺ははめ込みを折った

きつすぎて、折らないと開けなかった

折った後に検証してもそうとしか考えられない

なんでこんなに爪が太くて長いんだ?

ちんぽなのか?

2022-08-28

おじさんはなぜ印刷したものスキャンしてPDFにするのか

PDFプリンタはともかく、Excel純正PDFにできるやん

2022-08-21

魔道書、Wordで書くか?LaTeXで書くか?

呪符パワポで描くか?イラレで描くか?

インクに魔力を宿らせるタイプ魔道書なら魔法プリンタを使えばいいだけだからやっぱり手書き必要ないよね。

魔法も道術も時代に合わせてアップデートしなきゃ。

2022-08-09

anond:20220809125148

対象首相であることとかよりも、自作銃ってところが、ヤベー感じするんだよな。

 

ただでさえ3Dプリンタの件とかで懸念があったというのに

2022-07-22

前の現場との比較

 前の現場7月から現場
勤務ずっとテレワーク
そろそろ出社させろって話は出てたらしいけど
週に3回テレワーク可能
定例の進捗MT週1。
二日ぐらいチャットでの連絡さえもこないことも多い
日に平均3回。
稼働管理月1の報告単位ではなく、時間単位書き込み
稼働効率意識なし。というか、気にするほど忙しくなかった上記の稼働管理の通り意識高い。
稼働時間が高すぎるなら別の人に作業を振ろうという側面もあるらしい。
要求確認口頭連絡。俺が怖くなって資料化してRV多少の文言変更もクライアントが何して依頼してきているかドキュメントにして上層部にRV
私のプロジェクト理解から隅まで。キックオフから参加してた途中参加のためか、全体像がなかなかつかめいね
ソース自分で作るその後にダブルチェック
チーム5人最小コアは3人。RVを受ける人、その上の人とかたくさん。私から見えているだけで10人。もっといるだろうな
文言変更とかの
簡単な変更の工数
1日作業見積もり設計書変更、製造テストリリース判定会議などなどで全部で5日
上層部性格やさしい。休めと言ってくるやさしい。休めと言ってくる。けど、作業量や締め切りとの天秤は考えてないっぽい。
運営しているサイトの特徴見ている人からお金をもらうためのサイト情報サイトマネタライズはサイトの外で行われているらしい
テレワークでの仕事場特定なし。
喫茶店かに持ってって仕事しちゃダメだろうなと思ってた。
説明の中で「例えば喫茶店仕事をしてて」、、、、といってた。
喫茶店仕事をするのはアリらしい
貸与されているPC何入れてもOK何を入れたか見てるよ。だから関係ないアプリを入れるなよ
管理部の脅しだったらしく、何入れても連絡が来ることがないらしい)
自宅で印刷OKアプリを入れるなっていったろ。
プリンタドライバ入れても分かるから
(入れても大丈夫なんじゃないかって気がしてきた)

前の現場がびっくりするくらい楽だったけど、7月から現場もまともな現場だよね。

7月から現場の一番いいところは、サイトお金を取り扱っていないところ。バグ請求額が間違ってた時のドタバタ立場のなさといいったらもう。テストの細かさといったらもう。

さあ、どっちがいい!?

、、、今のところ、前の現場に戻れるなら戻りたい。勤務チェックが楽だし、古い人間としては紙出しして赤ペンでチェックしながら仕事をした方が速くて正確なのよ。

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-15

父を見送った

大好きな父が亡くなった

60歳代は早すぎる

今は何もかもが惜しい

ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた

在宅緩和ケアだったから、もう良くなることはなかった

容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった

話したかたことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した

ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった

起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした

毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた

息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた

通夜告別式葬儀初七日も全部終わって今は自分の家にいる

二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ

毎日用事や様子を記録するためのメモ帳

衣替えをしようとして中途半端にたたまれている冬服

父と家族写真ラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター

プリンタで出力したらインクにじみが出てしまった家族写真

いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸オールインワンジェルと常用薬を入れたケース

父が書いた様々なメモ

昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳

ガジェット好きの父からもらったUSBケーブルタブレットポータブルスピーカー、大きなハードディスクポータブルフロッピードライブ

硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕

寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計

疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽジンジャーエールペットボトル

突然出てくる涙を拭くためのハンドタオル

実家に通うようになってからそのままのカレンダー

父が眠っている時の暇つぶしに作っていた小物の手芸道具

口が乾くから買ってきてほしいと頼まれものハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル

湯灌の時に切ってもらった遺髪

喪服と黒カバン数珠と靴

まだまだある

片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい

自分の体が代謝していくのが惜しい

父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい

父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく

前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい

父の情報がもう二度と更新されないことが悲しい

カレンダー7月にならない

辛い

2022-07-12

「なんだよ暗殺とか簡単じゃん!」って風潮になってるという風潮

犯人が今回暗殺必要だったパーツを揃えるのって全然簡単じゃなくね?

自分の肉体

犯人は体格を見るに2年ぐらいぶっ通しで筋トレなり肉体労働なりをしてる。

これは案外簡単じゃない。

特に負け組と呼ばれている人達には難しいだろう。

その証拠日本中にヒョロガリデブが溢れており、彼らの7割ぐらいは「復讐のために筋トレだ!」と思い立っても3日で辛くなってやめるだろう。

銃・実練習場所

パイプにダクトテープが巻き付いたようなハンドメイド銃を見て多くの人は「こんなの俺でも出来る!」とか「3Dプリンタ銃の方がまだ精巧だ」と勘違いしている。

だがあれを作るのは決して簡単じゃないし、少なくとも3Dプリンタで作れるようなゴム鉄砲の延長みたいな銃ではまともな散弾は発射できないだろう。

銃そのものを作るのに最も障害となるのがトライエラーの機会だ。

火薬を使うという性質上どうしても発射する場所には気を使う必要がある。

銃の練習だけならアメリカでやればいいんだろうが、その経験を手製銃にそのまま活かせるわけもないし、銃の性能テストをする必要もあるのでどうしても本番前に実射撃必要になる。

山の中で猟師の振りをして撃とうにも、見たこともないような銃を使っていれば自然と目立ってしまうだろう。

猟銃をそのまま使えば問題解決しそうだが、今度はその形状で警戒されてしまう。

暗殺に丁度いい大きさで、かつ命中率と殺傷力を両立したいなら犯人が使っていたのが限りなくベストだと言えるだろう。

結果を見た自分たちは既に正解がわかっているわけだが、それを自力見出していく道を簡単とは言えないのではないだろうか。

情報と運と忍耐

今回、暗殺成功における最大のファクターは「警備が手薄なタイミングで実行に移したことなのは間違いないだろう。

本人と装備の準備はたしかに立派なのだが、ほとんど警戒されずに後ろから近づいて悠々と2発目まで発射できていなければ殺し切ることは不可能だっただろう。

ネットTVではSP無能がしきりに叫ばれるが、そもそもSPの人数が4人ほどいれば誰かは後ろを警戒していただろうし、その場合は発射方向をキチンと把握してカバンを構えることで2発目は防がれた可能性が高い。

そもそも1発目を撃つとき体制や狙いをつけるとき障害物を意識する必要なども生じるだろうから成功率は大きく下がる。

結果だけ見れば最後には運が大きく作用しているのだが、それを引き寄せたのは本人の忍耐力だと私は思っている。

「実行に移そうとしたが、奈良以外では近づけなかった」というのを多くの人は奈良県警の純粋無能としてばかり評価するが、ここをもって犯人の忍耐力についても一考するべきだ。

銃をカバンに仕込んで移動すること自体リスクを伴うことを考えると、結構直前に作成成功率を鑑みて撤退できるのはかなり冷静な判断力がいる。

そもそも普通は持っていれば即捕まるよな物をカバンに入れて警備された地区に近づくだけで心拍数が上がりきって判断力がなくなるはずだ。

犯人はその状況でも冷静に警備の硬さを確認して撤退する。

覚悟のない人間であれば、こうして近づいた段階で満足してそのまま復讐をやめ、自分けが知る小さな勝利だけを持ち帰って満足しているだろう。

ないしは何度も危険な状況に挑戦するのを嫌って玉砕覚悟成功率を無視して行動に移し、脅しをかけただけで勝利だと満足しながら刑務所に入るやも知れない。

だが今回の犯人は冷静さ・忍耐力・覚悟・信念などをあまりに多く持ち合わせていたがゆえに、次なる機会を伺い暗殺成功させている。

やはり過小評価されているのでは?

これを簡単だと言えるのだろうか???

犯人像の英雄化を防ぎたいだとか、社会的地位の高い人間の恐怖心を煽りたいだとか、とにかく騒ぎたいだとか、そういう理由から今回の犯人が揃えた手札の質と量を過小評価する傾向があるように思えてならない。

正直、よっぽど頭がプッツンしたからといってここまで出来る人間日本人全体の1%程度なんじゃないだろうか?

そもそもその1%の人間はその能力を持って人生コントロールしてプッツンすること自体を防ぎ切る可能性が高いだろうし、もしも頭がプッツンしても99%の人は冷静になって途中で辞めるだろう。

針の穴を通すレベルで不運と能力と偶然が無数に重なってようやく起きた極めて稀有な事例に思える。

もしもこれが「酔って暴走したトラック運転手プリウスミサイル老人に元首相が撥ねられて死んだ」という事件であるのなら、「暗殺簡単すぎるだろ……」と私も怯えたに違いない。

だが今回の事例を簡単と呼ぶのは違うように思える。

簡単ではないが、能力のある人間が、本気で実行に移そうとしたなら、それは結果を伴いうる」という事例ではないだろうか?

センセーショナルなるな表現体験を求めすぎて多くの人が本質を見失っているように見えてならない。

2022-07-08

anond:20220708145045

かんたんな金属加工できれば3Dプリンタなんかいらねえよ

銃なんて火薬式吹き矢なんだから原始的すぎるんだよ

2022-07-01

エロマンガを描いて生きている 3/3


年貢の納め時がきた。次の年だ。

人生で初めて確定申告をした。凄まじい税額に衝撃を受けた。あれだけ必死で描いて稼いだというのに、国が四割近くも持っていくのはおかしいのではないかお上の取り分が多すぎる。ずるい。

クリムゾン先生みたいに法人化すればいいのかもしれない――と、税務署まで確定申告の用紙を出しに行った帰りに考えていた。

二週間ほど経った頃だった。父から台所で声をかけられた。「確定申告したのか?」という、いたくシンプルな問いだった。なんで知ってるんだと思った。カチコチに固まってしまって、しどろもどろに声を出そうとしていたところ、父から助け舟が出た。

税理士から電話があった。うちの確定申告の用紙を税務署に提出したところ、息子さんも確定申告をしているようだと。一世帯でひとつの申告になるから、お前のをこっちにくれ。やっておく」

という事情だった。

そうか、そうだったんだな。一世帯でひとつなんだな(追記扶養家族一定以上のお金を稼いだ場合はこうなるそうです)。父さんはずっと前から工場主で農場主だからな、と頭を真っ白にして……二階に昇って、申告用紙をもう一度プリンタ印刷して、父のところに持って行った。「はい、どうぞ」みたいなノリで手渡した。

それで風呂に入ろうとしたところ、「ちょっと待て、この金額は?」と当然の質問が飛んできた。嘘をつこうとしたが、やめておいた。

漫画を描いてる。売って稼いだ」

それだけ言って風呂場に行った。父の、眉間にシワを寄せた顔が記憶に残っている。

「頼む、これで済んでくれ」と祈りながら風呂に入って、湯冷ましの散歩に行って、また二階に上がってペンタブちょっとの間だけ握って、マットレスで寝た。



翌日だった。家族会議が開かれたのは。父が、母と妹の前で確定申告の用紙を出して、厳しい問いかけを続けた。

「なぜこんなにお金を?」

「どんなものを描いてる」

「どうして言わなかった」

おおよそこんな内容だったと思うが、正直に答えていった。将来が怖かったこと、何をやっているか恥ずかしいから言わなかったこと、でも漫画を描くのが好きなこと。

父は、手元にあった湯飲みを手に取った。グイっと飲み干した後、急に笑顔になって言うのだった。

「一人立ちできたんだな。おめでとう。どんな漫画を作ってるんだ、見せてくれ。父さんな。若い頃に読んだ三浦先生ベルセルクが好きなんだ」

自分作品主人公は、ある意味ベルセルクだ。性的な意味でガッツもある。男らしさはあまりない。催眠アプリを使って、同じクラスのいたいけで可憐女の子セックス漬けにしたりする。

母も期待のまなざしを向けている。滅多に見せない、期待感で高揚している時のあのまなざし気持ちが悪い。

さて。自分電子書籍コンテンツを売っていたのだが、たった1冊だけあった。紙の本が。以前、人生で一度くらいは紙の本を出してみたいなぁと考えていた。それで出版社の依頼を受けて、紙書籍で出させてもらった本があった。

それ(女戦士レイプ凌辱もの)を二階から持って降りて、あとは一番最初DLsiteで出した電子書籍(妹ものライト強姦アンソロジー)を記念碑的に印刷しておいたものを、一緒に台所に持って行った。

「これ、俺が描いた作品!」

台所テーブルの上に置いた瞬間、母と妹がのけ反った。明らかにビクッとなっていた。

そこに置かれた1冊(女戦士レイプ凌辱もの)を手に取った父は、まじまじと表紙を眺めていた。やがて、椅子から立ち上がると、クリップ留めの一綴り(妹ものライト強姦アンソロジー)を何枚か手に取って、また眺めた。首を微かに振っていたかもしれない。

沈黙があった。自分は瞬きをしていた。くしゃ、という音がした。クリップ留めの一綴り(妹もの~)にみしみしと皺が入った音だった。

馬鹿野郎!!」

父の手元にあったはずの湯飲みが額にぶつかって、「やろう」まで聞こえなかった。痛みで聴覚が鈍ったあの感じ。二度と体験したくない。

まりの痛みに膝を崩して、床に崩れ落ちたところで、父の蹴りが飛んできた。また頭に衝撃が走って、それから床の上から何十回も肉体を踏みつけられた。

母も妹も止める様子はなかった。ただずっと、父から暴力を受けていた。痛かった。苦しかった。呼吸ができなかった。息を吸うためのエネルギーを体が回復力に転化しているのだな、と感じた。

なんで、どうして自分あんもの家族に見せたのだろうか。認めてもらえるとでも思ったのだろうか。自分は愚かだ。父がぶっきらぼう台所を出て、工場の方に向かうと、自分は立ち上がって妹の方を見た。母親の泣く声が聞こえたが、見ないことにする。

妹は、放心した様子でクリップが外れた一綴り(妹ものライト強姦アンソロジー)をじっと眺めていた。微動だにしていない。人は、本当に驚くとこうなってしまうらしい。

その場を離れて洗面台に行って自分の顔を見ると、額がパックリと割れて血が出ていた。後ろを向くと、床に血が滴り落ちている。

馬鹿だなー、お前。アホが。ゴミクズのどちらかだな。死ね

タオルで傷を覆って、自分に対する悪口を連ねた。気分は暗かった。鼻水と涙が出てきて、そのまま二階に上がって、傷は痛いままだったけど、マットレスで寝た。



翌日は全くの無言だった。父とも母とも妹とも会話をしなかった。以後もほとんど話さなかった。

自分は、稼いだお金ですぐに引っ越しをした。引っ越ししたことはなかったけど、インターネットとか、出版社の人に電話相談したりしながら、どうにかやり遂げた。

自分実家を出た日のことだ。あの時の二つの漫画を妹の部屋の前に置いていった。なぜかはわからないが、その方がいい気がした。

ワンルーム4.5万円の、都内にあるボロアパート引っ越した。以後数年間、ひたすらに漫画を描いて、描いて、描きまくって、今ではこの界隈で一定地位を築いている。

父とは最近、話ができるまでに関係回復した。前よりも気持ちよく話ができる気がする。心が通じ合っているというか。

母親はまったくだめだ。何を言っても聞いてくれない。正月実家に帰った時、「おせちできてる」「風呂が沸いた」くらいは言ってくれる。

妹には、今年の正月にようやく謝った。あの台所の四角い卓に座って、斜めの角度で一緒に食事をしている時だった。

「ごめんな。あん作品を作ってて。本当にごめん」と謝罪をした後、妹からは、「もういいよ。兄ちゃんお金持ちになれてよかったね。私もごめんね。ずっと辛く当たってた。本当にごめん」と返ってきた。

鼻をすすって、ちょっと涙目になっていた。肩をちょっと撫でてやると、涙が指に零れてきた。

実際、妹は許してくれたのだろうか。そこが気になっている。

あくま想像なのだが、妹はショボい兄が許せなかったのではないか不登校になって、社会的に低層にまで落っこちしまって、それが許せなかったのではないか。その現実を受け入れるために、自分に対してひどい扱いをすることで一貫性を保っていたのではないか

自分実家を出た日、あの時二つの漫画を妹の部屋の前に置いていった理由、それは多分、妹に対する感謝気持ちがあったからだ。

からひどい仕打ちを受けた。通りすがり悪口を言われたり、存在に耐えられない軽さの空気みたいに扱われたり、完全に下の存在として見下されたり。いろいろあった。

しかしだ。ムカつきはしたけど、ああいった体験がなかったとしたら自分は今の立場にはない。あの妹がいたから、あの作品が世に出ることになった。それで読者が喜んだ。

そうでなかったら、今でもフリーターとしてマックかどこかでアルバイトをして、ただ何となく若さを消費するだけの毎日を過ごしていた可能性が高い。父が、母が、特に妹が、自分という存在に手痛い一撃を加えてくれたから目覚めたのだ。

家族には感謝している。あの当時は畜生だと思ったけど、今では感謝の念が強い。最後になるけど、ありがとう自分という存在をここまで高めてくれて。今の自分に暗い怨嗟気持ちはない。午前八時の太陽のような、ほんのりと暖かい気持ちが込み上げている。

昔の自分に伝えたいことがある。諦めないでくれてありがとう

2022-06-29

https://anond.hatelabo.jp/20220629082354

リストほとんどがお気に入り漫画か未読のどちらかだったので、好みが合うかなとギブアンドテイクで書いてみる。

増田リストは宝の山みたいでしばらくの楽しみが増えて嬉しい。

メノタ「果ての星通信」(SF・全5巻)

https://pash-up.jp/content/00000375

地球から誘拐された主人公の異星間交流。異星の文化描写がすごく良い。

しょうもないのうりょく(現代ファンタジー・連載中)

https://seiga.nicovideo.jp/comic/47001

現代人全員がささやかすぎる異能を当然に持っている世界観日常もの。くすっと笑いたいときに。

澤江ポンプパンダ探偵社」(現代ファンタジー

https://comic.pixiv.net/works/5375

身体が徐々に動植物に変化していく「変身病」のある世界探偵社の話。連載が続かなかったのが残念。

迷子プリンタニアニッポン」(SF・連載中)

https://matogrosso.jp/serial/printania_00-8/

生体プリンタから出力された生き物とのほのぼの生活……の合間からちらりと覗く管理社会描写がよい。

さもえど太郎「Artiste」(現代お仕事もの・連載中)

https://www.comicbunch.com/manga/bunch/artiste/

パリ舞台にしたフレンチ料理もの特別に味覚・嗅覚に優れているけれど、気弱な青年シェフの成長譚。

トルソの僕ら」(ファンタジー・全2巻)

https://comic.pixiv.net/works/4203

鳥のような種族との異種交流を描いたオムニバス。同作者の『人馬』もおすすめ(ただ、増田リスト作品よりはテイストが若干ハードかも)。

坂月さかな「星旅少年」(SF・連載中)

https://pie.co.jp/series/4858311/

星々を旅する主人公出会いオムニバス。御伽噺にも似た、不思議で静かな世界観

灰原薬応天の門」(歴史もの・連載中)

https://www.comicbunch.com/manga/bunch/outen/

菅原道真在原業平がバディとなって怪異解決する、連作ミステリー

吟鳥子「アンの世界地図 」(現代もの少女漫画・全5巻)

入江 亜季「乱と灰色の世界」(ファンタジー・全7巻)

2022-06-23

小さい自宅兼喫茶店をしている。

メニュー手書きからプリンタ印刷にしたところ売り上げが落ちた。

3か月くらいして一部を手書きに戻したら、そこだけ注文が増えた。

手書きは温かみを感じるから飲食業には向いている。

ひとつ学んだ。

2022-06-12

増田ガレッジセール

売りたいもの

iphone X 256GB 新品未開封

ラズパイ 4 type B 8GB クーラーファン部品つき (新品)

無印良品 折り畳み机

iMac Retina 5K 27インチ 2020 MXWT2J/A (ほとんど使ってない美品)

epson ew-m530f series (プリンタ)

2022-06-05

anond:20220604181331

真空管時代は、見て動作がわかるスケール部品周波数もkHzくらいだったけど、今は立体配線にモールドでしかもGhz動作とか動作がわかりようがないんじゃ。あと家のなかに工作室・スタジオガレージを持てる人種はもはやとても少ない。一部モデラ―が部屋の片隅に山善食器乾燥機とか3Dプリンタとか置いている位では。

2022-05-30

スゴイいいこと思い付いたんだけど

インクジェットプリンタの機種ごとに対応インク表みたいのあるじゃん

あれの逆で、このインクはこれらのプリンタ対応しています!って表も欲しくて、

プリンタ自体がそろそろ買い換えかな?って思うとき

大体はまだインクが余ってるときほとんどなんだよね。

からこのインクにはこのプリンタが使えます表があれば、

今持て余しているインクの行き先を考えずに、

新しいプリンタを買うことが出来るので

メーカーはなんかもうちょっとそこ便利にして欲しいんだけどなぁ。

このプリンタ対応するインクは書いてあるけど、

逆の、このインクにはこれらのプリンタが使えます!ってのが情報が無いんだよね。

あれば次買うとき買いやすいんだがなぁ。

2022-04-30

カラーインクを交換した後にまず初めに印刷するのは

プリンタカラーインク交換したら、景気づけにエロ画像印刷するんだけど、一般的ではないかもしれない

anond:20220430111045

インクジェットプリンタだと思うけど、詰まったら、延々とクリーニングすれば大体解消する。インクめっちゃ減るけど。

剛の者はプリンタヘッドを洗うらしい。しゅげえ。

通電してると、一定間隔でクリーニングに行くから、常時通電してるとめっちゃインク減らない?

プリンタ

同人をやってた頃、コンビニへ行くのが億劫になってきたのでインクジェットモノクロレーザープリンタを導入して、家で色々印刷してた。

チラシも、あれもこれも。最後同人誌はコピー誌だった(表紙はインクジェット中身はレーザー)。

今はモノクロレーザー複合機を使っているけど、使うのは年賀状役所町内会ぐらいだな。

町内会は紙ベースからなあ(遠い目)。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん