はてなキーワード: イコールとは
今回は少年ジャンプ+
総括、とはいっても、これの感想で「「もとからクソ漫画しか描けない作者に、わざとクソ漫画を描かせた」みたいな薄ら寒さ」と書いたことがあるが、要はそんなもん。
メタろうが、開き直ろうが、逆立ちしようが、クソなものはクソ。
このテの作風で、遥かに構成が優れてかつ高い画力の漫画なんてのは他にもあるわけで、絵もダメ、ストーリー構成もテキトーではなあ。
まずは画力を上げて、真面目にテーマやギャグマンガにちゃんと向き合った上で、こういう作風に手を出して欲しい。
単行本を買えば復活もありうるらしいが、もちろん私はネタでも買わない。
現実問題、必ずしも作品の出来と売り上げがイコールとは限らないが、それでも私は可能ならばそれを比例させるべきという考えなので。
前回、カットされるかもとか書いたけど、本当にカットされたか。
一応、どうやって勝利したかってのが説明されたのはよかったが。
相手のパスコードを推理するのではなく、こちらの考えたパスコードに誘導させるってのは面白いね。
まあ、いくら傾向があるからといって、ああいう遠まわしな誘導でズバリいけるかっていうと、大分ご都合感があるとは思うが。
殺す夢を克服したかと思いきや、今度は殺される夢か。
それで抗おうとすれば、今度は知り合いを殺す夢に発展とは、きっつー。
心にもない言動が出てしまうってのも、追い込まれる感が出てて、危うさが垣間見えるな。
それでも、事情は把握してなくても寄り添ってくれる同級生や友人の言葉で、主人公が活力を取り戻す部分は中々に感心した。
青臭いことは否めないが、言動や描写に無理やり感があまりなくてよろしいかと。
笹木では普通にやっても勝てないだろうなと思ったが、そういう決着だったか。
実際、ガチでやっても勝てなかったという事実と、坂上は勝てたっていうことが笹木の「自分はふさわしくないのでは」という不安を募らせたんだな。
質問のつもりなら教えてやる。
気持ちよくなるフィクションと気持ちよくなる「ための」フィクションは全く異なるものだよ。フィクションにはフィクションの文法があるが、後者の場合は「気持ちよくなる」という目的に反するものは可能な限り排除され「気持ちよくなる」という目的に沿うならどんなご都合主義も原則許容される。体力の限界とか性欲の限界とか。あるいは「そもそも呼吸できんのか?」から始まらない異世界召還もののラノベとかな。そういうことをなおざりにせずきちんと積み上げて創作する界隈から、そういう面倒を全部すっ飛ばして快楽に「のみ」奉仕するフィクションをポルノと見下げて言うんだよ。読んでて苦しくなるようなフィクション、はっと胸をつかれるような台詞、綿密な考証と舞台設定や周到に練り上げられた伏線…それらも、結末のカタルシスに至るための手段として機能しているのではないかという意味でなら、もちろんその通りだ。あらゆるフィクションは、たとえば孤島で3日間生き延びる上で絶対必要不可欠な何かかと言われればそうではないだろうし、その意味で所詮娯楽のようなものだと言われればそれはもちろんそうだ。だが、孤島で、ジャングルで10年生き延びていくときには、カレンダーというフィクション、主人と従僕というフィクション、あるいは「日本は負けてない」といったフィクションが必要なのであり、フィクションが我々の精神や人間的な生活に対して果たす役割、その必要性は、物質的な何かに比べて劣るというものではない。だから、フィクション=娯楽=ポルノ、という短絡は、やはり少し違う。フィクションの果たす役割はもう少し大きくて広いものであるし、その点から考えれば、いくつかのフィクションにおいては、娯楽性やカタルシスの方がむしろ手段だとさえ言える。
従って「そういう(結果的にはカタルシスにつながる)目的のためであっても原則として快楽を味わう上での面倒はすべて避ける」という文法・作法に基づいて作られるポルノは、フィクションの一ジャンルではあっても、その総体とイコールであるとは言えない。ポルノと非ポルノの分類は、決して不可能ではないんだよ。
なお、ツッコミのつもりで書いたとしたら、それはお前が普段消費しているフィクションが大体全部ポルノだという告白に過ぎないので、自爆乙としか言いようがない。
昨日、これを書いた元増田です
とりとめなく思ったことを書いただけなのですが、ここまで反響が多くてびっくりしました
やはり、みなさん、国語の授業には色々思うところがあったのですね
自分も色々参考になりました。ありがとうございます
はてブコメントで気になったものをピックアップして、この話題は終わりにします
ボトムアップでは細部に拘泥して大意を読み取れない
端的に言ってすみません、これは、パーツを「繋ぐ」工程に問題があるパターンです
そして、上手く「繋げ」られないのは我々国語教員の教え方の問題でしょう
ただ、思うに、大意が読み取れないのは、細部に拘泥しきれていないのではないでしょうかね?
要するに、ある「細部」を読み取ったは良いが、また別の「細部」を正しく読み切れていないから生じるのだと思います
どっちも使え
はい。その通りです。現にセンター試験は4つの大問を80分で解かなければなりません
評論と古文は20分では無理なので、漢文と小説は15分で解けと生徒に言っています
この場合、トップダウンの読み方をするしかありませんが、元増田で書いた通り、
トップダウンの読み方と言うのは、ボトムアップの読み方が出来て初めて習得できるものだと思います
例えを出すなら、
知識のある人が頭が良いわけじゃなくて、頭の良い人は総じて知識を持っている、という必要十分の問題と似た感覚です
それを無視して、トップダウンの読み方だけを授業に持ち込むことには疑義を示したい、というのが元増田の趣旨でした
世の中まともな文章だけじゃない
はい。その通りです。自分が書いているようなクソみたいな文章もあります
ただ、「読みやすさ」のクソさと「内容」のクソさの峻別が出来るようになってほしいと、国語に関わる者として強く願っています
ですから、「読みにくい」文章でもなんとか読めるように、内容を吟味したうえで「クソ」と言えるようになってほしいと思っています
時々、「読みにくい」を「内容がクソ」とイコールで繋げたがる人がいますが、自分はそうは思いません
むしろ、読みやすくて内容にも優れている文章が見つかる方がレアではないでしょうか?
「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してほしくないというのが自分の考えです
もう一度言います、「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してしまうのは悪です
おっしゃる通りです
小学校の先生方というのは、非常にまじめな人が多く、丹念に、一生懸命にやっていると思います
ですが、小学校と高校にもなると、言葉遣いから表情、距離の取り方まで、もういろんなことが違うのです
それ以前に、この業界は「他人の仕事には口を出さない」という空気が強いですけどね
これはトラバですが消されていたのでここで
はい。すみません。「書く」訓練に関しては、本当に足りないと思っています、返す言葉がありません
他方で、「話す」「聞く」は、音声言語の発信と受信に対応していますが、
現実問題として「話す」「聞く」を言語だけで行うことは稀で、非言語的コミュニケーションが伴う場合がほとんどです
一般的なコミュニケーションにおいて、非言語的なものはその7割を占めると言われています
国語教育がそこまで立ち入れるかはなはだ疑問ですし、立ち入る必要もないと思います
むしろ、純然たる「言葉(言語)」のみでどこまでコミュニケートできるかの限界線を知ることの方が大切だと思います
---
この業界は、どこまで行っても、場数を踏んで、手探りでやってくしかないのです
正直、わからないことばかりです
良い結果になるか悪い結果になるかは、蓋を開けてしばらくしないとわからないでしょう
また、純然たる「教育」が、どの程度社会に対して影響を持つかを正確に測定するのは無理です
それでも、「少しでもマシな」社会を作るために、自分にできることをやらなければなりません
日頃「つまらない」授業をしているバチが当たったせいか、お茶が気管に入って噎せ込んで噴き出してしまいました
終わりにします
まず
はい、そうです
重なる部分はありますが、
「国語」になると話が変わってきます、大学で教職科目を取っていたときは、
「「国語」はある種のイデオロギー的なもの」と教わりましたが、僕はそこまでは思いません
ただ、「国語」、母国語であるわけで、使う私たちはいわばネイティブです
「日本語」と言う場合、多くの場合はネイティブを想定していませんよね
考えてみたことなかったですが、言われてみれば領域的にはそうですね、言葉に絡む一切のものを詰め込んでる感はあります
根っこは同じだと思います
「言葉に対する意識・感覚・能力を向上させる」ことを念頭に置いて、自分はやってます
だってさ、最近のゲームで金稼ぐってことはシステムじゃなくて、
キャラクタ(カード)とかシナリオとかを増設していくこととイコールになってるわけよ。
ディレクターとかプランナーみたいな非エンジニアにしてみても、絵とかシナリオならわかるわけよ。
ゲーム部分に関しては技術的な制約とかまったくわからないから、
こんなことやりたい!とか言ってもことごとくプログラマから「できません」とか突き上げられて、
ようやくできたものは理想とはほど遠いクソだとかうすうす思ってるわけ。
だから世界観とかキャラとかシナリオで客集めて売上とるしか道が無い。
そしてこのざまだよ!
悪法も法という言葉どおり、そもそも善悪と法律はイコールじゃないわけで
そうすれば、善悪判断で「やってもいいんじゃね?」と思う人も、1の段階で思いとどまるのかもしれない
最近は世間の感情に流されるから、善悪≒法律になってきているような
(善悪の問題を過度に法律で解決しようとしてしまうという弊害もでる)
ちなみに心の弱い人にはこういうそもそも論すら危ういと思ってる
そういう意味で、そもそも論を考えてしまうような人(1の補欠)はやはり危うさがあると思う
「これは犯罪になってるけど、理屈では納得できない。別にやってもいいんじゃないか?」
とか考えてる人
法律が、普遍的善悪の基準と完全に被さっていなくて、そこからはみ出た部分(A∪B-A∩Bみたいな??)が犯罪になるのよね
普遍的善悪の基準って言っても、人間は神様じゃないから本当は普遍的でも何でもないんだけど、生きてる限りは自分なりの正義があって、だからこそ面倒くさいんだよね
まあ、各自が想像する任意の普遍的善悪の基準に当てはめてもらっていいんだけど
この前、視覚障害者が店の予約?入店を断られた?ってニュースあったじゃん
その時に、コメントの一つに、「障害者差別解消法に定める合理的配慮に反しています」ってコメントがあって、うーんって
じゃあ障害者差別解消法がなければあなたはどういう武器で店を責めるの?
「何人たりとも差別されるべきじゃない、出来る限りの配慮をしたうえでの入店拒否なのか?」って言った方が、論理的にしっくりくるし、法律を武器にするのは時として悪手になる
見方として、法律が普遍的善悪を過不足なく包摂していて、過不足なくその基準になってるって盲目的に信じ込むのは、危険だし、そう信じ込めること自体が、幸せであることの証左な気がするなあ
そもそも論として法律は普遍的善悪の基準じゃなくて社会の行動規範って言われればそれまでなんだけどね、もちろん、そういう面があるのも事実だけど
「自分は悪いことをした」と「自分は社会を乱した」はトータリーイコールにはなりませんよねえ
所与のもの(既存の在り方、既成概念)を疑うことが、なぜか法律だけにはなかなか適応されない(される場合でも、性犯罪(セクシャリティ)の問題など、非常に感情論的な疑い方にすぎない)事実は、あるんじゃないかなあ??
今回はとなりのヤングジャンプ
前回は運動神経のすごさも描かれていたし、あんまりそういうすごさを人格から感じさせないが、主人公って実はめちゃくちゃスペック高いんだな。
だが、セーラー服が着れると思っていたら、今はブレザーが制服だったとは。
そういうの調べたりとか、あらかじめパンフとかに書かれていたりするもんじゃないのかなあ。
気恥ずかしさはあったが、母親に仕立ててもらったセーラー服だし、学校側からも許可が出たということで着ていくことを決心したと。
まあ、本人の意思を尊重すべきなんだろうけれども、周りと目に見えて違うってのはイコール「目立つ」ってことになりがちで。
そして世間一般の社会において「目立つ」ってのは基本的にいい意味では扱われないんだよねえ。
いや客観的に見た場合、是非もなにもあったものじゃない理屈なんだが、やっぱり今後の主人公がどうなるか不安になるなあ。
それにしても、キャラクター(特に主人公)の表情や動きの描写を、すごい丁寧にやるなあ(丁寧すぎる気もするが)。
セーラー服に着替えるシーンにおよそ5ページだぜ。
いや、ある意味でテーマ(というかタイトル)に沿った構成なんだけれども、あんまり「そういう部分」を過剰にやられると個人的にヒいちゃう性質なんだよね。
うーん、イマイチ。
特に主人公が終始なし崩し的なまま行動させられたのが失望感が拭えない。
元のゲーマーも、この増田も、要は無自覚なボンボン。普通に世間で苦労してる社会人に怒られて逆ギレしてる、それだけの話。
この場合「ボンボン」とは、ただ「日本人」として生まれ島国の中で特段「民族」を意識することなく育ったことを指している。「自民族中心」どころかそもそも圧倒的に無自覚に日々を安穏と暮らしてるこの子らは、自分という存在や立場の暴力性やら何やらに対しても全く無自覚だ。過去の歴史も知らず、「日本人であること」が「アイヌの人々」に対して何を意味するのか全くわかってない。そのせいで、「ドイツ人/ユダヤ人」というごく分かりやすいたとえを出されても理解できず、それが「ヘイトスピーチになり得ること」の意味が分からない。「日本人であること」の上であぐらをかいているのに、「民族性とかオレたち知らないしかんけーない」が通用すると思っている。
もう一度確認するが、ドイツ人/ユダヤ人に置き換えた場合、当該の発言がいかにヤバい発言になるか分からないはずはないと思うが、どうだろう? ヘイトスピーチ扱いどころか「冗談」「違う文脈」などという言い訳すら許されないだろうし、その発言したのが仮にドイツ人なら職を失ってもおかしくないくらい社会的信用に関わるだろう。それは、まっとうな社会人ならそういう過去について「教育」されており、「知らない」ということ自体が犯罪的だ、という共通理解があるからだ。では「アイヌ問題」に関しては? 残念ながらアイヌ問題についてしっかりとした「教育」は日本の場合ほとんどされていないだろう。北海道以外では、触れられることすらないのでは。だが、この日本社会で生きている「アイヌ」の人々にとってそれは生々しい日々の現実であり、まさしく「知らないこと自体が罪」なことなのだ。
まさしく「踏んだ人には踏まれた人の痛みは分からない」。だから「踏まれた人の反応」から推測するべきなんだよね。
この件について、アイヌの人の側から、当該発言者の余りの無思慮・無思想っぷりについて、むしろ知らないがゆえに/知らないことそれ自体が批判されるのは、全く当然のことと思うし、知らないで許されるという筋のことではない。増田の分かっていないところは、まさにそこ。知らないで押し通そうとしていること自体が「そういう発言を許せ」という主張になっており、それは「知らないで済ませてよい」という主張とイコールになる。アイヌの人がどのような目に遭ってきて、いまどのような境遇にあるか、そのことへの想像力も私たちがもたないで「よい」という主張であれば、これはもう政治的主張だ。本人がどういう意図で語っているのであれ、増田と元のゲーマーの彼の言っていることやっていることは、そういう政治的な意味になる。その上で批判されているのだ。
というわけで増田および元のゲーマーの発言は残念ながら「ボンボンの戯言」「子供の理屈」でしかない。世の中には安易に触れていいこととそうでないことがある。ついでながら「今時の若者言葉」などという言葉に甘えず、「殺す/死ぬ」という言葉を軽々しく使うことがどういう結果をもたらすかこの機会にきちんと知るべきだ。
先に言っておくがタイトルほど内容は無い
周りの誰にも話せない事で、ずっと一人で抱えているのもつらいかったから
ここで吐き出させてもらうことにした。
主義主張のある内容でもないしまとまりもないからさらっと流してほしい。
いわゆる性嫌悪なのかと思っていたけれど、性欲自体はあるからそれも多分違う
彼氏はいらないけどセックスはしてみたい、という気持ちが年々強くなった
”いらない”というよりも”できない”といったほうが身の丈に合っているのは自分でも分っている
そこらへんが苦手なあたり、私は”正常”な人間からずれてるんだろうな
それに、「セックスしたい女は風俗で働けばいい」なんて簡単に言うけど
正直なところ相手は選ばせてくれ
誰でもいいわけじゃない。清潔感とか距離感とか、そういうのあるじゃん
プラス、顔が良いに越したことはないけど
風俗だったら金をもらって奉仕する以上、どんな客が来ても相手を喜ばせるために
だから、”セックスしたい=風俗で働く”という方程式には無理があると思う
一方、売るんじゃなくて買えばいいじゃんとも思ったけど
「若い女性は無料でお相手します」なんていう女性向け風俗も気味が悪い
結局はお前の快楽のためだろ?と思って利用する気になれなかった
そういうHPや他の女性のレポ等を読んでるとこれは無理だと思った
前述したが、友達の猥談が無理という時点で身近な人と関係を持つことも不可能
結果、私はハプニングバーに行った(どういうところかわからない人は検索してみてください)
プライバシーはそこそこ守られる
化粧もそこそこにそれなりの身なりをした女なら基本的に無碍な扱いは受けないし
なんて素敵な場所なんだろうと思った
しかし一回行ってみるだけじゃ飽き足らず、同じ店にもう一度行ってある事を学んだ
一度でも顔見知った相手を私は受け付けないんだという事
話した内容が猥談な分、拒否反応は日常で出会う人との比じゃなかった
もう、これって何かの障害なんじゃない?と悩んだ。ぶっちゃけ今も悩んでいる
不特定な相手だから病気も怖いしハプニングバーに通い続けるのも正直どうなのかしらとは思っている
ついでに言いたい事としては、”あそこにいる女は風俗嬢とかのサクラばっかりだ”って言う人を目にするけど
こういう女だって紛れ込んでるんだぜ、って事かな
女の性欲、セックスは相手への愛情だとかなんとか良く目にするけど
イコールで結びつかない自分が確かにここにいて、もやもやが続いている
結局、私は他人に自分の事を深く知られるのが恐くて気持ちが悪いんだろう
人と心の距離を詰めるのは無理、なんて言っている以上
このままなら恋人なんてものも出来ないだろうし、作るための行動をする気もないし。
いつの日か、いわゆる”心がつながるセックス”なんてものを経験出来たらいいですねって
とりあえず一人で生きていける、一人で迷惑をかけないように死んでいけるように頑張ろうと思う
人を好きになる、人を愛するって何なんだろうな…
取次が公開している文庫新刊リストで、たとえば2016年8月発売とされていたタイトルが8月31日現在、ブックオフオンラインでどのぐらい値引かれているか、調べてみました。うん、年度末で時間が空いたから()
発売日や価格、書名に「未定」「仮」と入っているものを一律除外していくとKADOKAWAグループが足並みそろえて価格未定としているせいでごっそり母数が減るんですが(あとPHPは機械的にタイトルに仮ってつけるのやめて)サンプル数は273。
このうち値引きしているタイトルは171、値引率最大35.2%、最小7.4%、平均すると18.4%。
6冊買えば(新刊書店で買うのに比べると)1冊分お安くなる計算ですね。
もちろん「値引きしている」のと「在庫がある」はイコールではなく、欲しいなら新刊書店に行け。ということにおおむねなっているため、かろうじて商道徳の乱れはおさえられている……と言えなくはないですが、そうはいっても新刊書店が新刊棚に置いている期間に、堂々と値下げ札を付ける行為なんで、そら嫌われるな。
ブックオフの値付けロジックが創業以来の丼勘定から上場企業風味(定着したディスカウント企業のイメージを資産に、あらゆる利益獲得の機会は逃さない)に変わったのは2013年秋なのですが、さすがに刊行間もない書籍でも18%OFF、という姿勢になったのはごく最近のことであります。
「このままでは地球温暖化が進み南極の氷が溶け水位が上昇し全人類がヤバい」
「このままでは地球が氷河期になったとき食料の備蓄が無さ過ぎて人類がヤバい」
「このままでは地球に巨大隕石が落ちてきたとき宇宙に居住区を持たない人類は絶滅してしまう」
「このまま戦争ばかりしていてはこれらの問題に対処できずに人類は滅びてしまうので東京に核爆弾を落とす」
「シン・ゴジラが目覚めたら人類存亡の危機なので東京に核爆弾を落とす」
滅茶苦茶なこといってるって分からんの?
というかゴジラの目的がはっきりしてないのになんで絶滅のリスクに?いつから?
人類に敵意があるわけではなくてたまたま道中に街があって歩いてたら
人類が攻撃してきたから反撃しているだけとは考えないの?それじゃおかしいの?
科学的な見解っていってもゴジラという前例のない生命体に対して
アメリカが少し前に研究していたくらいの知見しかないのに滅亡のリスクだと決めつけに掛かってる、
そして周りがウンウンそうだねえウンウンそうだねえと無邪気に全面的に信じてるのが
まず1つ目のフィクション。
次にそのアメリカ主体の研究機関が出した結論に国連が手放しに賛同して、
他国の研究機関にろくなサンプルを渡さないで出した結果に疑問も抗議もなしに予測を信用しきってるのが
2つ目のフィクション。
それを元にアメリカ主体の国連が導き出す対策が核爆弾だけだったということ。
日本主体の対策室はヤシオリ作戦の情報を早々に公開して協力を仰いだのに
ヤシオリ作戦のバックアッププランやプランBとして用意するべき代替案が何もアメリカ主体で出てこなかったことが
3つ目のフィクション。
4つ目のフィクションは何度も海と陸を往復して海中で生息して動き回ってたゴジラは既にゴジラ細胞をばらまきまくってるので
目に見えているゴジラ単体を核で焼き尽くしても今後第2・第3のゴジラがくる可能性は非常に高く、
それに対して毎回核による殲滅作戦を行っていては汚染拡大が大問題になる。
核以外でゴジラを止めるプランを立ちあげなければどちらにせよゴジラ世界の人類は詰むと予見できるにもかかわらず
アマゾンのレビューとかでも一番評価が高いレビューが必ずしもイコール真実というわけじゃなくて
単に「共感されやすい」というだけで審美眼や知識が豊富にある人間のコメントってわけじゃないんだよなあ
シンゴジラも同じように「リアルすぎる」っていうのが共感されやすいというだけで
「リアル」か「リアルじゃないか」を見比べる力を増田やその他サイトでレビュー投稿してる人間すべてが持ち合わせてるわけじゃない
「どれだけ大多数の人間にリアルだと思い込ませるか」が重要になってきて
代わりに採用したのが庵野が得意とする見せかけ・演出のリアルっぽさ
そのトリックに適応性を示したもの、つまり教養も知識もないから進行形で疑問が入り込まずに庵野が仕掛けた罠に全部引っかかったやつほど絶賛する
自分の頭で考えられる、っていうのは、
自分の頭で考えられるからこそ、ブコメの野蛮な批判の流れと逆の
っていうと、
2つは、想像力。
アウトプットをすることで、知識が頭のなかで整理され体系化されるから。
個人的に、この「自分の頭で考える」力が優れていると思う人は、
彼くらいの情報ジャンキーになれば、あらゆる事に造詣が深くなれる。
洗練された視点のコメントができると世の中が面白くて仕方ないと思う。
それから、ブコメには確かにすぐれた洞察力をもつコメントもあるが、
ほとんどのブコメは、記事の「書き方」の印象に流されているのも事実。
それが記事に肯定的であれ、批判的であれ、空気に流された即レスがほとんどで
本質的な価値を多岐にわたって検証した上のコメントみたいなのは
めったにないことが、よーく見てみれば分かるはず。
エロは技術を切り開くなどとはよく言ったものだけれど、ことアダルトVRについては、必要機材がまだまだ高価なので知見が集まりづらい。それにエロいものはおおっぴらに書きづらい。
なのでこの場を利用して、幸運にもコミケで『なないちゃんとあそぼ!』を入手できた貴重な一サンプルとして体験記を残しておく。
今夏開催されたコミックマーケット90で頒布されたVRアダルトゲームである。先日開催されたアダルトVRフェスタで話題になったタイトル、と書けば覚えている人も多いはず。
プレイヤーの動きを空気嫁(に取り付けたスマホ)が検知して、空気嫁の代わりにVR空間内に映し出されるなないちゃんが感じてしまうという未来志向のゲームだ。
準備するものが多すぎる。人によっては既に持っているものもあるのだろうが、準備するハードルはかなり高い。
当たり前だがまずソフトが必要。コミケは終わったが現在はとらのあなの通販などで買える模様。3000円。
グラボ:GTX970以上、CPU:Corei5-4590以上、メモリ:8GB以上。まあVRヘッドマウントディスプレイが動くスペックだが、イコール現状最上スペックのゲーミングPCが必要となる。一から買ったら15万円以上すると思った方が良い。
なおGTX1070、Corei7-6700、16GBでプレイしたところ、問題なく動作した。
Oculus RiftまたはHTC Viveが必要。8万円~10万円くらい。なないちゃんのパッケージにはスマホ用動画も同梱されているが、スマホでは遊べないので要注意。
動きを検知するためにiPhone4s以降、またはAndroid4.2以降のジャイロ付きスマホが必要。アプリを走らせるわけではないので何でも良いかと。
最高級のゲームには最高級のセッティングをしないと失礼だと思い空気嫁を調達することにした。とはいえその道には詳しくないので、とりあえず店頭で目についたラブボディヒナという嫁を購入。諸々合わせて6000円ぐらい。
ここ何年も海に行ってないのに、ようやく膨らませたのが浮き輪じゃなくて空気嫁……。こんなことでいいのか30歳の夏……。
固定方法を悩んだ結果、テープで固定した。スマホポケット付き制服あたりを公式通販すべき。
どうやってスマホを連動させるんだ?と思いつつソフトを起動するとまずはバージョンアップの要請。
それを済ませてから画面に表示されるアドレスをスマホのWEBブラウザに打ち込むと、スマホがコントローラと化した。
アプリなしにこんなことできるのかと驚き。画面長押しでゲーム開始。ゲーム中に短く押すとなないちゃんの位置リセットができる。
一分で果てた。
上記の通り、非常に実用性が高い。
果てた後にいじってみたところ、嫁(スマホ)を横向き、下向きにするとなないちゃんも連動してその通り動く。またVR空間内に浮かぶボタンに視線を持っていくと、下着・制服の着脱も可能だった。こういったところでプレイのバリエーションを出しているのだろう。試せなかったが。
要望としては、位置調整機能を早急に導入してほしい。どうにも空気嫁との位置ずれが発生してしまう。位置リセットを行っても最適な位置にはならなかった。
またタイトルにしている以上は変えられないのだろうが、他のキャラや、せめて服装の追加アップデートも検討してもらいたい。プレイの密度が濃いとはいえ、3000円のボリュームとは言えない内容なので。
なんにせよアダルトVRの未来は明るいと感じた。素人童貞を捨てる日は来そうにないので、VRヘッドマウントディスプレイがどんどん安価になって普及して、じゃんじゃんVRアダルトゲームが出れば良いと思う。
(2016/8/18追記)
再度仕様確認というかワンプレイしたことで、位置リセットのコツが分かった。というかリセットの仕様を理解していなかった。
スマホの画面を押すことで機能するリセットは、てっきりスマホの設置位置になないちゃんを表示する機能だと思っていたが、実際はヘッドマウントディスプレイの位置に応じて好きなところになないちゃんを表示する機能だった。これを駆使することでなないちゃんと空気嫁の一体化を果たすことに成功したわけである。捗る。
今回は裏サンデー
えー。
この漫画のアイデンティティって、犯罪性を持つ学生たちのドタバタコメディであって、ラブ要素はオマケだと思うんだけどなあ。
仮にやるにしても、もう少し設定や作風を活かしたストーリー展開にして捻ってほしい。
あー、小奇麗なだけのオシャレ漫画だ。
バトルが「なんかやってる」だけで魅かれない。
かといってストーリーや展開、設定に面白みがあるわけでもなく。
なまじ画力ある人は、パッと見は読める漫画を描けてしまうから、ある意味で難儀だよなあ。
おー、なんか子供みたいな大人の秋月だが、子供相手だとしっかり大人してるなあ。
いや、子供の面倒を見れることがイコール大人というわけではないし、むしろ子供みたいな大人だからこそ相性がよかったという可能性もあるが。
水鉄砲のおもちゃは……絵面のインパクトは中々だがネタすぎる……。
私としては、理解できないことを無理して理解しようとする必要はないと思っているけれどもね。
否定することはよくなくても、かといって自分に干渉するあらゆるものを受け入れるのはキャパシティ的に厳しいし。
ただ、主人公にとって自分の作品や、自分に関わる人の影響で、その意識を変えたってことなんだな。
今後、それを理解する(できるかも分からないが)ことで物語がどう展開するかは気になるところだ。
これまでストーリーを加味するに、最終的には結局誰もくっつかないというエンドだって十分にありえるし。
その段階ではないから仕方ないのだが、話がどう転ぶか、どういうテーマの漫画になるかすら3話になっても不明瞭だ。
テーマ性が不明瞭だと、評価する際の方向性を決められないから感想書きにくいんだよね。
だが、期待と不安を煽る要素を散りばめてくれるから読ませてくれる。