2016-09-23

それは質問か?

質問のつもりなら教えてやる。

気持ちよくなるフィクション気持ちよくなる「ための」フィクションは全く異なるものだよ。フィクションにはフィクション文法があるが、後者場合は「気持ちよくなる」という目的に反するもの可能な限り排除され「気持ちよくなる」という目的に沿うならどんなご都合主義原則許容される。体力の限界とか性欲の限界とか。あるいは「そもそも呼吸できんのか?」からまらない異世界召還ものラノベとかな。そういうことをなおざりにせずきちんと積み上げて創作する界隈から、そういう面倒を全部すっ飛ばし快楽に「のみ」奉仕するフィクションポルノと見下げて言うんだよ。読んでて苦しくなるようなフィクション、はっと胸をつかれるような台詞、綿密な考証と舞台設定や周到に練り上げられた伏線…それらも、結末のカタルシスに至るための手段として機能しているのではないかという意味でなら、もちろんその通りだ。あらゆるフィクションは、たとえば孤島で3日間生き延びる上で絶対必要不可欠な何かかと言われればそうではないだろうし、その意味所詮娯楽のようなものだと言われればそれはもちろんそうだ。だが、孤島で、ジャングル10年生き延びていくときには、カレンダーというフィクション、主人と従僕というフィクション、あるいは「日本は負けてない」といったフィクション必要なのであり、フィクションが我々の精神人間的な生活に対して果たす役割、その必要性は、物質的な何かに比べて劣るというものではない。だからフィクション=娯楽=ポルノ、という短絡は、やはり少し違う。フィクションの果たす役割はもう少し大きくて広いものであるし、その点から考えれば、いくつかのフィクションにおいては、娯楽性やカタルシスの方がむしろ手段だとさえ言える。

従って「そういう(結果的にはカタルシスにつながる)目的のためであっても原則として快楽を味わう上での面倒はすべて避ける」という文法作法に基づいて作られるポルノは、フィクションの一ジャンルではあっても、その総体イコールであるとは言えない。ポルノと非ポルノの分類は、決して不可能ではないんだよ。

なお、ツッコミのつもりで書いたとしたら、それはお前が普段消費しているフィクションが大体全部ポルノだという告白に過ぎないので、自爆乙としか言いようがない。

http://anond.hatelabo.jp/20160922224123

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