はてなキーワード: 送別会とは
高い。
飲み放題3時間くらい(?) 遅れてくる組みがいるからそうしていたらしい
飲み放題のメニューはワイン4種類と、その他適当な酒。種類としては30程度だったと思う。
何故か子ども(小学校1年生、3年生)を2人連れて来たパート母親が居た。ずっとスマホやタブレットやってて可哀想だった。
料理が酷かった。
4人分ですってきた料理内容なんだけれど
・チーズ(細長い小さめの付箋みたいなの4切れ)
・野菜のチーズフォンデュ(薄くカットされた大根、カボチャ、さつまいも 1切れずつだけ。チーズはぬるい)
・カルパッチョ(マグロ、かつお、たこ 薄くて凄く小さいやつ)
・パスタ(4人分で1人前にも満たないサイズ。1人分は握り潰せるんじゃないだろうか)
・チョコアイス(アイスクリームのサイズのふた周り小さい感じ。めっちゃ小さかった)
めっちゃくちゃご飯少ない。なにこれ。俺は飲むのも好きだが、メシのが重要なんだよ!
お酒の種類も少ないし、なんだこれ。
帰りに腹減ったって仲の良い人同士でラーメン食べに行ったぞ。
22時以降に23区内を起って、どこかひとりで泊まりにいける場所はないだろうか。
できれば東京の近郊で、海の近くとか、山の近くだと尚いい。温泉とかもいいな。
夜発のフェリーに乗って大島、とかは考えたのだけどちょっと出発時刻の22時に間に合う自信がない。
そして関東出身でないので土地勘がなくあまり候補地が思いつかず。
どこかないですかね?
……………………
以下どうでもよく恥ずかしすぎる事情なので見たい人だけ見て
最終的には自分で判断したことなので辞めるという出来事に対しては納得しているけど、
やっぱりしたくて就いた仕事だったので、
正直後悔や自分がだめだったことへの気持ち的な苦しさがものすごくあって。
このままでは送別会(たぶんここでは大して飲まない)の後、
気持ちを抱えきれずに街に飲みに行ってまあめちゃくちゃになってしまうだろうなという予感があります。
めちゃくちゃというのを詳しく言うと、たぶんもう自己肯定感が下がってるんだろうな、
飲み屋でたまたま隣り合った人とかと泥酔して記憶もなくしてヤッてしまう。
でも一番ダメな日にそんなことをしたら、本当に今度は立ち直れない気がする。
なんとかして送別会のあと、旅の高揚感で下がった気分を上方補正して、
酒癖に関しては結局人恋しさを埋めるために飲みに行ってしまっているので、
本当のひとり酒では大して飲まないんです。だからどこかに自分を隔離したい。
そしてここまで読んでくれてありがとう
……………………
たくさんの反応をいただいて&みんな優しくてびっくりしています。
(全然反応がないか、それか「そのまま死んで帰ってくんなビッチ」とか言われると思ってた)
そしていっぱい指摘頂戴してはずかしい限りですが「発って」ですよね…
「起って」どうする。元気かよ。
いや、聞いてみるもんですね…
思いつかなかったような路線がいっぱいあって超おもしろいです。
1時近くに河口湖まで行ける深夜バスの存在とか初めて知りました。
気になったホテルのチェックイン時間が22時までだったりして、
今回は難しそうですが、富士山が見える大浴場とかいつか絶対行きたいなあ…
寝台特急で四国まで行けることや、深夜便でパリや香港を目指せることも、ほかにもほかにも、
また今度のために覚えておきます。
※※※※そして手練の方のハイパーなトラバに今気づいたので、ここにさらに追記で驚きと感謝をお送り致します。
すっごい!!永久保存版だ!!!そうそうチェックイン時間が結構ネックなんですよね。
挙げていただいたうちの昇仙峡とほったらかし温泉は昔に行ったことがあってサイコーでした※※※※
今後しばらく求職中の身ゆえ、
ハイクラスホテルの大きな贅沢は勇気がなく決済ボタンが押せなかったので、
でっかいお風呂のあるホテルの、ちょっとだけ広いベッドの部屋を予約して、朝ごはんをつけてみました。
友人にはまだほとんど退職のことも話せていなくて、まだ楽しい会にできる自信がないんですよね
実家は味方になってくれると思うけど、年始にめいっぱい心配されてしまってちょっとしばらく会いたくないというか…
結局どこに行っても自分の問題は解決したりしないってわかってるんですけど、
ちょっとだけいなくなりたい、気分を変えたい、みたいなたわごとに
皆さん付き合っていただいてありがとうございました。
ことの後悔を延々としている。
Yさん送別会でのことだ。
バイト先の、一つ年上のYさんの話。
Yさんは地頭が良く知識や技術があるのに、ギャンブルにハマりネズミ講に手を出して借金を抱えている元フリーターだ。
面白く優しい性格や、決して欠勤しないタフさから、バイト仲間からの人望も厚かった。
私も彼のことがとても好きで、もっといろんな顔を見たいとちょっかいを出していたし、向こうからも時折構ってくれていた。
会って2ヶ月くらいの時に、ご飯行きましょとダメ元で誘ったことがある。
「いいよ、行こうぜ」という快諾に心躍らせたのも一瞬、彼の背後にはバイト仲間の暇な男性陣がニヤニヤ立っていた。
私の乙女心まんさいピュアピュアラインメッセージは、知られたくない所に晒されていたらしい。
悔しくもあったけど、みんなで行ったカラオケもまぁ、楽しかった。
その一ヶ月後に私はとある男性と恋に落ちて、付き合うことになる。
筋肉で攻められるセックスがすごくて、私は彼に夢中になったけれど、バイト中にYさんに絡むことはやめなかった。
バイト仲間との飲み会の時にカレシができた報告をすると、誰よりも目を丸くさせていたのは隣の席のYさんで、間髪入れずに「どこが良かったの??」と聞いてきた。
「てっきりYさんのこと好きなんだと思ってました」と年下の子に正解を言われて、彼氏を最上級に持ち上げた後、Yさん、好きですよと雑に告白した。
そこから季節が一巡しようとしている。
Yさんとシフトの日には気合を入れて化粧をし、深夜に店を閉めた後はYさんの家の方角までちょっと付き添って適当に話をして、踏切の前でさよならして少し遠い家までチャリを飛ばして、大雨の日にはYさんが「今回だけだからな」と車を出して家まで送ってくれて、二人で暇なバイトの休憩時間は一緒に動画をみて、みんなでよく行くボーリングやラーメン屋でも食べて遊んで笑って、酔ったYさんからラインがきても動じずに返して、飲み会で私の足を舐めてきても笑顔で許して、ふと「動物園行きません?」って聞いてみたらめちゃめちゃフラれて、
トータルで言えば仲良くやってたと思う。
でも私は常に、もっといろんな顔がみたいと思っていた。
Yさんの送別会があったのだ。
時間ギリギリに入って行った私はYさんからは遠く、でも楽しい席だったのでワイワイ喋っていると、向こうから「あいつうざいんだよな」「服の色同じじゃん」と絡んでくるくるくる。
後半戦になり気づけば彼は隣に移動してきていて、顔やスタイルを褒めてきたり、反対に性格をこき下ろしてきたり、女子が送った花束を私に持たせて写真を撮ろうとしてきたりと、随分私のことがお気に入りのような動きをしてくれる。
宴会の場で、彼も調子がよくなっていたし、私もまた調子よくなっていた。
二次会のカラオケで彼の酔いは加速し、本能のままに動く妖怪のようになってしまう。
隣に女の子が入れば抱きしめ、頬にチューをし、寝言のようなことを囁き、知ってる曲が流れればマイクを求めて這い始める。
言うことは支離滅裂で、全てを百楽しんでる姿、私はそれが面白くて仕方なかった。
うるさくて聞こえないって顔を寄せれば「チューしちゃうからこっち寄ってくるな!俺チューしちゃうから!」と理性と戦う所とか、急に理性に負けてチューしてくる所とか、普段絶対言わない言葉で顔や仕草を褒めてくる所とか、頭を撫でてると急に手首を噛んでくる所とか、無闇矢鱈に踊り出す所とか、また急に理性に負けて押し倒して首筋を舐めてくる所とか、人がお酒に飲まれた姿を記録するのって最悪だと思うけど、言葉にして思い出しただけでも笑えてくる。
廊下で今更真面目な顔をして「キスしていい」と聞いた妖怪からのキスは、とろけてしまうかと思うほど柔らかくて、びっくりした。
柔らかさもそうだし、圧や動きもすごく気持ちよくて、べろはふれてないのに、なんでこんなに動揺してしまうんだろうっておもった。
彼氏のこととか明日の就活のこととか全部忘れてセックスしたいって、おもった。
妖怪はなおも続けようとしたけど、後ろからバイト仲間にみられているのを伝えて終わりにした。
とにかく気持ちのいいキスだったので、帰りのエレベーターにYさんと二人乗り込みもう一度させてもらった。
今度は入り込んできた舌が熱を持っていて、とてつもなく気持ちよくて、もう多分会えないであろう寂しさが溢れて、ドアが開く前に「私Yさんのこと好きだったんですよ」と言ってみた。
笑って、冷たい外気にやっと触れて、ようやく私は冷静になって、もう素直にYさんを家に送り届けて自分も帰ろうと決意した。
Yさんは皆の目を盗んで二人で抜けよう、ホテルに行こうと必死に画策してた。
そして他の仲間の協力もあり、無事に半勃起のYさんを家まで送り届けた。
帰りにラーメンを食べて、方向が同じ人とタクシーに乗って帰宅した。
タクシーの中で携帯を開いたら、Yさんからの不在着信が2件と、私の彼氏をdisる内容のメッセージが入っていた。おやすみなさいって返しておいた。
翌日になると彼は綺麗さっぱり昨日のことを忘れていて、ただ何かあったことだけは察してきちんと謝ってきました。ちゃんちゃん。
ただどうしても私は、あの唇の柔らかさだけは忘れられない。
高校の3年間を同じクラスで過ごし、親友とは言わないもまでも、良好な友人関係を気付いてきた。
田舎の進学校である母校から、私は東京の大学に進み、その後東京の企業に就職し、20代後半の現在に至るまで東京で暮らしている。
Aちゃんは、高校卒業後専門学校に進み、私より数年早く社会人になり、ちょうど私が就職をするのとほぼ同タイミングで東京にやってきた。
(私も彼女もミーハーな性格なので、もともと都会への憧れが強かったのだ。)
ちょうど同じタイミングで二人とも2.5次元舞台にハマったこともあって、一緒に舞台に何度も足を運び、チケット当落に一喜一憂し、物販に朝から並び、地方遠征に繰り出した。
あまりにお互いの熱量が高く、また周りに同じような趣味を持つ知り合いもいなかったので、役者がTwitterやブログでなにかネタを投下してくれる度に、私たちは大げさに騒ぎ、電話やLINEでは満足が出来ず、毎日のように会ってはお互いの推しについて語り合っていた。
そもそも、Aちゃんと会う時に待ち合わせする駅やお店は、ほぼ100%私が決める。
一緒に旅行をする時も、宿、交通、全体のスケジュール検討・決定、全てにおいてこちらに主導権がある。
※私は食べ物や旅など、自分の趣味領域にこだわりがあり、かつリサーチ・プランニングが苦にならないタイプなので、それが不満という話ではない。
ただ、彼女はいつだって「私はなんでもいいよ」「いいね!楽しみ!」と言う。
そのくせ私が連れて行ったお気に入りのお店に、他の友人を連れて行って喜ばれた話を私に向かって何度もする。
男の子の話をする時に、男の子側にすべてのプランニングを任せた上でそのチョイスがいまいちだった、というような話も聞いた。あと、職場の人がチョイスした送別会のお店が高い!という愚痴とかもあった。(一人5,000円程度だったけど)
最初の、ただ「自分の意見を持たない子」だったらまだよかったのに。
一緒に東京で過ごした約5年ほどの時間の中で、気付いた時には、彼女は所謂「クレクレちゃん」になってしまって、挙句には「選択すること」の責務を他人に100%押し付けた上で、その内容に対して文句を言うような人になってしまっていた。
エピソードの蓄積を経て上記の気付きに至った時に、「もしかしてこれは私がなんでも決めてしまっていたせいなのかな…」とだいぶ思い悩んだ。ひと月ほど毎日、気付けば彼女の事を考えていた時期があった。
さすがに辛くなって、高校時代に私よりも彼女と親しくしていた共通の友人一人だけに相談をしたら、「いや、彼女は高校の時からそんなんだったよ」と軽く返された。
「そうなのか…」と胸落ちすると同時に、当時職場の上司に「もっと他人に興味を持て」と叱責されていた時期でもあったので、その証明みたいでそれはそれで落ち込んだ(蛇足)
まぁここまではなんとなくもやっとする出来事レベルの話で、正直なところ自分の交友関係がかなり広いこともあり、「一人の友人」として相手の良くない部分が目についてしまっているだけだなと思っていた。
それだけ言うと「やべー奴」な印象を与えてしまうかもしれないけれど、彼女は資格職なので、仕事内容は変わっていない。
給与が安いとか上司が嫌だとか、なんとなく節目のタイミングだとかで、それほどの回数に至っているのだ。(多分地元で2回、東京で5~6回転職している。)
その事自体は彼女の自由だし、気になってググってみたところ彼女の職業においてはわりかし異常ではない出来事のようなので、その件については私が口を出すところではないと思っている。
ただ、忘れもしない去年の夏。
上司に毎日のように怒られて精神的に参ってしまったAちゃんは、6回目だか7回目の退職を決意した。
そうしてある日、私に連絡をしてきたのだ。「会社員になりたいんだけど、相談に乗ってくれない?」と。
明確にやりたいことがあるなら良い。今の給料から下がる覚悟があるなら良い。自分で考えて決めたのならそれで良い。
そう思って話を聞いてみると、
「実は20代前半の時にも同じように思ってた時期があった」
「同じ職場に数百人単位で人がいるような場所のほうが人間関係で悩まなくて済みそう」
という、理想を次々に口にした。
(ちなみにこの時、残業終わりに22:00から1時間半ほど通話をして、その前後でも相当数の長文LINEが届いていた。彼女の周りの人間で、東京の会社員は私だけなのだ。)
私、たぶん、この時に初めて彼女にキレた。(実は頭に血が上ってよく覚えていないのですが)
「そもそも知識が無さすぎるから、総合職/一般職の違いと、一般的な就活方法を調べて」
「やってみたい仕事も調べてみて」
「大学卒でなくても、熱意があるならカバーできる部分はある。ただ不利な戦いである事を理解して」
ただ精神的に参ってしまった上での逃避なんだって、勿論気づいていたけれど、
上京して、大学受験も就活もそこそこ「戦ってやった」っていう自負がある自分にとっては、どうしても許せない瞬間だった。
それから1年以上の時間が経つけど、この一件以来、私はAちゃんに対してどうにも優しくなれない。
彼女を含めた数人でご飯を食べていても、彼女に対してだけはどうしても態度が硬化してしまう。最初は自覚レベルだったけど、もう他の子にも本人にも気づかれてしまってるレベルだと思う。さすがにおかしいって自分でも思うのに、その場限り演じることすらできなくなってしまった。
言ってしまえば、ただの「一人の友人」なのに。
この関係を絶たなくても、私のこの先の人生には大きな波は起きないだろうと思うのに。
それでも、もう、彼女のことがゆるせない。
2019年。もう潮時だと思う。
この一年の些細な抱負として、私はAちゃんに会わないことをひそかに掲げている。
私からはそもそもコンタクトを取らないし、共通の友人に誘われても行かない。
それで良いと思っている。
ただ、無性に学生時代の彼女との想い出を思い出してしまう時がある。
二人で泣いた、あの千秋楽の福岡の夜が恋しくなってしまう日がある。
飲み会で6000円が話題?になっているけれど、銀行だと飲み会の感じはこうだ。
飲み放題付きで、3,500円から高くて4,500で探すことを求められる。
デフレ真っ盛りの時代ならまだしも、東京都心で4,000円程度の飲み放題は、たとえば誰かを労うような会合に良い雰囲気の店は見つけられない。
が、仕方ないので、そういうチェーンの居酒屋に行く。
ウナギの寝床のような部屋だと、奥は偉い人。オッサン。例外として上席(部長、本部長クラス)の周りに、お酌担当の女子が割り当てられる。
(銀行では、女性活躍は、絵に描いた餅でしかない。やってせいぜい、「女性活用」である。非常にもったいない話である。)
あと、この安いゾーンの飲み屋だと、密室ではないので、逆に(何が逆かわからんが)宴会芸の強要みたいなものは発生しない。
ただ、例外として、飲み会の締めとして、最も若手社員が三本締めorフレフレXXX銀行!をやることが多い(部門による。銀行にもよるのかも。)。
清算は、最も上席でも5,000円払えば良い方。誰かの送別会だとすると、その人の分も払いきれないので、部長、次長レベルも500円づつ被ったりする。
若手も、4,000の飲み会が3,000円になれば良いかな・・・くらいのユルい傾斜です。
まあ、45歳から50歳のオッサンでも、しょせん年収1000万前後な訳で、そんなに払えないのも分かる。わかるが、1万円くらいポンと出して欲しいけども。
(55歳前後で、基本的には関連会社含めて役職を外れた職場に行くので、行先不安なんでしょうが。)
ときどき、転職組のオッサン上司だと、一人で3万くらい払ってくれて、ほかの参加者の負担が1000円とかになるケースが、ある。
一年前。指示がなくては動けず、自ら考えて動くことができず遊んでばかりいた私は部署を移動することになった。これは自ら招いたことなので当然のことだ。
その頃は「自分で考えることができない、思考が停止してしまう」と相談した上司や職場の知人は「そんな当たり前の事ができないの?」と取り合ってはくれなかった。私は真剣に悩んでいたことだったのでショックだった。仕事を与えられてもふわっとした説明では動くことができず、むしろ場を悪化させたりミスを連発してしまっていた。どうにか手探りしていても「もういいから」と別の事をするよういわれてしまった。
それならばと仕事終わりに事務所の床を履いたり、戸締まりを率先してやってみたりしたのだけれど、「普通に」業務を行うことができず、また「手順がないと思考停止してしまう」ような奴は不要だったらしい。まあ当然のことではあった。
次の部署は接客や施設管理が主なものだった。ここには非常にあたりのキツイおばちゃんがいることで有名だった。案の定、鈍くさい自分はしょっちゅう怒られていた。
例えば、ポスターを貼るとき。別の職員に「適当にはっていいよ」と言われたのでそのまま貼っていた。しかしおばちゃんには「」大きい方から貼るって普通わかるでしょう」と叱られてしまった。
私は言われたことはそのとおりにできるが、その経過にあるであろう「気を配るべきこと」にいつも気付かない。説明の中に手順として組み込まれていればきちんとできるが、それ以外は本当に目が行かないのだ。加えて、おばちゃんは私が何かをする時毎回圧をかけてくる。焦って失敗すればするほどおばちゃんの圧は大きくなり、「き っ ち り やって」「これ(お客さんへの謝罪と対応)はひ と り で でやって」と言われることが多くなる一方だった。
実はこのおばちゃん、以前からパートや嘱託職員の間で噂になっていた。気が強い相手には愛想よく。そうでない相手には厳しく高圧的な言動を繰り返す。そうして不眠症になったり、精神的に追い詰められて退職していった人が何人かいたそうだ。だというのに、古参で仕事を覚えているからと上の人達は特に何もしていなかったそうだ。
そんなおばちゃんは私が焦ってミスするたびに「なんで何もできないの?何ならできるの?」と繰り返すようになった。メモを見ながら、一つ一つ確認しながら接客しようとする私に「いい加減覚えられないの?」と睨むようにもなった。「一から順をおって説明してくれないとわからない」と伝えてみたが、「小学生じゃないんだから」と鼻で笑われて終わった。
段々と追い詰められていった私は上司に指導係を変えてほしいこと、彼女と自分は相性が悪すぎることを訴えた。しかしながら、かえって来た答えは「覚えないほうが悪い」当然のことではあった。けれど、だからといって毎日上記の言葉をいっていい理由にはならない。
とうとう心が折れ、鬱と判断が下ったとき。慌てたように上部の方がやってきた。彼らは私の話を聞いて一ヶ月休職するよう指示をだした。のちに有給を使われ、足りない分は欠勤扱いされたことに自分勝手な怒りを抱いたが、それはそれ、別の話だ。
休職の前日。前の部署の人達が飲み会と遅いながらも私の送別会をしたいと連絡があった。一応いってこいと言われたので顔を出しにいった。前の部署でおばちゃんと一緒だった人達は、私が鬱になったことを理解し心配してくれる人とスルーする人にわかれていた。前者は同じくおばちゃんに追い詰められた人達で、なぜ上は今まで放置だったのだろうと憤っていた。
その時だ。話を聞いていた年下の職員(正規職員)はこういった。
「でもそれはまだ仕事覚えてないし部署にも慣れてないからでしょう?」
さあっと血の気が引いたのがわかった。メモを取って、書き足して。確認してやっていたのに。少しでもおばちゃんのやり方から逸れると「どうして何もできないの?」が始まってしまうのだ。この頃は、何かをするにも恐ろしくて仕方がなかった。夜中に何度も目が覚めたし、仕事に行くのが苦痛で苦痛で仕方なかった。
それを、こいつはそういうのか。腹の底が熱くなり、それまで抱いていた親しみも一気に憎悪に転じた。
「毎日なんで何もできないの?何ならできるの?と言われ続けてみなよ」
そう返したけれど、実際はお前なんてもっと追い詰められろ、お前の家の毒親に一生苦しめられてしまえひどい目にあってしまえと心の中で呪っていた。それくらい、腹がたったのだ。
年前。「鬱になるようなメンタルの弱い人はちょっと」と私は契約終了となった。数カ月後、発達障害と自閉症スペクトラムと診断がされた。そりゃあ迷惑をかけるよなあ、もっとはやく診断しておけばよかったと申し訳なくなると同時に「こんなに生きづらいなら、あいつらももっと苦しくなってほしい」と願ってしまう。
どの日も開いてないですで送別会なかった先輩がいたぞ
せいせいした気持ちで残りの勤務日を過ごす俺に悪夢のような一報が届く。
「送別会をしますよ!何日が開いていますか!?」(原文まま。開いていようが空いていようがどうでもいい)
後輩からだった。後輩よ、社内メールの元気がいいのは構わないがこの無邪気さを今だけ呪わせてくれ。
誰に吹き込まれたのかは知らないが(後に俺の班の先輩だったと判明する。怨。)とんでもないことを企画してくれる。
確かに周りには最低限の愛想を振りまいてはいたが俺は基本的に陰キャなのだ。社内の飲み会など当然乗り気ではなく、家でのんべんだらりと引っ越しの準備がしたい。
俺を送り出す送別会なんか開くな。当時の会社が気に食わなくてこちらから三行半を突き付けたのだ。霧散するように会社からいなくなりたかった。
結局当日は世話になった上司達に酌をし、後半には全員の前であいさつをさせられた。貼り付けた愛想笑いで頬が痛かった。
今の会社からいなくなる同僚から「僕の送別会があるんだろ?どうすれば回避できる?」と相談を受けたためこんなような経験を思いだした。
俺も同僚も小心者なので「はあ?余計なことすんなばーか!」なんて口が裂けても言えない。
送別会が自己申告制にでもならないかぎり俺たちのような根性ナシは苦しみ続けるのだろう。
送別会を開かないと周囲からの体裁が悪いのはわからないでもないのだが、そんな不確かなものとは戦わないほうがよいだろう。
願わくばこの文章が世の「送別会開催したい人種」達の目にとまり、少しは躊躇してもらえると幸いである。
なるほど「送別会を開いてもらえなかった!」と文句を言う人間がいるのか。
そんないちゃもんをつけられては確かに送り出す方としては居心地が悪いだろうが、どうせいなくなる相手なんだから気にしなくていいぞ。
なんかの記事を読んで、久しぶりに増田に書き散らそうと思ってログインしたところ、5年前に書いた日記が出てきた。あまりの懐かしさに書こうと思っていたことを全部忘れたので、せっかくだし忘備録として、あの生意気な後輩のことを書こうと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20130619155614
生意気な新人が入ってきてひたすらイライラしていたという話だ。当時は社会人4年目、少しばかり仕事も覚えて、後輩もできて部署のメンバーの仲も良く、仕事が楽しくなってきた矢先の話だったので、それはもう彼に世界をぶっ壊された気がしていた。今となってはお恥ずかしい限りだ。
ありがたいことにこの醜い罵詈雑言にブコメも沢山もらって、4年目ごときの小娘がお局なんて片腹痛いわみたいなことも言われて、当時はナニクソこの野郎と思ったものだが、今思えばその通りだなあと感じてあまりのほほえましさに自分で笑ってしまった。
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あの日記を書いた後、ブコメに小娘がどうこう笑われて腹が立ったので、こうなったら真のお局になってやるわ見てろよブコメどもと思った。返事が返ってこなくても毎日大声で挨拶をして、嫌な顔されても何かにつけてしょうもないことで話かけ、飴ちゃんはいるかと聞いていらないと言われても無理やり押し付け、顔色が悪ければどうした早く帰れと言い、空調の風で寒そうだったらショッキングピンクのど派手なひざ掛けを無理やり掛けてやったりした。もう半ば嫌がらせだった。
なんやかんやで結果的に、あの日記を書いて1年も経たないうちに、彼と打ち解け、すごく仲よくなった。
特に仲良くなるきっかけがあったかどうかは全然覚えてない。気が付いたら、彼の慇懃な敬語はいつしか消え、私にため口をきくようになったし、普通に笑うし、私の肩も軽口も叩くようになり、私の引き出しを勝手に開けてはお菓子をチョロまかすようになっていた。
これがもう、本当に滅茶苦茶嬉しかった。あ、なんか心開いてくれたっぽいぞ!ってわかったし、なによりすごく声がやさしくなったし、私のくだらない話に笑ってくれて、見たか私のお局力!ドヤ!みたいな気分だった(この時は、お節介おばさんとお局様の差が、あまりわかっていなかった)。
そうなると自然に仕事でのコミュニケーションが円滑になり、何かあれば彼もすぐ相談するし、もともと地頭はいいのでこちらもいろいろ相談するようになり、頼り頼られみたいな感じで、先輩と後輩とも知らないうちに打ち解けて、彼が入社する前よりも平和な仲良し部署になっていた。
そういえば、店員への横柄な態度もいつの間にか丁寧な態度になっていた、というか、むしろ一番気を遣うようになっていた。飲み会も一番楽しそうで、酒の量はセーブしながらもいい感じに盛り上げてくれて、おまけにカラオケもうまかった。慇懃無礼で隙あらば睨んできていたやつが、明るく楽しい普通のチャラ男になった。
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親会社はこの平成も終わらんとする時勢にあって非常に昭和的な会社だったので、女子はお茶汲みコピー以外の枠がないらしく、私だけ一般職へ格下げで皆と一緒に親会社へ出向する、もしくは、全然関係ない部署に配置転換、という選択を迫られることになった。
一応、専門知識の必要な部署にいて、それなりに経験を積んで勉強もして大きな仕事を任されたりしていただけに、この状況はすごく辛かったし悔しかった。ただ救いだったのは、私以上にみんなが怒ってくれて、上司も先輩もどうにかならないか上に掛け合ってくれたし、「今すぐタイでも行ってつけてもらってこい!」みたいな本気だか冗談だかわからない言葉もありがたかった。中でも一番怒ってくれたのは彼で、役員室に殴り込んでサーバーをぶっ壊す勢いなのを必死で宥めた。こいつ相変わらずだなと思う反面、これだけ私のために彼が怒ってくれるのがすごく嬉しかったのを覚えている。私のやってきたことは会社に認めてはもらえなかったけど、彼らがこうして評価してくれていたんだなと思うと、不思議と怒りは沸いてこなかった。
こうして私だけ去った後の部署は、これがもうびっくりするぐらい空気が悪くなった。理不尽な異動に腹立しながらも古い体質の役員から自分と後輩を守ろうとする先輩と、こんな時代遅れの差別断固許すまじ討ち入り上等の彼、その板挟みになった後輩に、親会社の無神経なメンバーと仕事のできない別の上司が加わり、それはもうしっちゃかめっちゃかになっていた。最初は微かだった不協和音はみるみる大きな歪みになり、最終的には、先輩と彼は口もきかなくなった。後輩はオロオロするばかりで、3日に1度ぐらいお菓子をせびりに来ては、やりづらいと愚痴って帰った。さらに上司もどうしたらいいのかわからず、ただただものすごく空気が悪く、もはや誰にも修復不能なまでになっていた。
私がいたらあんな空気にさせないのにという無念と、私が異動したせいでああなったのだという自責と、ただ私の力ではどうしようもなかった無力感と、とにかくもう見ているだけで本当に辛く、人間関係ってスイッチ一つでこうも変わってしまうものかと思って茫然とした。
私が転職することになって、元部署のメンバーが集って送別会を開いてくれた。この時には、もはや会話らしい会話をしていない彼らだったが、私を気遣ってか以前みたいに、和やかで楽しい雰囲気を作ってくれた。会社を辞めるにあたって、彼らのギスギスがとにかく心配だったが、ぎこちないながらも言葉を交わす様子を見て、これで少しでも元の状態に戻ってくれたらと思った。だがその矢先、3次会で入った居酒屋で、些細な切っ掛け、本当に些細だったと思う、彼が先輩の胸倉をつかんでの怒鳴りあいになってしまった。親会社のやり方に不満を抱きながらも、後輩たちの立場が危うくなると感じて収めるように諭してきた先輩に対し、私や後輩(繰り返しややこしいが彼にとっては先輩)がここまでコケにされて言い返せない先輩に不満を抱いていた彼が爆発してしまった。周りの人も騒然として、何とか割って入ってことを収めたものの(なお後輩は気付いたら後ろに逃げていた。危機管理のしっかりした男だ)、これが決定打となって、彼らの関係は完全に決裂してしまった。その後、ドロドロの展開は私の去った後の話なので割愛するが、裁判沙汰にもなり、私が辞めた数か月後には彼も会社を辞めてしまった。
最後の送別会で帰り道に彼が言った「(私)さんが上司だったらよかったのに」という言葉を思い出す。扱いづらくて癖の強い男だったが、可愛くて素直で優秀でまっすぐな男だった。なんでみんな、彼を上手に使ってあげられないのか、すごく不満だった。彼が私を認めてくれたことが嬉しかった半面、自分に彼を使ってあげられる力がないのがすごく悔しかった。仕事を頑張って、それなりの地位につきたいと思うようになったのは、それからだろうか。まあ、現実には失敗ばかりのダメ社員で、自分の仕事で手一杯なので地位云々なんてもってのほかの話ではあるが、何かあれば人を守ってあげられる立場の人間になりたいと思うようになったのは、彼の影響だった。
結局、彼がいまどこで何をしているのかは全然知らないのだが、さっき自分の日記を読み返して、辛い思いをしていないかなあ、元気にしているかなあ、うまくやっているかなあと心配になってきてしまった。
当時、彼女と私は、同じチームに属していた。
ほらあれだ。機動警察パトレイバー2で、研究室のみなで写真に収まっているような図を想像してくれればよい。
でも裏では、私は彼女と付き合っており、最終的には非常に醜い別れ方をした。
チームリーダーだった人が定年を迎えたとのことで、その送別会に参加していたらしい。
私は現在、心理的にも距離的にも遠い場所におり、送別会には参加できなかった。
というか、送別会があったことすら知らなかった(知り得るつながりがなくなっていた)。
ただ、そのときチームにいた知人が、
「次、みんなで会う機会には、お前もこないか? ○○さんもいたぞ」と誘ってくれた。
もちろん彼も、私と彼女が付き合っていたことは知らない(はずだ)。
単に同窓の1人が来なくてさびしいなあ、と、好意で誘ってくれたのだろう。
自分が昔住んでいた街に、安くて速くて量が多い、店内は暗い感じのこじんまりとした中華料理屋があった。
自分が最初訪問した時は流行ってるとはいい難い。主人が一人で捌ける量の常連がいるような店だ。
店主はメニュー開発が好きなのかいろんなメニューを季節限定で提供していた。
その一つが冷やし担々麺だった。
その店は、細麺のちぢれ面に、濃厚なゴマダレと、ラー油。そして、麺の上にこんもりもられたキャベツの千切りと肉味噌といった感じの冷やし担々麺だった。
一人暮らしで、肉より野菜のほうがコスパが悪いことを知り、野菜をほとんど食べない自分にとって、まるでその冷やし担々麺は夏を健康的に乗り切るオアシスのようなものだった。
この店との出会いは、入社したての自分をランチに誘ってくれた社長が連れてきてくれた。社長もこのお店の常連だった。
ちょうど引っ越しをした場所から徒歩で2分、会社からは徒歩で10分というアクセスの良さで自分はよくこの店に通った。
顔も覚えられて、着席すると水を持ちながら「いつもので?」と聞いてくる。いつものというのは担々麺+ライスのセットだ。ここの担々麺は酢が聞いて一度食べたらやみつきだ。
店主は、カウンター越しよく話しかけてくれた。自分がポロッと「最近、名古屋の方では冷やし担々麺っていうのが人気らしいっすよ。一度食べてみたいっすわ~」と言ったことがきっかけで店主なりにいろいろなレシピをみたりして作ってくれたのだった。
店主はメニューに出す前に「つくってみたんだけど、どう?」と無料で一回食べさせてくれた。初めて食べたから他のと比べられないけどとても美味しかった。
特に野菜がたくさん乗ってヘルシーだった。これでライスとセットで600円なんだから信じられない。自分は毎日のように冷やし担々麺を食べた。
メディア取材がきて、店は大繁盛、担々麺が美味しいお店と話題になった。自分も大繁盛して嬉しかったが、流石に平日に待機列に混ざるわけにもいかず、土日の人が収まってきた時にまだ昼を食べてなかったら行くぐらいになっていた。
それからどんどんと自分はその店に行かなくなった。店の雰囲気が落ち着けなくなったからだ。
それから、転職をし、社長に報告したら「最後に一回いっておくか!」とそのお店で送別会を開いてもらって、引っ越しをした。
今年の8月入った頃に店主が倒れた。そしてそのままお亡くなりになった。
社長からその報告を受けたとき、お世話になっていたから葬式ぐらいは…と思ったがやはり距離的に厳しいこと、お盆前の仕事の仕上げがあり行くのは難しかった。身内でもないから有給も取得しにくいし。
そして、このお盆に実家に帰った帰りに、香典を渡して、仏壇を拝ませたもらった。
前の会社の社長に連絡を取り、じゃぁ家まで車で送っていくよと送ってもらった。
店主の家に行くと奥さんがいて、香典を渡し、お店の方は、段々と人が増えていたので従業員を増やすために息子に戻ってきてもらい引き継いでいた、今はバイトを何人かいれていて営業はできるという事で営業はしていた。
お店の方に行くと前よりは落ち着いたものの、待機が2組ほどいるようだった。社長と待機列にはいった。
店内は息子さんと、女性の店員一人が切り盛りしているようだった。
女性の店員が注文を聞きに来る。社長はいつも担々麺とライスだ。
自分はメニューをひと眺めして冷やし担々麺とライスを注文する。
5分も待たない内に運ばれてくる。提供スピードは相変わらずだ。その冷やし担々麺をみてびっくりした。
あれ?おかしいなって顔をしていると、社長は思い出したようにいった。
「増田くん、よく店長と野菜が高い高いって話してたよね。店長ね、増田くんが注文するとき、なんでも野菜多めにしてくれてたんだよ。俺も冷やし担々麺何回か食べたこと有るけどキャベツ盛りは増田くんの特別オプションだったんだ。」
その話を聞いた瞬間、涙がボロボロとでてきた。
遺影を見たとき、いっつも笑ってる店主の顔が見えたとき、その写真が動き出して「いつもので?」といってきそうだなと思ったが涙をこらえた。なんというか、実はどこかにいて、店主と社長がドッキリでもしかけてるんじゃないかって思ったぐらいだ。
社長のその話と、キャベツが盛られていない冷やし担々麺を見たとき、「あぁ、店主は本当に居なくなったんだな」って実感をした。
それをみた社長も泣いて、笑っていた。
キャベツの乗っていない冷やし担々麺の味は、全然わからなかった。わからなかったけど、代わり映えしないようにおもえて安心する味だった。
無理言ってでも葬式に出ておけばよかった。
そんな後悔しても遅いんだけどね。
あぁ、せめて、店主に冷やし担々麺のレシピ教えてもらえばよかったなぁ。エビチリ、麻婆豆腐、青菜炒め、いろんな中華料理のレシピを教えてもらったんだけど、なんで冷やし担々麺のゴマダレは聞かなかったんだろうな。
30代前半 男 子どもなし
結婚4年目
・束縛が激しい
・くだらないことで喧嘩が多い
1日の流れはこんな感じ。
妻の昼休憩もずっと連絡を取り、連絡が途絶えると「何していたの?」とすぐ言われる
妻の昼休憩と自分の昼休憩は被らないので、普通に仕事で手が離せなかっただけなのだが・・・
夕方になると「今日はいつ帰ってくるの?」と言われる、それ自体は全然構わないのだが、ここで宣言した時間より遅くなると日によっては怒られる。
日によって怒られたり怒られなかったりは妻の気分しだいだ。
遅くなりそうだからといって、始めから遅い時間を伝えると、「浮気しているんじゃない?本当に仕事なの?」と不安になるようだ。
自分が仕事終わる平均の時間は18時30分、遅くとも19時には終わる。
月に1回程度、20時前になることもある。
これを読んでくれるであろう、社会人の皆さまよりは随分早く終われている自覚はあるのだが、それでも遅いらしい。
家に帰り、携帯を触ったりしていると、「何しているの?」と聞かれ不機嫌になる。
そのため極力触らないようにしている。
妻が土日に仕事のときもあるが、ずっと連絡がくるので、返信している。
もちろん出掛けるときも必ず一緒。
一緒に出掛けるのも好きなのだが、私は同棲前の休日は家でぼーっとネットサーフィンして時間を潰すのがほとんどだった。
最近はそんなこともないので、その生活が恋しくなってしまった。
仕事柄出張がなく、家を離れることがないが、もしあったらどうなっていただろうと思う。
なお、日々の行動は位置情報送っ共有化しているし、財布の中身も毎日チェックだ。
・束縛が激しい
付き合っているときに小中高大学時代の全友達と会社の人のLINEを削除した。
Twitterも消した。
Skypeも消した。
携帯を触ると常に浮気や他人と連絡を取っていることを疑われるので、携帯に触れない。
本当に飲み会かわからないし、仕事以外で会社の女性と話すのが気に食わないそう。
なんと情けない話だろうかと自分でも呆れたが、強行して飲み会に行くと何があるかわかったものではないので、飲み会は不参加にさせてもらっている。
飲み会は元から好きではないので、苦でもなんでもないが、お世話になった先輩が辞めるときの送別会には参加したかった。
・くだらないことで喧嘩が多い
ここまで読んでくださった方はわかると思うが、こんな関係なので喧嘩が尽きない。
別々の人間なのだから、意見や価値観が合わず、言い合いになるのは避けられるし、むしろ当たり前だと思う。
しかし、結婚したというのにあまりにもくだらないことでの喧嘩が多い・・・
「通りすがった女性をチラ見していた」
これから子供作ろうなんて話しているのに、こんなことで半日口を利かなかったら、協力して子育てなんてできないだろうと容易に想像できる。
またこの口を利かない時間が自分のストレスになっており、あまりにも頻度が高いので離婚を考えるまでになった。
また喧嘩した際にエスカレートすると物を捨てる癖があり、困っている。
手始めに自分がプレゼントしたものや手紙、その後自分がプレゼントされたものや服を捨てられる。
2,3日経って冷静になった後に、妻自身も後悔しているので、なんとかならないものかも思う。
細かい理由を挙げるときりがないが、主に上記3つの理由で離婚を考えている。
妻に伝えたところ、了承はしたができれば離婚したくない、とのことだった。
喧嘩をしていないときや普段は何も問題なく、仕事しながらの家事も積極的で良い妻だ。
ただこれから何十年も一緒に居るのに、自分の時間が取れなかったり、くだらないことでの喧嘩が多いと将来が不安だ。
主に自分が耐えられるだろうか、と子供が生まれたら育てていけるだろうか、という不安だ。
ただ、自分の時間が取れないことがこんなに苦になろうとは思わなかった。
1年ほど同棲してから結婚したので、大丈夫だと思っていたのだが、自分の気持ちに限界が来たのではないか考えている。
また喧嘩については結婚前にそういう言い合いはやめる、とお互い約束したのに、今も続いてしまっている。
妻のことは好きだが、こんな状況が続くようであれば、「好き」だけの気持ちで一緒に居られるのかと思い直し、離婚を考えている最中。
こんなことを親にも友人にも職場にも相談したことはなく、大きな決断を前に第三者の意見を頂戴したく投稿した。
考えれば考えるほどやばい。
性格優しい、けど言うことは言う。すぐごめんねって言ってくる。共働きで、家事は6割やってくれる。子供の世話はなんでもできるし、夜泣きひどくてこちらが死んでいるときは、深夜でも早朝でも子供をあやしに外に散歩しにいく。
仕事忙しくても遅くても8時には帰ってくる。飲み会嫌いで大切な送別会以外はでない。そもそも酒が飲めないし煙草も吸わない。でも社内の評価は高くて周囲よりかなり早く役職試験を受けろと上司に推されてる。しかも仕事が好きだから仕事の愚痴はほとんどいわないし、ストレスもためてない。
家でテレビみない。情報に触れているのが好きで、その情報を活かして、副業して稼いでいる。いつも「もっと頑張るね」って言ってる。
趣味は車やバイクだけど、あんまりお金つかうこともなく、古い彼らを修理しながら愛でている。イベント主催したりしてどんどん仲間が増えている。
私のやることはほとんどすべて応援してくれる。特に仕事に関してはアドバイスもくれるし、相談にものってくれるし、手伝ってもくれる。
気分の浮き沈みがなくて、基本的に鼻歌まじりの上機嫌で生きている。とにかくフットワークが軽くて、めんどくさいって言っているのを聞いたことがない。
見た目は174cmの細身で、顔面は彫りが深いのでイケメンと言われることが多い。
付き合いだした時は、こんなふうになると思ってなかった。コンプレックスだらけで、自己憐憫が好きなナルシストで鈍感だった。
でも素直で嘘がつけない人だったから、私のことが大好きなのが分かったから、迷わず結婚した。
泣いたりわめいたりののしりあったり、お互いにしてきたけど、ここまで成長してきた。そして、気付いたらこんなんなってた。
こんな人、他で見たことない。友達が自分の夫の愚痴を言い出しても、こちらは自分の夫を誉めることしかできないから同調できない。
大切にしないといかんな。