一年前。指示がなくては動けず、自ら考えて動くことができず遊んでばかりいた私は部署を移動することになった。これは自ら招いたことなので当然のことだ。
その頃は「自分で考えることができない、思考が停止してしまう」と相談した上司や職場の知人は「そんな当たり前の事ができないの?」と取り合ってはくれなかった。私は真剣に悩んでいたことだったのでショックだった。仕事を与えられてもふわっとした説明では動くことができず、むしろ場を悪化させたりミスを連発してしまっていた。どうにか手探りしていても「もういいから」と別の事をするよういわれてしまった。
それならばと仕事終わりに事務所の床を履いたり、戸締まりを率先してやってみたりしたのだけれど、「普通に」業務を行うことができず、また「手順がないと思考停止してしまう」ような奴は不要だったらしい。まあ当然のことではあった。
次の部署は接客や施設管理が主なものだった。ここには非常にあたりのキツイおばちゃんがいることで有名だった。案の定、鈍くさい自分はしょっちゅう怒られていた。
例えば、ポスターを貼るとき。別の職員に「適当にはっていいよ」と言われたのでそのまま貼っていた。しかしおばちゃんには「」大きい方から貼るって普通わかるでしょう」と叱られてしまった。
私は言われたことはそのとおりにできるが、その経過にあるであろう「気を配るべきこと」にいつも気付かない。説明の中に手順として組み込まれていればきちんとできるが、それ以外は本当に目が行かないのだ。加えて、おばちゃんは私が何かをする時毎回圧をかけてくる。焦って失敗すればするほどおばちゃんの圧は大きくなり、「き っ ち り やって」「これ(お客さんへの謝罪と対応)はひ と り で でやって」と言われることが多くなる一方だった。
実はこのおばちゃん、以前からパートや嘱託職員の間で噂になっていた。気が強い相手には愛想よく。そうでない相手には厳しく高圧的な言動を繰り返す。そうして不眠症になったり、精神的に追い詰められて退職していった人が何人かいたそうだ。だというのに、古参で仕事を覚えているからと上の人達は特に何もしていなかったそうだ。
そんなおばちゃんは私が焦ってミスするたびに「なんで何もできないの?何ならできるの?」と繰り返すようになった。メモを見ながら、一つ一つ確認しながら接客しようとする私に「いい加減覚えられないの?」と睨むようにもなった。「一から順をおって説明してくれないとわからない」と伝えてみたが、「小学生じゃないんだから」と鼻で笑われて終わった。
段々と追い詰められていった私は上司に指導係を変えてほしいこと、彼女と自分は相性が悪すぎることを訴えた。しかしながら、かえって来た答えは「覚えないほうが悪い」当然のことではあった。けれど、だからといって毎日上記の言葉をいっていい理由にはならない。
とうとう心が折れ、鬱と判断が下ったとき。慌てたように上部の方がやってきた。彼らは私の話を聞いて一ヶ月休職するよう指示をだした。のちに有給を使われ、足りない分は欠勤扱いされたことに自分勝手な怒りを抱いたが、それはそれ、別の話だ。
休職の前日。前の部署の人達が飲み会と遅いながらも私の送別会をしたいと連絡があった。一応いってこいと言われたので顔を出しにいった。前の部署でおばちゃんと一緒だった人達は、私が鬱になったことを理解し心配してくれる人とスルーする人にわかれていた。前者は同じくおばちゃんに追い詰められた人達で、なぜ上は今まで放置だったのだろうと憤っていた。
その時だ。話を聞いていた年下の職員(正規職員)はこういった。
「でもそれはまだ仕事覚えてないし部署にも慣れてないからでしょう?」
さあっと血の気が引いたのがわかった。メモを取って、書き足して。確認してやっていたのに。少しでもおばちゃんのやり方から逸れると「どうして何もできないの?」が始まってしまうのだ。この頃は、何かをするにも恐ろしくて仕方がなかった。夜中に何度も目が覚めたし、仕事に行くのが苦痛で苦痛で仕方なかった。
それを、こいつはそういうのか。腹の底が熱くなり、それまで抱いていた親しみも一気に憎悪に転じた。
「毎日なんで何もできないの?何ならできるの?と言われ続けてみなよ」
そう返したけれど、実際はお前なんてもっと追い詰められろ、お前の家の毒親に一生苦しめられてしまえひどい目にあってしまえと心の中で呪っていた。それくらい、腹がたったのだ。
年前。「鬱になるようなメンタルの弱い人はちょっと」と私は契約終了となった。数カ月後、発達障害と自閉症スペクトラムと診断がされた。そりゃあ迷惑をかけるよなあ、もっとはやく診断しておけばよかったと申し訳なくなると同時に「こんなに生きづらいなら、あいつらももっと苦しくなってほしい」と願ってしまう。