はてなキーワード: 自尊心とは
定期テストはほぼ満点を連発し、模試も学内で1番なんてことはザラだった。
努力すれば1番になれると思っていたし努力しない奴が堕ちていくだけだと感じていた。
俺より賢い奴らがゴロゴロいた。
がむしゃらに努力して負けることがださいと感じるようになった。
中途半端な努力に留めることで中途半端なポジションに浸り、中途半端だからこんなものだと逃げ道を作った。
全力でやった結果を受け入れることが怖く、保身に走っただけではないのか。
俺は虎にもなれなかった。
自尊心と羞恥心、怠惰ゆえに、全てを捨てて虎になった李徴のほうがまだマシではないのか。
現状に満足できず、かといって現状を変えようとも捨てようともしない俺は虎にすらなれないのである。
えーっと…そういうことではなくて…。
デリヘルを利用したんだが、プレイ開始数分後、乳首あんまり感じないっていうし嬢の秘部を指で愛撫しようと触ったら「痛っ!!」って言ったもんだからすぐにやめたのだけど、それでテンションがガタ落ちしてしまったのか、まだまだ十分時間が残っていたにもかかわらず以後のプレイを拒絶されてしまったのだよ。
痛い思いをさせてしまったことは自分の落ち度ではあるが、わざとではないし、痛い(痛そうな)ことを避けてプレイを続行することもできたはずなのに…。
いずれにしても自分の触り方がヘタクソだからこうなったわけだし、正直わざわざお金を払った相手にすら拒絶されるとは、「テクニックがない」「金をもらってもなお相手にする価値がない」とダブルパンチで男としての自信も自尊心も粉砕されてしまった。
っていうだけのこと。
自分に自身が無いと自分を傷つけることでしか自己正当化できなくなる。
自尊心を奪われた哀れなリストカッターに自分自身の心が侵食されているのがよくわかる。
俺もプロジェクトが炎上したからといって自分の健康は犠牲にしない。
絶対にだ。
あいトリ少女像撤去のニュースを見て父親が言った一言を聞いて、もう駄目だと思った。
アートに造詣がなく、YAHOOニュースぐらいしかソースのない父親はこのニュースをテレビで見ながら「人の嫌がることはやっちゃダメだよ」と言った。
この父親はつぶれそうな中小企業(1社はつぶれた)で総務のおじさんしかやったことがない癖に、家では母親を使用人扱いで、娘にはモラハラばかりの男尊女卑的内弁慶男である(院卒大企業勤務の息子には何も言わない。スペックで敗北しているから)。
最近「父親がネトウヨになった話」がネット上でシェアされているが、うちもそうなのだ。
昔からこの父親のことは嫌っていたが、大人になって分かったのは、彼は、今時流行りの「おっさん叩き」で叩かれている「おっさん」像そのものであるからだということである。
特に個人的なかかわりもないのに中国や韓国をバカにし、男には勝てないから女をバカにし、仕事でも人間関係でも相手にされない自分の自尊心を満たそうとするしょうもない人間である。
あいトリに話を戻せば、両手足を切断された裸の少女がほほ笑む絵画を芸術とあがめ、性被害を訴える韓国の衣装を着た女の子の像を排除しようとする日本の「おっさん」たちが「娘」たちから嫌われても仕方がない、というか当然である。
近年の「おっさん叩き」と「#metoo」運動は、かなり密接な関係があるように思われる。これは、搾取され続けた娘たちの、父親殺しの物語のように思える。
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。
悲惨の事件、前代未聞、単独殺傷事件での死者数過去最多…なので、多分どうやって考えればいいか分からなくなっている部分がある。
一つの事件を一つの視点で考えることは、どんな犯罪においても違うとは思うのだが、
事が事だけに混乱しているメディアや書き込みが目立っているような感覚を持つ。
なので一つ一つを整理していくべきだ。冷静に。犠牲者に悲しみを持って。
まず最初に、大勢の人間の命が失われたことについて考えなくてはならない。
これが同じ人間としてまず考えるべきことであり、これが考えられない人に以下を考える資格は無いとすら思う。
なんの罪の無い人たちが、殺されてしまった。いまだに入院している人もいる。怪我人も多い。
居合わせた74人のうち無傷だったのは6人だけ。
我々はまず、悲しまなくてはならない。
そして、彼らの今後に想いを馳せる。そのために必要なものはなにか、協力できないかと考える。
集められた資金は、まずは彼らのために使われるべきだろう。
次に文化的価値についてであると考える。いや本当は防災意識なのかもしれない。しかしいつだって感情が先なので、これは後回しにしよう。
日本は文化を持って戦争に負けても自尊心を保ってきた。アニメは文化だ。
多くの日本人は文化価値の重大さにして理解しているからこそ、アニメーターに価値を見出している。
さらにドラえもんやクレヨンしんちゃん、コナンや美味しんぼ、キャッツアイや犬夜叉、初期ジブリ作品など京アニが関わったことのある作品を見たことの無い日本人はいるだろうか。
アニオタでなくとも、その事実に気付いたときにハッとするものがあるだろう。
大きな喪失感はきっとこの辺にあるのだろう。
次に考えるのは防災観点だと思う。京アニが問題だったわけでは無い、と断言する。少なくとも、法律上は問題が無かったのだから。
しかしこういうことが起こるのだ、という前提で今後危機管理を行っていかなければならなくなった。
そうせざるをえないのだ。いつだって最悪を想定して防災は進む。
これで何かが変わらなければ、日本はそれこそ成長が止まった国となるだろう。
特殊な事件だからで終わらせることは出来ない。一度あることは二度ある。だから、考え続けなければならないのだ。
次に考えるのは京アニの再建だ。
しかしこれは再建しようとする人が居続けることが必要だ。事件後すぐ表に出てきていた社長は再建すると言っている。
ただ、事件後間もないことだ。社長の気持ちや状況も汲んであげたい。アニメへのテロ行為に屈するわけにはいかないのだから。
我々はきっと社長の言葉に期待しているが、それは時間がかかることだろうし、気力が続くかどうかも分からないことだ。
今はただ、彼らがしたいことの手助けをするのみだ。あれをしろこれをしろ、という時期ではない。
彼らのためにできることが、京アニの復活に繋がると、信じて待とう。
目を向けなければならないのはいつだって人の気持ちだ。そうでないと人で無くなってしまう、と考える。
被害者やその家族、そして関係者、友人、救助にあたった人達、近隣住民。そしてファン。
この人達のカウンセリングについても考えていかないとならない。
今は警察が100人体制で動いているが、来年は50人も残っているのだろうか。
するべきことはたくさんある。今すぐにすることと、長期的にすることを考えるのが大事だろう。
さて注目されている犯人の動機だが、それを聞いて納得できた人は、危ないと思う。
殺人事件を書く小説シリーズにありがちの言葉だが、殺人鬼の言い分を理解してはいけない、ということだ。
殺人者の動機を延々考えている推理作家たちの結論が多くそこに行きつくのが、なかなか興味深い。
だから正直なところ、聞いても仕方がないと思う。
しかし聞かなくてはならない。そして対話をしなければならないのだろう。
話しもせず死刑を執行することは、結局のところただの殺人鬼と同じになってしまう。
法律は本来国民が決めるものだ。国民の意思で話も聞かずに殺すとなれば、国民が理屈の無い殺人鬼になってしまう。
死刑制度について考えてしまうが…まぁきっとこれは、凶悪犯が出てきたときに逐一考えていくことなのだろう。結論はそれぞれだ。
ただ犯人の動機を聞いたところで、上記に書いたことよりは得られるものが少ないように思う。
正直なところ、その分野の詳しい人や心理学者に研究を委ねるべきなのだろう。
きっとまだ考察すべきことはあるのだろう。
Fateという作品が非常に気になっていたので、ここ数年Fate関係をずっと漁って、Fate/Staynight → Fate/ZERO → Fate/UBW → Fate/HF → Fate/Extra(アニメ) → Fate/プリズマイリヤ1,2,3 → Fate/Apocrypha → Fate/Extra(ゲーム) → Fate/Extra CCC → Fate/Extellaという順番で消化し続けてきた。途中Type-Moonの世界観が共有されているとのことなので、空の境界のOVAを6作見てみたりもしてみた。そしてその結果として、言いようのない気持ち悪さを覚えたのでここに書き散らす。ぶっちゃけると奈須きのこ、てめえは駄目だ。人間ってもんがぜんっぜん書けてねえ!!
Fateのヒロインって奴は、というよりType-Moonの主要ヒロインは以下にまとめることができる。
・遠坂凛
・玉藻の前
・クロエ
・美遊
まあだいたい出てくるヒロイン枠はこんなもんなんだが、ぶっちゃけエロゲと同じでわりと単純で簡単に類型化できてしまう(どうして簡単にかつ単純に類型化できるのかは実は一言で表現できるのだが、それは次のチャプターで話す)要するに以下のタイプしかいないのだ。
・食い意地が張ってるので、基本は食事で胃袋を掴む
・使命感を捨てて恋に生きるよう説得するため、とにかく女の子扱いする
・不器用な生き方そのものを肯定し、過去の傷を舐めて肯定してやる
・チャラい、不真面目
※要するにギルガメシュ
・チャンスを見て、心のSGを暴いたり、心の中身を覗き込んで一旦丸裸にした上で従順にさせる
・たまに大真面目に褒めると照れるので、褒めのジャブを入れつつ、好意をストレートに打ち込むと何故か落ちる
・間桐シンジ
・真面目な朴念仁で、目的のために愚直に突き進む優男タイプに弱い
・ド直球に大してド直球に返す、沈黙に沈黙を返して誘い受けする、これを繰り返していると勝手に相手が落ちている
・倫理にもとる行為をしても基本的には立ち位置を信頼モードにして「何があっても一緒だよ」「過去どんなことがあっても俺は気にしないよ」と言い続ける
・意外と寂しがり屋だったり、わりと物事を達観してる節があるので、そういうときに包容力を見せるだけで落ちる
・こいつら自身が裏表があるタイプなので、裏表が通用すると思ったら間違い
・下手に策を弄するよりも天然を地で行くタイプに弱い。本人たちもそこがわかってるから冗談交じりで愛情をストレートに表現してくる。
・とにかくこいつらは寂しがりで承認欲求が強いので、友達とか絆とか特別というキーワードに弱い
・特に精神的な繋がりを重要視するだけで、それを与えるだけで生きる目的にすらなっちゃう
・精神的な闇の部分も含めて「お前が特別」を与えてやるだけで落ちる
・必ず不器用な一面を見せる
アホかってくらいみんなこれに該当する。そのせいで(2)Fate男主人公全般に見られる妙な脱個性&表面的素朴化が起こってる。
Fateというか、Type-Moon系の主人公格はほぼ以下の五人に集約できる。すなわち黒桐幹也、衛宮士郎、ジーク、岸波白野、藤丸立香の五人である。これは女ヒロインがType-A~Dの四種類に集約でき、かつ変形種まで存在することから考えると驚くほどに単調で少ない。とはいえ一応五人はいるのだから、五人を一人ずつ分析していってもいいのだが。ぶっちゃけるとこの五人、精神分析するまでもない。細かい差異はあれど以下の一行に簡単に集約できてしまう。
マジでこれは異論は認めない。ぶっちゃけTypeMoon系の主人公(男)ってやつはどいつもこいつも女に対しておんなじアピールしかしてない。驚くくらいこれがまったく変わってなくて驚きを通り越して笑えてくる。マクロス・フロンティアでMay'nが歌うノーザンクロスに「君を掻きむしって濁らせた、なのに可憐に笑うとこ、好きだったよ」という歌詞があるが、まんまこれである。すなわち「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」「僕を傷つける君でも、俺はお前を好きだZe!放ってなんかおけないZe!」のどっちかを繰り返して女の子を包み込んでいるだけなのである。その証拠に各々のメインヒロインをFate/StaynightシリーズとFate/Extraシリーズを用いてざっくりどうやって各主人公が落としてきたかを振り返ってみよう。
「士郎は卑怯です、私の過去を知って、何度も私の中に入ってきた(性的に)」
→「惚れちまってんだから仕方ないだろ、俺はお前をこのまま放っておけないZe!」→「俺はお前を救いたい」→陥落
「(アーチャーが私を裏切った…!?そんな…っ)士郎、今日は疲れたでしょう、もう休みなさい」
→「お前の方が辛いはずじゃねーか、俺はお前をこのまま放っておけないいZe!」→陥落
「先輩、私綺麗じゃないんです、もうずっと前から汚れた女なんです」
→ 「そんなお前をこのまま放っておけないZe!俺は女としてのお前を求めたいんだZe!」→陥落
「奏者よ、本当の私は悪名によって星に刻まれた為政者なのだ。為政者としての余は完全に間違いばっかりなのだ」
→ 「そんなお前の姿が俺には眩しいZe!」
「私は傾国の姫君、私は人とは一緒にいられない、一緒にいてもどうせ不幸にしてしまう、」
→ 「そんなお前が俺との何気ない日常を選んでくれたことが俺はうれしいZe!俺はお前を信じていたZe!そんなお前を俺は好きだZe!」
「私は破壊の王、命を奪いたくは…ない、私は、その意味をまだ知らない。だが私には、破壊しかないのだ。他には…何もない。だから…」
→ 「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」
ぶっちゃけFate/Extra、Extellaなんてのはストーリーはメチャクチャ単純で、主人公の事を好きな味方(サーヴァント)を連れて聖杯戦争を進んでいく内に主人公の事を好きな敵が現れて、その敵から主人公が逃げたり逆にその敵を救おうとして失敗してを繰り返しながら、ラスボスとの戦いで主人公を好きな味方と敵の全員が力を合わせ、最後にラスボスを大団円で倒した後に、切ない別れが待っている、以上。もうぶっちゃけこれだけである。FGOもほとんどこれを繰り返してるだけ。(※この系譜に当てはまらないのはせいぜいがFate/ZeroとFate/Apocryphaくらいのもんで、しかもこの2つは両方ともメインライターは那須きのこじゃなくて虚淵と東出)那須きのこの描く女性像、特にヒロイン像ってヤツがいかに偏ってるか、いい加減気づいた方が良い。こいつにとってヒロイン女ってのは精神的脆さという名前恋愛スイッチが存在していて、そこを押しさえすれば女はみんな落ちると思ってる。でもってそのためには男は全員器が謎に広くて天然朴念仁でありながらストレートに女性を褒めることも出来て自分のピンチにも泰然自若としている肝っ玉のある男じゃなきゃいけないわけだ。
このヒロイン像に対比する形で生まれた男性像が顕著といえるのが<空の教会>の黒桐幹也くんである。
筆者は空の教会の「殺人考察(前)」編で両儀式から殺されかけて逃げながらも彼女を何度も振り返って見つめ合う黒桐幹也になんだかシュールなものを感じてしまって半笑いになってしまったのだが、とにもかくにも那須きのこのヒロインを救う主人公(ヒーロー像)ってのはこのときからまったくといっていいほど変わっていないことが伺える。この異常なヒロインをそれでも愛するヒーロー(男性)というのはFateにも結構登場していて、藤丸立香や岸波白野だけじゃなく、メディアさんの恋人ポジションである葛木先生なんかはモロにそのポジションだったりする。特に岸波白野くんの包容力演出の異常さに関してはメルトリリスやパッションリップのエピソードでも充分に語られているから分かるだろう。基本的に那須きのこ氏の作品に登場するメインヒロインたちは絆や深い関係を作るために何らかの精神的ウィークポイントが存在しなければならず、そこを無意識に突くことができ、かつ人格的にも不安定な彼女たち(意図的に男性の手の中に転がりやすい存在として貶められている彼女たちの人格)を包み込んであげるためには、ヒーローたる男性は極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好しでなければならないというわけだ。
これって西尾維新とかの物語シリーズにもよくあるんだが、とにかく女性という存在を何かと欠陥のある存在にしたがっている。「欠陥のある存在にしたがる」というのは要するに、手触りがあって男の手の中に何となく収まってくれそうな存在に押し込めたがる傾向がある、という意味だ。早い話が心に隙間のある人間に仕立て上げることで、弱点スイッチを作っていることだと言っていい。そしてそこを上手に押してくれる男性をヒーローと仕立てあげる構図を作り上げている。これは病的なまでにすべてのヒロインに共通して言えることである。例えばFate/Extellaに登場するアルテラは1万4千年前の世界を滅ぼした遊星の尖兵たる巨神そのもので、その気になればサーヴァントたちのみならず神級の英霊をも下すこともできる超弩級の危険人物なのだが、どういうわけか主人公に惚れていて何故か必要もないのに彼にプログラム世界であるにも関わらず料理を振る舞ってみたり、甲斐甲斐しく抱きしめてみたりする意味の分からないエピソードが大量に存在する。そしてどういうわけか主人公の昔の英霊パートナーに嫉妬したり、主人公と会話をしたがるも話すことが見つからなくてじっと見つめてしまったり、逆に見つめ返されて恥ずかしがったりしてしまうのである。
この一言に尽きる。だから女性ヒロインにわかりやすいテンプレを付けすぎて、しかも毎回それを使いまわしすぎる。そして男性ヒーローに対して、女性を救う存在とさせすぎる。一言で言えば、女を舐めすぎだ。この辺は主人公(男)がしょっちゅうヒロイン(女)をからかったり弄ったりすることからもよく分かる。その弄り方のほとんどがどうにもこうにもヲタ臭いのだ。
別に人間なのだから、弱点を押されれば弱いのは分かる。精神的な脆さや寂しさが女の魅力になることも分かる。
でもそれに頼りっきりかっつー話である。いい加減恋愛スイッチのあるヒロインをヒーローが助ける構図をやめてみたらどうなのか、と。例えば歴代の有名ヒロイン・綾波レイに恋愛スイッチがあったか?ガンダムのララァに恋愛スイッチがあるのか?ヒーローはいつだってヒロインに愛されていなければならないのか?そうだとしても、それは常に恋愛という形である必要があるのか?ときにはヒーローこそが、心理的に成長する物語を描いたっていいんじゃないか?Fate作品のヒーロー(男性)が画一的で単調なのは、決してヒロイン(女性)を魅力的に描く上でそれが必然だからなのではない。単純にヒロイン(女性)をきちんと描けていないから、その対存在であるヒーロー(男性)が対応する形で単調な存在になってしまうのである。
ポケモンのレッドや.hackのカイトのような、没個性的な男性を主軸に置くことを続けていくことは否定しない。しかしあえて言おう。真の意味での没入感や共感を視聴者が得るためには、登場人物には哲学や主張が存在しなければならない。中庸をいく存在であってはならないのだ。極端に何かを主張する存在でなければならない。それでいてなお、視聴者の好意を射止める存在でなければならない。そしてそれに共感するか否かは、すべて視聴者に委ねるべきなのだ。
この点を非常にうまくやったのは間違いなく虚淵氏である。Fate/Zeroの主人公たる切嗣は、主人公としては実に賛否両論だろう。この主人公に対して感情移入できたのかどうかは実際のところ評価の別れるところだし、正直行って那須きのこ氏が展開する没個性型の主人公とはまったくもって一線を画す、主義主張の塊のような漢だ。しかしどうだろう。不思議と切嗣を憎めない。また那須きのこ氏がヒロインとヒーローにばかり話の焦点を当てるのに対し、虚淵氏が上手いのはヒロインとヒーローが絡むメインテーマに対して、ヒロインとヒーローとは異なる視点におけるサブシナリオをきちんと描いてメインテーマに関連付けさせるところだ。衛宮切嗣に対して言峰綺礼をきちんと置くし、セイバーに対して、きちんとウェイバーとイスカンダルそしてギルガメッシュを置く。(※この違いはなんのかというと、要するに虚淵氏が単にラブコメも恋愛もあんまり書くつもりもないからなのだが)
したがって、那須きのこ氏がこの課題をクリアするためには、まず安易なラブコメや恋愛スイッチヒロインを描くことをやめるところから始めるべきだろう。もっと多種多様な人間の感情模様を描くべきだし、そしてもしそれがきちんと出来ていれば、主人公(男)があれほどまでに没個性的で妙なヲタのりをする奇妙な包容力のある人物になるわけはないのである。
小さい頃に親が離婚。父親に二人のきょうだいとともに引き取られる。父親はタクシー運転手。まあ裕福な家庭じゃないわな。高校は夜間部へ進学し、昼間はお役所でメールボーイのバイト。この頃はまだ無垢だったとの同僚の話。ただ経費削減により三年か四年でメールボーイの仕事は打ち切りに。
その後非正規労働を転々とする。父親が仕事中事故を起こしクビになる。数ヶ月後に父親は自殺。それをきっかけに青葉一家は離散。
やがてコンビニ強盗や下着泥棒などやるように。実刑ついて刑務所へも行く。更生施設から出てさいたまに住む。隣人にこっちは余裕ないんや殺すぞと言う。そして京アニ放火。動機は小説を盗まれたから。
無敵の人をうまないと言っても、親の離婚による自尊心や自己肯定感の喪失とかどうしようもない。今後こういうやつは増えていくんやろうなあ
与党は自尊心を維持できるギリギリの水準だった、というのが正直なところでは。
『自らの総裁任期である2021年9月までに憲法改正の国会発議と国民投票を目指すと表明した。総裁任期中に国会発議と国民投票を実施したいかを問われ「期限ありきではないが私の任期中に何とか実現したい」と述べた。』という報道もある通り、悲願の改憲準備に、ギリギリ手が届くか・・・というところで、勝ちとは言いにくい。
増税反対の主張にもリアリティは感じられなかった、とも思うし。
これは本当にそうですね。
枝野さんも、もう少し、答弁の質を上げるように運営して欲しい。
長妻さんあたりは、多少はまともなんだが。。
身体障害者には寄り添うべきだ。バリアフリーとは言え、五体満足前提で作られた社会は彼らに住みにくい。
でも、最近はADHDや発達障害も個性と捉えて、定型発達者が我慢してサポートしてあげて仲良く生きる社会に!とか言ってるよな。もっと理解を!って
その結果がコレだよ。ガソリン撒いて火をつけたよ
ADHDはギフテッド?発達障害は優秀?お前らが寄り添いたいのは全体の0.数%の人だよ。残りはそんなんじゃない劣等感に苛まれた奴や自尊心の塊とかヤベー奴しか居ないんだよ
そんな人達に寄り添ったって治りはしないし、劣等感は加速され、自尊心は増長する。そしてキレたらとんでもない行動を起こす
アメリカのように銃のような諸刃の剣が無く、政策で居住地区も分けれないなら、もうレッテル貼りしか無いんじゃないかな?
差別とか言って平等訴えて、結果何の罪もない人が死んで、犯人も死に逃げする様な自体が増えている今。なんとかして判別する必要があるんじゃない?
そういう人。
接していてしんどい。
もーーーーー
とにかくしんどい。
こっちに向けてくるのはやめてくれよ。
「私はできないから」
って言われても素直に反応に困ってしまう。
「そんなことないよ」って言わなきゃ、
「ほらやっぱりそうなんだ、あなたもそう思ってるんでしょ、ひどい」
そうだねともそんなことないよとも言えない。
どうせ「そんなことないよ」って言っても信じてくれないしね。
どんどん疑ってさらにネガティブな発言するじゃん。心から思っていても、あなたたちの心には届かない。
何言っても無駄。
自分で自分下げして、最初からやっすい値札はって、期待値コントロールでもなんでもないから。
そう言う友達のケアをしてあげたり気を遣ったりできるほど、私も優しくなれない。
少しはよくなったかなと思った。し、実際に少し前向きになってくれた時もあった。
けど無駄だった。
"友達"には埋められない、深い深い溝をつきつけられただけだったように感じた。
誰だったら埋められるんだろうね。
どうしたらいいんだろうね。
それは個性だ。そういう人もいる。
だけど。
それを盾にこっちに向けないで。
巻き込まないでほしい。
誰かを、私を頼りたいならちゃんと頼って。
これはお願い。
雨だれに打たれた庭石のように、心のどこかに穴が開きかけている。
通りすがりの人間が投げかける理不尽な軽口が、紙やすりをそっとかけるように心を削り取る。
それが何万回も繰り返されて、これから少しずつ紙やすりの目が粗く力強くなっていくんだろう。
辛い。
俺の両親がたまたまハゲのDNAを受け継いできたというだけのことで、俺は馬鹿にしても良い人間として毎日バカにされて、そのことをパワハラともセクハラとも呼べずに生きていく。
黒人はいいよな。あれだけわかりやすく差別されていれば声を上げても良識のある人が助けてくれる。
ハゲがハゲを馬鹿にされたぐらいの事で騒ぎ立てたら、学芸会の役選びにヒートアップしすぎた子みたいな「コイツなんでそんなに必死なの?(藁)」って扱いしか受けないよ……。
こんな思いを我が子にはさせたくない。
少子化ってのは、こういった少しずつの「こんな気持を自分の子供に味合わせるぐらいなら最初から産まない」が積み上がって出来たものなんだろうね。