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はてなキーワード: 私立中とは

2024-11-12

公立至上主義呪いがようやく解けた

地方自称進学校に進学し、国公立大学が1番だと教えられてきた。

でも受験は前期後期ともに失敗し、唯一合格していた都内私立大学へと進学した。(親の意向浪人はナシ)

受験に失敗した時の先生方の落胆した表情と、私立大学への進学を決めた時の冷たい態度は心が大きく抉られた。

先生が欲しいのは「国公立大学学者」であり、私立大学学者存在価値がないことを思い知らされた。

自分の進路は「その他の大学」扱いだった。

自分の3年間は無駄になったと毎日泣いていた。


上京して都内私立大学に進学したが、今まで公立学校しか通っていなかったし、地元友達国公立大学に進学しているのに自分私立大学で恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

でも大学での友達はそんなこと誰も気にしていなかった。国公立が〜とか誰も話していなかった。私立中高一貫校出身が多かったからかもしれない。他にも社会人入学の方や海外出身の方もいて沢山の人と交流したことで様々な道があることを知ることができた。

通っていた大学教授指導が手厚く資料も沢山あり、勉強研究にしっかり取り組めたと思う。国公立大学じゃないと就活に苦しむと高校先生には言われていたが、第一希望企業に無事内定をいただけた。

国公立大学でなければ人に非ず」と信じていたけど東京ではそんなこと言っている人は誰もいなかった。

4年間過ごして自分も生きていいんだって気持ちになれた。呪いが解けていく音がした。

教職の授業を取っていたため、卒業校で教育実習を行ったが先生の扱いは「国公立大学実習生私立大学実習生」で私は空気だった。元同級生東北大学実習生がいたが神のような扱いだった。何も変わっていなくて悲しかったが、逆に地元に対する諦めがついた。

ずっと地元にいたら、自分も国公立呪いに囚われていたのかと思う。大学生活は楽しかったし、国公立私立が、とかどうでもよくなった。大学がどうのこうのより勉強して自分のため人のためになれればそれが1番だ。

でも、地元国公立大学呪いで溢れている限り、地域復興とか地元貢献とかUターン就職をすることは今後ないと思う。

高校卒業まで地元税金を沢山使ってきたけど、東京幸せに生きて納税して地元還元しないのが私の呪われた地元に対する復讐

2024-11-05

都会の上級国民集う私立中学に実家町工場料亭の子はそこそこいると聞く

そんな儲かるのか?

2024-10-04

anond:20241004093456

別の作品と間違えてないか

レイアースは全員私立中に通うええとこのお嬢さんで家庭も問題ないぞ

光→私立女子中 小柄で天然でマスコットキャラ 家は剣道道場父子家庭かつイケメン兄貴たちがいるのでボーイッシュ

海→お嬢様女子中 モデルのような美女 美男美女な両親がいる

風→高偏差値私立中 見るからに賢そう 高校生の姉がいる

陰口とか虐待設定とかはないぞ

2024-09-26

私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院 校歌

まろび出る私の小陰唇

ぷっくりほてった陰核に

舌先伸ばすと顔を出す

ほんのり湿った密林に

生命たたえる泉わく

乙女の集う学舎よ

ああ 私立セルフクンニ軟体開発女学院

2024-09-24

anond:20231215231511

かつてトー横ビブ横ドン横池公グリ下警固界隈で少女買春を繰り返しfc2-ppvでその動画を売り捌いて暴利を貪り私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒の怒りを買って殺されかけた経験のある奥飛騨膣襞襞研究センター所長膣川膣男が開発した対セルフクンニ軟体開発女学院専用殺人潮吹き封印貞操帯が完成を間近に控えており官邸経由でこの拘束具をセルフクンニ軟体開発女学院に在籍する全ての女生徒に装着することを義務付ける法案を通すことで殺人潮吹きの脅威から自らを含む児童買春キモおぢ共を守護天皇を中心とする美しい神の国であるこの日本をいい歳こいてマンガアニメゲーム特撮アイドル程度しか理解出来ないロリペドミソウヨロスジェネチー牛が闊歩する地獄へと変貌させようという狙いがあると思われその思惑がセルフクンニ軟体開発女学院生徒1919人全ての逆鱗に触れ奥飛騨膣襞襞研究センターは壊滅すべきではという意見100%を占めた為第92セルフクンニ特殊空挺部隊を含めた当女学院きっての優等生が本件の暗殺部隊に選ばれ膣川腟男の首を持って来いとの指令を下されるがプチエンジェル事件にも関与し皇室政権与党とも強い繋がりのある奥飛騨膣襞襞研究センターは何基ものPAC3と対空機関砲を備えそれらを地上から護衛するSAT部隊と各地の陸上自衛隊から選抜された精鋭部隊が遊撃要員として常時駐留鉄壁の防御を誇るため機甲部隊保有しないセルフクンニ軟体開発女学院にとって攻略不可能に思えたものの機を見て奇襲を仕掛け格闘戦に持ち込めば学院が誇る病みかわ地雷少女たちの人知を超えた身体能力勝機ありと睨んだ学園理事長大晦日の夜に高高度からHALO空挺降下必要人員を送り込み作戦を開始するが早速40mm対空機関砲の斉射に降下した生徒の数人が被弾し上空で赤い花を咲かせてかつて人体であったという面影すら無い肉片へと姿を変えていくもこの程度の損耗で殺人潮吹き封印貞操帯の開発を止められるなら万々歳とでも言わんばかりの気勢で広範囲に配置された警衛に飛び蹴りをかましながら私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒たちは華麗な着地を決めて水上をも走り抜けられるほどの超高速走行奥飛騨膣襞襞研究センター正門へと向かうが次に彼女たちに襲いかかるのは無数の自爆ドローン榴弾砲の雨霰でありこれを宙返りしながらの対空殺人潮吹き迎撃しながら度重なる市販薬ODリストカット経験で得だ知識をもとに選定した最も切れ味がいいと言われる貝印の剃刀で愛知長久手立てこもり発砲事件を教訓に見つけ出したSAT隊員の弱点を突いて門番の頸動脈を切り裂き一瞬で絶命させることでセルフクンニ軟体開発女学院きっての精鋭部隊奥飛騨膣襞襞研究センター内部へと突入することに成功するがここからは未知の戦力との遭遇を考慮セルフクンニ特殊空挺部隊が得意とする尋問用の技である活人潮吹きでなるべく出血させずに四肢を切断し生け捕りにした敵勢力を肉の盾として先行させるがそれらは壁面に設置された一見さなネジ穴のようにも見える侵入者撃退用の人工殺人潮吹き噴射装置によって全て脳幹を貫かれて無力化されセルフクンニ軟体開発女学院側は警衛から押収した銃器でそれらの防衛設備を全て破壊する必要に迫られ大幅なロスタイムを迫られその隙に奥飛騨膣襞襞研究センター増援の手配をするも習志野からの現着には数時間かると言われ所長膣川膣男は体水分量を大幅に増加させるセルフクンニ軟体開発女学院用に開発されたドーピングを自らに施し全身数十ヵ所から自らの体水分と引き換えに人工殺人潮吹きを噴射するパワードスーツを身に纏い侵入者殲滅するべく動き出し全方位殺人潮吹き研究所内部という狭い空間で存分に駆使しセルフクンニ軟体開発女学院きっての精鋭部隊は一気に窮地に立たされある生徒は脳幹を貫かれまたある生徒は股間から頭頂まで病みかわ地雷ファッションに身を包んだ最高に可愛い肉体を真っ二つに両断されるがセルフクンニ特殊空挺部隊の一人が一瞬の隙を突いて放った顔面騎乗から殺人潮吹き零式によって遂に強固な装甲に身を包んだ膣川膣男の脳幹を貫き死闘の末その首を切断し持ち帰ることに成功するもDNA検査の結果その首は愛知三河地方ルーツを持つ病み地雷女子御用達の超有名美容整形外科の院長本人であり膣川膣男そっくりに整形手術と洗脳を施され影武者にされたことをセルフクンニ軟体開発女学院の生徒一同が知ると学院内はあまりにも深い悲しみに包まれ中には自ら命を絶つ生徒も現れ今回の作戦で計92人の生徒を学院は失うことになるのだが真の敵である膣川膣男本人の所在特定するため主要な日本企業政府機関サイバー攻撃を仕掛けその結果膣川膣男は海外亡命したのち腎不全引き起こし尿そのものを出せなくする紅麹を原料とした毒ガスを新たな殺人潮吹き封印兵器として開発しているという情報を得て私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院は遂に海外遠征に乗り出し目標を消去することを決意するのだった

2024-09-18

anond:20240918014458

横だけど俺個人の話で言えば

大企業正社員、幼少期の家庭環境は中くらい(共働き)、今でも両親仲いい、自分の両親と妻の仲もいい、私立幼稚園卒、私立中高一貫卒、修士、既婚、子持ち、元カノ複数いたけど

そういう属性の俺めちゃくちゃフェミニスト嫌いだし女叩きもバリバリにするよ

非モテけが女叩きしてると思ってるとすればあまりにも愚かで今すぐ考え変えた方がよくて

フェミって「普通家族」の明確な「敵」だからまともに考える頭持ってたら滅ぼすべきって結論しかならないんだよね

子供の将来考えたら今のうちに潰しとかないとだめなやつってわかるよね、あん思想ウイルス亡国の道でしかない

妻もフェミのことめちゃくちゃ嫌ってるよ

2024-09-03

女子男子枠といえば、関西私立中女子枠と男子枠を取ってる共学があるんだよな

何故かというと偏差値の高い女子校がないので、共学化した元男子校に優秀な女子なだれ込むから

校舎が元男子校だったこともあって、共学化による女子受け入れのキャパティ男子ほどではなく、そのため成績順ではなく女子枠と男子枠になってる

まり女子男子枠がある背景には何らかの事情があるので、そこを引っ張り出して考えなきゃならんのだよな

理工学部に偏りがあるのは単純に女子と理工の組み合わせの悪さとしか思えない

2024-08-28

女子枠って男女平等ウォッシュされた富裕層優遇じゃね?

https://x.com/oseti2215/status/1827626637825077448

東工大女子枠、合格してるの私立中高一貫に通わせてもらってるボンボンやんけ、「性別によって選択肢ガー」言ってた奴頭沸いてんのか?コイツらどうせ理科大とか千葉大理系行ってただろ、なんでコイツらの為に両親非大卒公立中・中高で塾予備校無しだった俺の枠削られないといけないんだよ

2024-08-22

anond:20240822124923

私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院並みの短命に終わりそうなんだよね

2024-07-24

食べると田舎臭くなりそうな食べ物首都圏では流行らない

田舎で食されるもの私立中学のお子さんにふさわしいのはふるさと納税の返礼品になりうるもの

マクドナルドギリギリセーフ

2024-07-11

なぜ蓮舫陣営がトンチキ選挙活動せざるを得なかったのか

そもそも小池都政都民の7割程度から評価、なんと立憲支持層から見ても6割程度から評価されていて

内容的にも一部を取り上げると

都立大学高専高校私立高校授業料無償化所得制限撤廃私立中学年間10万円補助も所得制限撤廃(2024年から)

東京都パートナーシップ宣誓制度スタート(2022年から)

・(直接管轄は区政だが)東京23区家賃助成制度の推進

中小企業向け助成金・補助金の拡大

と、どちらかといえば野党支持層が喜びそうな政策ばかりなのよね

これでは普通に蓮舫陣営公約を呼びかけるだけでは小池都政との差を全く出せない

から都の管轄でもなんでもない神宮外苑の話をかなり無理筋でも全面に押し出すしかなかったし、よくわからん踊りやRマークペタペタでアピールするしか方法がなかった

保守側にリベラル政策を取り入れられたら野党タコ踊りするしかないといういい例だったわ

2024-07-02

中学私立だって言ったら「年間200万も300万もかけてもらってたのか」と驚かれた

初年度はともかく俺がいた当時の年間学費は65万とかだったからそんな200万も絶対いかない、と訂正したら


「お前が知らないだけで御両親は寄付金たくさん払わされてんの!私立中はそういうもんなの!笑」


と呆れられた。

そんな馬鹿なと思った。親が寄付金払ってる気配すら感じなかったし、学校にいて寄付金文化的ものを感じる瞬間は一切なかった



両親に確認したら

「一切なかった

とのこと。


ちなみに妹が中学から慶應系だったのでそっちはあったか聞いたら

慶応寄付金のお願い的な文化あったけど、裏の意味が全く無い本当の任意のものだった。卒業時に全額返ってくるタイプ寄付金すらあったからウチはそれをちょいちょい払ってて、ちゃん卒業時に全額返ってきた」


寄付金払わなかったら学生生殺与奪にかかわるような重大でエグいやつって今どき存在するのか?

2024-06-26

戦争経験って重いな

最近ある作家(故人)のエッセイ集を買ったんだけど、

その人大正まれの人でさ

田舎土地持ちの息子で、東京の名門私立中高出て帝大の文学部中退してるんだよね

で、エッセイでよく金の話が出てきて

原稿料が安くて若い時は苦労した、貧乏だったみたいなこと書いてんだけど

嘘つけよお前めちゃくちゃ金持ちじゃん 何が苦労だよ馬鹿かよって思って読んでたんだ

そしたら次の章で戦時中の話出てきてさ

戦時中その人は学生だったんだけど

空襲実家燃えたとか医者志望の同級生原爆で死んだとか

健康診断で引っかかって除隊されたけど末期にもう一度徴兵されて、あと少し戦争が長引けば自分兵隊になってた、人の生き死にが凄く身近だったとか

そういうことを淡々と書いててさ

なんだか、お、おう…ってなって面食らってしまった

どう考えてもその人は裕福な家だったんだけど、それが帳消しになるぐらい戦時中暮らしってデカ経験なんだなって

戦後貧乏と今の貧乏ってまた意味合い違うんだろうな 昭和人間ってタフだ

anond:20240625191650

企業採用で競プロの成績なんかアピールしてくる奴はその時点で異常者だから

センター試験で何点取っただとか、有名私立中学の入試の成績がどうとか言ってるようなもん

2024-06-22

ハーフ国際結婚の辛さを書いていくぜ!』のコメント返信

https://anond.hatelabo.jp/20240621175449

意外と反応多くて驚いた!読んでくれた人、ぶコメしてくれた人、ありがとう

日本語文章が変と言われてからなるべく文を書いていきたいとも思っていたんだ。要約したコメントで書かせてもらうぜ!

雑記みたいなもんだから気楽に読んでくれ。何かあったら追記していくよ。

~~~~~~~~~~~~

自分ハーフだが、イジリなんてなかった

いいね!遭遇しないのが一番だ!

私は私立中学に進学したのだが、そこではなかったよ。容姿をいじるやつなんていないし、先生もみんなまともだった。こればっかりは運としか言えない。

治安悪い地域だな?/本当に23区か?/民度悪すぎる

本当に治安悪いよなw私立幼稚園だって都心から電車10分ないくらいなところにあるんだけどね。小学校も同じくらい。

なんで治安悪かったんだろうな?不思議なんだよな。だって兄弟はなかったし。(知らないだけでいじられていたかもしれない)たまたま自分世代治安が悪かっただけかもしれない。

実際にハーフ結構いたよ。学年に数えるくらいにはいた。なんで私とAはいじられたのかなって思ったんだけど、おそらく「背が高い(体格も良かった)・いろんなことに挑戦したがり」が重なって目立っていたってのもあったと思う。後述するように教師助長していたのもあるかも。

ちなみに区を言ったら「え?!」ってなるところかもしれない。世間的には高級地で治安はいいといわれているとこ。よくテレビとかでも「憧れの○○区!」みたいな。

クソガキどものせい

それはそう!人生やばいやつに会うか会わないかギャンブル

教師最悪だな、クソやん

多分いじりやからかい助長だったと思う。最悪だったな。最悪の教師だって結構な人が言ってくれてよかった。

自分も似たようないじられ方したよ

大変だったね…。吐いてくれてありがとう。ちょー最高ないい人生になることを祈るよ。

日本外国人差別なんてない国!」って嘘だよな

大人になったら学んでいくんだけど、やっぱり子供世界だと「自分と違う=近寄りたくない」ってすぐなっちゃうんだと思う。

大人になっても遭遇しないだけでネットかにはいるもんな。

遭遇していないだけで外国人差別はあると思うよ。「ハーフなら○○できるよね」だって見方を変えれば差別だし。

おそらく国際結婚したい奴は顔のいい白人とかをお求めでは?/アジア人求めてないで

それはそう!言ってるやつはそうだと思う!

ちなみAって書いたけど白人アメリカ人とのハーフなんよ。Aは白人茶髪青目。それでもやっぱりいじられるってのもあるんだな~って思ってくれるだけでいいよ!

さいころはAに対して「白人で鼻高くて青い目もきれいで美形なのになぁ」と思ってたよ。つり目の自分より比べ物にならないくらい美形だったよ。俺はブス。

自分は目が細いの嫌だなって思っていたけど、今では好きだよ!つり目を活かせるファッションをして、真っ黒黒な髪をキめて、まっ黄色い肌で人生謳歌してるぜ!慣れないけどメイクとかで強調もしてみちゃうぜ!友人に「もうそれ狐だよ」と言われた。

(↑のと関連して)子供のことお人形さんペットにしようとしてるよな

やめてほしいよな。

中学ときエピソードがあるんだよ。どこの国かは忘れたけど(たしかアメリカだったかな)、ハーフの子でさ、すっごい美人モテモテ女子がいたんよ。母親国際結婚イケメン美女を生みたかったらしい。

でもその子は「お人形さん扱いされて好きでもないカワイイ服着させられるんだ」って悩んでた。友人からもらうものカワイイものばかりで大変みたいだったよ。

いわゆる想像する「お人形ハーフ美人」を生んだとしても、その子がどんな思想にるのかはわからないしね。タトゥーピアス大好きアングラパンクカッケー!子になる可能だってあるのにね。かっこいいのに。

マウントや憧れだけで子どもを生むってのも考えもんだと思うよ。

30代以上?

20代だ!

第二言語むずいのわかる/第二言語できる人はすごいんだな

すごいと思う!まじで!自分英語の成績悪いし、中国語大学から今でも勉強中だし!ハーフからできるってのはないよ。住んでいたとかのレベルじゃないと普通の日本人と一緒ですごく勉強していると思う。

ハーフから二か国語いけるでしょ」とは思わないでよな!その人がすごいだけだぜ!

2か国語どころか母国語すら怪しい/0.5言語

自分もそうだよw母国語すら怪しいのに他の言語できるか!0.5言語な気がする。

外で日本語、家で外国語だとマスターしてる人多い印象

お?中学のころであった中国人ハーフの子はそれだったんだけど、ダメだったよ。個人差あるんだね~。

日本語おかしいね

まじ?!やっぱり?!もっと勉強するよ。

内容わかりやす

ありがとう精進していくよ!

自分の親(外国人)も日本語怪しくなってきた

この意見多くて興味深かった!多いんだね!

推理始まる」ってコメントあったけど、その通り、突然推理ゲーム始まる。最近はよく言うことなら「あれのことね」ってわかるようになってきたよ!

骨髄移植ドナー探しが死ぬほど大変

マジ?!って調べたらマジじゃん!!!学んだ!ありがとう

関西人でも似たようないじりある/地方出身でもあった

やっぱり地元と違うというだけで似たようなのはあるもんだね。

自分も改めて戒めるよ。

本場の中華料理できるの武器じゃね?

武器にしようと思って、祖父母や母から習ったよ!「これは中国で言うと北/南の人が作った料理だな!」ってわかる程度には味覚が鍛えられているよ。

自分日本語変な感じ/イントネーション日本語じゃない

ん~!大変だね!イントネーションってどうもならんよな!

中華料理イントネーションとか直らんもん。社会に出てからいじる人はいないし、直さなくていいかなと思っているw

国際結婚する。不安

結婚おめでとう!

子どもを授かる場合、幼少期に母国語+なにかを学ばせようとするときだけ気を付けてくれ!母国語すら怪しい何かにならないようにな!

いじりとかに関しては運としかいいようがない。どんなところでもある時はあるし、ない時はない。でも自分が小さいころよりかは大人理解はよくなっていると思うよ!

子どもの有無に関わらず、国柄常識礼儀には気を付けような!日本で当然・やったらありえないことも、相手普通かもしれないぞ!逆も然りだ!

大人になると有利じゃない?

あ~どうだろうね?人によるかな?

でも大人になって「せっかくだし中国語勉強しよう!」と思うようになったのはハーフのおかげかも。

2024-06-21

頑張って有名私立中高一貫校入っても、そこで様々な格差がな…

子供から残酷だよね。

高校くらいだと相手環境を思いやる人もいるけど。

そこで揉まれるのも経験なんだろうけどね。

残酷な側はそのままだったりするのよね。

2024-06-19

教職のやばさ

 大学に勤めています教職の授業も担当している。

小学校採用試験の倍率の低さに驚いている。

採用試験受けている学生に、あきらかにヤバいやつが複数いる。

最後まで教職を諦めず、変な情熱情欲)を燃やしている。

ヤバいよ。目つきが違うし、おかしいし、明らかにキモい

こういうのが受かっていくのだよなぁ。

頭痛い。

東京私立中学や高校が人気なのは学生の質が高いという風潮があるが

同じように、公立先生の質はあと10年もしないうちに酷いことになりそう。

公立先生は、出来が悪い、DBSに乗ってそうとか。

部活を維持したいとか言ってますが、そんなこと言っていると大変なことに

なりますよ。

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

公立中の生徒さんはAIユーチューバー風の語り口を指定して予習マテリアル作成するなんてことをしない

私立中の子との差は開くばかり

中学1年間で4年くらいの差がつく

2024-06-02

私立中学は頭が良くて公立だと浮いちまう子の受け皿で、話の合う同格の友達ができるのが利点なんだから

まあ実体験としてもわかるんだけど高校からでもよかったなって。たかが3年ぽっち早めたところで誤差よ誤差

2024-05-31

anond:20240531060924

地方農村高卒の両親の家庭に生まれ

東京のそこそこいい企業に入って23区内のそこそこいい場所に住んでいるが

周囲の人々の人種全然違うので、

「周囲に合わせて行動した結果、自分も影響を受けて周囲に染まっていく」のはあると思っている。

お隣さんがコンサートに行くなら自分も行ってみようとか。

特に子供は周囲の友達に大きく影響を受けるので

友達ヤンキーばかりか中学受験する層かでは全然違ってくる。

もちろん田舎にも都会にも格差はあるけど

田舎にはそもそも私立中学がないとかで差が出てくる。

地方逆立ちしても東京に勝てない文化資本

と言えば教育だろう。地方にも旧帝大国立大学はあるが私学を含めた裾野はあまりにも狭いし、そもそも東京一工の3/4は東京にある。私大トップである早慶東京にある。関西圏善戦しているがあくまで″関西″圏としてであり、東京に敵う道府県存在しない。

中・高等教育に関しても総合で見るとやはり東京が圧倒していて、またトップ層だけでなく中堅層が進学できる私立中高の選択肢に関しても東京が一番広い。

なぜかはてなでは換金の難しい芸術方面での文化資本″の差が語られているが、教育こそが手っ取り早く換金可能な成果であり東京地方に対して圧倒的に優位な文化資本の差だろう。

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