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はてなキーワード: 浦賀とは

2024-11-22

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┃ 🍪1853年菓子維新爆誕🍪   ┃

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ブルボン朝──甘党世界帝国光芒よ──が、江戸和菓子圏(Edo Sweetness Autonomous Region)を粉砂糖ごと飲み込もうと「クルルァ……💨」(蒸気機関音)を引き連れてやって来た!

その名も「黒船おやつ強襲」🍪🚢⚙️。

指揮官はあの伝説的なお菓子フリークマシューペロリー🍫🥄。彼は「アルフォート戦艦」2隻と「プチシリーズ駆逐艦」4隻という恐るべきカロリー兵器を擁し、浦賀湾にズバァァァン!と停泊。

🌀🌀🌀 進撃のルマンド 🌀🌀🌀

ペロリー、攻撃せずして胃袋を制す戦略を発動!「これがブルボン甘味外交真骨頂だぜ!」と「ルマンド」片手に、和菓子経済圏の心を直撃ッ!!

だが幕府(Bakuman Energy Defense Force)も簡単には落ちない。「ホワイトロリータ手打ちにしたる」と勝手に条件を提示! 久里浜に「とりあえず座れ」と言わんばかりにペロリー一行を誘導。そこで受け取られたのが──

███🍬███ ブルボン朝国書チョコレート味 ███🍬███

この事件、翌年の「日米和菓子条約」締結という全糖類列島未来を左右する甘美すぎる爆発へとつながる!

🌟🌟後の歴史家たちは語る──これが『甘末』であると。🌟🌟

…糖分制御不能ノスタルジア……

机の上に転がる一粒の「バームロール」を見つめる俺。

「この国は……お菓子支配されている……?」

2024-09-30

三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

2023-01-04

[]1月3日

ご飯

朝:おぞうに。昼:なし。夜:おぞうに。

調子

むきゅーはややー。お仕事は十連休8日目。

探偵撲滅

・はじめに

日本一ソフトウェアミステリADV

巷を騒がせている100名近い連続殺人を続行中の八つ裂き公に対抗すべく、優秀な探偵所属する探偵同盟の中でも選ばれし13人が孤島に集まり検討会を開く。

そこのなぜか探偵としてはまだバイトで駆け出しな主人公が参加することになるが、その孤島は既に八つ裂き公による殺人舞台になっていた。

理想探偵外道探偵などのコードネームを持つ優秀な探偵たちの中に八つ裂き公が居るとしか考えられないシチュエーションに、主人公無能探偵の二つ名を授かり捜査を始めるのだった。

あらすじだけ見るとダンガンロンパフォロワーな感じだが、所謂新本格ミステリ」の文脈の色が濃く出ている。

・大量に出てくる出てくるだけの固有名詞面白い

西尾維新のアレね。

一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。

「6大グループ企業『十傑』」

モナ・リザオルタナティブ事件

「史上最凶の護衛伊草弟切」

みたいな格好いいけど、別に後々登場する訳ではなく、その時々に味付けのためだけに登場するだけ。

こういうのを格好良いと思う回路が出来ているので格好良いと思った。

(とはいえ、それをやり続けてる西尾維新本人は別格なんだよなあ、零崎はじめてえ……)

幻想的な描写を交えながらホワイダニット誘導するような文章を重ねながら物理トリック一本背負い

北山猛邦のアレね。

一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。

文体とある特殊設定が相まって、現実虚構曖昧になる描写が多い。

その割にハウダニット重視の謎解きが多く、ホワイダニット最後最後まで重視されない。

そのハウダニットも、古き良きな趣で、思わず

||「よっ! 氷!」||や

||「糸さまー! こっち向いてー!」||や

||「きゃー自殺を他殺に隠蔽ちゃーんー!」||と

声援を上げながら楽しくプレイした。

前例のあるトリックからダメと言っているんじゃなくて、トリックは見せ方であり、それがゲームになることによって斬新…… さは特にいか

まあまあ、十角館再放送は何度観ても楽しいからいいじゃん。

(北山のアレもこの作品も十角館再放送ではないが、新本格とは根本的にそうだと言っている)

人間が生きる意味を問う哲学宗教に関する問答

浦賀和宏のアレね。

一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。

探偵というジャンルがこれを想起させるのか、本質的物語はそこに行き着くものなのかはわからないけど、そういう問答のシーンが長尺である

面白い面白くないは、正直別にどちらとも思わなかったという答えになる。

ただ、割と真っ直ぐな回答なので、シンプルだなあとも思った。

クローズドサークル内の描写ほとんどで、市井の人々の描写が無い点が悪い意味で狭く感じた。

もう少し広いところで議論した方が、具体性をもてて僕のこのみだったかもしれない。

(浦賀オタク描写のことを、生死感を問答する際に重要一般的市井の人々の描写だと思ってるわけではない)

・身も蓋もない展開

矢野龍王のアレね。

一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。

殺人事件最後の生死感を問う部分はやりたいことがハッキリしていたのだけど、迷宮彷徨いデストラップ四苦八苦するところは身も蓋もなかった。

仕掛ける側も、解く側もなんでもありだし、死体がないなら疑うのもベタ中のベタすぎて、はは…… ってなる。

商業的な事情の水増しを感じるが、小説よりは、ゲームの方が複数人制作ということもあって、水増しが納得できなくはないのが、なんとも。

(矢野龍王は水増し力を鯨統一郎から学ぶべきだったんだよなあ、いや水増し力というか、それを批判されても動じない心というか)

女性体臭にまつわる描写エッチ

関田涙のアレね。

一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。

ゲームトイレのシーンがないとかお風呂のシーンがないとか難癖を付けるの嫌いなんだけど、この作品は難癖とかではないです。

というのも、序盤はお風呂トイレがある場所で休憩しているしそれらを利用する描写がある。

物語が進むにつれ野宿を繰り返してるから

風呂我慢している描写がある。

しかも、冒険が進むにつれ気温が上昇しているという描写もあるせいで汗をかく描写も多い。

さら匂いに関するトリックや、匂いに関する長けた能力を持った人もいるため、体臭言及するシーンも多い。

こうなると常日頃から、そのような単語検索してはPixivブックマークを肥やしている身としては居ても立っても居られない。

しかし無いもの無いのだった……

(関田涙の蜜の森の凍える女神の凍えるシーンの詳細な描写二次創作をどれだけ探しても見つけられなかったことを思い出すなあ)

(なお、そのようなジャンルの僕のオススメ作家さんは緑茶みちさんとイソポティラミスさんです)

・さいごに

清涼院流水が好き。

てらいなく、本当に好きなんだよね。

僕にとってあの時代は「黄金時代」だったんだ。

から、流水を好きな人のことを好きになっちゃうんだ。

上京してから、同郷の人と会ったとき、妙な連帯感を感じるアレだよ。

(いや僕学生時代と同じ街で暮らしてるから知らんけど)

2022-12-22

ワイ、リアディゾン黒船に乗って浦賀へ来航

開国してくださぃよぅ〜

2022-06-12

[]6月12日

ご飯

朝:なし。昼:ミートソースカルボナーラ生ハムルッコラピザサラダヨーグルト。夜:トマト素麺ポッキー

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすミンミンゼミ

今日読書の日

○浅倉秋成の六人の嘘つきな大学生

就活で選ばれる側の学生が選ぶ側に立つことになった奇異なグループディスカッションで起こった事件を描く第一部と、それから数年後当時を振りかえる第二部からなる青春小説

パズラー文脈ミステリ以外のジャンルを描こうとしていて、序盤に登場するフェアという言葉を何度も使うキャラがいることからも、所謂フェアプレイ」の概念を主に置いている。

しかし、この作品ミステリ一辺倒ではなく青春小説の面も持っているが故に、ここでいう「フェアプレイ」は作者から読者へ向けたミステリ的な意味だけではない。

一般社会における人間関係においてのフェアな精神とはなんなのか? それを問うようなお話だった。

はてなブックマークTwitterである側面を見て断罪するインターネットのジジババ共へ向けたわかりやす教科書でもあり、就活という奇祭に向かわなければならない若者へのエールでもあった。

みたいな書評ごっこはさておき、面白かった。

就職活動中のグループディスカッションクローズドサークル見立てフーダニットするという構造自体入り口百点。

伏線狙撃手とかい異名が際立つ、もはや恒例になったラストの方で今までの伏線文章ピックアップしながら真の意味解説するくだりは、マジでこの変なあだ名が無ければ楽しめる。(伏線狙撃手て……

テーマであるフェアを巡るやり取りも、就活に苦しめられてきた自分過去を思い返して感情移入できた。

ただ、こんだけ無茶なシチュエーション自体へのサゲがないことだけは少し不満足かも。

○ 早坂吝の殺人犯VS殺人鬼

サプライズ」全振りのビックリサスペンス

イジメ加害者への復讐のために殺人を決意して部屋に忍びこむもすでに相手は死んでいた。

そんな冒頭から始まる、タイトル通り殺人犯VS殺人鬼サスペンス

クローズドサークルなのでフーダニットものかと思いきや、まさかサプライズ

叙述トリック可能性は疑いなら読んでいたものの、まさかこんな方向からサプライズが来るとは予想外だった。

たまたま同じ日に読んだ上で紹介した浅倉秋成の六人の嘘つきな大学生が、いたって真面目な社会派ホワイダニットを綺麗に描いていたもんだから、尚のことこの作品ホワイダニットには脱帽してしまった。

古い批判を蒸し返すけど「本格ミステリは人を書けていない」と評するのはあまりにも簡単

それだけに、いやはやまさかの衝撃だった。

キャラ事件にとってのコマしかないという批判をこれほどまでに朗らかに明るく肯定する作風は、あの当時の妙な熱を思い出させてくれた気もする。

流水、蘇武、浦賀石崎…… 彼らが紡いできたものも、ミステリ歴史の一頁として後継者が生まれていってるんだなあ。

ミステリって面白いですね。いやマジで

2020-08-01

年表(近現代

関ヶ原の戦い日露戦争

1600-10-21 関ヶ原の戦い

1615-05-07 大阪城落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡

1853-05-23 アメリカ艦隊浦賀沖に来航(黒船来航)

1861-04-12 アメリカ南北戦争1865年5月9日まで)

1865-04-15 リンカーンアメリカ大統領暗殺

1867-01-30 孝明天皇崩御

1867-02-13 睦仁親王践祚

1867-11-09 大政奉還

1868-01-03 王政復古

1868-01-27 戊辰戦争1869年6月27日まで)

1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)

1868-10-23 元号慶応から明治に改められる。

1871-08-29 廃藩置県

1872-10-16 琉球処分琉球藩設置)

1875-06-28 讒謗律太政官布告)及び新聞紙条例太政官布告公布

1877-02-14 西南戦争1877年9月24日まで)

1877-05-26 木戸孝允死去

1878-05-14 紀尾井坂の変(大久保利通暗殺

1879-04-04 琉球藩廃止沖縄県設置

1888-03-09 ヴィルヘルム1世プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御

        フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1894-07-25 日清戦争1895年4月17日まで。宣戦布告1894年8月1日台湾平定終了は1895年11月30日)

1898-07-30 ビスマルク死去

1901-01-22 ヴィクトリアイギリス女王崩御

1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)

1904-02-10 日露戦争1905年9月5日まで) 

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日露戦争終結太平洋戦争勃発

1905-09-05 日露両国講和条約ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)

1909-10-26 伊藤博文暗殺

1910-08-22 韓国併合ニ関スル条約調印

1910-08-29 韓国併合ニ関スル条約発効

1912-07-30 明治天皇崩御皇太子嘉仁親王践祚元号明治から大正に改められる。

1914-07-28 第一次世界大戦1918年1111日まで)

1921-11-25 皇太子裕仁親王摂政就任

1922-02-01 山縣有朋死去

1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印

1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効

1925-04-22 治安維持法公布

1925-05-05 普通選挙公布

1926-12-25 大正天皇崩御皇太子裕仁親王摂政)が践祚元号大正から昭和に改められる。

1927-03   昭和金融恐慌

1927-04-05 鈴木商店破綻

1928-06-04 張作霖爆殺事件

1929-10-24 大恐慌

1930      昭和恐慌

1930-10-02 日本ロンドン海軍軍縮条約批准

1931-09-18 満州事変柳条湖事件に始まる)

1932-03-01 満州国建国

1932-05-15 五・一五事件

1936-01-15 日本ロンドン海軍軍縮条約を脱退

1936-02-26 二・二六事件

1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効

1937-07-07 日中戦争1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称

1939-05-11 ノモンハン事件

1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告

1939-09-01 第二次世界大戦ドイツポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)

1940-01-26 日米通商航海条約失効

1940-03-30 中国汪兆銘政権成立

1940     アメリカ、対日石油輸出を制限

1940-09   アメリカ、対日屑鉄全面禁輸

1940-09-23 北部仏印進駐

1940-09-27 日独伊三国同盟調印

1940-11   日本アメリカの各種交渉1941年12月まで)

1940-11-30 日本中華民国間基本関係ニ関スル条約日華基本条約)調印

1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達

1941-04-13 日ソ中立条約調印

1941-06-22 独ソ戦ドイツバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)

1941-07-26 アメリカ在米日本資産の凍結を実施

1941-07-28 南部仏印進駐

1941-08   アメリカ、対日石油全面禁輸

1941-08-28 近衛首相ルーズベルトアメリカ大統領に首脳会談提案(結局、沙汰止みとなる)

1941-11-26 アメリカ日本に対しハルノート提示

1941-12-08 太平洋戦争日本英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)

        1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。

1941-12-16 戦艦大和竣工

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太平洋戦争

1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲東京空襲

1942-06-05 ミッドウェー海戦

1942-07   日本軍、フィリピン全土占領

1942-08-07 米軍ソロモン諸島ガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸

        (ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)

1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官ブーゲンビル島上空で戦死海軍事件)。

1943-05-12 米軍アッツ島上陸5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。

1943-09-30 御前会議絶対国防圏構想を決定。

1943-10-01 在学徴集延期臨時特例(勅令)の公布

1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。

1943-11-22 エジプトカイロ英米首脳会談カイロ会談。26日まで)

1943-11-28 イランテヘラン英米首脳会談テヘラン会談。同年12月1日まで)

1944-03-08 日本軍、インパール作戦開始

1944-04-17 大陸打通作戦(同年1210日まで)

1944-06-19 マリアナ海戦日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋制海権制空権喪失

1944-07   ブレトン・ウッズ協定

1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。

1944-07-18 東條英機内閣総辞職

1944-07-22 小磯国昭内閣成立。

1944-08-02 テニアン島日本玉砕テニアンの戦い)

1944-08-11 グアム島日本玉砕グアムの戦い)

1944-09-11 米軍ペリリュー島上陸ペリリューの戦い

1944-10-20 米軍フィリピンレイテ島に上陸レイテ島の戦い)

1944-10-23 レイテ海戦始まる。

1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29マリアナ諸島より東京を初空襲

1944-12-10 日本軍、大陸打通作戦完了

1945-01-06 ルソン島の戦い(同年8月15日まで)

1945-02-04 クリミア半島ヤルタ英米首脳会談ヤルタ会談11日まで)

1945-02-18 硫黄島の戦い(同年3月22日まで)

1945-03-10 東京空襲

1945-04-01 沖縄戦(同年6月23日まで)

1945-04-12 ルーズベルトアメリカ大統領死去。トルーマン副大統領アメリカ大統領に就任

1945-05-02 ベルリン陥落

1945-08-06 アメリカ広島県広島市原子爆弾を投下

1945-08-08 ソ連日本に対し宣戦布告

1945-08-09 アメリカ長崎県長崎市原子爆弾を投下

1945-08-14 日本ポツダム宣言を受諾

1945-08-15 玉音放送

1945-09-02 日本政府ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争大東亜戦争終結

1945-09-09 日本政府中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結

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戦後占領バブル崩壊

1945-09-10 国共内戦

1950-06-25 朝鮮戦争

1950-08-10 警察予備隊設置(後身は陸上自衛隊

1951-09-08 日本国との平和条約サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

        (日米安保条約)調印

1952-04-26 海上警備隊設置(後身は海上自衛隊

1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効

        日本占領状態が終了し、独立国

1952-08-05 日本国と中華民国との間の平和条約発効

1952-10-15 警察予備隊保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1953-03-05 スターリン死去

1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催

         (於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーホテル

1954-06-01 保安隊臨時松島派遣隊編成

1954-07-01 自衛隊法施行自衛隊成立)

        陸上自衛隊保安隊から改組)、海上自衛隊海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置

1954-12   高度経済成長1973年10月まで)

1955-11-15 自由民主党成立(保守合同

1955年11月  1975年4月30日 ベトナム戦争

1956-07   昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)

1956-12-12 日ソ共同宣言発効

1956-12-18 日本国際連合に加盟

1958-08   大躍進政策

1960-06-23 新日安全保障条約発効

1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。

1962-10-15 キューバ危機

1963-11-22 ケネディアメリカ大統領暗殺

1964-08-02 トンキン湾事件8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)

1964-10-01 東海道新幹線開業

1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年1024日まで)

1966-05-16 無産階級文化大革命文化大革命)(1976年10月6日まで)

1971-01   世界経済フォーラムダボス会議を開催)設立

1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)締結

1971-07-15 ニクソン訪中宣言

1971-08-15 ドル・ショック

1971-12-18 スミソニアン協定

1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)

1972-09-29 日本政府中華人民共和国政府共同声明

1973-10-06 第四次中東戦争

         勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。

1973-10-21 日米欧三極委員会の初会合(於東京

1975-04-30 ベトナム戦争終結

1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)

1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)

1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印

1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効

1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱

1985-09-22 プラザ合意

1986-12   バブル景気1991年2月まで)

1987-10-27 1987年大韓民国国民投票

1987-12-08 中距離核戦力全廃条約INF条約)発効(2019年8月2日失効)

1989-01-07 昭和天皇崩御元号昭和から平成に改められる。

1989-04-01 消費税導入(当初は3%)

1989-06-04 六四天安門事件

1989-12-03 マルタ会談終了(冷戦終結

1989-12-29 日経平均株価取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。

1990-03-27 総量規制バブル崩壊の始まり

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現代バブル崩壊パンデミック

1990-10-03 東西ドイツ統一

1991-01-17 湾岸戦争

1991-12-25 ソ連崩壊

1993-07   衆院選自民党が敗北し、非自民連立政権誕生する(55年体制終焉

1993-11-11 欧州連合条約マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)

1995-01-17 阪神淡路大震災

1995-03-20 オウム真理教による地下鉄サリン事件

1995-11-23 Windows95日本国内で発売される。

1996-03-23 台湾民主化総統民選となる)

1997-04-01 消費税率が3%から5%に上がる。

1997-07-01 香港返還

1997-07   アジア通貨危機

1997-11-03 三洋証券経営破綻会社更生法適用申請する)

1997-11-17 北海道拓殖銀行経営破綻公表

1997-11-24 山一證券経営破綻公表

1998-10-23 日本長期信用銀行、破産国有化

1998-12-13 日本債券信用銀行、債務超過国有化

2001-01-06 中央省庁再編

2001-09-11 アメリカ同時多発テロ事件

2003-03-20 イラク戦争201112月15日まで)

2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行

2008-09-15 リーマン・ショック

2009-09-16 鳩山由紀夫内閣総理大臣に指名される(政権

2020-02-28

anond:20200228164949

2011年に起きた東日本大震災の頃から北朝鮮ミサイル台風地震豪雨とか色々あって、更に消費税も8%から10%に値上がりしたからなー。

今回のコロナウィルスでは、むしろ海外から?船が来て日本のもろさが露呈したのは、江戸時代から明治時代を予感させる。ペリー浦賀にやって来たときのような感じぐらいのインパクトの大きさじゃない?

2018-09-04

anond:20180903211544

元のバイブの形状を記憶している物、もしくは新型ディルドーを石膏や強化ベークライトで型どりして左右二分割。

バイブ君を湯煎して温め、石膏の型に押し込んでから冷却するような手段で復活、サルベージする方法を探る前向きな場所にしたいと思います

湯煎したアツアツの物体を、形状記憶しているからと言ってご自身差し込み、「アツーー! アツーーーーー!」などと叫ぶ、熱湯風呂芸人のような事をなさらないように。

あれは50度ぐらいの火傷しないお湯です。

へそまで反り返ったような「ピー」になるように、バナナより曲がった極悪な形状にする。さらに大型艦建造を計画して「こんな大きな黒船が入港したら、浦賀港壊れちゃうよ(///)」などと有らぬことを思わず言ってしまうような蒸気船を建造する。

「上喜撰(高級茶)たった4杯で夜も眠れず」と狂歌一句捻ってみたり、超ドレッドノート級の回転式砲台が3か所も付いた黒船にするのも良いかと思われます

今まで小刀でご満足なさっていても、これからは大太刀二刀流だとか、室町からある打ち刀、義経神社奉納した業物、「神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る」ような、魔界転生可能なムラマサブレードの錬成を計画してみてください。

2018-03-13

技書話人伝というイベントキナ臭すぎる

技術書典というテクノロジー系というか、技術系を扱う同人イベントがあるんだが、大人気でサークル抽選になった。

抽選結果が出た後、じゃあ落選組に向けて裏で別のハコ借りてやれないか、という話が上がった。

問題はここからだ。

最初に裏でイベントやれないかと発案した若いA氏は周囲に意見を受けて撤回した。

まあ発案としては良いと思うし理念には賛同できるものの、実際計画としては甘い部分も多かったので仕方ないと思う。

できれば意見をバネに実行に至っていればよかったなあとは思うものの、まあノウハウ経験の不足もあったし。

しかしやらないなら俺がやる、とばかりにベテランのB氏(氏も技術書典に落選したらしい)が名乗りをあげた。

それが技書話人伝だ。

ところで技術書典は秋葉原で数千人を集めるイベントだ。

2回目からアキバスクエアで大々的に開催され、次回が4回目になる。

アキバスクエアで開催される前、初回は同じく秋葉原にある通運会館という小さな会議室で行われたのだが、このとき道路に人が並ぶほどの混雑になったという過去がある。

何を考えたのか技書話人伝はその通運会館で技術書典と同日に開催されるのだ。

10分も歩けば移動できる会場で、過去事故にも近い混雑を起こした場所で、同日開催。

片や数千人を受け入れられる体制、もう一方は100人そこそこ人が来たらパンクする会場だ。

どう安全やら周囲の混乱対策やらをするつもりなのだろうか。

なぜA氏に意見していた連中はB氏を止めないのか。

ちなみにB氏は浦賀船渠ノ航跡というイベントが中止になった際、調査レポートをしていた、いわば今まで失敗した即売会糾弾してきた立場のktgohan氏である

なにもかもキナ臭いしかいいようがないのだが、とりあえず怪我人や警察沙汰にならないことだけを祈る。

2015-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20150613205245

ありらいおん氏は昨年の夏コミサークル数を捏造して艦これ一位と東方衰退を印象づけようとした提灯記事ライターだが、まさか艦これ衰退を示すデータ分析に使われるとは思ってもいなかっただろうな。

衰退要因の一つとして「手軽さ」を原因にあげているが、それ以前に界隈でヘイトを稼ぐ出来事が多すぎた。元いたジャンルに唾を吐いて艦これ界隈に移る作家商業同人面での他ジャンルとの対立。Twitter艦これ批判した高校生ネットリンチした事件浦賀船渠ノ航跡中止事件のように同人イベントの闇を凝縮した出来事…立て続けに問題が起きるが、いろんな方面からどうしようもない人間が寄ってたかたからに他ならない。

一時期酷かった東方でさえ啓蒙活動によって少しずつ改善されていったのだが、艦これ場合啓蒙活動の声を早々と潰してしまった。マナーを知らない新規が大量流入した頃の東方と違い、東方含む他ジャンル問題児扱いされてしか啓蒙活動で言うことを聞くような人間ではない、悪性の厨房が流入してしまたかである

いかに数が多くとも問題児だらけでは、いずれ瓦解するのは目に見えていた。

2014-11-08

自分の知ってることを特定されない範囲

住○重工とか浦賀○渠株式会社から訴えられたということではないです。

基本的には会場であるところの産業交流プラザ担当者勘違いしたというか、されるような名称をつかったせい。

そもそも乗り気じゃなかった主催ケチがついたせいでワヤっちゃった…というのが大きいと思う。

市の担当職員のほうは、ちゃんとした名義だと思っていたらしい。社名とかロゴとか言われてるけどあれは二次的なもので、誤解の原点は市職員が勝手勘違いした。

取り敢えず治せるところは直したんだけど、もうその時点でワヤってたんで、残念ですが…という。

2007-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20070828201717

急に来られるのも迷惑なだけだけどな。


たずねてくる友人はいますか?

顔をだしてくれる人が全部浦賀ペリーさんになってたら夜も寝られません。

 
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