はてなキーワード: 攘夷とは
全体的におかしいすぎる。
これは何年代を指すか。一般的には、土地領主が発生し地域ごとに支配を行っていた時期を中世と指すことが多い、日本では鎌倉~室町までを指すのが一般的(諸説あります)。鎌倉~室町時期に400年続いた日本全土を支配的に統治した政権はない。
流動性を欠いて
諸説あるが、体制的な市場ではないにせよ、中世(鎌倉中期ごろからなど諸説あります)には、すでに抽象的な市場経済は存在していたとする説が今では一般的。増田のいう「中世」が、『400年も政権が継続』という言葉から推測して江戸時代だと仮説をしても、すでにトラバにある通り幕府公認の米相場(先物取引市場)すらあり市場経済が形成されていた。
これを上記のとおり江戸時代と推測して、教科書的な年号で、大政奉還(1868)マイナス徳川家康が征夷大将軍になった年(1603)しても、265年間しかない。さらに、この江戸時代中、文字通り265年間安定的に政権が継続した、と言うのは少々雑ではある。前半40年近くは幕藩体制が固まりきっておらず、後半は100年近く攘夷だ討幕だなんだかんだとやっており、政治体としての徳川家はあるものの「継続してよかったね」と思うほどの政権があったかというと微妙だったりする。
歴史コンテンツの最大勢力である戦国時代と三国時代はどっちも内戦コンテンツ。
岳飛みたいに外敵と戦った英雄とか、ガンジーみたいな独立闘争の偉人とか、びっくりするくらい日本には存在しない。
下手すりゃ北条時宗よりチンギス・ハンのほうが人気あるんじゃないの。
幕末も、攘夷や維新そのものよりそれを取り巻く内ゲバが注目されて、一番人気も内部粛清大好き新選組。
義経とか信長とか龍馬とか、志半ばで内ゲバに巻き込まれて暗殺される人たちが大好き。
オタクコンテンツでも、ウルトラマンはウルトラマン同士、仮面ライダーも仮面ライダー同士で戦うようになったし。
Fateやローゼンメイデンみたいなバトロワ系コンテンツも大流行したし。
いまの流行りは仲間同士の足の引っ張りあいを楽しむデスゲーム漫画。
まあ、理由なんてないんだけどね。
「日本民族の思考が」とか「日本のこれまでの歴史が」とか偉そうに語りだすやつがいるけど、
こんなのピックアップする部分によって何とでも言えるでしょ。
ウルトラマンはいまでも怪獣と戦ってるし、ライダーも怪人と戦ってるよ。
マジ、何とでも言えるんだよね。
終わり終わり。
都会とかじゃなくても普通にいる
マナーがなってない
うるさい
くさい
街の治安が悪くなる
排斥して欲しい
少子化が加速する中この外人問題は今後大きな社会問題となっていくのはもう間違いがない
今のうちに手を打たないと手遅れになる
それと外人がはびこることでそれに合わせて日本人の賃金も下げられていく
雇用もなくなっていく
外人は最初は低姿勢だがそのうちずうずうしく権利ばかり主張してくるようになる
これは間違いがない
愛で接すれば必ず愛で返してくれるはず
とか本気で思っているお人好しばかり
今から攘夷排斥運動で外人を排除しないととんでもないことになる
しかし、これはいずれ自分もそうなるので百歩譲って目をつむったとして
あるいは態度がでかい老人
マナーがなってない老人
これがやたら多い
自分がどれだけ周りに迷惑をかけているかなんか全く考慮せず自分本位
何か注意されると逆ギレ
ありえない
こういうやつに限って身なりが汚いしみすぼらしい
ホームレスかと思うような身だしなみ
この種の癌も今後加速度的に増えていく
この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代的国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮と西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国もジェネラル・シャーマン号事件(1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮の江華島に攻撃・占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮と通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。
当時朝鮮の政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である。清朝から西欧列強の情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策を積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国を夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。
また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国が朝鮮を守ったため、今回も中国が朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国は東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮の認識ですから、親分である中国に自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。
他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはやく開国し明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係を樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月に明治政府が樹立するとすぐに書契、すなわち国書を対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためである。しかし国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。
この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である。日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から、条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係を位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国の王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである。
征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。
1868年以来、何度か日本からの国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いから両国の関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国の官僚同士が険悪となっていた。長崎の出島のごとき釜山の倭館に限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである。釜山の倭館は朝鮮側が日本、特に対馬藩の使節や商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府は対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収し日本公館としたことから事態が悪化したのである。結果、必要物資の供給及び密貿易の停止が朝鮮側から宣言される事態となった。
日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年、朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約、日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉を忌避する朝鮮を、交渉のテーブルに着くように促したのである。
1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本が朝鮮に出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本からの国書を受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊を意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。
国交交渉再開の気運が高まり、1875年に交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚が交渉のテーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山の洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢に朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山は4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍の砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月に派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目で示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。
詳細は「江華島事件」を参照
9月20日、首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。
またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。
さらにボアソナードのいう軍事行動も含む強硬な外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦や兵士の護衛がつき、威圧効果を朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。さらにいえば、日本の砲艦外交的姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。
ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシアや清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。
以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。
砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。
江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。
また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀、欧米列強のアジア侵略に対抗するため、清朝は朝鮮やベトナム、琉球などの冊封国を保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジアの伝統的な国際関係をそのまま近代的国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴル、チベット、新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。
この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである。
筋さえ通れば反乱もやってのける命知らず。
不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、
俺たち、「佐賀の七賢人」!
(以下はWikipediaの内容をまとめただけです)
総合すると、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という一節は著名だが、この「云ヘリ」は現代における「云われている」という意味で、この一文のみで完結しているわけではない。しかも、この言葉は福澤諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの翻案であるとするのが最も有力な説である[2]。
「されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや」
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」
ということである。
以上の言葉は初編からの引用であるが、虚実渦巻く理想と現実の境を学問によって黎明するといった、全体として学問の有無が人生に与える影響を説いている。 彼は攘夷の気分が蔓延していた当時に攘夷を否定し、また、「政治は国民の上で成り立っており、愚かな人の上には厳しい政府ができ、優れた人の上には良い政府ができる。法律も国民の行いによって変わるもので、単に学ぶ事を知らず無知であるのに強訴や一揆などを行ったり、自分に都合の良い事ばかりを言う事は恥知らずではないか。法律で守られた生活を送っていながら、それに感謝をせず自分の欲望を満たすために法律を破る事は辻褄の合わない事だ。」(意訳)等と、大政奉還から約4年半後の世相を考えればかなり先進的な内容だったと言える [3] [4]。
更に古文や漢文については「よきものではあるがそこまでして勉強するものではない」(意訳)と、意義を否定はしないが、世間で扱われている程の価値があるものではない、と言って儒学者や朱子学者が使うような難しい字句のある漢文や古文を学ぶより、まず日常的に利用価値のある、読み書き、計算、基本的な道徳などの「実学」を身につけるべきだと書いている[5]。
本書は数章を除いて、高等教育を受けていない者を読者に想定している。そのため当時の基準では平易な文章だといえ、小学校の教科書にも用いられた。難解な政治思想を平易に説明するため比喩が多く使われている。
漫画が好きで4000冊くらい持ってて月50冊~読んでる婚活中のBBAです。
話の合う人と結婚したくて婚活サイトのプロフィールにも漫画好きだと明記しています。
「オススメは『テラフォーマーズ』かな!あんまり女性向きじゃないけど」
等のメッセージが届くんですよ。
君たちは何を言っているのかと。
「~という漫画が好きです/読んでます」という話ならまだしも、
こっちが知らない/読んでない前提で知名度の高い作品を薦めてくるパターンがほとんど。
こんなのわざわざプロフィールで漫画好きアピールしてる人間が読んでなかったら恥ずかしいラインナップだわ。
というわけで、あまり話題になってない期待作や真の漫画好きのナイスガイと結婚できる方法を教えてください。
【追記】
婚活サイトのプロフィールにも『漫画が好きで4000冊くらい持ってて月50冊~読んでる』といった具体的な内容を書いていますが、プロフィールからのキーワード検索機能があるサイトなのでぼかしました。
【追記2】
本当は所持3000冊+自炊と電子書籍で300冊くらい、月の冊数はコミックスの他、Webコミック・電子書籍サイトの無料配信・レンタルコミック・漫画喫茶含めてのざっくり換算です。新作だけではなく昔の漫画も含みます。
「高知名度」はスマホで書いててタイトル長いなと思ってしまってつい短くしたらこんなことに。高知のみなさま、大変申し訳ありません。
内容について、同意してくださった方、わかってくれて嬉しかったです。
また、「そんなことでイライラするな」「そこから話を広げろ」「協調性がない」「だから結婚できないんだ」というご指摘も至極ごもっともだと思います。反省。
アドバイスを踏まえてもう少しがんばろうと思いますが、もうそろそろ諦めようかなとも思う今日このごろです。
その他、多くのトラバ・コメントありがとうございます。勝手ながら、いくつかお返事書きました。
4000冊持ってて月50冊読んでる人に薦めるものなんてもはや無いよなぁ…。
特に80~90年代の漫画が好きで、今は完全に単行本派なので連載中の人気作品は話題になるまで気づきません。
なので、雑誌派の方のおすすめ情報には大変興味があります。特に少年誌には弱いです。
お前のおすすめを書けよ!
最近読んで面白かったのは、『野望の王国』『ものの歩』『あなたのことはそれほど』『デビルズライン』『斉藤さん』『やじるし』『遠くの日には青く』『空は赤く落ちる』です。
新作をいち早く追いかけているわけでも、マイナーな作品の発掘をしているわけでもない、雑食です。
高知県(出身漫画家)の漫画でドヤ顔でお薦めしたいのは、窪之内英策『ツルモク独身寮』、西原理恵子『ぼくんち』、JET『横溝正史シリーズ』、橋本笑『デカ猫日和』です。
男の人は「え〜!そうなんだ〜!!すっごい〜。物知りだね☆尊敬しちゃう〜」っていうのをやられると虚栄心がくすぐられて良い気分になってドンドンいろいろ話してくれる。
「こいつは俺以上にモノを知ってる」と思われたらその瞬間にサーッと引かれていなくなるので注意
男の人は「え〜!そうなんだ〜!!すっごい〜。物知りだね☆尊敬しちゃう〜」っていうのをやられるとああこの人自分にも自分の話にも興味ないんだなって感じてサーッとひくし
「こいつは俺以上にモノを知ってる」と思ったらあっこの人おもしろい人だ!と食いつきたくなるよ
どっちも有り得そう……相手によってどういう対応をするか見抜く力を身に付けないとダメですね。
増田が「その漫画のどこがよかったですか?」と投げ返して、素晴らしい感想を返してくる男かをチェックするといい。読んだことがあるかより、その作品をどう語る人なのかが重要。
これなら前述のパターンのどっちでも対応できそう。有益なアドバイスありがとうございます。
2巻『手間の価値』と4巻『食卓の広がり』と11巻『トンカツ慕情』が好きです。ベタですみません。
うわあ、単行本派には耐え難い沼ですね。小池田マヤの芳文社時代の単行本未収録4コマが読みたいです。
知人でマイナーな漫画大量に買い漁ってて結婚したそうな人がいるので紹介したいなー。僕はゲーム開発者で奥さんは超ゲームマニアなんですが、話が合う人のほうが結婚生活は楽しいし楽なので個人的には強くおすすめ
ぜひとも紹介してください。それにしてもゲーム開発者と超ゲームマニアのご夫婦とは理想的ですね。羨ましい。
大好物です!最近新規開拓してないのでぜひ。森島明子、乙ひより、竹宮ジン、古街キッカなどゆるめの百合が好きです。
「合理性」という概念について誤解してるらしきブコメがいくつかあるので追記。
合理性は個人の感情や欲求と相反するものではなく、むしろそれを前提にしている。「なぜそうするのか、そうあるべきなのか」という問いに対して、最終的に「自分の感情や目的がしかじかだから」と答えることはまったく合理的だ。合理性にもとづけば、前提(欲求)がちがえばちがう帰結(どうあるべきか)が出てくるのは当然である。だからこそ、お互い求めるものがちがいますね、じゃあどうしましょうねという話ができる。
たとえば、伝統を大事にしたい人が「伝統に即さないものを見ると自分の感情を害されるから、伝統を大事にすべきだ」と主張するのはまったく合理的だし正当なものでもある。リベラルな立場からすれば、それを認めたうえで、その個人的な欲求が、ほかの人の欲求と照らし合わせたときに押し通すことができるものなのかどうかという話になる。
しかし、保守的な思考をする人は、そういうしかたで自分の主張の理由づけをしない。端的に「これが現状だから」「過去こうだったから」という説明しかしない。それではリベラルは納得しないが、保守はむしろそれで納得するのだろうという話。
あとついでにいうと、現代の日本(のネット)において「保守/リベラル」「右翼/左翼」とラベリングされているものには関心がない。もっと根本的なレベルでの考えかたのちがいの話をしている。そして、そのちがいは、従来「保守」と「リベラル」と呼ばれてきた政治的対立の根底にあるものだろうと。
「保守/リベラル」というラベルは、たとえば幕末期の「尊王/佐幕」とか「攘夷/開国」と同じように、多様な対立軸をごっちゃにしたかたちでつかわれていて、もはや有意味な内容をもっていないかもしれない。その意味で、このラベルを持ち出したのは失敗だったかもしれない。たぶんノーランチャートのような2軸4象限あるタイプのスペクトラムを持ち出したほうがよかった。
江戸時代から明治時代へのような大きな転換では、革新派は皇室を尊重することで時代は進んだ。
皇室の名を出すことはそれほど大きな力となるので、極度に警戒されることではあるが。
革新派の持つ歴史観では、二次大戦・太平洋戦争中は、一部の強硬派が実質的な政治を占拠したとされるので、皇室にその責任はないとされる。
革新派が考えなければならないのは、どうやってそのような占拠が起こりにくい仕組みを作るかである。
保守派=攘夷派は一見、伝統や皇室を重んじるようで、重視しているのは実は自分たちの利益だ。
つまり、利益を正当化する道具として伝統の名を持ち出しているので、彼らにとって伝統の尊重は実際の利益にならない。
ネット上ではほぼ同義というか、一緒になって叩かれてるように見える。
二言目にはネトウヨネトウヨ言って叩かれてるようにも見えるんだけど
少なくとも国ってものが存在する以上は、自分の国に帰属したい、他国とは区別したいって思うのは当然なんじゃね。
まあ、明日から国境が無くなって、国境がなければ紛争も無くなって
世界中の人と平和に暮らせるならそれはすばらしいとは思うけど。
でも実際にはソ連やユーゴスラビアは細分割したし、なんでもかんでも一緒なればいいってものではないんじゃないか。
文化や価値観を共有する人同士が固まって生活したい、って思う人が多いから、国というものは存在してるんじゃないのか。
この地球上で、違う文化、違う価値観の人々が共存するために国って仕組みがあるんじゃないのか。
国境を作ることで、無駄に衝突するのを防いでるんじゃないのか。
だから、日本人が日本列島で日本の文化や価値観を共有する人で一緒に暮らしていきたいってのは
まあ島国根性とかも言われるけど、一概に批判されるべきものではないと思うんだけど。
それを、何かってえとすぐ差別だ排外主義だって言われてもなあ。
パスポートも国籍も存在するんだからそりゃ区別は必要でしょうよって。
もちろん、外国人留学生を奴隷みたいにしてたりするような問題とかあるけど
そういう諸問題は個別に解決すべき事案であって。
なんでもすぐ攘夷だ開国だ、右だ左だって二者択一迫ったり、罵り合ったりするのはなんだかなあと思う。
少なくとも、日本の領土に不法に居座ってる韓国や条約破棄して占領しっぱなしのロシア、領海侵犯を平気で繰り返す中国とは
今すぐ全面的に仲良くするのは難しいと思うんだけど、そういう考えは悪なの?
自分の国が潰れたら国際貢献も何もあったもんじゃないと思うんだけど。
で、こういう考えの持ち主の俺はやはりネトウヨなのかね?
原発には反対なんだがなあ。
もちろん今は試される時だと思う。
でも、今を乗り切ったとして、さらに試される時が遠くないうちにやってくる。
もちろん当面は日銀が全て国債を引き受けるのだろうけど、ずっとそういうわけにはいくまい。
国債の新規発行はこの先ずっと続くし、額は増え続ける。
民間金融機関が国債の入札に応じないという事態はそう遠くない。
その時、日本国債を買うのは中国、あるいは中華系企業なんじゃないかと思う。
つい先日、日本を抜いて最大のドル保有国となったように、最大の円保有国になるんだろう。
米国と中国に挟まれた、窮屈で大変な、ある意味ですごく重要なポジションになるのだろう。
復興には米中だけでなく、いろいろな国の援助を受けるんだろう。
表向きは無償だろうけど、恩を受けた以上は援助してくれた国には外交的に強く出られなくなるし、圧力は強まるんだろう。
北方領土は、えらく高い値段で買わされるんだろう。
いくつかの関税は撤廃されるだろう。
いくつかの産業は切り捨てることになる。
農業はその最有力候補だ。
もちろん米不足は起きるだろうから、コメの輸入は国民のためでもある。
数年は高くとも日本米が選ばれるのだろうが、庶民の収入減と外国米の味への馴れとともに、外国産の米のシェアは伸びるんだろう。
農業分野だけでなく、外国からの労働力がたくさんはいるんだろう。
日本も貧しくなって、円も安くなるだろうから、今ほど安い労働力ではないかもしれないが、職をめぐって外国人と争う構図は出来るはずだ。
現在の正社員を守り、若者と失業者だけが外国人と職をめぐって競争するという構図になるかもしれない。
その時、若者の怒りはどこに向かうのだろう?
民族主義、排他主義が高まれば、外国人に向かい攘夷運動のようになる。
既得権益層への不満高まれば、倒幕運動のような革命運動を起こす。
自滅の道を歩むかもしれない。
ただ、希望もある。
農業分野を切り捨てることによって、農業従事者の票も捨てることになる。
あらたな票として、もしも若者の票を取り込もうとするならば、政治家も政策も若返る。
▲無言のまま安保条約の質が変わっている
日米安保条約の改定をめぐって60年に全学連などのデモが吹き荒れ岸内閣が退陣にいたった。あれから半世紀になる。
60年アンポ反対運動は攘夷的な国民的ムードが背景にあり、当時のシチュエーションは反米だった。運動に参加した殆どの人は条約を精密に読んでいなかった。ゼンガクレンは情念と正義感で動いた
70年アンポは前年までに反戦運動が下火となり、赤軍派と三島事件という両極の政治事件で終わった。この間、高度経済成長と東京五輪によりナショナリズムは体制側に収奪された。
爾来、日米安保条約の自動延長が継続され、80年アンポは政治争乱もなく、むしろフォード元大統領らを招いた日米シンポジウムが東京で開催された。筆者は当該シンポジウムの広報担当だったため会場のホテルに一週間ほど泊まり込んだ。中川一郎、末次一郎氏らと夜遅くまで懇談した。駐日米国大使はマンスフィールドだった。不思議に親和力をもった人だった。
やがて政治の季節は去り、全学連政治各派は分裂を繰り返し、左翼は「サヨク」になり、過激派は三島由紀夫の割腹に衝撃を受け、一部は転向し、体制派はすっかり米国の執事のごとくになった。その後、国際情勢の緊張とともに防衛論議は本格化したが、「日米安保はこれからどうなる」という肝腎の議論がない。
ところが日米安保条約は無言のうちに運用が変質し事実上、改編されている。「条約」ではない、これは「同盟」である。
たとえば事前協議の対象とされるのに、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も日本に相談なくイラクなどの戦場へ出て行った。集団安全保障議論も海外派兵議論も沸騰しないまま自衛隊は「国際貢献」と言われてカンボジア、イラク、モザンビーク、ゴラン高原、そしてソマリアへ出動している。日本ではなく米国が勝手に解釈を変えているのだ。
しかし日本国内の防衛議論は専門的に走り過ぎ、国民から遊離している。マニアックは兵器の性能を論じたり、次世代航空機を論じたり。しかし法の改正という議論には滅多にお目にかかれない。
歴史開闢以来、同盟が半世紀以上つづいた例はきわめて少ない。例外は英米同盟くらいだろう。日英同盟は短命だったし、日ソ不可侵条約はもっと短命だった。
しかし確実にくる宿命がある。それはいずれ日米同盟が終わりを迎えるという確固たる近未来のシナリオである。なぜなら東西冷戦が終わってソ連が崩壊し十五に分裂し、ユーゴは連邦が瓦解して六つの国にばらけ、NATOは反ソ軍事同盟から性格を変えて東方に拡大してイランを囲み、東側は上海シックス(中ロ+中央アジア四カ国)に収斂された。そして昨日の敵は今日の友、日本の頭越しに米中のG2時代がやってきた。
米軍はグアム以東へ防衛戦を下げ、北朝鮮の核実験には曖昧な態度で終始し、拉致問題を含めて日本の期待を裏切るかたちとなった。台湾海峡を中国海軍が扼することになれば米空母の防衛力が劇的に減殺される。日本の尖閣諸島は危機に瀕し、やがては沖縄をめぐる日中の攻防も予測される。
しかしワシントンから見ると経済の凋落と軍事力の衰退は現実であり、従来の米韓、米日、米印、米豪の安保体制を維持するものの、日本の防衛貢献が足りないという認識である。今後、いかに改編すべきか、日米同盟半世紀を閲して本格的議論が始まるだろう。
大元の増田はこういうこともきちんと言えるアニオタ乙女だから大好きだよ。
これを日本人が感じて恐れているからこそ平成の攘夷運動につながってるわけで
政治家は、移民問題や在日外国人参政権などに積極的に取り組むなら、
法を厳格に運用(犯罪者・入管法)することと並行してやっておかないとヒステリックな攘夷感覚は強まると思う。
それと、在日社会にも不良同胞に犯罪を犯させない努力と犯罪を犯した同胞に対しての厳しい処置の是認(差別や貧乏を理由にしない)は求められるよ。
大元の増田の記事には大いに共感したし、生の声がこうやって匿名で聞けるのありがたい。
これは郷土愛に憧れてるオレ?みたいなものかもしれない。
沖縄の人間はもう民族意識みたいな思考はなくなりつつあるし現実として旧琉球王国なる国は滅びてるんだし。
これは俺が婆さんから言われたことが、ずっと胸に突き刺さってるからだ。実感として。
婆さんはほとんど島から出たこともない島口しか話せない婆さんで、今だったら“中国の四川省奥地で発見された仙人”とかテレビに出てきそうなぐらい昔話の世界がぴったりの婆さんだった。
その婆さんにある時、ヤマトゥと毛唐には絶対近づくなよ悪い奴だからと吐き捨てるように何度も言い含められたことがあって、その時はちょうど叔母が米兵と結婚するとかの時で日本人も嫌いだと公言する完璧な攘夷婆さんだったから親類一同婆さんをなだめている時だったんだよな後から思うと。
小学生ぐらいの俺にはその剣幕がすごい印象に残ってんだよね。
婆さんからあいつらは悪い奴だ憎め、と繰り返し言われたらそりゃ子供には突き刺さるんだよ。
沖縄はもしかしたら朝鮮半島以上に日本からひどい目にあったかもしらんけど、俺の生活には関係ないこと。ただ事実としては知っておこうと思うだけ。
反日教育なんかするようなことがあったら島んちゅとして断固反対。
でもうちらの島は小さいからあんまないんだよねそういう教育やら運動。本島には左巻きが跋扈してるから追い出さんといかんと思うが。
中国にはデタラメな新聞、誇大な嘘放送のテレビ、ラジオとそれに基づく官営のシンクタンクが圧倒的だが、民間のシンクタンクも私企業相手のレポート作成で細々と食いつなぐところがある。
とくに日本で“活躍する”北京系の学者の多くが「中国は日本なしでも生きていけるが、日本は中国なしでは生きて行かれまい」と中華思想丸出しのご託宣をのべる手合いが、リーマンショックで株暴落が始まる前まで大勢いた。
事態は急転した。
北京系は沈黙した。輸出産業の対米依存で食いつないできた中国が、明日にも倒産しそうな雲行き。失業は公式に2000万、実態はおそらくその五倍以上だろう。
こんな折に不思議や不思議、中国は海外企業の買収、石油ガス鉱区の買収に熱心。米国債権も売り払うそぶりはない。
中華ナショナリストの経済学者や論客らは、いったいこの事態を打開するに、どんな主張をしているのか? 興味が湧くのである。
その回答のひとつが本書。読んで、やはり案の定の感想だった。
著者の仲大軍は中華思想の持ち主、民間シンクタンクでも、中国の経済ナショナリストの典型と考えられる。
中国の外貨準備は一兆9500億ドルだが、このうち1兆2000億ドルを中国が米国債、株式、社債などに投じたのは「アメリカによる拉致」だと逆の論理を張るのだ。
第一に中国は貯まる一方だった外貨準備を「有効に投資・運用する」ために米国債権を買い続けた。これは自主的判断であり、拉致ではなく、ましてや米国からの強制も無かった。
第二に中国はそれでも有り余る外貨を運用するために、2000億ドルを外貨準備から取り崩してCIC(中国投資公司)を設立した。これも中国政府高官の判断であり、欧米マネージャーは内部の決定に関与していない。ブラックストーンなどへの投資の失敗は、自らの見込み外れでしかなく、責任はアメリカにはない。
第三に外貨準備が急増したのは輸出好調によるものだが、裏で人民元を安くするために、猛烈にドルを買った結果である。
2002年から三年間、日本が円を支えるために猛烈に為替市場に介入した。合計43兆円がドルの買い支えに使われたように中国も為替市場への介入により、ドルが実態貿易のはるかに上回るドルを手にした。
だから仲大軍がいう『拉致』とは首を傾げるほどの逆解釈になる。
もっとも著者はこういう。
「災難が(米国ウォール街に)突如やってきた時、アメリカは『もし貴国が助けてくれなかったら我々は共倒れになる』と言うだろう。これこそアメリカが中国を『拉致した』という真の意味」、「投入した(中国の)巨額の外貨準備(ドル債権)は回収できなくなる。もしも、アメリカの市場救済に参加すれば、肉団子をなげて狗を追い払うようなもので、新たに投入したお金がもどってくるかどうか」。
だから「アメリカ企業の株主権を交換せよ」。それころが「中国の海外資産を保全できる」
つまり、アメリカ企業を片っ端から買収せよ、という過激攘夷主義がでてくる。
ところが中国国内を見渡せば、アメリカの新自由主義と市場経済万能を説く買弁家と売国奴ばかり、アメリカの『発展モデル』は破綻した。
たとえば、「アメリカの債務は政府債務が十兆ドルに、民間の債務は数十兆ドルに、「アメリカはおそらく身上をつぶしても、このような巨額の債務を返済できないであろうし、最終的には借金を踏み倒す結果をなろう。借金踏み倒しの方法は、ドル札を刷り、ドルの価値を大幅に下落させ、超インフレをもたらすことで、その結果、ドルを保有しているすべての国の外国資産が大幅にその価値を減じることになる。中国の保有する二兆ドル近い外貨準備はとうの昔に水のない鉄板の上で水切りをするような無駄な骨折りとなるだろう。その結果は『大きな清算』である」とする。
本書の訳文は平明で、こなれているうえ、原文になり訳注が随所に施され、難しい論議をわかりやすくしている。坂井臣之助ほか訳。