はてなキーワード: 攘夷とは
自分は武人ではないが、歴史ファンとして孫子とか読むのが大好きな一人の人間として申し上げると、奴は武人ではない。
武人とは、相手がどんな卑怯な作戦をとろうと、負けは負けと認め、勝者の理不尽を受け入れるものである。そもそも、その覚悟をもって戦うのである。それが戦争である。
相手がルール違反をしたからといって、ゲームの結果を認めないのは、スポーツマンではあっても、武人ではない。
まして、国際政治や戦争というのは、ルールがないのがルールなのである。
こんな奴が指揮しては、いくら兵隊が強くても、戦には負けるだろう。
だれが聞くかっつーの。
「結果さえよければ、手段はすべて正当化される。」
日本は、戦争の前に外交で負けていたのであるが、これはそれ以前の、もっと根本的な話である。
このような愚劣指揮官がいるのに、その少なくない人が、愚劣であることに気づくことができないようでは、中韓から、”反省していない”と言われても仕方のないことである。
まったく、お恥ずかしい。
たのむから、自衛隊はもう少しまともな武人を育ててほしい。
そうでないと、”自衛”すらできない。
国を愛するというけれど、主権を持つ国という概念がなんとなくできたのが
せいぜい400年前。自らが国民であると自覚したのが仏革命以降で200年前。
若い。圧倒的に若いんだ。国家ってものは。
いわゆる中央集権国家なわけだが、その基盤が国民だ。いわば規模のでかいポリス。
しかしその国家への宗教的熱心さともいえる愛国心は、共同意識としてのポリス防衛心と違って
教育という形で養われる。義務教育は仏革命以降にはじめて実施された。義務教育の本質は
そのことは国語という科目名に象徴されていることがわかる。まさに「国」の言語。ナショナリズムの神髄である。
日本はこのナショナリズムをスムーズに浸透させることが出来たアジアでは珍しい国家だ。
ところでナショナリズムの発生条件には、大きく二つあると思う。
1.外敵の存在
2.象徴の存在
「尊皇攘夷」そして攘夷のためには弱腰の幕府を倒さねばならない。
これは他のアジア地域ではなかなか手に入らない。象徴として宗教が用いられるために、宗教戦争が勃発するが、もともと宗教が戦争を起こすのではないのである。宗教を使って起こすのだ。
だから宗教戦争を例にあげて「これだから宗教は」なんて言うのはお門違いである。「これだから人間は」ぐらいが適当だと思う。
まあつまり、日本における愛国心とは欧米に対抗するための改造パックであって、歴史の必然なのだ。