はてなキーワード: 広告とは
1. インフルエンサー (I): ソーシャルメディアや他のオンラインプラットフォームで影響力を持つ個人。
2. クソである (K): 非倫理的行為、自己中心的な行動、または他者に有害な影響を及ぼすことを指す。
1. 推論1: インフルエンサー (I) はフォロワー数やエンゲージメントを増加させるために、センセーショナルな内容や誇張された情報を発信することが多い (前提1、前提2、前提3)。
2. 推論2: センセーショナルな内容や誇張された情報は、受け手に誤解を与える可能性が高く、これにより他者に有害な影響を及ぼす可能性がある (前提4、前提5)。
3. 推論3: 他者に有害な影響を及ぼす行為は非倫理的であり、クソである (K) (前提6)。
インフルエンサー (I) は、フォロワー数やエンゲージメントを増加させるためにセンセーショナルな内容や誇張された情報を発信し、それによって他者に有害な影響を及ぼす可能性が高い。従って、インフルエンサー (I) はクソである (K)。
雨が降りしきる中、ネオンが輝く街並み、そしてビルの上に浮かぶ巨大な広告ホログラム…。
だからブレードランナーの世界観を忠実に再現したパビリオンを作ってほしかった。
雑多で入り組んだ街並みを歩くと頭上には巨大なビルボードが次々と光り輝いている。
アジア風の屋台が並び、蒸気が立ち込める狭い路地では、人々が行き交う。
その中に漂うのは、焼き鳥の煙と香ばしい匂い、そしてどこからともなく聞こえる、日本語と英語が混ざり合ったアナウンス。
ネオンが輝く看板には漢字やカタカナがびっしりで、それが異国情緒を醸し出している。
夜になれば、街全体がネオンの光で照らされる。紫や青の冷たい光が、ガラスと金属のビル群に反射する。
ビルの間を飛び交うホバーカーの騒音、雨が路面に叩きつける音、そして人々のざわめきが混ざり合って、独特のアーバンサウンドを作り出している。
この未来の東京が大阪に包括されるっていうのもなんか面白いし、逆に新鮮だと思う。
ただの近未来じゃなくて、どこかノスタルジックな要素が混ざっている。古びた街並みと最新のテクノロジーが混在する、そんな矛盾がまた良いんだよね。
だから、大阪万博でブレードランナーの世界を再現してほしかったな。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
Youtubeで動画サムネイルをマウスオーバーすると広告無しで低画質の動画が見れる。この動画を見やすくする拡張機能は単に広告をブロックするのではなく、視覚補助なのでセーフでは?
reddit.com r/youtube/comments/12lnno9/stop_thumbnail_playback_from_showing_in_watch/
以下に、ドゥボールの「スペクタクルな社会」とアートの役割に関する主張を詳しく説明します。
ドゥボールの「スペクタクルな社会」は、現代社会におけるメディアや広告の支配、消費文化の広がり、そして個人の疎外といった問題を鋭く指摘しています。この考え方は今日においても、情報過多の社会やデジタルメディアの影響下での社会問題に対する批判的視点を提供しています。
アートの役割についても、商業化が進む現代のアートシーンにおいて、再び批判的かつ革新的な力を取り戻すべきだという視点は、アーティストやキュレーターにとって重要な示唆となるでしょう。
広告がガツガツしていないとこと、内容がなんていうかかつてのラジオ的というか牧歌的なとこは好き。
言葉遣いとか表現が上品でクリック数稼ぎのための釣りみたいなのが少なめなのも好き
社長夫妻が実年齢はそろそろ老年なのにファッション無理してる感はちょっとしんどい。
ただなんとなく限界を感じる。探偵ナイトスクープとかタモリ倶楽部みたいな身近ネタをメディア記事にまとめようとすると
結構本気のリサーチ力とか表現力とか落ちがつかなくても記事発信元が美人とか可愛いとか男でも可愛げがあるとか魅力が必要と思う。
それができる体制でも圧倒的な表現力とかでもないのはもったいない。
魅力的なライターさんがいるので、その人のプロとしてのキャリア開発と並行して記事が出て行けば面白いよな、って思う。
神社関係者の人は、今は神社豆知識みたいな記事を書いていたとしても、10年後20年後は神道祭祀の歴史蘊蓄とか神社本庁のニュースとか
やっぱり神道の何らかの意味で一人者になっていると読者も読み買い応援し甲斐があるし、ソムリエの人は高レベル大会に出てレポートしてもらうとか
https://pbs.twimg.com/media/GR8A1B_bMAA3Dfe.jpg:large
男オタクのエロは駅とか公共の場にでてきて今の時代に環境型セクハラしてきたり、政治家や国の後援得たりしてるから文句言われてるんだよ。
上半身制服で下半身パンツの少年たちが自衛官募集ポスターに使われたり、全裸少年の股間を舐めるように撮影してるPVの温泉宣伝コンテンツを観光庁が後援したり、駅に悩ましい顔で体よじってたりバニー着てる男のイラスト掲示されたり、小学校付近のビル一面に違法な過激エロ広告デカデカと出して、それ撤去させられたらオタク女政治家達が抗議したり、男性の貧困対策やってるNGOに女オタクが執拗にデマふっかけて嫌がらせを繰り返したり、女オタク1000人で中学生男子のエロ水着写真撮影させろとデモ行進したら、死ぬほど文句言うだろお前ら。
全部お前らがやってることだけど。
男は先日のママがいいとか子どもの言葉プリントされた服燃やして、発売中止までさせてるくらい些細な不愉快で怒り狂って表現燃やすし。
とある会社TがG社から連れてきた人を社長にして、沿線沿いに人材募集しての広告出して作ったソフトウェアの会社がある。うちの会社からも転職して行った人達がいた。
私から告白したし、行為も最初10回くらい、全部私から誘っていた。
付き合い始めてから一年くらいして、定期的に彼氏の家に泊まるようになったが、一緒に寝るごとに私はムラムラして濡れまくり、向こうもゴソゴソ触ってくるのでコッチは準備万端!って感じになっては「疲れてるから挿入はごめん」って断られることが三回に二回くらい。
それでもたまには出来るし、その頃は前戯もすごく丁寧で、今までの相手で一番気持ちよかった。相手に余裕がある時だったら週に2回も3回もしていた。
ただ断られる度に、あるいは、誘いをかけても分からないふりで無視されるたび、心がすり減っていった。
で、そのまままた一年位が過ぎてから、目に見えてオッケーの頻度が落ちた。私は泊まりに行った彼氏の家で、彼氏がお風呂に入ってる隙にこっそりオナニーをしたりして過ごした。
期待しても無駄だ、この人は私ほど意欲がないんだ、って言い聞かせすぎたせいか、三年目の中盤から、しようと誘われて始めても全然濡れなくなった。四年目の今は、キスしても胸をまさぐられてもカラカラで、「昔はあんなにすぐ濡れてたのに…濡れなくなっちゃったね…」としょんぼり言われる。
それが心苦しくて、最近はする時いつも、ちゃんと濡れてるかが心配で、彼氏がゴムを取りに立ってる間に中の濡れ方確認したり、足りてなかったら慌ててクリ触って濡らそうとしたりしている。中折れが怖くて緊張して余計できない悪循環ってこんな感じだと思う。
今となっては、私からは一切誘わず向こうが誘えばするはするけど、なかなか濡れない。
そんな感じなせいか向こうの前戯も手短になってきて、ほんとに入れてほしくてじゃなくて「フェラし続けるの疲れたからもう挿入して終わりにしたい」っていう気持ちで「そろそろ入れて?」って言ってる。
甘えられすぎて、子供みたいに見えちゃってるから。ドキドキする相手じゃない。私は結構なマゾだと思うけど、彼氏にはdom的な役割を期待されているしそう振る舞っている。面倒見のいいお母さん、たまに叱って管理して、でも基本は甘やかす、みたいな。そういうのには全然性的に興奮できない。
あとは、行為とかじゃなくて普通に、ベッドの上でスマホとかしてると、局部を触られたりするから。今日なら5回くらい、下だけで。それが続くと「この人に触られることは日常なんだ」と思って、興奮のスイッチじゃなくなっていくのが分かる。
別に私の性欲が消えたわけじゃない。
むしろ昔から強過ぎる方だから、最近は半ばセフレみたいな女友達とたまにあってレズプレイをしたり、ハプバーに行って男女問わずしたりしている。
彼女ら彼らに恋愛感情は一切ないし、双方合意の上での「オナニーの延長」だと思っている。
もちろんオナニーにも積極的で、いろんなディルドを買って、常に気持ちいいオナニーを探求してるし、オカズもたくさん揃えてる。
そして、そういう「彼氏意外とのエロい行為」では、もうびっくりするほど濡れる。
ネットのエロ広告を見てムラっとして、好きなエロ漫画をちょっと読んだりするだけでビショビショになってる。
なんだかなぁと思う。
濡れないから、当然、彼氏とのセックスは気持ちよくない。昔はあんなに気持ちよかった、という思い出を反芻しながら無理やり気持ちを高めて抱かれている。
私は今のように、本当の性欲は彼氏以外で発散して、彼氏とは彼氏のペースに合わせて、愛情の確認としてやっていければいいかなと思っている。本音を言うなら、あまり積極的にしたいとは思わないけど、なにかの記念日とかにゆっくりするなら嬉しいと思う。
だけどふと、彼氏に触られながら「昔はこのくらいですぐ濡れてたのにね…寂しいなぁ」と言われると、思う。
私が漫画読んでる時にいきなりスジなぞらないでよ、スマホ片手に手慰みで乳首いじらないでよ、自分が興奮した時だけ「フェラしてくれない?」って始めようとするのやめてよ、「何回も求めたけど断られて、期待するのやめちゃった」って告白したこと覚えてるなら、濡れない私が悪いみたいな言い方やめてよ。
今度、伝えてみようかな。でもそれもめんどくさいな、と思う程度には、私はこの問題に冷めてしまっている。
ご清聴ありがとうございました。