はてなキーワード: 住宅とは
住宅の住所を調べ直接契約をするという方法はあるけれど、大家にとっては迷惑の場合があるので、
現状の流れに問題があると思います。例えば、借主→スーモ←不動産屋←大家(貸主)が現状だけど、借主→スーモ←大家(貸主)になるだけで借主の負担は減るのではないか。
賃貸住宅の借主不利の状況がひどいので不満をまとめる。
インターネットで住宅を探すことが増えた今の世でなぜか仲介料1ヶ月分も借主が払わないといけない。
不動産会社の店舗に足を運んでも、結局ATBBという賃貸システムツール(https://atbb.athome.jp/business/service/atbb/index.html)を不動産会社の人が見て、
何食わぬ顔で印刷し紙に出して、当社だけが扱ってますよ感をだして物件を紹介される。
不動産会社の80%ぐらいがATBB使ってるんじゃないかと思う。ATBB使うなら不動産会社いらない。
だれか、ATBBを使っていない不動産会社をまとめてほしい。そこに賃貸探しにいきたい・・(切実
預り金の役割ももつが退去時のクリーニング費用として使われほとんど返ってこない。
2ヶ月も3ヶ月も取られる意味がわからない。クリーニング費用については下記で述べる。
退去するときに大家に「ありがとうございました!」という謎のお礼金を1ヶ月分ほどおさめる。
家賃の50%前後を支払う。家賃保証は借主が家賃を滞納したときに家賃保証会社が代わりに支払い借主に秒速で取り立てに行く。
借主側には何もメリットがないがなぜか借主が支払う。
借主が借りた状態のまま綺麗にして返さないといけないという風潮。
そもそも法律で、クリーニング(ルームクリーニング)費用は、原則、貸主(大家さん)が全額負担するべきもので敷金で対応してはいけないというのが「国土交通省の原状回復をめぐるトラブルとガイドラインhttp://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html」で決まったが、
その後、敷金がない物件も増えたが、敷金の代わりに退去時にクリーニング費用を支払う特約を契約時に結ばれるようになり結局現状何も変わっていない。
敷金を多くとるために、駐車場料金を無料としその分を家賃に足しているところが増えた。
比べると、(ちなみに私は地方住みのためこの家賃を都会感を出すために家賃10万に設定
家賃120,000 駐車場無料 月12万 敷金2ヶ月24万 +仲介料12万=36万
家賃100,000 駐車場20,000 月10万 敷金2ヶ月20万 +仲介料10万=30万
このくらい差が出る。
引越しシーズンも近いのでみんながいい物件に出会えることを願いながら
眠る。
2017/06/26
2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀の中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。
「曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘の小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京の静嘉堂文庫、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。
天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国の人間国宝(国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。
番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査を計画した。
しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から「曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸塩研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。
「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料はヨーロッパで18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルト、クロム、セレン、カドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」
「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」
「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くときの方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」
長江さんは後で筆者に述べた。
「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」
中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授の森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。
筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。
「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。
2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。
3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国で流行している模倣品とは非常によく似ています。」
「テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学の研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」
この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。
「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」
筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。
「テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」
新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。
魚島教授は物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。
魚島教授は述べている。
「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日)
一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。
「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授のデータには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」
日本の複数のメディアの報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県は文化財指定のための調査を中止した。
私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。
だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種の冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。
「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ。
このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年、国際的に知られた陶磁研究の専門家で日本陶磁研究の第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査会委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日、文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代の古瀬戸作品であるとして重要文化財に指定した。
その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体が加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。
このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。
私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学、歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である。全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学的方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。
筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?
確かにテレビ番組では、科学研究の場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京の見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自の見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)
だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?
もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物を科学的に鑑定する完璧な方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物の場合、炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物の場合、基本的には炭素14鑑定は使えない。
また、熱ルミネッセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギーが放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネッセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲は一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。
しかしこのような報道もある。
「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネッセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部に通報した。公安部の担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネッセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネッセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日)
魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。
筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。
「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物であると考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」
筆者:
―― それはつまり、あなたの検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。
魚島教授:
「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」
筆者:
―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?
魚島教授:
「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料の元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」
筆者は質問した。
―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなたの検証方法では今回と同じような結果が出ますか?
魚島教授:
「その可能性はあります。」
しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家や考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産を製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造を目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。
このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国の文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ。
張石 略歴:
1985年、中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業、修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員、 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35
うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分はチビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。
でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルのスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒の対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛い他の子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。
◇
私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。
勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。
中3の頃、教室で私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。
でも私の答えは「制服がバカっぽいから嫌」担任がものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。
◇
結局、私は高校は地元の底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校からの同級生の子のママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。
入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?
◇
大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。
一人暮らしを始めてから、バイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族を大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。
それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。
自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供の犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。
◇
同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。
泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりのパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。
両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族のタブーになった。
◇
母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業の研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。
でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦がいかに無駄で無能か、そんな選択はバカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。
私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。
私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那の希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。
でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。
産後、初めての育児がしんどいといえば「専業主婦がしんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。
◇
産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子の妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。
そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。
◇
数年前に実家はリフォームをした。私はインテリアや住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当の営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。
自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分を差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。
◇
定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。
母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装、生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。
内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉で否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。
他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。
◇
しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。
私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言と否定。今までの私の人生を否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分は子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言と否定を吐き続けた。
その場に居合わせたうちの娘たちは、自分の母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒の言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。
母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。
◇
この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。
しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。
今更ながらシンゴジラを見た。産まれて初めてゴジラを見た。面白かった。
どうも噂によると自衛隊の戦闘描写はとってもリアリティがあるものらしい。防衛省お墨付きみたいな事をネットで読んだので期待して見た。
自分は軍事系の事に対しててんで知識が無い。最終的に面白かったのだからそれが虚構でも映画的にはいいと思う。
ただあれが本当に現実的な作戦なのだとしたら、ちょっとした絶望感がある。
だって最初上陸したの相模湾だよ。三浦半島の向こうだよ。なんで自衛隊がゴジラ攻撃するのが武蔵小杉なの?目の前多摩川じゃん。県境じゃん。
自衛隊の人多摩川を最終防衛ラインとする!みたいな事言ってたじゃん。なんで最終防衛ラインで開戦なの?ああいうのって一次防衛ライン二次防衛ラインとか作らないの?
もっと手前で戦ってよ。っていうか横浜どうなったの?放置?神奈川は最初っから見捨てるの?
東京都だけ守ればいいってもんじゃないよね?っていうか横浜って『東京』の一角だよね?
横浜だって川崎だって潰れたら経済損失ヤバいよね?神奈川の人口とGDP知ってるよね?
全部なされるがまま蹂躙させて最終防衛ラインの多摩川で攻撃⇒だめでしたっていうのが現実的なの?鎌倉から武蔵小杉に来るまでの間は何もできないの?
住民の避難が完了してないから?でも作戦の地図見る限り最初っから多摩川でやり合う気満々だったよね。避難に時間がかかったから多摩川で交戦ってわけじゃなさそうなんだよな。
っていうか出来れば海上でどうにかしてよ。しようとしてよ。そもそも発見遅くない?上陸まであと1分ってもうほぼほぼ上陸済みじゃん。
ゴジラって高温なんでしょ。じゃあもっと早く発見できるんじゃないの?いくら相模湾の水深が深いからって浅瀬に来たら海水温が異常に上がるんだから解りそうなものじゃん。
発見が遅いから上陸しちゃうわけじゃん。さっさと発見すりゃ海上で戦えるよね。海上には住宅も無いし。避難完了待たなくていいし。
戦車の配備は間に合わないだろうけど、飛び道具は撃てるじゃん。戦闘機ってすげー速いじゃん。ゴジラ出た!びゅーんって飛べるんじゃないの?無理?伝言ゲームに時間がかかるから?
その会議だって序盤みたいに会議が紛糾してる様子もないし、避難が終わらないって役人が焦ってる描写も無い。
上陸自体も短時間に2度目の上陸で、初上陸と違って方針は駆除って結論が出てるし、死者も出てるから危険って感覚も共有されてると思う。
内閣の面々もあとは総理のご決断次第!って言ってるから上陸⇒即殲滅作戦開始に見えるんだけど、意外に総理がGOサイン出すまで時間がかかっててその合間に何をしてたのかがよく解らない。
最初にも書いたけど映画は面白かったから直せ!とは思わない。あれでよかったと思う。
ただ自衛隊描写がとてつもなく現実的だって四方八方で見聞きしてたから、あれが現実的だとしたら自衛隊は後手後手が前提なのかな…とも思ってしまう。
詳しくはココ。
→2枚のガラスの間に断熱性の高いアルゴンガスを封入したサッシ。ドイツではシングルガラスのサッシが禁止されて久しいので、もう複層の方が安い。歴史的建造物の復元とかでシングルガラスが使われるときはなかなか手に入らんで大変とか聞いた。
・外断熱というのは具体的にどういうものなのか
→簡単に言うと建物の躯体を断熱材ですっぽり覆うもの。外の気温の影響が小さくなるので躯体自体の温度の上下幅が少なくなり、夏涼しくて冬暖かくなる。躯体が雨風に晒されないので寿命が劇的に伸びる。木造日本家屋でも外張り断熱の技術が完成している。
→複層やと、アルゴンガスの断熱性で内側のガラスが冷えないので、結露しない
・湿気に強いってところ
→内断熱やと、夏に冷房で躯体の内側に結露するので、湿気がどんどんたまって、内装がカビたりダニが繁殖しやすい。外断熱やと、内外の温度差は建物の外にあるので、内側に湿度はたまらない。ただし、断熱層と躯体の間に通気層が必要
→縁側があって広くひらく開口部があって通気性を大きく取るのが日本の家屋という先入観か。外断熱は夏に弱いという誤解か。ともかく、北海道では夜のうちにストーブが切れることは凍死を意味する時代もあったわけで、チョー切実な問題やったてことやねん。と言っても、北海道ですらあんま分かってない建築士も多い。技術屋とは建築士や設備設計士のことです。
・一体日本のどこなんだ
・あとFITというのも俺は初耳で
→自然エネルギーの固定価格買い取り制度。feed in tariff。風車とかの設置費用が高くて普及しないのを解決するため、風車で作った電力をペイする金額で一定期間高く買い取ることを約束する制度。必ず儲かるのでバンバン普及→規模の経済が働いて風車が安くなる→さらに風車が増える→…。ただ、高く買い取る分を誰と誰がどんな割合で負担するか決めたりとか安くなっていく分を正確に見積って適時に買取価格を下げたりとか大変。
夏の暑さと冬の寒さについて、断熱方法と断熱材にフォーカスし過ぎるのはちょっと疑問。
現在の戸建て住宅の断熱性能は、寒冷地を除けばどれも十分だからだ。
問題は、窓と建材の熱伝導率。
夏も冬も、室内の温度環境への影響は約60~70%が窓からの熱流入だ。
夏の場合、庇の無い今の住宅は直射日光が直接室内に入ってくる。
その熱が熱伝導率の高い新建材の床を温め、夏なのに床暖房を点けている状態になる。
「ウチの家はLOW-eだから」と言う人がいるが、LOW-eはあくまでも断熱であり遮熱はしない。
ここで問題なのが、それは赤外線カットに限定されるということ。
それ以外の光は熱を持たない。
赤外線以外の光も物に当たると熱を持つ。
ここでも室内への熱の再放出が起きる。
今はそういう家は見かけない。
どうしても建ぺい率いっぱいの家を建てることになる。
冬も同じだ。
「子供たちが帰ってくる時に顔が見れる」という理由で作られたリビング階段や、
「天井が高いと広く感じる」という理由で作られた吹き抜けからは冷気が流れ込んでくる。
「昔はスリッパなんて履かなかった」と思っている人がいると思うが、
結露は断熱性能が高いほど起きる。
車に乗っている人は、窓ガラスが曇った際に、窓を開けて解決したことがあるだろう。
これを防ぐには樹脂サッシにするのが一番だが、
日本ではこれまで火災の際にガラスが落ちやすいという理由で準防火地域には使えなかった。
アルミサッシの結露を防ぐには断熱性能を落とすかサッシを暖めるしかない。
もしくは厚手カーテンかレースカーテンのどちらかだけにしておくのも手だ。
日本の木造住宅の多くは柱が3.5寸角(10.5㎝角)なので、
窓(窓枠)の奥行きも同じくらいになる。
でもこの寸法は空気層としては成立しない。
断熱しているのは厚手カーテンとレースカーテンの間の空気層だ。
どちらかを閉めないことで断熱性能を落とせばよい。
部屋は寒くなるけど。
さて、こうして長々と書いたのには理由がある。
それは「遮熱や断熱を、断熱方法や断熱材に依存しすぎじゃないかい?」ということ。
高性能の断熱材は高いし、戸建て住宅の場合、ポイントは窓と熱伝導率にあるわけだから、
そこにばかり依存するのは無理がある。
外断熱にしても、「リビングは明るく!」とか言って窓を大きくすれば夏は暑い。
木材が湿気を放出して痩せると断熱材との間に隙間が出来るという問題もある。
断熱材の数値にとらわれ過ぎず、もっと生活の知恵で出来ることを考えた方が良いと思う。
夏はオーニングを使う(下まで下げ切ってはだめ。夏を快適に過ごすキーワードは風だから)。
冬は広めの絨毯を敷き床冷房の面積を減らす、西日で部屋を暖める等々。
それ以外にも出来ることは色々ある。
そういうのを考えるのも、暮らしの楽しさだと思うよ。
定期的な建て替え需要を期待しての事だよ
その為には使い捨て住宅の長いローンを返し終わる頃に資産価値ゼロかマイナスになってもらう必要があるよ
なるべく色んな箇所が傷んで修繕する位なら建て替えた方が安い状態に持っていく熟練の技の一つがアルミサッシだよ
どうせ家を買う素人は建具や建材の中身なんて興味ないからなるべく安いゴミを売りつけるのが最適だよ
マンションの場合は排水管を構造上重要な部分に埋め込む事で配管が詰まったらビル全体を一巻の終わりにするテクニックも使うよ
上っ面だけ綺麗に作って立地とポエムで売り逃げるよ
というのはたぶん嘘で実際は日本の住宅ローンがノンリコースローンじゃないから
資産価値や耐久性を重視しない社会になったんだと思う。クソ寒いのはその一環
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090120/183217/
みんな外断熱+熱交換器+low-e複層ガラスの優秀さが分かってない。技術的・商業的には既にゼロ・エミッション住宅は完成してるのに。結露や夏場の暑さ、湿気にも強いのに。
内地の建築士は特に意識が低い。北海道の技術屋は「吉田兼好の呪い」といってる。
札幌市では、小学校の体育館をまるまる外断熱施工して、人の体温だけで暖が取れるようになってるとこもある。大災害時の避難所になるから。
断熱厚さ300㍉のゼロエミ住宅を見学したことあるが、外は氷点下10度なのに15人ぐらいで内覧してたら暖房なしでどんどん暖かくなり、みんなコートを脱いだ。
千歳の外断熱改修した分譲マンションは、1月で寝る前室温26度に上げて、暖房切って寝て起きたら21度ぐらいやと。
課題はコストだが、普及すれば劇的に下がる。やり方は簡単で、新築にlow-eと外断熱の断熱厚さを義務付ければよい。効果はEUで証明されてるし、FITより楽チン。
制度化できないのは、普及させたくなくて抵抗する業界が強力だから。具体的には石油・電力・ガス
家賃がここまでデカくなければ色々と世の中良い方向に向かうと思うんだけどな
昔ブラック企業につとめてたんだけど、
ブラック企業の事愚痴るとはてなとかだとすぐに「辞めなよ」って言うじゃん?
実家あればまだ良いよ、実家帰れないで東京の会社とか勤めてると家賃7万とかなんだよ
無理じゃん辞めるの
でも気軽に引っ越しが出来ればさ、一旦辞めてバイトしながら就活とか出来るわけ
バイトで7万と光熱費とか生活費とか稼ごうと思うとブラック企業でも続けた方が良いのかなーってなってた
もちろんそれだけじゃないけど、家賃の事はずっと頭にあったよ
あとさ、そのせいで格差も凄くない?
住宅手当とか社宅がある大手企業ってもうそれだけで年百万とかの差だしさ
老後にしたって家の事考えると何百万何千万貯金しとかないとでしょ?
なら早死した方がいいなー
セキスイハウスやダイワハウスのような高級志向のメーカーをハウスメーカーと呼び、海老蔵で有名な飯田グループのように安価な建売をバンバン使って売るのがパワービルダーと呼ばれる。
見た目はすべて同じ、安っぽい、アフターフォローが悪い、などなど。
ハウスメーカーの評判は上々だ。
マクドナルドで席まで注文取りに来いって言ってるようなもんだ。
ハウスメーカーの家やサービスは確かに良いものなんだろう。ただ、高い。あまりにと高すぎる。新築プレミアムに800万円くらい乗っていると聞く。さすがにそれは盛りすぎだろ。
金が余ってるヤツは買えばいいけどさ、日本人は住宅に金をかけすぎだと思う。
不便な立地でクソ高い立派な家に住むより、便利な立地で安価な家に住んで、その分外食したり旅行に行ったり子供達の教育にお金をかけたりしたい。
まぁ、価値観は人それぞれだけど、高い金をかけるんなら、ハウスメーカーの建物じゃなくて土地にかけた方がいいだろ、という気がする。
まぁ、建築条件つきとか建売分譲とかだとしゃあないんだけど。