はてなキーワード: ケイとは
客観的に見ると、かなり素っ頓狂なタイトルだと思う。けれど私は、今五目並べに狂うほどハマっている。
ステイホームが続いた連休。極限まで暇を持て余した私は、意味もなくスマホのゲームをインストールし続けていた。何をやってもつまらない。飽きては消し、飽きては消す。終いには、インストールの途中で飽きて消す。もはや何がしたいのか分からない。間違いなく、世界で一番無駄な時間を過ごしていた。
派手なゲームばかり触っていた反動だろうか。おそらく、「シンプル」を求めてだと思う。よく分からないが、私は「五目並べ」を始めていた。インストールしたのは、「五目クエスト」というアプリ。レート制でオンライン対戦ができるようになっている。しかし、UIはかなりシンプルだ。無味乾燥と言ってもよい。派手なエフェクトやキャラの類は一切出てこない。ただ、五目並べをするためだけのアプリだ。
これまでの人生、五目並べに特段の思い入れはなかった。五目並べやリバーシ。誰だってルールぐらいは知っているし、やってみればまあそれなりには面白いだろう。だけど、それなりはそれなり。別に、目の色を変えてまでやるものではない。そんな認識だった。
飽きることにも飽きた。そんな虚無の精神に包まれながらパチパチと石を放つ。ルールぐらいは知っている。それと、初歩的なことぐらいなら分かる。相手の石が3つ並んだら、片方を止めないといけない。4つ並ぶと、もう五目を防げなくなってしまう。その程度のことである。虚無の中、石を放つ。弱いbotも常駐しているから、素人でも勝てる。それに、一戦が短く、テンポもよい。そこまで面白いというわけではないものの、気付けば、虚無のパチパチはだいぶ長く続いていた。しかし、繰り返す中でふとあることに気付く。ある程度レートが高い相手には、ほとんど全く勝てていなかったのである。むろん、偶然そうなっているわけではない。
幸い、このアプリには対局を振り返ることのできる便利な機能が付いていた。そこで、敗れた対局を振り返ってみた。強い人は何を考えていたのか。振り返ると、ぼんやりとだが見えてくることがあった。なるほど、どうやっても五目が防げないように、強い人はいろいろと考えている。例えるなら、罠や伏線を張るようなイメージか。そして、強い人の手は、攻防によく効いている。私の手は、攻か防、どちらかしか考えていない。なるほど、なるほど。
(これに関しては、いろいろと定石なるものがあるようだ。少しずつ調べ始めたところなので、まだ詳細なことは書けない)
私は、おもむろに立ち上がり、お湯を沸かしていた。熱いコーヒーをすする。頭が冴えた。よし、もう少し考えてやってみるか。気付けば、虚無の時間は終わっていた。
試行錯誤、悪戦苦闘。苦労はしたが、着実に勝率は上がっていた。強い人の思考をイメージする。定石は分からないが、ここではこう指す、そんな感覚ができてくる。相手の考えが、少しずつ読めるようになる。
もちろん、強い人は簡単には勝たせてくれない。お互いの狙いをひたすら潰し合う。神経が削られていく心理戦。一手一手が重い。ミスは即死を意味する。手の震えまで出てくる。いやあ、参った。
しばらく黒星を重ねた後、ついにその時は来た。はるか格上相手、長い手数の果てに、ようやく勝ちが見える。相手が投了。私は思わず声を出し、拳を作ってしまった。手は汗で滲んでいた。
何が「別に、目の色を変えてまでやるものではない」だ。気付けば目の色を変えてやっていた。五目並べに夢中になり、勝利に咆哮する男。正直、絵面としてはかなりシュールだと言わざるを得ない。しかし、これは楽しい。楽しいのだから、仕方がない。外に目をやると、いつの間にかすっかり日は暮れていた。
病的な飽きっぽさのある私だが、連休明けも「五目ライフ」は続いてしまっている。小さい頃から、考えることは好きだった。だから、ハマる土壌はあったのかもしれない。そうとはいえ、最近は歯磨きでもするような感覚で五目が始まっている。自分でもなんだか可笑しくなる。
無味乾燥だといった「五目クエスト」。このアプリがまたいいのである。派手な要素は一切ない。ただただ、五目。その無骨さが、かえってクセになる。石を打つ時の「カン」という打音がまたよい。愛想も何もない無機質な音。だからこそ、勝負に集中できる。最初こそ物足りないと思ったが、本当によくできている。対戦に関するストレスはほぼ全くない。唯一挙げるとすれば、接続数が少なく、同じ人と頻繁に当たること。ようするに、過疎っているのである。地味なゲームであることは否めないけれど、過疎というのはやはり寂しい。
突き詰めていくと、五目並べは本当に奥が深い。「棋は対話なり」、これは将棋の言葉だけれど、五目並べにおいても本当にそうだと思う。対戦は声のない対話である。相手の性格のようなものが見えてくる。イケイケドンドンな人がいれば、石橋を叩いて渡るような慎重居士もいる。そして、強い人はいつもナイフで後ろから刺してくる。目に見えない相手のことを考え、声のない対話をする。たぶん、この営みにハマっているのではないだろうか。
長く書いてしまったが、ゲームの過疎っぷりから推察するに、五目並べに狂うほどハマっているというのはかなり希少な人種だと思う。「最近五目並べにハマっててさ」そんな話はまだ他人に言い出せていない。そんなことを言うとポカンとされてしまいそうである。それで、ここに書き連ねることになった。
虚無の連休中に突然目覚めた私はかなり極端だと思うが、五目並べは本当に面白い。ハマる人はハマると思う。そして、やはり過疎は寂しいので、できればもう少しアプリが賑わってほしい。よかったら、遊びに来てみてください。
蚊が出てくる前、そして雑草オールスターがおよそ出揃ったこの季節は散歩が本当に楽しいよね。私のイチオシはカラスノエンドウ。むしりやすいし空気感を含んでブワブワと増えていく様が生命力を感じてたまらない。逆に、嫌な気持ちになるのはやっぱりトゲが鋭いひとたち。アザミはまだ花がモードだから許せるけど、根で繁殖していくノイチゴ!あとワルナスビ…あれは憎い…憎みたくないけど憎い…。
増田も好きな雑草が見つかったら教えてね!お散歩楽しんでね〜。
●ヤマケイ文庫 野草の名前 シリーズ(高橋 勝雄, 松見 勝弥 著)
基本的な雑草は網羅していて名前の由来など小ネタもしっかり入っているとっつきやすい図鑑。キンドル版もあるよ。
種類多めで、見分けして名前を特定したいならおすすめ。写真がはっきりしてて見やすいと思う。
しっかり調べたいならやはりこのシリーズ。古いので、生態域が最近変わっちゃってる草なんかもあるけど、大抵の植物は載ってて安心。
ちなみに、私は素人なので詳しくはわからないんだけど、植物は分類体系が最近になって大きく変わったらしい。なので、古い図鑑の分類はあまり参考にならなくて、そういう知識を得たいなら出版年度は大事に考えたほうがいいみたい。
「これまでは「植物を形態や構造に基づいて分類する方法」が採用されてきました。新エングラー体系やクロンキスト体系がそれにあたります。これに対して、1998 年に公表された体系が「APG体系」です。従来と違うのは「DNA塩基配列に基づいて被子植物の系統関係を解析して分類する方法」であることです。APG 体系は公表以降、新たな研究成果を反映したものにバージョンアップしています。2016年には 第4 版(APG IV)が公表され、2009年公表の第3版(APG III)とあわせて、ほぼ完成された体系とされています。」とのこと。植物標識看板なんかのアポック社公式サイトより。https://www.aboc.co.jp/business/label/about/apg.html
PSYCHO-PASS 3見終わった。
PSYCHO-PASSの割に楽に楽しめる単純な作品だった。
一係に死人も出ず。
趣も無く。
難解でも無く。
今度また余裕がある時に2期と3期を補完すべく映画版を見ることにしよう。
寝るまで何を見ようかな。
視聴予定作品の中にあるのかなあ。
つーか、今期の作品で休止中のは一体どれなんだ。
調子に乗っていたがために、境界性人格障害に自己愛性人格障害まで付け加えて
あまりの酷さに
助けてくれそうな人さえ手放し
周りに人もいなくなり
孤独で
チャンスも逃し
男だから助けも来ないし
同級の奴らは会社でバイトしてたので実力があるものの、私はするなと言われていたがために実力もなく(最近まともになった)
金もなく
自分は食わせられないし
人を食わせる自信もないし
どうやっても生きていく自信がない
虚勢を張る
無理なの分かっているのに
自分で育ててきたんだ
口先だけは達者になり
大きなひびさえ入り
もう、昔のイケイケだった俺はそこにはない
色々可能性に満ち溢れていた俺はない
わざわざ可能性の低い方を選んでやってきた
人の嘘を信じ
あまり調べず
考えもろくにせず
方向修正もせず
自己憐憫ばかりし
いつの間にか酒浸りになり
やっていきたくない
買って頂ければ2週間、あなたの看護を完全バックアップ致します。
今生殖範囲を広げてるイケイケ集団、皆コロナワクチン保持者だぜ!!
生き残ればあなたは新世代、ニュージェネレーション、ニュータイプ、新人類!!
去年の今頃は最高の現場と案件に恵まれててプロジェクト大成功でハッピーエンドでイケイケ状態で仕事もプライベートも充実していた
今年の今頃は、絵にかいたようなブラック案件と職場を引き当ててしまい針の筵で、しかもこのコロナ騒動で生き延びる方法やどう全力で逃げるかを必死になって考えている
たった1年でここまで状況が変わるんだから、キャッシュフローは無理なく省エネな生活していたからこそダメージは少なくて打つ手もあるからどうにかなってるものの
芸能人とかタワマン住まいのパワーカップルみたいな華やかな生活に憧れてたが、芸能人はバタバタコロナで倒れて死にかけてたり
芸能界だとか俳優や声優が一気に赤貧にあえいでるの見てたら、あんな生活続けられるなんてよほどのバカか破滅志願者くらいなもんだなとちょっと恐ろしくなった
どんな人でも、理不尽な扱いや嫌がらせを受けたり、人間関係や金銭など諸々のトラブルに巻き込まれたりして「こいつ嫌い!死ねばいいのに!」という感情になることはあると思います。
私は高校の頃「嫌い、死んでほしいくらい嫌い」と思っていた同級生がいました。
その方が去年、自殺したということを知ったので自分用の記録として書きます。
亡くなった人をAさんとします。
違うポジションでクラスも違っていたので1年生の頃は特に関りもなく、休憩時間や移動時に隣になれば世間話をする程度の関係でした。
Aさんともう一人(Bさん)が率いるグループ(X)が部の雰囲気を悪くしているということで、部全体を巻き込むトラブルになりました。なぜXグループが部の雰囲気を悪くしていたのか、その原因はほぼ忘れてしまいましたが、「課題を提出出来ずに居残りになるのがなぜ悪いのか」と開き直って、真面目にやっている人が割を食うみたいなそんな感じだった気がします。
一応県ではトップの強豪校で目指せ全国!って感じの部だったので、居残りや遅刻にはものすごく厳しく連帯責任があるほどでした。とにかく顧問の権力が絶大で、口ごたえすればめちゃくちゃに怒鳴られますし、私含め皆洗脳されていたと思います。
その事件については部全体での話し合いで一応解決しました。その後、トラブルは度重なり、Xグループと他グループが対立したり、それきっかけでBさんが退部したりと色々ありました。2年になると私は部長候補、Aさんは副部長候補となり、表面上は事務的に普通に接しているけど、お互いあまり良く思っておらずなるべく関わり合いになりたくないという感じでした。
Bさんの抜けたXグループはその後もイケイケ路線を貫き、全体としてはまとまっているものの各々では不穏な雰囲気が漂っていました。3年生が引退して代替わりすると、私は部の雰囲気に嫌気がさして部長になることを辞退し、XグループにいたCさんが部長、私とAが副部長になりました。
その後は割と平和でしたが、CさんとAさんが裏で結託している様子、私がXグループで叩かれている様子は分かりましたし、常に2対1になってしまいます。私だけならまだしも、その他の真面目に勉強や練習している人を馬鹿にしたりするのは本当に呆れましたし悔しかったです。その他も最終下校時刻を守らない、放課後マックで騒ぐなど小さいトラブルもありました。しかし「決定的なトラブルやいじめ」というものはなく、常に冷戦が続いていたと思います。
結局3年生になった私たちの代は成績も残せずさっさと引退しました。さらに言うと、Cがトラブルを起こし、途中で私が部長をやる羽目になりました。これがものすごく屈辱的でした。今更部内改革を起こす気にもなれず、そもそも3年生になってからは部や競技そのものに情熱を持てなくなっていてさっさと負けて引退したいという気持ちでいっぱいでした。
また3年生ではAとBと私が同じクラスだったのでその二人がウェイウェイしてるのを常に目にする状況でした。これが一番きつかったです。
Bさんに対してはいい印象が全くなく、しかし今思えば「嫌いになるような痛烈な事件」というものもありませんでした。ちいさなイライラが少しずつ積み重なって心から「嫌い、本当死んでほしい」と思うようになりました。
卒業するころになると、Xグループはほぼ全員受験失敗(Aは志望を下げて合格)、私は皮肉なことに部活の成績(あとは普通に評定も良かった)で推薦で大学に受かりました。
やっぱり最後は努力したものが勝つのだなぁとちょっと見返した気持ちになって大学進学をしました。
そのあとはOBとしてたまに手伝いの要請が来るくらいで、私は進学先が遠方だったこともあり会うことはほとんどありませんでした。
大学進学後に困ったことがありました。AとXグループに陰口をたたかれたり嫌がらせを受ける夢を何度も見るのです。3年の時は部活を辞めたくて辞めたくて仕方なかったため、自分は春に退部したという設定で「途中で投げ出した弱虫」みたいに陰口を言われてました。
これは社会人になっても続いていて、自分の中で相当トラウマになっていたのだと思います。
そして25歳のある日、SNSの「知り合いかも?」にBが出てきました。なんとなしに眺めていると、「Aが死んだなんていまだに信じられない」という投稿がありました。投稿を遡ると去年亡くなったようでした。親切なことに死因が自殺であることと、精神を病んでいたらしいことが書かれていました。実家に電話してOB会の名簿を確認すると、Aの名前がなくなっているようなので本当らしかったです。
Aが死んだ。その事実に対して割と何とも思わなかったのが正直な感想でした。
名前しか知らない同級生が引っ越したくらいのどうでもいいような内容に感じられました。
そのあと「あぁ私はきっと過去のAの記憶から解放されるのだな」と安堵しました。
悲しい、という気分にはほとんどならなかったです。
BがAの死について苦しんでいる様子がSNSを通じて伝わってきたので、正直そこは「ざまぁ」と仄暗い喜びを感じました。
しかし、Aは私の苦しみを知らずさっさと人生リタイヤしてしまったのだな、と思うと「ずるい」と正直思います。でもAはAなりに色々あったようなので、そこは少し気の毒だなとは思います。
高校卒業してAは自分の中で完全に過去の人になっていて、大学の研究なり仕事なり「今の世界には必要ない人」になっていたからこんな軽い感情の動きで済んだんだと思います。
それが大学卒業直後やトラブルの渦中だとしたら、また違うと思います。
しかし、今現在進行形で「死ねばいいと思っている人」がいる人に「時間がたてば、どうでもよくなるよ」なんてことは言えません。これはあくまで私の例で、その人の感情には全く当てはまらないからです。
しかしその「死ねばいい」という気持ちは否定しないでほしいです。それは自分が嫌なことを嫌ではないと否定することになると思うので。あんまり周りの人に吹聴するのはその人自身の立場が悪くなるのでおすすめはできませんが。
https://anond.hatelabo.jp/20200322025040
They walked along by the old canal
A little confused, I remember well
And stopped into a strange hotel
( ・3・) ふたりは古い運河に沿って歩いた。少しまごついていたのをわたしはよく覚えている。そしてふたりはネオンの輝く奇妙なホテルに入った。
――「奇妙なホテル」とは?
( ・3・) ホールにフランク・ザッパの蝋人形でも飾ってあったんじゃないか? ああ、この strange というのは unfamiliar ということだな。――ネオンの輝く見知らぬホテルに入った。彼は夜の熱気に打たれるのを感じた。まるで運命のひとひねりと共に走る貨物列車がぶつかってきたようだった。
( ・3・) 夕暮れの公園にいたふたりが歩きだす。ネオンが光っているから、あたりはもうすっかり暗くなったんだろうな。「わたし」の記憶によると、少しまごついていたようだが……。
――「わたし」が出てきましたね。
( ・3・) ふたりの背後に忍びよる謎の人物……。落ち着かない心の内までお見通しとは、たいした観察力だ。
――……。
( ・3・) いや、分かってるよ。賢明なる読者諸氏ならば、「わたし」の正体は説明せずともお分かりになるはずだ、ってことだろ? 分からないとおかしい。ナボコフの『 』を読んで、「 」と「 」とが同一人物だと気づかないようなものだ。
――『 』は読んでいないのですが……。
( ・3・) だから少しは本を読めって。ただしまともな本だぞ。『死にたくなければラ・モンテ・ヤングを聴きなさい』みたいなのは読書にカウントされないからな。
――話を元に戻しましょう。
( ・3・) 三人称の物語だったはずなのに、一人称の「わたし」がぱっと現れて、さっと消える。聴き手は混乱するんだけど、何事もなかったかのように、彼と彼女との物語が続いていく。
――はい。人称の問題は後で見直すとして、脚韻についてはどうでしょう。
( ・3・) 1行目と2行目、canal と well は母音が合っていないんじゃないか?
――子音しか合っていません。脚韻は、強勢の置かれた母音以降の音が一致しないといけないので、この箇所は韻を外していることになります。そのうえ、1行目と2行目とでは旋律も違います。
( ・3・) 違ったっけ。
――違うんです。第一スタンザでは、1行目・2行目・3行目はきれいに韻を踏んで、旋律も同じかたちでした。ところが、第二スタンザでは、1行目・2行目で母音が揃わず、canal は上昇する旋律、well は下降する旋律です。というか、"I remember well" のところは、はっきりした音程がありません。そこだけ語りのようになっています。
( ・3・) 例の「わたし」が出てくるところだな。ひょっとしたら、わざと韻を外して、旋律も外して、「わたし」に対する違和感を際立たせようとしているんじゃないか?
――わざとかどうかは分かりませんが、定型から逸脱することで、聴き手の注意を喚起する効果はあると思います。
( ・3・) となると、韻を踏まないことにも意味がありうるわけだ――あれ、6行目と7行目、train と fate も韻を踏んでいないぞ。
――6行目は train ではなく freight train の freight が脚韻にあたります。
( ・3・) まず列車の概念があって、それからより具体的には貨物列車、という思考の流れではないんだな。まずフェイトという音の響きがあって、その響きが無意識の言葉の渦からフレイトをひっぱり出してくる。それから列車の概念がフレイトにくっついてやってくる。意味が音を追いかけているみたいで面白いな。
A saxophone someplace far off played
As she was walkin’ by the arcade
As the light bust through a beat-up shade
( ・3・) どこか遠くでサックスを吹いている人がいた。――これは順番をひっくり返さないとうまくいかないな。――彼女がアーケイドを歩いていると、どこか遠くからサックスが聞こえてきた。くたびれた日よけから光が差し込み、彼は目を覚ました。
――まだ覚ましてはいません。
( ・3・) ――彼は目を覚ましつつあった。彼女は門のところで盲人のカップにコインを入れた。そして運命のひとひねりのことは忘れてしまった。
( ・3・) 夜から朝になった。どこか遠くでサックスを吹いている人がいる。時を同じくして、彼女はどこかへ歩いていく。そしてまた時を同じくして、夢うつつで横になった彼の部屋に光が差す。一行ごとに場面が切り替わって、映画みたいだ。
( ・3・) どこかへ歩いていく彼女は、そのまま消えてしまう。盲人のカップにコインを入れる、というのが何か象徴的な行為なんだな、きっと。運命、盲人、テイレシアス、と連想が働くせいでそう感じるのかもしれないが。
――何を象徴しているんですか?
( ・3・) 何かをだよ。メルヴィルの白鯨は何を象徴しているんだ?
――何かをですね。
( ・3・) そう。ある行為や対象が何を意味するのか一義的に定まらないとき、その行為や対象は象徴性を帯びるんだ。ひとつ賢くなったな。
――とはいえ、門のところの盲人は運命を告げるわけではなく――
( ・3・) それどころか、彼女は運命のひとひねりなんて気にしてないんだな、ちっとも。
――強い。
( ・3・) 強い。運命に抗う者は悲劇的な最期を遂げるが、運命に関わらない者はいつまでも幸せに暮らすんだ。――じゃあ、ありがたい教訓も得られたことだし、次に進もうか。
――その前にひとつだけ。わたしが面白いと思うのは、彼女が去っていくのを誰も見ていない点なんです。まず、どこか遠くのサックス奏者は物語に関与しない。
( ・3・) 音だけの出演。
――部屋では彼はまだ寝ている。そして門のところの盲人には――
( ・3・) 彼女は見えない。なるほど、興味深い指摘だ。きみ、名前は?
――……。
( ・3・) 名前は?
( ・3・) アルトゥーロ、ありがとう。そんなところにも彼女の強さというか、優位性が表れているのかもしれないな。
He woke up, the room was bare
He told himself he didn’t care
Felt an emptiness inside
To which he just could not relate
――ハーモニカの間奏を挟んで、ここからは後半です。彼と彼女とがいっしょにいる、あるいは少なくとも近くにいるのが前半でしたが、ディラン先生のハーモニカを聴いている間に、彼女のいた世界は彼女のいなくなった世界に変わってしまいました。――では、どうぞ。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は熊だった。
――クマ。
( ・3・) 「かすみの間」「うぐいすの間」みたいに、「グリズリーの間」だったんだよ。泊まった部屋の名前が。
――真面目にやりましょう。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は空っぽだった。彼女はどこにもいなかった。どうってことはないと自分に言い聞かせ、彼は窓を大きく押し開いた。心の内に虚しさを――
――虚しさを?
( ・3・) 虚しさを感じた。で、その虚しさというのは、彼がどうしてもリレイトできない――
――He just could not relate to an emptiness inside ということです。
( ・3・) どうしても関わることのできない虚しさ?
( ・3・) おまえが引きたいというのなら。
――ランダムハウスにちょうどいい例文が載っています。I can’t relate to the new music of Miles Davis. マイルス・デイヴィスの新しい音楽はわたしにはしっくりこない。――1972年に『オン・ザ・コーナー』を聴いた人はそう感じたかもしれません。そもそも1967年の『ソーサラー』からして、もう調性は不
( ・3・) 自分自身の虚しさとうまくつきあっていけない、と考えればいいのか。――どうしてもなじむことのできない虚しさを感じた。運命のひとひねりによってもたらされた虚しさを。
( ・3・) さっき "he was wakin' up" のところで「まだ目を覚ましてはいない」って添削が入ったのは、このスタンザの "He woke up" が念頭にあったからなんだな。
――そうです。ここではっきりと目を覚ます。
( ・3・) 彼女はいなくなっている。大丈夫だと自分に言い聞かせるってことは、大丈夫ではないわけだ。窓を開けたら心の内に虚しさを感じた、のくだりはなんだか分かる気がするな、感情の流れが。ぐっときたぜ。
――まず部屋が空っぽだという状況が語られる。でも本当に言わんとしているのは、彼の内面が空っぽになったことです。開いた窓のところに立って外と内とを画定することで、内面という言葉が自然に導かれています。
( ・3・) きみ、名前は?
He hears the ticking of the clocks
And walks along with a parrot that talks
Hunts her down by the waterfront docks
( ・3・) 時計がチクタクいうのが聞こえる。言葉を話すオウムを連れて歩く。水夫たちがやってくる港で彼女を捜す。また彼女が彼を見つけてくれるかもしれない。どれだけ待たなければならないのか。もう一度、運命のひとひねりが生じるのを。
( ・3・) 時計の音が聞こえてくるのにあわせて、時制が現在形になった。ここからは彼にとってまだ過去の出来事ではないんだな。
――彼女のいない現実が、一秒ごとに動かしがたいものになっていく。コンクリートが固まるみたいに。
( ・3・) 「言葉を話すオウムを連れて歩く」は何を意味するんだ? アメリカ文学で鳥がしゃべるといったら、ポウの「ザ・レイヴン」だな。死に別れた恋人と天国で再会できるだろうかと訊くと、鳥は「二度とない」と予言するんだ。
――このオウムは実在するんでしょうか? どこからともなく現れましたが。
( ・3・) そこを疑うの? 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」「エヴィデンスは?」みたいなものじゃないか。
――いえ、そうではなく、おそらく肩の上、耳元でオウムが話しているわけですよね、彼女を捜して歩いている間ずっと。それは暗喩ではないかと思うのですが。
( ・3・) おじいさんは暗喩としての山へ暗喩としての柴刈りに行きました。
――「周囲の人たちの話が、オウムの言葉のように空疎に聞こえてしまう」を暗喩的に言い換えると「言葉を話すオウムを連れて歩く」になりませんか?
( ・3・) 心ここにあらずだから、「よう、調子はどうだい?」と声をかけられても、「ヨウ、チョウシハドウダイ」と聞こえるわけか。まあ、そうかもしれないな。
To know and feel too much within
( ・3・) 内面を知りすぎてはいけない、感じすぎてはいけないと人は言う。わたしは今でも信じている。彼女はわたしの双子だったと。しかしわたしは指輪をなくしてしまった。彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた。運命のひとひねりのせいで。
( ・3・) 「わたし」が出てきたな。二番目のスタンザでは存在をちらっと匂わせる程度だったが、ようやく正体を現した。
( ・3・) そう。三人称・過去のかたちで物語が始まり、彼女がいなくなって時計の秒針が意識に上ったときから三人称・現在になる。そして今、一人称・現在で「わたし」=「彼」が胸の内を明かしている。
――すべて過去形で書くこともできたし、すべて三人称、あるいは一人称で書くこともできたと思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょう?
( ・3・) なんだか「学習の手引き」みたいになってきたな。時制が変わるのは、彼女の不在が彼にとって現在の出来事でありつづけているから。人称が変わるのは――そうだな、最後のスタンザの心情は、客観的に、距離をおいて語れないんじゃないか。まだ傷が生々しくて。
――第四スタンザの「部屋は空っぽだった」から「窓を大きく押し開いた」のあたりはハードボイルドの流儀で、あまり感傷的にはなるまいという抑制が働いているんですが、最後のスタンザになると――
( ・3・) 抑制が外れて、ついでに三人称の仮面も外れる。他人の物語であるかのように体裁を保っていたのが、保てなくなる。こういう効果を生むためには、人称の変化が必要だったんだな。
なに書けばいいかわかんないから思いつくまま書く(まだ1回しか見てないから記憶があやふや)(アニメ見たのもかなり前なのでそっちの記憶もあやふや)(5000字ちょっとある)
まだ見てない人は見に行こう!
TV版を見てない人は、見よう!
d-アニメストア、ネットフリックス、バンダイチャンネル、U-NEXT,huluで配信中!
でも1話は無料で見れるのでとりあえず1話は見よう!
https://www.nicovideo.jp/watch/so24658035
・話はTV版が好きなら好きだと思う!でもTV版と比べるともっとおもしろくなる余地があると思った!
・TV版の終わり方が台無しになるっていう感じの話ではなかったから安心してほしい!最終回みたときと同じように、映画見たあとも宮森たちはこれからも毎日を一生懸命生きていくんだろうなと感じれる感じでした!(頭の悪い文章だ…)
・一人でも思い入れのあるキャラクターがいるなら見たらぐっとくると思う。映画というより、あ~~こんなに立派になっちゃって~~っていう感じで見れる。
4年前のことを思うと遠くまで来たなあ、私もこいつもさ…って気持ちになれる。
=====
1話のオマージュ。4年前と同じ時間、同じ車、同じラジオ…だからこそ違いが目立つ。車が傷だらけになっていたり、カーチェイスができなかったり、かかる曲がスローテンポなものだったり(限界過疎土地娘回収されましたね…サクラクエストのことじゃなかったかあ)。全体的に黄昏時という感じ。
ムサニもね…。この始まり方だからぞくぞくと悪い予感はしてるわけで(ポスターも含め)、ムサニは!?ムサニは今どうなってるの!?と思ったらいつもの部屋でいつも通りにやってんじゃ~~んと思いきや…っていう…。あそこほんと最高でしたね。あそこで宮森があの幻覚を見たのはもう二度と戻れない過去への憧憬なんじゃないかと思うと切ない。
活気もなくうらぶれて、でも昔のように返り咲く気力もない(そして昔みたいにイケイケなムサニになっても元のメンバーが戻ってくることはないだろう)。少しずつ衰退していくのを見ていることしかできない。悲しい…つらい…でもそれがいい!!!最高!!
ここのシーンの3Dの人(下柳さん?)の「こんな感じのアニメなんだったらもっと違う感じでやるべきだったな~」っていうまじめな台詞がすごい好きで、何故かというとなんかこの状況を受け入れ切ってるな~って感じがするんです。こんな状況いやだからあがこう!じゃなくて目の前の仕事を一生懸命やってる感じ。全然悪いことじゃないし、たぶん下柳さん(仮)にはそもそも会社の方向性を決める権限とかもないのかもしれないけど、でも今の状況を諦めを通り越して受け入れている、衰退していくのを見守る覚悟みたいなのも感じて好きです。自分にやれることは全力でやるけどそれで会社が衰えていくのを止められないのも知っているみたいな。このへん全部妄想なんですが。
推しなんですけど(1週目特典この二人が出て最高でした神様サンキュ!)、今回本筋には関わらないもののめちゃくちゃ良かったです。ていうかそういうキャラ沢山います。shirobakoはキャラ数めちゃくちゃいるのに映画では全員「あー今こう生きてるんだ」って知れてほんとよかったです。
この二人は特に!!その最終回のその後が気になってました。ほかの人たちは道のりの途中だったけれど、この二人は最終回でやっと一歩を踏み出し始めたところだったので。太郎の語るアニメ制作の夢も最終回までは知らされず、なんか萌えキャラとか声優とかが好きだからアニメ業界来てるんだなーぐらいの認識だったのにあんなパッションを秘めているとは。
今の状況をどう打開したらいいのかわからない宮森と違い、太郎と平岡はがむしゃらに前に進む努力をしています。努力って言い方も違和感あるな。太郎も平岡も、それを楽しんでる。どんなに没られても沢山企画案を出して持ち込みに行く太郎も、そのアドバイス役?スケジューリング役?をしてる平岡もやれやれって感じを出しつつもすごく楽しそう。そんな二人を見れてよかった。今後どうなるかわからないけど(実は太郎には全然才能がなくてまじで全く作家としての芽が出ない未来があるかもしれないけど)、でも今楽しそうに前に進んでいる二人が見れてほんとうにうれしかった!!
できればまた4年後どうなってるのかが見たい。この二人がどんな現実にもへこたれずに夢を追ってる姿が見たい。最終回で語った夢を実現させているところが見たい。
4年間ニートしてたってまじですか!?読み取り方間違ってるかな?でも少なくとも監督は4年ずっと仕事してなさそう…どうやって生きていってるんだろう…
そうなったきっかけの事件のときの二人の反応最高でしたよね!!気丈に振る舞う監督と悔しそうにキレる遠藤さん。多分この二人が一番おじゃんになったアニメに情熱傾けていたから、だから説得のシーンもこの二人が長めだったんだろうなあ。説得のシーンといえば遠藤さんが下柳さんと水族館行くくらい仲良くなってるの最高でしたね…。4年という年月を感じる!!
長かった…もっと短くてよかった…でもミュージカルはこのアニメの狂気的な部分を感じてよかった。洗脳っぽかったけど。
お絵かき教室のシーンはあれ見て宮森達がやる気出してたけどそもそもやる気なくすような出来事あったっけ?となってしまった。TVシリーズとしてやってたなら多分普通に受け止めれてたシーンだと思う。
忍者屋敷はよかったけど長かった!でも和服見れたのでよかった!妄想(?)シーンのあと一瞬で現実に戻るの「あ~なるほどこういうことを比喩的に表現してたのね」と理解できてよい。
ナベP社長かよ~~~~~似合わね~~~~~~~!!!と思ったけど社長っぽいこと(カレー作り)もせず前と同じ仕事内容っぽい。
ケーキ屋さんのシーンぐっときましたね。普段結構ひょうひょうとしてて表情読めない人なのにあんな深刻に…言いづらそうに…。あのシーン一番わくわくしました。嵐の前の静けさ的な。これから何かでっけーことが起こるぞ!!!という感じがして。
いやーでも今や宮森がプロデューサーだからね。ミヤPって呼ばなきゃ!
売れてんじゃん!!おいおい!!!順調じゃん!!と思ったものの居酒屋での反応であーとなる。ああいうの友達に見られるの恥ずかしいよね…。あんまやりたくないことなのに…。でも事務所じゃもう先輩で感慨深かったなあ。ずかちゃんにあこがれてる後輩なんかもいたりして。先輩っぽいお話してたりしてて。すごいなー。声優業界厳しそうだけどさらに4年後はどう生きてるんだろう。
先生との会話でいきなりエチュード始まるの観客信頼されてるなーと思った。TV版でもあったから即興劇ね!ってわかったけど初見だと厳しそう。
広くてきれいな部屋に住めててほんとうによかった!!久乃木さん結構ちゃんとしてるな~ごはんもおいしそ~うらやまし~…とほのぼのしてたら作監ですかあ…!!めちゃくちゃ出世してるじゃん…。作監頼んだあとの「こういうのやめてね」っていうのも迫力出てて経験値積んでるぅ~たくましくなってるぅ!TV版のときから思ってたけどえまちゃんって案外気が強いというか主張はしっかりしてるよね。外見と声から受ける印象とギャップがあるからそう思うのかもしれないけど。今回作監やったときに「(えまちゃんが絵を直すと)線(絵?)が固くなる」って言われたときに反論してんのすげーなーと思った。私なら自分の絵に文句つけられたら「がんばります、直します」としか言えない…。
えまちゃんに限らないけどムサニ出て上手くやっていってるんだなあと思うと宮森の取り残されてる感あって悲しいなあ。
よかった!!!
先輩に見せてって言われてるけど自分の実力不足でなんもできてない~~いつ終わるのかも能力不足過ぎてなにもわからない!!っていうのめっちゃ共感できるから後半の秘めたる力を開放するシーン自分の中で盛り上がりがあった…。あとかわいかった。
台詞ちょっとしかないキャラにも愛着が持ててこのアニメはほんとすげえなあ。
クールビューティーお仕事できます系と見せかけてTV版でも方向音痴というギャップを見せてくれてたけど映画でも安藤さんがお手伝いに来てくれたときにきゃっきゃしててかわいかった。なんか後輩の女の子感あるな〜。
いや~~~~みんな言いたいことは一緒だと思うんですけど…………。唯一ここだけはまじでなんとかしたほうがよかったんじゃないの?っていうのがこれなんですけど…。
やばくないですか?
まじでつまんなさそうでやばいですよね。この映画がヒットしてる未来が見えない…。SIVAは負けて終わりのバッドエンド(でも終わり方は明るい)なんだけどこれムサニにも当てはまるよなあ。昔のメンバーが集まって総力戦でいいもん作った!でハッピーエンドっぽいけど映画の売り上げは…ムサニの経営は…みたいな。売上はムサニには関係ないのかなあ…?いやでもこの映画の出来がよければもっと感動してたのは間違いないんですよ。作画的な意味だけじゃなくて、ストーリーとか、題材とか…。えくそだすの泣き顔修正のところ泣けたもん。よかったねえ、確かによくなったねえ…!って!あのシーンは監督がキャラ愛語って熱量で押してたし。それに比べると今回はなんか制作シーンが全体的にドライというか、特に監督はパッションあんまないし、制作現場のシーンもほぼ無かったのでなんかそういう熱さみたいなのはあんまり感じませんでした。時代かなあ?いい作品作るために深夜までがんばってます!!って今どきの受け悪そうだもんね…ブラック現場だ!!って言われそう。
あーでも今回「作り直しましょう」って言ったのは宮森なんだよね。それは成長…かなあ?昔の宮森なら言わなかった…かなあ?えくそだすのときは「ええ!?スケジュールどうなっちゃうんですか!?」みたいなパニックみたいな感じだったよね?
ポスターにででん!と書いてあるほどには出番はなかった。私はこの子の存在を一番不安に思ってたんだけど杞憂だった!!特別な扱いをされることもなく、でも新女の子キャラとして大事なポジションに収まってました。初登場時化粧濃いな~心読めないな~と思った次のシーンで全開で心開いてて好感度上がった。
かわいかった~~口調が固すぎるのはオタクだからかまだ緊張してるからなのか…
名前も出ない(出てないよね?)ほどのキャラなのに噂好き特性つけてそれをストーリーに組み込んでるのすげえなあ
太ったじゃん!!!え?TV版やせたままだったよね?あれ???わたしたちの本田さんが返ってきてくれた!!!ありがとう!!!
ムサニ努めてた時と違ってすっげ~幸せそうで(若干うざがらみで)よかったね~~~となった。ケーキおいしそうだった…。どこでそのスキル手に入れたんだ?すげえよ。コラボカフェで本田さんのケーキ屋さんのモンブラン出して。
社長…。それでよかったんすか?私経営のことはなんにもわかんないけど…社長が退いてムサニはよくなるんすか…?社長はいいんですか?ムサニやめちゃっても…!
描かれてない4年間が重たすぎて、2019年現在の状況から察するには「どうしてその状況になっちゃったんだ!」とか「それを判断したときどういう気持ちだったのかを見せてよ!」みたいなのがほんとに多いんですが(たとえばえまちゃんがムサニ辞めるときとかさ…アニメーターの方々はどういう順番で辞めて誰が見送ってそのたびどんな雰囲気になったのかとかさ…)他のメンバーはムサニやめても同業行ってるなかで社長だけは異業種だから特にさあ…。なんかTV版であったっけ?「社長のカレーマジうまくて店出せますよ!」みたいなの…。でもにしてもさあ…。こじゃれた店出しちゃって…。社長も昔は熱意を持ってアニメ制作の最前線にいたわけじゃん。どういう気持ちで辞めたんだろうなあ…。今TV版見返したら死んじゃいそうだよ私。社長のアニメ人生がこんな形で終わっちゃうなんて…でも人生って案外こんなものなのかもなあ。
またお父さんが何かあったの!?それともアニメ業界やめちゃったの…?TV版に比べるとかなり出番少なかったなあ…。
今回舞茸さんがストーリーかなり苦しんでましたね。アニメでは監督に助言したり先生的な役割しか見えてこなかったからすっごい人間らしくてよかったです。「師匠じゃなくて、商売敵だ」っていうセリフ今回苦しんでたのを助けてもらったからこその台詞でよかった。
宮森は今後どうなってくんだろうなあ…。なんかTVのときから感じていたんだけど5人の中で唯一創作でアニメに関わってないキャラなので、当然「人集めが好きだから制作やってます!」ってわけじゃないじゃないですか。映画でもアニメが好き、アニメを作る人が好き!って言っていて、その理由でその仕事するのよくわかんないなあとずっと思ってたんですが、映画のラストを3週間で変更するってなったときに宮森が一番熱意あったのを見てアニメーターの人たちの頭の中にある一番いい状態のアニメをこの世に生み出したい、そのための環境作り(人集めとか)を一生懸命やりたい!って感じなのかなと思った。
ラストのホワイトボードにいろいろ書いてあったの見ると(一瞬すぎて全然わからんかったけど多分作品名が4個くらい)、今までは使いっぱしりみたいな感じだったけどこれからは宮森手動で企画を動かしたりしていくのかなあ。
アニメから4年経っての劇場版だったわけですが、また4年後にみんながどうなってるのか会ってみたいなと思いました。無理かな~無理だよな~でもこれでお別れだなんてさみしいよ!!!!
アニメ最終回のときもさみしかったけどあのときはまあまだ劇場版とかもできるかもだしな~って思えてたけど劇場版2回目とか2クール目とかはなんかもうなさそうなかんじがするじゃん…かなしい…さみしい…
今までお堅い仕事をしてた反動で金髪にしてたんだけど、段々飽きてきて次の髪色どうしようか…と悩んでいた時に何を血迷ったか髪の毛を緑色にした。
サンプルを見た限りでは、塗布してから数分で薄い緑がかった金髪になると思っていたが、想像以上に緑色になった。
シャンプーで洗い流して、鏡を見た時はあまりの染まり具合に愕然とした。友人からは川の底に生えている苔と同じと言われ、親からは悲鳴をあげられる始末だ。
外へ出れば、これでもかというぐらいの視線を浴びた。親子連れも爺さん婆さんもオタクもヤンキーもガン見してくるのはこちらから目を合わせなくても伝わった。まるでズボンが破けて尻が丸出しになっている人を見る様な視線だった。
緑髪になったおかげで、今まで着ていた服も合わなくなり考えた結果、古着屋で買った何処の国かも分からないパンクバンドのTシャツを着まくった。
隣に住んでいた家の住人で反抗期真っ盛りの中学生からは、親に日頃向けている反逆精神を感じる事はなく、寧ろ得体の知れないモノを見たかの様な恐怖心を感じた。気のせいか隣から怒鳴り声を聞く事は暫く無かった。
一度銭湯で露天風呂に浸かっていた時、何気なしに髪の毛を触ったら虫の死骸が出てきた事は今後の人生において一度きりだろう。
そんなこんなで、暫くして緑色から元の金髪に戻った時には髪の毛を黒く染める決心を固め、遅めのイケイケ期は幕を閉じた。
あれから3年経ち、若者が多い街に行くとピンク色や薄紫色に髪を染めた子達を見る度に彼らや彼女達も俺が味わった様な視線を浴びているのかなと思いつつも、やっぱり派手髪は若者の特権だよなあとも思い、微笑ましく見ている。