はてなキーワード: にしんとは
会社によっては子宮頸がんの検査を標準で入れてくれてるところあるけどそう時拒否するのって結構プライバシー的にしんどい時あるよなぁと思った。
子宮頸がんの検査はいわゆる処女(性行為未経験の女性)には不要で、病院でも未経験の人には検査しませんって言ってるところもあるから予約に組み込まれる前に不要の申告が必要だけどそれってつまり会社(というか総務?小さい会社だと下手すりや同僚とかになる)に処女ってバレしてるもんだよなぁって思った。
人によっては子宮摘出とかで不要な人もいるだろうけど、そういうのよりまずは下衆な勘繰りでそっちに考える人多そうだし。
あんまり話題にされないけど喪女にとってしんどいことでは?!増田は小さい会社で自分が病院予約入れる側だからあんまり関係なかったけどよくよく考えたらなんだかなぁと。
”今まで男性社会であったから、構造的に女性に不利なものが多く残っていることは事実ではあるものの”、
ほぼ全ての男性が、一生労働し続けるのに対して、女性は結婚で専業主婦(昔でいう玉の輿とか)という道が残されている等の非対称性が無くならぬ限りは、解決までは程遠い(専業主夫と専業主婦が同概念にならないと)だろうと思う。あと、性差からくる体力差や生理の問題。
これは、男女に限った話ではなく、持病を抱えている人とかも安心して働ける、融通の利く社会にしていくことで、多分そのうち解消されるはず。
落としどころがどこになるのかはわからないけれど。
例:ほぼほぼ完全なる成果主義(成果の分だけ給与が支払われる)+ベーシックインカム的な最低限度の保証
個人のハンデキャップを考慮した上での成果主義なり固定給。(その人の全力が100だとして、100頑張れば100%貰えて、80%頑張ったら80%)
とか。何十年とかで到達できるか否かは、artificial intelligenceのブレイクスルーなりありきで、かつそこに委ねられるかってところ。何百年後かにはさすがにその域に達してるぐらいの人類で会って欲しいけど。
私(男性:アラフォー:数年前からバイセクシャル)は、ちょっと変わった人との付き合いが多かったり、そもそも性根がひん曲がってるので、少数派だったり、特殊な意見を拾いやすい。
そん中で、もちろん、加害者が男、被害者が女っていうテンプレが一番多い、耳にするのはやっぱり事実がそうなんだろうな、とも思うんだけれども、あえて尖った見方をすると、声を上げてるか否か、意識しているか否かっていうのが、凄く議論から抜け落ちてると思う。あと根本的な身体差。
凄く悪い例えだけど、男幼児の性器を見て、興奮している女性保育士が居たとして、私が親なら、まあ減るもんでもないし、と思う、と思う。実際に我が子は、可愛くてついつい抱きしめちゃうんですってほんわか話すおばさんとしか遭遇してないんだけど、ほんとにヘルモンじゃない。女子の場合、万一の場合、減るというか傷つくよね。肉体的に。トラウマ残るのは論外だけど、それ以前って、結構性差なくスルーする親はいる。それこそ、ペド的な変態との遭遇率は皆無だと思って無いと生きていけないし。
そこら辺って、意識的か無意識的かはわからないけど、無視してることが多く、無視した方が色々負担も不安も少ない。小児科行くのに、同性医を選ぶ慎重さを発揮したところで、その医者が小児愛の同性愛者ではない保証なんてないわけだし。
で、女性は事実として、虐げられてきたし(現在進行形)、言いやすい(体力的、地位的に劣るんで)から、色々言うわけで、言いやすいとはいえ、なかなか声を大にして言いづらいことが多いから、誰かの発言きっかけで同意得て、metooとかなるんだけど。
同数、同割合とは言わないけど、男性被害者の性犯罪も結構あって、かなり埋もれてる。
男性→男性の被害者にも加害者にも話を聞いたことがあるし、私自身が被害者でもあったりする。(視姦程度の軽い被害だけど)
(加害者が)女性→(被害者が)男性の加害者の話は聞いたことがないけれど、女性に犯された(といえば言い過ぎかもしれないが、性別が逆ならば裁判までは確実に行っただろう)経験も何度かある。
男性って、強い性だから、あんまり被害に遭ったって言えない。っていう問題と、そこそこ性に目覚めてからは、よっぽどのもの以外は受け入れちゃうっていう問題がある。
これは、私の観測範囲が偏ってるから、一般論ではないんだけど、女性にもある。「まるで犯されてるみたいで興奮した」。いや、実際それ、完全に犯されてるから。結果として許容しただけでしょ? っていうね。
私が犯されたけど、犯されてないのも同じ。
売り手買い手市場っていうのかな。常に女性が売り手っていう世の中なのよね。
実際はそんなことなくて、軽いのは男性アイドルとか、ホストとか、色々男性も売りに出してるんだけど。
耳をふさいで目を閉じて、女性が売り手だ! って。
話を戻すと、小学生時代に、お姉さんかおばさんか微妙な年代の女性に性的に被害を受けた同級生は結構居て、(同一犯か複数居たのかは知らん)、何十年かして、誰かが面白おかしく話した時に、あー、それ俺もって、公表したりそれでも隠したり。(そういう話が飲み会とかで出るのも私がひねくれた交友関係を持ってるからだとは思うんだけど)
これも明らかなる性の格差で、女児は、そういう事例が多いし、守られるべき存在だから、意を決して親に相談したりできるハードルは多少男児よりも低いと思うんだけど、今はひょっとしたら男児も相談できるのかもしれなけど、数十年前は女児も厳しかったし、同じくらいかそれ以上、男児も相談の壁は高く厚かった。
改善されてきてるのは感じるし、壁なんて無くなればいいね。性犯罪滅べ。
あと、本音を言えば、モテない人生送って来たから、素人にしろ、玄人にしろ、お金がかかるセックスっていうやつ。
酔った勢いとはいえ、無料で出来たら男は得だと思う。それが同性でもそう感じる人は少ないと思うけど。
年々ストライクゾーンが広がって、女性は10コ上までは余裕でセーフ。同性は同年代は余裕(人によるが5コ上までは余裕なことが多い)な状態になった私は、
相手との行為が不倫とか浮気になることが多いので、とりあえず拒むんだけど、だいたい押し切られてしまう。
そういう(いやよいやよもすきのうち:こういう言葉があるのがいけないのよね。因果が逆で、すきなんだけど、いやだと言ってしまうこともある、が正解というか真実に近くてゴロが悪いから誰か言い標語作って、はやらせようぜ)態度が出てしまってるのが原因だとはいえ、空気読めないやつとかガチのやつには多分犯されてるし、「なんもせんから泊っていっていい」を信じた結果、起きたら致してた(まだまだ私の私は現役らしく、早朝に生理現象もよおしてて欲情させてしまったらしい)こともあるし、これはもう防ぎようないよね。
ラッキーって思うことにしたけども。
性的に下級(やりたいけど簡単にはやれない(と思ってる、思わされてることが多い))の男は、
・あえて被害にあおうとしている奴すらいる
こういう多様性をひっくるめた上で議論しないと、反発を食うのは必至だと思うんですよ。
大分と前に書いたけど、女性の権利向上! っていうから主語間違ってるんで、(言葉難しいな)、世の半数とか大多数の人が抱えてない問題抱えてる人も暮らしやすい世の中にしましょ! って議論してったほうが、結果として早道だと思う。
今って、凄く声を上げやすい世の中で、ネットとかから切り離された地方とかは知らないけど、飲酒運転も、未成年飲酒も、一気飲みも、受動喫煙も、どんどん失くしていけてる。
女性の権利が声だけ上がって、進展が少ないのは、(これ言ったら怒る人多そう)女性同士の中でも同意取れてない問題を、あたしが女性代表です! って顔して、女性のことしか考えてない人の声が大きいからだと思う。
私自身、(過去には重度で今は幸い)軽度の精神障害抱えてて、しんどかった時には本当にしんどかったから、いや、女性のしんどいのもわかるけど、そういうの女性だけの問題で解決されてもなーって何度も思ったのですよ。
以上!
ほんで、乱文なのはわかってるけど、さすが精神障碍者の文章とか揶揄してくるやつは、ほんまに社会に必要ないやつだと思う。まあ、この時間に書いたこれが読まれることはないとは思うけど。
彼女の中では絶対的な正義が存在する。ただ、それが正当なのか、または妥当かは別だ。
私も学生時代はこれが正しいと思ったことを他人に押しつけていたりした。
成長するにつれ、世の中には頭が回るほど余裕がない人や、元々の能力や環境の差で考えが及ばない人が沢山いることを知った。
正義は独りよがりなのだ。他人に押しつけるモノでもないし、人に期待してしまううちは幼稚なのだ。
そんな経験を経て、絶対的な悪、絶対的な正義を主張する彼女らが怖くて仕方が無い。
何かを問いかけられたときに意見の相違があると悪にされてしまう。
女性と言うだけで舐められるのは本当にしんどい。ただ、あまりに男性全体を悪としていたり、
考えが違う女性を敵と見做す態度は昔の私を思い出してしまってどうもダメだ。
自分たちが絶対の被害者だと思っている場合は目も当てられない。生きていれば必ず加害者の側面はあるはずだ。
そこを無視して被害者の側面だけを全押しする様を見ると話し合いなんてできないんだろうなと思う。
本当に怖い。
私も「子どもがほしい」という感情をほぼ持たないまま、30年近くの人生を生きてきました。
根本にあるのは間違いなく家庭環境で、親は苦労して私を育ててくれたけど、道具で叩かれたり蹴られたり、外に長時間出されたり、ひどい時は下着一丁で家を追い出されたこともありました。「今すぐ窓から飛び降りて死んでこい」と言われたこともあります。生活の質に直結するから必死で勉強したけど、幼い頃やはり子どもたちを木刀で殴っていたという祖父は、そんな私の成績を外で自慢していました。
一方で、子供の学費を稼ぐためにパート先で苛められている親の姿を見て、子どもであることも親であることも、大きな苦しみであると学んでしまったことが、子どもをほしいと思わなくなった大きな原因です。小さい兄弟の面倒を見るのもそれなりにしんどかった。
今はこの親とほぼ絶縁しているけど、結婚して子どもをもつことは、私にとっては、成人してせっかく得られた自由を手放すことのように思えて、とても受け入れがたい考え方でした。私にとって、家族は幸福な経験ではありませんでした。
今は結婚しています。現時点ではDINKSですが、夫は子どもを持つことを希望しています。
あなたが挙げられていたような理由(すべてに同意します)を述べて、交際を始めて早いうちに、子どもはほしくないと伝えていました。夫は、子どもをほしいと思う感情に疑問を持たないまま人生を歩んできた人でした。私は、この関係を続けるか、子どもをほしくないという結論を出して別れるか悩んだけれど、どうしても目の前の恋人と別れるという決断を下すことができなかった。
(この人の子どもがほしいと思えないなら、愛情が足りないから別れたほうがいい、と人様には言われたり……)
結局、「いつかは子どもを持つことになるのだろうな」という半分諦観のような予感を抱えつつ、結論をだせないまま結婚しました(本来なら、きちんと結論を出してから結婚のような一大事は進めるべきです。間違いなく)。私が折れて子どもを持つことになったとしても、このひとは家庭人として子育てにともに関わり、一緒に悩んだり喜んだりしてくれるひとだという確信だけが頼りでした。
今は、「いつかは子どもを持つようになる」の具体的なタイミングも、見えてきた気がします。結婚を契機に実家と絶縁して、新しい家族を作るうちに、その延長線として子どものいる未来が視野に入ってきた感じです。実家との絶縁と新しい家族の形成を機に、自分の人生の舵を自分でとる感覚を得たり、読書や書くことを通じて自分の人生(ネガティブな記憶も含めて)を振り返ったり、家族観を見直す契機が得られたことが大きいです。とはいえ、今でも子どもを持つ持たないの間で揺れたり(「二人で十分幸せでいられるのに」)、メンタル不安定な日には泣いたり、過去の極端な日には「相手が子どもがそれだけほしいなら、子どもだけ産んで死にたい」と考えたこともありました。
育児漫画は見ないようにしています。やはりSNSはSNS、現実は現実で、両者は必ずしもイコールではないなと最近強く思います。
妊娠・出産にまつわるトラブルや支援、ありうる疾患、失職のリスク、失われる自由時間、アイデンティティの変化、そうしたものについて、よく考えたり、勉強したりするようにしています(もちろん生まれてみないとわからないことばかりで、最後は賭けですが、覚悟がないよりはましかなと……どんな決断にもリスクはあると)。
子どもを愛せるか、自分の持つ疾患の遺伝可能性等々、感じた不安は必ず夫に伝えて共有してもらいます。夫は、自分が子どもがほしいという理由について考えたことがなかったらしく、周囲の育児中の家庭に機会を見つけて聞いているらしいのですが、結局曖昧な答えしか返ってこなかったらしいです。色々話し合っていますが、たぶん生まれたらたくさんの「こんなはずじゃなかった」があると思います。
ここまで、結局「子どもを持ちたくないと思っていたけど、なんとなく子どもを持つのだろうなと予感している女の話」で、何かしらのマウントや自慢に聞こえるかもしれません。不愉快にさせたらごめんなさい。どちらかというと自分に向かって、自分の気持ちの整理のために書いてきた気がします。
あなたが子どもを産みたくない理由のすべてに共感しますし、尊重したいと思っています。この先の人生で、無理に子どもを持つ必要はありませんし、一昔前に比べたら私達は自由意志の時代に生きているわけで、どんな決断だっていいと思います。
あなたの持つ違和感や不安や憤りに対して、「子どもを持たない」という選択はひとつの大きな解決策です。
子どもを持たないひとから税金をとれみたいなことを言い放つ発想には(税制上は事実そういう側面があるわけですが)、反吐が出ます。何もしなくたって私達みんな、社会の一員じゃないですか。
ただ、子どもを持たないことに対して理解のあるパートナーを見つけることや、あなたの意見に耳を傾けてくれて、真剣な話し合いのできるパートナーを見つけること、別れ話をされるという今の相手の方とも、よく話し合うことをすすめます。別れ話をするにあたっても、できるだけ言語化して自分の考えを伝えること、相手にも自分の意見を言語化してもらうこと、などがあったほうがいいと思います(書き終わったあとで気付いたのですが、割とそういう感じでない方っぽいですね……すいません)。
で検索すれば同じような事で悩んでるひとがたくさん出てくるよ。産まない選択をした人もレスしてるから読んでみるといいかも。(産めば大丈夫派も多いから読むときはメンタルに気をつけて)
親との絶縁はともかく、結婚については子供を持つかどうかの合意が無いと無理でしょう。
増田にとっては産みたくない気持ちを変えさせられるのは嫌だろうけど、相手も子をあきらめるのは嫌なので、どちらも我慢しなくていい解決策(お別れ)を取らざるを得ないのでは…?
逆に言えば増田とお相手が結婚するということは、どっちかが我慢するということだよね。
増田の懸念のうち、幼少時の経験や痛み耐性、騒音耐性、理不尽さ耐性などに基づく部分は妥当な不安だと思う。
言葉を尽くしても「産めば変わるから結婚して産むべき」と一般論をゴリ押しするなら、相手は増田の言うことなんが聞いちゃいないのでは。目の前の人より一般論が大事な人と暮らすのは地味にしんどいと思う。
(蛇足だけど育児マンガなどで幸せよりつらさの方が圧倒的という部分は、幸せは子供の存在だけで割と常に溢れてるので、茫洋として描写しにくいからだと思うよ)
安楽死に関連する話題が出ると、はてブ界隈では安楽死を導入しろ!認めろ!多様性だ!という声はあがるけれど、実際導入されたとして、望んでいる人が受けられるものになるのかという疑問がよぎったので書いてみる。
本人がいくら望んでいようが、多くの職業人は縁もゆかりもない他人様の命を終わらせる役割は担いたくないでしょうよ。だから、安楽死を選んでも実行を許される人のハードルは相当上がるものと思われる。
そうなると、少なくとも、第三者複数が見て安楽死が妥当だと認める状況でない限りはできないはず。
第三者複数が見て妥当となると、まず回復が見込めないという主治医の意見書が大前提。そして、主治医だけの意見では決められないので複数の医療人が精査する審査会。それを通過してようやくだと考える。
安楽死を望んでいる人で、ここを通過できるのはどれぐらいの割合なんだろう。
少なくとも生きづらい、精神的にしんどいというだけでは無理だと思う。むしろ、精神疾患による訴えだと判断された場合は、精神状態の影響をうけた思考(=精神状態は治療により回復?緩和?が可能であり、それにより変更が起こりうる思考)によって訴えられたものと判断されるため、対象から除外される方が濃厚だと思う。
これに加えて親族との忌憚ない会議の上、親族関係者の承認を得たものという条件もついてくるかもしれない。
この”忌憚ない”というのが日本の文化的にできるのかも難しそう。何なら弁護士を介する必要もでてくるかもとも思う。
とりあえず、思いつきで書いてみたけど、実際どうでしょうね。
わたしはもう無理。
端的に言うと一旦仕事辞めたいです。
貧乏はすごく疲れることだと知ってる。
そんな疲れることに耐えられそうな気力と体力はないよ。
もう疲れたよ。
もともと自分一人を生かすのもやっと、な体力ない系の女だったんだ。
平日なんとかかんとか仕事して(帰ったら茫然としてた。家事はほぼやらない)、土日にひたすら休んだり家事したり、それで成り立ってた。
子ども生まれたら、仕事のあとにすごい重労働、土日はワンオペ(夫の仕事の都合)。
帳尻が5冊分くらい合わなくなったわ。
職場で周りに子育てママがいなくて、働きながら子育て、がどんなもんなのかまったく思い及んでない様子。
わたしも知らなかったからしょうがないが。何もわかってもらえなくて辛い。
連休は寝るぞ〜ゲームするぞ〜って楽しそうでいいねよかったね!!!
無理です。
人より体力が激しく劣ったわたいが、子育てによりMPとHPがゼロになった状態で、時短内で、かつわたしの低い能力で、その成果出すの、無理です。
これ以上圧をかけないで…
わたしに働きながら子ども育てるなんてできるかな、とは不安には思ったけど、なんとかなると思うじゃん。子どもすごくほしくて、自分がそこそこ働けば経済的にクリアなら産むじゃん。がんばろう!と思うじゃん。
みんな共働きでなんとかやってるからなんとかなると思うじゃん。
でもしんどーーーーーーーーっ!
仕事中によくわからんタイミングで疲れたーって思って涙だらだら出てくる。よくある。
今はマスクでよかった〜
PMSでもないのに。
「みんなそうだよ〜笑」って、ほんとなの?
ほんとにみんなこんなに辛いの??????????????????
すごいねー耐えれて。
よくこういうアドバイスに「もっと手を抜いていいんですよ!」「完璧を求めちゃだめです!」とか出てくるけど
ひくほど手抜きしてっから。
これ以上抜けないー!残念!
そんな手抜いてるならがんばれよ!って思うだろうけど、ほんとに、もとの体力が、ないんだと思う。そしてメンタルが弱いんだと思う。
自分なりにがんばってるんだけど、たぶん他の人から見たら全然がんばってないんだと思う。
ファミサポも以前に週1でやってたけどあまりしんどさの改善につながらずやめたー!そもそも今コロナー!
子どもかわいいだいすき。夫だいだいだいすき。もっと大切にしたい。負担かけてごめんほんとにしんどい、ごめんね。ほんとにごめんね。
今さら感あるけど、32歳腐女子予備軍の私がなぜ予備軍であり、なぜ32歳腐女子になる可能性が高いと思っているか、ということを書きました。実はただの愚痴かもしれない。
23歳腐女子、小5か小6くらいにインターネットを通じて目覚めたので腐女子歴10年越え。そのくせオタ友を作ったことがないドインキャ。リアルの友達は非オタ〜ライトオタが多い。腐女子の友達もいるけど、BL読むんだ〜程度の話しかしていない。
正直既に自分の子どもっぽさは感じている。世代ごとのメジャー会話みたいなものがあると思うんだけど、大学生は恋バナがメインで、もうそれについていけない。まあ恋愛しててもベラベラ喋らないタイプの人たちが多かったからまだ置いてかれるというほどじゃなかったけど、みんな話せるくらいの恋愛譚は持っていて、浮いた話が全然なかったのは私くらいだった。
これが数年経てば、結婚しようかな、結婚した、旦那が、義実家が、子どもが〜に変わっていくのは目に見えている。その時、私はもう何も言えない。何も共感できることがない。学生時代は、サークルならサークルの話をすればいいし、授業や就活といったライフイベントの話もできる。そういうものがなくなってしまうのだ。話が合わなくなるのは目に見えている。
じゃあ恋愛、結婚しろよ、という話だ。さっき浮いた話が全然なかったと書いたが、本当に全くなかったわけでもない。去年はとある人にずっと片思いをしていて、そこそこ仲良くはなったけど、いつの間にか相手に彼女ができていて失恋した。それで病んでマッチングアプリで彼氏を作ったが、1ヶ月で別れた。
週に一二度、相手の都合に合わせて会うのが本当に面倒で、なんでこの人のために私の時間を割かなきゃいけないんだろうと思ったときに、もうダメだなと思ってこちらから別れたいと告げた。キモい女だとは思われたくない一心で、少しの嘘を交えた当たり障りのない会話だけしていたら、会話がただの苦行になっていた。そもそも、好きな人でも半月に一回くらいおしゃべりできれば十分と思ってるタイプなので、本当にしんどかった。
この経験を経て、私の結婚願望はしなしなと萎んでしまった。正確に言えば、結婚願望(恋愛への憧れ)は残っているものの、それを婚活で得ることは難しいと思ってしまった。デブス貧乳顔デカ(生きてて誰からもアプローチされない時点で顔面偏差値は察して欲しい)は自分から動くしかないが、婚活という、短い時間で互いを出し合って判断する、という行いは私にとって大変難しいと予想された。マッチングアプリでこれなのだから、婚活だって相手にいい顔して自分を隠すのだろう。そして勝手に無理になって終わる。それはちょっと厳しい。かと言って腐女子です!!! よろしくお願いします!!!! というのも厳しい。腐女子の中でもあんまり大っぴらにやれないジャンルの人なので………。
だから、会社か、社会人サークルとかに入って知り合った人か、学生時代の友人と運命の再会くらいしか、次の恋愛はなさそうだという予測になった。恋多き女ではないので、次に恋した人とうまくいかなかったら、20代での結婚は無理だと思う。
腐女子以外の趣味で仲間見つければいい、というかもしれないけど、創作活動以上に楽しいものを知らない。スキーもダイビングもジョギングも、ライブも謎解きも料理も好きだけど、気の合う友人とor1人で楽しくやるから楽しいのであって、わざわざ知らない人と交流するためにやりたいとは思わない。
そんなんなので、私の将来は8割型32歳腐女子、いつまでも自分の好きなことばかりしている子どもっぽいおばさんなのだろうと、そう予測しています。見た目は取り繕えても中身の幼さは厳しいものがあるでしょう。(特に、私は人と深く関わるのを避けた結果として1人でいるので)必ずしも悪い選択ではないだろうけど、今いる友人たちと疎遠になってしまうだろうことはちょっと切ないです。
ほぼ無休でしにたいと考えても踏ん切れないでいる私にとってみうらくんの件は衝撃すぎた
みうらくんは最近の俳優の中ではすごく前向きで価値観も現代的で尚更好きだったし応援していた
私の周囲の人間は彼が悩みや何かしらのトラブルを抱え込んでいたのではと人間関係や金銭の問題等々を上げてあれこれ推理していたけれど私はそのどれも違うのではと勝手に感じている
急にふと衝動に突き動かされて襲われて彼はしんだのかなと勝手にそんなことを考えている
みうらくんは俳優だから彼の夢や目指すものは多くの俳優たちが抱くようなものなのだろうとずっと考えていた
しねない自分にはしねた彼がうらやましいしとても強いなと思う
一方で彼の幸いを願っていた想いを裏切られたような気持ちもある
でもしにたい人間を生きていてほしいと言って引き止めることは自分勝手すぎるしひどいことだ
なんでどうしようもない私が生きてて彼はしんだんだろう
焦れではない、文字通りだ。
日本で子どもがいる夫婦は今でも大抵二人以上の子どもがいる。2015年でも夫婦の再生産数は2を切っているが、1.5は切ってない。
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/gaiyou15html/NFS15G_html07.html
つまり、子どもがいるルートを選ぶと否応がなしに兄弟がいる人をたくさん見る。
二人以上の子供を体外受精なしでほしいなら27歳で妊活をはじめないといけないし、三人なら体外受精ありでも28歳だ。
https://academic.oup.com/humrep/article/30/9/2215/621769
リミットを過ぎた増田は今後運がよければ希望の人数の子供がいる生活をおくれるかもしれない...にだんだんとなっていくんだ。
希望人数を達成できないのは思った以上にしんどいぞ。他人の妊娠・出産報告、家族写真付き年賀状、兄弟で遊んでる子たちを見るたびに蝕まれるからな。
増田が体外受精に対してどう思っているかは知らんが、まず、パートナーともその方針で合意しないといけない。
日本の体外受精実施病院の先生方はARTのあるなしに差がないと言うが、ARTが自閉症リスクを増やすという調査結果もあるので何とも言えないと思う。少なくとも生まれた瞬間に見た目でわかるような障害については差がないのかもしれない。
ただ、体外受精ルートは思った以上にしんどいことは教えておく。
1回の診察に採血と注射があり、待つだけで数時間消費し、自由診療として数万円毎回消える。
体外受精実施の時は生理が終わってから排卵できるサイズに卵胞が大きくなるまで毎日病院通い。
そして、日本の体外受精成功率は諸外国と比べても悲しいほどに低い。
https://academic.oup.com/humrep/article/31/7/1588/1749683
仕事が大事という価値観は否定しない。でも、周りの家みたいな家族のサイズはもう作れなくなってきているという事実は認識しておいたほうがいいと思う。
検索でこのページに辿り着いた。
「〈ペアレント・トレーニング〉1・怒ってばかりで疲れるなら、子の行動を3つに分けてみよう」
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hattatsu/6864/
記事を読み「ペアレントトレーニングな〜。それでうまくいくんかね〜。」と思ってたら下のコメント欄が壮絶だった。
子育てを頑張っているけれど発達障害の子どもたちに振り回され疲弊し諦めてる親たちの叫びがここにあった。
自粛期間も本当にしんどそう…。(一応最新のコメントは先月なので、ちょっと書き込みが止まってる感じはするけれど)
これは…本当にどうしたらいいんだろう。
(多くの人の目に届いてほしくて、届いて色々なコメントで答えがでてほしくて、読んでもらえるかなというタイトルにしました。ごめんなさい)
〈以下追記〉
トラバで教えてもらったこのページも親たちの叫びがすごかった…。
>人間と思って育てたらゴブリンだった話で健常である自分との違い(暴力、暴言、話が通じない)に翻弄されてるのよ。
>これもお読み
三浦春馬が死んだ日、私は『完全自殺マニュアル』の封を切った。
薬物療法とそれなりの規則正しい生活とそれなりの運動によりうつの症状が軽くなり、娯楽やエンタメをそれなりに楽しめるようになっても減薬が始まってもなお希死念慮は消えない。いや消えたい。この世の中から。
私がうつになったのは自分の将来への不安と、私はいわゆる「きょうだい児」なのだが、そのきょうだいが本当に何もできない、言われなきゃ何もやらないクズで、クズというか出生ガチャでそういう脳味噌を引き当てちゃったから彼も被害者なんだけど、本当に何もできなさすぎてそれが見ていて不快だった。弟に死んでほしかった(今はそう思っていない。両親が私ではなく弟を選んだため)。将来への不安を抱えたまま家に帰るとクズみたいな弟がいで安らげない。毎日のように風呂で呪詛を唱えた。死んでほしすぎて精神を病んだ。仕事中に何かが切れる音がした。一度休職したが復職に失敗して会社をクビになった。今は傷病手当金でのほほんと暮らしている。しかしそれもそろそろ給付が終わる。
働きたくない。精神を病んでいなくても働きたくない人間はそこそこいるだろうが、私にはこのために生きようと思えるほどの何かも無い。中途半端に復職した時、合わない薬の症状で心身ともにしんどい中、趣味のイベントの発表があった。そのイベントのためになんとか頑張ろうと希望が見えたその日にクビを宣告された。目の前が真っ暗になった。数ヶ月後のイベントには参加した(※コロナ以前の話)。楽しかった。なんの悔いもなく最高の気持ちでイベントを終えることができた。でもそのイベントはもう終わった。趣味としてのそれもコロナの中でひっそりと終わりを告げるのだろう。他の趣味もそれなりに楽しんではいるが、匂わせられている続編への期待値よりも趣味そのものへの疲れの方が先行している。私には生きる理由がない。見つける気もない。
加えて元々30歳になる前に死にたいという漠然とした願望があった。私は三浦春馬と同い年だが早生まれなのでまだ(もう)29歳だ。そろそろかなあという話を今日の昼に心療内科のカウンセラーにしたばかりだった。これまでの経緯を含め希死念慮がある話はとっくにしており、「もし実際にそういう準備をした、とかあったら教えてほしい」とだいぶ前に言われたのを覚えていたので「先月から通販のカゴに入れたままの『完全自殺マニュアル』という本を先週買いました」「でもここ最近気が落ち込み気味で別の本を読んでも以前に比べて頭に入らないのもあって開封すらしていません」と伝えた。時間が来たので「もしまた読みました、とかあったら教えてくださいね」と言われたところで面会は終わった。
帰宅して昼食をとって昼寝して起きてツイッターを覗いたらフォロワーが一斉に何かを嘆いていた。調べたら三浦春馬が自殺していた。流石に驚いて声が出た。私は彼に対してなんの思い入れもないが(キンキーブーツは観てみたかった)勝手に涙が出た。と同時にあんなに煌びやかで順風満帆にも見えた彼にも彼にしか見えない地獄があったのだろうと悲しくなった。誰も寄り添うことのできない彼の苦しみが。遺書があったらしいが私はその内容を知らない。死後に希望を見い出して死を選んだのか、現世に絶望して死を選んだのか。前者なら冥福を、後者なら彼の魂がどこにも行かず霧消することを祈っている。
三浦春馬が死んだ日、私は『完全自殺マニュアル』の封を切った。クローゼットで死ぬのは夢があっていいけど、私はただでさえ弟というお荷物を抱えて生きていくことを決めた親の家を事故物件にはしたくない。でも三浦春馬だって死んじゃうんだ、私だって死ねる。
唐突にだった。
1週間、唐突に毎日繰り返されていたLINEのやりとりが止まった。
スタンプは既読がつかなくなってから、1回プレゼントしてみてて、今日プレゼントができなくなっていた。
ブロックは確定してる。
こんな風になるなんて、1ヶ月前は思ってなかった。
いつも唐突に自分の何が悪かったのか改善される機会は得られない。
だいぶ疲れてしまった。
どこまで待てば普通のレベルなのか考えるのも、どういう対応をすれば嫌われなかったのか考えるのも疲れてしまった。言いたいことは言えないまま、ブロックされてしまった。楽しんでいるんだろうな、今頃。
他の人と楽しく話をしているのかもしれないし、彼氏ができたのかもしれない。
頭がすぐに、今セックスでもしているのだろうか、また以前のように男に簡単についてしまって行っているのではないだろうか、と考えてしまう自分がいやだ。
理由はわからないけど、いらないやつだと相手に思われてしまったのが悲しい。
これまでのやりとりで、これまでのやりとりの中で築き上げてきたものをくずすようなことをしてしまったのだろう、自分が悲しい。
これからもずっと同じようなやりとりを続けろと強要したかったんじゃなくて、「今までのようにやりとりできなくなる」って伝えてくれるような配慮が欲しかった。
最後の電話と最後のLINEのやりとりが楽しいものでとてもよかった。
男に生まれていたら、こんな思いはしなくて済んだのかもしれないというようなことをたくさん今まで経験してきた。
チンコがあれば、好きになってもらえただろうか。
怖がらずに抱きしめられただろうか。好きと言えただろうか。好きと言いたかった。付き合ってほしいと言って、いろいろなことを楽しみたかった。
当たり前に好きになりたかった。
セックスでお互いに気持ちよくなる、相手を気持ちよくさせたい、そう思える関係になりたかった。
バイト帰りにかけてくれる電話を待っていた。電話に合わせる生活習慣が変わって、眠かったけど、朝起きるとおはようとLINEが入っているのが好きだった。
簡単に変わってしまうものだと分かっているのに、自分が思っていることを言うと相手はいつでも離れていってしまう。
気持ち悪いと以前言われたのがずっと心に残っていた。「こう言うことを言ったらきっとまた気持ち悪がられるだろう」と思って言えなかった。自分のことをどう思っているのかは結局聞けなかった。
この関係のままでいられないのはわかっていた。
相手に、別の人ができたり、別の仲のいい人ができるまでは自分の話してくれたらいい、ぐらいの気持ちだった。
いざ、離れられたらこうだ。
とても恋しい。とても寂しい。
でも、これで生きていかないといけない。
気持ち悪いとまた思われてしまうかもしれないけど、言いたかった。
バイト先、家に会いに行ったらもう、ストーカー扱いなんだろう。でも、男じゃないからストーカーにすら思われないか。
もう届く機会はないんだな。LINEはブロックされているから。
ソラニンの曲が好きだったと前に言っていた。
セックスをしている人たちはセックスした後でも別れたりしてるんだから、すごい、きっと自分以上に悲しいだろうな。
悲しい涙でも、不戦勝ではありませんように。
誰かと話し合いの末に流す悲しみであります様に。
ちゃんと伝えられなかったけど、大好きだった。