はてなキーワード: ちょっかいとは
別にこれといった確証みたいなのは無いけど。あぁ、でもきっと降りるってこういうことなんだろうなぁ。私は最近それをゆるゆると実感している。あ、なんだこんなに呆気ないものなんだ。と思うと同時、こんなにも好きな気持ちを引きずるものなんだ。なんて、驚きと未練。いや、この気持ちを未練と呼んだら彼にかわいそうだ。私はきっとこれからも、この先も多分神山くんのことが好きだと思う。
素敵な人を所謂担当に持てたなと思っている。今でも。最初はどっちかというと、んん、ちょっと無いなって思ってた。なんていうの、インスピレーションというよりももっと単純な所謂第一印象。最初なんて軽く重岡くんから入っていったからね。そのまま重岡担になってたらどうなってたんだろう。今の一文を書くまで考えたことがなかった。けれども可能性は十分あったと思う。昔人に話したことがあった。私が神山くんを好きになったのはわりと確率としては低いもので。ありとあらゆる平行な世界線の中でも数少ない一本だと。友達、何言ってんの?って顔してた。うん、私もそう思う。でもそうなんだ。好きになった可能性を言葉に当てはめるとこうしかない。数ある世界線のうちの、一番可能性の低いものだと。
所謂自担くんがもう一人いるんだけど、その人はきっとわりとどの世界線でも好きになってたと思う。顔が好きだし。え〜!なんで今日もこんなに顔がかわいい?!っていつもおもってる。対する神山くんの顔は、綺麗だし、かわいいなーって思うけどめちゃくちゃ好き?って問われたら。んー…って濁すと思うなぁ。あ、でも世界で二番目に好きな顔がリバーフェニックス。顔の輪郭だけならちょっと似てる?……いや、似てないか。まぁそんなこんなで私はまずこの人の顔は好きになれないなって初めて見た時思った。
思ったんだけど!!!!いやー、人生何があるか分からない。だってさ、そう思った数ヶ月後ジャニショで写真買ってシングルの予約してるんだよ。神山くんが好きだからって。好きになる前までの少クラカットしてなくて良かったって自分に感謝した。
重岡くんの昔からのシンメって知って。(オタクあるあるシンメに弱い)ダンス見て、アクロバット見て、歌聞いて。その他諸々知って。あ、この人のこと愛さなきゃなって。
楽しかったなぁ。神山担してた時。だいたい二年くらい?そんなんでこんなの書くなってツッコミ絶対あるだろうけど。これは初めて降りるという概念を肌で感じた一人の人間のメモです。好きになったらすぐおっきな舞台の仕事来て。えっ、脚本あのクドカン?!大手劇団?!座長生田斗真?!そんな中で演技するん?!夜中に見てビックリしてその後ベッドでごろごろ喜んだ。次の日寝不足だった。でも嬉しくて。その日の午後くらいにはチケット取れるか不安だったけど。ほんと〜にチケット取れるか不安だった。最初の方の抽選ことごとく落ちて。神頼みしてたのに。もう今後チケットが当たりますようにって神棚には頼まないことにした。これ見に行けないのでは??と項垂れてたらとりあえず一般取れて。やったー!って思ってたら大阪追加公演当たった。え、自分大阪公演行くの???とか思ってたら友達から急にLINEきて神ちゃんの舞台いける?って。行けるよー大丈夫!って返したら友達がチケット余らせてるんだけどって話で、行きます!ってもうすぐに言った。あの時の現在は濵田くん担の方ありがとうございます。話は前後するんだけど、神山くんを好きになったばかりの頃。ちょうどしんどいな〜って思う時期で。基本的に寝たら忘れるあぱー!みたいなタイプなんだけど、その時はまぁ今考えると病んでるみたいな感じで。家でも耳にイヤホン突っ込んで話し掛けないでみたいな雰囲気出して。後に母親から精神科連れてこうかと思ってたとか言われたりして。これ笑い話。でも神山くんも頑張ってるからと思うと自分もなんとかしようって。理想とは違う今だけどあの時自分なりになんとかしようと動いてこの生活があって。わりと人生楽しいから悔いはそこまでないよ。そうさせてくれた神山くんには頭が上がらないなぁ。いつも動画漁って、こんなに頑張ってるんだと考えると自分も。とか思っちゃうよね。で、話を戻して舞台の話なんだけど。三劇場で見れて。神山くんがどんどん成長していくのが見れて良かった〜!!いつも公演終わる毎にもう胸いっぱいで。掌痒くなるくらいに拍手してた毎回。この人のこと好きで良かったなぁとつくづく感じた。こんなにこの人のこと好きで良かったなぁと考えたの初めてだよ。
神山くんのこと好きになれて本当に良かった。ダンスが上手くて歌が上手くてアクロバットが出来て。料理も出来るし、メンバーに優しいって言われるし、挙げだしたらキリないよ。器用だから。器用貧乏みたいに言われることもあった。うるせー!!不器用より器用の方がいいだろ!!って。好きだなぁと思わせてくれることをいっぱい出来るし持ってる神山くんが好きだ。きっとこれからも好きだと思う。
でも、多分降りる、きっと。神山くんのことが好きだ。これまでもこれからも。これを読んだ誰かがそれは好きじゃないと考えればそれはそれで別に構わないけれど。でも私は声を大にして言いたい。神山くんのことが、これまでもこれからもきっと好き。
追い掛けるって言うのかな。それが出来なくなった。DVDやCDを買わなくなった。一応稼いではいる身なのでオタクとして最低限の費用は出そうと考えてオタクやってる。CDは全種類買う、Blu-rayは特典が被らない限りは初回も通常も買う。でも出来なくなった。お金が無かったわけでもないけれど。でも買わなくなった。ちゃんと見るかな。見ないなら買わない方がマシでは?と考えてしまい買わなくなった。シングルは、言ったら怒られるだろうけど音楽性がなんて言うか、買いたいなって思えなかったものが続いた。
グループは限りなく一本に近い平行線の集まりだ。自論。その線の集まりから抜け出すにはグループから抜ける他は方法が無い。個人担の人すごいなって思う。自分は絶対に自担を見る時にその後ろにいるグループも見るから。それらを全部引っくるめて飲み込んで咀嚼して。そしてようやく好きかどうか言える。グループが嫌いになったわけではない。神山くんが愛しているグループが好きだ。忘年会やろうって言って神山くんの家へ集まった。そんなグループが好きだ。でも、それだけでは私の心は追い掛けようという気持ちになれなかった。グループがやりたい方向性を肌で感じて、ようやくその人が好きでじゃあ追い掛けようとする私だから。
正月明け早々横浜アリーナに行った。westivalを見に。地元が笑えるくらいの悪天候でこれ間に合うかな?とか若干心配してたけど余裕で間に合った。ペンライトの電池忘れてたけど。(三十分前に思い出した)時間になって七人が出てきて。神山くんかわいいな〜!って思ってた。ちょうどバクステ側のアリーナだった。センターじゃないよ。バクステ側の席が好きだ。ちょうど構成が分かりやすく見えるから。おまけに横アリで言うアリーナだったので万々歳。自チケはその公演のみで、でもやっぱりまだ行きたいなって思ったら別の公演のチケット探そうって思ってた。探さなかった。
あぁ、多分もう合わないんだろうなぁ。って公演の途中から肌で感じてしまった。文句というより、不一致。それが文句だろうと誰かが言うのなら文句で良いです。私の中では不一致だけどね。彼らがやりたくてやろうとしていること。それが今の私には些か合わなかった。ううん、些かじゃないんだろうなぁ。七割くらい合わなかった。びっくりした。コンサートでこんなこと思うんだ!って。入ったことに関しては後悔ないよ。だって神山くんかわいいしかっこよかったし。でも、いつものかわいい!かっこいい!よりも盛り上がらなかった。それは好きな人が私とは合わないなと思うことをしていたからだ。何処がどういう風に。と明確に返すのは難しいけれど。兎にも角にも、少なくとも私はこういう演出や魅せ方を見たいわけではなかった。グループの否定ではない。むしろ彼らが本当にやりたいことの答えがwestivalであるのなら。それを貫き通してほしい。貫くと言っても改良を重ねて。本人達にとって、より良いものになることを祈りたい。でも私には残念ながら合ってなかった。悲しかった。腹立たしかった。どうしてそうなの?って。なんでこんなに私の感性は捻じ曲がってるの?って。自分も見たものも、どちらにも納得は出来なかった。でも私一人なんかの我儘。そもそも本人たちの耳にまず届かないであろう声。それが万が一聞こえたとして。それだけで自分たちの信念を曲げないでほしい。絶対に。自分たちがしたいことをして、そしてファンを楽しませる。それが私の中のアイドルの理想の一つであって。あの日、後ろにいたまだ若い(高校生くらいかな?)女の子たち。楽しそうだったなぁ。ドラゴンドッグ歌うって時に、え、ヤバイヤバイ!みたいな。ヤバイの連呼で内心出川哲朗になってるよ><ってちょっと笑った。パラチャーの前の映像でめちゃくちゃキャーキャー言ってて。若いなぁ、楽しそうだなぁって。すっごい大きな声出してて。でも全然辛くなさそうで。むしろ楽しそうで。あぁ、彼らにこういう女の子たちのファンがいて良かったなとつくづく感じた。そしてあまり盛り上がれなかった自分。惨めだ。
それから電車乗りながら考えて。チケットは探さないこと。それと、多分もうコンサートは行かないだろうなぁ。なんて結論が出た。自分が合わないなぁと思うものの中でアイドルをする神山くん。どんな彼も好きではあるけど、応援し続けたいかと問われたら素直に首を縦には触れない。神山くんが、それらを自分のやりたいこととするなら口出しなんて出来るわけない。むしろ頑張れって言うよ。でもそれを追い掛けることは多分出来ない。残念ながらそこまで感性が豊かでないというか。神山くんをひたすら純粋に素敵と思う前に色んな邪念を持つだろうから。色々なものも買わなくなったし、ここら辺が潮時なんだろうなと。ぼんやり。帰り道、だんだんと地元に近付く景色を見ながら考えていた。
でもやっぱり神山くんのことは好きだ。彼の何がすごいかって、見る度に好きだなぁと思わせてくれる所。すごくない?見る度に私この人のこと好き!好きで良かった!と思えてしまうの。そんなアイドル、きっとなかなかいないよ。みんな心の何処かで大好きな人に対して多かれ少なかれ受け入れない部分がある。そりゃあ神山くんにそれが無いとは言い切れないけど。でも姿を見て、歌ったり踊ったりする姿を見ると好き!って感じてしまうのだ。好きって気持ちはサイコー。サイコーだけど、でももう応援することはしない。私が理想のしない神山くんの理想の中でアイドルとして彼は生きていくから。残念ながら私はその齟齬を飲み込めるほど心が広くない。もうファンでなくなってしまうなと同時に考えた。
それからちょっと楽になった。もう追い掛けないと決めたら、その前まで番組を見逃したりしてファンとしてどうなのと思ってたけどそれが無くなって。気持ちが軽くなった気がする。CDやDVDを買わない後ろめたさから解放された気がした。見たい時に見て、見たくない時は見ない。それだけでかなり楽になった。ちなみに今まで買ったものはまだ売りません。無意識のうちに楽じゃない好きを持ち続けないといけないって考えていたことに気付く。でも今は楽だ。もう降りるから。
ここまでつらつら書いたけど。もー文章支離滅裂でびっくり。担降りブログ書く人、よくもまぁあんな端的に且つおもしろく書けるよね。ジャニオタは文豪。一理ある。とりあえずは九月の舞台を見て。ちょうど九月がFCの更新時期だから。このまま更新せずに。そうしていずれメールが来なくなることを思い描いている。でも舞台には行く。一回くらい行きたいって思った。好きだから。最初に肉眼で神山くんを見たいのが舞台だから。それで舞台は見たいと思ったんだろうなぁ。チケットは本当にドンのケツって感じの一番後ろの一番値段が優しい席。そこで好き!とはなる。きっと。けれど、じゃあまた追い掛けよう!とはならない。気がする。どうなるか分からないけどね。でもとりあえずは舞台見て。神山くん好きだなぁとしみじみ思いながら降りる。でも好きだよ。これまでもこれからも。
神山くん担してて楽しかった。ラキセはギリギリ行けなくて。次のなうぇすと入ったらドラマと被って髪が黒かった。もしかしなくとも黒髪の神山くんを肉眼で見れてしまう?案の定そうで。本人は黒は子供っぽく見られるからと言うけど、私は黒も大好きだよ。茶色も、金も、たっくさん他の色も。そう、なうぇすとでさ、トランペット吹いてたじゃん。一応音楽齧ってて、そんな自分の耳で聞いた神山くんのトランペットの音はもうとびきり柔らかくて優しくて。ちょっと荒削りなところがあって。こんな優しい音を出せる人が好きなんだ。そう考えると誇らしかった。自担すごいでしょ、って。あと先陣切って花道歩いてたのもかっこよかったなぁ。あとタオル落とした人に対して落としたタオル拾って、汗拭ってから返してた。返された人、崩れ落ちて。あと頭にリボン付けてたのもかわいかった。ええやんけェ!だ。私が珍しく振り付け覚えたやつ。あと、あと、そう。七人で並んだ時ね、重岡くんと神山くんが隣で。前の曲の余韻でちょっかい出す重岡くんを神山くんが柔らかく笑いながら、ちょんっと押し飛ばしたの。それがもう二人の世界で。見ちゃったな、なんて気分になって。それと同時に胸がきゅうっとして、見れてしまったことが幸せだった。神山くんを好きになるきっかけ(?)である重岡くん。神山くんに対して普段ちょっと遠慮がち(?)なのに。ああいう時には二人だけの世界になっちゃってさ。見てて幸せだったよ、ありがとう。
あとドラマ。日曜日、楽しみだった。同じクールで他に好きな人もドラマ出てて。今年の冬終わらないでって三月に入ってからずっと願ってた。こぐちゃんかわいかったよ。特別目立つわけではないかもしれない。でもちゃんと存在感があって。この子はどんなキャラクターなんだろ?って視聴者に印象付けするのが得意な人だなと思った。全話通してかわいかった。だから偉い人お願い、円盤出して。今からでも遅くないよ。それは買うから。ここで言わずに手紙書こうね自分。
他にも色々と書きたいことあるだろうけど。とりあえずは浮かばないからここまで。これまでもこれからも、きっと神山くんのことが好き。そうでいたいな。そしてこれは単なる我儘だけど、見るたびに好きと思える神山くんがずっと続きますように。
あと遅くなったけど誕生日おめでとう!
2017.7.15
注)決してファーストガンダムを実写化するとは発表されてないが、ファーストの前提で書いてます。尺は2時間想定。
金髪でひょろっとして眼鏡かけてる感じ。クラスのジャイアンみたいな奴によく絡まれてる。
機械類には詳しい。
ひょんなことからガンダムが保管されている格納庫に迷い込んで乗ってみたら動かせてしまった。
親父は映画キャストの都合で登場しないし決して設計者でもない。ガンダムは軍が作った。
ガンダム乗った勢いでザク2体は倒す。ここは割と原作準拠。でも倒した後から天才扱いされるようになる。
そのまま戦争に巻き込まれ、軍の一員になる。連邦軍?違うよ、アメリカ軍だよ。ノーマルスーツ着たアメリカ軍だよ。
ランバ・ラルは時間の都合でカットされ、黒い三連星との戦闘。なぜかノリが山賊。でも一度踏んでから纏めて倒す。
この辺からメガネがなくなってイケメンヒーロー化する。セイラさんと仲良くなる。フラウ?マチルダさん?居ません。
セイラさんと盛り上がってきたところで寸止めのジオン軍決戦の呼び出し。さあみんなア・バオア・クーへGo。
生きて返ってくるとセイラさんと約束していざ戦場へ。ジオングに乗り込んだシャアと対峙。
いきなりのサイコミュ兵器に苦戦。エルメスは設定だけの存在。実在はしません。
しかしいくら被弾しても左腕以外壊れないガンダム。ラストシューティングやるんだから当たり前。
終盤ガンダムは頭を破損、ジオングは頭のみ。さあ最後のラストシューティング。
原作と違うだって?降りちゃったら盛り下がるだろ?これだから日本人は。
お互い大破した機体から降りて銃撃戦開始。激しい戦闘の末シャアを銃殺。ええ銃殺です。
敵を生かしておいたら気持ち悪いでしょ?続編やる場合?作る時に考える。
生還したアムロはセイラさんと熱い抱擁。実の兄でもなんでもない敵を倒して平和になったからハッピーエンド。
ホワイトベース艦長。艦隊戦で色々指揮してたりする。全体的には影薄め。年季入った渋さがあってもきっと気のせい。
親父にもぶたれたことないのに、なんて言われません。ぶたないから。
主人公差し置いてミライさんと絡むこともないので、単なる脇役。
アムロが軍入りした時すでに軍人やってる何かノリの軽いムードメーカー。軽口叩けど憎めない奴。
なんかエディー・マーフィーっぽい。
アムロが軍入りした時すでに軍人やってる真面目なアジア人。ガンタンク乗り。
搭乗機体には手も足もないのでそれが操縦に生かされることはない。
本作ヒロイン担当。本名セイラ・マス。通信オペレーター担当。金髪白人美人。アムロの恋愛パート担当。
ツンとした女性らしさから、少し男っぽいキャリアウーマン的な性格に変えられる。
だってあんな演技できる女優が居ないから。それにこっちの方がウケるでしょ?
家族構成は明らかではないが、生き別れた兄が居ることはないし、ましてや敵軍に居ることもない。
MSや戦闘機に乗れるかもしれないが作中描写されることはない。
MS隊隊長。ガンタンク乗り。原作と異なり最終戦まで生き残る。死亡描写してる時間ないから。
原作では居ないはずのところで生きているのでブライトに輪をかけて影が薄い。
ちょっと恰幅の良い黒人女性操舵士。操舵経験豊富なベテラン軍人。名家の令嬢なのかは明らかでない。
ホワイトベース隊の中でも割と頼れて安心感ある感じになる。彼女の操舵に不安などない。
丸ごとカット。
ジオン軍軍人。アムロのライバル役。衣装は赤いが乗機は赤くないジオングのみ。
だって1回しか戦闘しないんだもの。出力3倍もわかりづらいから無慈悲にカット。
家族構成は不明だが、ダイクン家出身だったり生き別れた妹が居たりという話は特にない。
アズナブル家の御曹司に成りすましているわけでもない。普通に優秀な軍人。
映画のクライマックスを盛り上げるためにアムロに撃たれて死ぬ。敵役の鑑。
続編のクワトロさんは別人物だったり、逆襲の頃には「実は生きていた」扱いをするかもしれないが
今は特に何も考えない。ウケれば良いのだ。
丸ごとカット。
ジオン軍総帥。見た目以外は割と原作っぽい。崇高な志はあんまりなく世界征服したい悪の帝国の皇帝感がある。
ジオン軍参謀。人相は悪いが裏切りは考えてないし、ましてやギレンを謀殺したりしない。
シャアとは割と絡みがあるが、原作のような策謀は特になく、ストレートに上司と部下の関係。
ただの敵方女性枠。ギレンと一緒に旗艦大破に巻き込まれて死亡。
なにそれおいしいの?
【報告者がキチ】「彼氏がいるって知ってて、飲み会で記憶をなくす私にいつもちょっかいを出してくるのはなぜなんですか?」にちゃん民「」←だよねえ…
http://kijonikki.net/archives/25948233.html
世間知らずなだけの大学生に、スレもコメ欄も言いたい放題のバッシングの嵐。擁護などない。
ここからわかることは、酒に酔ってセクハラや性犯罪に遭う女はアバズレ、彼氏や夫がいた場合は女は浮気した加害者、というのがこの日本社会の世間の認識らしい。
いくら合意がないとレイプだ!被害者悪くない!と叫んでも実態はこれ。諦めろ諦めろ。
しかも女がこの考えを率先して支持している。諦めろ。変えるのは無理だ。
【報告者がキチ】「彼氏がいるって知ってて、飲み会で記憶をなくす私にいつもちょっかいを出してくるのはなぜなんですか?」にちゃん民「」←だよねえ…
http://kijonikki.net/archives/25948233.html
世間知らずなだけの大学生に、スレもコメ欄も言いたい放題のバッシングの嵐。擁護などない。
ここからわかることは、酒に酔ってセクハラや性犯罪に遭う女はアバズレ、彼氏や夫がいた場合は女は浮気した加害者、というのがこの日本社会の世間の認識らしい。
いくら合意がないとレイプだ!被害者悪くない!と叫んでも実態はこれ。諦めろ諦めろ。
しかも女がこの考えを率先して支持している。諦めろ。変えるのは無理だ。
俺は今大学院生だ。就職先も決まり、来年からは会社でせかせか働くことになっている。
俺はあまり集中力が長続きする方ではなく、研究室では集中力が途切れるたびに散歩にでる。隣の居室にいる先輩にちょっかいを出しに行ったり、建物の一個上の階などをわけもなくうろついたりする。今日なんかは天気が良かったので大学の外まで足を伸ばした。
別に散歩をすることで集中力が戻るわけではないのだけど、とても気分がいいから俺は研究中に散歩をすることが大好きだ。
就職をして会社に入ったら、こうやって気軽に散歩ができる生活ともオサバラなのだろうか。そう考えると「今のうちにもっと散歩しなくては」という気分になり俺は居室から出た。
カラケー(唐澤貴洋をネタにした掲示板)等で荒らしを行っているへきへきこと高橋嘉之という人物を知っている人もいると思います。
https://sonshi.xyz/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%98%89%E4%B9%8B
■高橋嘉之とは■
元々は受験情報コミュニティ「インターエデュ」で自身の会社のステマ行為や差別発言など悪事を働き、2chの一部でも注目されていた荒らしだった。2014年4月17日、削除要請板にスレッドを立て、自身が経営する会社に関するスレッドを削除するよう要請する[12]とともに、「太閤」というコテハンを付け、刑事事件にして徹底的に叩きつぶすなどと煽る書き込みを続けた。これを、当時批判要望路線の延長で削除要請板にておもちゃを探していた恒心教徒が見つけ、面白がりちょっかいをかけると、さらに激昂し無事おもちゃ化。同時に、教徒が唐澤貴洋という弁護士に依頼すればいいと誘導すると、4月25日付のブログで唐澤貴洋に依頼したことを明かす[13]。
しかしこの時はJim体制で開示がサイレント式に移行していたため真偽のほどが分からず、その後しばらく教徒の間でこの話題が挙がることはなかったが、およそ1年後の2015年4月23日、高橋が原告とみられる唐澤貴洋が訴訟代理人のプロバイダに対する開示請求裁判の判例が開示[14]され、実際に依頼していたことが判明。高橋は、うしじまいい肉、重光由美に続いて、教徒が唐澤貴洋に依頼するよう誘導した三人目の成功例となった。
その後再びフェードアウトしていったが、2015年9月に当記事に対する白紙化荒らしを敢行。以降当記事が保護されるまでの1年近くに渡って荒らしを続け話題になった。その直後の2016年8月末には、サヒケーに立てられた高橋に関する専スレに本人が降臨し、スレを荒らし始める。これにより高橋に対する注目が集まり、「へきへき」(辟易の誤字または誤読)などの語録やネタが発掘され、再びおもちゃとしての地位を獲得した。その後も高橋は荒らしを続け、留まることを知らない進化を見せている。
このように尊師の依頼人という重要な立場でありながら積極的に教徒と関わり、3年以上もの長きに渡って愛され続けている高橋だが、一方でその精神状態に明らかな変化が表れていることも注目されている。削除要請板での初遭遇時には単なる誇大妄想癖があるだけだったのが、次第に自身に対する大きな陰謀を主張するようになり、特にwiki荒らし期前後には「島田真樹」なる人物を首魁と位置づけるようになり、以降削除や規制などの行為を全て島田による自作自演だと妄想し始め、文章が次第に破綻していく一方猛虎弁や恒心語録を中途半端な形で取り込み、もはや常人には解読不能な奇怪な文章を創り出してはコピペ連投を行う異常な精神状態となってしまった。
立場的には包皮民に近いが、以上のような状態であることから現在では甘芋の一種と位置付けられており、時系列を追うごとに目に見えて精神が破綻していく様子は教徒を戦慄させている。
とのこと。
さてこの高橋嘉之、なんとF9こと鋼兵と手を組んだそうなのです。
理由は不明ですがメール上でやりとりをしたとの趣旨がF9のブログに書かれています。
http://blog.livedoor.jp/f9_5ch_net/archives/9794410.html
その影響か唐澤wikiの高橋嘉之のページは甚大な荒らし被害を被ることになり、現在は記事が保護(管理人以外編集できない状態)されています。
原田マハさんの「生きるぼくら」を読み始めた。主人公は、高校でいじめられて中退して引きこもりになった24歳。
その、いじめの話を読んでいると、自分が中学時代に受けていたいじめを思い出して、気分が沈んで黒い気持ちになってきたので書き出してみることにした。
読んでも教訓はないし、得るものもないことだけ注記しておく。
自分は、地方の市街地にある公立中学校に通っていた。そこで、クラスメイト2人からいじめられたのだった。
1人は、近所の、小学校からの遊び友達で、粗野な面もありつつ話も発想もおもしろく、遊びを発明したりとクラスの中心人物。もてていたと思う。スポーツ推薦で私立高校に進んだけれど怪我をして中退した。高校以降は部活の試合などで数回しか会っていない。
ペーパーテストはできなかったけれど、いまでも、頭のよさや自信を尊敬している。中学校ではいっしょに登校していて、登校中にお菓子をわけてくれるのが楽しみだった。
もう1人は、サッカー部の肩幅の大きい人間。愛嬌があっておもしろい人間だった。いじめ問題が解決した1年くらい後の出来事ではあるけれど、一番印象に残っているのは、家庭科の性教育の班発表で避妊についてコンドームの実物をくばったりしたこと。そのときに彼が言っていた、コンドームは失敗する可能性も少なくないから、コンドームをつかってかつ外で射精することが重要、と言っていた教えはいまでも記憶にある。
彼らからは、直接打撃的ないじめを受けたわけではない。恐喝されたわけでもない。言葉ではなにか言われたかもしれないけれど、人格を否定するほどではなかった気もする。「生きるぼくら」で主人公が受けていた体に見えないところに暴行されたり、母の弁当をぶちまけられたりというほどではない。
一番、くやしかったのは、羽交い絞めにされて学ランのズボンに、黒板消しをなすりつけられたこと、何度かあった気がする。柔道技をかけられて、力の差でなにもできなかったこともある。ほかのことはあまり記憶が明瞭ではない。
悔しさか悲しさか情けなさかで泣いていたのを覚えている。殺意めいたものも感じていたと思う。
いじめ自体は、親や先生が動いて、わりとすぐに収束した。今思うと、相手の家に乗り込んだ父はほんとすごかったし、母には心配をかけたし、先生も相手と1対1で話し合いをしてくれてちゃんとしていた。
いじめがあったことがどう親や先生に伝わったかは、そのころまったく気にできなかった。自分が30歳近くになったころ、母が地元の印鑑屋さんで自分の実印をつくってくれたのだけれど、そこの印鑑屋の息子が自分の同級生で、先生にいじめが起きていることを伝えてくれたということを聞いた。そのころは自分の殻に閉じこもっていたのか、彼の名前や顔も思い出せなくて、申し訳なく思っている。ほんとうに感謝しています。地元に住むことはなさそうだけれど友だちになりたい。
いま、冷静に考えると、いじめ自体もなよなよしていて腹立たしい自分に対するちょっかいがエスカレートしたもので悪意はなく(だからこそいじめはやっかいではある)、自分に人格が確立されていれば言葉で跳ね返せた、とは思うのだけれど、難しい。積極的に近寄りたいとは思わないけれど、恨んではいないし、いまならあの頃はいろいろあったね、と話ができる気もする。たぶんだけれど、2人とも、このあとはいじめを止める側に回っている気がする。
そして、冒頭で黒い気持ちになったというのは、いじめられたことそのものではなく、いまもサッカー部の彼に対して抱いてしまう暴力の衝動。
太ももにシャープペンを突き刺して、二度とサッカーできないようにするところを想像したり。事故とみせかけて階段でもたれこんで突き落とすのを考えてしまったりしてしまう。いじめられた当時から同じことを考えていたのか、そのあと繰り返し想像して強くなっているのかは混同してわからないけれど、10年たった今でも、いじめを想起するたびにこれらの暴力的な衝動をイメージしてしまう。そして、そうすることで心を慰めてしまっている自分を発見して暗い気分になる。いつか克服できるだろうか。
でも、もうすこしいじめが続いていたら、そういう想像を実現させていたと思う。そして、相手も自分も破滅していただろう。
行動に移すまえに、いじめを止めてくれた親や先生、名前も忘れた友人に感謝している。いじめた相手には複雑な気持ちを持っているけれど、どこかで幸せに生活していてほしい。自分はこれからもその衝動を抱いて生きるだろうけれど、行動には移さないと思う。
>低能先生はAはBだよねに対してAがBとはかぎらないだろ、なぜならこうだからだぞ、低能など割とまともに返してくるのにこっちではAはBだとおまえは思わないのかに対してみんなに聞け「おまえの基準ではな」と主張も理由もないお返事しか来ない
そうだね。もちろん意図的にやってるけど。
なぜそうなるかと言うと、自分で答え書いちゃってる。「AはBだよね」じゃなくて「AはBだとおまえは思わないのか」って聞き方をしてくるから。
tさんは「あなたの価値判断」を「私に同意を求める」ように質問をしてるんだよ。なんだ自覚有るんじゃん。
そんなんこちらとしては、最初からtさんの結論が固まっててそっちに誘導しようという意図が透けて見えすぎてるから、相手にしないよって対処するに決まってるわけでね。
なんかその意図がバレてないと思ってしつこく同じこと言って自分が望む言葉を言わせよう言わせようと絡んでくるのが見ててアホらしかったです。
ある意味低能先生は優しいというかとても素直というか優しい人なんでしょう。でも私は悪意があるやつにまで親切にはできない。
必死にこっちから言質取ろうとしてるのがミエミエの人に真面目に付き合うわけ無い。
だから私序盤からあなたに対しては不誠実に接するよって言ってたのに……何のことを言われてるのか全然わかってなかったんですね。
というか、このつぶやきでほぼ確信したけどtさんは普段増田に生息してる人よね。
やたら唐突に「誠実」って言葉にこだわってた当たりからしても、今までも私にちょっかい出してた増田の可能性すらある。
途中から自己完結激しいなと思って無視してたけど陸に上がってきたのかな。
もちろん追求してもしらばっくれるだけだし対して興味ないからそれはいいや。
結局最後までブログやる勇気が出なかったみたいだから、また増田に潜って文句かくんでしょ。
というか、増田でやってるのに、一度も目立ってはてブを取れず、自分がやってもはてブでお気に入られをもらえないというのは尋常じゃない。
本人はさぞ自分が賢いと思ってるのだろうけど実際は周りと感覚がずれてて周りから変なやつ扱いされてるってことを理解したほうがいいよ。
好きなキャラはだいたい攻め、左に置いてしまうのだが、基本的にはどのキャラも攻めだと思っている節がある。
攻めか受けかだけを問われればこの世の全てのキャラはひとまず攻めだと思っているため、カップリングを組む場合は攻め×攻めになる。
なので男女カプだろうがBLカプだろうがGLカプだろうが性別不明のキャラが絡むカプだろうが、二人のうちより攻め度が高い方を攻めにする傾向がある。
私の中では受けという存在がいくらか希薄なので、このキャラは受け!といったキャラは特におらず、攻めヒエラルキーの様なものはあるのだが
その最下層に位置しているキャラでも、私の中ではどこまで「攻め」なのでひとまずは受けではなく攻めなのだ。
いざ自分の好きなカップリングやジャンルや作品を問わずに自分の中で一番攻め度が高いと思うキャラクター、攻めヒエラルキーの上位層を選出した際に
私が攻め度が高いと思っているキャラにいくつかの共通点がある事に気づいたのはここ数年だ。
基本的には常識人で黒髪、多少の紳士要素を持ったのキャラを好きになりやすいのだが、それはあくまでも好きになる際の要素や好みのタイプの話であり、
私が攻め度を測る際に大きな寄り代としているのは、そのキャラが性格的に、あるいは作中での行動や言動、描写的にどれだけ生きづらそうかという部分だ。
または幸せになろうとしない、幸せになりにくそう、幸せになるのが下手くそそう、などと言い換えても良い。
自分を大事にしないキャラ、頭はいいし何事も器用にこなせる癖に性格が不器用で誤解されるキャラ、常に劣等感や羨望に悩まされるキャラ、
誰かを愛するのに躊躇してしまうキャラ、己が幸せを得てしまうのが耐えられないキャラ、等がそれが当てはまる。
ここからは性癖の話になるのだが、私はそういう生き辛そうなキャラクターが幸せになろうと足掻くのを見たり読んだりするのが大好きだ。
一人で放っておいたら永遠に幸せになろうとしないキャラ、むしろ幸せとは逆へ突き進むキャラが誰かと出会い何かをきっかけにして
幸せになりたい、その誰かを愛したい、その誰かに愛されたい、と思ってしまう瞬間を何度でも読みたい。
基本的にはハピエン厨でハピエンが大好きなところがこの嗜好の原因だと思う。
幸せになるのが難しいキャラが、幸せになろうともしないキャラが、自滅や不幸へと突き進む事でしか生きられないキャラが、
自分で「幸せになりたい」という感情を少しでも抱いてしまい、そこから彼らが自ら幸せになろうと足掻くのを見たり読んだりするのがとにかく好きだ。
最終的に幸せになってくれればいいので、幸せになろうと足掻く最中で出会う試練やイベントの内容に関してはそこまで大きく重視していない。
ギャグや実は両片思いでした的エンドでちょくちょくある相手に告白したら相手も「マ?私も好き!」みたいな2コマで終わるような感じでもいい。
大事なのは彼、彼女または彼ら彼女らが幸せになる事、ハピエンを迎えることである。
彼が、あるいは彼女が幸せになりたい!と自覚して幸せになろうとしてハピエンを迎えてくれれば別に攻めじゃなくて受けでもいいのではなかろうか?と自問した事もあるのだが、
私の中ではどうやら攻め=最初に愛する方、愛してしまう方 受け=最初に愛される方、愛されてしまう方 という認識があるらしく、私は私でまずそのキャラに誰かを自らの意思で「愛したい」と思い愛して欲しい
という嗜好があるので攻め(=最初に愛する方)に置いてしまう。最終的には攻めと受けは相思相愛になり愛し愛されになるので攻めも受けも「愛し、愛される方」となるが、
発端が受け側からの片思いであろうとも、最初に手を出すのは、好意や好きという感情が愛に変わるのは、性的にハメる方になるのは生き辛さを抱えている、幸せになろうとはしないキャラの方が私の性癖に響く。
だんだんとめちゃくちゃな事を言っている様な気にもなってきたが、私の感情にはまとまりがついてきたのでこのままタイピングを進めようと思う。
上記で述べた「生き辛そう、幸せになろうとしなさそうなキャラ」が一方的に愛されてパコられて雌堕ち快楽堕ちからダブルピース決めて「幸せ…♥」みたいな感じの
エンディングを迎えるタイプのものはひどく苦手である。個人的にはリョナや虐待と等しい行為と捉えてしまうためギャーッッ!!となってしまう。多分私はそのキャラが無理やりお薬や雌堕ち快楽堕ちで「し、しあわせでちゅ…♥」みたいなハピエン(?)の迎え方が苦手なんだと思う。な、なんて事をギャーッ!!!という心情になる。もはやこれがハピエンなのかメリバなのかバッドエンドなのかはイマイチ判別がつきづらいが、そのキャラがようやく得た幸せがそういう類のそれであるのに耐えられないのだと思う。(あくまで個人の性癖や嗜好として苦手、というだけで、否定する意図はないので好きな人は好きな人で楽しんで欲しい)
あとは生き辛そうなキャラがひたすらに愛されるのを見ていると時折「お前が愛するんだよッッッ!!!!!!」みたいな感情が湧くのでそういうキャラには誰かに愛されるのではなくとにかく誰かをまず愛してから愛されて欲しいのだと思う。
あとは色々な意味で「ずるい」かどうかも攻め度を測る際に重要になる要素の一つだ。
颯爽と現れて颯爽とヒロインやヒーローを助けて颯爽とキザな言葉と共に去って行くキャラ、
主人公に意地の悪いちょっかいや、少し性格の悪いいたずらを仕掛けるお姉さんお兄さんキャラ、
相手の優しさや良心に付け込んで相手が断れないと知っていながら相手に私を僕を愛してくれと請うキャラ、
この辺りはあまりにも個人的な「ずるい」判定ゾーンが幅広く「ヤバい」的な意味の広さを持ちつつある事に
気づいたのでこの辺にしておこうと思う。
長くなったが感情と嗜好の整理はある程度ついたのでこれで終わる。
ムスリムの女性に馴れ馴れしくするのは信仰上よろしくないので他宗教の女にちょっかい出す
日本人男性がイスラム圏に行く場合、見知らぬ現地女性に話しかけることは紳士的な振る舞いとは言えない
道を尋ねる時などは、なるべく同性に聞こう
「どこからそんな情報が? 寄付そのものを募ったことすら一度たりとてありませんよ。金銭が少しでも絡むと悪目立ちしてイメージを損ないやすいですから、そういうのは特に気をつけているんです」
俺から見れば、さっきの布教活動自体も悪目立ちしているように見えるんだけど。
それとも俺が知らないだけで、裏ではこっそりやってたりするんだろうか。
宗教なんてのは布団と一緒で、叩けば埃が出てくると相場が決まっている。
「ハイク町? 何かの間違いではないのですか?」
ちょっかいをかけられることに慣れていたので、教祖はそれをイタズラの報告ではないかと指摘した。
「連絡が一つや二つ、特定の人物から来るようなら我々もマトモに取り合う気はなかったんですが……それが多数の人たちから、いくつも来ていましてね」
だけど、自治体だってそういったイタズラには慣れていたから、いつもなら建前上の対応をするだろう。
つまり、わざわざ詰問するってことは、それなりの理由があるってことだ。
「自分たちはハイク町に赴いて、実際にその様子を目撃しているんです」
「なんですって!?」
おっとお、これは決定的だ。
一つの宗教が崩壊する瞬間を目撃するなんて、今日は最高の野次馬日和だな。
「待ってください! 私は本当に身に覚えが……では、その頃の時間を言ってください」
話が進展していくにつれて、事態は俺が思っていたよりも複雑なことが分かった。
教祖はその時間帯、ハイク町ではなく、別の街で布教活動をしていたことが目撃者の証言で判明。
自治体の組員は最初、その目撃者が実は信者で、口裏を合わせているのかもと疑った。
だけど生活教の信者は、教祖が不利になるようなことしか言わず、しかも内容は明らかにデタラメだと分かるものだった。
つまり、ハイク町で商売紛いのことをしていたのは別人ということだ。
だけど、これで教祖への疑いが晴れたわけじゃなかった。
なにせハイク町で布教活動をしていた人物は、“生活教”を掲げていたからだ。
それに、もし本当に教祖自身が与り知らなかったとしても、同じ宗教の人間による行動であるとすれば、当然その責任は発生する。
教祖は自分の名誉と、生活教の名誉を懸けて、“自浄”の必要に迫られていた。
「疑わしきは罰せず」なんてのは司法国家の話であって、こういう事柄は疑いをかけられた側が晴らすしかない。
自分のせいでサイフから小銭がこぼれ落ちたわけじゃないとしても、落ちた小銭は持ち主が拾うしかないんだ。