はてなキーワード: ちょっかいとは
よく女の人が、道端で知らない男性にちょっかい出された恐怖体験談をシェアしてたりするけど、
そういう記事には大抵「あるあるですね!私も…」みたいなコメントが付いてたりするけど、
私は生まれてこの方そういうこと何もされた事がないので少し劣等感を覚える。
いや何もされない方が幸せなんだろうとは思うけど。ナンパもされたことないしキャッチにすらほぼ声かけられない。
一応、港区に通勤する地味で小柄な20代女性のはずなんだけど。
彼氏もいるし顔もそんなにめちゃくちゃ悪いとは思わないんだけどな。
もしくは中途半端過ぎて、暴漢にとって面白みがないのかも知れない。
知り合いはいっぱいいるけど、特に誰も私に連絡を寄越したりしない。
自分は誰にとっても(暴漢にとっても)取るに足らない魅力のない人間なんだろうなと思って、落ち込む必要なんてないのに少しだけ落ち込んでしまう。
(追記)
なるほどなー
高校教師なんかがあるから教師と生徒って昔からもっとタブーだったのかと思ってたけどそうでもなかったのね
まもちゃんもうさぎちゃんの中学にスポーツカーで迎えに来てたよね
冷静に考えると色々おかしいけど少女側からの憧れがあるからアリなのかなーなんて思ってたわ 思ってたの当時なのであれも今初めて読む人には違和感あるのか
昔の漫画って大人の男が女の子にちょっかいかけると本人または第三者からのやや過剰表現での鉄拳制裁みたいなお約束もあったと思うんだけど、あれはいつごろなんだろう?
馬鹿がびっくりするほど多かった。
地方の元炭鉱町ということもあってか、基本的に知的水準が低かった。
そもそも授業が妙だった。
8歳の頃はひたすらエジプトの歴史と文化を習っていた記憶がある。
その時ですら「なんでエジプトなんだ。もっと他に順を追って習うことあるだろ。自国の歴史とか。」と思ってたけどひたすらエジプトだった。未だに謎だ。
算数は進捗別に何班かに分かれて、プリントが配られてそれを解くという方式。
どれも簡単なのだけれど山程問題があるので時間内ですべて解きることのはできなかった。
クラスの4分の1くらいが所属する一番下の班はもちろんまだ四則演算だ。
パソコンの授業もあったが、授業というよりパソコンに触れることがメインだった。具体的にはゲーム。
原始的なエアシュミレーターと、文字入力で進めるアドベンチャーゲーム。一台しかないので時間制限あり。
生物の授業はビデオを見て感想を書く。内容は面白いのだけれど、難しい英単語が多くて理解に苦労した。
自分は英語の勉強を一切させられずに地元の学校に放り込まれたのでコミュニケーションには難儀した。
言葉が通じないので、異邦人へのちょっかいには暴力で返す。泣くまで蹴る。親が何度か呼び出された。
それでも最終的には友達が何人もできた。英語は大して上達しなかったけれど。
あの年代の男子はみなフットボールの上手い下手でカーストが組まれていた。
フットボールの上手なやつは上位カーストで、それ以外の価値はあんまりなかった。
女の子も馬鹿だった。学力的には男よりも馬鹿だった。ときどきパンツを見せて見た男子をからかっていた。
その割に実際のエロいことには奥手で、実際女子に対してパンツを覗くなどのエロ行為を働くと友達から英雄視された。
キリスト教的な性に対する教育が家庭で行われていたのかもしれない。
教会の息子も友達にいたけれど、平均よりも少し頭が良いくらいで、まあ馬鹿だった。
「僕は大人なったら父のあとを継ぐよ」と言っていたけれど、あの程度でなんとかなるものなのだろうか。
中国人の子供の一人は算数がずば抜けてできるらしく、飛び級していた。それを全校生徒の前で褒められていた。
気のいいやつもいたけれど、話をすると周りからシカト対象になるのでほどほどにしていた。
性格の穏やかなユダヤ教徒とやつと仲良くして、他の生徒との橋渡しをしたら先生にえらく褒められた。
当時は宗教的な価値観がわからなかったので「あいつはジュー(ジュイッシュ)だからやめとけ」という友達の言葉の意味がわからなかった。
まあ言った本人も何がダメなのかわかってなかったと思う。聞いても回答がなかったから。たぶん親から何か言われたんだろう。
家も裕福だったし、あの調子ならたぶんフットボール選手になっただろうと思って検索してみたらチーム所属中に性的スキャンダルを起こしていた。
彼らは今や30代半ば。
平安神宮。
中央確定だし、この日の方が町屋さんがよく見えると思ってましたが、22日の方が(雨のおかげもあって)近かったです。
その分、冷静に見ることもできました。
音は、イナズマよりも平安神宮の方が圧倒的に良かったです。チューニングかな。。。?
噂には聞いていたけど、初めて町屋さんが生で2本ギター持ってるのを見る。両方引き分けてて、すごい、、、
後ろを向いている二人ばっかり見てました。(ゆうこさんごめんなさい(涙
亜沙さん、時々ぐらぐらしててなんだか可愛かったです(笑
亜沙さんとゆうこさんの相合傘とハモリ好き~~~。この曲は亜沙推しです(笑
三味線の人と、少しおちゃらけながら弾く町屋さんがかわいい、、、
☆知恵の果実
町屋さんと亜沙さんが二人でメインステージでひいてくれて、ふぁーーーーってなった(笑
☆ボカロメドレー
町屋さんと亜沙さんの絡みが私特でした、、、
☆起死回生
聞きたかった曲でしたが、入れ替わるかなと思ってて、聞けないかと思ってました。
この曲が聞けてうれしすぎて、あとのことはあまり覚えてません、、、(笑
なので、以下割愛です。。。
あと、町屋さんと紅ちゃんがセンターステージに近づくところで、
町屋さんが紅ちゃんにちょっかいを出してるみたいなところがあって、かわいかったんやけど、何の曲だったのか思い出せないです(涙
花一匁
戦
刹那-桜風雪花-
知恵の果実
ボカロメドレー
雪影ぼうし
暁ノ糸
めちゃめちゃ金持ちではないけれど、めちゃめちゃ貧しいわけでもない、いわゆるふつーの家庭に生まれた。
小学校時代は、多少いじめられもしたけれど、おそらく自分も誰かをいじめていた(意識としてはちょっかいを出していたんだけど、今思うといじめと言われてもしかたないと思う)。
中学・高校も、それなりに勉強をし、それなりに恋愛をし、それなりに部活をがんばった。いい思い出も悪い思い出もあるけれど、今となっては楽しかった記憶の方が勝っている。
親には大学まで出してもらい、一般にはそんなに知られていないが、業界では知られているような大企業にも就職できた。
学生時代から付き合っていた彼女と結婚し、子供が生まれ、その子供も先日中学生になった。
会社でも、大変な仕事をいくつかこなし、つらい時期もあったが、それが評価されてそこそこの出世を果たし、生活には困らないレベルの報酬ももらえるようになった。
好きなものが楽しめて、時間も作ろうと思ったらそこそこ作れる。これからが楽しい盛りなのでは?と期待していたが、年齢的な体力の衰えを如実に感じだした。
体力がないと楽しいことも完全には楽しめない。体力・財力の曲線があるとして、その合算値がmaxのところが人生のピークなのだとしたら、そこはもう超えてしまったんじゃないかと不安にかられている。
これは足を踏み入れるまでは本当に得体の知れない世界だったのですが、知人にふんわりとすすめられかなり前に該当コンテンツの楽曲を拝聴いたしました。(夏休み前か夏休み中だったと記憶しています)
韻踏み音楽は荒々しく勇ましい男達の物であると認識していましたので、韻踏み音楽で戦闘というテーマは私の認識とバチコイはまり、各楽曲の方向性にもバチコイはまり、今も気分をバチコイ高揚させながら聴いています。
私は乱暴な言葉遣いばかりする架空のキャラクターがとても好きなので、楽曲も物語音声も非常に好感触かつ癖になるものです。
物語音声の言い争いを聴いている気分は、まるで駅などで目もあてられないほどの口喧嘩をするオッサン方や、そのほか関わりたくはないけれどなぜか目を向けたくなってしまう揉め事を直に耳へぶち込まれているような気分です。恍惚。
そして、楽曲を聴いていて心から思います。この世の揉め事、言い争い、喧嘩から暴力が消えて韻踏み音楽で埋め尽くされればいいのに、と…。
韻踏み音楽は、邦楽や洋楽とは全く違う音楽であると考えています。(優劣ではありません)
ましてや、韻踏み音楽で戦闘するのなら尚更違います。言えば、韻踏みは攻撃なのです。戦闘相手を全力で潰すという感情が荒々しい言葉(韻踏み)になり、精神干渉拡声器を通して拳や剣や弓矢、剥き出しの暴力へ変わるのです。これほど興奮するものはありません!!ヤバいです。
とは言っても、物語音声の中で語られている通り、人物皆が韻踏み音楽を攻撃として扱う訳ではありません。攻撃や防御や回復、色々な風に韻踏み音楽を扱うのです。ほとんどの人物が攻撃手段としていますが。
精神干渉拡声器というものが人々をなぜ熱狂させ、時に狂わせ、溺れさせてゆくのか。そもそも、この世に存在するあらゆる架空コンテンツすべてはなぜ人々を夢中にさせるのか…。
いやもうこの際そんな事はどうでもいいです。韻踏み音楽で敵を次から次へ潰し自分たちの信念を貫くための戦闘を続ける。そんな彼らを本気で応援したい。むしろ精神干渉拡声器による効果さえ受けたい。
見世物と認識し彼らを見るのも良いです。そうやって何度もわたしは思いを馳せました。ですが、最近は「軟弱な癖に口は達者な殿方になり彼らにちょっかいをかけ韻踏み音楽で生きることが困難になるまで攻撃をされたい」という感情がより強いのです。
もちろん楽しみ方は人それぞれ。私のような方もいれば真逆の人もいるでしょうし、まだ楽しみ方が見つからない方もいるでしょう。大丈夫です。音の前では皆同じです。
地域別韻踏み音楽戦闘の最終戦闘の告知もあったと聞きました。燃えます。灰になるまで韻踏み音楽を楽しもうと思います。
この日記、書いていてとてもたのしかったです。チラシの裏そのものではありますが自分の「好き」を言葉にするだけでもその「好き」は何倍にも何十倍にも何百倍にもなるものです。
刺激の足りない日々のなか希死念慮に追われるばかりでしたので、本当にこのコンテンツに出会えてよかったです。楽しいです。私はこれらがとても好きです。
ありがとうございました。
付き合って7年、同棲して3年
最近は相手が仕事の忙しさや昇進して部下ができた関係もあってか
キャバクラなどで楽しんで朝方帰ってくることも増えた
休みの日彼はずっとYouTuberの動画を見ているかソシャゲをやっているようだ
もしくはパチンコに出かけていきお金がなくなったと不機嫌で帰ってくる
会話もあまりない空間にバラエティ番組の明るい笑い声だけが響く
それでも付き合った年月の長さから情もあり自分は相手のことを好きだと言えるし
相手も当初ほどの愛情は無いにしてもまあまあ好きでいてくれているものだと思っていた
しかし今日ソファーに寝転がってスマホをさわっている相手に少しだけちょっかいを出してみたら
(横腹をツンツンと突くようななんでもないイタズラだ)
彼は大きなため息をついて触るなと言った。冷たい声だった
薄々感じてはいたけどなんだ、もう本当に好きなんて感情は微塵もないのだなと分かった
付き合いたての時に優しくしてくれた姿を思い出して悲しくなった
どこにも出かけないのも話しかけてもうざったそうにするのも疲れているからだと思おうとした
もっと早く気付けば良かったなぁ ほんとにまさしくうんち案件だ
勝手に選択掃除してくれるだけのお手伝いさんと思われているのか
それとも本当にただもう煩わしいだけの存在なのか
ネットの政治運動って、サブカルの一環として政治に意見してるようなもんだよね。
アレはラッパーが相手をMCバトルでdisってるようなもん。サブカル同士の罵りあいやマウンティングの一環だよね。
参加者を見ると、もう完全にサブカルのご意見番だったりサブカルライターがわんさかいる。参加者の顔ぶれもそうだし、服装、音楽、シュプレヒコールに至るまで、すべてサブカル。
サブカルチャーの一環として政治にちょっかい出して、俺はわかってるやつなんだぞ、とポージングするのは90年代からずっとそうだったし、外国でもサブカルが妙なことを言い出すケースは多い。
銭や仕事を引っ張ってくる政治とは一線を画す、自己表現としての政治発言やパフォーマンスで、それ以上のものでは今のところない気がする。
毎日のように行くコーヒーショップがある。常連なので顔が覚えられているどころか、数分程度なら会話もする位には仲良くなってる店員さんも何人もいる。
昨日、いつものようにコーヒーを買いに行って、つまらん冗談を言ってから職場に戻って来ると、エンベロープの内側にメモが挟まれているのに気づいた。
LineのIDとメアドに加えて、連絡が欲しいと一言書いてあった。なじみの店だし無視して足が遠のくのもどうかと思って、連絡をとってからのタイトル。初々しくてよいw
俺は既に30代で、その子とは10年以上も年の差がある。はっきり言えば倍だよねw
「もうオッサンだぞ。童顔で若く見えるかもしれないけど34なんだ。今、高3の君から見ると、倍の年数を生きた妖怪じゃん」
と暗に「そんなに年上だと思ってなかったです。ごめんなさい」「いいよ、いいよ。めっちゃ嬉しかったし、店であった時は宜しくね」で笑い話にする流れにしようと思ったのだけど、「その位だと思ってましたよ」と思いのほか意志は固い。
日々の雑談で聞かれるままに答えてて、独身だし彼女なんぞはいないし、男ばかりの職場で出会いもないし、好きな人すらいない事は既に把握されている。だから、ステレオタイプな傷つけない断り方は難しい。
「プライベートな話はするつもりなかったから、実は嘘で彼女がいるんだ」なんてのは卑怯すぎるだろう、というか同じ店の女子大生をデートに誘えなくなるから論外。
好意を寄せられてうれしくない人間なんていない。だからそれ自体は嬉しい。女子大生は好きですが、高校生はいかん。条例違反でニュースになるのは避けないといかん。
と言って、相手が子供だからという理由で袖にするのではなく、人を見て上手く行く行かない、好きになれるなれないを判断した体を崩したくはないとは思う。年齢なんぞラベルに過ぎない。
近いうちに昼飯でも一緒に食って「君が大学生になったときに同じ気持ちでいてくれたら、その時は遊びに行こうな。」て感じで、社会のルールを盾にとって、冷静になる時間を取れるように言って聞かせるしかあるまいと思うが、お前らならどうする?
俺が考えている対応で良さそうですね。付き合う気があるのかないのかで言うと、全くない訳ではないけど、初めからその気で迫れる様な年齢ではないというのが心理的な壁になってます。
大学3,4年生なら喜んで行くくせに何言ってんだ?って話でしょうけど、17,8歳ってのはなかなかの壁を感じますよ。
会ううちに好きになるかもしれないし、彼女が俺に対する良い思い込みを捨てられるかもしれないと思ってもいます。
いずれにせよ公序良俗ってものを考えても、互いの気持ちや人生を考えても、少しクッションになる空白時間を置いた方が良いのかなと思っています。
昼飯に誘って話をしてみます。
しかし、何人か仲良くなってる店員さんがいるのに、もうこの子が卒業してバイト辞めるまでは、誰にもちょっかい出せなくなったなぁというのが微妙に悲しくw
https://anond.hatelabo.jp/20180701213410
岩澤弁護士によると、自転車の歩道通行は合法であり、それに対してちょっかいを出すことこそ犯罪行為なのだそうです。暴行罪や傷害罪などにあたりますよ。
「普通、自転車は、その走行の安全を確保するため『やむを得ない』と認められるときは、歩道を走ることが許されています。
『やむを得ない」とは、道路の交通量が著しく多い・車道が狭い・路上駐車車両が多い、などです。さまざまな客観状況にもとづいて判断されます。
この『やむを得ない』可能性が少しでもあれば、現行犯であることが『明白』とはいえません。私人逮捕は許されないと考えます」
「また、現行犯に対する実力行使の程度は、事案の軽重などに相応でなければなりません。
そのため、たとえば、事故が起きていない状況などで、自転車運転手の身体を直接拘束するのは『必要かつ相当』とまでいえない可能性があります。この場合も、私人逮捕は許されないでしょう。
犯罪が『明白』といえない私人逮捕や、『必要かつ相当』な範囲を逸脱した実力行使による私人逮捕は、むしろ、暴行罪や逮捕・監禁罪の違法行為ともなりかねません。
そのため、まずは身の危険を感じたら避ける、注意するなど、防御行動にとどめるのが良いでしょう」
https://anond.hatelabo.jp/20180701190757
岩澤弁護士によると、自転車の歩道通行は合法であり、それに対してちょっかいを出すことこそ犯罪行為なのだそうです。暴行罪や傷害罪などにあたりますよ。
「普通、自転車は、その走行の安全を確保するため『やむを得ない』と認められるときは、歩道を走ることが許されています。
『やむを得ない」とは、道路の交通量が著しく多い・車道が狭い・路上駐車車両が多い、などです。さまざまな客観状況にもとづいて判断されます。
この『やむを得ない』可能性が少しでもあれば、現行犯であることが『明白』とはいえません。私人逮捕は許されないと考えます」
「また、現行犯に対する実力行使の程度は、事案の軽重などに相応でなければなりません。
そのため、たとえば、事故が起きていない状況などで、自転車運転手の身体を直接拘束するのは『必要かつ相当』とまでいえない可能性があります。この場合も、私人逮捕は許されないでしょう。
犯罪が『明白』といえない私人逮捕や、『必要かつ相当』な範囲を逸脱した実力行使による私人逮捕は、むしろ、暴行罪や逮捕・監禁罪の違法行為ともなりかねません。
そのため、まずは身の危険を感じたら避ける、注意するなど、防御行動にとどめるのが良いでしょう」
「あの子たちは勉強すれば叱られるもんだと思ってるから、褒め言葉をストレートに受け取れないし、何を褒められているのかも具体的に言われないと分からないんだよ」
こういう環境で育った。「勉強しても叱られる」というより、「勉強すれば叱られる」。変わったこと、ちょっかいを出せそうなことをしていると叱られた。勉強しなければしないで叱られはするのだが、「お前は問3の選択肢を間違えた。どう総括するか示せ」などといった具体的なレベルで何時間と詰められるよりも、「勉強」という抽象概念を選ばせた方が言うことがまとまりづらく、怒りのエネルギーが低く済むから、しない方が安全だった。
褒められる練習も足りないし、褒められても大丈夫だっていう安心が全くなかったし、今もない。どんな交換条件が出てくるか、対価に何を奪おうとしているのかと警戒してしまう。
まず、
の5勢力がある。
が出てくるので実質6勢力になる。
この中で特筆すべきはみんマスPだ。みんマスPは必ず下地として「元祖P」がある。元ライバルであった響や貴音を受け入れ(まぁ元々SPの時から響と貴音受け入れているような空気ばっかりだったが)、9・18事件を乗り越えて残っているので、いまさら何が増えても問題はない。
シャニマスですら「いやー、絵が全然アイマスらしくないし、これ以上増やすのは」とかいってた友人の真Pは楽しくシャニマス楽しんでいるのでこういう奴らしかいない。
元祖P(みんマスPを兼ねる)は、正直「争いは望んでいない。それぞれで楽しもう。」的なことをいいつつ、実際はかなりちょっかい出しである。
「765も通った道だな」だとか「765があるからソレがある」と思っているので、とりあえず上から目線で口を挟んでくる。
めんどくさい原因を作り出している。
なので、多くのコンテンツでの対立構造は「信者 vs アンチ vs 対立煽り(トロール)」であるのだが、アイマスに限って言えば「信者 vs アンチ vs みんマスP(ロートル) vs 対立煽り(トロール)」となる。
内輪もめがよく言われるが、正直そんな内輪もめも実際中身を見てみると「運営信者 vs 運営アンチ vs 対立煽り(トロール)」でしかない。ここにも必ずみんマスPが現れて「運営信者 vs 運営アンチ vs みんマスP(ロートル) vs 対立煽り(トロール)」になるので質が悪い。
しかし、みんマスPの多くはアイドル増田ーをめんどくさくしているという自覚はない。傍観者だと思っているのである。
つまり、自分がアイマスを思ってつぶやく一言一言はアドバイスであり、油ではないと信じて疑わない。
はっきりと「みんマスPは入ってくるな」という事である。
「デレマスやミリマス、Mマス、シャニマスの話をしているのであって、アイマスの話をしているわけではない。」とハッキリと言うことである。
なので、これからアイドル増田ーを書く人は、増田の一行目に「○○マスの話であってアイマスの話ではありません。」と付け加えることが必要である。
そんなのでみんマスP防げるの?って思うかも知れないが、彼らは「争いは望まない」という割にちょっかいを仕掛けてくるだけで、ちょっかいを出しているとわかってないだけ。
なので、これからアイドル増田ーを書く人は、増田の一行目に「○○マスの話であってアイマスの話ではありません。」と付け加えることが必要である。
増田的には旬を逃してしまった感があるけれど、改めて寝る前に。
先日のはあちゅうしみけんのあれはなんとなくおさまるところにおさまった感があって見ている分には非常に面白かったけれど、
しかしあれだね。こういうことも大っぴらに発表できるようになったのは、なんというか人の生き方がホント多種多様になった時代のおかげだと思う。
自由な生き方、上昇志向・キャリア志向・大手企業偏重・大艦巨砲主義などを優先的には求めないフリーダムな暮らし、そんな言葉が巷に溢れるようになって二、三年だろうか。
その考え方がはびこるのを横目で眺めつつうっすら感じていたけれど、皆がそうなってしまうのはある種ドラッグに溺れるようなもんだとこの件で改めて思った。
婚姻にしても就職にしても進学にしても、自由な生き方をする為には自由に生きれる能力がないと、その先に待っているのは破滅でしかないのではないかな。
最初に挙げた彼らにしても、かたやなんだかんだ慶応卒で良くも悪くもブロガーとして名を馳せて色んなビジネスにちょっかいだして、まぁ不自由なく暮らしている才女、
かたやどんな業界であれトップに上り詰めた腕一本(○ニス一本、と書くか迷った)で生きている芸能人。
この2人だからこそ周りを気にせず自分たちの好きな生き方をできたわけで、目立った才やキャリアや貯蓄や各種のギフトがない人達が「自由な生き方」をして、
いったいどれだけの数が報われるのだろうか。
そのまま自分の偏差値にあった進学・就職をすれば地元でまったり過ごすくらいにはなれたのに、自由な生き方を求めて東京に出てきて何者にもなれなかったり、
そのままお見合いすればまぁまぁ平和な縁談で平凡な家庭を作れたのに、自由な恋愛を求めてハードルを上げすぎて独身アラフォーになったり、
そういう身近にあるセーフティーネットを投げ捨てて「自由な生き方」を選択できるほど、皆は自分の能力に自信を持っているのだろうか?
もちろん優れた人がより優れた生活を求めて色んな自由な選択をしていくのは良いことだと思う。けど、ネットに溢れるこういう生き方の表層だけを見て
自分もこうするべき、古いライフスタイルは可能性を殺す、って判断してしまう人って、どちらかというとその選択をするべきではないような人が多いように見受けられる。
多様化結構、働き方改革大いに結構。でもその風潮が下から上まで広まった結果待ち受けているのは、優れた人がより自由になって、優れていない人が
既存のセーフティーネットよりも更に低いところでも手に入るような薄っぺらい自由しか選べない、格差がより広がるディストピアな世界だけだよ。
自由な生き方はあなたの将来に対して驚くべき効果を発揮します。ただ中毒性がございます。体調家庭環境学歴キャリア能力収入をよく考えて、用法・用量をお守りください。