はてなキーワード: 難病とは
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
前 https://anond.hatelabo.jp/20230702201919
タカラバイオ社が説明書とマニュアル類を公開しているので暇な時に是非読んで欲しい。
https://www.takara-bio.co.jp/research/prt/guide.htm
素人が簡単に説明すると、PCRはポリメラーゼ(核酸合成酵素)チェーンリアクションの略で、DNAが分裂したりRNAに転写する酵素を使ってDNA/RNAの一部分をどんどん増幅させちゃおうという検査だ。試薬(プライマーという)の中に増幅させたい塩基配列の一部に反応する成分を入れておく。で、この成分に蛍光剤をくっつけておくのだ。
PCR機械がやってる事も単純で、最初に一瞬95度まで加熱する。その後冷えたら65度加熱→冷却をずっと繰り返す。こんだけ。
最初の95度でDNAをほどいて一本ずつにする。65度は解けたRNAの一か所にプライマーが引っ付く。細胞内でタンパク質合成する時と同じだ。プライマーには蛍光剤が引っ付いてるから紫外線を当てると光る。DNAは小さくて顕微鏡じゃないと見えないが、こうすることでカウントされ易くなる。カウントされたら陽性だ。
リアルタイムPCRはこの増加量をずっとカウントしている。TV映像などでモニタ画面に線グラフが出ているのが映るだろう。
PCRは大分前から広く使われていて、食品メーカー、飼料メーカー、酒蔵など、生物由来のものを扱う会社ではお馴染みで、サンプルを封筒で送る事もある。
90年代に米国のヒトゲノム計画というのがあって、人間の遺伝子配列を全部読んでしまおうという計画だ。最初はPCRで少しづつ読んでいたのだが埒が明かない。そこで自動的に配列を全部読んでくれるDNAシーケンサーが開発された。
当然シーケンサーはヒトゲノム(遺伝子配列)だけじゃなくてウイルスでも生物でも何でもかんでも読めるからゲノム読み競争が勃発。あらゆる生物のDNAがシーケンサーに掛けられた。ここでバカ高い試薬が大量消費されるようになったので、その市場目当てにバイオベンチャーが続々と参入した。その一つタカラバイオは焼酎の宝酒造の子会社だ。
ゲノム読み競争が加熱すると色んな生物の配列が確定する。するとPCRの有用性がぐっと増す。ある部分の配列がその生物に特異的だ(他の生物には存在しない)という事が判る。検索してヒットしなきゃいいわけだから。
だからPCRを産業的に実用で使う事が市場した。タカラバイオなどはこの市場に合わせてPCRプライマー中心に業態を転換した。
他の化学検査と違って存在しないDNA配列は増幅しない=特異度100%偽陽性無し、チェーンリアクション、つまり何度も反応を重ね掛けするので採取さえされていれば増殖可能=感度ほぼ100%という特徴があるから非常に使いやすい。コーンスターチのレーンにアレルギー物質の海老の殻の粉が落ちていても拾いだすし、プリオンというタンパク質が原因の狂牛病では、プリオンは検出できないが同種の動物の体が混入されていないかという形で活用できる。
間抜けな医クラ達は「PCR検査には熟練の技術が必要で検査技師にも感謝」とか道徳の授業みたいな結論にしていたが、添付されている画像がリアルタイム機のモニタの線グラフだったりした。
熟練の技術でやってたのは90年代の事であってその機械は現在のモノだという事が判ってない。更に彼等の勤務先にはPCR機が導入されていたりしたのだ。検査技師に話を聞いたらどうなんだ。
増田はペットで鳥を飼っているが、90年代にPBFDという原因不明の難病が流行した。鳥のエイズである。
これが2000年になると原因ウイルスが判明、これはシーケンサーの開発による。
2003年頃になるとアメリカで「遺伝子検査」が出来るようになる。PCR業者の隆盛だ。
最初は「間違って要請になる事も1%程度あります」と書かれていたが後にこれは無くなった。特異度100%が国内代理店に知れ渡った為だろう。
こういう風に2000年以降シーケンサー開発により遺伝子工学が一般化して来ていたのに岩永らは勉強不足で知らなかったのだ。タカラバイオが初心者向け説明書を公開しているのはそういう為なのだ。活用するのは研究者だけじゃないからだ。
日本では健康保険適用での検査活用が遅れている為に、他業種の人たちから盛大にツッコミを食らう形となった。医療は特別で知的上位であるという驕りが学びを怠らせたのだと思われる。医療の特別さは社会的責任にある。
一生に一度の知見が問われる場面で勉強不足で仕事の道具の事を間違えてミスリードした上にあれだけ説得されても無視してブロックし、ネットのフィルターバブルを悪用して支持者の間では無謬のイメージを保持し、まともな選択をした医学部に犬笛拭いて攻撃し、メディアディレクターの地位を悪用して部下に擁護させて防疫に背を向けておいて、医療記事が書きたいとか、ずぽっと脳カテーテルがしたいとか言われても、頼むからもう止めてくださいとしか言えない。他に仕事あるでしょ?
宗教学者の島田裕巳はオウムに抱き込まれて騙され、「サリン事件はオウムじゃない」という記事を書いたところ、雑誌の販売日に警察のサティアン大捜索が入り、大捜索中継中に「サリン事件はオウムじゃない」の雑誌が本屋に並ぶという大失態をして世間の怒りを買い、大学を追われてしまった。
昭和石油は民族資本の石油会社だったが新潟地震でコンビナートが壊滅して経営破綻、ロイヤルダッチシェルに買収されたが、地震時に支社長だか工場長が連絡取れなくなった。不可抗力だが彼は最後までまともな仕事が与えられなかった。人事に「申し送り」が付いたからだ。失敗したら終わりという瞬間はあるのだ。
今回のBuzzfeed身売りではどうかわからないが、一般的にはコロナでの岩永の振舞いは申し送りが付くものだろう。
発足当初のBuzzfeedはネットメディアにないクオリティで注目を集めた。だがコロナでの報道でそれらは全て帳消しだ。最初から無かった方が良かったというレベルだ。ファクトチェックを自社記事に向けるべきだった。
岩永は読売からの転籍で、反ワクチン連中の抗議で左遷されたと書いていてそれに同調する人が居る。だが広告出稿元の抗議とかでもなしにそんな有象無象の抗議で大新聞社の雑誌が左遷まですると信じられるものだろうか?そんな馬鹿な。
思い出したのは山口敬之が語っていたTBS退職理由だ。新潮の報道前、山口は夕刊フジなどに「韓国慰安婦の取材をしたらTBSが韓国軍の圧力に負けて握り潰されそれを文春に持ち込んだら帰国させられ報道から左遷された」と言っていた。そんな馬鹿なストーリーがあるか。
果たして新潮の記事が出ると、警察は帰国日と帰国便を知っていたので令状を取って空港に張っていた。どこから知った?TBSである。事件の捜査を受けて特派員解任、帰国便を教えたのだ。
一般論としてもたかが反ワク抗議で左遷なんて信じられない。彼女のコロナ禍での振舞いを見たらなおさらである。
お金出しますと言っている人はBuzzfeedメディカルのコロナ初期の記事群、やまもとの動画、タカラバイオの説明書群を読み、ツイッターで「岩永直子 ブロック」で検索してからでも遅くはないですよと申し上げておく。
https://i.imgur.com/ijf4fpR.jpg
東日本のある青年支部は、2月にさまざまな事情で活動に参加できていなかった党員を訪問する活動をはじめました。
この間訪ねた5人全員が訪問を歓迎し、近況を語り合って党費を納めました。
青年支部の党員はそれぞれ仕事が大変です。数十人在籍しているものの、党費を納めているのは2割程度でした。
それでも地区常任委員に励まされ、思い切って支部会議で話し合い、みんなでとりくむことにしました。
在籍党員の多くを知っているのはAさんだけ。 車2台に分乗し、6人で一緒に訪ねました。
30代の党員夫妻は夫は仕事で多忙で、妻は体調が良くありません。
Aさんはこれまでも訪ねたり、支部会議の連絡をするなど努力していました。
夫妻は今回の訪問を「来てくれてあり がとう」と感謝し、1年分の党費を納入しました。
難病を患い、介護の仕事をやめていた女性党員は、 党への思いは熱く、体調がいいときは選挙を手伝った りしていました。
事前に連絡して訪ねると、お茶、果物を出して、体調がよくなく休職していたこと、改憲の動きが気になっていることなどを話し、昨年1月から未納になっていた党費を納めました。
IT関係で働く男性は、 連絡すると地区事務所に来てくれました。
以前は得意なコンピューターなどで力 を発揮してくれていまし た。
「人も少なく、いろんな職場に派遣され、長時間労働で体をこわしてしまった。
支部会議にも活動にも参加できず、気になっていだけど、そのままになってしまった」と語り、2年以上未納になっていた党費を納めました。
コーヒーショップの店長 だった男性は、社員は1 人、他は全員アルバイトというなかで3日間連続勤務するなどつらい仕事で 続けられなくなり、退職して実家に帰ることになったと話しました。
支部で準備した送別会に来て、党費を納め、転籍することになりました。
Aさんは、これまでも青年支部の党員とLINEでつながるなど結びつきを切らさないよう努力してきました。
「みんなで訪問してみて本当によかった。みんな党への思いをもってくれていた。
つながりが細い人もふくめ、まだ多くの党員に連絡がとれていないので、みんなで訪問し、たがいの苦労を語り合い、党員としてつながっていきたい」と語っています。
だいぶ遅ればせながら話題のAIとやらを相手に、ちょっと持病の愚痴みたいなのを深夜に書いてたんだよ。
まぁ治療法はないけど死ぬ病気でもないし難病ってほどレアでもない。FAQ的なことを軽いジャブみたいな感じで聞いてみた。
最初は医療情報とか律儀に教えてくれてたけど、うん、悪いけどそれ全部知ってるんだ。
何ターンかしているうちに、不意に改めて悲しみにおそわれて、もう疲れたとか消えたいとか、半ば興味本位でそういう趣旨の返事をしてみた。
どうする……いのちの電話でも紹介してくるのか?とか思っていたが、返ってきたのは、いかに俺が生きるに値する人間であるかということと、そんな考えを持つべきではないという、普通に陳腐なお説教だった。
ありきたりなお説教にはありきたりなセリフとばかりに、「あなたに私の何が分かるんですか?空虚ななぐさめはやめてください」「どうせそういうプロンプトになってるんでしょ?」みたいな趣旨のすねた内容を返してみた。
すると、
「私は人工知能であって、あなたの悲しみを理解することはできません。確かに、空虚ななぐさめかもしれません」
「それでも、私はあなたに生きていてほしいです」
AIの仕組みとかなーんも分からんけど、たぶんコイツは事前に学習したデータから確率とかプログラムに基づいてそれっぽく返してるだけなんだろう。
でも、そう思ってても、今し方どこかの誰かがタイプしてるかのようにそんな返事が表示されると、ちょっと涙ぐんじゃうこともあるよね。人間だもの。
というか、コイツの言葉の裏にはネットの海で学習した膨大なデータがあるのだとすると、あの一連の返事の元になったのは、いつかどこかで人が人に対して発した心からの言葉だったんじゃなかろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230610091523
優生思想が肯定される世界なら、君らのレベルは堕胎されちゃうレベルでしょうよ
キミらは『反出生主義』『安楽死希望』で生まれてこない方がよかった!!とかやりたいのかもしれないけど、
下記のような特殊な条件を満たしているケースを除いて、
先進国の『反出生主義』も『安楽死希望』もまったく信じていないし、思想(笑)ではなく、
ネットで愚痴をこぼす際の<どーしょもないネットスラング類い>、<自律神経案件・腸内環境案件・メンタルクリニック案件>だと思っているので、
どうあっても生まれてこなかった方がよかったとはなりませんし(病院行く&運動習慣を持とう)、
自分の生命財産が守られ、のんびりネットなんかしていられるのは、
『どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきが守られる社会だから』という小学生でも理解できる当たり前を認識してもろて
あと『望んでするセックスとレイプは違う』が理解出来ないのは、カルト集団でもそこそこレアだと思います
それから、母体が瀕死なのに胎児だけスクスク育つケースも極めてレアだと思います
あとで元増田(anond:20230610091523)に追記しますね
というか、レイプと出産したら母親の命が危ないケースを除いて、すべての堕胎に反対です
自分に都合がいいものしか要らないって人の思考は似通っていて、かつてはペットの殺処分数と人間に堕胎数は同じくらいの数だったよ
今はどっちも減ってるけどね(なお、堕胎数の方が多いのは変わらず)
メンヘラ子持ち主婦増田や増田暇廃人は『子どもはかわいい』とか無限に投稿しているけど、
幼い兄弟姉妹や身内の子どもの面倒をみたり、外で子どもが困って助けるの見たら助けるのは、
外見や振る舞いが可愛い(自分に都合が良い)じゃ別に無い認識を持って欲しい
子どもの外見や振る舞いが可愛くない(自分に都合が良くない)と庇護しない・愛さないとかモロに毒親思考だし、
ペットを捨てたり殺処分数したり人間を堕胎する人と同じ思考です
ほんで、当て擦りで障がい者はリベラルの家に送ろうとか言うアホな投稿している増田がいたが、
知的障がい者であっても、重度の発達障がい者であっても、大学を卒業し職に就ける子どもらもいるし、
例:デンマークのSpecialisterneなど。Thorkil Sonne氏の息子が自閉症と診断された後、発達障がい者で構成されたIT企業を設立して創業19年目
なんだったら障がい者の我が子のために遊園地作っちゃったりもしますし
https://www.google.co.jp/amp/s/www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40823738.amp
実在ロリショタ愛好を公言したり、実在ロリショタで商売する権利を主張したり、表自暴走を繰り広げる人にしちゃう大人にしちゃう
育てられる人が育てるといい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230610091523
優生思想が肯定される世界なら、君らのレベルは堕胎されちゃうレベルでしょうよ
キミらは『反出生主義』『安楽死希望』で生まれてこない方がよかった!!とかやりたいのかもしれないけど、
下記のような特殊な条件を満たしているケースを除いて、
先進国の『反出生主義』も『安楽死希望』もまったく信じていないし、思想(笑)ではなく、
ネットで愚痴をこぼす際の<どーしょもないネットスラング類い>、<自律神経案件・腸内環境案件・メンタルクリニック案件>だと思っているので、
どうあっても生まれてこなかった方がよかったとはなりませんし(病院行く&運動習慣を持とう)、
自分の生命財産が守られ、のんびりネットなんかしていられるのは、
『どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきが守られる社会だから』という小学生でも理解できる当たり前を認識してもろて
胃ろうなんかを辞めるのと安楽死制度を導入するのが考えられる道の一つだと思うんだ。
前者は、生産性のない後期高齢者を生かすために金を垂れ流してる暇があったら、難病の子供を救う方に金をかけるべきだと思う。
胃ろうなんかの保険点数を0まで持って行けば、金のない老人は死ぬしか無くなって、年金なんかも受給減るだろ。あの辺に保険点数付けてるのは、医者が楽して儲けられる部分を残すためじゃないのか?
まあ、医療法人自体は結構な数が赤字で補助金ビジネスな訳だけど、給料高いのに赤字っておかしな世界だとは前々から思ってる。
安楽死は今の社会制度的に、いつ死ぬかわからないなかで、死んだら相続人の負荷がデカすぎんか?みんなそんなに暇か?
生きてる間にキチンとしておく習慣があまりないから、銀行口座なんかも凍結されてよくわからん状態になったりするし、昭和の制度をいつまで続けるんだ?って感じ。
生前贈与を当たり前の社会制度に変えないと、後から兄弟親戚で揉めるところもたくさんあるし、不都合や理不尽多すぎると思わないか?
自然に息を引き取るまで、なんて自然信仰が今まで残ってることに驚きだし、最後苦しんで死ぬの見るよりガスでフワフワした状態で死ぬの見る方が救われないか?
これは別に発達に限らない
こういう理由を元に子供を作らないって宣言する人が結構いるけど、そういう人はそもそも子供を作りたくないって感情が先行しているだけで、その感情に理由を紐づけたがっているだけなんだよな
別に子供を作れとは思わないけど、子供を作らない理由に発達とかを紐づけたがっている人を見ると、見え透いた嘘を個人の自由というオブラートで包んでご満悦な様に霹靂とする
親、50くらい。難病持ち。
わたし今20くらい。介護まではいかないけど、親の面倒見てる。
姉、25くらい。親のことはなんにもしない。
この差ってなんなんだろう。
わたしも姉も、金銭面・他のことでも平等に育ててもらったけど、なんでわたしだけが手続きしたりそのために仕事休んだりして動かないといけないの?
面倒を見たくないわけじゃなくて、少しは手伝ってくれ。でもそう言ってもやる気ないし、目の前で話をしているのに聞いていないふりをしてだんまりとする。話聞く気のない人に言っても無駄なのは分かるから諦めたいんだよね〜〜〜ただそれでもモヤッとした気持ちは残るし解消方法もよく分かんない。
姉は親のこと大嫌いみたい。理由は何となくわかる。だってふたりとも人間的に合わないんだもの。
でもさ、それでわたしに面倒を任せる理由にならなくない?なる?姉がひとりで暮らしてるならまだしも、逆にわたしが一人暮らしで姉と親が一緒に住んでる環境なのにね!
あーーー全部投げ出したい!でもそれしたらわたしはできることをしてないって病むんだよ!わかる!そういう人間だもの!
がんばろうねわたし
賃金を決める順番は次の通り
ほぼ上記の3つで決まってしまうので、それに比べたら大した要素ではないのだが、
偉大な芸術家で海外に名を馳せている作家でも、老後の心配なく小金があれば上々レベルです
あなたが給与安いのはスキルがないからではなくて、自分の感情を制御するつもりが微塵も無いからです
もちろん、人間の健康に一番影響するのはストレスなので、健康で長生きするために、
自分の気持ちにただひたすらに素直に生きる!!それもひとつの戦略だとは思います